アストリッド・リンドグレーン作 石井登志子訳 川のほとりのおもしろ荘 岩波少年文庫195
小学生の頃、リンドグレーンの『やかまし村』や『長くつ下のピッピ』のシリーズが好きで図書館で何度も借りていました。並みはずれて小柄で運動神経も鈍く、勉強も落ちこぼれ、今でいうスクールカーストの低い子供だった私にとってつらい現実を忘れさせてくれる逃れ場が本の中のやかまし村。そして大人やいじめっ子の男の子を怪力と大量の金貨で組み伏せるピッピは自分の怨み?を晴らしてくれる存在。今思うとひたすらクリスマスや誕生日や復活祭を楽しむ子供たちの暮らしや破天荒なヒロインの活躍を描き、「こういう人になりなさい」と教訓風なところがないことにもひきつけられたのでしょう。
近年になって『暴力は絶対だめ』という本を読み、リンドグレーンが「戦争をしたくなければ子供をたたかないこと」という考えを持ち、ただただ楽しいお話を創るだけの人ではなかったのだと知りました。
この『川のほとりのおもしろ荘』は私の子供の頃にはまだ翻訳されていませんでした。リンドグレーンの上記以外の著作も読んでみようかなと思い、手にとってみました。表紙に描かれた主人公マディケンと妹リサベットはやかまし村の子供たちに似ていて楽しげに踊っています。でも舞台になるのはやかまし村よりは都会、小さな街です。主人公たちのお父さんは新聞記者でお母さんはアルバという美人の女中と家庭を切り盛りしています。
ワルプルギス祝日の前夜祭やお母さんの誕生日のピクニック、両親の旅行中に「りんごが丘」へ行って干し草の車に乗ったりと楽しいやかまし村風のトーンで物語が進みますが、やかまし村やピッピよりも何と申しましょうか。社会派?の本です。
人柄はゆかいだけれど働かずに酒場に入り浸るきらく荘の二ルソンさん、その息子のアッベはまだ十五歳なのにクリングラ(クッキーの一種)を焼き、母親が売って暮らしをたてていますが、借金のかたに大切な家具を失いそうになります。また自分の買いたかったサケを譲らなかったアルバを恨んだ町長夫人がダンスパーティで陰険な仕返しをする場面もあります。
中でも考えさせられた登場人物は妻子を失ったが故に精神に異常をきたした老人リンドピクストと貧困のために攻撃的、反抗的になっているクラスメイトのミイア。
姉妹の母の誕生日の章でリンドピクストはリサベットを捕まえ、「あんたにはもうひとりあるじゃないか。わしにはひとりもおらん。わしにもこんなちいさな子がほしいのだ。それでこそ、世の中公平というものだろう」と主張します。さらにクリスマスに生まれた
赤ん坊のカイサもマディケンが子守している間にリンドピクストにさらわれそうになります。でも母もマディケンもこの老人を力で攻撃したり、犯罪者呼ばわりしたりせず、お菓子や子猫でその場を切り抜けます。
頭にシラミがいて皆にきらわれているミイア。マディケンとミイアがけんかした時、校長先生はミイアだけを叱ります。それはマディケンには新聞社で働いているお父さんがいるけれどミイアには父親がいない―つまり社会的立場が弱いから。
ミイアは試験の日、クラス中にチョコレートを配り始めます。「ストックホルムにいるお父さんからお金が送られてきた」と言って。でもそれは校長先生の部屋に忍び込んで盗んだ財布の金でした。発覚すると校長先生はみんなの前でミイアにムチでぶちます。ミイアは校長先生にあやまるかわりに反抗的な言葉を吐くのでした。
ミイアは確かに悪いことをしたのです。いくら自分にひどいことをした人間のものであっても盗んではいけません。それでもマディケンとその両親は校長先生が悪いと考えます。ミイアにしてはいけないことをしたのだとわからせるのにムチは使うべきではないのだと。
初めてリンドグレーンの本を読んだ頃、私のクラスにもミイアのような子がいました。どうも父親がおらず、母親も病気でおばあちゃんに育ててもらっているらしく、そのせいか体に異臭があり、シミのついた下着を着ていることがある女の子でした。マディケンや
ミイアより高学年になってからでしたが、ミイアと同じように自分からみたら理不尽な理由で先生に体罰を振るわれたこともあります。
それから数十年の人生の中でリンドピクストのような人にも出会いました。心の病のために周囲を困惑させる言動をする人。その人に私はおもしろ荘の人々のような優しさを持つことがはできませんでした。これらの経験についてはまた別の時にブログに書いてできればより多くの人の意見をきいてみたいと思っています。
まさに「平和な世界を望むなら弱い立場の人を苦しめてはいけない」という著者の考えが現れている作品です。おそらく子供時代にこれを読んでいたらそうしたことは理解できなかったかもしれません。
この『川のほとりのおもしろ荘』は『おもしろ荘の子どもたち』の続編だそうです。小学3年の私が最初に読んだリンドグレーンも三部作の最後の『やかまし村はいつもにぎやか』。子供のころのようにまた順番を逆に読み始めてしまったなと苦笑しております。
キンモクセイの花、梨の切りおき、余命宣告?
