実以のブログ -51ページ目

沈丁花、桃、白木蓮

昨年3月、母と散歩しながら見た通り沿いのビル前の沈丁花が

今年もかわいいボールのような花をつけました。通勤の途中、この木の前でひそかに深呼吸します。香りに元気をもらうために。

 

白いドレスの南夕子を思い出させる白木蓮も咲きました。

 

近所の公園の八重咲きの桃とユキヤナギも咲きました。桃のピンクと

ユキヤナギの白のコントラストを楽しんでいた母はいませんが。

 

仕方がないので?父を「お母さんの好きだった花が咲いてるから散歩しよう」とひっぱっていきました(笑)。

 

5月に母の納骨のために父を信州へ連れていく予定です。父は墓の

石段で転ぶのではないかと今からこわがっています。

 

母の好きだった花々が父の足腰と心を強くしてくれますように。

『緑の光線』(エリック・ロメール 1985年、NHKBSプレミアム放送)

フランス映画のテレビ放送は時々視たくなります。フランス語を耳にするとリラックスするのです。この特撮もの?みたいな題名が気になって思わず録画予約してしまいました。

 

夏のヴァカンスに予定していたギリシャ旅行が同行する友人の都合でキャンセルになってしまったヒロイン、デルフィーヌ。ヴァカンスの過ごし方に途方にくれ、友人たちとのおしゃべりの途中、泣き出してしまいます。「家族にアイルランドに誘われたけれど、それは本当のヴァカンスじゃない。本当のヴァカンスがほしい」と。見かねた友人の一人、フランソワーズはシェルブールの実家に彼女を招きます。フランソワーズの家族は親切で子供たちにもなつかれますが、満たされないデルフィーヌはパリに戻ってしまいます。

 

元恋人の山の家を借りることにしますが、半日でいやになりにパリへとんぼがえり。カフェで偶然再会した昔の友人の義兄のアパートを借りて、海辺のリゾートビアリッツへ。そこで語り合う老人たちの会話から晴れた日の日没後、太陽光の屈折のために一瞬だけ見えるという緑の光線のことを知ります。この光線を見た人は「自分と相手のことがわかる、頭の中が晴れる」と。

トップレスで日光浴をする自称スウェーデン人女性と親しくなったデルフィーヌ。「私は観察はするけど、その先の行動がだめ」と本音トーク。しかしその自称スウェーデン女性が声をかけた青年二人組とのおしゃべりにもうんざりし、パリへ戻ろうと駅へ。待合室でようやく自分の方から関わりたいと望むに青年に出会うデルフィーヌ。彼と観光地よりは漁村といった感じの港町へ行き、日没に緑の光線を見るのです。

 

日本とちがうなと思ったのはヒロインにたいする人々の態度。独特の考えを持ち、情緒不安定とも言えるデルフィーヌに「変な人」とか「ばかじゃないの」とか、「こんな人うちへ連れてこないでよ」など頭から否定する言葉を投げかける人物は登場しません。例えばフランソワーズの家族たちとの会食の場面、ポークソテーの皿が運ばれてくると「私にとって肉は食べるべきものじゃないの」と言い出すデルフィーヌ。「人の家に招かれて食べ物に文句つけるなんて」と思ってしまいますが、家族たちはからかい気味ではありますが、あからさまにいやな顔をせずに楽しく会話を続けます―これが現実だとするとフランス人はこういうところ、日本人より洗練されているように思います。もちろん日本人の全てが小津安二郎の映画の笠智衆一家のようではないように、フランス人の全てがこの映画のようでもないのかもしれませんが。

 

映画に映し出されるパリの街や観光地の風景はきれいです。1987年に日本でも公開された時、原宿や青山で買い物を楽しみ、雑誌の『流行通信』を読んだりしていた当時の日本のおしゃれな娘たちがこの映画を視たら「キャー、素敵!フランス行きたーい!」と騒いだ人もいたかもしれません。一方、ネットの映画評でどなたかがおっしゃっていたようにヒロインがつまらなさそうにあちこち歩くだけの展開が退屈とも言えます。私もテレビで休み休み視たからいいけれど、劇場なら居眠りしてしまったかも。

 

