まず第一に、ストリップの歴史をおさらいする必要がある。

 なぜなら、過去の判例は昔のストリップに対するもの、今のストリップの内容は昔と様変わりしている。

 風俗全体が時代とともに大きく変わってきていることが背景にある。こうした時代背景を抑えておくことが肝要である。

 できる限り、過去の判例、最近の検挙事例をあげていきたい。

 

1, ストリップの今昔

 

 何十年ぶりかで久しぶりにストリップにやって来て、昔のストリップと全くイメージが変わったことに驚いている年配の方をよく見かける。昔のストリップは今よりもずっとギラギラしていた。その象徴は本番生板ショー。客たちが立ち上がり、我先とステージに上がろうとジャンケンを始める。その全盛期にたまたま劇場に足を運び、そのギラギラした生臭い雰囲気を感じ、こりゃ自分とは相性が合わないなと思い、二度と行かなくなった方もたくさんいるだろう。私もその部類だ。初めてストリップに行った大学生時代に今のようなアイドル・ストリップだったら完全にハマっていたことだろう。それくらい、昔と今とではストリップの雰囲気は様変わりした。

 順を追って、ストリップの歴史を振り返ってみよう。

 

ひとえにストリップといえども、日本国内におけるストリップという文化は70年の歴史を誇る興行で、女性が音楽にあわせて踊りながら衣服を脱いでいくショーのことを指すわけだが、その内容はどんどん様変わりしてきている。

ストリップの基礎知識として、過去の歴史を振り返ってみよう。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照・引用させてもらった)

ストリップは戦後まもないころに始まった。1945年8月の終戦から一年半後の1947年1月15日、東京都新宿角筈(現在の新宿三丁目)の帝都座5階演芸場で、本邦初のヌードショー「ヴィーナスの誕生」という催物として始まったと言われる。歌や踊り、コントなどが演じられる全27景のバラエティショーの1景として演じられ、ヌードを見せるのは長くて30秒程度だった。この時のモデルは甲斐美晴。企画・演出は秦豊吉。スタッフには東郷青児もいた。乳房は露出していたが、陰部は扇で隠されていた。モデルが動けば風俗擾乱として摘発する旨がGHQから寄せられていたため、実際の女性が西欧の裸体画に扮し、踊りはなくじっとしているものであったので「額縁ショー」と呼ばれていた。

そういえば少し前には、時々「オレは額縁ショーの頃からストリップを観ているんだ」と自慢している老人に会ったものだ。さすがに戦後75年以上経つと、その頃のことを話せる人はいなくなった。いずれにせよ、「額縁ショー」はストリップ・ファンなら誰もが聞いたことのある象徴的な話である。

その当時はそれだけでも大変なショックで、大きな反響を呼び、殺到した客が5階の階段を埋め尽くして、地上に長い列を為したという。戦後、まだ娯楽のない時代だから当然なことだろう。

その後、規制は緩和され、変化を付けるため、行水ショーなど様々に工夫された。1948年3月、台東区浅草の常盤座にて初めて踊りを取り入れた本格的なストリップショーが開催された。その後、全国的な広がりを見せ、大衆娯楽となった。

1950年代、フランス座やロック座、カジノ座、東洋劇場など浅草公園六区、そしてムーランルージュ解散後の新宿セントラル劇場、新宿フランス座といったストリップ劇場では幕間に軽演劇の流れを汲むコントが行われ、佐山俊二、長門勇、谷幹一、関敬六、戸塚睦夫、海野かつを、渥美清や、東八郎、由利徹、八波むと志、財津一郎、三波伸介、伊東四朗、石井均、萩本欽一、坂上二郎、やや間があって1970年代のビートたけしなど、昭和を代表する喜劇人や井上ひさしなどの脚本家を連綿と輩出する舞台にもなっていた。その後も1980年代のコント赤信号(渋谷道頓堀劇場)から浅草キッド(フランス座)の頃まで、その流れは徐々に衰退しながら続いていく。 またこの頃、ストリップダンサーはバタフライといわれる一種の前張りを股間に付けていた。

今でも、当時のバタフライのことを知っているストリップ常連がいる。かなりの年配になる。ちなみに私は、1980年代の渋谷道頓堀劇場でダチョウ倶楽部を観たことがある。

1970年代頃から、関西地区を中心に全裸になって(全スト)女性器をあらわに見せる特出しショーの一条さゆりらが人気を博した(いわゆるOS系、OSとは大阪ストリップの略、関西OS系に対抗するのが関東TS系であり東京ストリップの略である)。一条は摘発されたが、次第に全ストが一般的になった。

また、舞台で女性出演者同士の絡む様を見せる「レスビアンショー」(レズではなくレスである)、出演者のカップルが本番行為を行う「白黒ショー」、同様に出演者のカップルがSMプレイを行う「残酷ショー」、お客が踊り子と舞台上で性交をする「マナ板ショー」が全盛になった。徐々にTS系をどぎついOS系が凌駕していく。ショーの内容は更にエスカレートし、ポニーと踊り子による「獣姦ショー」も登場したが、1985年の風営法の施行後は警察による取締り強化のためストリップ劇場が激減した。

