ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第71章 あべさだの巻

~六花ましろさんに捧げる~

 

 

 ちんぽ三兄弟が大騒ぎしている。

 今度、劇場に‘あべさだ’と名乗る踊り子が登場するらしい。

「ひぇー! あの有名な阿部定かぁ~」と叫んで、三人は股間を抑えた。

「いくらなんでもイチモツをチョン切ったりしないだろうな!?」

「でもオレたちのちんぽ頭は目立つだろうからなぁー!」

 

 あべさだの出演が決まった。

 もちろん、阿部定は伝説の人なので本人ではない。本人ならば幽霊である(笑)。

 阿部定事件があった当時、阿部定は31歳であった。スクープになった彼女の写真を見てびっくりした。めちゃくちゃ綺麗な女性である。本当に踊り子にしたいくらい。

 事件があった1936(昭和11)年は大変な年だった。「昭和11年の三大事件」が帝都・東京を大パニックに陥れた。2月6日に発生した「二・二六事件」、7月25日に発生した上野動物園クロヒョウ脱走事件」、そして5月18日に発生した「阿部定事件」である。

新聞を読んだ東京の男たちは「陰茎を切り取る」というセンセーショナルな事件および犯人として名前と写真が掲載された阿部定の美しい写真に衝撃を受け、「男の陰茎を持った美人が逃走中」「待合で発生した怪奇殺人」と大騒ぎになり「阿部定」はわずか一夜にして有名人となった。

阿部定事件は、令和の現在に至るまで「伝説的な毒婦」「戦前を代表する猟奇事件」といったキャッチと共に数多くの書籍が出版されてきた。

また、阿部定による陰茎切断事件だが、当然ながらこの手の事件は阿部定以外にも犯した女性は多い。『19人の阿部定』(著:桑原稲敏、現代書林刊)という書籍によると、阿部定事件以降、1980(昭和55)年までに陰茎の切断事件は29件発生しているという記録があり、表沙汰になっていない事件も含めれば、恐らく100件近くに昇るのではないだろうか。

今回、出演するという‘あべさだ’はそうした女性の一人か。はたまた単なる有名人の名を借りた人気とりか。

 

 いよいよ、‘あべさだ’のステージが始まった。かなりの美人である。

 最初は「ハイカラさんが通る」風の明るい出だしだったが、次第に意味深な曲が流れ、最後は例のイチモツ(の模型)を取り出し、迫真の天狗ベッドショーが始まる。

 ちんぽ三兄弟はあたまを抱えてステージを観ていた。それを見ていたまんこ三姉妹が「それだと、まさしく‘頭隠して尻隠さず’だわね!」と言って笑っていた。

「いや、下腹部の防御は完璧だ。オレは鉄のパンツを履いてきた。」

「オレもしっかり貞操帯をはめてきたぞ!」

 

 ここで阿部定事件の内容を話しておこう。

事件当日5月18日の午後3時ごろ、東京都荒川区の待合(男性が芸者と飲食や性交などを行う場所)で男性の死体が発見された。死んでいたのは、中野区で料理店を営む石田吉蔵(きちぞう・42歳)。

彼は紐のようなもので首を絞められていたほか、鋭い刃物で体を傷つけられていた。

死体の下に敷かれた敷布(シーツ)には吉蔵の血で書かれたと思われる「定吉二人キリ」という文字、左腕には「定」という刃物で刻まれた傷跡があった。

そして何よりこの事件を特徴づけていたのは、吉蔵の遺体の陰茎や陰嚢が奇麗にスッパリと切り取られていたことだった。

警察の到着後、犯人は待合の責任者の証言および残された「定」の文字から、この店で働く女中の阿部定(さだ・31歳)であることを突き止めた。

 

「ところで、阿部定はなんで男のイチモツを切り取ったんだ?」

阿部定はすでに結婚している石田吉蔵と不倫関係になり「彼(吉蔵)のすべてが欲しかった」「彼を殺せば誰にも触れられず自分のものになると思った」と話し、陰茎を切断した理由については「いつも彼と一緒にいるために持っておきたかった」と供述している。

阿部定は独占欲が強かったんだね。男を想う情念、それが嫉妬心に変わる。こんな美人に、これだけ想われたやつも男冥利に尽きるよな。」

「阿部定はイチモツが欲しくて男を殺したわけではない。お互いSEXの高まりを求めて、首を絞めるプレイをやっていたらしい。首を絞めると、女の性器はキュッと締まり、また男の性器もググーッと硬くなるらしい。そのプレイの行き過ぎで、無意識のうちに殺してしまったというのが真相らしい。」

「ストリップにはSEXが伴わないから、ちんぽを切断するという話にはならないわけだ。あー、やっぱり見るだけのストリップでよかったわぁ~」と、ちんぼ三兄弟は肩をなでおろす。

「考えてみたら、ストリップという世界は『相手をオレだけのものにする』という一般の恋愛感情に馴染まない。ここでは、踊り子はみんなのために踊る。そして、みんなで一人の踊り子さんを応援する。これはストリップ世界における、ひとつの愛の形だ!」

「《一人はみんなのために、みんなは一人のために》ということだな!」

 

 事件の続きをしよう。

 阿部定が逮捕されたのは、事件から2日後の5月20日。偽名を使って潜伏していた品川にてであった。この時、阿部定は大阪へ逃亡することを考えていたようだが、彼女を追っていた刑事が居場所を突き止め、御用となった。

阿部定は殺人罪などの罪で懲役6年の判決(求刑10年)を受けた。当時横浜で畳店を経営していた兄・新太郎は「自殺でもしてくれればいい」と新聞にコメントしている。なお、服役していた間に、ファンレターや結婚の申し込みの手紙がおよそ1万通寄せられたというから、どれだけ阿部定が器量よしだったか窺える。模範囚だったという。刑期中、さまざまな思想本を読み、日蓮宗に帰依した。事件から5年後の1941(昭和16)年に「紀元二千六百年」(神武天皇即位紀元2600年を祝う年)で恩赦を受け出所。その後は偽名を使い一般人として生活することになった。

しかしながら、あれだけ大々的に新聞を賑わせた女性ゆえ、世間は放っておかず、阿部定のことをおもしろ可笑しく書いた書籍が本人の許可なく出版されるなどし、阿部定はたびたび世の中から注目を集めていた。

そして60歳を超えた1970年代前半、阿部定は誰にも行方を伝えずに東京を離れ、そのまま消息を絶った。

類似の事件も多いなか、阿部定のみが神格化されてきた背景には、昭和11年という太平洋戦争開始前の穏やかな時代、および大々的に報じたマスメディア、ドラマチックな半生、明らかになっていない消息などが人々の興味・関心を惹いたためであろう。

50年前、ある日を境に人々の目の前から忽然と消えた阿部定。だが、その伝説は今後も語り継がれていく。                                    

 

「以上が阿部定事件の話だ。この話を聞くだけでもステージが味わい深くなるね。また今後も‘あべさだ’と名乗る踊り子が出てくるかもしれないな。」

「阿部定事件というと上記のように事件以降のことが述べられるが、事件前の阿部定の前半生にオレは興味がわいた。むしろ、前半生がポイントのような気がする。」

 

定は畳店「相模屋」の阿部重吉・カツ夫妻の8人兄弟の末娘として東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)に生まれた。生まれた時は仮死状態だった。母カツの乳の出が悪かったため、1歳になるまで近所の家で育てられた。定は4歳になるまで家族とも会話ができなかった。後に癇癪持ちになり、裁判時にヒステリーと診断されているが、幼児期のこうした体験が関連があるのではとも言われている。

定は母親の勧めで進学する前から三味線や常磐津を習い、相模屋のお定ちゃんと近所でも評判の美少女だった。定の見栄っ張りで少々高慢な性格はこの頃から見受けられるようになる。

15歳(数えのため満14歳)の頃、定にとって大きな事件があった。大学生と二人でふざけているうちに強姦されてしまった。母がその学生と話をしようと自宅まで行くが、本人とは会えず、泣き寝入りする形になる。

定はその後不良少女になっていくが、本人の弁によれば「もう自分は処女でないと思うと、このようなことを隠してお嫁に行くのはいやだし、これを話してお嫁に行くにはなおいやだし、もうお嫁にいけないのだ、どうしようかしらと思いつめ、ヤケクソになってしまいました」。

その後の定は男と交際を繰り返し続け、見かねた父と兄は定が17歳の時に「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」と長男・新太郎の知り合いである女衒の秋葉正義に売ってしまう。秋葉はかつては彫刻家の高村光雲の弟子で、当時は彫り物家の肩書きも持っていた。定は秋葉に夜這いをかけられ、秋葉は4年ほど定のヒモとなっている。

定は秋葉のすすめで芸者の世界に脚を入れる。三味線が弾けるとはいえ特筆した座敷芸がない定は、座敷に出ると客に性交を強いられることが多いのが嫌であったという。身売りの金は定の小遣いとなった。20歳になると定は秋葉に騙されていたことを知り縁を切ろうとするが、性病にかかってしまう。「検黴を受けてまで不見転(みずてん。客に体を売る芸者の意)芸者をするなら、いっそのこと」と自ら進んで遊女に身を落とした。

それからは娼婦や妾や仲居をして過ごす。この頃、男性と毎日肉体関係を持たないと気がおかしくなりそうだと病院に相談しているが、医者は「難しい精神鍛錬の本や思想の本を読んだり、結婚をすればいいだろう」と答えた記録がある。

そして1935年(昭和10年)4月に名古屋市東区千種町(現在の名古屋市千種区)の料亭「寿」で、名古屋市議会議員で中京商業学校校長の大宮五郎と知り合い交際する。紳士的な大宮は定にとっては今まで会ったことがない男性だった。大宮は娼婦や妾をしていた定を人間の道に外れたことだと叱り、更生するように定を諭した。大宮から、まじめな職業に就くようにと諭され、新宿の口入屋を介して紹介されたのが奇しくも石田吉蔵の経営する東京中野の料亭・吉田屋であった。大宮は後々定に店を持たせようと考えていたようだ。

吉田屋で働き始めた定と石田は知り合ってまもなく不倫関係になり、石田の妻もこの関係を知るようになると二人は出奔。定は嘘をつき大宮に逃亡資金を何度か無心している。大宮は後に重要参考人として身柄を拘束され、取調べを受け不問となるが、学校の卒業生に合わせる顔がないとその後は隠居生活を送っている。

 

 以上、定の前半生を駆け足で見てきた。

 両親をはじめ家族の愛情が薄いこと。美少女としてチヤホヤされたこと。大学生からの強姦事件。その後の不良少女、芸妓、娼婦、妾などへの転落人生。こう見ると、彼女の人生がすごく納得させられる。

