ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第71章 あべさだの巻

~六花ましろさんに捧げる~

 

 

 ちんぽ三兄弟が大騒ぎしている。

 今度、劇場に‘あべさだ’と名乗る踊り子が登場するらしい。

「ひぇー! あの有名な阿部定かぁ~」と叫んで、三人は股間を抑えた。

「いくらなんでもイチモツをチョン切ったりしないだろうな!?」

「でもオレたちのちんぽ頭は目立つだろうからなぁー!」

 

 あべさだの出演が決まった。

 もちろん、阿部定は伝説の人なので本人ではない。本人ならば幽霊である(笑)。

 阿部定事件があった当時、阿部定は31歳であった。スクープになった彼女の写真を見てびっくりした。めちゃくちゃ綺麗な女性である。本当に踊り子にしたいくらい。

 事件があった1936(昭和11)年は大変な年だった。「昭和11年の三大事件」が帝都・東京を大パニックに陥れた。2月6日に発生した「二・二六事件」、7月25日に発生した上野動物園クロヒョウ脱走事件」、そして5月18日に発生した「阿部定事件」である。

新聞を読んだ東京の男たちは「陰茎を切り取る」というセンセーショナルな事件および犯人として名前と写真が掲載された阿部定の美しい写真に衝撃を受け、「男の陰茎を持った美人が逃走中」「待合で発生した怪奇殺人」と大騒ぎになり「阿部定」はわずか一夜にして有名人となった。

阿部定事件は、令和の現在に至るまで「伝説的な毒婦」「戦前を代表する猟奇事件」といったキャッチと共に数多くの書籍が出版されてきた。

また、阿部定による陰茎切断事件だが、当然ながらこの手の事件は阿部定以外にも犯した女性は多い。『19人の阿部定』(著:桑原稲敏、現代書林刊)という書籍によると、阿部定事件以降、1980(昭和55)年までに陰茎の切断事件は29件発生しているという記録があり、表沙汰になっていない事件も含めれば、恐らく100件近くに昇るのではないだろうか。

今回、出演するという‘あべさだ’はそうした女性の一人か。はたまた単なる有名人の名を借りた人気とりか。

 

 いよいよ、‘あべさだ’のステージが始まった。かなりの美人である。

 最初は「ハイカラさんが通る」風の明るい出だしだったが、次第に意味深な曲が流れ、最後は例のイチモツ(の模型)を取り出し、迫真の天狗ベッドショーが始まる。

 ちんぽ三兄弟はあたまを抱えてステージを観ていた。それを見ていたまんこ三姉妹が「それだと、まさしく‘頭隠して尻隠さず’だわね!」と言って笑っていた。

「いや、下腹部の防御は完璧だ。オレは鉄のパンツを履いてきた。」

「オレもしっかり貞操帯をはめてきたぞ!」

 

 ここで阿部定事件の内容を話しておこう。

事件当日5月18日の午後3時ごろ、東京都荒川区の待合(男性が芸者と飲食や性交などを行う場所)で男性の死体が発見された。死んでいたのは、中野区で料理店を営む石田吉蔵(きちぞう・42歳)。

彼は紐のようなもので首を絞められていたほか、鋭い刃物で体を傷つけられていた。

死体の下に敷かれた敷布(シーツ)には吉蔵の血で書かれたと思われる「定吉二人キリ」という文字、左腕には「定」という刃物で刻まれた傷跡があった。

そして何よりこの事件を特徴づけていたのは、吉蔵の遺体の陰茎や陰嚢が奇麗にスッパリと切り取られていたことだった。

警察の到着後、犯人は待合の責任者の証言および残された「定」の文字から、この店で働く女中の阿部定(さだ・31歳)であることを突き止めた。

 

「ところで、阿部定はなんで男のイチモツを切り取ったんだ?」

阿部定はすでに結婚している石田吉蔵と不倫関係になり「彼(吉蔵)のすべてが欲しかった」「彼を殺せば誰にも触れられず自分のものになると思った」と話し、陰茎を切断した理由については「いつも彼と一緒にいるために持っておきたかった」と供述している。