この映画、監督エリック・ロメールの代表作なのだそうです。確かに一見おしゃれなだけの観光映画?のようでいて、観賞した後いろいろ考えさせられました。緑の光線を見るまでのヒロインの旅は無駄ではなく人生の次の段階へ進むのに必要だったのではないかと。

 

前半、フランソワーズら友人たちとの庭でのティータイム。「あなたは強情なのでは?」と言われてデルフィーヌは「強情なのは私ではなくて人生の方」と答えます。このセリフが気になりました。何だか若い頃、自分も同じようなことを感じていたような。

 

ビアリッツで出会った自称スウェーデン人女性に「私に誰も寄ってこないのは私に価値がないから」といいます。ただの自虐か愚痴のようにも聞こえますが

この言葉はパリの友人たちには言いにくいのではないでしょうか。そんなことを言えばすごく心配をかけそうで、病院に行けとか言われてしまいそうで(笑)。

逆に行きずりのつきあいの浅い人に対しての方が

言えるのかもしれません。自分に価値がないというのはつらい真実ですが、旅を続けるうちにデルフィーヌは自分が満たされない原因は外側にではなく、自分の中にあるのだと気づきはじめたとも言えます。

 

でも友人たちも自称スウェーデン人も解決策として新しい恋人を得ることを勧めます。でもデルフィーヌは今までと同じ恋を繰り返すのは無意味だと感じていました。彼女がひかれた青年がバカンスを楽しんでいる男たちではないことにも意味がありそうです。

 

ふっと思ったのですが、『緑の光線』のような映画を日本を舞台に制作して海外の映画祭へ

出品したらいいのではないでしょうか。東京の美人OL、だけど何等かの問題を抱えている女性があちらこちらを旅するうちに人生の真実に目をひらき、求めていた存在に出会う―それをみた海外の人は日本を旅行すると自分の問題が解決するかもと期待して観光に来る?かもしれません。

 

その映画が撮影されるなら道端で「ごくまれな現象だけど、あの湖が凍ってひびわれる音を聞くと頭が晴れるのよ」とおしゃべりするおばさんの役を演じてみたいものです(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”ひなまつり?” 『チコちゃん』を視て訂正

先日放送されたNHKの『チコちゃんは知っている』によれば、ひなかざりの最上段の男性が「お内裏様」で女性が「おひな様」と思っている人が多いのですが、それはまちがいで、最上段の二人が「お内裏様」、それもふくめて三人官女や五人囃子も含めた全員が「おひな様」なのだそうです。

 

しかしひな祭りには必ず歌われるサトウハチロー作詞の童謡『うれしい

ひなまつり』に

 

♪お内裏様とおひな様、二人並んで~

 

となっているため、まちがいが広がったのであろうとのこと。

 

私もこの歌の通りだと思っていて4年前にテディ信玄とキューピー謙信が

「我々がひな人形ならいったいどちらが?」というブログを書いてしまっておりましたのでおわびの上、訂正させていただきます。

内田康夫 『少女像は泣かなかった』角川文庫 1999年―バブル期の風俗ミステリー?

父の本棚にあった本。フランス人形のような美貌の車椅子の娘橋本千晶と彼女を亡くした娘の代わりのように見守る刑事河内の探偵コンビの4編の事件簿。

 

 

 

『越天楽がきこえる』は箱根の駒ヶ岳山上の神社を訪れた千晶と河内が急病で絶命した中年男性を発見する話。消えた連れの女がいたことから警察は不倫旅行をしていたのではないかと推測しますが、亡くなった男の娘山口響子はそれを信じません。父の名誉のため、その女を捜し出して真相をつきとめると主張します。それを聞いた河内は「立派な娘だ」と思います。

 

  そういうひたむきさや純粋さを持った娘が、

  うかれ 騒いでばかりいるような、いまどきの

   若い娘たちの中に、ちゃんと存在していた

 ことが、なんとも嬉しかった。

 (『越天楽がきこえる』より引用)

 

 

作中にこういう著者自身の考え、あるいは好みのようなものが小説の中にわかりやすく現れるところが、私としては少し読みづらいのですね。

 

千晶は子供の頃から下半身不随で母も不在、父は河内と出会うきっかけになった事件で殺されています。しかし経済的には裕福で、渋谷の高級住宅街で忠実な家政婦にかしずかれて暮らしています。その千晶の元に医者と結婚したい女性の望みをかなえると称する会社『ドクターブライダル』からパンフレットが送られてきます。それは千晶の中学のクラスメート長田竹美が千晶の名前と住所を借りて請求したものでした。