 その中で、石田吉蔵という運命の男性と巡り合う。心底好きになれる男性とようやく出会え、最後には心中まがいの事件を起こしてしまうが、それも阿部定の運命だったと感じられる。彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。

阿部定が唯一愛した男である石田吉蔵については、阿部定は、たとえ自分が亡くなっても絶えずに供養してもらえるよう山梨県の寺へ永代供養をお願いしている。その寺には現在も石田吉蔵の位牌が大事に収められており、この位牌こそが阿部定が未来に残した唯一の遺産と言ってもよい。

 阿部定事件というと陰茎切断ばかりがピックアップされるのがとても残念である。

 阿部定の人生に共感する女性はたくさんいるんじゃないかな。だからこそ次々と阿部定を名乗る踊り子も出てくる。阿部定はこれからもシンボライズされていくことだろう。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

                                                                          2021.2

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第69章 男鹿のなまはげの巻

               

                                  

 ちん吉くんの説明が終わると、彼の後ろから、ひょっこりと一人の男が顔を出した。

「初めまして。私は秋田の観光協会の者です。今度、ちん吉くんを秋田観光協会の親善大使に任命させて頂きました。つきましては、私の方から‘男鹿のなまはげ’について、詳しくご説明させて頂きたいと思います。」

 秋田の人らしく色白で、優しい顔つきの男前だった。腰が低く、丁寧に話し出した。

 

 男鹿のなまはげは、大晦日の夜に行われます。なまはげは一般の民家に入っていくので観光客向きではありません。そこで、これをお祭りとして体験できるものがあるのです。それが「なまはげ柴灯まつり(Namahage Sedo Festival)」です。ユネスコの無形文化遺産に登録されているんですよ。まずは、このお祭りの宣伝をさせてもらいます。

(以下は、ブログ記事を参照・転記させてもらいました。オマツリジャパン編集部の「なまはげを正しく知って楽しもう!なまはげ完全ガイド!」、男鹿市観光商工課(文化スポーツ課 文化ジオパーク推進班)の「なまはげ柴灯まつり」など)

 

なまはげ柴灯(せど)まつりは、秋田県男鹿市北浦にある真山(しんざん)神社で開催される男鹿の冬を代表するお祭りです。ちなみに、「横手かまくら」、「弘前城雪燈籠まつり」、「八戸えんぶり」、「いわて雪まつり」とともに東北の冬を彩る「みちのく五大雪まつり」のひとつです。

なまはげ柴灯まつりは、神事「柴灯祭(さいとうさい)」と民俗行事である「なまはげ」を組み合わせたお祭りです。柴灯祭りは900年以上前から1月3日に男鹿市北浦にある真山(しんざん)神社で開催されています。それぞれは歴史が古いですが、その二つを組み合わせたのは最近の話です。この観光行事は昭和39年に始まり、毎年2月第2金・土・日曜日に真山神社で行われます。

内容をざっと説明します。

真山神社境内の広場に焚かれる柴灯火の明りのもと、男鹿地方独特の祓い神楽を奉納する「湯の舞」と、古い伝統的な湯立て神事である「鎮釜祭」でまつりは始まり、ナマハゲに扮する若者が神職にお祓いを受けた面を授かりナマハゲへと化し山へ戻る「なまはげ入魂」が行われます。

神楽殿では男鹿市各地で大晦日に行われる伝統行事「男鹿のナマハゲ」の再現やお面や衣装が異なる男鹿各地のナマハゲの登場する「里のなまはげ」、また郷土芸能として定着した勇壮な「なまはげ太鼓」の演奏が繰り広げられます。

柴灯火の前では秋田出身の現代舞踏家・故石井漠氏の振り付けと子息の作曲家・石井歓氏の曲による「なまはげ踊り」も迫力満点です。

まつりの終盤、松明をかざしたナマハゲが雪山から降りてくる姿は幻想的です。下山したナマハゲが観客であふれる境内を練り歩き、まつりはクライマックスを迎えます。

柴灯火で焼かれた護摩餅を神官からナマハゲに捧げられ、ナマハゲは山深くの神のもとへと帰っていきます。

 以上が、なまはげ柴灯まつりのご紹介です。是非一度お越し下さい。

 あ、一応おことわりしておきますが、昭和53年の「重要無形民俗文化財」指定のときは、「男鹿のナマハゲ」とカタカナ表記が採用されましたが、地元では、「なまはげ」と平仮名で表記されることも多くあります。カタカナでも平仮名でも正解なんです。

 

 

 さて、次に、本題の「男鹿のなまはげ」について詳しく説明します。

□. なまはげの意味と起源

まずは「なまはげ」ってなに?

「なまはげ」という名前は、「生身剥ぎ」という言葉が語源だと言われています。手にしている包丁は「火斑(ひだこ)を剥ぐ」ためのもの。火斑とは、炉端にかじりついていると手足にできる赤いまだら模様のことを言い、火斑を方言でナモミと言います。そのナモミを剥ぎ取り、怠け者を戒めるための「ナモミ剥ぎ」が訛り「なまはげ」になったそうです。

 

次に、「なまはげ」はいつ頃からどうやって伝わってきたか?

実はなまはげの伝説は諸説あり、古くからある伝説などを受け継ぐ民間伝承であるため、正確な起源は分かっていません。ここでは、言い伝えられているいくつかの伝説をご紹介します。

 

<漢の武帝説>

漢の武帝説とは、昔話である「九百九十九段の石段」の鬼が五社堂に祀られており、それがなまはげの起源となったという説です。「九百九十九段の石段」は以下のような話として伝わっています。

中国の漢の時代に、武帝が不老不死の薬草を求めて従え男鹿に行きました。五匹のコウモリは、鬼に姿を変え武帝のために働きました。ある日、鬼たちは「一日だけ休みをください」と武帝に頼み、正月十五日だけの休みをもらい、村里に降りて作物・家畜・娘たちをさらって暴れまわったそうです。困り果てた村人は、「毎年一人ずつ娘を差し出す代わりに、一番鶏が鳴く前の一晩で、鬼たちに海辺から山頂の五社堂まで千段の石段を築かせてくれ。できなければ、再び鬼を降ろさないで欲しい」と武帝に願い出ました。村人は「さすがの鬼も不可能だろう」と考えてこの案を提示しましたが、鬼たちはどんどん石段を積み上げていきます。焦った村人は、鬼が九九九段まで石段を積み上げたところで、アマノジャクに一番どりの鳴き真似をさせました。鬼たちは驚き怒りましたが、山に帰り二度と村には降りてこなかったそうです。

 

<修験者説>

男鹿の本山である真山(しんざん)は、昔から信仰の対象となっていた場所だと言われています。時々、修験者は山状の修行姿で村里に降り家々を回って祈祷を行っていたのですが、その凄まじい修験者のお姿を「なまはげ」と考えた説が修験者説です。

 

<山の神説>

遠くの海上から男鹿を望むと、日本海に浮かぶ山のように見えます。その山には、村人の生活を守る山の神が鎮座するとして畏れ敬われ、その山神の使者が「なまはげ」であるとする説が山の神説です。

 

<漂流異邦人説>

男鹿の海岸に漂流する異国の人たちは、その姿や言語から村人には鬼のように見えたと言われています。大きな身体に赤い肌、その漂流した異邦人が「なまはげ」であるとする説が漂流異邦人説です。

 

 ここで、ちん吉くんが口をはさむ。

「先に、鬼の起源として白人説、鬼=ロシア人という俗説があることを話したよね。なまはげもその一例なんだ。」

「余談になるけど、秋田の女性のことを秋田美人と言う。ぼくも以前、秋田にはなんで美人が多いかを真剣に考えたことがあるんだ。昔からいろんな説がある。

 秋田はその位置する土地柄から、昔のアイヌ人と日本人、そしてロシア人がうまく混血された所だ、という血の遺伝説。

 秋田は雪国なので、肌の湿り気、寒さによる肌の引き締め効果で肌がきめ細かくなる、という雪の気候説。

 秋田の中央を流れる雄物川はアルカリ分が強いらしい。その水を飲んでいる人の肌はきれいになる、という川の水質説。

 以上、昔からよく言われるこの三つの説に、ぼくはもうひとつ新しい説に気づいたんだ。

 女の子は男親によく似る。そして男親に似た娘は幸せになると言われる。そこで、秋田は美男子が多いから美人が多いんだ、という秋田美男子説を考えたんだ。ところが、みんな、ぼくの顔を見ながら、ぼくの提言にはなかなか納得しないようだ。(笑)

 まぁ、なまはげの起源と同じく、それぞれが最もな説だと思うよ。

 

□. なまはげの容姿

次に、なまはげの恰好について、着ているノミや持っている包丁や桶など、それぞれのアイテムが示す意味を簡単に説明します。

まず、なまはげと言えば真っ先に思いつくアイテムが出刃包丁です。なまはげの語源は「ナモミ剥ぎ」だというご説明をしました。この出刃包丁は、そのナモミを剥ぎ取るための道具です。なまはげ必須のアイテムと言っていいでしょう。なまはげが持つ桶は、剥ぎ取ったナモミを入れるためのアイテムです。

また、なまはげは時に神社の宮司が使う御幣(ごへい)を持っています。これは、なまはげが神である印です。なまはげは、この御幣を手に持ち家々を巡ります。なお、なまはげが御幣を持っているか否かは地域により異なるようです。

説明が前後しましたが、なまはげは、ワラでできたミノ状の衣装をまとっています。この衣装をゲテと呼びます。ゲテから落ちたワラは神聖なものと考えられており、魔除けになる・縁起が良い・病気をしない・健康になるなどのご利益があるため、村の人は落ちたワラを拾い戸口に止めておきます。なまはげから無理に抜いたワラにはご利益がないため、自然に落ちたものを拾います。

 

□. なまはげの役目

なまはげが子供を驚かす光景が有名であることや、なまはげの「悪い子はいねがー、泣く子はいねがー」というフレーズがあまりにキャッチーなせいで、なまはげは子供を驚かせる行事と思っている人は少なくありません。

これまでの解説で、なまはげは神様あるいは神の使いであり、決して鬼ではないことをご説明しました。しかし、ここで、神様がなぜ子供を驚かして怖がらせるのかという疑問が残ります。

 

どこにでも、泣き虫の子や親の言いつけを守らない子、宿題をやらない子、喧嘩っ早い子など、親によく叱られるような子供がいますよね。そんな子供を驚かすことで「なまはげ」は子供にとって最も怖い存在になり、親の言うことを聞かないと怖い目に合うという良い教訓になります。秋田では、「悪いことをするとなまはげにくれてやってしまうぞ」と両親が子供に言い聞かせてしつけをする家庭もあるそうです。

地元の人に幼少期のナマハゲの思い出を聞くと「本気で怖かった」と口々に語ります。例えばナマハゲが子供を捕まえて「悪いことはしてねぇか!?」といった具合に問い詰めます。子供が「していません!」などと嘘をつくと、ナマハゲは「ウォー!嘘をつくな!○○をしただろう!」と、なぜか子供の悪事を暴いてしまうのです!どこに隠れようがナマハゲは必ず見つけ出します。そう、ナマハゲは神様(もしくはその使い)なので、全部お見通しなのです!