今思えば1970~1980前半にかけてストリップ人口がピークだったのだろう。逆に他の風俗も台頭してきて、ストリップもそれなりの危機感があった。そこで、どんどんエロ度を強化して、なんでもありの状態になっていった。つまり‘ストリップのエログロ化’である。舞台に上がってやる「マナ板ショー」が中心となり、舞台に上がれない客向けに場内にはピンク個室もでき、ストリップは男にとって抜ける場になっていった。さらに「白黒ショー」「残酷ショー」「獣姦ショー」の他にも、私は観たことがないが「出産ショー」なんてのもあったらしい。初めて「獣姦ショー」を観たとき、踊り子にしごかれた犬のちんぽがにょきにょきとピンクに伸びてきたことに驚き、そして踊り子と交わった最後に犬が物悲しくうおぉ~と叫ぶのが印象的だった。

こうして、警察の厳しい規制が入る中で、1980年代は、アイドル・ストリップへの大きな転換期を迎える。最初にアイドルストリッパーとして人気を博したのは美加マドカ、本番は行わず「オナニーショー」で有名になった清水ひとみ、後に「伝説の踊り子」と呼ばれた影山莉菜など、若くて容姿のよいアイドルダンサーが活躍した。またこの頃は、社会的にまだ話題に取り上げることができた時期で、レコードとして笑福亭鶴光の鶯谷ミュージックホール(オールナイトニッポンにて深夜に登場)やラジオ大沢悠里ののんびりワイドで看板のお色気大賞コーナーがあり、ストリップの話題がお茶の間に流れた。

また、その頃から観客の人気を集めるためアダルトビデオに出演していた女優が舞台に上がることも多くなり、導入当初は会場前に長蛇の列が出来、入替制にするなどの人気が上がった。武智鉄二監督の本番映画『白日夢』で有名になった愛染恭子が出演したときは凄かったらしい。

当時の私はあまりストリップに興味がなかったが、アイドル・ストリップになってからは風俗雑誌の記事に誘われて何度か劇場に足を運んだことがある。印象に残っているのが、渋谷道頓堀劇場所属の影山莉菜さん。彼女は酒井法子によく似た本当にアイドル系の娘で、すごく人気があった。1995年に惜しまれながら30歳直前に引退したのを記憶している。また、同じ時期に、清水ひとみさん(渋谷道頓堀劇場の元社長)がかぐや姫などのストリップ・ミュージカルを始めていた。今から30年近く前の話になる。

考えてみたら、当時は風俗界全体に大きな変化があった。というのは、ビニ本に始まり、ホテトルなどが登場して、素人の女の子が気軽に風俗界に入り込んできた。アダルトビデオがそれに拍車をかけ、風俗界の素人化路線がどんどん進む。

そういう中で、ストリップ界にもAV女優が登場してきたわけだ。それにつられるようにAVファンがたくさんストリップに流れてくる。このようにストリップのアイドル化路線も時代の大きな流れに沿っている。

 

エログロは別の風俗としてアングラに発展していく。特に人気のSMはSMクラブ、SM喫茶などで密かに繁盛している。

時たま、SMショーなんかがストリップ劇場で公演される。また素人大会と称してピンクサロンちっくなものが人気を呼んでいる。劇場の経営者としては実入りが多いと聞く。このように、時に他の風俗との交流というか、そんなシナジー効果みたいなものもあるとお互い刺激になっていいとは思う。

でも、やはりストリップの王道はヌードやショーの美しさを追及する、クリーンな今の路線だと私は確信する。今のストリップをいつまでも楽しみたいものだ。

しかしながら、今のストリップ界では集客が逓減し続け、2000年代に入る頃には全盛期と比べると見る影もない状況となった。昭和のストリップ全盛時には全国に300軒以上あった劇場も今や20軒を切る有様となっている。

 

以上が、ストリップの歴史であるが、スト歴20年の私が知っている限りでも、少し昔と今とではステージ内容が変わってきている。

ストリップといえば、基本は今と同じスタイルで「ダンスショー→ベッドショー→オープンショー」という流れなのだが、昔はベッドショーでは天狗ベッドショーといって、踊り子さんは大人のおもちゃの天狗の鼻(こけし)を使用してオナニーを演じていた。今の踊り子さんには大人のおもちゃを使用する人はいなくなった。

また、オープンショーの前に必ず「入れポン出しポン」なるメニューがあった。踊り子さんがこけしをお客に手渡してあそこに出し入れさせるサービスだ。中には、お客の指をあそこに出し入れさせる方もいる。いわゆる「指ポンショー」。当時18歳の私にとってはかなり刺激的だった。

一人特筆すべき踊り子がいた。「薬師丸桃子」といい、薬師丸ひろ子と菊池桃子がアイドル全盛時、二人をもじったユニークな名前だったので記憶に残っている。アイドルというよりは綺麗系の方で、美人で人気があった。彼女はステージ上で積極的に奇抜なアイデアに取り組んでいた。そのひとつがアヌスへの「入れポン出しポン」。鉛筆のような細いこけしでしたが度肝を抜かされた。彼女はSMにも挑戦し、浣腸ショーなんてものがあった。じゃんけんで選ばれたお客が数人ステージに上がり、次々と彼女に浣腸していく。最後に水槽にまたがり、じゃーっと排泄シーンを見せる、という凄い内容でした。