この週末、天気はあまりよくなかったのですが朝は
雨が降っていなかったので、母を近所の公園に
連れていきました。
そしてたっぷりキンモクセイの花と香りを楽しみました。
去年もキンモクセイが咲いているのに気がついて
はいたのですが、写真をとろうと思っている間に台風が
来てあっという間に散ってしまったのです。
そしてこの公園の近くに住んで20年ほどにもなるのに
はじめて気がついたのです。ここにキンモクセイの木が
10本ほどもあることに。なんてウカツなのでしょうね!
みかん色の小さな小さな花、そのやさしい香り―
不思議なことに花に顔を近づけてもあまり匂わないのに、そばを歩いていると吹いてくる風に香りがあるのです。キンモクセイには母も私も元気をもらいました。
母と季節の花々を見る時、いつも祈ってきました。
「来年もこの花をいっしょに見られますように」と。
でもいよいよ余命3か月から6か月とのこと。
来年の春、白木蓮や桃や桜を見せてやれるといいのですが、ことに母の大好きなアジサイはもう見せてやれないのかしら? 母は病気のことで大騒ぎされるのを
望まないので私もなるべく平常心で乗り越えようとは
思うのですが、なかなか受け入れるのが難しいです。
誰よりも受け入れが難しいのが父です。そう母より
父が心配―。
母は肺に転移があるので、苦しい症状が出ないよう
咳や呼吸によいと言われる梨をこのシーズンも
毎日のように食べさせています。でも仕事の状況が
変わって以前より1時間早く家を出なくてはならなく
なったので、朝、皮をむいて切る時間がとれず、
前の晩に切り、ふた付きの容器に入れてスポーツドリンクをかけて冷蔵庫に入れておきます。
切った梨の変色防止には塩水か砂糖水をくぐらせるといいとのことですので、スポーツドリンクは塩水でもあり、砂糖水でもあるので(笑)。
これは少し前までベランダで咲いていたコスモスです。
母は歩行困難でベランダに出るのも難しいので
時々家の中にいれて見せていました。
これからも家には花を絶やさないようにして
母を楽しませてやるつもりです。 花屋さんで500円代のミニブーケを買うことが多いのですが、これからは
800円ぐらいのも…時々は買ってやろうかしら?
秋のバラの季節もやってきますしね。何とか明るく、
平常心でいたいものです。
今日は秋分の日 母と散歩しました
秋がきたらやってみたいことは?
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山法師の実 この花の名は
星新一 『城のなかの人』角川文庫1977年
表題作は豊臣秀頼の幼少時から大坂城落城までの心理が描かれています。襖も天井も家具も食器も仕えてくれる女性たちも何もかもが美そのものの中で育つ幼い秀頼。彼が眼にした美ではない存在、それは太閤さまとよばれる老人だけ。時折彼を苦しめるのは人の首が
出てくる悪夢、それは秀頼が生まれたために破滅した人々の怨み? 太閤がなくなり、大坂城に入ると彼はこの豪華な城が人格を持っていて自分を見つめているように感じます。天下分け目の戦いの前に拝謁に来たのは家康と三成。戦いの後、彼は三成のまねをして失敗したのだと教えられます。秀吉が昔、信長の孫を「旗印」として戦い、天下人になったように三成は秀頼を旗印にしようとしたのだと。彼は自分をめぐる人々が父や母でさえ、「旗印」として見ていたことに気づくのです。そして大坂冬の陣の後、堀が埋められた城の姿を見て彼は城の外にあった邪悪な現実を知るのでした。
落城の時、自分の人生を回想してどこかおかしいと笑ってしまう秀頼。著者は戦時中に教育を受けた人ではありますが、大企業の跡取りとして青春時代までは恵まれた環境で育った人のようです。でも社長を継いでから経営危機に苦しんだとか。そんな星自身の
人生が秀頼を通じて語られているようにも思います。
『春風のあげく』は幼馴染の美女が藩主の側室になる直前、密かに関係をもった武士の忠之進が主人公。彼の愛する千代が遺した男子が実は自分の子であると確信した忠之進は勘定奉行として能力を発揮して城代家老になりますが…父だと名乗れなくても「親子の血のつながりのなかには、理屈を越えて理解しあえるものがあっていいはずだ」と忠之進。でも藩主の方は自分に似ている家老がうっとうしくて…出だしは
いくらか山本周五郎風?ですが結末はショートショートのようにありゃりゃ。
