今日は「おもてなしの心」という話をしてみます。えっ、そんなこと「思って無し」(親父ギャグ)なんて言わないで聞いてくださいな。

 

 

 高校生の娘が茶道クラブに入っているというので、ちゃんとした茶道具でお茶を点ててもらった。茶を点てる娘のひとつひとつの仕草に感心しつつ、妻と一緒に厳かにお茶を味わう。

 いいものだ。すごく心が洗われた気がした。

 興味をもったので、茶の湯をインターネットで検索してみた。千利休の考え方にすごく共鳴するものがあったので後ほど少し紹介したいと思うが、なによりも茶道がストリップに通じることに驚いた。

 

 今回は茶道の基本理念である「おもてなしの心」について考えてみます。

表千家のホームページには「もてなしの心」について次のように記載されてありました。

『茶の湯は、おいしいお茶を主が客にもてなし、客は感謝してこのお茶をいただき、主と客の間に心のかよいを深めていく道といえます。おいしいお茶とは、味覚にとどまらず、道具組の趣向、季節や歳時との呼応、主のふるまいの美しさや語りの奥ゆかしさ、客同士の心遣いといった、一座を成り立たせるまたとない一時がもたらす味といえましょう。』

 主という字を踊り子という言葉に置き換えると、ストリップが本来求めるものにそのまま通じると思いませんか。ストリップというのは本来「ストリップ道」なのかも。まあそこまで深く考えなくても、茶道が女の子のたしなみを学ばせるものとして普及しているのなら、その心は踊り子さんにも通じますよね。

この文書をもとに読み換えると、「ストリップというのは、ステージを通して、踊り子と客がともに楽しみ、心を通い合わせること」に大きな意義があるように思えます。素晴らしいステージというのは、単に踊り子さんのヌードだけに限らず、舞台、照明、音響、衣装などの趣向を凝らし、構成に季節感や流行をうまく織り込むことも大切です。また何よりも踊り子さんの内面からにじみ出る品格、美しさ、奥ゆかしさみたいなものがステージを大きく左右するとまで言えそうです。

また、私は以前からストリップの楽しみのひとつは踊り子さんと仲良くなることと言っていますが、「主客が心を通い合わせる」というのはまさにそのことだと思います。少なくとも私のような常連は、単にヌードを見に来ているわけではありません。踊り子さんの中には、裸も見せてあげた、いいステージもしてあげた、だからそれで十分満足でしょう、という態度を感じる方もいますが、そこには「おもてなしの心」が欠けています。劇場に足を運んでもらうためには「おもてなしの心」で客に接する心がけが絶対不可欠です。

 

 踊り子さんだけでなく、お客の方にも「おもてなしの心」が大切だなと思います。

 リボンさんが踊り子さんに対する基本姿勢はこの「おもてなしの心」であるべきです。せっかくステージに上がっていただいたわけですから、気持ちよく踊ってほしいと願う思いやりです。

 私のホーム・グランドの仙台ロックでは、数人の常連が毎回コスプレをやります。それもかなり凝っています。そのため、踊り子さんが大喜びしてくれます。彼らもそれを励みに、最近ますますコスプレに磨きがかかっている感じです。

 私としても、大好きな踊り子さんがせっかく仙台に来ていただいたからにはホストのつもりで接しています。仕事・出張のないときには毎日顔を出していますが、まず通うことが一番。次に一生懸命に応援して場を盛り上げること。客の少ない仙台ロックでは私の存在は小さくないと自覚してます。だから踊り子さんには「十人分の応援をするからね」と言ってます。たとえば私の手拍子は変わっているとよく言われますが、実はそれなりに進化しています。気持ち的にはタンバリンとリボンを手拍子でやっているつもりです。お手紙を毎回渡すのもまったりした仙台ロックで退屈させないというおもてなしのひとつです。また最近は仙台名物ポラを踊り子さんと一緒に考えて楽しんでいます。仙台に来た縁ですから、ひとつでも仙台名物を知ってもらえればと思っています。

‘相手を喜ばせ、それを見て自分も喜ぶ’・・そんな関係が最高だと思います。

 私は踊り子さんに花や物を贈ったりはしませんが、「おもてなしの心」という精一杯の気持ちを贈りたいと常々考えています。

 

 

平成19年                                仙台ロックにて  

 

 

 

【付録1】利休七則

 「利休七則」とは茶の湯を学ぶ者の基本となる心得。自然体のままで季節感を大切にし、「もてなし」と「しつらえ」を基本とする。

 

●   茶は服のよきように点て

     

「服」とは、飲むことを意味する。「服のよきよう」とは、飲んだ人にとって「丁度良い加減」ということで、つまり、自分の点て易いように点てることを戒めている。お茶は心を込めて美味しく点てる。舌の先で美味しいと感じるだけでなく、一生懸命に点てたお茶を客がその気持ちも味わっていただくという、主と客との心の一体感を意味する。

 

● 炭は湯の沸くように置き

 

湯が良く沸くように火をおこすために上手に炭をつぐ。形式だけで炭をついでも火はつかないので、本質をよく見極めることが大切ということ。

 

●   花は野の花のように生け

 

花は自然に生けよということであるが、自然そのままに再現するのではなく、一輪の花に、野に咲く花の美しさと自然から与えられたいのちの尊さを盛りこもうとすること。

 

●   冬は暖かに夏は涼しく

 

季節感を大切にするということ。茶道では、たとえば夏の涼しさを表現するために「打ち水」をしたり、冷たいお菓子を出すなど、「茶室」「露地」「道具の取り合わせ」に季節を表現し、自然の中に自分を溶け込ませるような工夫をする。