当時のストリッパーは、今以上に職業意識が強かったような気がする。今はいろんな風俗があるから他からの流動があるが、当時はストリッパーという仕切られた職業世界があったのだろう。そのためか、お客が望むなら「何でもあり」といった感じで、今では考えられないエログロの企画までこなしたわけだ。

今ではアイドル・ストリップの時代になり、本番行為もないし、エログロもなくなった。

今では局部は見せるものの、先ほど述べたような局部への挿入行為など刺激的なことはやらなくなった。非常にソフトな内容になってきたのである。

全体として、観せるショーに変貌した。古今東西のさまざまな踊り、演劇などを題材にステージを演ずる。ヌードのない宝塚みたいなものだ。それを一人で演ずるとこが宝塚とは異なる。

今のストリップは、エロスのある総合芸術に昇華している。まさしく「アート」の世界。照明や音響などのハード面の完備、それに踊りや音楽、衣装・ファッション、さまざまな企画などのソフト面の充実。まさしくアイドルと同じだ。だからステージで演ずるのに快感を覚える女の子も多い。

容姿やヌードに自信のある方だけでなく、ダンスを始め、人前で演ずることに興味のある表現者も多い。必ずしもAV出身者だけでなく、素人出身者も多い。だから最近では女の子の客も多く(いわゆるスト女)、その中から踊り子としてデビューする方も増えている。

 

 

                                                            

2, ストリップの革命「ポラ撮影考」

 

ストリップで何よりも大きな変化はポラ撮影である。

ポラ撮影が、劇場の収入を劇的に大きく潤し、かつ劇場の雰囲気を性欲ギラギラから和めるアットホームなものに激変させたのである。これはストリップにおける革命であった。

 

ポラ撮影は、最初はエログロ企画のひとつとして現れ、あそこをポラロイド撮影できるサービスだった。しかも無料だった。それが評判となり、いつしか有料となっていく。1980年代に入ってから一般化した。当時も今と同じく一枚500円。それから40年も経つが基本は一枚500円で変わらない。ただロック系はAV出身者ということで一枚1000円を基本にしている。

いつしか、このポラ収入が入場料収入を上回り、興行収入を支えるようになる。劇場側はどんどんポラ重視に切り替わっていく。以前はポラ撮影をしない、いわゆるソロダンサーも多かったが、次第にポラ撮影のやらない踊り子は淘汰されていく。今ではすべての踊り子がポラ撮影をやり、売ったポラ数がその踊り子の人気のバロメーターになっている。どんなに綺麗な踊り子でもポラをたくさん売らないと次に劇場に呼んでもらえない。

お客としては気に入った踊り子にたくさんステージに乗ってほしければ、ポラを買いポラの販売数を伸ばす→その結果として、踊り子が劇場に呼んでもらい、彼女を追いかけて全国を回る、という応援サイクルになるのである。

 

踊り子にはそれぞれ固定客がいて、彼らが中心になって応援してくれる。全国どこに行っても追いかけてくれる熱心なファンである。彼らは必ずポラを撮り、ポラの販売数に協力する。踊り子の出演ステージ数は、まさしく彼らの貢献次第なのである。そのため、踊り子とファンは一心同体のような関係になる。非常に仲良くなるのだ。ストリップ客はたいてい女性に縁のない男性ばかりなので、彼らはこういうフレンドリーな踊り子を自分の恋人と見なして夢中になるのである。

固定客の中心になるのがリボンさん。彼らはひたすら特定の踊り子のみにリボンを投げる。リボンを巻くために他の踊り子さんのステージは見ずにひたすらリボンを巻いている。彼女に対する無償奉仕である。リボンを投げることによって「あなたに全身全霊を捧げます」と宣言しているわけである。彼らが中心となって、彼女のステージ、さらには周年イベント、誕生会などの行事を盛り上げる。

固定客というのはアイドルの追っかけと変わらないが、ストリップは単なるアイドルとは違う独特な雰囲気となっている。いずれにせよ、AV界からストリッパーになる女優も多いので、AVファンからストリップ・ファンに流れてくる客も増えている。

固定客は特定の踊り子さんに付いているが、彼女が辞めると、それとともにストリップに来なくなる人も中にはいる。しかし、ほとんどの客は別の踊り子に応援を切り替える。所詮、女性に縁のない淋しい男性なのだから、他の踊り子に食指が動いていくわけだ。そうでなければストリップ界は衰退してしまう。たくさんの踊り子の固定客になることも可能。時間とお金が許せば何人応援しても問題ない。そこがストリップの自由さなのである。劇場側は魅力的な新人を次々とデビューさせてくる。何人の固定客になれるかがストリップ・ファンの器の大きさでもある。

 