この仕掛けは単純で、事前に親御さんはナマハゲと口裏を合わせ、子供のイタズラなどを報告しておきます。隠れ場所をこっそり教えたり、いろいろな連携プレーでナマハゲを演出することで、子供たちはナマハゲの存在を信じ込むのです。

なまはげは、本来は子供を驚かすためではなく、悪事に訓戒を与えるとともに、無明息災や家内安全、豊作・豊漁・吉事を願う伝統行事なんです。

 

 またまた、ちん吉くんが口をはさむ。

「ぼくは前からこんな疑問を持っていた。秋田には最強の三吉鬼がいるんだけど、なまはげの方がもっと有名だ。全国的には、なまはげを知っているが三吉鬼のことは知らないという人がたくさんいる。そこで、どうして三吉鬼としては、なまはげと優劣をつけるための鬼合戦しないのかなと不思議に思っていた。しかし、秋田観光協会の人の説明を聞いてその理由が分かったよ。

なまはげは鬼ではなく、神様なんだね。鬼と神様は争わず、別々に共存できるんだ。仏教と神道の違いみたいなもんかな。日本にはお寺も神社もあるもんね。」

 

□. なまはげの種類

 そう、ちん吉くん言う通りなんだ。

 なまはげは民家で大きな音を立てて暴れまわることで災いを祓ってくれる神、あるいは神の使いです。鬼は邪悪な怨霊であり、なまはげは鬼には該当しません。また、ナマハゲの面は鬼に似た怒り顔のものだけでなく、丸顔のものや可愛らしいものなど、さまざまな面があります。男鹿では地域ごとにナマハゲが存在しますが、よくテレビなどで見る鬼に似た面は一部のナマハゲだけなのです。

 

そこで、赤いなまはげと青いなまはげの意味は?

様々な色や顔のなまはげの面がある中、主立って赤と青の面が存在します。赤いなまはげを「爺さんなまはげ」青いなまはげを「婆さんなまはげ」と呼び、2対1組で「夫婦なまはげ」と呼ぶそうです。ちなみに、色がないなまはげも顔の形でも見分けることができ、角張った面のなまはげは「爺さんなまはげ」、丸みを帯びた面のなまはげは「婆さんなまはげ」を指します。

 

ちん吉くんが言う。

「先に、仏教から鬼の色について『赤鬼』『青鬼』の話をしたよね。なまはげは鬼じゃないこともあり、赤いなまはげを『爺さんなまはげ』、青いなまはげを『婆さんなまはげ』と呼ぶわけだ。こちらのネーミングは最高だね。より親近感をおぼえる。」

 

「ぼくは秋田出身だけど、正直言って、<なまはげ柴灯まつり>のことを知らなかった。柴灯を‘せど’と読むことすら知らなかったもんな。恥ずかしい限りです。」

「でも、秋田観光協会の人から説明を受けて、なまはげがとても身近な存在に感じます。喜んで秋田観光協会の親善大使になろうと思っています!」

 

                                    おしまい

 

 

                                                                          2021.2

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第68章 善い鬼と悪い鬼の区別の巻

               

                                  

 ところで、昔から「怖いもの、恐れられるもの」の象徴として扱われてきた鬼ですが、

例えば、鳥取県伯耆町(旧・日野郡溝口町)では、村を守った「強い物」として鬼を崇めていたり、青森県の岩木山では鬼の善行に感謝して、神社の「神」として鬼を祀っているなど、これらのほかにも日本の各地には鬼を善的に捉え、また、畏敬の念で見ている例が少なくない。鬼が悪霊を追い払い、人に幸福をもたらしてくれる存在と考えている例も少なからず見られる。

 

 ここでストリップわらしこと、ちん吉くんが登場。

「鬼というと悪い鬼ばかり目につくが、実際は善い鬼もたくさんいるんだよ。心の優しい鬼や人間に福をもたらしてくれる鬼は昔から存在していた。」

 秋田出身のちん吉くんは、前に「三吉鬼」の話をしてくれた。

三吉鬼(さんきちおに)は秋田県に伝わる妖怪で、江戸時代の文学者・只野真葛の「むかしばなし」に記述されています。大酒飲みで、人里に降りてきては呑み屋に現れ酒を飲み、お金も払わず出ていきます。しかし、夜になると呑み代の10倍ほどの値打ちがある薪を置いていくのです。また、1人では動かせない重い荷物を動かす時や大きな仕事がある時は、酒樽を供え三吉鬼に願をかけると、一夜のうちにその仕事が終わっていたこともあるそうです。こんな民の願いを叶えてくれる鬼もいたわけだ。

「秋田には、もうひとつ有名な鬼がいる。それは『なまはげ』だ!」

なまはげ」は秋田県の男鹿半島で毎年行なわれる伝統的な民俗行事です。大晦日の夜、なまはげに扮した集落の青年たちは恐ろしい鬼のお面をかぶり、髪を振り乱しながら「泣く子はいねがー」と叫びながら子どもたちに迫り、地域の家々を巡ります。恐怖に固まり泣き叫ぶ子供も続出する行事ですが、実はこの「なまはげ」は、村内安全に五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る神の使者「神鬼」の化身なのです。なまはげが家々のドアを叩き、わざと大きな音を立てて荒々しく登場するのは悪いものを祓い落とすためで、家中を歩き回って「ケデ」と呼ばれる衣装の藁を落としていくのも、無病息災のご利益がある縁起物だからです。地域の人たちにとっては来訪神として一年の厄を祓い、新年を迎え祝福するありがたい鬼なのです。

 

「他にも、優しい心を持った『田植え鬼』というのもいるよ。」

新潟県の民話で「まんが日本昔ばなし」にもなった「田植え鬼」。ある庄屋が節分の日に豆をまいていると、鬼が現れました。しかし、その鬼は他の家でも豆をぶつけられたのか、あちこちアザだらけで目に涙を浮かべています。不憫に思った庄屋は酒とご馳走で鬼をもてなしました。それからというもの、毎年田植えの時期になると植えた覚えのない苗が田んぼに植えられ大豊作になるという不思議な出来事が起こります。

田植えの正体を突き止めようと、庄屋は夜中に田んぼ近くの木に隠れ、様子を伺います。その正体はなんとあのときの鬼でした。鬼は庄屋に気づくと慌てて逃げ出しそれ以来、やって来ることはありませんでした。心優しい庄屋と義理堅い鬼のなんとも心温まるお話です。

 

そして、「最後にどうしても紹介したい話がある。ぼくが最も好きな童話『泣いた赤鬼』だ。」

泣いた赤鬼』は、浜田廣介作の児童文学である。浜田の代表作で、学校教科書にも採用された。初出は『おにのさうだん』の表題で1933年『カシコイ小学二年生』8月号から連載。初版は1935年7月に刊行された『ひろすけひらかな童話』岡村書店に所収。

 

あらすじはこうだ。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていた。

そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てておいた。

しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。

赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終いには腹を立て、せっかく立てた立て札を引き抜いてしまった。

一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れる。赤鬼の話を聞いた青鬼はあることを考えた。それは、「青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」という策であった。

しかし、これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼だったが、青鬼は強引に赤鬼を連れ、人間達が住む村へと向かうのだった。

そしてついに作戦は実行された。青鬼が村の子供達を襲い、赤鬼が懸命に防ぎ助ける。作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになった。人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送る。

 

だが、赤鬼には一つ気になることがあった。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことであった。今村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげであるので、赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。

しかし、青鬼の家の戸は固く締まっており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。

それは「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の友達です」という青鬼からの置手紙であった。

赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流した。・・・

 

絵本「泣いた赤鬼」を読んでいるだけで、鬼の心優しさに感動させられます。だからといって単に善い鬼もいるんだよ!という短絡的な結論だけではないような気がします。

鬼には鬼の世界があるように思えます。鬼として生きている世界があるのです。その点は人間とそんなに変わらないのです。

最近の漫画『鬼滅の刃』と『約束のネバーランド』は、両方の主人公ともに、単に鬼退治するだけではなく、鬼には鬼の世界があることに気づきます。鬼にも当然に家族がいて養わなければならないし、共同体があり皆で協力し合って生活していかなければなりません。鬼としては食料として人間を食べる事情も致し方ないわけです。それを理解しないで一方的に鬼退治することに主人公は疑念を抱きます。そして、鬼と人間が共存する道を模索します。このことが物語としての深みを持ちます。ここが非常に重要なポイントです。

たしかに妖怪も鬼も人間にとって異界の存在です。しかし、単に「鬼とは安定したこちらの世界を侵犯するもの」と考えるべきではないように感じられてなりません。

今われわれはコロナ禍に苦しんでいます。コロナは人間の生命を脅かす恐ろしい存在です。ウイルスは未知の世界であり、まさしく異界の存在です。だから鬼として退治するのか。いや、我々の意識には‘withコロナ’の思想が芽生えてきています。コロナを悪として根絶せしめるだけでなく、コロナと共存して生きていく道を模索しているのです。

 

最後に、ストリップわらしこと、ちん吉くんがぽつりとこう言った。

「人間は鬼を勝手に作っておいて、赤鬼だ青鬼だ黒鬼だなんて区別したがる。それは人間のことを白人だ黒人だと言っているようなもの。それにどんな意味があるというのか。だから、善い鬼か悪い鬼かなんて区分しても意味なんて無いのさ。」

 

                                    おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                          2021.2

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第67章 いろんな鬼 の巻

               

                                   

 ちんぽ三兄弟の鬼談義が止まらない。

「なるほど仏教における鬼というのは奥深いな。だから、たくさんの鬼がいるんだね。よく分かったよ。」

「今話した餓鬼道にいる『餓鬼』や『地獄の獄卒』などの他にも、仏教の守護神であり戦いの神様とされている『阿修羅(あしゅら)』、毘沙門天に使える鬼族で、ヒンドゥー教の鬼神ラークシャサが仏教に取り入れられた『羅刹天(らせつてん)』なども仏教の中の鬼とされているんだ。」