 

●   刻限は早めに

 

時間厳守を説いているのではなく、心にゆとりを持つ、ということ。「ゆとり」とは時間を尊重すること。自分の気持ちに余裕ができるだけでなく、相手の時間を大切にすることに繋がる。

 

●   降らずとも雨の用意を

 

どんなときにも落ち着いて行動できる心の準備と実際の用意をいつもすることが茶道をする人の心がけであるということ。適切に場に応じられる自由で素直な心を持つことが大切である。

 

●   相客に心せよ

 

「相客」とは、一緒に客になった人たちのこと。正客も末客も、お互いに尊重し合い、楽しいひとときを過ごすようにせよ、ということ。

 

 

【付録2】利休百歌

 

「こころざし深き人にはいくたびも あわれみ深く奥ぞ教ふる」

 

「その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」

 

 

 

 

 

 

 この世で一番「愛」を感じる場所は、家族の食卓だと思う。

 愛する人に物を食べさせる幸せ・・・

かわいい我が子がおいしそうに食べている表情、愛する家族においしい物をたくさん食べさせてあげたく一生懸命料理する母、そのために一生懸命に働く父、そうした全ての家族愛が食卓に凝縮されている。

美味しい物を食べたい欲求は人間のもつ最も基本的な欲望かつ快感。しかし、その一個の人間としての快感も、それを愛する人と共有できる快感には遥かに及ばない。自分の大好物を愛する人に捧げることにより、美味しいという感覚を共有化したいと思う。親は自分が美味しいと思うものを子供に食べさせてあげたい、そしてその喜ぶ顔を見て幸せを感じる。だから親は自分が食べなくても我が子にだけは食べさせてあげたいとまで思う。家族団欒の食卓はまさに愛の巣なのだ。

 

 最近、私は毎日通っている仙台ロックで、「今日のおやつ」と称して仙台銘菓を踊り子さんに贈っている。私はその美味しいという感覚を大好きな踊り子さんと共有化したいと考えている。仙台ロックはまさに私にとって愛の食卓なのだ。

 先日も、仙台ロックの楽屋裏で私の贈った「白松がモナカ(胡麻)」が踊り子さん全員に大好評だった。踊り子さんが喜ぶ顔をみて幸せな気分になっている私がいた。

 私は淋しい単身赴任の身。だから、食卓の愛を感じたくて日々劇場に通っている。

 

 踊り子は、ステージで自分の感情をうまく表現できると快感が走る。そして、その感激をお客と共有化したいと願う。それこそが「アーティストとしての心根」である。上手に踊れたことに自己満足せず、自分の感激をお客と共にすることによって、初めてステージにストリップの神様が降りてくる。感動というのは踊り子と客の心の一体感が呼ぶものなのだ。

ステージを観るお客の目も、「食卓の愛」で観れたら理想的である。

 私の書いているストリップ・エッセイは私の感動集である。感動をエネルギーにして綴っているのであって、感動がなければ書けない。そして、感動を皆で共有化したいからこそ、踊り子さんに渡している。そこには私なりの「食卓の愛」を踊り子さんに届けたいとの想いがある。はたして私の愛は踊り子さんに届いているだろうか?

 

 

平成20年                             仙台ロックにて 

 

 

 

 

 

今回は、ストリップの魅力を私なりに語ってみたいと思います。

 

ストリッパーの方にはアダルトビデオ経験者が多いですが、やはりストリップの良さというのは生舞台の臨場感だと思います。

 

私事ですが、そんなことを感じるに至った身近な話題から話させてもらいます。

 少し前の話。あまり勉強好きではない高校2年生の息子が、予備校に行きたいというので、どの予備校にしようか一緒に廻ってみることにしました。 

 私が受験勉強したころはもう20年以上前のことで、地方には予備校もなかったし、予備校というのは受験に落ちてから行くものと思っていたので、息子がその気になるまで、「勉強のため予備校に行け」なんて、うるさいことは一切言わないことにしていました。

しかし、いまの予備校というのは、高校生のうちから塾代わりに行くものであり、また学校は予備校まかせで何も受験指導をしてくれない、というので、大学にいくならそろそろ予備校に通わせるというのが常識のようです。

そこで、近くの予備校に入校手続きに行ってみました。

まず驚いたのが、「授業がない」ということ。え~ぇ、授業をしないの!!

なんと、有名講師のビデオで勉強するとのこと。よくよく看板を見ると、「××衛星予備校」という名称になっています。

ちゃんとした授業はないんですか、と尋ねると、「ここはない。隣の千葉市では生授業があるが、8~9割はこのビデオ授業が中心。どうしても生授業にこだわる生徒は四谷まで通う必要がある」とのこと。

私は、この「生」授業という言葉が気になった。たしかにいい先生の講義はビデオでもいいから聴講したほうがいい。しかし、世の中あまりにバーチャルになりすぎていないか。

授業の良さというのは、先生の熱気が知識を吸収しようとする生徒にいかに伝わるかがポイントだと思う。自分の実体験からしても、いい先生の講義はワクワクしたものだ。(授業に生とかそうでないということ自体おかしい言い方だが、) 生授業というのは、先生という人間の「気」が直接伝わることに本当の意義・すばらしさがあると私は思っています。

 

ストリップも同じ。仮にストリップをビデオで見れるとして、じゃあ、お金を払ってビデオを見に行くか、といわれると、きっと行かないと思う。また、仮にビデオレンタルできるとして、気に入った踊り子さんだけを、しかも例えば時間がないからとオープンショーだけを何度も見る、なんてことを考えたら、踊り子さんも興醒めしてしまいますよね。

