G・K・チェスタトン ブラウン神父の秘密(創元推理文庫)
私が初めて読んだ推理小説は児童向け雑誌に載っていたコナン・ドイルの『まだらのひも』。やはり同じ雑誌の特集記事だったか、あるいは付録の小冊子だったかでいろいろな名探偵をマンガ風イラストで紹介していて、ポアロやマープル、明智小五郎や金田一耕助の名前だけは知りました。ブラウン神父もその一人。
大人になってから図書館で借りて数冊読んでみました。その中でもブラウン神父の博識と人間洞察力の鋭さに衝撃を受けたのが『俳優とアリバイ』という劇場支配人殺しのお話。以下は犯人をいかにしてつきとめたかを語るブラウン神父の言葉。
「ある女がどういう人物なのかを知りたいと思ったら、本人を見てはいけません。(中略)
まわりの男たちを見てもいけません。(中略)見なくてはいけないのは、その女の身近にいる別の女性、ことに目下の女性です」
私は20代から30代にかけて10年ほど一人の女性の上司の下で働いていました。苦学して大学を出た人で仕事もスピーディ、人柄もよく、数年間はよい関係でしたが、双方の生活環境の変化もあってうまく行かなくなり、配置換えになりました。今、あの頃のこと、彼女のことを思い出すと、いつもいつも彼女の言動に賛同していたわけでもないのに、知らず知らずのうちに彼女に似た面を持っている自分に気がついて愕然とします。よいところもそうでないところも…。そう女性は女性にそれも「目下の女性」にはありのままの自分をさらしてしまう…今は私が二人のアルバイト女性の、一応?上役です。彼女たちに私の真実の姿が映ってしまうのか? そういう戒めのために時々読み返そうと『俳優とアリバイ』が収録されている『ブラウン神父の秘密』は入手しました。
梅雨時のウツウツした気分を何とかするために再読してみますと、幸か不幸か記憶力が落ちていて『俳優とアリバイ』以外のお話はあらすじを全部忘れておりました。
目次を見ても雨の日の読書向きです。
『大法律家の鏡』
パーティでもないのに庭木にイルミネーションをつけ、そのあかりが池に映るのを楽しんでいた判事が被害者。現代とはちがい、この小説が書かれた1920年代にイルミネーションを家に取り付けるのは大変なことだったのでは?
『顎ひげの二つある男』
郊外にすむ裕福なバンクス一家の朝の食卓というホームドラマ風に始まるのに真相はとても陰惨な事件。
『ヴォ―ドリーの失踪』
野原と畠に囲まれた肉屋、
雑貨屋、仕立て屋、たばこ屋、レモン水の店だけの
商店街、そしてその裏手を流れる川。失踪したヴォ―ドリー卿の行方をさぐるブラウン神父と英国の田舎を散策している気分になれます。
『世界で一番重い罪』
ブラウン神父が姪の婚約者の真の姿を見ぬくお話。
『メル―の赤い月』
題名は小説中で盗まれるルビーの名前。この小説が書かれた時代の英国の上流階級の東洋趣味が感じられる作品。
『マーン城の喪主』 頭が三つある?ともうわさされるマーン候の城が稲妻に照らされ、あわてて雨をさけるピクニックの人々の会話から始まる物語。
ホームズやポアロに比べると日本での知名度が低い?…ブラウン神父。映像化されているのに、私の知る限りお金を払わなくても見られるチャンネルで放映されません。
日本ではカトリックがあまりポピュラーでない、信者数の多くない宗教だからでしょうか?ブラウン神父の物語の根底に流れている哲学、世界観が日本人には難解なのかもしれません。
父が独身時代に買ったと思われる昭和31年発行の世界推理小説全集の『ブラウン神父』もあります。こちらも読み返す機会があったら感想をお話ししましょう。
藤井マリ舞踏『月と林檎とレモン虫』
6月21日夜、成城学園のアトリエ第Q芸術で藤井マリの舞踏『月と林檎とレモン虫』を
観ました。
会場は日本画家高山辰夫の自宅兼アトリエだった建物です。外側から見ると特に変わったところはない家ですが、入ってみると芸術家の住まいらしく趣向がこらされています。
たとえば藤井の舞踏が行われた地下のセラールーム。地下室にも関わらず大きな窓があり,開けるとそこには空間(ドライエリア)があって、昼間なら地上から光が差し込むようになっています。壁に取り付けられた絡んだロープのデザインの照明器具もおしゃれですね。
