夏の旅 第2弾? 村山槐多展、城熱演武
清水屋旅館で久しぶりに和室に布団でぐっすり眠った翌朝、ボリュームたっぷりの朝食を頂きました。コーヒーの用意もあってラッキー。純和風で日本人以外の
人にも人気があるようで、廊下で金髪の欧米人と思われる女性のパックパッカーに挨拶しました。
マッサージチュアのあるスペースに謙信と信玄の一騎打ちの像のミニチュアがありました。よくみると信玄がとってもいやそうな顔をしています。何だかコントが書けそうです(笑)。
善光寺前八時過ぎのバスで長野駅へ。しなの鉄道で上田へ向かいます。上田駅の温泉口からサントミューゼへ歩きます。今回、遠路でも施餓鬼へ行こうと
決めたのはついでに『没後100年村山槐多展』を見ようと思ったからです。NHK教育の『日曜美術館』で開催されることを知りました。
うまく言葉に出来ないのですが人物も草花も木も建物も山も、どの絵にもじっと見入らせてしまうパワーがありました。
2016年末まで明大前にあったキッドアイラックホールの地下にこの画家の名をつけた『ブックカフェ槐多』がありました。たった22年しか生きなかったのに彼の名のカフェができるなんてきっとすごい画家なのだろうなと思っていました。確かに天才ですね。作品を生で見てよかったと思います。村山の書いた詩や小説もじっくり読んでみたいと思います。そういえばあの明大前のブックフェアにあった本も魅力的で図書館で同じ本を探してみようと、本棚の写真を撮らせてもらいましたが、まだ実行していない私。涼しくなったら図書館に行こうっと。
信州の旅の最後は今回も上田城址。ちょうど月に一度のおもてなし武将隊の演武の日でした。今まで何度も武将隊の方々にはお目にかかっているのですが勢揃い
しているのを観るのは初めてです。
演武の前に太鼓の演奏がありました。母が和太鼓の演奏が好きだったことを思いだしました。私の心の中にいる母が太鼓を聴きたがっていたのかも。
毎年、夏は墓が草ぼうぼうで蛇も出て近づけないので信州に来ることはないのですが、今年は母の新盆なので来ることに。もしかして城熱演武は母が観せてくれたのかも? おもてなし武将隊の幸村様にそう申し上げたら「母上の墓前にそなえよ」とおっしゃって名刺を下さいました。
演武の中で午前に行ったサントミューゼで開催されていたアニメの『ミライの未来』展の宣伝がありました。実はサントミューゼがあまりに大きくて入った時、あまりに大きな建物で『槐多展』のチケット売り場や入口がわかりにくく、『ミライの未来』展のチケット
を売っていた方に尋ねてしまいました。ふと上田城址の武将隊のように着物を着た「おもてなし村山槐多」がいて会場を案内してくれたらよかったのにと思いました。そう
展覧会のポスターにもなっている『紙風船をかぶれる自画像』と同じいでたちの。
私が村山の作品を見たいと思ったのも紙風船を頭にかぶった自分を描いて楽しむようなセンスの持ち主だと知ったから。
彼は初恋の美少年に捧げた詩の中で「僕は藝術をやるのです。二、三年のうちにはきつと僕の作つた芝居が劇場で演ぜられましやう」と言っています。だから結構芝居気があって…ひょっとしたら、武将隊の募集があれば応募してしまうような若者だったのではないでしょうか?