また、踊り子さんだって、お客がいないところでビデオ撮影してもなかなか気が乗りにくいですよね。

 

以前、「のぞき部屋」という風俗に入ったことがあります。女の子の部屋をマジックミラー越しに覗くもので、一人の女の子がオナニーをしている部屋を取り囲むように8つほどの仕切られたボックスがあって、そこの小窓からお客がただ一方的に見るというもの。女の子の方からは見えない仕掛けになっている。近くでオナニーショーを見たいお客は、小窓の下からチップを払うと、女の子が小窓に近寄ってオープンをしてくれる。ボックスの中でお客は勝手にオナニーしてもいいし、別の女の子をボックスの中に入れて処理してもらうこともできる。

値段は、ただ見るだけなら3000円前後だったと思います。

女の子のオナニーショーは一人20分くらいで、たった一人だけなので、ストリップに比べれば割高。でも、手頃ということで一時期は人気があったようです。

私は一度だけ入ってみましたが、ストリップの方がはるかにいいと思いました。ストリップはダンスもあるし、明るく健康的。のぞき部屋は、女の子との触れ合いが全くなく、無味乾燥的な感じです。

 

いろいろ述べましたが、要するに、ストリップの良さは、生であることが大前提。つまり、踊り子さんから直接発せられる「気」を感じられるというのが最高の喜びなのです。また、その「気」は踊り子さん一人一人持ち味が違う。個性があることがまたいい。

踊り子さんも同じように感じていると思います。ストリップの醍醐味は、踊り子さんの熱気をいかに観客が受け取るか。観客の反応は、すばやく、そして正直(これはけっこう厳しい表現だが)。だから、踊り子さんもステージでは気が抜けないという緊張感があるはず。そのバランスがけっこうお互い快感にもなる。そして双方でステージを盛り上げられるというのが最高です。

お互い「気」を感じあって、「元気」になっていくのですよね。それが「生」舞台なんです。「生」の良さは、演劇でもコンサートでも全てに共通します。….そういえばエッチもそうですね(笑)

 

さてさて、長くなりました。生授業に関連して、ついついストリップの良さを考察してしまったヒトコマでした。

 

 

                           

 

 

 

 

 今回は「ブランド志向」という話です。

 

 毎年、結婚記念日と妻の誕生日には必ずプレゼントを贈っている。ストリップ通いしているという後ろめたさからか、これぐらいは最低限行っている(笑)。

 最近、妻の希望はバック類が多い。職場やパーティなどに出かけるのに、さりげなくいいモノを持っていたいと言う。この気持ちはよく理解できる。これまでも何度かハンドバックとかカバンを贈ったが、時に小さ過ぎて実用的でなかったりとか色々好みが食い違うこともあった。せっかく高価なものを贈ったのに使ってもらえなかった時は悲しいもの・・。

 今年の誕生日プレゼントの希望を聞いたら、またバック類がいいという。しかも、ヴィトンかエルメスか、とブランドを指定してきた。一応聞いてしまったから、デパートなどを物色してみたが、その値段に目が点になった。ドンキなどのディスカウントや中古品ですら10万円以下はありえない。ストリップを我慢すれば買えないこともないが・・・。いろいろ悩んだ挙句、今回は、ドンキでフェラガモのバックにした。結果的に、妻は自分の趣向に合ったと喜んでくれた。最後に、「次はエルメスね。しっかりエルメス貯金してね」と注文まで付いた。ただ、妻が付け加えた次の一言はかわいかった。「ちゃんとエルメスの似合う女になるから、お願いね」。エルメスの似合う女になったら、ちょっと怖いけどね(笑)。

 

 考えてみたら、妻は若い頃からブランド品を全く求めなかった。非常に質素な性格。妻にするには最適な女性だと思っている。放蕩癖のある私に対して、このしっかりした妻がいなかったら我が家は破綻していたかもしれない。だから妻には頭が上がらない。

「高い洋服を安く着こなすセンスがある」と妻から皮肉られる私に対して、妻は若い頃から安物を高く着こなしていた。派手さはないが清楚に着こなす服装のセンスを私も気に入っている。

 そんな妻が40歳代後半に入ってブランド志向になってきたわけだがそれも当然だと思う。歳をとると若さの輝きが失われる。気持ちだけでもオシャレ感覚を保ちたい。歳をとったからこそ歳相応にいいモノを身に付けたいもの。 

 

 若さというのは輝き。安物を身に付けていても、全てをひっくるめて若さが全てを輝かせてくれる。だから若い子が歳不相応な高価なブランド品を持つのは私には違和感がある。

いいモノはいいという感覚を磨いたり、オシャレを楽しむ気持ちはいいと思うが、なにもブランド志向になる必要はない。若者が高価すぎるものを身に付けるのは無理があるし不必要である。逆にブランド品が本来もっている若者の輝きを失わせかねない

 思うに、小人や若者というのは社会的に扶養される側にある。しかし、大人が喜んで扶養したくなる魅力が小人と若者にはある。それは小人のかわいさであり、若者のもつ若さの輝きなのである。

 若者には可能性がある。ブランド品に目がいく前に、もっとやるべきことがたくさんある。自分の夢を目指すためにも、また将来の伴侶を見つけるためにも人間的魅力を高めなければならない。若者は外見は十分に輝いているのだから、まずは内面を磨くことを第一に考えなければならない。人間としてもっともっと魅力的になるために「心のオシャレ」をしなければならないのである。若さで輝いているうちに内面を磨かなければ、大人になって内外とも輝きの失った情けない姿になってしまう。