建物の感じは下記のサイトがわかりやすいです。
https://web.archive.org/web/20171121011418/https://camp-fire.jp/projects/view/34141
成城学園前駅徒歩2分と交通の便もよく、こんな住まいで暮らしてみたいものです。
仕事が終わってから7時半の開演ギリギリにに到着。庭の植え込みがカラフルにライトアップされていました。セラールームはすでに人がいっぱいで空いていたのは座布団席?だけ。
この日の新聞を持った藤井が登場。まずは床に横たわって全身に広げた新聞を掛け、それから起き上がります。舞踏を文章にするのは難しいのですが、藤井の動きに合わせて音楽担当の北瓜やよひ氏がペットボトルやさまざまなものを使って音を出します。藤井と北瓜がたがいに新聞を読み上げるシーンもありました。ちょうどそれが私が購読している新聞でこの朝読んだ記事なのでとても面白く感じました。
公演後に聞いた話では舞踏開始後、何分たったら照明を変える、CDを流すという時間については打ち合わせをしていたけれど、後は全て即興とのことです。パフォーマー二人だけでなく、照明やその他の効果のセンスもすごくよかったのですが、担当された早川誠司氏はこのアトリエのチーフディレクターでかつては明大前のキッドアイラックホールの責任者だった方でした。これも帰ってからネットで知ったのですが。
キッドアイラックホールもその地下にあったブックカフェもとてもすてきな空間で2016年末でなくなってしまい残念に感じていました。次回は8月23日に藤井の舞踏があります。仕事が休めれば時間に余裕を持って訪れてセラールーム以外の部屋も見たいと思います。アメンバーの皆さんでもし興味がある方がいらしたら実以に連絡ください(笑)。
https://www.seijoatelierq.com/
『泥まみれの死―沢田教一ベトナム写真集』(講談社文庫1999年)
4月、デパートで34歳で早世した戦場カメラマンの沢田教一の展覧会を見ました。 久しぶりに「こういう人が日本人にもいたのだ」と驚きました。その復習?をしたくて図書館で借りた本。
表題作はアメリカ軍の装甲輸送車に引きずりまわされるベトナムの解放戦線兵士の死体の写真。どうしてこんなことをするのか? 死体を輸送車に載せたくても場所がなくてやむを得ないからなのか、それとも自分たちに刃向うとこういう最期を迎えるよという
見せしめのためなのかはわかりません。どちらにしても人間の尊厳を踏みにじる行為です。アメリカ軍兵士にしたって望んでこんなことをしているわけではありません。どの国が正義でどの国が敵役というのではなくて、戦場の人々一人一人の姿を写し、戦争の現場で起きていることを世界に伝えることが大切だと沢田は考えていたのでしょう。
沢田の写真の中で最もよく知られているのは川を渡って逃げる母子を写した『安全への
逃避』。この本の表紙にも使われています。ですが私があの展覧会で釘づけになってしまったのは沢田の死後1971年のロバート・キャパ賞を与えられた写真。男性二人とそれに助けられて逃げる二人の老婆の姿。一人の男は抱えている巻いた敷物のために顔は見えませんが片手で老婆を支えています。頭にターバンを巻き、片手で服の裾を持ち、恐怖の表情の老婆。もう一人の男は老婆を抱き上げて逃げています。抱えられた老婆の手には籠。きっと大切なものが入っているのでしょう。顔立ちが似ているところから見てこの男性は老婆の息子か孫か親族。逃げる前、老婆はこんなことを口にしたかもしれません。
「私たち年寄は足手まといになるからおいていっておくれ。若いお前たちだけでお逃げ」
そういわれても彼らはそうしなかったのではないでしょうか。なぜなら大好きな母や祖母を捨てるようなことをしたら、自分たちを攻撃した人間たちと同等になってしまうから。
私は今までベトナムから来た「ボートピープル」と呼ばれる人々に二度出会いました。最初は中学生の時、日系人ということで受け入れられたという二人の姉妹が私のいた学校に編入して来ました。お姉さんの方は16歳とのことでしたが学習面の配慮からか中学に
