実以のブログ -54ページ目

三島由紀夫 『美徳のよろめき』(新潮文庫1960年)

高貴に育った上品な二十八歳の夫人、倉越節子が娘時代に一度だけ接吻したことのある同年代の男と恋に落ちる物語。

 

1990年代に藤谷美和子がヒロイン、その恋人土屋を阿部寛、そしてナレーションが岸田今日子のドラマを視て原作も読みたくなって入手した本です。その当時、「自分の両親に気に入られるようにしろ、でなければお前とはつきあう価値がない」と主張する、人間はいいけどうっとうしい人と別れたばかりだったので、ドラマでも小説でもこのカップルが共にいられる時そのものを心行くまで味わい、楽しんでいる姿がうらやましくてなりませんでした。それから昭和30年代前後のものではありますが、舞台となっている上流階級の暮らしぶり―土屋の毛深い腕に光るアレキサンドリヤ石のカフスとか、ヒロインが愛用するジャン・パドゥのジョイという香水とか、ハイシーズンになる前の避暑地へ旅とか、銀の珈琲ポットとか…を想像して夢見心地になっておりました。

 

 

ウィキペディアによれば著者の三島由紀夫はこの小説を「ムキになって書いたのではなく、シャレタ小説を書きたくて」書いたと言ったとのこと。確かにおしゃれな小説です。でもただ舞台設定や登場人物をおしゃれな言葉で語っているというだけではなく、ヒロインの心理の変化や出来事を描写する文章がすばらしく、読んでいると心が別世界に運ばれてしまいます。

 

小説中に地名は出てきませんが、節子と土屋が旅したのは、当時、汽車で4時間、5月に暖炉をたいている、そしてハイソサエティの紳士たちがゴルフに来る、その中に偶然、節子の伯父がいて危うくホテルのロビーで鉢合わせしそうになる、といった点から推定しておそらく軽井沢でしょう。彼らは情事の後、何にも着ないで朝食を食べます。もちろんルームサービスです(笑)。

   

二人は体の上に焼けたパンの粉を平気でこぼし、銀の珈琲ポットの厚さにあわてて脇腹を引込めたりしながら、朝食を摂った。それは決して、かつて節子の空想をあれほどに悩ませた淫らな食事ではなかった。むしろ子供らしい無垢な朝食だったと云っていい。(本文第九節より引用)

 

育ちの良い節子にとって、この不作法な朝食は未知の価値観を知ってゆくきっかけになります。後半の方でジンフィズを暗くした部屋に持って来させる場面もあります。人目をしのぶ恋でも食事を運んでくれる、つまりある程度高級な宿しか使わないのですね。私はこの小説の気分だけ味わいたくて、夏、万平ホテル…へは到底泊まれないからあそこのロビーへ行き、土産物の売店を見て、カフェで確かブドウのジュースだったか?を飲んで帰って来たことがあります(笑)。そのジュースが当時の価格で600円ほどして私には高価でした。

 

今年の夏はいろいろあって疲れました。どこか避暑地へでも行って休みたいけど、そのお金と時間がないのでこの本を読みかえし、いくらかつらさを忘れることはできました。20代の頃ほど夢見心地にはなれませんが。

 

   来週の火曜日、その日が来てみると、節子は久々に、身じまいと化粧との、目的のある新鮮なたのしみに溺れた。下着に凝っていたので、絹の焦茶のスリップを着る。そのスリップのへりは、沈んだうすい冬空のような青で染めたレエスでふち取ってある。その上から薄茶のシース・ドレスを着る。(本文第3節より引用)

 

焦茶に青の縁取りって何やら着こなしの難しそうな下着だなどど思ってしまいます。粋がって黒だの茶だのの下着を買ってしまうと、上に着る物もそれが透けたりしない色や素材にしなくちゃなならないから面倒くさい…まあ貧乏人には難しそうな配色の服も着こなしちゃうからこのヒロインの服飾の趣味は「洗練されている」のでしょうか。

 