竹美は「医者は世の中から尊敬され、お金が儲かるから結婚したい」というのですが、その後行方不明になります。

 

捜査のためドクターブライダルの事務所を訪れた河内は審査の上、良家の娘と判断された女性しか入会資格がないと言われ、内心「医者がそんなに偉いのか」と反発をおぼえます。竹美が千晶の名前で登録していることを知ると「橋本千晶さんはもっと美人です。いや、ただの美人ではない。清純そのもののような、天使のような美しい娘さんですよ」と言います。こういう親バカ風のセリフを登場人物に語らせてしまうところも私には読みにくいです。

 

私も自分が医者になりたがるのならともかく、医者と結婚したがるというのは理解できません。すべての医者が尊敬される人物とも限りませんし、配偶者に優雅で安穏な暮らしを約束するわけでもありませんから。もしも相手が山村や離島での医療活動、またはシュバイツァーのように遠い外国で医療奉仕をすると決めたら、その高い志を支える覚悟が必要です。

 

ただ現実にこれに似た組織はあるようで、以前、医学書の通信販売の仕事をしていた時、勤め先に「医師と女性との交流パーティー」の案内ファックスが流れてきたことがあります。男性は入場の際に医師免許を提示が要るとのことでした。笑ってしまいましたが医師の恋人にはなれなくても、一度医師やその卵と言われる人たちといろいろお話してみたい気もしなくはありませんでした。自分のまわりにはいない人たちなので。

 

『踏まれたすみれ』は千晶がFMラジオ放送のモーツァルト歌曲をエアチェックしようとしていた「すみれを埋めた」という声が入りこんだことから始まる事件。表題作『少女像は泣かなかった』は橋本家の近所に豪邸、牧田家の夫人が精神を病んでいて、夫人の部屋のブロンズの少女像の顔が毎朝濡れている、つまり夜中に泣いているという家政婦が語る怪談。車椅子散歩に出た千晶はその噂の牧田夫人から相談され、断れずに邸内で話している時、夫が妻を無視して家に入れているという不倫相手が弾くピアノが流れてきたり、いかにも高級住宅街のムードあふれる事件。妻が精神状態を理由に禁治産者にされて家に閉じこもりきりになったり、ホームズの『まだらのひも』のように

毒蛇やサソリに殺されるのを恐れて妻が部屋を冬でも冷房していたり……何だか全体にホームズもののオマージュというかパロディのようにも思えるお話でした。

 

これらの4編はすべて昭和63年(1988年)に別冊婦人公論で発表されたとのことです。まさにバブル期まっただ中であの頃の社会の流行、価値観が織り込まれ、今は終わった世界を描いているという点ではある種の時代?小説。中学までしか学校に通わず、就職も結婚もあきらめている(それでも生活に困らない)ヒロイン千晶はそういう軽薄な風潮に染まらない清らかな存在として描かれています。ストレートパーマのロングヘアに黒の皮スカート、医師夫人へのあこがれを口にして、無断で友人の名を借りる『ドクターブライダル』事件の被害者長田竹美はヒロインとは対照的な当時の「今時の娘」です。そのころの私はあまり「うかれ騒いでばかり」の記憶はないけれど、内田氏が女性に期待するような清純さ、ひたむきさは持たない娘の一人でした。さらに愚かなことには何等かの努力をすれば、千晶のような評価を得られるのではないかと思い、お茶や着物の着付けを習ったり、貯金をはたいて海外旅行に行ったりしていました。思い出すと頭を抱えてしまいます(笑)。

 

 

 

  

 

 

 

 

どたばた四十九日―ようかんにカッテージチーズ

母が亡くなってから多くの方からいたわりの言葉やお便りを戴きました。皆様、本当にありがとうございます。お陰様で四十九日法要が無事済みました。

 

葬儀の後、寺の住職から四十九日までは生きている人と同じようにと言われたので家飾りの写真の前に生前好んで食べていたレーズンバターロールやみかんやらを置いて、花もあげていました。正直、長く感じました。母の遺品を片付けて早く模様替えしたいなどと思っていたせいかしら? 仏教って面倒?(不信心者?)