入ったようです。少し話をしたところかなり日本語は上手でした。私の弟は自閉症ぎみだっため当時小学校の養護学級で学んでいました。この姉妹の弟である少年がやはりその養護学級に入ってきたそうです。明らかに日本人ではないとわかる彫の深い顔立ちでしたがとても素直ないい子で、弟にも親切に接してくれたとのことです。
2度目は二十歳前のころ、カトリック教会で日曜学校のリーダーをしていた時のこと。当時小学3年生の難民の少女が日曜学校に入ってきました。たいへんな苦労をくぐりぬけてきたとは信じられないほど明るくて活発な子でした。でもその子のおかあさんは顔にヤケドの跡があり、メイクでカバーしていました。この母子と家族ぐるみで交流していたリーダー仲間の話ではお父さんはこの子の見ている前で殺されたとのことです。
沢田の展覧会で知って衝撃を受けたのは―今まで知らなかったのがウカツだったのですが、
ベトナム戦争はアメリカ政府がマスコミに自由な取材をさせた最後の戦争で、その後のいわゆる湾岸戦争や9.11以後については取材が制限されているということ。それはつまり、沢田教一の写真と同じような、あるいはもっと残酷なことが起きているのに、私たちは知らされていない―だけかもしれないのでしょうか。
ツムジ2つのバラ、カーネーション3兄弟
この赤いバラは3月、弟がアイドルグループの「卒業式」でもらってきました。バラは切り花としては高価なのでラッキーです。よくみると花の中心部の渦巻き?が二つあります。ツムジが二つあるバラってはじめて見た気がします。
これは4月に買ったミニカーネーションとカスミソウの花束、長さがばらばらになったので3つに分けて生けてみました。三兄弟?ってかんじで楽しくなりました。
母が私が小さい頃、働いていた会社でもらったとっくりを時々、一輪挿しとして利用しています。ガーベラやラナンキュラスなど頭の大きい?花を生けると
面白いですね。
4月上旬、道端に生えていたコメツブツメクサ(たぶん)を摘んで古い楊枝入れに生けてみました。雑草ですが手のひらサイズでなかなか可愛いです。
これは弟がベランダで育てた菜の花です。ひょろひょろですが、今同じ鉢でアサガオを
育てています。
5月の連休直後、ハナショーブの花つき苗も買いました。でもその後花芽が出てきません。育てるのがなかなか難しいようです。
今、ベランダで咲いているのは八重咲のマツバボタン。
マツバボタンは子供の頃住んでいた家の庭にたくさん生えていました。この鉢とはちがって一重の花でしたが、濃いピンク、黄色、白などの花を咲かせていたのを今も憶えています。一つの株からちがう色の花が咲くのはちょっと不思議ですね。
星新一 未来いそっぷ(新潮文庫)
仕事が今ハードなのでショートショートなら軽く読めるかなと思って手に取りました。でも結構ズシリとくるお話が多い本でした。
冒頭の『いそっぷ村の繁栄』はイソップ童話の書き換えです。アリがキリギリスに影響されて踊りをおぼえてしまったり、北風に吹きつけられた旅人はバーに入ってしまい、ウサギと競争するカメは策謀家、オオカミ少年は村を経済成長させる? この週末は天候が悪かったので散歩に連れ出す代わりに母に読み聞かせしたら、面白がっていました。
この著者の作品は以前にも読んだことがあります。ショートショートを読んでいると自分でも書いてみたいな、書けるんじゃないかな?なんて気分になってしまいますがとてもとてもこの名手のようには書けるものではありません。人間、社会への洞察が鋭く、またそれを切り取って短い物語に仕立てる素晴らしい手際。昭和四十六年に出版された作品集の文庫化ですが、全く古さを感じさせないのです。
『少年と両親』というやや長めのお話を読むと70年代初期の当時から少年の非行や暴力が社会問題だったのだなと感じますが、衝撃の結末。
『ある商品』というSF風のお話は21世紀の現在の少子化、人手不足を風刺している
かのようです。『おカバさま』『新しい症状』というお話は何でもコンピューターに頼る時代とその危うさが語られています。
1997年に亡くなった著者はネットで調べると若い頃、父から継いだ会社の経営者として苦労したとのこと。『いい上役』『企業内の聖人』というお話は企業人としての経験から生れたように思います。
そのうち、この著者の長編にも挑戦してみようかしら。