ヒロインの節子は人目をひきつける絶世の美女ではありませんが、抜けるように色が白く、胸のあたりはグラマーでないものの、脚は長くてまっすぐ、首から肩の線が優美。つまりやせ形のようです。そうしたご婦人によく見られるようにいくらか貧血で月経困難症みたい、生理がよく遅れるのだそうで…三島はこうしたヒロインの体質や体調も個性を描きだすのに巧みに利用しています。とまあ病人ではないものの、丈夫とも言えない女性が土屋とつきあっていた一年ほどの間に3回も!中絶…終わりの方ではいっそう痩せて、女医に「麻酔は心臓に危険であるから、麻酔なしの手術をしなければならない」と言われてしまいます。それがこの小説が書かれたころの医療水準なのでしょう。おしゃれなラブストーリーと記憶していたけど、よく読んでみるとヒロインはけっこうご苦労なことで…。

 

この小説はいわゆる人妻の不倫を扱った小説やドラマを「よろめき」ものと呼ぶようになったきっかけになったとのことです。よろめきはよろめきであって、倒れたり、転がったりはせず、元の体勢になるのです。物語の終わりで節子は土屋と駆け落ちしたりせず、別れを告げます。そこに至るまでの恋の成り行き、心理の変化を綴る文章もとても繊細です。そして土屋の方も別れを受け入れ、追いかけるような言動はしません。だから彼らはあくまで「優雅な」恋人。冒頭で著者は節子を「野心がないという点では節子は優雅であった」と語っているように、彼らはお互いにこの恋をきっかけに自分の人生を変えようなどという期待、例えば今より自由な暮らし方をするとか、財産家になるとか(笑)は持ちません。そんな「野心」の必要のない恵まれた身分の人だからということもありますが。

 

一見すると平穏な暮らしに戻ったようでいて、土屋との恋とそれがもたらした諸々の喜びと苦しみによって以前とは比べものにはならないくらい広い世界、さまざまなものの捉え方を知ってこれからの人生を歩んで

ゆくのでしょう。

 

いわゆるよろめきものの小説はあまりたくさん読んでいないのですが、不倫の果てに夫を殺してしまう『テレーズ・ラカン』や自殺してしまう『ボヴァリー夫人』は「よろめき」じゃなくて「転がり」なのかしら?

 

 

 

 

ジェームス・ヤッフェ『ママは何でも知っている』

料理上手のママが警官になった息子が語る事件を解決していく短編集。大好きなクリスティのミス・マープルシリーズと同じ初老の女性が安楽椅子探偵になるお話というのでずいぶん前に入手した本ですが、暑さと激務で図書館に行く時間と気力が出ない今、読み返してよい気晴らしとなりました。

 

ママはプラチナブロンドをプラトニックブロンドとか、青酸カリを炭酸カリと言い間違えたりしますが、人間観察の鋭さはピカイチです。 息子つまり警察が犯人の目星はつけてはいるけれどどこか腑に落ちないといった話を聴いて、その目星が外れていることを指摘していきます。「お父さんの従姉のサディと水道屋」、「肉屋のフェインバーグ」「ジュリアス伯父さんとワールドシリーズ」など自分がこれまでに出会った人々を引きあいに出すところ、ミス・マープルに似ていますね。

 

「被害者へ送られてきた手紙にはアンダーラインがいっぱいあったか?」、「現場近くの映画館で事件の夜に『風と共に去りぬ』は上映されていたか?」「被害者の婦人は人の名前をなかなかおぼえられないたちだったか?」など、ママが息子にする事件に関係なさそうな妙な質問がユーモラス。でもこれが警察が気がつかない事件の核心をついているのです。

 

ブロンクスに住むママが息子と嫁に手料理をふるまう金曜の夜が舞台というわりには作品中に登場する料理がヌードルスープ、レバー・コロッケ、牛肉の蒸し焼き、ピノクル・クラブ・サンドウィッチ、りんごのストルードルなど、もともと西洋料理も含めてグルメ知識の乏しい私にはピンとこないメニューが多く、食欲がわいては来ませんでした(笑)。ロースト・チキンとピーチパイは食べたことあるけど。

 

個人的に一番好きなのは『ママ、アリアを歌う』の巻。開演三十分前に、立見席の切符を先着順に2ドル50セントで売り出す―日本の歌舞伎座の幕見席に似た制度がメトロポリタンにあるのですね。ママ曰く「オペラのはじまる前に3時間立ちんぼうして、オペラがはじまってから3時間立ちん坊する権利を買う」、そんなオペラマニアの二人の老人。一人はマリアカラスの、今一人はレナータ・テバルディの熱狂的なファン、彼らの言い争いが殺人に?

