2017年の読書より―深沢七郎『笛吹川』 | 実以のブログ

2017年の読書より―深沢七郎『笛吹川』

読書についてのブログをもっと書きたいのですがなかなか思うようにできません。

2017年もたくさん本を読みました。映像を見るのは場所も限られるし、疲れるので通勤電車の中で立ちながらも楽しめる読書は私にとって一番手軽な娯楽と言えます。

 

昨年読んだ本でいちばん心に印象的だったのが深沢七郎著『笛吹川』。「生まれては殺される、その無慈悲な反復」という裏表紙の言葉にひかれて図書館で借り、読んだ後買いました。

 

 

笛吹川の土手の下から四本の丸太でささえた「ギッチョン籠」と呼ばれる小さな家に住む一家の物語。お屋形様こと武田信虎に後に信玄と呼ばれることになる男児が生まれ、その後産つまり胎盤を決められた場所に埋める役目を仰せつかった主人公一家。ところが長老のおじいは穴を掘る時にあやまって自分の脚を傷つけて出血。おめでたいものを血で汚した罪で夜中に呼び出されて斬られます。冒頭から残酷で圧倒されました。でももっと驚くのはこの一家がおじいの死を嘆いたり、信虎を恨んだりする様子もなく、淡々としていること。

 

おじいの娘ミツは子供を連れて勝手に嫁ぎ先から出戻ってしまいます。おじいの孫の半蔵がいくさで手柄をたてたので、もっとよいところへ嫁げるはずだと。半蔵の父で婿の半平はいくさに怖さを感じていますが、ミツはその野心の通り、甲府一番の絹商人山口屋の後妻におさまります。「お屋形様がいくさに勝てば勝つほど納める絹織物も多くなる」―武田家が隆盛に向かう時代。

 

ミツがおいて嫁いだ定平はギッチョン籠の主となります。定平の嫁おけいはなかなか子供が恵まれません。悪い噂をたてられ、「ボコ」(子供)がほしいといったりほしくないといったり、精神的に不安定になりつつも三十五で初めて妊娠。息子三人、娘一人を生み育てます。

 

おけいはときどき、「ボコなんてものは、でかくなれば手前勝手のことしかしないもんでごいす」と、云ってみたり、「この家のことを思っていくさに行きたがるのでごいす」と行ってみたり、「いくさにいけば殺しにやると同じでごいす」と、云ってみたり、「いくさにでも行かなきゃ、一生オヤテット(雇人)でごいす」と云ったりしていた。(本文より引用)

 

戦争など世の中の動きに対する庶民の意識の複雑さがおけいを通じて描かれている部分ですね。

定平の長男惣蔵は戦さに行き、長篠の合戦で夫を亡くした女をめとり、土屋惣蔵という名を与えられて甲府に屋敷を持ちます。娘のウメも御台所の侍女に取り立てられ、美しい着物をまとって御姫様のようになります。ギッチョン籠一家にはお大尽になるチャンスが

与えられたかのように見えますが、それは領主の武田家が衰退していくこと、つまり世界そのものが崩壊しつつあるからでした。

 

登場人物の名前と親子関係などが時々ごちゃごちゃに

なってしまったので系図を書きながら読みました。

 

最初の嫁ぎ先での子をギッチョン籠に残して絹商人に嫁ぐ野心家の女ミツは信虎と同い年、ミツの子定平は信玄と同じ日に生まれたことになっています。甲斐武田家つまり治める側の人間と同じ年齢のギッチョン籠の人間、つまり治められる側の人生を描く、とても巧みな物語世界の構築だと思います。大河ドラマの主人公になる人々に振り回される主人公になれそうもない人々の姿。とりわけ物語の後半、落ちて行く勝頼たちに従うギッチョン籠の人々が「先祖代々お屋形様のおかげになったから見捨てるわけにいかない」という心理に陥っている姿が衝撃的です。おじいを手討ちにし、定平の母ミツの嫁ぎ先を襲撃して殺した支配者なのに―誰かか何かのためには大きな犠牲もいとわないという気分になった時はちょっと注意した方がいいですね。

 

自分は結局大河ドラマの主人公みたいな人生は無理だったなあと痛感するこのごろ、この本に出会えたことはラッキーでした。と申しましてもいっても大河ドラマみたいな人生にしようとあまり努力したことはないのですが(笑)。深沢七郎の他の作品も読んでいきたいです。また『笛吹川』は木下恵介が映画化しているとのことですのでそれも鑑賞したいと思います。