阿部定は独占欲が強かったんだね。男を想う情念、それが嫉妬心に変わる。こんな美人に、これだけ想われたやつも男冥利に尽きるよな。」

「阿部定はイチモツが欲しくて男を殺したわけではない。お互いSEXの高まりを求めて、首を絞めるプレイをやっていたらしい。首を絞めると、女の性器はキュッと締まり、また男の性器もググーッと硬くなるらしい。そのプレイの行き過ぎで、無意識のうちに殺してしまったというのが真相らしい。」

「ストリップにはSEXが伴わないから、ちんぽを切断するという話にはならないわけだ。あー、やっぱり見るだけのストリップでよかったわぁ~」と、ちんぼ三兄弟は肩をなでおろす。

「考えてみたら、ストリップという世界は『相手をオレだけのものにする』という一般の恋愛感情に馴染まない。ここでは、踊り子はみんなのために踊る。そして、みんなで一人の踊り子さんを応援する。これはストリップ世界における、ひとつの愛の形だ!」

「《一人はみんなのために、みんなは一人のために》ということだな!」

 

 事件の続きをしよう。

 阿部定が逮捕されたのは、事件から2日後の5月20日。偽名を使って潜伏していた品川にてであった。この時、阿部定は大阪へ逃亡することを考えていたようだが、彼女を追っていた刑事が居場所を突き止め、御用となった。

阿部定は殺人罪などの罪で懲役6年の判決(求刑10年)を受けた。当時横浜で畳店を経営していた兄・新太郎は「自殺でもしてくれればいい」と新聞にコメントしている。なお、服役していた間に、ファンレターや結婚の申し込みの手紙がおよそ1万通寄せられたというから、どれだけ阿部定が器量よしだったか窺える。模範囚だったという。刑期中、さまざまな思想本を読み、日蓮宗に帰依した。事件から5年後の1941(昭和16)年に「紀元二千六百年」(神武天皇即位紀元2600年を祝う年)で恩赦を受け出所。その後は偽名を使い一般人として生活することになった。

しかしながら、あれだけ大々的に新聞を賑わせた女性ゆえ、世間は放っておかず、阿部定のことをおもしろ可笑しく書いた書籍が本人の許可なく出版されるなどし、阿部定はたびたび世の中から注目を集めていた。

そして60歳を超えた1970年代前半、阿部定は誰にも行方を伝えずに東京を離れ、そのまま消息を絶った。

類似の事件も多いなか、阿部定のみが神格化されてきた背景には、昭和11年という太平洋戦争開始前の穏やかな時代、および大々的に報じたマスメディア、ドラマチックな半生、明らかになっていない消息などが人々の興味・関心を惹いたためであろう。

50年前、ある日を境に人々の目の前から忽然と消えた阿部定。だが、その伝説は今後も語り継がれていく。                                    

 

「以上が阿部定事件の話だ。この話を聞くだけでもステージが味わい深くなるね。また今後も‘あべさだ’と名乗る踊り子が出てくるかもしれないな。」

「阿部定事件というと上記のように事件以降のことが述べられるが、事件前の阿部定の前半生にオレは興味がわいた。むしろ、前半生がポイントのような気がする。」

 

定は畳店「相模屋」の阿部重吉・カツ夫妻の8人兄弟の末娘として東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)に生まれた。生まれた時は仮死状態だった。母カツの乳の出が悪かったため、1歳になるまで近所の家で育てられた。定は4歳になるまで家族とも会話ができなかった。後に癇癪持ちになり、裁判時にヒステリーと診断されているが、幼児期のこうした体験が関連があるのではとも言われている。

定は母親の勧めで進学する前から三味線や常磐津を習い、相模屋のお定ちゃんと近所でも評判の美少女だった。定の見栄っ張りで少々高慢な性格はこの頃から見受けられるようになる。