 以上は、これから社会に羽ばたこうとしている我が息子や娘に話してあげたいこと。

 

 子供たちには高い洋服を着せなくても、食事だけを十分に与えておけば、彼らのもつ若さが勝手に輝いてくる。

 一方、私はこの年齢にもなれば輝きを失い、輝くのは薄くなった頭だけ(笑)。でもストリップ通いしている私としては、若い踊り子さんと接することで、多少なりともオシャレに気を使っている。意識しないと単なる汗臭い親父にすぎないから香水も必ず持参している。

 ストリップというのは、若さの輝きを堪能するところ。我々歳をくった男性が、踊り子さんを観ることで若さに接し、若さの輝きを少しでもお裾分けしてもらう。ストリップ劇場は若返りのための秘殿なのである。

 

 踊り子さんは美を見せるのが仕事。

 若さだけで輝ける人もいるが、たいていは美を維持するためにオシャレに苦心していることでしょう。ただ、オシャレというのは心を悩ますものではなく、本来心を楽しくさせるもの。踊り子さんがオシャレを楽しみ、それを見て客も楽しむというのが楽しい構図。

 踊り子さんは仕事柄、オシャレ感覚を磨けると最高だと思う。昔は舞台にあがるのに完璧なお化粧を要求され、原型が分からないほど白粉を塗ったという話も聞くが今はそんなことをすべきでない。もともと素材がいいのだから、素材が光る化粧をしてほしい。また髪型なんかも思い切ってチャレンジしてほしい。髪型が変わってチャーミングになっていると我々も心がときめく。

ただ、オシャレがド派手になったりブランド志向に走るのはどうかと思う。年齢不相応なモノを身につけると不自然だし、服装や装飾品が輝きすぎると相対的に本人が見劣りする惧れだってある。だからオシャレとは難しい。

また内面のオシャレも大切。本当のオシャレとは人間がもつ本来の輝きをよりよく見せるとこにある。ほとけ様のように後光がさす人はほとんどいないが、少しでもそういう光を発したいもの。人間的に魅力のない人のオシャレは薄っぺらに感じるからね。

 これ以上、私のオシャレ論を聞いても仕方ないだろうから、もう止めるね。

 最後に一言。踊り子さんには、まさに自分がブランドになるよう努力し、そしてステージで輝いてほしい。

 

 

 

 

 

 今回は私のプライベートな話題です。

 

 2010年1月11日(月)、この日は長女の成人式。

 前日から、秋田のおふくろが上京してきた。一方、同じく秋田に住んでいる女房のご両親は来れないとの連絡があった。秋田は大雪なので雪下ろししないと家が潰れるとの理由には苦笑いせざるをえない。

 成人式当日早朝6時から、長女は着付けのため予約している美容院に向かう。着物類は一式、前日のうちから美容院に運んである。美容院は自宅から歩いて2分ほどの近いところにある。ただ履き物のせいで歩きにくかろうと、8時半頃に連絡を受けて家族で車で迎えに行った。

 ほほ~っ!

  美容院から出てきた娘の晴れ着姿に感激した。おもわず私が「馬子にも衣装」とぽろっと漏らしたら、女房に「そういうことは言わないの!」と諌められた。(笑)

 72歳になる田舎のおふくろも孫の晴れ着姿を喜んでいた。いい親孝行ができた。

 

 今回の着物は、実は女房が成人式で着たものだ。女房の亡き祖父が当時200万円ほどで購入してくれたと聞いている。私が実際に女房の着物姿を見たのは結納のとき。赤と緑をベースにした貴品ある着物だった。着物にも流行があるから、長女に今風のものをレンタルするか、女房のお下がりにするかを選択させたら、写真と値段から女房のお下がりにすると決めたらしい。着物は女房の実家から郵送してもらったが、高価なものなので、郵送のために保険料が何万円かかかったらしい。白いフカフカ襟巻きだけ別途購入した。

 本当にいい着物には流行なんてない。いいものはやっぱりいい。

 私は、女房との結納のときを思い出しながら、今その着物を愛娘が着ているのを見て、感慨深いものを感じた。長女は私に似ていることもあり器量は女房よりおちるが(失礼!)、娘盛りになったものだ。今、看護短大2年なので、もう一年したら母親と同じく看護師になる。職業が決まっているというのは親として非常に安心する。

 

 一方、大学4年生の長男も就職が決まって、この春から社会人になる。

 子供二人がもう立派な大人になり、社会に旅立っていく年頃になった。

 親として子供の成長はとても嬉しい反面、正直言ってどこか淋しさも感じる。

 

 この淋しさを癒すために、私はまたストリップに向かう。私には劇場にたくさんの愛娘がいる。だから全然淋しくなんかない。

 

平成22年1月                           

 

 

 

 

 

  2009年の初ストリップ、1月3日に浜劇に足を運んだ。

 トリの今野梨乃さん(2009年引退)は、年末は広島第一のロック特別興行、そして年始は浜劇で15日間の出演。踊り子さんにとって、年末年始は稼ぎ時だし、やはりこの時期にメインをはれるというのは人気者である証。ステージにのれることに感謝しつつ努めないといけないね。

 