 

「踊り子さんの作品にも、鬼を取り上げた演目がいくつもあるね。」

「先ほど、踊り子さんは鬼であると話した。魅力という字にも鬼が潜んでいる。踊り子さんはみんな魅力的な鬼なんだなー。ステキな鬼の作品を出しているということはそういうことか?」(笑)

「先に、最近は『鬼滅の刃』をモチーフに演目を作る踊り子さんが多いという話をしたが、以前から鬼をモチーフに作品を出しているケースも多いね。最近のものですごく印象に残っているのが、ロックの踊り子・鈴木ミントさんが酒吞童子の影響を受けたといわれる『能 紅葉狩』をモチーフにした演目『紅葉狩り』。気品ある衣装や雰囲気から日本伝統美の厳かさが伝わってきたよ。」

参考まで、「能 紅葉狩」のあらすじをネットで見てみる。・・・

旧暦9月の、紅葉が美しいとある山中にて。

高貴な風情をした女が、侍女を連れて、山の紅葉を愛でようと幕を打ち廻らして、宴を催していました。その酒席に、鹿狩りの途中であった平維茂(たいらのこれもち)の一行が通りかかります。維茂は、道を避けようとしますが、気づいた女たちに「是非ご一緒に」と誘われるまま、宴に加わります。高貴な風情の女はこの世の者とは思えぬ美しさ。酒を勧められ、つい気を許した維茂は酔いつぶれ、眠ってしまいます。それを見届けた女たちは、いずこにか姿を消してしまいます。

ちょうどそのころ、八幡大菩薩の眷属(けんぞく)、武内の神が先の山(実は信濃国戸隠山)への道を急いでいました。維茂を篭絡(ろうらく)した女は、戸隠山の鬼神だったのです。武内の神は、維茂の夢に現れてそのことを告げ、八幡大菩薩からの下された神剣を維茂に授けました。さて、夢から覚めた維茂の目の前には、鬼女が姿を現し、襲いかかってきます。維茂は勇敢に立ち向かい、激しい戦いの末に、みごとに神剣で鬼女を退治しました。・・・

この話には鬼女が出てきたが、酒吞童子によく似ている。酒吞童子というのは京都の都付近で暴れていた最強の鬼で、典型的な悪い鬼とされる。

平安時代、京都北西の大江山には酒呑童子と呼ばれる鬼の親分が本拠地を構え、茨木童子を始めとする多くの子分を統率していたという。その描写は、身長は6mもあり、角が5本生え、目は15個付いた姿をしています。赤毛で、髭も髪も眉毛もつながっており、手足は熊の手のようで、京の町からさらってきた若い女性の肉を常食していたという。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。最後は毒を盛った酒を飲まされ武士に斬り殺されてしまいます。大嶽丸金毛白面九尾孤と並んで『日本三大妖怪』に数えられる。

 

 

他にも、いろんな鬼がいるので紹介すると、

天邪鬼(あまのじゃく)

人間の煩悩の象徴とされている「天邪鬼」。人の心を読み取っていたずらする小鬼で、天候や人の心、未来などを探ることができる女神・天探女(アメノサグメ)が由来とされています。

 

悪鬼 (あっき)

人間に対して悪をばらまく鬼の総称で、西洋の悪魔のような存在です。

 

夜叉(やしゃ)

仏教に登場する悪鬼で毘沙門天に仕える鬼神です。男と女がおり、男はヤクシャ、女はヤクシーと呼ばれています。

 

最後に、鬼は想像上の存在と誰もが思いますが、実態として存在するという説もあります。

 

金工師説

金工師とは、昔の鉱山採掘や金属製品生産など、金属に関する仕事をしていた人達のことです。日本各地に点在する鬼伝説のある土地が、同時に鉱山地である場合が多いことや、伝説の中の鬼が話の中で金工に結び付いている例があること、実際に伝説の中で金工師だった例もあることからこの説が唱えられました。

鬼は金棒を持っているから、この説も現実味があるね。

 

白人説

最強の鬼と言われる酒呑童子は「大江山絵巻」の中で髪は茶色、眼も明るい色で描かれています。江戸時代には、鬼が海外から日本に上陸した海賊だという俗説があり、明治時代にも鬼=ロシア人という俗説がありました。

後で出てきますが、秋田のなまはげにもロシア人説があります。秋田の人は色白が多く、ロシア系の遺伝子が入っていると言われているからね。

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

                                                                          2021.2

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第66章 赤い鬼と青い鬼 の巻

               

                                   

 ちんぽ三兄弟の鬼談義が終わらない。

「鬼には、赤い鬼や青い鬼など色々な鬼がいるよな。あれは‘赤いきつね’と‘緑のたぬき’みたいに意味があるのかな?」

「鬼の顔や身体の皮膚は赤青緑などさまざまな色をしていて、『赤鬼』『青鬼』などと呼ばれている。節分の豆まきでは色の違う5種類の鬼に豆をぶつけるというの知っていたかな。実はそれぞれの色には意味が込められているんだ。

 さっきも話したが、鬼は仏教に強く影響されている。この色は仏教の5つの煩悩と関係しているんだ。以下に詳しく話すね。」(下記の内容は、ネット記事の「オマツリジャパン編集部」「仏教ウェブ講座」を参照・転記させて頂きました。)

 

 

5種類の鬼は、仏教で言うところの「煩悩」に当てはめられています。煩悩とは、悟りを開く道を妨げる、人の心に住む邪念のようなもので、全部で108種類あると言われています。その中でも特に「瞑想修行を妨げる5つの煩悩」である「五蓋(ごがい)」と言われる「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「掉挙・悪作(じょうこ・おさ)」「惛沈・睡眠(こんじん・すいめん)」「疑惑(ぎわく)」を5種類が鬼に当てはめられています。

節分の豆まきでは、自分が断ち切りたい欲の色をした鬼に豆をぶつけることで、煩悩に打ち勝てると言われています。鬼の色によって変わる煩悩の種類と詳しい意味は次の通りです。

 

赤鬼>

赤い色の鬼は「貪欲(とんよく)」を意味します。まるで喉が渇いて水を欲しがるように心から何かを望んだり、あるものにとらわれ執着したりすることなどを意味します。

 

<青鬼>

青色の鬼は「瞋恚(しんに)」を意味します。瞋恚とは怒りや恨み、憎しみといった人間の憎悪の感情の事を指します。

 

<黄鬼(白鬼)>

黄色、または白色の鬼は「掉挙・悪作(じょうこ・おさ)」を示します。これは心が昂ぶり落ち着かない様子や、平静な心を失っている状態のことです。それにより冷静な判断が出来ず後悔する事を意味します。

 

<緑鬼>

緑色の鬼は「惛沈・睡眠(こんじん・すいめん)」を意味します。やるべきことをやらずにいたり、ダラダラと眠っていたりという怠けた心を意味します。

 

<黒鬼>

「疑惑(ぎわく)」を意味する黒色の鬼は他人や自分自身、仏教の教えなどを「疑う心」を意味します。

 

 仏教では、生前に貪欲であった者は、死後に餓鬼道に落ち、餓鬼になるとされている(小泉八雲「食人鬼 (小説)」)。やっぱ貪欲な人が多いから、赤鬼がもっともポピュラーな鬼になるのかな。

 

仏教では、六道の中の餓鬼道の衆生も鬼といわれますが、現在のイメージの鬼は、地獄の獄卒です。

地獄の獄卒というのは、六道の中でも最も苦しみの激しい世界である地獄を牢獄にたとえて、罪を犯した囚人を管理する係です。

『往生要集』では、牛頭(ごず)・馬頭(めず)という、牛の頭をした鬼、馬の頭をした鬼や、羅刹という鬼が地獄の獄卒として描かれています。

生きているときに殺生罪を造り、等活地獄に堕ちた囚人を金棒で打ちのめしたり、刀で魚をさばくように切り裂きます。

さらに、偸盗罪も造って黒縄地獄に落ちた罪人に対して、獄卒の鬼は熱い鉄の縄で罪人の身体に線をつけ、それにしたがって、斧やのこぎりで切り刻みます。

それに加えて不倫などの邪淫の罪を造って衆合地獄に落ちた囚人に対しては、両側から迫ってきて押しつぶす苦しい場所へ追い立てたり、火をふく刀で罪人を切り刻みます。

そして、「これは他人の造った悪の報いではなく、まさしく自業自得であるぞ」と叱りつけ、責め立てます。

さらにお酒を飲んで、叫喚地獄に落ちた罪人に対して獄卒の鬼は、火の中に入れたり出したりします。

さらに嘘をついて、大叫喚地獄に落ちた罪人に獄卒の鬼は、「周りの火はお前の言った嘘だ。嘘は火のように人を焼く」と言って舌を抜きます。

このように、地獄で罪人を苦しめるのが仏教に説かれる鬼です。

 

では、このような地獄の鬼たちは、一体何を表しているのでしょうか?

鬼は、地下何万メートルに地獄があって、そこに住んでいる生き物ということではありません。地獄に堕ちるというのは、空間的に落ちるのではなく、苦しい状態におちいる、ということです。受験地獄や借金地獄といえば、自分が生みだした苦しい状態です。

 

赤鬼や青鬼、黒鬼というのは、たとえです。何をたとえられているかというと、青鬼というのは、どこまでも浸していく水の色で限りない欲の心を表しています。赤鬼は、燃え盛る火の色で、カーッと燃え上がる怒りの心を表しています。黒鬼は、腹黒いといわれるように、怨みやねたみの醜い愚痴の心を表しています。

地獄という境涯は、私の欲や怒りや愚痴の心が作り出したもので、それらの心をたとえた鬼たちが、自らを責め立てる、苦しみの世界ということです。

 

さて、鬼はどこに住んでいるの?

仏教は法鏡といわれるように、真実の自己を照らし出す鏡のようなものです。仏教を聞くと、今まで知らなかった自分の姿が知らされてきます。まだ仏教を聞いていないときは、自分の心の中に何か美しいものがあるように思っています。ところが仏教を聞いていきますと、今まで知らなかった、欲や怒りや愚痴の心が知らされて来ます。

そして、私たちの心の奥底はどうなっているかというと、こういう歌があります。

「みな人の 心の底の奥の院 探してみれば 本尊は鬼」

「奥の院」とは、普段人には見せない所です。私たちの心の奥底を、建物の奥の院にたとえられています。「奥の院」といえば、お寺でいえば本堂ですから、安置されているのは本尊です。尊いものが安置されているものと思います。

ところが仏教を聞いて、私たちの心の奥底が知らされてみると、私たちの心の奥底に住んでいるのは、鬼だった、ということです。

 

「おに」というのは、「遠仁」とも書きます。「仁に遠い」ということです。

「仁」とは、人のことで、人としてあるべき慈悲の心です。ところが、その慈悲の心から遠い、無慈悲なものが「遠仁」です。

自分さえよければ他人はどうなってもかまわない我利我利亡者です。

 

つまるところ、仏教を聞いて行くと知らされてくるのは、自分の心の中に住んでいる鬼なのです。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

                                                                          2021.2

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第65章 ストリップは鬼ごっこ!? の巻

               

                                   

 さて、豆まきの話を契機にして、いつものように、ちんぽ三兄弟の妖怪談義が始まった。

「鬼は外、福は内」と言うけど、なんで鬼は外に出ていかなければならないんだ?