夏の旅、第2弾?新盆法要、善光寺の蓮
お盆休み、母の新盆のため、菩提寺のある信州へ行きました。本来ならば喪主である父を連れていくべきなのでしょうが、この暑さでは無理なので私一人。それに
特別に私どものために法要をしていただくのではなく、
寺の施餓鬼供養とあわせてのことです。
早朝、バスで長野駅へつきました。まだ涼しかったので
スーツケースをごろごろ押しながら宿泊予定の宿へ。
途中善光寺の宿坊の門の前と駐車場のところで
鉢植えの蓮を見ました。池に生えているのとは
ちがって近くでしっかり眺められてうれしいですね。
少し盛りを過ぎていましたが今年は関東では蓮を
見ていなかったのでラッキー。
法要が終わった後、地元の友人と落ちあってランチ。
八幡原古戦場の公園にある店でソフトクリームを
頂きました。
善光寺近くの清水屋旅館にチェックイン。純和風の
旅館です。畳敷きでチャボ台。夕飯用に買ったおやき
を食べながらサザエさんを視ます。
部屋にはこんなに可愛い姫鏡台がありました。
寝ました。
村上の旅 その3
3日め午前、三面川を散策し、サーモンパーク、イヨボヤ会館を見学。写真が暗くて申し訳ございませんが村上が鮭のまちとして栄える基礎を築いた青砥武平治の銅像。
青砥武平治はサケが生まれた川に帰って来る回帰性に世界で最初に着目した人物とのことです。サケが安心して産卵できる場所を作り、多くの稚魚を海へ送り出せば大きくなってたくさん帰って来ると着想し、三面川に「種川」と呼ばれる人工的な分流を作ってサケを囲い込んで保護して産卵させる自然保護増殖を成功させたとのこと。
村上はサケによって得られた富を教育に注ぎ、多くの立派な人物を輩出させたのだそうです。そういう人のことを「鮭の子」と呼ぶのだとか。
人も魚も同じ。稚魚=幼い者を大切に育てて広い世界に送り出す、そういう心が大切ですね。何だか最近、日本は稚魚が育つのが待てない国になっていませんか。
イヨボヤ会館で山葡萄羊羹と鮭味噌を買いました。山葡萄羊羹はとても趣のある甘さでした。2日めに瀬波温泉の虎屋で買った村上の牛しぐれも美味でした。
もっとたくさん買ってくればよかった(笑)。
村上ではお茶屋さんにも立ち寄りました。友人が
新茶を一袋と帰りの旅で飲むようにペットボトルを
プレゼントしてくれました。
海、山、川に温泉がそろっていて、出会う人も皆教養があり、村上は魅力にあふれた街でした。ちがう
季節にまた訪れたいと思います。
村上の旅 その2 瀬波温泉、河口の夕陽
二日めは海岸散策と瀬波温泉。
午前に瀬波温泉の源泉のある噴湯公園へ。トクン、トクンと湯が地下から上がってくる音を聞くと元気がわいてきました。土産物店で入手した卵をゆでるよう仕掛けて長い石段を登り、伊夜日子神社へお参り。ベンチのそばで一輪だけヤマユリが咲いていました。まだ時期が早く、他はつぼみばかりでした。満開に
なったらさぞかしきれいでしょう。
この神社からの温泉街の眺めも素敵です。海を眺めながら、源泉でゆでた卵を食べました。
中華料理店でのランチの後、海岸へ。
日本海側の海水浴場へ来るのは小学生の時(70年代以来)です。曇り空でしたが水平線に向かって思い切り深呼吸。気持ちが晴れました。
7月半ばでまだ梅雨が明けておらず、水着になって泳ぐにはちょっと寒い感じでしたがはだしになって波をジャブジャブたわむれます。
この海岸には「恋人の聖地」のモニュメントがあります。今年の3月、エリック・ロメールの『緑の光線』という映画についてブログを書きました。この映画の
最後、夕暮れの水平線に現れるてくる緑の光線(グリーンフラッシュ)がこの海岸でも見られることがあるそうです。
シャワーで足を洗って温泉街を散策。これはホテル汐美荘の入口にあるまんじゅう岩。瀬波温泉掘削の途中で出てきた巨岩だそうです。
明治37年に石油掘削の途中で発見されたという瀬波温泉。近代になってから開発されたせいか、最初から大きな資本によって計画的に設計されている感じがします。春に訪れた別所温泉など古代からある温泉場とちがって大きくてきれいなホテルが多いのです。
ホテル大観荘せなみの湯で日帰り温泉。とても豪華なお風呂でした。
これは大観荘の広いロビーにあった大きな凧。地域的に謙信とそのライバルの信玄の凧があるのはわかるけど、三人目は石川五右衛門なのはなぜでしょう。
この日は残念ながら緑の光線は出ませんでしたが
友人の知人の酒屋のご主人の案内で河口に沈む夕日を見ました。
村上の旅―その1 村上城址
8月は母の新盆やら仕事の棚卸やらいろいろあってブログを書く気力がありませんでした。でもこの夏には旅やら観劇やらすてきなこともあったのです。
7月中旬、2泊3日で新潟県村上市へ行きました。友人夫妻が招いてくれたのです。
早朝、バスで新潟駅へ着き、JRで村上へ。友人宅に荷物をおいて早速、村上の街を案内してもらいます。これはJRの『大人の休日』のポスターで
吉永小百合が立っていた井筒屋です。私も小百合風写真を撮ってもらいました。
これは友人にごちそうしてもらった割烹能登新のランチ。きれいなオードブルに村上牛も出ました。


ランチの後、村上城址へ登ります。上杉謙信に仕えながらも独立性が強く、謀反も起こした本庄氏の城です。
途中、面白い形の実を見つけました。ウラシマソウかなと思ったのですが後で調べたら茎の模様からマムシグサのようです。
頂上の花壇では花盛りのカンゾウに美しいアゲハチョウが舞っていました。キイチゴと思われる可愛い草の実もありました。
そして素晴らしい眺め! 何よりも魅力的なのは河口が見られること。
川端康成『十六歳の日記』
選挙の日、投票所に行く途中、去年の夏は母と眺めていたムクゲやアカツメクサが咲いているのに気がつきました。
庭のある家に住んでいた頃、母が育てたこともあるムラサキシキブも小さな花をつけています。
「実以は私がいないと全然お花を見ないの?