 

四十九日には故人の好きなものをお供えに持ってくるようにといわれたのですが、レーズンバターロールを前に読経して頂くのはあまりに絵にならないので横浜かをりのレーズンサンドを用意しました。母が三途の川を渡りながら、「私、こんな高級なお菓子食べさせてもらったっけ?」とつぶやいていそうです。

 

弟と私が平日は仕事なので、日曜日に四十九日法要をしたのですが、その日、他にも法要が多かったようでお寺が大賑わい、まるで大安の日の結婚式場のようでした。

 

私どもは開始予定時刻の1時間前にお寺に行き、小さな座敷で待機していたのですが、お寺の都合で急に予定時刻より30分早く始めることになり、ばたばたと本堂へ入りました。なんだか慌ただしくてあまりおごそかな気分になれませんでした。

 

同じく用意してくるように言われたのが四十九日餅代3500円。この「四十九日餅」というものは初めて聞く言葉でした。私が生まれ育った地方にはない風習です。ネットで調べて大福のような小さな丸い餅がいくつかかと思っていたのですが、法要の後で渡された包みを開けてみたら直径20センチほどもある大きな餅がどーんと一つ。中にはあんも何も入っていません。刃物を使うと「仏様と縁を切ってしまうことになる」のでちぎって頂くようとのことですので、ちぎって鍋にいれ、大根からみ餅にして夕食代り。

 

 

四十九日を迎える前に友人から虎屋のすてきなようかんの詰め合わせが届きました。本当にありがたいです。

 

 

ちょうど賞味期限が迫った牛乳が多めにあったので、あたためて母用に買ってあった黒酢をまぜてカッテージチーズを作り、ようかんにのせてみました。不思議とおいしいです。味のないカッテージチーズがようかんの甘さにマッチします。糖分の摂取で不足するカルシウムもおぎなえますし。

 

 

 

「無事に」と書きましたが―細かい点まで完全に無事なのかどうかちょっとビミョウ。

父が母の戒名がシンプルすぎて不満だったり、その戒名の墓誌彫刻をネットで探した業者に頼んでしまったら「お寺が一括管理をしている業者に頼まないとダメ」と言われたり―石材店の自由競争はダメ? 

 

我が家の墓は3月までだと雪に埋もれるかもしれないところにあるので春以降、納骨なのですが、その日取りがなかなか決まりそうになかったり―もしかするとGW中?そうなると電車やホテルの確保が大変! お骨はまだ我が家の仏壇の上に置かれています。まだまだ落ち着きません。

 

 

皆川博子『花闇』(2016年12月河出文庫)

12月から1月にかけて左手の人差し指の爪の下の皮膚がかたくなり、あかぎれというのでしょうか、その部分の皮膚が切り傷のようになってなかなか治りませんでした。以前、知人で炎症のために指を切断しなければならなくなった人がいたので、まさか?そういう病気では…などと思っていた時、図書館の棚でこの本を見つけて読むことにしました。幕末から明治にかけて脱疽で手足を失いながら舞台に立ち続けた女形三世澤村田之助の物語。

 

旅人が豪雪の中で澤村田之助丈江という幟を見つけます。役者の市川三すじと名乗る金壺眼の男から舞台も花道も楽屋でも雪で作る芝居を打つのだと聞かされます。でもこの一座はニセモノ。なぜならこの旅人こそが三代目澤村田之助を見守り続けた男、市川三すじ

その人でした。

 

吉原で堕胎を請け負う女の子として生まれ、母がいなくなったために役者の道を選ばざるを得なかった三すじ。彼は澤村由次郎こと後の田之助が子供のうちから並外れた才能と魅力を持っているのに気づきます。やがて安政の大地震が起こり、火事と揺れで地獄のようになった街を「美しい」という男に三すじは出会います。彼は絵師、後に月岡芳年でした。芳年と三すじは互いに共通するものを感じ、小見世の割り部屋で女郎に振られたこの二人が語り合う場面もあります。これも卒論を書いていたころ、先生に芳年の浮世絵をたくさん見なさいと言われました。この小説を読んであらためて芳年の作品を見たくなりました。

 