ストリップはこうした熱心な常連客でもっている。常連客には大きく二つのタイプがある。ネコ型とイヌ型だ。同じ劇場ばかりに通うネコ型の常連客もいるが、むしろ踊り子に付いて回るイヌ型の常連客の方が極めて多い。だから全国どこの劇場に行っても顔の知っている常連客に会う。今のストリップ業界はこうした常連客が全体の9割近いのだと感ずる。人により劇場に来る頻度は違うが。これに対し、一見客は少なく、彼らはほとんどリピートしない。

ではポラ撮影の以前は、こうした常連客がいなかったのかというと当然そんなことはない。何度も劇場に通っていれば顔なじみになって仲良くなれるだろう。踊り子の気を引くため高価なプレゼントをするリッチな人もいる。ただストリップ客は全体的にプアで、なにより女性に縁のない気の弱い男が多い。気軽に女の子に声をかけられるようなら最初からストリップになんか来ない。そうした男たちにとって気軽に踊り子に声がかけられるようになったのがポラ撮影なのである。

こうした常連客が増えた一因は、間違いなくポラ撮影の導入である

 

ポラ撮影には、衣装を着たまま撮る衣装ポラと衣装を脱いでヌードを撮るエロポラがある。またエロボラの中にも社会的に認められたヘアまでのヌードポラと、局部の見える過激なエロポラがある。ストリップ・ファンなのでエロポラが嫌いな人はいないだろう。

エロポラの目的は、人によっていろいろであろうが、たいていは淋しい男性の夜のおかずである。エロポラ人気はストリップの人気を大いに高めた。

ただ、常連客になると踊り子と顔見知りになり、なかなか過激なエロポラは撮りずらくなる。いわゆる挨拶ポラと称して、衣装ポラだけ撮人が増えていく。中には「衣装ポラとエロポラはコインの裏表だ!」と言って両方を撮る客も多い。いずれにせよ、常連客はせっせとポラを撮ってポラ販売数に貢献するのだ。

 

こうして、ポラを通じて客と踊り子の触れ合いは高まる。要は、常連客がストリップに来る一番の目的は、馴染みの踊り子との触れ合いなのである。好きな踊り子に気に入ってほしくて常連客はせっせと劇場に足を運ぶのである。好きな踊り子が複数いれば、はしご(一日のうちに複数の劇場を渡り歩くこと)もする。それは、もてない男の帰巣本能みたいなものである。

あえて言わせてもらうと、今や常連客たちはエロを求めていない。性的刺激を求めて劇場に行っているのではない。踊り子との触れ合いを求めて劇場に通っているのである。だから、極端なパンツ興行であろうと、ある程度の客は確保できるのが現状である。

最近では、過激なエロポラを廃止する劇場が増えてきた。これがわいせつ罪の規制の対象となるからである。それでも客数は減らないようだ。いい踊り子、いいショー企画をやっていれば経営は維持できることが実際に証明されている。過激なエロポラを撮れなくても(いわゆるパンツポラでも)、他の最低限のエロ(ベッドショーやオープンショーでの性器の露出)があれば十分客は入るのである。これじゃ不満だと言う方もいるかもしれないが、昔々のストリップのことを考えれば納得いくはずです。

ポラ撮影が踊り子との触れ合いであるならば衣装ポラは必ず残る。劇場経営としてはエロポラ分のポラ収入が減るのが痛いとは思うが、それでもポラ収入は劇場側にとって大きな収益源である。

そう考えると、ストリップでは局部を撮れる過激なエロポラは次第に無くなっていくのかもしれないな。それが時代の流れとして受け入れざるを得ないのだろう。今後は警察のガサ入れを無くしていく交換条件として過激なエロポラを廃止する方向で検討していかなければならないと私は感じている。

いずれポルノが欧米並みに完全解禁された時点で、再度、過激なエロポラも復活させたらいい。それまでは我慢である。

 

 

最後に、過激なエロポラがどんな罪になるのか、について触れておく。

すぐに思い浮かぶのが「わいせつ物公然陳列罪」である。ところが、これに対して、法律家の花月さんは次のように述べている。

<ストリップ・ショーに関して、「わいせつ物公然陳列罪」の成立が問題になることはありません。わいせつ物公然陳列罪とは、文字通り、わいせつな文書、図画その他の「物(もの)」を公然と陳列した場合に成立する犯罪です(刑法175条1項前段)。踊り子さんの身体は「もの」ではありませんから、この犯罪が成立することはあり得ないのです。この「わいせつ物公然陳列罪」と、以下で検討の対象となる「公然わいせつ罪」は別物であることに注意をしてください。>

この点について、私は「過激なエロポラはわいせつ罪に該当するかもしれないな」と感じた。エロポラはあくまで個人的な趣味(夜のおかず等)として楽しむものであり、転売・転写したりネット等への掲載を禁止している。しかし、出回る可能性は否定できない。現に、エロポラを撮ったものの、酔っぱらっていて、または家族に見つかると困るからと路上に捨てていく客もいて、それを拾った人が警察に届けた事例もある。とんでもない話だが現実に起こりうる。

