実以のブログ -53ページ目

国木田独歩『河霧』(新潮文庫『武蔵野』より)

 

 

22歳で上京した主人公上田豊吉。故郷の人々は。彼が将来成功するだろうと祝福して送り出します。ただ一人、その古い城下町「岩――」で、『杉の杜もりのひげ』と呼ばれる老人だけは不吉な予言をします。

 

「豊吉が何をしでかすものぞ、五年十年のうちにはきっと蒼くなって帰って来るから見ていろ」

 

豊吉は善人ですが「どこかに影の薄いような気味があって、そのすることが物の急所にあたらない」「胆きもが小さい、と言うよりもむしろ、気が小さいので磯ぎんちゃくと同質」。東京その他の土地でも期待された通りには成功しませんでした。気が小さいのが

どうしてイソギンチャクと同じなのかしら? ちょっとした刺激で動くから? それとも餌を求めて動き回らず、へばりついたまま餌が来るのを待っているから?

 

「豊吉はたちまち失敗してたちまち逃げて帰って来るような男ではない、やれるだけはやって見る質たちであった」―豊吉はひげの老人の予言よりはおそく20年後、粗末な身なりで胡麻塩頭の中年男となってひそかに「岩――」にやってきます。気の小さい彼は兄が継いでいる元実家へすぐに帰ることができず、古い記憶をたどりながら故郷の変わりようを見たり、幼馴染の家の様子をうかがってみたり―やっとこさで川で遊んでいる彼の甥、源造少年に話しかけて叔父だとなのります。

 

兄をはじめ故郷の人々は豊吉が老いぼれて全てに失敗して帰って来たことを気の毒に思いますが優しく接します。兄の子供たちも遊んだり、勉強を教えてくれる叔父さんになつきます。そして土地の少年たちのための私塾を開くことになり、人々は彼のために奔走するのです。

 

「他郷よそに出て失敗したのはあながちかれの罪ばかりでない、実にまた他郷の人の薄情(つれなき)にもよるのである、さればもしこのような親切な故郷の人々の間にいて、事を企てなば、必ず多少の成功はあるべく、以前のような形かたなしの失敗はあるまいと」そう豊吉は思います。しかし開校式の前夜、準備を終えての帰り、豊吉は一人なぜか大川のほとりへ行ってしまいます。

 

「実にそうである、豊吉の精根は枯れていたのである。かれは今、堪たゆべからざる疲労を感じた」

 

岸にあった小舟を漕いで豊吉は河霧の中に消え、帰って来ることはありませんでした。おそらく「精根は枯れて」というのは21世紀の今でいう「うつ」の状態。様々な土地での失敗による疲労がたまっていたのでしょう。皆の善意、協力で明るい気分になった直後、突如皆の期待にこたえられそうもないと思ってしまう心の急変。もう少し休養すべきだったか、一人で行動させず、誰かがそばにいるべきだったのか。

 

この豊吉ほどは祝福も期待もされませんでしたが18歳で故郷を出た私。大方の予想通り成功はしていないけれど「やれるだけはやってみて」今に至っています。そしてやや「精根は枯れて」いるのを感じており、味わい深くこの短編を読みました。豊吉とちがって故郷に家もないし、友人、知人も引っ越したり、亡くなったりしているので帰れません。まあ帰りたいと思ったこともないのですが。

 

精根枯れているのを感じつつも、仕事はとりあえず行っているし、本を読んだり、観劇したり、テレビを視たり、普通に過ごしているようで―やはりどこか疲れている、なんとかしなきゃいけないような気がしています。ボートの経験がないので河霧の中に

消えたりはしないと思いますが(笑)。

 

冒頭の写真は通りかかった公園にあった赤い実をつけた大きな樹。たぶんクロガネモチと

思われます。


 

緑の葉からのぞく赤い実を見ていると元気が出てきました。もうすぐ母の一周忌法要。

母は赤い実のなる樹が好きでした。

 

 