地震の後、由次郎に付き添っていた若衆の釻次郎(かんじろう)が声を失います。由次郎が河原崎権十郎(後の九代目市川團十郎)に水銀を飲ませようとしたのを主人に罪を犯させないよう代わりに飲んで喉をつぶしたのではないかという疑惑。それをさぐるために

三すじは抱えられていた河原崎家から表面的に暇を出され、澤村家に入ります。この謎は結末で明かされます。

 

田之助を襲名した由次郎。「田之助髷、田之助衿、田之助紅、田之助下駄、何にでも田之助の名をつけさえすれば、女や娘が嬉しがる」という大人気。田之助のセリフを聴くと「からだのなかを快いさざなみが走りぬけるような感覚」になる三すじ。

 

 

田之助が四肢を失っていくきっかけになったと言われる舞台装置の事故による右足のけが。この小説では田之助の妻になれなかった女の怨みがからんでいます。右の足首から先が腐肉のような赤紫色にはれあがり、のたうちまわるほど激しい痛み、やがて足指が炭化したように黒くなるとは想像するだに恐ろしい病気。彼の病があるいはライ病かとも思われた時、女房のおさちは荷物をまとめて逃げてしまいます。しかし三すじはその病が自分にも感染し、一緒に腐爛していけたらうれしいと思うのです。

 

小説の中で月岡芳年が言います。

「澤村田之助が脚を切った。その年に、江戸幕府は

滅びたのだな」

大政奉還から彰義隊戦争、不穏な世相の中で華やかに咲き誇っていた花のような女形の体と心がむしばまれていく姿には、退廃的で猥雑だけれど美しく面白かった江戸の文化の変化と消滅が投影されているのかもしれません。

 

 

 

それにしても右足切断の後も左足、両手と進行していくとは、何か内科的な疾患もあったのでしょうね。酒色を好む人だったようで。

 

義足をつけたり、座ったままでできる役を選んだり、両脚がなくなっても舞台の仕掛けで立って動くかのように見せたり、またそうして演じられる台本を選んだり、工夫を重ねて田之助は芝居を続け、人気を保ちます。しかし「芝居は見世物とはちがう。高尚な芸なのだ」と主張する河原崎権之助は「ああいうのが舞台に立つから、芝居がいつまでも因果ものの同様に見られる」から困ると言います。この権之助こと後の九代目市川團十郎は小説の前半では河原崎家の跡取りとは信じがたいほど容姿も芸もぱっとしない少年で田之助に大根呼ばわりされています。

 

田之助を困り者と言う権之助に三すじは殺意をおぼえます。でも一方では手に症状が出始めたのにおびえる田之助をみてなぜか「ざまみろ」という言葉が浮かんだのに自分で驚きます。スターを見つめる、スターになれない者の複雑な心理。

 

 

左足も右手首も左手の指四本も失った田之助。そしてついには座元からの引退勧告。

一世一代のお別れ興行『国性爺姿写真絵』の後、後援者によって自分の小屋澤村座を

持つ田之助は大阪や京にも行きます。こういう状態の人が演じる舞台、もし私が私が同じ時代に生きていたらきっと「一度は観てみたい」と思ったのではないでしょうか? 何か体操やフィギュアスケートの難しい技を見るような、あるいは特撮を視るような?

そんな魅力があったのではないでしょうか? 

 

全盛の頃には誇り高かかった田之助が病気や人気の低迷のために「澤村田之助は贅六野郎の見世物か」と泣いたり、陰湿ないやがらせをしたり、心を腐らせていくのがつらい三すじ。京に来た尾上菊五郎に共演を断られ、「敗者を見下す勝者の冷たさ」に触れた田之助がついに狂い、自ら命を絶つ姿もただ見つめます。

 

 

 

不自由な体になっても彼は最期までスターでした。そして彼を愛する女と支える仲間がいました―というような美化をこの小説は一切していません。そういう甘さのないところがなぜか爽快で元気の出る読後感につながっています。何か偏りがあったり、いびつだったり、不運のためにぼろぼろになったりしてもいいのだと、それでも生き抜けば後の世に何かを遺せるのだと言ってもらったような気分になりました。

 

 

ちなみに私の指の症状は皮膚科へ行ったところ「手湿疹」とのことで塗り薬が出ました。

 