 

夫が破産して自殺、泣く泣く持ち物を売り払った夫人の怨念がこもったミンクのコートの怪談話から夫婦愛が浮かび上がってくる『ママと呪いのミンク・コート』も捨てがたいですね。作中でママは自分の空想上のミンク・コートの話をします。実際にはミンクを

入手できなくてもミンクよりすてきなもの=夫や息子の愛につつまれて生きてきたのですね。

 

ブロンクスのママはミス・マープルの後継者?の1人ではあるのですが、ミス・マープルのようにお嬢さん育ちではありません。ママ自身もその夫メンデルもユダヤ移民2世であることが最終話で語られます。ユダヤ系には商売で成功する人ももちろんいますが彼らはそうじゃなかったようで、この物語の冒頭でママは語り手の息子に商売人にはならないよう希望しています。

 

ママは不躾なくらい飾りけのない女で、なれない相手を面くらわせることがしばしばあるのだ。たとえアメリカ合衆国の大統領が夕食にやってきても、ママは粗末なふだん着でお迎えし、いつものようにヌードル・スープを出し、いつものように手きびしい調子で彼の施政について意見をのべるにちがいないのである。(『ママの春』より)

 

ぜひトランプ大統領にそうしてほしいですね。

 

初めて読んだ時には気がつかなかったこと。

著者のジェームズ・ヤッフェ、グーグルで調べてみるとイェール大学卒業でコロラドカレッジの名誉教授とのことなので、知的エリートの方だと思うのですが、何となく社会の格差の問題などについて関心、あるいは問題意識のようなものを持っていたのではないかと感じました。日本で言えば松本清張のように。

 

例えば『ママは賭ける』のお話にはいばりちらす演劇人の客にしつこくいじめられる老人の給仕が登場します。そして登場するオペラのチケットを買う経済力がないので立見席の常連となっている老人たちの姿。そして妻のねだる贅沢品を買ってやるため蔵書を売ってしまう博士=本当は見かけより裕福ではないのに見かけだけは優雅にしたい人間。妻の死の悲しみから研究も学生指導も手につかなくなり、青春時代からの親友だった学部長に解雇される学者。大学を中退して秘書として働かざるを得なくなるその娘。家族の前ではグレた態度を取りながら密かに自活するための技術を学ぶ少年。

 

高学歴でも高収入でもないけれど、ブロンクスのママのようにいつも前を向いて堅実に生きようとする人々に寄せる著者の愛情と共感が、快い読後感につながっているのではないでしょうか。

 

ところでこの本の巻末解説で紹介されている同じく安楽椅子探偵らしいプリンス・ザレスキーのシリーズを読んでみようかと思っています。図書館へ行く気力が出てきたら。

 

 

 

 

 

 

サルスベリ、散歩はしばらくお休み? 朝?

話はさかのぼりますが、7月9日月曜午前、にわか雨が降りました。

雨は降っているのに日はさしている、いわゆるきつねの嫁入り状態。

 

これで少しは涼しくなるかと思い、雨があがるのを待って

母を車椅子に乗せて近所の神社と公園に行きました。

 

雨にぬれたアジサイ。

 

そして咲き始めたサルスベリを見せてあげられたのはよかったのですが、

雨あがりなのに照りつけること照りつけること、車椅子のひじかけの

部分も熱くなってしまって。

 

今まで午前8時から9時ごろに散歩&買い物に出ていましたが

真夏の間はお休みにするしかないのかな。

 

夕方5時過ぎには涼しくなってきますが、母は夕食の時間?なので

出かけたがりません。

 