祝?母、抗がん剤停止3年
母が抗がん剤治療を停止して何となく3年が過ぎてしまいました。職場には「たぶん来年あたりが山なので…」といって週一日午後から出勤を認めてもらいつつ、3年…この間に、同僚の親たちが相次いで母を追い越して?亡くなってしまい、職場で何だか立場が悪くなっております(笑)。血液検査をするとだんだん腫瘍マーカーはあがっていますが、今のところ栄養状態はいいようです。この夏、私の仕事にも変化があるのでなんとか元気で乗り切ってくれればと思います。
母との散歩は私にとっても大切な時間です。桜が散ってからもいろいろな花を見ました。近所のお宅の庭先に咲いていたクレマチスやカルミア―どちらも写真はそのお宅のものではなく、別のところに咲いていた同じタイプのものです。
近所のアパートの裏で咲いているマツバギクもお気に入り。
雑草ですがアメリカフウロもなかなかきれいです。
4月後半には公園で花盛りのサツキ。GW明けには金糸梅も咲き始めました。
サツキの花がまばらになった今はだんだんアジサイやガクアジサイがだんだん色づいていくのを楽しんでいます。アジサイは特に母が好きな花なので、今年も見せてやれたことが本当にうれしいです。
もし母がいなくなったら、自分がどうなるのか? 正気でいられるのか?自信がないのです。なんとなくだけど、どこかへ旅をすること、歌うこと、それから何か創作することで乗り越えたいなと思ってはいるのですけれど。
なんと申しましょうか。母だけはいつも私を肯定してくれたのです。社会では、そう学校や職場では「もっと体格がよくなくちゃだめ」とか「もっと顔色がよくなくちゃだめ」とか「もっと仕事が速くないとだめ」とか…否定されることが多い私、別に否定されるのは私だけじゃなくて社会で生きる以上誰でもそうなのかもしれないけれど、とにかく否定されてささくれだった心を抱えて生きてきました。でも母だけは私を否定しなかった―私を快く思わない方々に言わせるとそういう母の育て方が悪い、甘やかしだ、だからこんなだめな人間になったということになるのでしょうね。
とにもかくにも、母と風に吹かれて、日の光を浴びて、花が咲くのを、その花に蝶が
舞うのを、スズメが飛んでさえずるのを見ていると、どうしてだかごく幼い子供のころから人生をやりなおしているような気がするのです。幼い頃に感じていた…ような気がするけど大人になってからは忘れていた生きる楽しみ、喜びがよみがえってくる、そんな気がするのはなぜでしょうね。何だか親ばかじゃなくて
子ばかかしら?私。
円道祥之 空想歴史読本(メディアファクトリー)
アメブロさんから「ジャンルにあったブログを書きなさい」との御達しを頂きました。つまり本レビュー、読書についてのブログですね。ブログジャンルを本レビューにしているのは本もよく読みますし、仕事も本屋のはしくれだからなんですが、なかなか頻繁に本レビューを書くのは難しい…なのでこれからは忙しい時は蔵書の中から選んでブログに取り上げることにいたしましょう。
『空想科学読本』に代表されるメディアファクトリーの『空想』シリーズ、図書館で借りて数冊読んでいます。私はわりと歴史が好きなので『空想歴史読本』は家に置きたくて買いました。気持ちが落ち込んだ時、開いてクスッと笑ったり、頁下部にある番組や怪獣などの注を辞書?のように使ったりしています。私は特別、アニメや特撮に詳しい方ではないので、登場する番組名は視たことがないものの方が多く、「ふーん、こんな設定の番組もあるのね」とつぶやきつつ眺めています。
空想歴史のトップに登場するヒーローは最近の朝ドラでも注目?された『マグマ大使』。私は子供の頃に視た記憶がありません。ただこのキャラの財布を持っていました。赤い地に黄色でマグマ大使だったから誰かがまちがえて女の子に買い与えたのでしょう。成人して東京で一人暮らししていたころ、早朝にリバイバル放送をしているのを何回か視ました。妻子がいるヒーローってちょっと不思議でした。しかも奥さんが色っぽくて…と話がそれましたが、この番組の登場するアース様が自ら「地球を創り、人類を創った…」とおっしゃっているそうです。ひょっとしてアース様、創った人間にりんごの実を食べるなと言ったりしたご記憶はないのでしょうか?