 梨乃さんは新作を披露していた。これまでの彼女の出し物は全てかっこいい「いい女系」だったので今回のぶりぶりの「かわいい系」には一瞬驚いた。年末の広島第一からこの作品を演じているようだ。この作品は、休業中の恋詩なみださんから引き継いだもの。梨乃ファンの方がいろいろ教えてくれた。そうか!梨乃さんとなみださんは仲良しだし、言われてみて納得納得。なみださんの時は舞台につい立てがあったが、浜はステージが狭いので出さなかったのかな。

 作品の内容を解説してみる。

 最初は、赤いチェック柄の洋服を着て、軽やかに踊る。どこにでもいる普通の女の子を演じており、おもむろに鏡を取り出して、綺麗になりたいと願う。すると、次の場面ではお姫さまルックに変身。まるで、赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」を連想。お姫さま願望は女の子の夢。

 次の場面は、パジャマ姿の女の子がベッドの上でクマのぬいぐるみと戯れるシーン。大好きなぬいぐるみを抱きながら、夢の中へ。癒しの極致。

 この作品は、ふたつの夢を演じており、テーマとしては「女の子の夢」という感じかな。夢は、憧れであり、癒しであり、元気にしてくれる素・・・

 

 ふと、年末年始に息子と語り合ったことが浮かんだ。

 息子は大学三年生で今年就職を決めなければならない時期にきた。昨年前半までは好景気で学生の採用環境はよかったものの、世界的な金融不安から端を発し今や最悪の雇用環境になってしまった。アルバイトやパートが軒並み首を切られる中、学生の採用は非常に厳しいものになっている。フリーターではダメで、しっかり仕事に就かなければならないことは息子も分かっている。今どういう業界・業種が伸びているかを話しもしたが、最後はどんな仕事に就いても構わない。仕事に貴賎はなく、それが社会から必要とされているなら全て立派な仕事である。海外に行っても構わない。自分がやりたいと思う仕事を決めればいい。私は息子がどんな仕事に就こうが決して反対はしない。真剣な顔つきで私の話に耳を傾ける息子。しかし、親がどんなにアドバイスしても、最後は息子自身が自分の力で頑張るしかない。いかに自分をその気にさせるか、これが全て。

 ひとつ気になることがあった。今更ながら、将来なにになりたいかという気持ちが固まっていないこと。学生時代は遊んでいてもかまわないが、その間で自分の将来像を考え、その実現のための目標を見つけてほしかった。

 そういえば以前、息子は警察官になりたいという話をしていた。空手二段という特技を活かしたいとか、公務員という安定性などから考えていたようだ。その話を聞いたとき、息子が警察官だと、親父がストリップ通いしているとまずいかな、と頭を過ぎった(笑)。その時は、まだどうなるか分からんしなと安易に考えていた。いまだに警察官になりたいなら、早く公務員試験の勉強を始めないといけない。いざ勉強となると、なぜか真剣味が足りなくなるのが困ったもの(泣)。

 改めて、息子には「夢」がないんだなと感じた。今の若者全般に言えるのかもしれないが、愛に恵まれすぎて、夢を求める必要がない。幸せというのは「愛」と「夢」のバランスと考えるが、振り返ってみると、息子には家族の愛をたくさん与えてきたと思うが、夢を与えるような教育はしてこなかったなと反省させられる。息子というのは父親の背中を見て育つ。肝心の私がとても息子に自慢できる背中を見せていない。

 私自身、今の会社でそれなりのポストを与えられ仕事に励んではいるが、それが自分の夢だったかと言うとそうでもない気がする。と言うより、私自身、学生時代に自分が本当にしたいことが見つからなかった。そんな感じのまま、就職は苦労せず出来てしまった。息子に夢を持てと力強く語ることができない。

 ここ十年間は、ストリップにはまってしまった。ストリップは私にとって夢の場。仕事のストレス解消もできるし、なにより劇場に一歩足を踏み入れると竜宮城に来た浦島太郎の気分になれる。夢の場というのは「現実逃避」かなとも感じる。しかし、現実の世界、すなわち仕事や家庭という生活面をしっかり送るためにも、趣味としての非現実空間は必要ではないか。ストリップという夢の場をもっている私はやはり幸せ。

 夢の場への入場券を手に入れるためにも、現実の世界でしっかり仕事をしなければならない。仕事が夢そのものという人は最高の幸せ者だと思うが、なかなかいないだろう。今のように不景気になり失業者がたくさん発生している中、仕事をもっていることはどんなに幸せなことかなとしみじみ思う。

 

 蛇足になるが、先ほど話に出た赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」について話してみよう。

TVで有名なので誰でも知っているだろう。なんでも望むものに変身できる魔法のコンパクトを鏡の精からもらった少女・アッコちゃんが、コンパクトの力を使って変身して、人助けをするコメディ。原作は1962年に集英社の少女漫画誌「りぼん」に掲載された。(連載開始当初のタイトルは『秘密のアッコちゃん』だった。) 原作漫画では当初、アッコちゃんの鏡はコンパクトではなく等身大の大きな鏡であるが、それが割れたためコンパクトを使うという経緯になっている。

もうひとつ、こぼれ話をすると、あの変身するときの言葉「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になれ~」はテクニカル・マジック・マイ・コンパクトの略、元に戻るときの言葉「ラミパス ラミパス ルルル・・・」はスーパーミラーの逆さ読み。この言葉を考えたのは第一話の脚本を担当した雪室俊一さんで、いい言葉が思いつかず、とりあえず書いておいたものだった。彼は後で修正するだろうと思っていたので、そのまま放送されたのを見て驚いた。