ともあれ、これまで客から没収されたエロポラが罪になったのは、エロポラを撮ることによってわいせつ行為を助長させたという「公然わいせつ罪」の幇助として罰せられている。踊り子や劇場関係者が「正犯」なのに対し、客側は幇助という「従犯」として認識され、「正犯」の刑が減軽され、その結果、懲役刑についてはその期間が、罰金刑についてはその額が「半分」にまで減らされるのである。

客側としても、警察のガサ入れがあると、持ち物検査の結果、エロポラを没収され、そして連行され逮捕される。最近では2012年11月に大阪東洋ショー劇場で客10人が逮捕された事例が新しい。家族や勤務先に連絡されたうえ、引き取り人が来ないと帰してもらえない。公務員だったため二度とストリップ通いできなくなった人(大阪市水道局職員(56)と京都府職員(52)の二名)もいる。遠征途中のため引き取り人が身近にいなくて困るケースもある。そんなこんなで警察のガサ入れで連行された客は大変な目に遭う。こんな経験をさせられたら二度とストリップに行きたくなくなるだろうな。警察のガサ入れで確実に客足が遠のく。ストリップなんかでそこまでやるかと思う。この点からも警察のガサ入れの罪は大きい。

 

従来からエロポラはストリップ劇場の目玉商品として考えられ大きな収入源になっていたところだが、こうした劇場や踊り子側、そして客側を保護するため、最近になってエロポラを無くす劇場が増えてきている。これはガサ入れに入った警察当局との調整の結果のようだ。今では大阪東洋ショー劇場、新宿ニューアート、岐阜まさご座などの人気劇場で既に過激なエロポラは廃止している。いわゆるパンツポラである。それでも客入りは良く、かなりのポラ売り上げをあげている。お客の求めるものが変わってきていることを示すいい事例である。

繰り返しになるが、今後エロポラはストリップ劇場から消滅していくのではないかと私は思っている。

 

                             

【参照】

ネット掲載記事「ストリップと法」(ニックネーム花月 (id:stg318))を参照・引用。

・2018-10-06 ストリップ・ショーと公然わいせつ罪の成否

・2018-06-23 ストリップにおける「共犯」の責任

 

 

 

 

                                                                  

3, ストリップの検挙と裁判事例

 

3-(1). 検挙の状況

 

まず検挙の実態を見てみよう。

Sailor「4月14日 シアター上野での出来事 その2」(2021/04/25掲載) というネット記事を拝見した。その中で、「@劇ジェロNOW」の「STRIP MEMORIAL 1999~」のことが紹介されてあった私は初めて知った。<「STRIP MEMORIAL 1999~」の記載は年表形式で各項目1行~3行程度、具体的な違法行為は書かれていません。また逮捕者数についても内訳が記載されていないケースもあるので、経営者・従業員・踊り子・客などの各人数は概算・推定です。 と前置きしたうえで、次の通り解説されていた。

<気になったので、「@劇ジェロNOW」の「STRIP MEMORIAL 1999~」からストリップ劇場の摘発事案を抜き出してみました。ここにはストリップ業界の出来事が現在から1999年まで順を追って記載されています。

 これによると、1998年から先日の上野までのべ64ヵ所が摘発され、経営者、従業員、踊り子、客など合計450人以上が逮捕されています

 450人うち客は100人くらいが逮捕されていますが、その容疑のほとんどが公然猥褻か同幇助だと思われます。また客が逮捕されたのはほとんどが関西の劇場で、関東の劇場で客が逮捕されたケースは1件だけ。 同じ劇場に居て逮捕された客とされなかった客の違いは読み取れませんが、聞いた話によるとエロポラ撮影だったり、なま板で上がっていたり、個室利用中だったりが逮捕容疑となったようです

 踊り子は200人近くが逮捕されていてその容疑は公然猥褻がほとんどですが、2007年以前は入管法、売春防止法、などが適用されるケースがあったようです。さらにそれ以前には職安法や児童福祉法が適用されていたことを見ると、最近はかなりクリーン?な業界にはなってきているように思えます。>

 私も「@劇ジェロNOW」の「STRIP MEMORIAL 1999~」をざっと眺めてみました。

 なんと、この20年ほどで、警察の知り調べで、どれだけ沢山の劇場が閉館に追い込まれたことか。450人もの人々をストリップに関係したというだけで人生を狂わせたわけだ。劇場関係者や踊り子の仕事を奪い、客の楽しみや趣味を奪う。ストリップを愛する者から見たら、はらわたが煮えくり返る気分にさせられ、警察の罪は決して軽くないと思えた。

 私はたまたま警察のガサ入れに遭遇したことはないが、その状況をいろいろ耳にする。

警察は昔から実績作り、点数稼ぎで劇場のガサ入れに入る。今回のシアター上野でも50人もの警官が動員されたというが、大きな劇場である大阪の東洋ショー劇場のときは100人もの警官が場内に入ってきたらしい。その中の30人は新入社員だったらしい。「おまえらに、いいものを見せてやる。これからストリップのガサ入れを経験させてやるからな!」」事情聴収するのにおどおどし慣れていない新人警官に呆れた踊り子が逆に彼らを指導したという話も聞いた。劇場のガサ入れなんて警官にしたらその程度なんだと思える。