15歳(数えのため満14歳)の頃、定にとって大きな事件があった。大学生と二人でふざけているうちに強姦されてしまった。母がその学生と話をしようと自宅まで行くが、本人とは会えず、泣き寝入りする形になる。

定はその後不良少女になっていくが、本人の弁によれば「もう自分は処女でないと思うと、このようなことを隠してお嫁に行くのはいやだし、これを話してお嫁に行くにはなおいやだし、もうお嫁にいけないのだ、どうしようかしらと思いつめ、ヤケクソになってしまいました」。

その後の定は男と交際を繰り返し続け、見かねた父と兄は定が17歳の時に「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」と長男・新太郎の知り合いである女衒の秋葉正義に売ってしまう。秋葉はかつては彫刻家の高村光雲の弟子で、当時は彫り物家の肩書きも持っていた。定は秋葉に夜這いをかけられ、秋葉は4年ほど定のヒモとなっている。

定は秋葉のすすめで芸者の世界に脚を入れる。三味線が弾けるとはいえ特筆した座敷芸がない定は、座敷に出ると客に性交を強いられることが多いのが嫌であったという。身売りの金は定の小遣いとなった。20歳になると定は秋葉に騙されていたことを知り縁を切ろうとするが、性病にかかってしまう。「検黴を受けてまで不見転(みずてん。客に体を売る芸者の意)芸者をするなら、いっそのこと」と自ら進んで遊女に身を落とした。

それからは娼婦や妾や仲居をして過ごす。この頃、男性と毎日肉体関係を持たないと気がおかしくなりそうだと病院に相談しているが、医者は「難しい精神鍛錬の本や思想の本を読んだり、結婚をすればいいだろう」と答えた記録がある。

そして1935年(昭和10年)4月に名古屋市東区千種町(現在の名古屋市千種区)の料亭「寿」で、名古屋市議会議員で中京商業学校校長の大宮五郎と知り合い交際する。紳士的な大宮は定にとっては今まで会ったことがない男性だった。大宮は娼婦や妾をしていた定を人間の道に外れたことだと叱り、更生するように定を諭した。大宮から、まじめな職業に就くようにと諭され、新宿の口入屋を介して紹介されたのが奇しくも石田吉蔵の経営する東京中野の料亭・吉田屋であった。大宮は後々定に店を持たせようと考えていたようだ。

吉田屋で働き始めた定と石田は知り合ってまもなく不倫関係になり、石田の妻もこの関係を知るようになると二人は出奔。定は嘘をつき大宮に逃亡資金を何度か無心している。大宮は後に重要参考人として身柄を拘束され、取調べを受け不問となるが、学校の卒業生に合わせる顔がないとその後は隠居生活を送っている。

 

 以上、定の前半生を駆け足で見てきた。

 両親をはじめ家族の愛情が薄いこと。美少女としてチヤホヤされたこと。大学生からの強姦事件。その後の不良少女、芸妓、娼婦、妾などへの転落人生。こう見ると、彼女の人生がすごく納得させられる。

 その中で、石田吉蔵という運命の男性と巡り合う。心底好きになれる男性とようやく出会え、最後には心中まがいの事件を起こしてしまうが、それも阿部定の運命だったと感じられる。彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。

阿部定が唯一愛した男である石田吉蔵については、阿部定は、たとえ自分が亡くなっても絶えずに供養してもらえるよう山梨県の寺へ永代供養をお願いしている。その寺には現在も石田吉蔵の位牌が大事に収められており、この位牌こそが阿部定が未来に残した唯一の遺産と言ってもよい。

 阿部定事件というと陰茎切断ばかりがピックアップされるのがとても残念である。

 阿部定の人生に共感する女性はたくさんいるんじゃないかな。だからこそ次々と阿部定を名乗る踊り子も出てくる。阿部定はこれからもシンボライズされていくことだろう。

 

                                   おしまい