「怖い絵」で人間を読む 中野京子 NHK出版 2010年

母が亡くなってから初めて図書館で借りた本です。NHKで「怖い絵」についての番組が放送されてしばらくの間、この著者の本は図書館でも予約がたくさんで読めなかったのを棚で見つけて思わず手に取りました。

 

番組で視た中で今も憶えているのがベックリンの「死の島」。険しい岩と糸杉だけの島に棺を載せた小舟が接岸しようとしている光景。美術館でならともかく、あまり自分の部屋で毎日見たくはない絵だと思いますが、この絵は大ヒットし、「複製品や版画は飛ぶように売れ、ドイツの全ての家庭の壁に掛けられた」と言われたそうです。著者によればその理由の一つは19世紀になって恐ろしくて不潔な場所だった墓地が清潔になり、「この絵のような墓地」に埋められたいと願いを持つ人が多かったから。もともと亡夫の喪に服し、夢想する絵がほしいという未亡人から注文で描いたのだそうです。海の上の岩だらけの島なんてお参りするのがやたら大変そうな墓ですが(日本人的には)。

 

もう一つの理由が描かれた時代のヨーロッパの情勢が不穏で社会全体が戦争による「十把ひとからげ的な惨い死の予感に怯えていたから。同じ死でもこの絵には「尊厳ある個人の死の趣が感じられる]とのこと。2019年の今も不穏な情勢です。誰かが東洋版か日本版の「死の島」を描いたらいいかもしれません。

 

ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』や衝動殺人の現場の絵であるレーピンの『イワン雷帝とその息子』、多くの人が殺される姿を描くブリューゲルの『死の勝利』など一見して「怖い」絵ばかりでなく、ベラスケスの『ラス・メニーナス』やボッチチェリの『ヴィーナスの誕生』など美しい名画として親しまれている絵もこの本で取り上げられています。ボッチチェリの貝の上の裸体のヴィーナスは結核の疑いがあるのだそうで。

 

 

ハプスブルク家関係の展覧会がある時、必ずメディアに登場するヴィンター・ハルターの『エリザベート皇后』もまなざしにあてどなさがあり、スカートの右下あたりから不穏な影がさしています。著者がエリザベートと夫フランツ・ヨーゼフ2世の母ゾフィとの関係が日本的嫁姑合戦に矮小化されて語られる場合がほとんどなのが残念なのだそうです。特にルックスについてゾフィはエリザベートに嫉妬する必要がない美貌の持ち主で若い頃はあのナポレオンの忘れ形見ライヒシュタット公と噂があったとか。わずか21歳で結核で早世したライヒシュタット公の肖像画も載っています。これは初めて見た絵。

 

これは初めての祥月命日に母に備えたキッチンブーケです。よい香りのフリージアとピックに刺したキンカン。

 

もうすぐ四十九日、母は今頃『死の島』へ向かう舟の上で大好きなレーズンバターロールでもかじっているかしら? 喪中に読むのにいい本だったかもしれません(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はいちごの日

好きないちごのスイーツは?

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最近、あまり食べに行かないけれど、いちごのケーキなどの写真が
出ている洋菓子店やレストランなどのチラシをみるとついつい
見入ってしまいます。
 
正月休みに、母に食べさせるつもりで買っておいた袋入りの
イチゴクリームのロールケーキを食べたら美味しくて
癒されました。
 
もし母が年末年始に家に戻れたら、生のいちごも買ってやる
つもりでいました。食欲がおちていても食べやすそうだから。
 
お正月が終わって、ようやくいちごの価格が少し安くなったので
先日、母の遺影に供えました。母が生きていた12月はじめには
700円以上もして手が出せなかったのです。でも今、思うと
食べさせてやればよかったかしら?
 