余談はこのくらいにする。本題は、アッコちゃんが変身するのは看護士、スチュワーデスなど、女の子が憧れとする職業の制服であること。スーパーマンやぬいぐるみなどの非現実のものではない。当時は具体的な職業が憧れの対象としてあったのである。制服は職業の象徴。もちろん男の子も同様。

夢の対象が現実に沿った具体的な形として示された時代というのは素晴らしいと感じる。昔より今の方がずっと便利になり、総じて生活も豊かになったとは思うが、個人のレベルでは夢を描きずらい時代になってきたのかもしれない。はっきりした夢が見えないので当面フリーターとして仕事をする若者が増える。しかし彼らはつねに将来に対して「莫とした不安」を抱えながら生きているというのが現実だと思う。

息子が来年の春に、警察官の制服でもサラリーマンの背広姿でもなんでもいいから、立派な社会人になってくれるのが、家族の夢ということになる。

 

ただ改めて考えれば、夢というのは自分で抱くものである。先ほど、息子に夢を与えていないと反省したものの、やはり夢は親や他人から与えられるものではない。

また夢はけっして将来の立派なものでなくてもいい。目の前の小さな願望でも、それをひとつひとつ叶えていくことにより、先々の大きな夢に変わっていくもの。

要は、その人が夢を抱きながら生きている姿が素晴らしいということではないかな。夢をもつことでその人の時間や活力が必ず輝く。夢にはそういう力がある。夢を抱くことで、前向きで有意義な人生になれるのだと思う。

 息子には、就職活動を通じて、どんな他人とも違う確かな「自分」にたどりつく大切な一歩としてほしい。これが父親としての夢である。

 

 

平成21年1月                             浜劇にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単身赴任していた頃の私のストリップ日記から。

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GWに帰省したとき、大学三年生の息子に彼女ができたことを妻から知らされた。

空手の仲間から紹介されたらしく、お相手は息子より一歳年上21歳で社会人とのこと。これまで全く女性に興味を示さなかったオタク系の息子だったので、これでまともな男性として成長してくれるかなと父親としてホッとするものがあった。オクテな息子にとって一歳年上くらいの相手の方が望ましい。

息子は父親似で(?)甘いマスクをしている。大学でも何人かの女性から交際を申し込まれたこともあると言っていたが、その気がなかったので断ったらしい。最近、秋田の田舎に行ったときに、おばあちゃんから「長男は野球のダルビッシュに似ているね」と言われる。たしかにキリッとしたダルビッシュを甘い顔立ちにした感じといえなくもない。本人としても今をときめく美男子のダルビッシュに似ていると言われ悪い気はしない。私は「我が家のダルちゃん」と冗談で言っている。妻からは、そんなことを言ったら笑われるから外では言わないでねと釘を刺されたが、もうこうやって書いてしまった(笑)。

息子に「彼女の写真が見たいな」と言ったら、親父に見せたら彼女が穢れるよ、なんて言われる。すでに彼氏がいる大学一年生の長女にも、「彼氏の写真を見せて!」と言ったら、同じ応えが返ってきた。写真ぐらい見せろよぉ~と拗(す)ねる父。

ともあれ、子供たちも青春を謳歌しており、父親としても嬉しい限り。

 

 お盆に帰省したときに、さりげなく息子に「彼女とうまくいっているか?」と尋ねたら、なんともう別れてしまったとのこと。「僕がデートをドタキャンしたから」それも一度だけではないようだ。息子に言わせると、ドタキャンといっても一週間前くらいに断ったようだが、デートを楽しみにしていた彼女としてはショックは大きいだろう。

 私は息子に説教しようと思った。

 ところが、その場にいた妻が口を挟んできた。「待てない彼女がダメよ。息子のことを本当に好きなら待てるはずよ。それができないということは息子と付き合う資格がないということ。縁がなかったわけよ」・・・

 

私は全く違うことを考えていた。

息子は自分の都合を優先してデートを断った。私が彼の立場だったらデートを最優先していたはず。

女性と付き合うこと、そして結婚するということは、「俺が俺がという考えを、君が君がに変えること」。自分以上に相手のことを大切にしているよという気持ちがなければ、恋をする資格がない。

私の亡き父親も「自分のことより他人のことを考えなさい!」とよく言っていた。まさに人間関係をうまくいかせる要諦であり、相手がとくに大切な人に対しては当然のこと。

 

若いころ、私は女性に対してはガツガツした肉食動物だった。しかし、全くもてなかった。それに対して、私のコピーである息子は女性に対して関心の薄い草食動物。親子でも全く対照的。

どちらがいいとかの話ではないが、「恋を大切にしたい気持ち」の問題。

人間であれば、何歳になっても、恋を大切する気持ちを持ち続けたい。それは若さを保つときめきでもあり、優しい心を保つやすらぎにも通じる。

いつか酒でも呑みながら、息子とそんな話をしてみたいものだ。

 

私はストリップを観ながら、踊り子さんに対してそういう気持ちで接している。機会があったら息子にも体験させてあげたいもの。しかし、変にはまったりすると困るし、妻に怒られるから、今は無理だなぁ~(苦笑)。

 

 

平成20年8月                             

 

 

 

 

 

 今回は、最近の我が家の大事件?をお話します。

 先日、仙台から帰省して早々に、女房から「長女にボーイフレンドができたようよ」と聞かされた。大学生の長男も「長女に先を越されちゃったよ」と言っていたし、下の小学六年生の娘も「お姉ちゃんが告(こく)られたんだって。彼からまたメールが来たって何度も喜んでたよ」とませたことを言っていた。家族別々から長女の恋バナを聞かされた形だが、2日ほど前の話なので我が家では一番ホットな話題である。

