この世で一番「愛」を感じる場所は、家族の食卓だと思う。
愛する人に物を食べさせる幸せ・・・
かわいい我が子がおいしそうに食べている表情、愛する家族においしい物をたくさん食べさせてあげたく一生懸命料理する母、そのために一生懸命に働く父、そうした全ての家族愛が食卓に凝縮されている。
美味しい物を食べたい欲求は人間のもつ最も基本的な欲望かつ快感。しかし、その一個の人間としての快感も、それを愛する人と共有できる快感には遥かに及ばない。自分の大好物を愛する人に捧げることにより、美味しいという感覚を共有化したいと思う。親は自分が美味しいと思うものを子供に食べさせてあげたい、そしてその喜ぶ顔を見て幸せを感じる。だから親は自分が食べなくても我が子にだけは食べさせてあげたいとまで思う。家族団欒の食卓はまさに愛の巣なのだ。
最近、私は毎日通っている仙台ロックで、「今日のおやつ」と称して仙台銘菓を踊り子さんに贈っている。私はその美味しいという感覚を大好きな踊り子さんと共有化したいと考えている。仙台ロックはまさに私にとって愛の食卓なのだ。
先日も、仙台ロックの楽屋裏で私の贈った「白松がモナカ(胡麻)」が踊り子さん全員に大好評だった。踊り子さんが喜ぶ顔をみて幸せな気分になっている私がいた。
私は淋しい単身赴任の身。だから、食卓の愛を感じたくて日々劇場に通っている。
踊り子は、ステージで自分の感情をうまく表現できると快感が走る。そして、その感激をお客と共有化したいと願う。それこそが「アーティストとしての心根」である。上手に踊れたことに自己満足せず、自分の感激をお客と共にすることによって、初めてステージにストリップの神様が降りてくる。感動というのは踊り子と客の心の一体感が呼ぶものなのだ。
ステージを観るお客の目も、「食卓の愛」で観れたら理想的である。
私の書いているストリップ・エッセイは私の感動集である。感動をエネルギーにして綴っているのであって、感動がなければ書けない。そして、感動を皆で共有化したいからこそ、踊り子さんに渡している。そこには私なりの「食卓の愛」を踊り子さんに届けたいとの想いがある。はたして私の愛は踊り子さんに届いているだろうか?
平成20年 仙台ロックにて