だめだねえ」母にそう言われているような気がします。
先日レビューを書いた『伊豆の踊子』と同じ本に載っていた『十六歳の日記』の冒頭、中学生の主人公が尿瓶を使っての祖父の下の世話をするくだり、母の介護を思い出しました。うちも差し込み便器買ったけどほとんど使わなかったなと。
この75歳の祖父はうちの母とちがって食欲は衰えてないようです。寿司もおむすびももりもりどころか、夕飯をちゃんと食べているのに夜の十時頃に「ご膳食べさしてんか」とべてない」と言い出したり。でも30日間も便通なし。近所のお稲荷さんで占ったところ「腹の中に毛物(獣)がいて食べているから」とのこと。祖父のために女中と共に大まじめで抜き身の刀を振るう少年。
祖父は易学や家相学で「ちょっと有名」、『構宅安危論』という著作をまとめ、調合した薬が病院の薬よりよく効くともいわれた人。北条泰時から続く家系を誇り、でもその誇り高さの故か薬の販売やら茶の栽培、著書の出版などさまざまなことを試みますがうまく行かず、財産は減るばかり。それでも「眼さえ見えて東京へいって大隈重信に会いさえすれば」全ての問題が解決すると少年に語るのです。
十六歳の少年の日記は祖父の頭がどうなっているのか?とあきれたところで終わりますが二十七歳になった主人公によるあとがきでは亡くなる間際になってずっと嫌がっていた西洋医学の医者を呼んだことが語られます。
少年の日記に描き出される祖父の人物像―その地方では知識人として敬意を払われて
いるけれどビジネス感覚はあまりない人。でもそういう人だからこそ両親を早く亡くした
孫には惜しみない愛を注いだのかもしれません。この作品も「おぼろげながら死者の叡智を慈愛とを信じていたから」という言葉で終わります。
私の母は無学でこの祖父のような著作はありません。
俳句は作ってましたが家にはもともと財産がないし、
家系に誇りもないし。
でも母のことを考えながら読んだ川端作品でした。
川端康成『伊豆の踊子』(集英社文庫1977)
BSで川端康成と三島由紀夫の晩年についての番組を視て読みたくなり、図書館で借りてみました。妙に扇情的?な表紙でカバーをかけないと電車の中で読めなかったです。(笑)
日本初のノーベル賞作家の初期の代表作、著名なる女優や歌手の主演で映画化され、この地方に走る電車の名前にまでなっている『伊豆の踊子』。私も中学か高校の時に一度ぐらいは読んだような気もするのですが確かな記憶がなくて。
十七歳ぐらいに見える旅芸人一座の踊子が気になる二十歳の学生。中風をわずらう
爺さんのいる茶店で一緒に雨宿り。茶店の婆さんは旅芸人の女に「この間連れてきた子がもうこんなに綺麗に」と愛想をいいながら彼らが出ていった後、学生に「あんな者、どこで泊まるやら分るものですか」とさげすんだ様子。
はなはだしい軽蔑を含んだ婆さんの言葉が、それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ、と思ったほど私を煽り立てた。(本文より引用)
でも次の宿で踊子が彼にお茶を出す時にヘマをして芸人の「四十女」の「この子は色気づいたんだよ」という言葉に「峠のばあさんに煽り立てられた空想がぽきんと折れるのを感じたり」。次の宿で酒宴で踊子が打つ太鼓の音を神経を尖らせて聴き、その音がやんだ後
踊子の身に何かが起きているのではないかとやきもきしたり。このあたり茶店の爺さん婆さん、芸人一座の人々の人間像と学生の踊子への思いの描写が鮮やか。
翌朝、一行の男といっしょに話している時、共同湯の方から何も着ないで駆け出して手を振る踊子を見て最初に思ったよりも「子供なんだ」とと朗らかな喜びを感じる学生。踊子の実年齢は14歳であることが後にわかりますが、14歳で素っ裸で駆け出せるか