朝6時ごろが一番気温が低いとのことなので本日19日、

その時間に出てみました。ムクゲとオシロイバナに東からの

光がさしています。

 

6時前後に散歩に出るには早起きして家事を進めておかねばならず、

なかなか難しいですね。

 

猛暑ですが、母は今のところこれまでと変わらず、過ごしています。

 

起きている時は元気そうで流しで洗いものなどもしています。

でもベッドで寝ている時の姿を見ると、うつらうつらしているせいかも

しれないけれど「やはり病人なのだな」と感じてしまいます。

 

母がこの夏をよい状態で乗り切ることができますように。

 

私も職場環境が変わります。なんとかなりますように(笑)。

 

 

 

崎村裕『百年後の友へ―小説・大逆事件の新村忠雄』―オウム死刑囚のニュースを聞いて

「この人たちみんな同じ日に処刑されていたら、ぼくらの記録が破られるところだったね。

まあ、おめでたい記録じゃないけどね」

 

オウム真理教事件の死刑囚7人執行のニュースが流れた日、実以の脳内の茶の間に1人の青年が現れて言いました。彼の名は新村忠雄。明治43年に発覚したいわゆる大逆事件、あるいは幸徳秋水事件で捕えられ、翌年1月に処刑された12人の1人。これほどの人数の死刑執行がほぼ同時に行われたのは近代以降の日本では他に例がないそうです。

 

 

 

今回の報道を聞いて私はこの『百年後の友へ』を本棚から引っ張りださずにいられませんでした。

暑い上に残業が多い今、読み返すには適した本とは言えないのですが、大逆事件については多くの本が出ていても新村忠雄のことを中心に掘り下げた本は他にないのでこの機会にブログに書いておこうかと。

 

オウム事件はなぜか大逆事件を連想させます。もちろん幸徳秋水と麻原彰晃は全然ちがうし、幸徳らの思想、社会主義、共産主義とオウム真理教もぜんぜんちがいます。何よりもオウム事件は実際にこの教団のメンバーによって多くの人が命を奪われ、苦しんだ事実がありますが、明治43年の事件はそうではありません。捕えられた人々の罪は皇族に危害を加えて国家を転覆しようとしたとされましたが、現在ではそれが当時の政府のでちあげと言ってもいいフレームアップであることが判明しています。

 

明治20年に長野県埴科郡屋代町に生まれた新村忠雄。この本によれば新村家は「雑貨屋を開き、また田畑を所有していた」とのことなので比較的裕福に育ち、学校の成績もよい方だったようです。16歳の時、浅草で牧師をしていた従兄を頼って上京。2年後に故郷へ戻ってメソジスト長野教会で受洗、このころから幸徳らが発刊した『平民新聞』を読んだり、社会主義、共産主義思想を持つ人々と交流していきます。明治41年7月、21歳の時、雑誌『高原文学』の編集兼発行人となりますが発行禁止に。この年11月に故郷の家を出て都内の友人茂木一次のところへ行き、自活の道を探りますがうまく行かず、書生兼飯炊きのような形で幸徳秋水のもとで暮らすことになります。

 

この頃、幸徳と彼の元に集まってくる同じ思想の人々が茶飲み話のようにして「暴動を起こして二重橋から皇居へ入り、番兵を追い払って天皇に無政府共産の詔勅を出してもらったら?」とか、「爆裂弾を天皇の馬車に投げて帝と言えども神様ではなく、ケガもすれが

血も流す人間だと多くの人に知らしめたら?」というようなことを話したことはあったようです。それが後に天皇暗殺、国家転覆計画=死刑に値する罪とされるのです。

 

明治41年から42年にかけて2か月、前橋監獄へ収監された後、3月から8月まで新村は紀州新宮の社会主義者で医師の大石誠之助の元で過ごします。このことが大石ら紀州の社会主義者たちを事件に巻き込んでしまうことになります。

 