恐竜時代、氷河時代の空想歴史はとっても賑やか。初代『ウルトラマン』のゴモラ、『帰ってきたウルトラマン』のステゴンとか、秘境で密かに生き残っていて見世物にされそうになったり、化石になってたけど20世紀になってからの工事や爆弾で動き出す怪獣、たくさんいますものね。
今から2万年前から2000年前はこの本の第7章によれば「大いなる眠りの時代」。『コンバトラーV』のキャンベル星人、初代『ウルトラマン』のミイラ人間とドドンゴなどこの時代から眠りについて20世紀後半になって何らかの理由で目覚めたりするキャラクターがとても多いのだそうで。また第8章によれば幻の大陸に存在したといわれるムー帝国は5つあるそうです。これからも増えるかもしれませんね。
日本の古代史に関わりの深いヒーローは『アイアンキング』。このドラマの敵役組織、不知火(しらぬい)族は先住民族だったけれど“大和政府”によって山奥に追われ差別を受けてきたそうで族長の不知火太郎は「不知火族2千年の恨みを晴らす」と口にするとか。これまでになく歴史書風で重厚で「筆者は嬉しい」とのこと。『アイアンキング』は視たような気がするけどあまり記憶がなくて、今調べるとても豪華なキャストのドラマだったのですね。さらに第9章によれば『世界忍者戦ジライヤ』という私は名前も知らなかった作品ではあの聖徳太子が巨大ロボットを建造なさっているそうです。
ところがその後、奈良、平安、鎌倉、室町と日本の空想歴史は空白で、戦国時代、1500年頃?現れたが『怪傑ライオン丸』が日本最古のヒーローとしてこの本に肖像が出ております。さらに『仮面の忍者・赤影』は織田信長に仕えていた木下藤吉郎とその軍師竹中半兵衛の命を受けて活躍していたそうです。『ライオン丸』も『赤影』も小学校の時、男の子たちが話をしていたのを小耳にはさんだからきっと私が育った地方でも放送されたのでしょうけど、我が家では視ていません。
江戸時代に入ると徳川幕府はヨーロッパの大魔王(『変身忍者・嵐』)やサソリ座(『魔人ハンター ミツルギ』)からの侵略を受けたそうです。『嵐』は視たことあるけど『ミツルギ』は知りません。さらに大岡忠相配下の同心剣兵馬は『白獅子仮面』に変身できたそうで。第12章に出ている『キカイダー01』の悪の組織シャドウが江戸時代にタイムスリップして平賀源内を捕え、兵器を作らせようとしたお話は私も視た記憶があります。ほぼ同じ頃に放送され、祖母が視ていたNHKのドラマ『天下御免』の主人公が源内で小学生の私も名前をおぼえていた歴史上の人物。著者はシャドウがなぜ江戸時代の学者を頼ろうとしたのか不思議なんだそうです。未来から連れてきた方が
いいのではと。
その後、東京タワーが空想歴史上では6回も壊されたり、70年代には正義のヒーローと悪の組織が日本中にあふれたり…、その日本列島も沈没したり…。
私としては気になるのは平安から室町の空想歴史空白時代…これらの時代の文学や伝説は特撮のネタになりそうなのがたくさんなのにね。例えば平将門は全身、鉄で覆われていたけど、ただ一つの弱点のこめかみに矢を射られて亡くなります。ひょっとして鉄仮面?に
変身できた?…。
それから昨年リバイバル放送された『ウルトラセブン』の『ノンマルトの使者』の回を視た時、私はなぜか『平家物語』を思い出してしまって…源平の戦いを
描いた小説やドラマに描かれる壇ノ浦の場面、清盛未亡人の時子が幼い安徳帝を抱いて入水する時、「海の底にも都はございます」と言います。ひょっとして平家の残党もノンマルトのように海底に集落を作っていたり…
それから特撮ヒーローには勇敢な行動で命を落とした青年の肉体に巨大ヒーローが宿って命を与えるというのがよくあります。そう『ウルトラマン』のハヤタ隊員に、『帰って来たウルトラマン』の郷秀樹も。だったら主君のために「立ち往生」したあの人も…ウルトラマンベンケー?に変身して義経を載せて日本脱出?それとも頼朝と
戦う?…。
夜空を見上げ、「お願い、ウルトラの父でも母でもゾフィでもどなたでも結構ですから、1189年の奥州平泉にお越しになって…」と祈っていると、脳内に平清盛と崇徳上皇と西行が現れました。
清盛: わしもいざとなれば海底都市を作って当らなかった国営放送のドラマのリベンジをしよう。耳なし芳一に琵琶で『セブン』のテーマで演奏してもらおうっと。
崇徳上皇:源氏や平家の者どもが空想歴史に現れるのであれば、朕も闇の帝国を創ろう。西行よ、異次元人ヤなんとやらとか死神の学者やらのところへ使いへ行ってくれぬか?