それに対して、逮捕された者はそうはいかない。これを機に踊り子を辞めてしまった方がたくさんいる。華々しい引退をひかえていたのに、直前にガサ入れに遭い、怒ってそのまま辞めた踊り子もいた(2013(H25)年1月のTSの海宙まみんさんのことが今でも忘れられない)。踊り子本人だけでなく引退イベントを企画していたファンもがっかりさせられた。イベントの最中に警官に踏み込まれた踊り子もいた。最高の気分でいたのに警察により天国から地獄に落とされる。熱心なストリップファンだった客が職場に連絡され、公務員であった彼は年満までストリップを楽しめなくなった事例などなど。多くの人の人生を狂わせる。警察は鬼より質が悪い。

 

3-(2). 一条さゆりという踊り子と裁判

 

 次に裁判事例の話をするにあたり、最初に一条さゆりという踊り子について述べたい。

 

 ストリップを語るうえで、一条さゆりはまさしく伝説の踊り子である。彼女の生き方そのものが踊り子魂を示すものだと感じさせられる。

 

 一条さゆりは本名を池田和子といい、1937(昭和12)年生まれ、埼玉県川口市生まれ。

金物職人の父親とその妻との間の7番目の次女として生まれ、7歳で実母と死別、年の離れた姉と離別後、父親が再婚したものの、継母からの冷たい仕打ち、異母弟の死などにより15歳の時(1942年頃)家出した。

満18歳の時に、東京都多摩郡で終戦を迎え、最初はパンパンをし、21歳の時にホステスとなり、最初の結婚をする。後に夫とは死別、息子は生後半年で施設に預けられ、後に親族に養子に引き取られた。

 なお、こうした彼女の不幸な生い立ちや境遇は、裁判では同情すべき点があるとされ、懲役刑を最低限に留めることとされた。

50年代後半にストリッパーとしてデビュー。駒田信二の小説「一条さゆりの性」で世に知られ、よみうりテレビ制作の「11PM」のレギュラーを務めたことで人気が加速。「ストリップの女王」と称賛された。自身の半生を描いた映画「一条さゆり 濡れた欲情」も作られた。

72年、大阪・吉野ミュージックでの引退興行中に公然わいせつ容疑で現行犯逮捕。ストリップが娯楽か犯罪かをめぐって最高裁まで争った。ちょうど大学闘争の嵐が吹き荒れた頃で、一条さゆりは全共闘世代やウーマンリブの活動家から、「反権力の象徴」として祭り上げられる。

裁判では同72年から1975年にかけて最高裁まで争ったものの、上告は棄却され実刑が確定する。それまでにも公然わいせつ罪での複数回の逮捕歴があり執行猶予中だった彼女は懲役刑に服することになる。

出所後、生活保護を受けながら大阪・釜ヶ崎解放会館の三畳一間で質素に暮らす。彼女が釜ヶ崎に落ち着いたのは「過去を捨てて生きていけそうな街」と思ったからだろう。88年、大阪・釜ヶ崎の酒場で働いていたとき、交際中の男性にガソリンをかけられ大やけどを負う。

97年8月3日、肝硬変のため68歳で死去。

 

舞台役者の一色涼太さんが、ちょうど彼女の引退興行を観ていて次のように語っている。

オープンのときに、彼女がステージの上でご開帳の移動をするたびに、そこに人の頭の山ができた。そうした客に向かって「よう見える? こんなんでよかったらなんぼでも見てえ」と話しかける言葉に、彼女の究極の優しさが詰まっていたと話す。

 だからこそ、出棺時、労働者たちから「さゆりちゃん、おおきに」「天国行っても俺ら楽しましてや」と声がかかったという話にはじーんと来る。

 

 一条さゆりはSM的な演出と「特出し」などの観客を喜ばせることに徹した芸により、ストリッパー現役時代に公然猥褻罪で9回も検挙されている。また、引退興行にて大阪府警に逮捕される。当時、大阪の劇場でしか見られなかった“特出しショー”をやっていた。これが10回目の検挙となる。

 まだ大学闘争の嵐が吹いていた時期。一条は、全共闘やウーマンリブの活動家の支持を受け、最高裁まで争う。一条の「共通の趣味を持った人たちが劇場という閉ざされた空間に集まってショーを見ることが、なぜ公然わいせつになるのか」「ショーを企画し客を集めている興行師もいるのに、なぜ踊り子だけが摘発の対象になるのか」という踊り子の「総意」を背負った“主張”が、活動家らの「反権力志向」に合致したのだ。

 ところが、裁判が進むにつれ、支持者らは潮が引くように離れていったという。「活動家も著名人の支持者も、裁判の証言台に立とうと手を挙げる人間は皆無でした。誰も助けてくれなかった。かつぐだけかついで、御輿を放り投げた、ハシゴを外してしまったんです」と当時を知る人が証言している。