今年のキンモクセイ

今年はキンモクセイの花が長持ちしたように思います。 これは昨年母と散歩していた公園で10月19日の写真。枝に沿って咲くオレンジの花が

Vの字に見えます。VictoryのV、何かに打ち勝てるのでしょうか。

元気が出ました。

これがその一週間後、父と散歩した時の写真。母がまだ歩けた時に

よく座っていたベンチの近く。父も同じところに座らせました。

ヒイラギモクセイの白い花も咲き始めていて両方が楽しめました。

母がかわいいと言っていたアカツメクサ

まだムクゲも木の上の方に花をつけていました。

国木田独歩『鹿狩』(講談社文庫『武蔵野』より

母は危ないと言うが、父は勇壮活発の気を養うために行けという鹿狩に行った少年の話。

 

鹿狩は日帰りではなく、船の中で一泊して「さの字浦」に行ってそこにある漁師の大きな家に迎えられ、どうも地形的には岬となっているところでの狩。メンバーは銀行の頭取や判事など土地の上流階級。

その中で少年が好きになったのは一番声が大きく、元気でおもしろそうなの大酒飲みの「今井の叔父さん」。

 

少年は仕留められた鹿を気の毒に思いますが、

今井の叔父さんと弁当を食べた後、眠気をおぼえていた時、現れた鹿を叔父さんの鉄砲で仕留めます。少年の冒険的行為をほめる今井の叔父さん。帰りの旅で

判事さんが「渓流の岩の上に止まっていた小さな真っ黒な鳥」を撃って今井の叔父さんにプレゼント。少年は不思議に思います。

 

後日、少年の家にもたらされたのは今井の叔父さんの一人息子の自殺の知らせ。その息子鉄也さんは四、五年前から気が狂って廃人になっており、狩の帰りに

得た黒い鳥=岩烏も狂気の薬だったのです。そして少年は今井の叔父さんの養子になります。

 

 

前回の本レビューで書いた『源叔父』は子供を失った男がその代わりを得ようとして失敗するお話でしたが、少年とその養父はうまく行ったようです。養父の十三回忌に懐かしげに鹿狩りの思い出を話すのですから。でも…

 

少年が今井の叔父さんに気にいられたのは初めての狩、初めての鉄砲で大物を仕留めたから。実子の鉄也さんの死因は鉄砲腹、つまり自分の腹を鉄砲で撃って―他愛のない思い出話のようでいて、どこかに暗い、悲しみの影を感じる短編です。

 

 

今日は文鳥の日 ―飼ってみたいけど

文鳥飼ったことある?

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小学生の時、手のり文鳥を育ててみたくて白文鳥のヒナを
買ってもらったけれどすぐに死なれてしまいました。
 
夏目漱石の短編『文鳥』に登場するのも白文鳥。やはり
猫ほど長く飼えなかったお話。
 
大人になった今も小鳥のいる暮らしにあこがれますが、
経済的、空間的、時間的に無理。ペットは父が20年ほど
前から飼っているミシシッピニオイガメだけで
それももてあまし気味。
 
そのうち小鳥カフェに行ってみたいです。
 
話はちがいますが、先日通りかかった八百屋さんで
小型のりんご『アルプス乙女』を見かけたので
買いました。
 
 
母が生きていたらきっと「かわいいりんごだねえ」と
喜んだと思います。11月に一周忌法要の予定です。
 
 

新潮文庫 国木田独歩『武蔵野』より『源叔父』

新聞に表題作が紹介されていたので読んでみたくなって借りてみたのですが、どういうものか今の私には楽しめませんでした。ですのでこの本に入っていた短編の中で心に響いたものについて書きます。

 

『源叔父』は巻末の解説によれば独歩の小説の処女作で野心作なのだそうです。野心作のせいか、短編ですが妙に複雑な構造です。

 

冒頭に登場するのは都会から大分の佐伯に語学を教えに来て一年ほどで去った若い教師。ある冬の夜、旧友に手紙を書いている時、彼の脳裏になぜか浮かぶ一人の男。源叔父と呼ばれていた佐伯の港にいた渡し守。港近くの宿に住んでいた時、宿の主人から聞いた

源叔父の身の上―若い頃は美人の妻と男の子と幸せな家庭を築いていました。しかし妻はお産でなくなり、遺された子も12歳で水死。

 

源叔父が櫓をこぎながら歌う声はすばらしく、妻となった女もそれにひかれて夜半にひとり彼の家に来て島へ渡してと頼んだのがなれそめ―今風にいうと積極的な肉食系の女性?