2月に予定している四十九日法要には故人の好きだった果物や
菓子を用意するようお寺から言われています。
 
でもいちごのパックをお寺のご本尊の前において、
御経をあげてもらうのって何だか変? やはりみかんか
りんごに落ち着くのかしら。
 
四十九日が終わったら、さびしくなっている父をどこかのカフェに
連れて行っておいしいコーヒーといちごのケーキかパイを
食べさせてやったら元気になるでしょうか

三島由紀夫『宴のあと』 新潮文庫1969年

どこかの「ご自由にお持ち下さい」コーナーにあってもらって来た本です。なかなか読めないでいたのですが、昨年11月に母の病状が悪化してから図書館に行けなくなり、家にある本を読むしかなくなってやっと読み始めました。ずっと持ち歩いていたのでカバーがよれよれになってしまい、元旦の夜にNHKBSのウィーンフィルの演奏会を聴きながら読み終えました。2年がかり? その後、ブログに書こうと思いつつ、母の身の回りを片付けたり、区役所へ行ったりなどなどで落ち着かず、なかなか書けませんでした。

 

政財界の大物たちを得意客に持つ料亭雪後庵の女主人かづは五十代、それまで築き上げた財産と人脈によって老後は保証され、もう自分は色恋は卒業したと思っておりました。しかし雪後庵で催された元大使たちの宴会で元ドイツ大使の環久友が脳溢血で倒れたことを

きっかけに元外相野口雄賢と親しくなります。

 

野口は戦前、戦中には大臣を務めたほどの人物でありながら戦後は革新党―つまり野党の議員となり、しかもかづと知り合った時は落選中の日陰の身分。

 

野口の家のドイツ語を理解する中年の女中をかづが憎んだり、二人で歌舞伎鑑賞の時、ライターを落とした野口が平素の落ち着きをなくして狼狽したり―若くない男女が恋して結婚に至るまでの描写が細やかです。下記は野口の書斎で洋書のつまった本棚を見てかづが質問するシーン。

 

「これをみんなお読みになったんですか」

 「ああ、殆んど読んだ」

 「中には怪しげな御本もあるんでしょう」

 「そういうものは一冊もない」

 こんな断言で、かづはしんからおどろいた。知的なものが知的なものだけで成立っている世界は彼女の理解の外にあった。すべてに裏がある筈ではなかったか。かづに野口が絶えず新鮮な感銘を与えるのもこの人物だけには裏側がなくて、こちらに向けている面だけしかないように思われるかららしい。(第6章旅立ち迄より引用)

 

蔵書の多い人で「怪しげな本など持っていない」と言い切れる人はあまりいないのではないのでしょうか。野口は物語の後半で都知事選に出てもかづが極上の服を新調しようとするのをいやがり、「僕は野口雄賢という人間で選挙をやるのだ。洋服で選挙をやるのじゃない」と言います。かづが野口に恋したのは彼女がこれまで交流してきた男たちとはまるでちがうからなのです。

 

しかしこれは世間からは理解されません。かづと親しかった政治家の永山は「保守党のひいきで繁盛してきた雪後庵の女将が革新党の顧問の妻になるのはおかしい」「先行に見込みがない株と買うようなもの」と彼女にいいます。結婚発表の場では祝うような態度を見せた人々も陰口をきき、週刊誌に揶揄されます。

 

新潟に生まれて、両親を失くして、親戚の料理屋の養女になって、、最初の男と一緒に東京へ飛びだして、……それからさまざまの苦労のあげくに(第8章華燭より引用)

 

そんな人生を渡ってきたかづが野口との結婚で一番

うれしいのが「野口家の墓に入れる」こと。新婚旅行

から帰ると二人で野口家の墓へ。古い由緒と名門の誇

りを感じさせる墓の前で祈りながら、ここに眠ってい

る人々はみな「操守高く、何一つうしろ暗いことなし

に血統を伝えて来た」と想像するのです。彼女自身が

経験してきた「田舎の料理屋の猥雑な宴会」や「出奔する少女が

身をちぢめて乗り込む夜汽車」等とは無縁の人々だと。

 

私はかづのような女傑ではありませんが、中部地方の

裕福でない家に生まれ育って東京へ出てきたので、か

づの野口家の人々へのあこがれるような思いは理解で

きる気がします。自分の両親や祖父母とは次元のちが

う優雅さ、教養の深さをもつ高貴な家の歴史に自分も

 取り込まれるとしたらどんなに胸躍ることでしょう。高貴な家に

も苦労はあるとわかってはいるのですが。

 

 野口は都知事選挙に立候補。かづは妻として夫の当選のために奔走します。アンパンを大量に買って孤児院に寄付したり、民謡大会で歌ったり。野口の写真のカレンダーを作り、野口を怒らせるくだりでは思わず笑ってしまいました。