 女房の話によれば、そのボーイフレンドは中学の同級生で卒業してからもグループで付き合っていたようで、今回、高校三年生になって初めて告白されたようだ。女房も彼のことを知っているという。あまり興味本位で聞いたら長女に嫌がられるから気をつけてねと女房からの忠告あり。

 最後に肝心の本人に、食卓で会ったときに話しかけた。「彼氏ができたんだって?」とさりげなく聞いたら、「お互い受験前の大切な時期なので、あまり会わないようにしようね、って言ってるの」という殊勝な言葉が返ってきた。逆に、しっかりした返答に拍子抜けしてしまったほど。

 

 娘にボーイフレンドができたという事実。

 父親として「俺の娘に変な虫がつかないか」という心配やら動揺は全くなかった。むしろ、素直に嬉しかったし、その彼に感謝したい気持ちでいっぱいになった。

 娘も17歳、お年頃だ。お父さんに似て丸顔で嫌だとか、食事の度に食べ過ぎて太っちゃったと心配ばかりしている有様。でも、家事などのお手伝いもよくするし、勉強もよく頑張っている。いつの間にかいい娘に育っていると思う親馬鹿。

 お父さんに似ているから全然もてないということでは困る。私としては個人的にそう思っていた。

 ようやく娘のことを真面目に好いてくれた男性が現れたわけだ。父親として嬉しく思わないはずがない。娘にはステキな青春を謳歌してほしいと心から願っている。

 

 女房が「長女の彼は身長が180cmくらいあり、なかなかハンサムで性格もいいのよ。羨ましいわぁ」と言うので「おまえには俺がいるじゃないか」と言い返したら「お父さんにはないものをたくさん持っているわ。やっぱり若い方がいいわね」ときた。

 俺になくて彼にあるものとは髪の毛かぁ~!!

 俺も負けずにストリップにはまってやるぞ~!!

 ただ、間違っても、セーラー服を着ている娘に「ポラを撮ってもいい?」なんて言わないように気をつけないとな(冗談)

 

平成19年                                

 

 

 

 

 

2011年は、うさぎ年。

うさぎは、ぬいぐるみのように愛らしいので今やペットとしても大人気。しかし、元々はキツネや狼など猛禽類、野犬などから狙われやすく、人間からもハンティングの的とされてきた弱い草食動物。仏教世界では献身のシンボルともされた。これは仏教説話ジャーカルの中に、自分の身を火の中に投じて仙人に布施する兎の物語(ササジャーカル)から来ている。ちなみに月面の模様をうさぎに見立てるのもこの物語が発祥。

うさぎの特徴と云えば、長い耳と早い逃げ足がすぐにイメージされる。欧米では、うさぎの足は幸運のお守りとして使われてきた。動きの速いものの象徴として自動車メーカーのメルセデス・ベンツにも採用されている。また狡猾でいたずら好きなトリックスターとして寓話の中にもよく登場する。いずれにせよ、人間に身近な存在として親しまれてきたのは疑うべくもない。

ところで、もうひとつ面白い特徴として性的誘惑シンボルとしてのイメージがある。ご存知、バニーガール。うさぎには発情期というのがないため、年中生殖行為ができ、そのため繁殖率が極めて高い。これが弱い草食動物でありながら生存競争に勝ち残った、うさぎの生き残り戦略なのである。このため、西洋では、うさぎのことを多産、豊穣のシンボルとされている。アメリカの成人誌プレイボーイのキャラクターであるラビットヘッドの由来もここにある。

 

 

さて、こんな童話が浮かんだので、記念にプレゼントさせていただきます。

 題名は『林檎の好きなウサギ』・・・

 

 あるところに、うさぎの国がありました。

 うさぎの城には、かわいいうさぎ姫が住んでいました。うさぎ姫は林檎が大好きでした。いつも城の窓から林檎の木々を眺めているせいか、林檎のように真っ赤なお目目をしていました。

 

 ある日、うさぎ姫は城を抜け出し、木から直に林檎を取って食べようとしました。

 必死で木に登ろうとしましたが、うさぎは木に登れません。うさぎ姫は木の下で、真っ赤な目を更に真っ赤にして、木の上の林檎をじっと眺めていました。

 その様子を見ていた小鳥がうさぎ姫に声をかけました。「私が林檎を落してさしあげましょう。」

 小鳥は甲高い声を出し、仲間を呼びました。集まった小鳥は総勢七羽。

 七羽の小鳥たちは林檎の小枝をくちばしでトントンと突つき落としました。

「小鳥さん、ありがとう」 うさぎ姫は林檎をほおばりました。なんて美味しいんでしょう。みずみずしい甘酸っぽさに、おもわずうっとり。

ところが、夢中で林檎を食べている最中、つい林檎をのどに詰まらせてしまい、そのまま仮死状態になってしまいました。

さぁ~大変!! 七羽の小鳥たちは大騒ぎ。

 

 ちょうど、その時、隣の国のうさぎ王子が近くを通りかかりました。

 うさぎ王子は、小鳥たちが鳴き騒いでいるのに気付き、林檎の木の下に倒れているうさぎ姫を見つけ驚きました。と同時に、うさぎ姫のあまりの美しさに一目で心を奪われました。

 うさぎ王子はうさぎ姫を抱きかかえ、そして彼女のかわいい唇にキスをしました。その瞬間、のどに詰まっていた林檎がぽろりと出てきて、うさぎ姫は息を吹き返しました。

 