 

しかし子供が死んでからは歌わなくなり、「親しき人々にすら言葉かわすことを避くる」ように。「浦人らは源叔父の舟に乗りながら源叔父の世にあることを忘れしようになりぬ」。宿の主人はいるのかいないのかわからないような源叔父に教師がなぜ関心を

持つのか不思議。教師は「われこの翁を懐う(おもう)時は遠き笛の音ききて故郷恋うる旅人の情(こころ)動きつ、また想高き詩の一節読み了わりて(おわりて)限りなき大空を仰ぐがごとき心地す」とのこと。

 

教師がなぜ源叔父が気になるのか? 都からはるばる語学を教えに来たのに一年で去ってしまったこの先生、著者の独歩自身がモデルです。巻末の年表を見ますと独歩という人、38年の生涯の間にどうも尻が落ち着かないというのか実に変転の多い人。『源叔父』を発表するまでの青春時代も学校に入っても中退したり、上京しても仕事を得ないまま親元に帰ったり、私塾を開いても翌年には閉じたり。こういうタイプの

人は、妻子を失った悲しみを抱えつつも淡々と船頭を続けている源叔父が自分にないもの、ある種の強さを持っているように感じたのかなと私は思いました。これも解説によれば独歩が片田舎の船頭のような名もない貧しい人々を描くのはワーズワースの影響とのことです。

 

しかし教師が源叔父を思い出していた夜、源叔父は既に墓の中。なぜかといえば―

 

母の女乞食に置き去りにされ、そのまま「佐伯町附属の品物のように取り扱われつ」街の子供と共に育ってきた「紀州」と呼ばれる乞食少年。その紀州を源叔父は家に迎えて「我が子」として育てようとします。渡しの客と芝居の話をする時も紀州を我が子と呼び、久しく歌っていなかった歌を声高らかに歌うのです。

 

しかし家に帰ると紀州はおらず、必死に探して家に連れ帰った源叔父は翌朝発熱。臥せったまま、紀州に芝居の話などを語り、自分の子になるように話しますが

それでも紀州は逃げ、源叔父は自殺。

 

この紀州少年、母に捨てられ、ひきとって育ててくれる人もいなかったためか「かくて彼が心は人々の知らぬ間に亡び」、物を与えても礼は言わず、「恨みも喜びもせず。ただ動き、ただ歩み、ただ食らう」。あたたかな家と食事を用意すれば紀州の亡んだ心もよみがえり、自分を父と呼んでくれるだろうと考えた源叔父。紀州がなぜ源叔父の望むようにしないのか不思議で残酷にも思えます。

 

一方でこの紀州少年、いろはを教えれば覚えるというので頭が悪いわけではなく、御礼も含めて何も言わないのも、人に媚びないのも彼なりの考えによるもの

だったのかもしれません。もし源叔父の息子となれば、船頭の仕事をおぼえなければならなくなったりして今までの自由を失います。親兄弟も家もない紀州が妻も子も亡くした自分の子となれば「ともに幸いならずや」という源叔父の考えは勝手なひとり決め。

紀州にとっては迷惑な価値観の押しつけで、むりやりに亡くなった子の代わりをさせられるのは不快だったとも想像されます。それから発熱して紀州に語る場面の描写を見ると源叔父は精神のバランスを崩しているようでそばにいるのが気持ち悪い気もします。

 

源叔父は佐伯に一年だけいた教師がこれも勝手に想像した「想高き詩の一節」のような人であれば、紀州を

養子にしたいと考えても、紀州自身が望まないようで

あれば寒さの中を追いかけたりしないのではかしら。

 

何かを失った時、その代わりを得ようと

することは難しいですね。何だか母が父について

よく言っていた「不幸な人はどこまでいっても不幸」

という言葉を思い出してしまうお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏のお土産を楽しむ(今頃?)