凶作の時、武士たちの意識が甘すぎるために破滅していく藩の姿をやはりショートショートのようなクールな視線で描いた『すずしい夏』。『はんぱもの維新』は幕末、誰よりも優秀で進んだ考えを持ちながら悲運をたどった小栗上野介の物語。小栗から見ると「はんぱもの」ばかりが新しい世を作ってしまったのです。
一番面白く、クスリとしながら読んだのが『正雪と弟子』。江戸幕府に反逆しようとした人物として知られる由井正雪をある種のペテン師?として描いています。軍学者、といっても彼の軍学は昔の合戦を語る講談みたいなものなのですが、抜群に面白いのでやがて
大名からも呼ばれ、そのうち彼の門弟になると仕官できるかもと思った浪人たちが集まり…。由井正雪といえば子供のころ祖母が視ていた『徳川三国志』という番組で中村敦夫が演じていて、ドラマの内容はわからないながら中村氏の威厳のある総髪姿を記憶しています。
時代劇の中ではしばしば江戸幕府方のヒーローのライバルとして登場する正雪、でも星にいわせれば「よくよく埋めるのが好きな男」。何かを面白く語っているだけの人間が学者のようになっていってしまったり、満たされない人々を吸引して大きな組織を作ってしまう、現代ではオウム真理教とその事件のような…軽妙な筆致でありながら現実の危うさ、恐ろしさと向き合っているお話だと思いました。
リビングで朝顔
松本清張 『死の発送』角川文庫1984年
以前通信販売の仕事をしていました。商品の発送とか受け取りには何かと思うように行かなかったり、ミステリアス?なことが起こるものです。
そんなわけで題名に惹かれて読んでみました。いわゆる鉄道ミステリーの一つではありますが、犯罪の舞台になるのは珍しく客車ではなく、貨物列車です。この小説が書かれたのは昭和36年から7年にかけてのこと。鉄道による貨物輸送が今よりずっと盛んだった時代です。
カバーの紹介文によれば
「東北本線・五百川駅近くで死体入りトランクが発見された。被害者は東京の三流新聞
編集長・山崎治郎。しかし東京・田端駅からトランクを発送したのも山崎自身だった
…!」
亡霊が自分の死体をトランクに入れて発送?怪談めいたこの作品の題名の由来にもなっているこの殺人が発覚するのは、物語の三分の一ぐらい、第3章からで
それまでは出所したばかりの公金横領犯岡瀬正平の謎の行動とその死が語られます。
25歳の若さで巨額の横領事件を起こして服役していた元公務員の岡瀬は刑期を終えて出所。岡瀬を見張るよう山崎に命じられたのは部下の記者底井武八(そこいたけはち)。何やら鎧武者みたいな名前ですが底井が事件の謎を追う主人公。岡瀬の使い込んだ金のうち
一億円ほどが行方不明、岡瀬は使ってしまったと自白していますが、山崎はどこかに隠しているのではないかとにらんでいたのです。
叔父の営む雑貨屋に身を寄せてつつましく暮らしているかに見える岡瀬を、その向かいの菓子屋に部屋を借りて張り込む底井。岡瀬は府中の競馬場に行ったり、神楽坂に行ったりしますが、突然母の墓参のために福島県の飯坂温泉へ出かけ、そこで殺されてしまいます。
岡瀬の死体は墓のある寺の近くで発見され、墓石を動かした形跡があったことから山崎と底井は岡瀬が横領事件発覚する前に亡くなった母の墓に金を隠していて、それを奪われて殺されたのかとも考えますが…山崎は失踪、そしてトランク入りの死体に。
底井は山崎の事件が起こった時、福島競馬のために府中競馬場の馬を載せた貨物列車が運行され、岡瀬と関わりのあった厩務員の末吉が同行していたことから調教師の西田、西田が管理している名馬の馬主である元議員の立山を調査していきます。
『ゼロの焦点』もそうですが、読み終えた後の整合性のようなものよりも読んでいる途中を楽しむべき小説です。とりわけ私が面白いと感じたのが山崎の遺体発見の報が入る直前、底井が神楽坂で岡瀬と関係があったと思われる芸者をつきとめていくくだり。芸者衆がよく利用する喫茶店に入り、十七、八のウェイトレスに山崎の写真を見せたら山崎がある女性と来たと言うのですが、店側がその娘を使いに出してしまい、底井の捜査の邪魔をします。
客商売の家では、ときとして、自分のお得意に迷 惑のかかりそうな話を避けたがるものだ。底井武八は、あの店では警察の刑事と見られていた。
だから、店の者があわてて彼女をはずさせたのではなかろうか。それも余計なおしゃべりをさせたくないという単純な心理からであろう。(第三章失踪より)