「ストリップは大衆娯楽、猥褻にはあたらない」として最高裁まで争うも懲役1カ月が確定、和歌山刑務所へ収監された。

 

 小沢昭一の『本邦ストリップ考』(発売日: 2007/08/01)に一条さゆり(初代)の裁判記録が詳細に載っている。

出所後の彼女に小沢は語りかける。

あなたの「罪」は、必ずいつか「罪」ではなくなる日が来るでしょうが、私のもっとも敬愛した一条さゆりさんの舞台が、いま「罪」だったということは、これは私にとってユユシキ問題なので、とくと点検しなければならないのです(109ページ)

この「点検」のために、この裁判の記録は雑誌に掲載され、単行本化されて、現在でも古本でかんたんに手に取ることができる。

この裁判において、私たちの現在思うような論点はほとんど出揃っているといえるだろう。例えば以下の点。

・逮捕及び起訴は露出が即「わいせつ」行為であるという前提に基づいているが、「社会通念」は変化するものであり、その前提も再検討されるべきである

・見たくない者の目に触れる行為とは異なり、ストリップにおける露出は入場料を払い、演技を望んで来た観客を相手に「社会的に管理された環境」の中で行われる=被害者がいない

・性表現に関する人々の感じ方は著しく変化し、ストリップ劇場内での性表現は大衆娯楽の一つとして定着している

・大衆娯楽の一つとして、ストリップは社会的価値と意義を有している:「目の肥えた観客は、各自其の日のなりわいを忘れるため被告人の艶やかな磨きのかかった演技を鑑賞することによって目の保養をするに過ぎない」(162ページ)

・また、論点というほどではないが、ある証人は、いまでいうセクハラ(食堂などにいる女の子に卑猥なことを言ってからかう)のほうがストリップよりずっと悪いことだと語っている。本当にそのとおり!

これらの論点が具体的に答えられることはほとんどなく、裁判官による判断にどのような影響を与えたのか、または与えなかったのかを知ることはできない。

この裁判の時点で公然わいせつ罪は、とくにストリップに適用することに関して、すでに時代遅れのもの、少なくともいずれ時代遅れになるものという見方があった。最高裁に提出された法学者らによる意見書は、各国のポルノの自由化・非犯罪化の事情をそれぞれに報告しており、これらの国際的な方向性のなかに日本も位置づけられていた。

最高裁の決定後の弁護人らによる異議申立理由書は、「いわゆるストリップショーを公然わいせつ罪の対象から外すことも決して不可能ではないと信ずる」とはっきり語る。さらに小沢はこの記録の終わりに、この裁判が「陪審制」で行われたならどうだったのかと問いかける。

一条さゆり裁判の弁護人であった杉浦正健は、裁判記録の解説のなかで、「何十年か後には、勝ち負けに関係なく何というバカげた裁判をしていたのか、ということになるような気がしてならない」(109ページ)と書いている。>

 

それなのに、2021年にシアター上野の事件が発生。すあなさんによるネット記事「シアター上野と一条さゆり裁判」(2021-05-02)では上述の小沢昭一『本邦ストリップ考』を紹介しつつ、次の言葉で締めくくる。

裁判から50年弱が経ち、性風俗・性表現をめぐる状況はさらに変化した。ストリップもそのあいだにさまざまな変遷を経て現在に至っている。私は現在のストリップのあり方が好きで、各劇場に通っており、もちろんシアター上野にも何度も行ったことがある。社会が変化し、ストリップも変化して、「罪」ではなくなる日」はとっくに来ていてもおかしくない。

しかし、取り締まる側の論理や多くの紋切り型の報道はその変化を反映していない。とくに、感染症により客入りが落ち、しかも性風俗業は国による支援の対象から外されているこのタイミングでの検挙、長い勾留、また顔や名前を出しての報道はあまりに暴力的だ。「何というバカげた裁判をしていたのか」とはまだとても言えない。

 

また、小沢が一条さゆりについて語る言葉はほとんど、現在のある種の踊り子を語っているかのようだ。彼女が舞台上でどのように身体を動かしていたのかを知ることができなくとも、彼女が客席にもたらしていた効果がどんなものだったかは、現在のストリップを知る者ならきっと想像することができる。

<あなたの舞台には、お客さんがほんとに満足してみんな帰って行く。その満足の仕方っていうのが、単に裸を見たとか、どこそこを覗いたとか、ということだけではなくて、一条さんのお客さんに尽くす気持ちっていうか、男に尽くす気持ちっていうか、あるいは人間を愛する気持ちというか、そういうようなものに、みんなまいっちゃって、もうほんとに、みんなが満足しきってですね、帰っていった。(93ページ、一条さゆりとのトークショーで)

彼女の真剣さや優しさがワイセツを包み込んで、むしろ、いつくしみの心が伝わるような舞台であった。感動する客も多かった。私はいつもナケて来た。(328ページ)

彼女を逮捕した警察官の一人が、彼女がその後開いた寿司屋の開店初日からの常連になっていたというエピソードも紹介される。月並みな言い方だが、本当に人を惹きつける魅力のあった人なのだろう。>