9月の連休のランチに村上の旅で買ってきた肉みそを頂きました。

    冷奴に小葱とのせたら彩りもよく、美味でした。

 

 

    施餓鬼供養の旅の時、一緒にランチをした友人からもらった

    川中島白桃のジャム。

 

 

お盆休みに自家製カッテージチーズに載せて頂きました。

      うれしい友情のおいしさ。自家製などと申しますとたいそうに

      聞こえますが、牛乳をひと煮立ちさせて酢を入れて

      キッチンペーパーでこしただけ。賞味期限の迫った

      牛乳がたくさんある時に作ります。

 

 

  施餓鬼の旅では東京の友人に頼まれて長野の駅ビルの

  中の沢屋にルバーブジャムを買いに行き、ついでに

  自宅用に桑の実ジャムを買いました。

 

 

 

   ブルガリアヨーグルトにかけて頂きました。くわの実の形も

   可愛いです。桑の実ジャムは関東では売っているのを

   見かけません。横浜の友人にもプレゼントしたら

   喜んでもらえました。

 

   ♪山の畑で桑の実を小籠に摘んだは幻か?

 

  「これが『赤とんぼ』の歌に出てくる桑の実だよ」

子供の頃、祖母が近所の桑の木のある家からもらってきてくれました。

興味を持った私は後日、自分でもとらせてもらいましたが、

手と服に桑の実の紫に染まってしまいました。 とても

幻とは思えません(笑)。

 

桑の実は実る途中でとてもきれいなピンクがかった赤になる

のですが、この段階ではまだ食べるのには早く、黒みがかった

紫になったら食べごろなのです。

 

     善光寺大門のバス停近くのかんてんぱぱの店で買った

    ブルーベリー寒天と赤ぶどう寒天。関東でもこの類の

    お菓子は売っていますがこの品ほどおいしくないのです。

    だから信州に行くとよく買ってしまいます。

    

上田おもてなし隊の演武を観た後、上田市観光会館で

買ったのがいちご入りみすず飴。これは日持ちがするので

今もゆっくり楽しみつつ 味わっています。

 

 

これはおみやげではないのですが、お盆用に買って仏壇に

供えていた半生菓子。お彼岸の連休に食べました。母が

生きていたらきっと「きれいだね」と言ってくれたでしょう。

 

ああ、つくづく私は寒天風のお菓子が好きなのですね(笑)

 

 

私が出会った宝石たち

久しぶりに乃南アサの『魅惑の輝き』を読んで思い出したこと。

 

 

今は昔。中国語教室で同じ先生に習っていた面々が集まって飲み会を開きました。出席者の一人で当時20代後半ごろの女性が名古屋の資産家と婚約し、東京を離れるので彼女の送別会でもあったのです。その女性は400万ほどのエンゲージリングをつけてきて、気前のよいことにひょいと指から抜いて私たち貧乏人?に見せてくれました。記憶が定かではないのですが、ひょっとして試しに私の指にはめることも許してくれたのだっけ? 「こんなに高い宝石、さわるのはじめて!」と言い、今後もこういうものをガラス越しではなく見ることはないだろうなと思っておりました。

 

これも今は昔。私が品川駅近くのショッピングビルの2階を歩いているといきなり近づいてきた女性が私の左手に大きなダイアモンドの指輪をはめました。黒いワンピース風の制服を来た宝石店の店員さんです。驚いて何が何だかわからない私に「どうです、

きれいでしょう、いかがでしょうか」というような営業トークを始めました。でもしゃべっているうちにどうやら買う可能性は低そうだと判断したようです。私も「学生さんですか」と言われてうなずいたし…本当は社会人になってはいたのですが到底、大粒の宝石など買える給与ではありませんでしたから。

 

それにしても千円代で買ったジャケットにジーンズ、スニーカー、記憶が定かでないのですが革製ではないリュックかショルダーというどちらかというおよそジュエリーとは縁のなさそうな私に駆け寄ってくるとはよほど売上アップに必死だったのでしょうね。あの店員さん。いかにも宝石店の人らしく、華やかにパーマで髪を広がらせていた美人。きっとガラスケースの向こうにいるだけでは売れない、今まで宝石に縁がなかった客層を開拓しなきゃだめと考えたのか―そして彼女にいきなり指輪をはめられた通行人の中には、『魅惑の輝き』の主人公のように宝石に触れたとたんその魔力にぼうっとなってしまって、購入に至る人もいたのかもしれません。

 