 

かづは選挙のため、雪後庵も売る決心をし、のろけと言われても臆せず

応援演説もします。しかし選挙の結果は敗北。野口は政界を引退して

「恩給だけでじじばばの暮らしをしよう」と言います。家屋敷、家財を売り払って小金井の貸家で暮らし始めた二人。

 

しかしかづは雪後庵再開のため、敵だった保守党政治家の力をかりて

動きます。かづは保守党の金のせいで自分たちは選挙に負けて雪後庵を

失ったのだから、保守党の金で償いをさせるのだと考えますが、野口にとってはそれは妻の不貞。彼らは離婚します。

 

 

 

 理想家肌の政治家と料亭の女将との出会い、恋、結婚と離婚の物語。発表された時はモデルとなった人物が著者を訴え、プライヴァシーの保護か表現の自由かで争われたのだそうです。その事件については知らないまま読みましたが、ヒロイン福沢かづの心理、言動を通して政治や社会の実態も捉えたすぐれた小説でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急な別れ

年末年始は家で看るつもりで介護ベッドをレンタルし、ケアマネさんや訪問看護師さん、ソーシャルワーカーの方と打ち合わせた日の夜、母はあっけなく永眠してしまいました。

 

2日ほど前、弟が行った時「ため息のような息をしていた」と言っていたし、当日昼間も転院をした時よりぐったりしていて、あまりしゃべりませんでした。それでも夕食をほんの少し食べさせた後、母の手を握っていたら眼をあけて私を見ていました。眼で何かを訴えたかったのかしら? 

 

午後7時すぎ、気持ちよさそうな寝息をたてて眠りはじめたので私は家に帰りました。その途中、買い物をしている時、携帯が鳴りました。病院の看護師さんから母が呼吸をしていないようだと。

 

父と弟の勤め先に連絡しました。夜おそくてバスが少なく、駅でタクシーもつかまらなかったらしく、弟が病院に着くまで妙に時間がかかりました。医師による死亡の確認は家族がそろってからという決まりだそうで。8時すぎには息を引き取っていたのですが診断書に書かれた時間は深夜。

 

看護師さんが母の体をきれいにして退院に着る予定だった服を着せて、髪を整え、化粧もしてくれました。葬儀をお願いしていた寺に連絡すると、葬儀屋さんを呼んでくれ、母はその夜のうちに寺に運ばれたのです。私は悲しいというより「これから大変だな」と

いう思いでした。

 

 

母の兄弟姉妹や古い友人は皆、遠方に住んでいる上に高齢者ばかり。それに私共にはあまりお金がないので1日だけの家族葬を予定していたのですが、火葬場の予約が取れず、葬儀は数日後になるというので通夜も行いました。通夜の日の午前中、レンタル業者の

おととい入れてもらったばかりの介護ベッドの回収に来ました。その時車椅子も返却。母と音楽鑑賞やばら展に行き、晴れた日には散歩に行った思い出深い車椅子。病室に飾ってやったクリスマスの飾りをつけて「ありがとう」と言いました。

 

父の友人(故人)が住職をしていた寺で、家族三人だけが見送る葬儀。高級なカトレアの入った供花を贈っていただいて感激でした。

 

葬儀の数日後、福祉関係の方からデルフィニウムやスイトピー、ストックの素敵な花束も頂きました。

 

母が入院する前には1つ、2つしか咲いていなかった近所の公園のサザンカ。開きかけのサザンカはちょっとバラのようにも見えます。

写真は見せたけど、できれば母に実物を眺めさせてやりたかったと思います。

 

もう長くないのは覚悟してはいましたが、いわゆる「中治り」の状態で年末年始をいっしょに過ごせるのではないかと思っておりました。散歩にも連れていきたかった、いつも通る道に面したお宅の前にある

乙女椿の花も見せてやれたらよかったのに。

 

でもきっとこれからは車椅子を押していなくても―

花を見る時、音楽を聴く時、いつも母と一緒なのでしょう。

 

天気のいい日に散歩に出ると太陽に向かって手を振って「お日様ありがとう」と子供のようにはしゃいで

いた母。

 

母が生前私に言った「楽しんで生きるのが大事」という言葉をかみしめています。息をひきとる前の母の瞳を思いだしながら。