東京に呼び戻された新村は、9月、雑誌『自由思想』を発禁後も出したかどで請求された罰金の金策のために、故郷へ戻ります。そして郷里に近い明科町の製材所の職工となった同志の宮下太吉に爆裂弾作りに必要な薬品や道具を調達します。宮下はブリキ缶で爆裂弾を作り、山中で投げて実験を行い、それが露見して逮捕されます。新村忠雄の兄、善兵衛は何も知らずに弟のために薬研を借りてやっただけで懲役8年の判決を受けてしまいます。

 

この本も含め、私が読んだ数冊のこの事件に関連した本によれば、幸徳秋水は事件の名前になってはいても首謀者などではありませんでした。ただ彼の愛人だった菅野スガと新村、宮下太吉、園丁だった古河力作の四人の間では「爆裂弾で皇族の馬車を襲ったら?」というようなことが話しあわれ、実際に宮下は爆裂弾を作ったのです。

 

この事件で刑を受けた人々には天皇暗殺計画など身におぼえがなく、幸徳と親交があっただけのいわば冤罪の人が多いのですが、そういう点では新村は冤罪ではありません。本人も発覚したら命はないと覚悟はしていたようです。それにしても「爆発物管理法違反」といった罪だけで襲撃未遂ですらないのですから、死刑になるべきではありません。

 

友人の茂木一次が書くところによれば新村のルックスは「好い男というほどではなかったが、色白で目鼻立ちも整い、ことに笑うと笑窪が深く目立ってみえた」。また大石誠之助によれば「大言壮語する」傾向があったとも。

 

いくらか頭よさげ、プライド高めの文学青年。そう、現代でもよく見かけるタイプです。私は新村が尊敬すべき人物なのかどうかちょっと首をかしげてしまいます。彼らの計画が成功していたらよかったとも思えないし、社会主義や共産主義にも賛成ではありません。ただ平凡な人間ではあっても自分なりに考え、行動した結果、歴史のうずに巻き込まれていった姿を私たちは忘れてしまうべきではないと思います。

 

ちなみに佐木隆三の『小説・大逆事件』、瀬戸内晴美の『遠い声』では新村忠雄は菅野スガに恋して革命計画に深入りしてしまうことになっています。彼の短い生涯に年上の女性とのロマンスがあった―とする方がストーリー的には面白いですね。

 

オウム事件に話を戻すと、大逆事件とは事件の本質も関わった人々もまるきり違うのですけれど、事件が社会につきつけた複雑な、重い何かが共通しているのではないでしょうか? 

 

今、オウム事件については「まじめだった人が…、優秀な青年がなぜ?」という記事や番組が多く、そういうのは多くの人の興味をそそるのでしょうけど。あまり重要なことではないように思います。どんな人でもそうなる時はなるのですから。

 

それより気になるのはこれからのこと。オウムの後継団体への監視や捜索。安全のために必要というのも

わかるけど、ある宗教なり思想なりを「危険」と断じる空気はいかがなものかと。それをいうなら危険がまったくない宗教ってあるのかと―例えば我が家は仏教で私は一時期、カトリック教会へ通っていました。

 

オウム真理教の犯罪は犯罪で死刑の執行も被害にあった人々にとっては必要な区切りかもしれません。でも仏教やカトリックがオウム真理教とちがって全く人殺しなどしたことがないかと言うと―そんなことは

ありません。

 

私の家は浄土宗なので家の墓には念仏=南無阿弥陀仏と刻まれています。オウム事件への社会の向き合い方に注意していかないと、念仏はこの度違法になったから墓にはお題目を刻みなさいとか、仏教は違法になったから墓には十字架を建てなさいなどという

世の中が来てしまわない?とも限らないのではないでしょうか。

 

ムクゲとオシロイバナ 夏の雑草の楽しみ

アジサイの花が盛りを過ぎ、今、散歩の楽しみはムクゲの花。

 

7月8日、家の近くの公園のムクゲが満開になりました。

 

先週までは上の方しか咲いていなかったのですが、目線近くのところの

花も開いたので車椅子の母も喜んでみていました。

 

 

これは同じ公園にある濃いピンクの八重咲きのムクゲです。

 

ムクゲの近くにはオシロイバナもたくさん咲いています。

 

 

近所の集合住宅の裏手のツユクサとユウゲショウも風情があります。

 

芝生の中に生えているアカツメクサとクローバーを摘んで「むかしあめ」の

瓶にいけてみました。雑草ですが涼しげでかわいいですね。

蕃のストロングコーヒー、歌舞伎とおやき?