 そもそも鬼ってなんだ?

 

「そういえば、日本の妖怪の中で、鬼の存在感は断トツだよな!」

「日本の昔話ですぐ思いつくだけでも『桃太郎』『一寸法師』『こぶとりじいさん』『おむすびころりん』等と三歳の子供でも知っている有名な童話には必ずと言っていいほどに鬼が登場しているよな。」

「昔話だけじゃなく、漫画にも悪役として鬼がよく登場する。古典的には手塚治虫の漫画『どろろ』が好きだが、最近の漫画では石田スイ原作の『東京喰種トーキョーグール』あたりから鬼の存在が一味違ってきた感じがしていた。そして昨年、私を夢中にさせた漫画に、吾峠呼世晴原作の『鬼滅の刃』と、白井カイウ(原作)・出水ぽすか(作画)の『約束のネバーランド』があり、どちらも鬼を退治する漫画だった。前者の『鬼滅の刃』は、家族を鬼に皆殺しにされた主人公が、たった一人生き残ったものの鬼と化してしまった妹を人間に戻そうと鬼に挑んでいくストーリー。後者の『約束のネバーランド』は、鬼が人間を食べるために特別な施設で飼育していたが、そこの人間たちが施設を逃げ出して鬼と戦う内容。両方とも人気が高くてTVアニメ化された。とくに『鬼滅の刃』の方は2020年10月26日に公開された劇場版「鬼滅の刃」無限列車編は爆発的ヒットを記録し、社会現象化したほどだ。」

「この映画は公開から10日間で興行収入100億円を突破し、興行収入ランキングでは13週連続で1位を獲得。11週目には興行収入324億円を超え、これまで国内興行ランキング歴代1位だった『千と千尋の神隠し』(316億8000万円)の記録を破る快進撃となった。」

「あの名作映画『千と千尋の神隠し』の記録が破られるとは信じられないよなー」

「踊り子さんも次々に『鬼滅の刃』をモチーフにした演目を出しているよ。天羽夏月さん、kuuさん、JUNさん、京はるなさん、栗鳥巣さん等々。またTVアニメ『鬼滅の刃』主題歌『紅蓮華』を歌うLiSAさんの曲を使っている踊り子さんはほんと多いよね。」

 

 

「たしかに、日本には昔から鬼の伝承が多いよね。人間の想像力が生み出した妖怪は数多いが、『おに』ほど日本のことわざや昔話に頻繁に出てくるものはない。」

「日本の鬼の姿かたちって、すごくユニークだと思わないか。頭に1本か2本の角が生え、髪はパーマを掛けたように縮れている。上半身は裸で虎柄のふんどしか腰布、パンツを履いている。そして金棒を片手に担いだ大男の姿を想像しちゃう。あれは何を意味しているのかな?」

「鬼というのは、どうやら日本で進化したもので日本独特な妖怪らしい。

中国にも鬼という言葉が出てくるが、鬼は死んだ人の魂そのもので、姿かたちのないものとされていた。日本もこの影響を受けて、当初は姿の見えないものとして伝わり、‘死への恐怖や恐れ’から鬼は怖いもの、人に悪さをするものというイメージがついたと考えられている。ともあれ、中国の鬼というのは、実態は幽霊であり、具体的なイメージ像はなかったわけだ。」

「現在日本でイメージされている姿かたちのある『鬼』は、仏教が由来になっている。餓鬼道にいる『餓鬼』や『地獄の獄卒』などの事とされている。

餓鬼とはその名の通り、仏教の中にある六道(6つの世界)のうちのひとつ『餓鬼道』にて、飢えに苦しみ食べ物や水を手にしても火に変わってしまい、決して満たされることのない鬼のことだ。地獄の獄卒とは、生前に悪事を働いて地獄に落ちた亡者たちを拷問し、苦しみを与え罪の償いをさせる鬼のことを呼ぶ。

 もうひとつ、鬼の姿は風水などで登場する「鬼門(きもん)」が由来と言われている。節分の起源とされている中国の宮中行事「追儺」(ついな)」は、陰陽五行と呼ばれる風水の基礎に基づいて行われていた。陰陽五行では鬼門(鬼の出入りする方角)は北東とされている。昔の十二支は子(ね)を北に時計回りに配置していたので、北東は丑寅(うしとら)の方角となる。鬼門は牛と虎ということから、「頭が牛で、下が虎」、つまり頭に牛の角、下は虎縞パンツが鬼の姿になったわけ。また、牙も虎だね。

 だから、昔の日本人が当時の中国や仏教の知識に基づいて、あの鬼のイメージ像を作り上げたんだね。日本人のセンスもなかなかだよね。」

 

「そもそも、鬼って何なんだ?」

『おに』の語源は、目に見えない「隠形(おんぎょう)」の『隠(おぬ)』が転じたものと言われている。先ほども述べたように、「鬼(キ)」という漢字の原義は中国から入ったもので、その内容は「死者の魂」。なるほど字体を見ると分かるように、「魂」=「鬼」なんだな。その中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本に固有で古来の『隠(おぬ)』と重なって鬼(おに)になったという。

だから、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味するわけだ。そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらす伝説上のヒューマノイドのイメージが定着し、さらに陰陽思想や浄土思想と習合し、地獄における十王配下の獄卒であるとされた、とも考えられている。」

「先ほどあげた鬼の登場する有名な日本の童話はほとんど平安の頃に出来上がっている。

 平安時代に書かれた有名な『源氏物語』にも鬼が出てくる。その中に出てくるある女性は、ふだんは教養もあり知的で冷静だが、光源氏の浮気に激しい嫉妬心を燃やして、ついに鬼となる。そして、光源氏の正妻の葵上(あおいのうえ)にとりついて命を奪う。さらに、光源氏から愛された夕顔も殺す。この女の嫉妬心、怨み呪いの執念が鬼となったという。

 どうも、最初のころの鬼は、女が多いらしい。百鬼夜行の話もそうだったな。平安時代は夜這いが盛んだったから、男たちは帰り道で正妻の怨念にとりつかれ、それを恐れた。結局、男の浮気心が女の鬼を作ったんだとも思える。」

「今でも『鬼嫁』という言葉がよく使われる。世の男どもは‘この世にかみさんほど怖い存在はいない’と言う。たしかにそれは当たっている。しかし、この世にかみさんほどかわいい存在はいないとも言っている。男というのはそんなもんだね。」(笑)

『鬼ごっこ』という遊びも、‘鬼さんこちら、手のなるほうへ’と言われて、鬼が追いかけてくる。そして鬼につかまった人も鬼になってしまう。鬼ごっこの鬼は、どこまでも追いかける人間の怨念や執念を表したものなんだね。」

 

 

「そう考えたら、ストリップって踊り子と客の『鬼ごっこ』に思えてきたなぁ。

 踊り子は鬼で、客に向かって‘鬼さんこちら、手のなるほうへ’と言って手招く。客はほいほいと喜んで踊り子を追いかける。どこまでもどこまでも、全国津々浦々まで遠征するわけだ。

 踊り子は客に追いつかれたら、本来隠しておかなければならない秘部を客に見せる。そこは鏡になっている。客はそれを見て、自分の心の奥に隠しておいたスケベの本性を露にする。踊り子は客がスケベ鬼に変貌する様を楽し気に見ている。これも鬼の本性である。鬼なる踊り子は客が他の娘に目移りすることなんて絶対に許さない。

 ときに踊り子は鬼の本性を表す。男を狂わせ、男は喜んで鬼の魅力の虜となり、最後に男は身も心も食いつくされる。

ストリップ劇場は現実の世界とは一線を画した異界の地なんだな。

 そこには本能である性欲をはじめとして、浮気心、嫉妬心、金銭欲などの我慾が渦巻いている。本当は恐ろしいところなんだ。」

「でも、ストリップは、おれにとっては最高の『鬼ごっこ』遊びだな~。

 美しき女鬼たちと戯れることができるなら、やっぱり劇場は男の天国だ。仮に、ここが天国でなく地獄であったとしてもおれは満足だ。

おれは、喜んで大好きな踊り子さんに食い殺されたいな! おれの肉は脂肪がのって美味しいはずだ! なのに誰も食べてくれないなぁ~」そう言って、お腹をさする。

「そりゃ、おまえのビールっ腹は絶対に美味しくないと思うよ。」(笑)

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                         2020.9

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第62章 顔なし妖怪の巻

             ~JUNさん(西川口所属)と山口桃華さん(TS所属)に捧げる~     

                                   

  

 ちんぽ三兄弟が、顔の話をしていた。

 きっかけはJUNさん(西川口所属)のステージ、まさしく演目「顔」であった。

「あの最初の曲(CIVILIANの『顔』)の歌詞にひきつけられたなあ~。人間のもつ顔のコンプレックスにもろに触れていたもんな~」

「オレも自分の顔が嫌いだから、ツーショット・ポラは絶対に撮らない!」

「でも、ストリップのポラ撮影ではツーショット・ポラを撮りたがる人は多いよね。恰好つけてポーズをとる人が多い。こういう人は自分の顔が好きなナルシストなんだな。」

「そういえば、この演目では、最初に能面を付けていたのもインパクトあったよな!」

よく「能面のような表情」というと無表情な顔の例えに使われるが、果たして実際の能舞台では、動かないはずの能面が表情を変化させる。

「小面(こおもて)」と 呼ばれる少女の能面で見てみる。下に傾けると、物思いにふける寂しげな表情になる。逆にすると、喜びの表情が浮かび上がる。正反対の感情を、角度の違いで表すことができる。このように、ひとつの能面で無限の表情を味うことができる。