スターバックスやドトールではいくらお得意になってもこんなサービスは期待できませんね。底井はこの喫茶店のレジ係の女性の名前と住所を置いてあったハガキから知り、亀戸駅から飯田橋まで尾行し、偶然を装って話しかけ、なんとか岡瀬の馴染みの芸者の
置屋へたどりつきます。この「ちょっときれいなレジ係の女」宮部良子の描写があまりにていねいなので、私は彼女が後々事件にからんでくるのかなと思ってしまいました。著者は亀戸から飯田橋まで通勤して喫茶店で働く、そういった地味な仕事を続ける女性たちを見つめ、温かな心で描きだしているのでは、そんな気もします。
先にも書いた通り、貨物列車と客車との運行がこの犯罪を成立させています。登場人物の一人、立山の所有するヒノデカップは丸一日以上かけて東京から福島まで運ばれます。
競馬場関係の厩務員たちに確めると、家畜輸送車は、それに積んだ牛、馬、豚などに停車中水を与えたり、カイバをやったりするので輸送時間が長くかかるとのことだった。(第六章工作より)
今は競馬馬や家畜はトラックで運ばれているのでしょうか。私は競馬にはくわしくないけれど、子供時代、いかにも馬や牛が乗りこめそうな大きな引き戸のある貨物列車は走っていました。
ネットでもどなたかがおっしゃっていましたが、結末は唐突です。清張の作品としてはやっつけ仕事風?
死人が自分を発送したかのような怪奇現象も犯罪を発覚しにくくさせてもいないのです。何だか車を使わずに公共の交通機関だけで殺人死体遺棄事件を決行したらこうなっちゃたみたいな。
21世紀では少なくなった個人経営の喫茶店、馬の乗った貨物列車、駅からのトランクの発送(今なら
宅配?)、出勤途中、喫茶店でソーダ水を飲む女
(今なら自動販売機?あるいはコンビニ?)菓子屋の
菓子屋の2階を間借りして仕事する新聞記者など細部のレトロ感が魅力のミステリーです。
久しぶりの散歩 早く涼しくならないかな ちょっと心配
実はこのところいくらかですけど、食欲が落ちていて、朝食後に梨を
いつも半分、細かく切って食べさせるのを、「食べきれない」と言い出したり。
それからいっそう歩行困難になってきて、ベッドからトイレまで行く途中で
転んだりします。 だから家の中で使える歩行補助具を使わせようかなと
思っています。
最近読んだ新聞記事によれば、歌手の高橋真梨子さんのお母様もガンをわずらっておられて、娘のクリスマスコンサートに車椅子で来るほど元気だったのに容体が急変してその年のうちに亡くなったとか。母もそんなふうに
ならないといいと思いつつ、見方を変えればラッキーな終わり方かも
と思ったり。
涼しくなったら母もまた元気になれますように。
アトリエ第Q芸術にて―イラスト展と舞踏
8月23日、夏休みが取れたので藤井マリの舞踏を観に成城学園前の
アトリエ第Q芸術へ行きました。前回は仕事が終わってからだったので
7時半開演のぎりぎりに到着でしたが、この日は6時頃到着。
2階がカフェ兼ギャラリーになっているとのことなので、ひょっとして
キッド・アイラックホール地下のブックカフェにあった本があったり
しないかなと思いましたが、それらしきものは見当たりません。
イラストレーターの後藤貴志さんの展覧会が催されていました。子供の
頃の人形遊びやままごと、童話の本を思い出させるかわいらしい
絵です。一番気にいったのは『美食』という作品。
本の表紙も手掛けていらして、どちらも面白そうな本なので今度読んで
みようかしら?
これはケーキを擬人化した?『ケーキの皆様』
鑑賞しながらカモミールティーをすすっておりますと、藤井マリが舞踏の前の
気持を整えるためにコーヒーを飲みに来ました。久しぶりに楽しいおしゃべり。
藤井の舞踏は前回と同じく、地下のセラールーム。本日は窓が開いていたので地下から見た玄関付近を写真に撮りました。
今回は舞踏中で電車の窓から撮影した映像が流れました。終わった後で
効果担当の早川氏に尋ねたところ、北海道で撮ったとのことです。
ついでにキッドアイラックのブックカフェの本の行方も伺いました。
オーナーが引き取ったとのことです。あのカフェの本には近年出版される
本が持たないすごい力を感じていたので、今後も有効利用されることを
祈ります。
帰る時に気がついたのですが、地下のドライエリアへのはしごが
ありました。今は使われていないようですけれど、本当に個性豊かな
家ですね。


























