内田康夫 『少女像は泣かなかった』角川文庫 1999年―バブル期の風俗ミステリー?
父の本棚にあった本。フランス人形のような美貌の車椅子の娘橋本千晶と彼女を亡くした娘の代わりのように見守る刑事河内の探偵コンビの4編の事件簿。
『越天楽がきこえる』は箱根の駒ヶ岳山上の神社を訪れた千晶と河内が急病で絶命した中年男性を発見する話。消えた連れの女がいたことから警察は不倫旅行をしていたのではないかと推測しますが、亡くなった男の娘山口響子はそれを信じません。父の名誉のため、その女を捜し出して真相をつきとめると主張します。それを聞いた河内は「立派な娘だ」と思います。
そういうひたむきさや純粋さを持った娘が、
うかれ 騒いでばかりいるような、いまどきの
若い娘たちの中に、ちゃんと存在していた
ことが、なんとも嬉しかった。
(『越天楽がきこえる』より引用)
作中にこういう著者自身の考え、あるいは好みのようなものが小説の中にわかりやすく現れるところが、私としては少し読みづらいのですね。
千晶は子供の頃から下半身不随で母も不在、父は河内と出会うきっかけになった事件で殺されています。しかし経済的には裕福で、渋谷の高級住宅街で忠実な家政婦にかしずかれて暮らしています。その千晶の元に医者と結婚したい女性の望みをかなえると称する会社『ドクターブライダル』からパンフレットが送られてきます。それは千晶の中学のクラスメート長田竹美が千晶の名前と住所を借りて請求したものでした。
竹美は「医者は世の中から尊敬され、お金が儲かるから結婚したい」というのですが、その後行方不明になります。
捜査のためドクターブライダルの事務所を訪れた河内は審査の上、良家の娘と判断された女性しか入会資格がないと言われ、内心「医者がそんなに偉いのか」と反発をおぼえます。竹美が千晶の名前で登録していることを知ると「橋本千晶さんはもっと美人です。いや、ただの美人ではない。清純そのもののような、天使のような美しい娘さんですよ」と言います。こういう親バカ風のセリフを登場人物に語らせてしまうところも私には読みにくいです。
私も自分が医者になりたがるのならともかく、医者と結婚したがるというのは理解できません。すべての医者が尊敬される人物とも限りませんし、配偶者に優雅で安穏な暮らしを約束するわけでもありませんから。もしも相手が山村や離島での医療活動、またはシュバイツァーのように遠い外国で医療奉仕をすると決めたら、その高い志を支える覚悟が必要です。
ただ現実にこれに似た組織はあるようで、以前、医学書の通信販売の仕事をしていた時、勤め先に「医師と女性との交流パーティー」の案内ファックスが流れてきたことがあります。男性は入場の際に医師免許を提示が要るとのことでした。笑ってしまいましたが医師の恋人にはなれなくても、一度医師やその卵と言われる人たちといろいろお話してみたい気もしなくはありませんでした。自分のまわりにはいない人たちなので。
『踏まれたすみれ』は千晶がFMラジオ放送のモーツァルト歌曲をエアチェックしようとしていた「すみれを埋めた」という声が入りこんだことから始まる事件。表題作『少女像は泣かなかった』は橋本家の近所に豪邸、牧田家の夫人が精神を病んでいて、夫人の部屋のブロンズの少女像の顔が毎朝濡れている、つまり夜中に泣いているという家政婦が語る怪談。車椅子散歩に出た千晶はその噂の牧田夫人から相談され、断れずに邸内で話している時、夫が妻を無視して家に入れているという不倫相手が弾くピアノが流れてきたり、いかにも高級住宅街のムードあふれる事件。妻が精神状態を理由に禁治産者にされて家に閉じこもりきりになったり、ホームズの『まだらのひも』のように
毒蛇やサソリに殺されるのを恐れて妻が部屋を冬でも冷房していたり……何だか全体にホームズもののオマージュというかパロディのようにも思えるお話でした。
これらの4編はすべて昭和63年(1988年)に別冊婦人公論で発表されたとのことです。まさにバブル期まっただ中であの頃の社会の流行、価値観が織り込まれ、今は終わった世界を描いているという点ではある種の時代?小説。中学までしか学校に通わず、就職も結婚もあきらめている(それでも生活に困らない)ヒロイン千晶はそういう軽薄な風潮に染まらない清らかな存在として描かれています。ストレートパーマのロングヘアに黒の皮スカート、医師夫人へのあこがれを口にして、無断で友人の名を借りる『ドクターブライダル』事件の被害者長田竹美はヒロインとは対照的な当時の「今時の娘」です。そのころの私はあまり「うかれ騒いでばかり」の記憶はないけれど、内田氏が女性に期待するような清純さ、ひたむきさは持たない娘の一人でした。さらに愚かなことには何等かの努力をすれば、千晶のような評価を得られるのではないかと思い、お茶や着物の着付けを習ったり、貯金をはたいて海外旅行に行ったりしていました。思い出すと頭を抱えてしまいます(笑)。