西行:どうして私が闇の帝国の使いになるのでしょう?
崇徳上皇: そなたが特撮業界に進出すれば、視聴者は何となく和歌や古典文学のが
学べるようになるではないか。
空想歴史の空白時代がこれから埋められていきますように。私も思いついたらブログに書いてみようかな。
横浜ばら展―名前が興味深いバラたち、バスがスロープ付にならないかな?
ばら展に来るいつも気になるのがバラのネーミング。このピンクのバラは
『サイレント・ラブ』。
これは『ピノキオ』 なぜピノキオがピンクなのでしょう?

これは『さむらい』 武士の勇気?を表す深紅?
ピンクのふちどりがきれいなこのバラは『プリンセス・メグ』。 メグさんが
いずこのプリンセスなのか私にはわかりません。 ご存知の方がいらしたら
教えて下さい。
これはキャラメル・アンティークとサニー・アンティーク。
この愛らしい濃いピンクがなぜか『レオナルド・ダビンチ』。ダビンチは扱いにくい人だったらしいですけど。
この繊細な花びらのバラは『コンテ・ド・シャンパーニュ』。舌かんでしまいそうな名前だけど確かにフランス風の優美さがありますね。
この華やかなオレンジは『レディ・エマ・ハミルトン』。映画『美女ありき』で
ヴィヴィアン・リーが演じていた役ですね。
母を車椅子でバスに乗せる時、いつも思うのですが…
リニア・モーター・カーで名古屋と東京を通勤圏にするとかより、
乗降口からスロープが自動で出るバスを開発して普及させていただけないでしょうかね。バスの運転手さんはいつも親切にしてくださるけど、注目を浴びるのがちょっとつらいです。
どのバスもスロープで乗り降りできるようにすれば車椅子だけじゃなくて
ベビーカーだって楽になります。 それに海外から来る観光客の
方にだって評判がよくなるのでは。旅する人はたいていカートのついた
スーツケースを持って歩くのですから。
信州夜行日帰り 続き
長野方面ホームにちょうどグルメ列車『ろくもん』が止まっていたので写真を撮りました。
やはり赤い甲冑を来たお見送りの方がおりました。
長野で高校時代の友人とおちあい、コテージ風のレストランで食事。
介護や仕事のグチを聴いてもらいました(笑)。写真は友人から
もらったお菓子としなの鉄道の待合室にあった三国同盟?
のパンフレット。甲府と上越と上田の名産と名所が紹介されています。
クルミのエンガディーナとあんずのケーキがおいしかった!
友人の車で善光寺の裏手におろしてもらいました。ここでもツツジがきれいです。
善光寺でもこの夏を乗り切れるよう祈りました。一日の間に北向観音とセットでお参りできてきっと願いもかなうでしょう?
善光寺から中央通りを通って駅へ向かいます。花のイベントを開催中でしたがこの日が最終日とあって片付けモード。それでも今年まだ見ていなかった矢車草が見られてラッキーでした。特にピンク色の矢車草はどういうわけか関東ではあまり見かけないのです。
中央通り沿いの植え込みのスズランもすてきでした。
刈萱山西光寺にも参拝。上田城も善光寺も人がたくさんだったので、ここへ来てようやく落ち着いた気分になりました。
長野駅構内でお土産を買った後、深夜バスの時間が来るまで駅近くのネットカフェで過ごしました。夕食用に買ったおやきを食べ、荷物を整理。カート付リュックに詰め直します。そしてあきれるのです。何だか持ってきたけど使わなかったものが多かったなと。
5月ですから昼間は暖かいのですが、関東とちがって朝晩は冷えますのでカイロとか防寒用の服なども用意しますので―それにしてももっとスリムにできるでしょう。
きっと人生の旅でも使わないモノ、要らないモノをため込んで「重い」「重い」と愚痴っているのではないか―そんな気がしてしまいました。














