これまた今は昔、目黒にあるカルチャースクールでジャズダンスを習っていた時、区民センターでの発表会に参加した時のこと。ダンスの振りがちっとも覚えられない私はステージで踊りたくなどなかったのですが、どうやら発表会に出る教え子から参加費を得ることは先生にとってはボーナスのような生活のかかった収入だったようで…踊った曲目を忘れてしまったのに2万円という参加費の衝撃は今も忘れられません(笑)。

 

当時30歳前後のダンスの先生は若い頃に歌手やタレントとしても活躍していた多才な女性で、子供たちにタップダンスも教えており、その教え子たちも発表会に出ていました。その一人、小学校4、5年生ぐらいの女の子が何と本物のダイヤモンドが連なったネックレスをつけて踊ったのです。私はその子やその保護者の人と直接話したのではないのですが、別の参加者の人がそう教えてくれたのです。「子供にこんな贅沢をさせるなんて」とかすかにまゆをひそめつつ。

 

その子はソロで踊るのでもなく、プログラムの主役を務めるのでもなく、三人の少女が同じ揃いのピンクのレオタードを着て踊る曲でした。これも曲目は忘れてしまったのにネックレスがきらきらしていたのは記憶しています。それから同じ曲を踊っていた子の

一人が思わず見とれてしまうような美貌だったことも。

 

終わった後で先生に「あの子、すごい美少女ですね」と言うと「踊りのおぼえも速くてカンのいい子なのよ」とのこと。ネックレスの子は同じ服を着て複数で踊るからこそ、自分の子がわかりやすいように親御さんがつけさせたとのこと。もともとお母さんが持っていたネックレスなのか、この日のために新調したのかはわかりません。ネックレスの子はごくありふれたルックスでしたから、もしかすると才能豊かな美少女と共に踊ることに苦悩があったのかもしれません。親御さんは宝石でそれを解消しようとしたのか―それにしても知らない人も大勢出入りする楽屋に高価な物を持ち込んで物騒だと思わなかったのかしら。

 

『魅惑の輝き』の有理子も生まれ持ったルックスにはあまり自信を持っていなかった様子が文章から感じられます。宝石をつけてそれで美しくなって異性をひきつけることには興味がなく―だから服や靴はみすぼらしいまま。でも宝石を手にいれるだけで人生は全てハッピー?のような気がしていたのでしょうね。

 

いつの世でもファッションやコスメの広告は「キレイになりましょう」と叫び、人はそれにひきつけられます。かくいう私もホワイトニングエステに通おうかと

考えたことがあります。迷っていると年上の同僚いわく「いい仕事をして生き生きすればそれがエステになるんじゃない」。

 

そう彼女は正しいです。大事なのは顔のきれいさじゃなくて中身です。だけど中身を磨くのは複雑なこと。本当の美しさとか幸福はどれも一筋縄では

いかない、近づくのに時間と労力の要ること。だから顔をマッサージしてもらうとか、服やアクセサリーのいいのを買うとか、お金という「一筋縄」で

諸々の問題が解決に向かったらいいなあと思わないでもないのですね。そんな時宝石を買いたくなる人もいるかもしれません。

 

名古屋の資産家に嫁いだ女性は1,2年で離婚したと風のうわさに聞きました。

 

私の指にダイヤモンドの指輪をはめた店員さんのいた宝石チェーンは数年後、婚約指輪を買い取り保証つきとして男性たちに売りつけたことが法的に問題になり破産しました。

 

この事件が報じられた時、将来の配偶者のために

500万の指輪を買ったという男性のインタビューの放送を視て「まだ出会ってもいない女性のために指輪を買う男性って不思議」と思いました。私なら私という人間を知ってから指輪を買ってくれるなら買ってほしいなと。でもこういう男性がロマンチックですてきと思う女性もいるのかもしれません。

 

ダイヤモンドをつけてタップを踊っていた少女は成人後、宝石に夢中になりすぎたりしなかったでしょうか。共に踊っていた絶世の美少女はダンスのプロになったのでしょうか。

 

以上、「私が出会った宝石たち」とまるで富裕階級のご婦人のようなブログタイトルを書いてしまいましたが、全て私が所有していない見かけたの宝石のお話です。失礼いたしました。申し訳に?返還直前の香港で

買ったエメラルドの指輪とルビー?のようなさくらんぼの写真を入れておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乃南アサ 『家族趣味』(新潮文庫、1997年)より『魅惑の輝き』