「顔といえば、山口桃華さん(TS所属)の演目『変面』も印象的だったよな。一瞬で顔を変える技は凄かったなー!!」

これは中国雑技団のパフォーマンスにあり、一瞬で顔が変わる変面(へんめん)という中国四川省の伝統芸能である。役者が手を顔に手を当てた途端に装着している仮面を瞬時に喜怒哀楽を表現しているそれぞれの仮面に変化させる。門外不出の秘儀とされ、一子相伝のみ伝承を許された技法である。700年近い歴史を持つ技術である。

「ふつうに考えたら、喜怒哀楽は別々の表情だから、中国方式にいくつもの仮面を用意するのが当たり前だよな。日本の能楽も600年もの長い歴史を持っているわけだが、ひとつの仮面で喜怒哀楽を表そうとする発想は面白いというか凄いことだよな。

日本の能楽のルーツは、奈良時代に中国から伝わった『散楽(さんがく)』と呼ばれる芸能にあると言われるが、同じ中国発でも時を経ると、このあたりにお国柄の違いが出ているよな。ちなみに散楽は、平安時代に入ると、『猿楽(さるがく)』と名前を変え、各地に広がってゆく。天下泰平、五穀豊穣を祈る祭りの中で、『神』に扮して踊る仮面が能面の始まりとされる。そして、室町時代になって世阿弥という天才によって、大衆の娯楽だった猿楽を、芸術性の高い能へと発展させたわけだ。」

「というか、そもそも人間というのは顔ひとつで喜怒哀楽の感情を表現する。他の動物ではここまで繊細には表現できないもの。まさしく‘人間は顔の動物だ’と言えそうだよね。」

 ここで、物知りのおじいさんが口を挟んでくる。

「顔にはその人の育ちや性格などが出てくる。よく‘男の顔は履歴書だ’と言われる。逆に‘女は顔だ’なんて酷いことを言う輩もいるわけだが、…要はいかに顔が重要かを物語っている。

 昔は、顔を見るだけで、こいつはヤクザだ!チンピラだ!というのが分かった。どうしても育ちなどが顔に出てくるんだな。だから悪いことをする奴は顔で判別できたんだ。ところが、最近の犯罪者の顔をTV報道などで見ると、ふつうの顔をした奴がこんな酷い犯罪をするのか!?と思えることが多くなった。世も末だ!」

 

 ちんぽ三兄弟の顔の話が、いつもの癖で妖怪談になっていく。

「JUNさんの演目『顔』は、最初は女の能面だったが、最後には鬼の面になっていたなー。オレはその点がすごく気にかかったよ。」

「顔なし妖怪の代表は‘のっぺらぼう’だ!」

辞書(『ウィキペディア(Wikipedia)』)を見ると、こう記載してある。・・・

のっぺらぼう(野箆坊)は、顔に目・鼻・口の無い日本の妖怪。また、転じて凹凸が(ほとんど)ない平らな状態を形容する言葉。

外見は人に近いが、その顔には目・鼻・口がないという日本の妖怪である。古くから落語や講談などの怪談や妖怪絵巻に登場してきた比較的有名な妖怪であり、小泉八雲の『怪談』の「貉(ムジナ、MUJINA)」に登場する妖怪としても知られる。また、しばしば本所七不思議の一つ『置行堀』と組み合わされ、魚を置いて逃げた後にのっぺらぼうと出くわすという展開がある。妖怪としての害は人を驚かすことだけで、それ以上の危害を与えるような話は稀だが、話の筋立てとして「再度の怪」がよく用いられる。

八雲の「狢」が表題からしてそうであるように、タヌキやキツネ、ムジナといった人を化かすという伝承がある動物がのっぺらぼうの正体として明かされることも多い。

 

  八雲の「狢」の話を紹介しよう。・・・

江戸は赤坂の紀伊国坂は、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。ある夜、一人の商人が通りかかると若い女がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も付いていない。驚いた商人は無我夢中で逃げ出し、屋台の蕎麦屋に駆け込む。蕎麦屋は後ろ姿のまま愛想が無い口調で「どうしましたか」と商人に問い、商人は今見た化け物のことを話そうとするも息が切れ切れで言葉にならない。すると蕎麦屋は「こんな顔ですかい」と商人の方へ振り向いた。蕎麦屋の顔もやはり何もなく、驚いた商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。全ては狢が変身した姿だった。

⇒この「狢」の話は、二度にわたって人を驚かせるという筋立ての怪談「再度の怪」の典型である。

 

「なんで、のっぺらぼうには顔がないのかな?」

「結局は、キツネやタヌキの化け話。単に人間を驚かしたいだけ。それ以上の悪気はないようだよ。まぁ、かわいい妖怪じゃないか。」

「日本独特の気配で人を怖がらせる妖怪だね。気配だけで驚かすなんて粋の世界とも言えそうだけど・・・」

「顔を失くすということは表情を隠すということだよね。先ほど‘人間は顔の動物だ’という話をしたけど、これは逆行しているよね。」

「人はいろんなことを考える。それがついつい顔に出る。それを悟られまいと顔を隠すわけだ。犯罪人はメガネやマスクや帽子などで顔を隠したり、変装したりする。のっぺらぼうはその典型かもしれないな。」

「つまるところ、顔がないということは没個性ということだ! 自分の考えや主義主張を持たない人はのっぺらぼうになっちゃうんだね。」

「最近はネットで他人のことを誹謗中傷する輩が増えた。あれは顔のない犯罪だと思う。実際に誹謗中傷で自殺した有名人もいたわけだから、殺人罪と言っていい。

顔が見えないことをいいことに平気で他人を誹謗中傷する。それは人間に悖(もと)る恥ずべき行為だ。そんな輩には絶対に貧乏神がつく。のっぺらぼうも笑っていると思うよ。」

「本当にそうだな!」

 

 JUNさんがポラのコメントでこう書いてくれた。

「人それぞれの顔。これこそが、人間の大切な部分であり、個性なんです。(中略)この顔により、人生を生きていく。そして、この顔により、人を慈しむ。」と。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第57章 夏野菜と河童の巻

                          

                                         

「今年は、例年のように猛暑に加え、コロナ禍でダブルパンチだな。暑いのにマスクを着用しなければならないからたまらん!」

「マスクをしていると喉の渇きを忘れてしまう。水分補給は大切だよ。しかし、おまえのように炭酸飲料とアイスばかり食べていると胃腸が弱り身体がバテルぞ!」

「こういう暑い時こそ、旬の夏野菜や夏果物を食べたらいいんだよ。野菜や果物は水分がほとんどなんだ。特に夏野菜は水分率が高い。果物より高いのにはびっくりだ。例えば、夏の果物といえばスイカだが水分率は89%で果物の中でトップ。ところが、夏野菜はスイカよりもっと水分率が高いんだ。水分率の高い順に、キュウリ95%、セロリ95%、トマト94%、白菜93%、ナス93%…と並ぶが、キュウリ、トマト、ナスなどの夏野菜が目立つだろ。」

「夏野菜には、水分やカリウムを豊富に含んでいるものが多く、身体にこもった熱を身体の中からクールダウンしてくれる。トマトやキュウリなど生で食べられるものも多いので、夏に不足しがちな栄養素を簡単に補給できるのが夏野菜の長所だな。」

「代表的な夏野菜には、キュウリやトマト、ピーマン、ゴーヤ、ナス、トウモロコシ、カボチャ、枝豆などが挙げられる。濃い、ハッキリした色の野菜がその特徴。食欲も落ちるこの季節、カラフルなビタミンカラーは食欲を刺激する。栄養価が高いうえに、なにより値段が安いのがいい。」

「オレは野菜が嫌いだけど、ビールに枝豆は最高だな。枝豆にはカリウムとたんぱく質が多く含まれているから夏バテ予防にいい。」

「古いギリシアのことわざに『トマトが赤く実れば医者が青くなる』というのがあるの知っているか? トマトにはビタミン C、E、カロチンの三大抗酸化作用があり健康と美容の味方。赤色色素『リコピン』は老化防止、がん予防になるというから凄い旬の効果があるんだ。」

「でも、やはり夏野菜の王様はキュウリだな。キュウリには、夏場、汗をかいて不足しがちな水分とカリウムが多く含まれている。キュウリにはビタミンCを壊してしまう酵素が含まれているが、酢にその酵素の働きを抑える作用があるので、酢の物で食べれば効率よくビタミンCも取れるし。」

「キュウリと言えば、河童(カッパ)たな。お寿司でも、キュウリの細巻きを『カッパ巻き』と呼ぶほどだ。めっちゃ美味しい!!!」彼らはすぐに妖怪に結びつける癖がついている。

 ちんぽ三兄弟がそんな話をしていたところに、ストリップ童子こと・ちん吉くんが友達を背負ってやって来た。友達はこの猛暑でやられたらしい。マスクを外して気づいた。なんと、河童である。河童もこのご時世無理にマスクをしているせいか、完全に干上がっている。急いで頭の皿に水をかけてやり、キュウリを与えたら生き返った。やはりキュウリの効果は抜群である。

 

 ちん吉くんは友達の紹介がてら河童の話をし出した。・・・

河童(カッパ)と言えば、現代でもアニメやキャラクターなどで、かわいらしくユーモアに描かれることが多いが、実はその正体には悲しい言い伝えがたくさんある。今回は河童の正体や伝説を紹介する。

河童(かっぱ)は字の如く、河に現れること、童(こども)の姿をしていることから、その名前がついた。子どものような体格で、全身が緑色。背中に亀の甲羅のようなものを背負っていて、頭の上には丸い皿がある。この皿には常に水が張られていて、皿が乾いたり割れてしまうと、力が出なくなるとされる。

そして、河童の見た目のルーツになったとされる有名な説のひとつが、間引きされた子どもの水死体が河原にさらされている姿であるという説。他の子どもに間引きしていることを悟られないよう、大人が作った嘘が「河童」であったとされている。悲しいお話だが、江戸時代には子どもの間引きが頻繁に行われていた。座敷童子とルーツは同じなんだね。この話を聞くと、座敷童子と河童が友達なのもよく分かるなぁ~

悲しいルーツの一方、書物で描かれる河童の行動は、ひょうきんでおっちょこちょい。相撲といたずらが好きで、人間につかまえられて、こらしめられている姿も多く描かれている。また、一方で恩義に厚く、お礼の代わりに田植えを手伝ったり毎日魚を届ける姿も、数多く伝承されている。考えてみれば、そういう楽しい部分を強調しないと、間引きされた子どもが浮かばれなかったのかもしれないな。

また、九州地方には古くから「河童は人間に取り憑く」という言い伝えがある。例えば、熊本県では河童が若い女性に取り憑く言い伝えがあり「河童が棲む水辺ではふしだらな様を見せないように」と戒められ、河童に取り憑かれると、甘ったるい声で言い寄るようになると言われていた。これも間引きした子どもの霊なのだと感ずるな。

 

では、メインテーマである「なぜ河童はキュウリが好きなの?」に入ります。

一説によると、カッパはかつて水神だったと言われている。その理由のひとつが相撲だ。カッパは相撲を取るのが好きだ。相撲と言えば神に捧げる神事のひとつである。そしてキュウリは水神への捧げものと考えられていた。つまり、カッパはもとをたどれば神であり、キュウリはその神に供えられるものだったのだ。それゆえに、河童はキュウリ好きと言われるようになった。

また、京都の方では、夏になり水遊びが盛んな時期になると決まって『祇園祭りより前に川で遊ぶと河童に尻子玉を抜かれるぞ』とか、『6月15日に川に入ると、河童にさらわれる』といった言い伝えを子供達に語って聞かせる風習があった。

尻子玉(しりこだま)とは、人間の尻の近くにあると言われている『魂の塊』を言う。または肝臓とも言われている。そして、これを抜かれるとただの抜け殻になってしまう。溺死した人はこれを河童に抜かれたのが原因だと噂された事によりこのような伝承が伝わったようだ。まぁ、これは水遊びがしたい子供達が調子にのって事故を起こさないための方便だと言われている。

しかし、それでも子供達ははしゃぐ。いくら入ってはダメだと言われても、入る。そこで、各地では旧暦6月16日に『河童祭り』が行われた。各地の河童祭りで共通して言える事は、川や池、沼などにキュウリを投げ入れる事だ。

では、なぜキュウリを投げ入れるのか?