 この記事を読むと、彼女の反骨精神こそが真の踊り子魂なんだと感ぜざるを得ない。

 

3-(3). ストリップの裁判事例

 

 この「一条さゆり裁判」が最も有名である。

もっともこのときは控訴審で「公然わいせつ概念」「可罰的違法性」「量刑不当」「期待可能性」などの点を争い、さらに上告審では、「公然」や「わいせつ」の概念規定が明確を欠くとして、憲法31条「罪刑法定主義」に反すると訴えました。ご存知のように上告は憲法違反か判例違反に限定されているからです。

結果は上告棄却で1審の有罪判決が維持されたわけですが、憲法21条「表現の自由」で争った形跡はありません。

 

 古くより最高裁判所は、ストリップ・ショーに公然わいせつ罪が成立することを認めてきた。(最判昭和25年11月21日刑集4巻11号2355頁、最判昭和26年5月10日刑集5巻6号1026頁、最決昭和30年7月1日刑集9巻9号1769頁等。)

 唯一、最高裁で公然わいせつ罪が否定されたのが、1976年日本公開の映画『愛のコリーダ』事件。この映画は昭和11年に起きた“阿部定事件”を題材にしたもので、男優の藤竜也と松田暎子が演じた。実際の性交シーンもある官能描写が「芸術か、わいせつか」という論争になり、裁判にまで発展。被告人である大島渚監督側は「刑法175条は憲法違反である」と主張し憲法判断を求めた。一審二審とも従来の判例を基本的に維持しながらも、「当該書籍はわいせつ物に当たらない」として無罪とした。

 この事件だけが勝訴できたポイントは、大島渚監督が自身の広い人脈を利用して当時の著名人を次々に証言台に立たせたことによる。一条さゆり裁判では支持者たちが証言台に立つことに腰が引けたことを思うと対照的である。

 やはり大切なことは、いかに支持者の声を集め、それをしっかり確立し、世論に訴え、そして裁判にもっていけるかにかかっているのだろう。

 

 次に有名な裁判事案として、愛染恭子のヘアヌード事件がある。愛染恭子は1981年公開の武智鉄二監督『白日夢』の主演に抜擢され、男優の佐藤慶との本番行為を演じた。そのとき陰毛が見えたとして起訴された。

愛染恭子はその後ストリップ劇場でも活動。私は残念ながら実際に彼女のステージを拝見したことはないが、彼女が出演すれば常に超満員になるほどに一世を風靡した人である。1983年1月、大阪府・十三のストリップ劇場に出演中に公然わいせつ罪で現行犯逮捕され、罰金5万円の命令を受けた。同年7月には横浜でも同罪で逮捕、起訴猶予となっている。1994年7月にストリップ界から引退。

 現在、愛染恭子は映画監督としても活躍している。2011年公開の映画「阿部定 〜最後の七日間〜」では、いみじくも「愛のコリーダ」と同じく阿部定事件を扱っており、私は阿部定に興味があったのでその映画を拝見し、映画監督としての彼女の力量にも感銘を受けた。彼女は本物の表現者である。

 

こうした事例を調べる中で、dancingdogさんのネット記事「ストリップと法律・警察・司法」(2006/8/2)を見つけた。そのまま掲載させていただく。

<ストリップが違法だと書いてある法律はありません!公然わいせつ罪(刑174条)はありますが、何がわいせつであるかは、気ままに判断されてきたのです。

戦前は『ヅロース(パンツ)が股下2寸未満』かどうかなどが警視庁の猥褻の基準でした(小柳詳助『G線上のマリア』)

敗戦後は、欧米のストリップの歴史をなぞるように額縁ショーから始まった日本のストリップですが、最初は『動く』と猥褻でした。

そこで、ブランコに乗せたり、踊り子がふらふらするほど酔わせたりして対抗したのです。

次に、警察は『腰を振る』と猥褻だと言い、ジプシー・ローズは警視庁に得意技のグラインドを禁止されてしまいました。しかし、今ではTVでたくさんのアイドルタレントが腰を振ってます。

次は、『陰毛』が猥褻と言われて、愛染さんは見せてないのに見えたといって逮捕されました。だから愛染さんは見せることにしてしまいました。ヘアヌード写真があふれる時代に、陰毛基準も今は通用しません。>

 

ストリップの歴史を振り返る意義はここにあります。Dancingdogさんが示しているように、社会通念の移り変わりと共に、すでに過去の裁判事例はもはや通用しないのです。

 

                                    つづく

【参照文献】ネット記事

・「4月14日 シアター上野での出来事 その2」/ Sailor / 2021/04/25

・シアター上野と一条さゆり裁判:小沢昭一『本邦ストリップ考』 すあな/2021-05-02

・伝説の踊り子「一条さゆり」とは何だったのか…消えゆくストリップ業界に「光」を

・伝説のストリッパー・一条さゆり 猥褻巡り最高裁まで争い敗訴

・一条さゆり(初代)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

・愛染恭子 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

・ピンクの証言者たち (愛染恭子) 2012年 07月 31日