くたびれた本の写真で失礼いたします。20年ほども前に入手した本です。 

 

 

 

心理描写にすぐれていることで知られる推理作家の短編5編。『魅惑の輝き』はこの本の最初に載っています。宝石の魅力に取りつかれた女性の心理、行動を追う小説。犯罪の謎解きはないのですが、主人公が

なぜこんな風になったのか?、どうなるのか?気になって読み進む小説。

 

熱帯夜にトタン屋根のアパートの一室でむかつき、吐き気に苦しむ主人公小川有理子。なぜそんな体調に?それは「あんな物」を見てしまったから。あんな物、それは入手したい宝石。持っている宝石の箱を眺めて症状を抑えようとしますが無駄。ついには「何とかする」と決心します。何とかする…それは?           

 

有理子のみすぼらしい暮らしを描いた冒頭の部分を読むと私は高校を出て上京したばかりの頃を思い出します。同じように「風呂さえない下駄ばきアパート」

で冷房もなく「酒屋からもらった団扇」で涼んでおりましたので。ただ私は大家が女性にしか貸さない方針だったおかげで、有理子のように隣の住人がうさん臭い男だったりはしなかったけど。あの頃はよかったとは思わないけど、すぐれた作家の筆で自分の経験した生活を描きだされると何だか凝ったツボを刺激されているような、痛気持ちいいような。

 

田舎町のブルーカラーの娘として育った私が東京で粗末な部屋に住むのは不思議ではありません。でも有理子は本来ならばこんな暮らしをするべき育ちでは

なかったのです。彼女の両親は娘が10歳になった時から毎年一つずつダイアモンドを買い、20歳の誕生日にネックレスにして贈ったのですから。しかしそれがきっかけで有理子は宝石の魔力にとりつかれ、親の金やクレカを持ち出し、サラ金から借金。肩代わりしてくれた家族に叱られても宝石を買うのが悪いことに

は思えず、ついには家を出ます。

 

飲食店で一日16時間、働きづめに働く日々。そこの店長は彼女の身の上もわかっていて「時給をアップしてあげるから借金を返しなさいよ」とお説教。それでも客のホステスが自慢する指輪やネックレスを見てまた吐き気を起こす有理子。60万円という飲食店従業員にしては高い月給をもらっても借金の返済に回さず、宝石店へ。自分の借金が総額でいくらになるのか

も把握していません。有理子のような状態になると借入が多かろうと蓄えがなかろうとそれはただの「数字」にしか感じられないのでしょう。とにかく思った宝石を手にいれないと体調が悪くなるのだから、それを買うのは健康?を保つために必要なこと。

 

有理子にとりついている宝石の「魔力」は宝石そのものの輝き、美しさもあるのでしょうが、何よりも宝石によって自分以外の女性たちの優位にたてる痛快さ。着古した服を来て髪も伸び放題の有理子が入って来た時、宝石店の店員は2万円代の品を勧めようとします。しかし有理子の指輪を見て態度を変えるのです。まるで水戸黄門の印籠のように、宝石は蔑みを羨望?に変える…有理子は信じています。

 

物語の最後、有理子は荒れた指先の絆創膏がかすんでしまうような指輪とブレスレットをつけて出勤し、肘から先だけセレブな気分になりますが…

 

何かに夢中になりすぎて破滅する人間の話を読むと

この人は病気、こうなってはいけないなと思う

一方、かすかな羨ましさも感じます。家族と縁を切り

就職の内定も取り消され、貸金業者から返済のためにいかがわしい仕事を勧められても追いかけたい何かに出会った姿が。

 

 

自分が何かにこだわりすぎてバランスを崩しているのかも?と思う時。もっと裕福な家に生まれたかったと思う時等々、人生の折々に読み返してしまう小説です。

 

夏の旅 第2弾? 村山槐多展、城熱演武

清水屋旅館で久しぶりに和室に布団でぐっすり眠った翌朝、ボリュームたっぷりの朝食を頂きました。コーヒーの用意もあってラッキー。純和風で日本人以外の

人にも人気があるようで、廊下で金髪の欧米人と思われる女性のパックパッカーに挨拶しました。

 