尻子玉(しりこだま)は人間のお尻にあるとされている架空の臓器だと話したが、要は河童は人間が好物なんだ。尻子玉や川へ引きずり込む話を見ると、人間を獲物として見ている。きっと人間は河童にとって歯ごたえがあってみずみずしい獲物なのでしょう。そこで出てきたのがキュウリだ。キュウリが人間の味に似ているとされ、「川に入る前にキュウリを投げ入れれば、河童に引きずり込まれない」という俗信が生まれた。つまり『キュウリの味は河童の好物である人間の味に似ているので、キュウリを水に投げてから水に入れば河童に襲われずにすむ』といった俗信が、各地の河童祭りでキュウリを投げ入れる行為の背景になっているようだ。

こうして「河童=キュウリ好き」という方程式ができあがったのだ。まさに「本当は怖いキュウリ好きの理由」といったところだろうか。やはり河童も妖怪。そういった恐怖から、河童にキュウリを捧げるようになったのだろう。

 

同じような話で、ザクロも人間の味に似ているという話がある。結構有名な話なので、知っている人もいるかもしれない。

ザクロが人間の味に似ているというのは、仏教の話から来ている。仏教の世界に、鬼子母神(きしもじん)という女の鬼神(きじん)がいた。

彼女は子だくさんの母親で、子育ての栄養を付けるために、なんと人間の子供をさらって食べていたのだ。それを見かねて対処したのが、お釈迦様。何をしたのかというと、鬼子母神の子供の1人を隠した。もちろん半狂乱になって探し回る鬼子母神。なかなか見つからず、ついにお釈迦様に助けを求めてきた。そして、助けを求めた彼女にお釈迦様はこう言う。

「あなたにはたくさんの子供がいるけど、1人を失っただけでもこうやって嘆き悲しんでいる。それでは、あなたよりもっと少ない、ただ1人の子供を持つ人間の母親の悲しみはいかほどだろうか。」

鬼子母神がお釈迦様に教えを乞うと、さらにお釈迦様はこう続けた。

「私の教えに帰依(きえ=拠り所)して、人々を襲うのをやめなさい。そうしたら子供に会えますよ。」

そうして鬼子母神は仏教に帰依して、子供に会うことができた。今では仏教を守護する鬼神の1人となっている。そして、このときお釈迦様が鬼子母神に人間の代わりに与えたのがザクロだった。そのため、鬼子母神の像はザクロを持っていることが多い。

 

 

 ちん吉くんの話を聞いて、ちんぽ三兄弟がふうーとため息をつき、ぽつりと呟いた。

「この河童の話を知ってから、河童のことを単にユニークなキャラクターと思えなくなったな。カッパ巻きを食べると、なんか悲しくも、しょっぱい味がするよ!」

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第48章 おんぶおばけ「こなきじじい」「おばりよん」の巻

                                         

 

 ちんぽ三兄弟は、「だっこちゃん」と「ひざまくら」が常連「こなきじじい」の遠い親戚と聞いて、妖怪「子泣き爺」のことを調べ始めた。

 ネットWikipedia(欄外添付)によると、「子泣き爺もしくは児啼爺(こなきじじい)は、徳島県山間部などで伝承される妖怪」とある。それは老人の姿だが、夜道で赤ん坊のような産声をあげる。その泣いている子泣き爺を見つけた通行人が憐れんで抱き上げると、体重が次第に重くなり、手放そうとしてもしがみついて離れず、遂には命を奪ってしまうとされている。ところが、昔の書物には子泣き爺の記述がなく、民俗学的観点から見れば子泣き爺という妖怪が存在することは疑問視されている。民俗学者・柳田國男は著書『妖怪談義』の中で、おばりよんや産女に近いものとして、創作されたものではないかと指摘している。

 ちんぽ三兄弟は顔を見合わせた。「おいおい、子泣き爺といえば、ゲゲゲの鬼太郎のレギュラー妖怪として有名だよな。正義の妖怪として気に入っていたのに本当はいなかったと言われても困るよな。」

ところで‘おばりよん’っていう妖怪を知ってるか?

おばりよんは、新潟県三条市に伝わる妖怪の一種。「ばりよん」は「負われたい」を意味する方言。4期ゲゲゲの鬼太郎にも登場する。

夜、藪の中を歩いていると、いきなり「おばりよん」と叫びながら背中におぶさってくる。そしてその体の小ささに似合わずどんどん重くなっていき、簡単に離れなくなるとされる。とても重いが、耐え切って家まで連れて帰ると黄金に変わり富が得られるとか、剛力が得られるなど伝承にはいくつかのバリエーションがある。

「いずれにせよ、ストリップはお触り厳禁。妖怪『子泣き爺』や妖怪『おばりよん』のような、いわゆる‘おんぶおばけ’は劇場には馴染まない妖怪だよな。」

「もうひとつの‘産女’っていう妖怪はなに?」「そういえば、たしか10年以上前に、ロック座の看板だった灘ジュンさんが演目でやっていたのを観たことがあるよ。」「トップダンサーが妖怪ものを演ずるとインパクトが強いよね。」

産女(うぶめ)も日本に古くから伝わる有名な妖怪。妊娠中に亡くなった女性が化けたものだという。姿は女性で、血だらけの腰巻をつけ、小さな赤ん坊を抱いている。道端や川べりに現れ、通行人に「子供を抱いておくれ」と頼む。恐ろしい姿を見たものは大抵逃げ出してしまい、その後は悪寒と高熱にうなされて死んでいく。逆に勇気を奮って赤ん坊を抱くと、赤ん坊はどんどん重くなるが、産女が念仏を唱え終わるまで耐え抜くと産女と赤ん坊は成仏して消える。この試練に耐えたものは怪力を授かったという。

「怪力や富が得られるにしても、こんな妖怪に取り付かれるのは勘弁だなー」

 

 ちんぽ三兄弟がそんな話をしているところに、ストリップわらしこと、ちん吉が口を挟んできた。

「子泣き爺がなぜ生まれたか、ぼくはこう思うよ。

昔の貧しい村落では口減らしのために働けなくなくなった老人は姥捨て山に捨てられた。これが当たり前の風習だったので、たいがいの親はある年齢に達するとそれを覚悟した。ところが、ある家の息子が親を背負って姥捨て山に連れて行く途中、老人が赤ん坊のように泣き叫んだ。殺されたくないから、赤ん坊の真似をしたのかもしれない。たしかに老人は赤ちゃん返りするものだし。しかし、皺くちゃの顔は赤ん坊とは違い可愛くない。連れてきた息子は心を鬼にして老人の泣き声を無視し、そのまま姥捨て山に向かおうとした。すると、どうしても姥捨て山に行きたくない親は息子の身体にしがみついて動こうとしない。息子は親のことを不憫に思い、どんどん老人の身体が重く感じられた。

この体験が語り継がれ、親がある年齢に達してくると、親子ともども、子泣き爺が現れると畏れたのではないだろうか。誰だって自分の親を姥捨て山に連れて行って殺したくはない。それでも食べていけない食料事情にやむなく姥捨て山の風習はあった。姥捨て山は悲しいドラマ(事実)なんだ。

昔のこうした貧しい事情を反映して子泣き爺は生まれたんじゃないかな。

いずれにせよ、子泣き爺は自分の親が化けたものである。親は好々爺の顔をした神の姿である。こうした神を崇める気持ちが妖怪『子泣き爺』を創り上げたものと思えるよ。」

ちん吉の話を聞いていたちんぽ三兄弟もまんこ三姉妹もしみじみ納得した。

 

「日本の妖怪のことをいろいろ調べると、日本の風土に根付いているものが多く、しんみりとした奥深さを感ずるよね。今回のおんぶおばけ達は人間にしがみつこうとしているけど、人間に触れようとする妖怪は極めて例外で、ほとんどの妖怪は自ら持つ雰囲気のみで怖がらせる奥ゆかしさを感ずる。この点は、人間に襲いかかる海外のホラーものとは随分違うよね。代表的なドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン等、全て人間を襲い、激しく血を見るもんね。だから日本の妖怪にはたまらなく日本らしさを覚えるよ。」

 それを聞いていた物知りのおじいさんも話に入ってきた。

「ちんぽ三兄弟もずいぶん妖怪通になってきたね。感心!感心!