6月25日、歌舞伎座で『巷談宵宮雨』の幕見券の販売が始まる前、

GINZANAGANO(銀座にある長野県の物産館)で一休み。野沢菜の

おやきを頂きました。1階売り場の冷凍庫にあるおやきを選んで温めてもらうのです。添えられている漬物が暑い中を歩いてきた私にはとっても

ありがたかったです。汗で塩分が失われているので。

 

 

幕見券を買った後、劇場に入る前に美川隊員こと西恵子さんの喫茶店

蕃に立ち寄り、「ストロングコーヒー」を飲みます。前の晩、夜更かしをしたので観劇中に眠くならないように。西さんにはごあいさつしませんでしたが

いつも癒されるカフェですね。

 

なぜ『巷談宵宮雨』を観たいかというと以前に友人と観た『吹雪峠』と同じ

著者の芝居だということ。それから2年前の夏にBSで放送された

1970年制作の『日本怪談劇場』の『宵宮雨』を視て、原作の歌舞伎も観たくなったのです。

 

『日本怪談劇場』では鼠退治の薬を盛られる破戒僧竜達の役は

十七代目中村勘三郎でした。それから太十の女房を演じた阿部洋子と

いう女優さんの演技が江戸の女性の生活感にあふれていてすごいものでした。

 

歌舞伎の竜達は現中村芝翫、十七代目勘三郎に比べると凄みにかけるけど

これは恐怖よりユーモアを強調した演出のせいもあるのでしょうね。

太十もドラマより若い感じだったし。

 

梅雨時にぴったりの楽しい観劇でした。

 

さくらんぼ、ガクアジサイ、椿の実 七夕のお願いごと

 

ちょっと高価なので毎日というわけにはいきませんが時々さくらんぼを買って母に食べさせています。さくらんぼといえば太宰治。また読んでみようかな。

 

近所の集合住宅の裏手にはガクアジサイが咲いています。真ん中のツブツブがだんだん開いていくのですね。アジサイとはまたちがった可愛らしさ

があって母を喜ばせています。

 

ガクアジサイの近くの椿の樹に真っ赤な実がなっています。

 

星流れ星七夕のお願いごとは何?ニコニコキラキラ

 

この椿の樹が次に咲かせる花も母に見せてやることができますように。

それまで元気で家で過ごせますように。

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アジサイ観察日記

7月に入った今は盛りを過ぎつつありますが、6月には母との散歩ではアジサイの美しさを堪能しました。

これはよく散策する公園の隅のアジサイの6月4日の写真です。

 

同じ株の6月7日、淡い紫とピンクの流れのようになっています。

 

そして6月18日、満開ですね。

 

道路にはみだして咲いている枝があり、車椅子の母も目の前で楽しむことができました。

 

時々お参りする神社近くのアジサイは公園のものよりやや遅咲き。これは

17日の写真。

 

近くでアガパンサスも咲いています。

 

24日は雨上がりで特に輝いていました。

 

ひし形のかたまりのように咲いているものも。

 