今の感覚だとちょっと不思議。とにかくこのくだりは映画化の時、主演のアイドルの肌が見られる名シーンになるようです。
学生と話す男=栄吉は一番上の娘千代子の夫で四十女は千代子の母、そしてヒロインの踊子は栄吉の妹で薫という名。彼らは伊豆大島に長くいるがもとは甲府の出。栄吉は「身をあやまって落ちぶれた」が兄が甲府で家をたてていること、千代子は生んだ赤ん坊が死んでまだ四十九日にならないことなど彼らの複雑な事情が物語が進むにつれて語られていきます。四十女=おふくろは汚れを知らない踊子にまちがいが起きないように目を光らせていて結末でも他二人の娘が同行しないために学生と活動を観に行くことをゆるしてもらえません。
読んでいてちょっとひっかかったのは著者が踊子の名が薫と判明した後も名前ではなく、「踊子」と書き続けていること。正直、女性側から見るといくらかイライラするのです。
学生の踊子への思いは清らかですがすがしいものではあっても、結局はゆきずりの、はかない興味に過ぎないのでしょう。
尋常2年までしか学校に通えず、兄に伴われて伊豆大島に渡った踊子。主人公に私生活のことを聞かれると小学校時代のことを話す―つまり今のことは話したくない、あまり幸せを感じていないと思われます。そんな身の上の少女「薫」を主人公は一人の人間として受け入れることはないのでしょう。学生は栄吉のように旅芸人の娘を妻にしたりはしないのでしょう。
「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった」という結びの言葉。後に何も残らないからこそ青春の恋は色あせない宝物になるのかもしれません。個人的はあまりそういう「宝物」はありませんが(笑)。
七夕のお願いごとは何? さくらんぼに込めて?
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手元にある薬膳の本によればさくらんぼは湿気の多い季節の関節痛を
和らげてくれるとのことです。なので週2回程度は足腰の痛みを訴える
父に食べさせています。自分も食べたいからでもありますが。
父にさくらんぼを食べた結果どうかと尋ねても、首をかしげておりますが(笑)。
さくらんぼといえば思い出すのが太宰治。まあ太宰のようにとは行かなくても
何か創作したいな、その力がほしいなというのも七夕の願いの一つです。
今日は七夕の日 もっと書けるように。
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あまり上手でない歌を歌った立食パーティ。農園のお土産は
ハーブ。
ディルは生ハーブティにして早速味わいました。紫の花―コモンマロウは
一週間ほど乾燥させた後、お湯を注いでみたらこんなに美しい青に。
ハチミツを入れると色が変化。
ハーブのパックを頂いた時、「何だか子供の頃、家の近くに咲いていた
ゼニアオイかな?でもゼニアオイってほとんど雑草だったから
ゼニアオイにしてはきれいだな?」などと思い、農園の方に尋ねました。
ゼニアオイで正解なのですが、このように商品化できるような
おしゃれなものはコモンマロウと呼ぶべきようで。
ローズマリーとローレルは乾燥させて利用することにしました。
この催しに誘ってくれた友人はパーティで『椿姫』の『そは彼の人か』を
歌い、参加者を魅了していました。私よりずっと若いのですが、幼少時からピアノを習っている上に声楽学習歴20年以上―これから彼女みたいになろうっていうのは無理だとは思うのですが、私なりによい声を出して、楽譜も
理解して、今よりはちゃんと歌える人、自分の歌いたい歌の心を聴く人に
伝えられる人になりたい―それが七夕の願いの一つです。




