 ところで、ストリップと妖怪の関係について、わしはこんな風に感じている。

 これまでの日本にはストリップの独特な文化が定着してきたよね。おそらくこれは、日本の妖怪と同じ感覚なんだと思う。つまり直接触れることはしないで、その雰囲気を味わうという文化だ。

 わしは前から、踊り子と客には適度な距離感が必要だと説いている。基本的には、踊り子と客は劇場の中が全てであり、外でお茶したり、食事に行ったりしてはいけないということ。その中には、もちろん身体を触れないということも入っている。この距離感が、人間と妖怪の間にも成立するのではないかな。ほとんどの妖怪が人間に触れてこようとしないなら、人間も妖怪に近づき過ぎるのはよくないんだ。お互いを認め合い、適度な距離感をもって付き合っていけばいい。

 今回のコロナ禍では、ソーシャルディスタンス(社会的距離)が大切だと訴えている。ところが本来、人間は身体を触れ合うことで生殖活動を行い、子供とも身体を接触することで愛情を伝えてきた。人間は触れ合う動物だと思い込んでいた。

 それに拍車がかかり、国際化により、さまざまな国の人々とも触れ合ってきた。しかも、機械文明の発達に伴い、大量に迅速に触れ合うようになってきた。そのためにコロナ禍はあっという間に世界中に蔓延した。

このことをどうとらえるか。もしかしたらコロナ禍は人間が触れ合い過ぎることを戒めているのかもしれない。また、人間が本来踏み込んではいけない場所に踏み込み過ぎたのかもしれない。少なくとも妖怪は迷惑しているじゃろ(笑)。妖怪とは自然であり神である。こうした全てのものに適度な距離感を保て!と警告しているようにも思える。

今回のコロナ禍はそういうことを再考するいい機会だと考えたい。」

 

                                    おしまい

 

【参考】Wikipediaより

子泣き爺もしくは児啼爺(こなきじじい)は、徳島県山間部などで伝承される妖怪

<概要>

民俗学者・柳田國男の著書『妖怪談義』に記述のある妖怪の一つで、本来は老人の姿だが、夜道で赤ん坊のような産声をあげるとされている。

一般には、泣いている子泣き爺を見つけた通行人が憐れんで抱き上げると、体重が次第に重くなり、手放そうとしてもしがみついて離れず、遂には命を奪ってしまうとされている。書籍によっては、子泣き爺は石のように重くなることで抱き上げた人間を押し潰すなどと記述されている。しかし柳田はこうした特徴について、おばりよんや産女に近いものとして、創作と指摘している。

「民間伝承の会」(現・日本民俗学会)の機関誌『民間伝承』第4巻第2号に寄せられた論文「山村語彙」には三好郡三名村字平(現・三好市)の口承として「子供の泣声を真似る怪」と記述されているのみである。

<正体>

徳島県阿南市の郷土史家・多喜田昌裕によれば、伝承地とされる徳島県地方では、実際には子泣き爺の伝説は存在しないことが判明している。一方で徳島の伝説を採取した書籍『木屋平の昔話』には、山中で不気味な赤ん坊の声で泣く妖怪、人間が抱き上げると重たくなって離れない妖怪などのことが記されているため、これらの妖怪譚が一体となって子泣き爺の話が生まれた可能性が示唆されている。

さらにその後の多喜田の調査によれば、『民間伝承』第4巻第2号の口承のあった地では、かつて赤ん坊の泣き声を真似た奇声をあげる実在の老人が徘徊しており、子供にとって非常に不気味な存在だったため、子供を親が叱る際に「(その老人の名)がやって来るよ」と使われていた。そのため、実在の人物であるこの老人が前述のような声の妖怪と結びついたか、もしくは郷土史家による採集結果が柳田國男に報告される過程で、実在の人物であることなどの多くの情報が錯綜・脱落し、さらにおばりよんや産女の伝承が混同された結果として子泣き爺の特徴が形作られた、といった推測もある。

これらの説に基くと、民俗学的観点から見れば子泣き爺という妖怪が存在することは疑問ということになるが、昭和・平成以降では多くの書籍で妖怪として紹介されていることなどから、子泣き爺が一般的に妖怪として認められていることも事実だと、妖怪研究家・京極夏彦は述べている。特に漫画『ゲゲゲの鬼太郎』で主人公・鬼太郎をサポートする名脇役として描かれて以降は、正義の妖怪として一躍有名な存在となっている。

 

 

 

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第47章 妖怪「だっこちゃん」「ひざまくら」登場の巻

                                         

 

 劇場にめいぐるみを持ってくる客がいる。たいがいの踊り子はぬいぐるみが大好き。要は踊り子の気を引くための道具のようだ。持参してきたぬいぐるみを踊り子にプレゼントする人もいれば、プレゼントはせず、まさに自分のキャラクターのごとく踊り子とスリーショットを楽しむ人もいる。楽しみ方は人それぞれなので構わないが、客の間では目立つことは確かである。

 

 さて、劇場によく来る客に、だっこちゃんを持ってくる客がいる。もう一人、ガチャピンを持ってくる客もいる。この二人はやけに意気投合している。

 誰もが知っている有名な人形ではあるが、一応、それぞれの人形について説明する。

ダッコちゃん、だっこちゃんは、1960年(昭和35年)に発売されたビニール製の空気で膨らませる人形の愛称。後に製造元のタカラ(→タカラトミー)もこの名称を使うようになった(21世紀の復活版では正式な商品名として「だっこちゃん」が採用されている)。

だっこちゃんの誕生話をしよう。もともとは玩具の一種として、1960年(昭和35年)4月に発売された。当初は「木のぼりウィンキー」、「黒ん坊ブラちゃん」といった名前で売り出された。「ウィンキー」という商品名は目玉が閉じたり開いたりしてウィンクしているように見えることからつけられた。

当初の製造元は当時の宝ビニール工業所(後の株式会社タカラ→タカラトミー)。 真っ黒な人型をした本商品は両手足が輪状になっており、木にしがみつくコアラのようなポーズをとっている。「ダッコちゃん」の名前の通り、腕などに抱きつくようにぶら下げることが可能だった。発売当初の販売価格は180円。腰蓑をつけた黒人のように見えるその姿は極限までディフォルメされており、非常にシンプルな形状だった。 ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現在は創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授である。

1960年6月ごろから、若い女性を中心にブームの兆しが起こった。日本における玩具としては、1958年(昭和33年)のフラフープに続くブームとなった。ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになる。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」(平仮名表記で「だっこちゃん」とも)という愛称が与えられた。

日本での人気を受け海外にも紹介される。ところが、その後、ダッコちゃんはアメリカから黒人蔑視との批判が出て、製造を中止することになる。

2000年(平成12年)にタカラ社長に就任した佐藤慶太は「ダッコちゃんの復活」を社命に掲げた。同年3月、佐藤慶太の呼びかけで社内にダッコちゃんの復活プロジェクトが立ち上がった。 そして、2001年(平成13年)に販売再開する際、もともとは愛称だった「だっこちゃん」を正式な商品名に採用した。その際には厚い唇、縮れ毛、腰みのといった人種差別的と指摘された要素を取り払い、代わりにとんがり頭としっぽがついた。設定も「くっつきたい、触れ合いたい、という人間本来の心から生まれた架空のキャラクター」というものに変わり、色も黒のほかピンクやブルーなどが用意された。こうして現在に至る。

 

もうひとつのガチャピンについて。

ガチャピンは、フジテレビ系の子供番組『ひらけ!ポンキッキ』を初めとする様々なフジテレビ系番組において、主として着ぐるみの形で登場するキャラクター。設定上、南国生まれのステゴザウルスの男の子で、年齢は永遠の5歳、身長は165cm、体重は80kg、座高は88cmとされる。特技はスポーツ全般。

誕生日である4月2日は『ひらけ!ポンキッキ』の放送が開始された1973年4月2日に由来する。

一人称は「僕」。全身緑色で丸い頭、半開きで眠そうな垂れ眼。口元からは前歯が2本飛び出している。背中には背鰭があり、お腹の部分だけが黄色とピンクの縞模様になっている。両手首にエネルギーボールが7個ずつあり、勇気と力の源とされている。ムック(雪男の子供)とコンビを組む。日本ソフト映像倶楽部社長の片桐襄二が原案・デザインを担当。当初はきちんとしたキャラクターデザインではなかったが、同番組を制作した日本テレワークの野田昌宏がモデルで、可愛げがあり、ふっくらとした顔から着想を得た。ビートルズのポール・マッカートニーがモデルだという説もあった(相方のムックのモデルがジョン・レノンであるという説と合わせて、これは都市伝説と化しているが、根拠はない。)

自己紹介の決まり文句は「ガチャガチャピンピン、ガチャピンで〜す」。

 

さて、このだっこちゃんとガチャピンのぬいぐるみを持つ二人組。大きな身体のだっこちゃんと小さい身体のガチャピン、変な組み合わせだが、やけに気が合う。だっこちゃんもガチャピンも南国生まれというのが共通点か。なにより、ぬいぐるみを使って踊り子さんとツーショットを撮るわけだから手段と目的が共通している。

よく見ると、巨体のだっこちゃんの方はムックに見えなくもない。ガチャピンとムックなら気が合うはずだ。

さて、それぞれの撮影状況を話そう。

だっこちゃんの方は撮影ポーズとして、踊り子にだっこちゃんを持たせ、その彼女をお姫様だっこしたり、または足を伸ばして座った彼の膝の上に座らせたりする。時に踊り子を肩車する。要は、ぬいぐるみを使って自然な形でお触りするのである。どうも、その本心は「肩車すると踊り子のあそこが首に触れてぞくぞくする。恥ずかしさや遠慮なんてしてられるかー。お金を払っているんだから堂々と触ってやれ!」と思っているようだ。

一方のガチャピンの方は、踊り子さんの膝の上に‘ひざまくら’する。ある時、自然に頭を乗せたら「きゃー! 重すぎるー!」と悲鳴をあげられた。驚いたガチャピンは、それからは頭を乗せないで、少し浮かせるようにしている。気さくな踊り子さんは彼の頭を優しく膝の上に乗せたりもしている。すると彼の下半身はガチャガチャピンピンになる♪

どうも二人とも、母親への甘え願望が抜けきらないように見える。しかし、他の客から見れば、彼らは単なるお触り魔である。お触り厳禁のストリップのルール違反である。

 

ちんぽ三兄弟は、この二人は妖怪ではないかと睨んでいる。彼らについて、毎日劇場に通ってくる小柄な常連の老人、こなきじじいに尋ねることにした。ちなみに、そのこなきじじいは、いつもかぶり席に座り、石のように硬くなっている。早朝からラストまでかぶり席をじっと動かない。オープン時には、にたぁーっと子供のような笑顔で笑うので、踊り子さんから可愛がられる。

こなきじじい曰く「あの二人はわしの遠い親戚じゃよ。ガチャピンが踊り子の膝の上に頭を乗せた瞬間、ずしんと重くなって驚いていただろ。あれは妖術(体重増加、岩石化)なんだ。わしも、相手におんぶすると石のように重くなる。それと同じ妖術だよ。わしは、そのことを知っているから踊り子には絶対に触らないように気を付けている。あの二人は踊り子に触りたがるところを見るとまだまだ若いんだなあ~困ったものじゃ」。

それからというもの、ちんぽ三兄弟は、彼らを「妖怪だっこちゃん」「妖怪ひざまくら」として警戒するようになった。

                                    おしまい