この株は7月に入ってもしばらく楽しめそうです。

アジサイが母にこの夏を元気に過ごす力を与えてくれますように。

アジサイが仕事の変化を迎える私を支えてくれますように。

巷談宵宮雨 宇野信夫著作集 青蛙房

625日、歌舞伎座で『巷談宵宮雨』を幕見。その予習のために読みました。

装丁に時代を感じさせます。表紙も見開きも和紙貼りで風情があります。口絵はこの歌舞伎に登場する破戒僧竜達を演じる六代目尾上菊五郎。


女犯の罪で妙蓮寺住職の座を追われ、日本橋で晒し者にされた竜達を引き取ったのは甥の太十とおいち夫婦。一間しかない太十の住まいで眠りこける竜達。竜達が花屋の花屋の娘に生ませた娘おとらはこの夫婦に育てられていたのですが妾奉公へ追いやられてしまっています。それが奉公先から逃亡してしまったと桂庵の老婆がおいちに話している場面から始まります。その夜、竜達は自分が住職をしていた寺の庭に埋めた百両を取って来てくれるよう太十に頼みます。太十夫妻は三十両ぐらいの分け前を期待しますが、竜達は二両しか渡しません。そんな時賭場で知り合った元壺ふり勝蔵。病気で薬売りに転職を余儀なくされた勝蔵から鼠退治の薬を買い、それを鯰といっしょに竜達へ食べさせて殺します。犯罪は成功したかに見えますが竜達は成仏できず…。

 

宇野自身が書いている前書きによれば、これを書いたのは昭和十年七月。浅草の橋場に住んでいた時、狭い庭はじめじめして、日が暮れると蚊柱が立ち、隅田川をゆくポンポン蒸気の音が聞こえる家でのこと。「その頃の私のもっとも好んだ人物、もっとも好きな情景を背景にして出来た。だから、私としてはもっとも愛着の深い戯曲だ」と著者は言います。そのせいか幽霊話ではあるのですが、おどろおどろしさやはあまり感じません。太十夫婦は竜達にたたられますが、しつこく脅かされたり、苦しめられたりせず、あっさりとした最期。恐怖よりも文政年間の江戸の下層に生きる人々の個性が際立ちます。後家をたらしこんで寺の住職になるもやはり女がらみで没落する竜達、そんな伯父にたかってきた太十夫婦。妾奉公を受け入れらない竜達の娘おとらが駆け込むのは早桶屋徳兵衛の家。それは徳兵衛の女房おとまが育ての親のおいちよりもおとらに優しいから。生活に疲れ、金への執着心に振り回されているようで、どこかに愛情や思いやりも持っている彼ら。

 

他に罪で江戸を追われた男とその子分だった左官屋、病で視力を失いつつある左官屋の妹を見舞う悲劇『雪地獄』、武州熊谷の指物師と義賊との友情を描く『因果小僧六之助』、宇野にとっての現代劇である『大根役者』『下町』『戦後五年の冬』など6つの戯曲がこの本に入っています。

 

中でも衝撃的だのが『戦後五年の冬』

 

ふゆ:あんな人じゃなかったんです。それァ元々チャキチャキはしてなかったけど、おっとりしたうちに、どっかハッキリしたとこのある人だったの。まるっきり人間が変わっちゃって。戦争で苦労したせいなんだから、時がたてばまた元に戻ると思ってたら、二年たっても三年たっても―何年たっても、益々気が抜けちゃうばっかり―やんなっちゃうわほんとに。

 

尾沢:(中略)一体、この情けなんてやつは強い者と弱い者がハッキリしてるときにこそ、その強者と弱者の間に上品に存在してるものなんです。敗戦日本―つまり弱い者揃いだ。弱い者ばかりでメソメソやってるんだ。そういうところに情けはありません。又あっちゃいけねえ。(以下略)

 

軍隊で下役だった尾沢のタクシー会社に雇われ、立場が逆転した輪タクの運転手和三郎と曖昧宿で働く妻ふゆ。ふゆの朋輩れいちゃんのところへ家庭ごっこを楽しみに来る会社員鳥羽。もとはりっぱな旅館の女将だった曖昧宿のママ。経済は復興してももどってこない何かと向き合う人々。

 

宇野の前書きによれば昭和27年3月に新派で上演された時、ヒロインふゆの役は初代水谷八重子が演じたそうです。こういう戯曲が新橋演舞場で上演され、スター女優が取り組んでいた時代が日本にあったのですね。

 

 

 

 

七夕のお願いごとは何?



星流れ星七夕のお願いごとは何?ニコニコキラキラ

 

戦争がなくならないのはきっと、食べられない人たちがいるから、

やっていけない人たちがいるから、戦争のおこらない世界に

なりますように。

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