 うさぎ王子も林檎が大好きでした。キスをしたときに、うさぎ姫の吐息から林檎の甘酸っぱい香りがしました。さらに、うさぎ姫の下腹部をちらりと見たら、真っ二つに割れた林檎の芯が見えました。うさぎ王子は激しく心がときめきました。

 

 うさぎ姫はうさぎ王子をじっと見つめて言いました。

「助けて頂きありがとうございます。お礼をさせて下さい。私にできることならなんでもさせていただきます。」

 うさぎ王子はポツリとつぶやきました。「あなたの林檎が食べたい・・・」

 

 二人(いや二匹)は林檎のように甘酸っぱい関係になりました。

 そして、結婚して、いつまでも大好きな林檎を食べました。とさ

                               めでたし めでたし

 

 

                          

 

 

 

 

最近、ストリップを通じて、せちがらい世の中になってきたなぁと感じることを羅列してみたいと思います。

ちなみに、ワープロで‘せちがらい’と打つと「世知辛い」という漢字に変換。へぇ~こんな漢字なんだと改めてせちがらくなりました(笑)。生きていくうえで世間の冷たい仕組みや対応・不人情を知るとつくづく辛くなり、生きていることまでが嫌になることってありますよね。言うまでもなく、せちがらいの意味は、「① 世渡りがむずかしい。暮らしにくい。②銭に細かくて、けちだ。抜け目がない。」ということ。

 

 つい先日、ストリップ仲間のSさんがパニックになっていた。

 仙台ロックの常連Sさんは、毎週末になると仙台から東京に遠征にやってくる。そのときには土日切符を利用している。土日切符はフリー区間内(東北新幹線なら東京⇔古川)の新幹線特急の自由席が乗り放題。予め座席の指定を受ければ、指定席を4回まで使う事ができる。東京―仙台間であれば本来片道10,590円のところ、18,000円で仙台⇔東京を何度も往復できるのでお得。Sさんは土曜日朝に東京に来て観劇し、一旦その日の夜に仙台に戻って、翌日また仙台―東京を日帰りする。東京―仙台間は二時間足らずなので、宿泊代を考えれば、その方がいいとのこと。

 その土日切符が無くなるという。Sさんが嘆くのもよく分かる。Sさんは今後は夜行バスを利用するしかないかなと言っている。

 劇場通いを楽しみにしている方で、特に遠征費用がかかる方はこういう費用をいかに最小限にするか苦心している。私も仙台に単身赴任している時は毎週夜行バスを利用していた。その時には辛いとは思っていなかった。ところが、関東に戻ってきて、たまたま出張も入り関西の劇場を観劇した時に、久しぶりに夜行バスで大阪から東京に移動したのだが、よく眠れず結構つらかった。高齢のSさんが夜行バスだと辛いだろうなと同情させられた。

 公共料金の話なのでどうしようもなく、後は交通手段の選択を自分でするしかない。

 

 ところで、最近、劇場自体がせちがらいことをやりだした。

 新宿ニューアートが2月頃から、いくつかの細かい客サービスを廃止し出した。夜9時以降のチューハイ飲み放題を中止。ポイントカードに5点貯まるとダーツが出来て、その結果で何点か加点してくれた。早めに満券になるので嬉しいサービスだったがこれも中止。

 そうこうするうち、関東のロック三店が三月いっぱいで回数券販売の中止を打ち出した。また、川崎ロックと浜劇を一日行き来できた共通券の販売も同じく販売中止。

 私にとっては、回数券の販売中止が大きなダメージ。新宿ニューアートの場合は、平日しか回数券を利用できなかったので、関東に戻ってきて、ようやく平日の夜に利用できると喜んでいたのに・・・。かなりの出費増になる。会社帰りに寄る場合だと、新宿ニューアートと浜劇だと3000円が5000円(割引で4500円)、川崎ロックでは3000円が6000円(割引で5000円)になる。私のように会社帰りに寄る常連やリボンさんが大ダメージになる。早朝割引は変わらないので朝から来る方は問題ないと思うが、夜の入場数はかなり減ると思われる。とくに川崎ロックの場合は。客への連絡文には、回数券の販売はまた復活するかもしれない旨の記載もあった。様子を見て判断するということか。

 

 仲良くしているストリップ仲間の一人、通称ヴィトンのおじさんもショックを受けていた。彼も土日に遠くから関東に遠征に来て、よく川崎ロックと浜劇を共通券を使って行き来している。いつも差し入れをあげているので、踊り子さんの評判がいい方。

 他の仲間やお客からも、たくさん不満が噴出している。

 ストリップは庶民のささやかな娯楽である。リーズナブルな単価にして、より沢山の方々に劇場に来て頂けるようにするのが使命なのだと思う。とくにストリップをこよなく愛する常連さんは大事にしなければいけない。今回の施策は、それに全く反している。

 風俗は、一方で高級店も伸びているかもしれないが、大きな流れとしては低価格化の方向。だから時代に逆行しているとの声も上がっている。

 劇場側の経営の問題はあるだろうが、踊り子さんとしては自分のファンの方が応援に来難くなるのは困ると思う。また、ロック系が割高に感じ、ロック・ファンが他の劇場に流れることも考えられる。

 

 三月結の週は、常連客が回数券を買うためにロック系劇場に通っている。三ヵ月は使用可能なので何度も来る方はたくさん購入しておきたいところだが、川崎ロックや浜劇は一回の入場で一人一枚しか売ってくれない。これもまたせこいよなぁ~。そのため何回か通っている客もいるようだ。私もそうだが(笑)。今週はすごい出費になっちゃったよ!

 

 

平成22年3月