マッサージチュアのあるスペースに謙信と信玄の一騎打ちの像のミニチュアがありました。よくみると信玄がとってもいやそうな顔をしています。何だかコントが書けそうです(笑)。

善光寺前八時過ぎのバスで長野駅へ。しなの鉄道で上田へ向かいます。上田駅の温泉口からサントミューゼへ歩きます。今回、遠路でも施餓鬼へ行こうと

決めたのはついでに『没後100年村山槐多展』を見ようと思ったからです。NHK教育の『日曜美術館』で開催されることを知りました。

うまく言葉に出来ないのですが人物も草花も木も建物も山も、どの絵にもじっと見入らせてしまうパワーがありました。

 

2016年末まで明大前にあったキッドアイラックホールの地下にこの画家の名をつけた『ブックカフェ槐多』がありました。たった22年しか生きなかったのに彼の名のカフェができるなんてきっとすごい画家なのだろうなと思っていました。確かに天才ですね。作品を生で見てよかったと思います。村山の書いた詩や小説もじっくり読んでみたいと思います。そういえばあの明大前のブックフェアにあった本も魅力的で図書館で同じ本を探してみようと、本棚の写真を撮らせてもらいましたが、まだ実行していない私。涼しくなったら図書館に行こうっと。

 

信州の旅の最後は今回も上田城址。ちょうど月に一度のおもてなし武将隊の演武の日でした。今まで何度も武将隊の方々にはお目にかかっているのですが勢揃い

しているのを観るのは初めてです。

 

演武の前に太鼓の演奏がありました。母が和太鼓の演奏が好きだったことを思いだしました。私の心の中にいる母が太鼓を聴きたがっていたのかも。

 

 

毎年、夏は墓が草ぼうぼうで蛇も出て近づけないので信州に来ることはないのですが、今年は母の新盆なので来ることに。もしかして城熱演武は母が観せてくれたのかも? おもてなし武将隊の幸村様にそう申し上げたら「母上の墓前にそなえよ」とおっしゃって名刺を下さいました。

演武の中で午前に行ったサントミューゼで開催されていたアニメの『ミライの未来』展の宣伝がありました。実はサントミューゼがあまりに大きくて入った時、あまりに大きな建物で『槐多展』のチケット売り場や入口がわかりにくく、『ミライの未来』展のチケット

を売っていた方に尋ねてしまいました。ふと上田城址の武将隊のように着物を着た「おもてなし村山槐多」がいて会場を案内してくれたらよかったのにと思いました。そう

展覧会のポスターにもなっている『紙風船をかぶれる自画像』と同じいでたちの。

 

私が村山の作品を見たいと思ったのも紙風船を頭にかぶった自分を描いて楽しむようなセンスの持ち主だと知ったから。

 

彼は初恋の美少年に捧げた詩の中で「僕は藝術をやるのです。二、三年のうちにはきつと僕の作つた芝居が劇場で演ぜられましやう」と言っています。だから結構芝居気があって…ひょっとしたら、武将隊の募集があれば応募してしまうような若者だったのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の旅、第2弾?新盆法要、善光寺の蓮

お盆休み、母の新盆のため、菩提寺のある信州へ行きました。本来ならば喪主である父を連れていくべきなのでしょうが、この暑さでは無理なので私一人。それに

特別に私どものために法要をしていただくのではなく、

寺の施餓鬼供養とあわせてのことです。

 

早朝、バスで長野駅へつきました。まだ涼しかったので

スーツケースをごろごろ押しながら宿泊予定の宿へ。

 

途中善光寺の宿坊の門の前と駐車場のところで

鉢植えの蓮を見ました。池に生えているのとは

ちがって近くでしっかり眺められてうれしいですね。

宿に荷物を預けてから2000年前の種子を発芽させて

育てたという大賀蓮の池へ。

少し盛りを過ぎていましたが今年は関東では蓮を

見ていなかったのでラッキー。

 

法要が終わった後、地元の友人と落ちあってランチ。

八幡原古戦場の公園にある店でソフトクリームを

頂きました。

 

善光寺近くの清水屋旅館にチェックイン。純和風の

旅館です。畳敷きでチャボ台。夕飯用に買ったおやき

を食べながらサザエさんを視ます。

 

部屋にはこんなに可愛い姫鏡台がありました。

久しぶりにふとんで

寝ました。