2009年の初ストリップ、1月3日に浜劇に足を運んだ。

 トリの今野梨乃さん(2009年引退)は、年末は広島第一のロック特別興行、そして年始は浜劇で15日間の出演。踊り子さんにとって、年末年始は稼ぎ時だし、やはりこの時期にメインをはれるというのは人気者である証。ステージにのれることに感謝しつつ努めないといけないね。

 

 梨乃さんは新作を披露していた。これまでの彼女の出し物は全てかっこいい「いい女系」だったので今回のぶりぶりの「かわいい系」には一瞬驚いた。年末の広島第一からこの作品を演じているようだ。この作品は、休業中の恋詩なみださんから引き継いだもの。梨乃ファンの方がいろいろ教えてくれた。そうか!梨乃さんとなみださんは仲良しだし、言われてみて納得納得。なみださんの時は舞台につい立てがあったが、浜はステージが狭いので出さなかったのかな。

 作品の内容を解説してみる。

 最初は、赤いチェック柄の洋服を着て、軽やかに踊る。どこにでもいる普通の女の子を演じており、おもむろに鏡を取り出して、綺麗になりたいと願う。すると、次の場面ではお姫さまルックに変身。まるで、赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」を連想。お姫さま願望は女の子の夢。

 次の場面は、パジャマ姿の女の子がベッドの上でクマのぬいぐるみと戯れるシーン。大好きなぬいぐるみを抱きながら、夢の中へ。癒しの極致。

 この作品は、ふたつの夢を演じており、テーマとしては「女の子の夢」という感じかな。夢は、憧れであり、癒しであり、元気にしてくれる素・・・

 

 ふと、年末年始に息子と語り合ったことが浮かんだ。

 息子は大学三年生で今年就職を決めなければならない時期にきた。昨年前半までは好景気で学生の採用環境はよかったものの、世界的な金融不安から端を発し今や最悪の雇用環境になってしまった。アルバイトやパートが軒並み首を切られる中、学生の採用は非常に厳しいものになっている。フリーターではダメで、しっかり仕事に就かなければならないことは息子も分かっている。今どういう業界・業種が伸びているかを話しもしたが、最後はどんな仕事に就いても構わない。仕事に貴賎はなく、それが社会から必要とされているなら全て立派な仕事である。海外に行っても構わない。自分がやりたいと思う仕事を決めればいい。私は息子がどんな仕事に就こうが決して反対はしない。真剣な顔つきで私の話に耳を傾ける息子。しかし、親がどんなにアドバイスしても、最後は息子自身が自分の力で頑張るしかない。いかに自分をその気にさせるか、これが全て。

 ひとつ気になることがあった。今更ながら、将来なにになりたいかという気持ちが固まっていないこと。学生時代は遊んでいてもかまわないが、その間で自分の将来像を考え、その実現のための目標を見つけてほしかった。

 そういえば以前、息子は警察官になりたいという話をしていた。空手二段という特技を活かしたいとか、公務員という安定性などから考えていたようだ。その話を聞いたとき、息子が警察官だと、親父がストリップ通いしているとまずいかな、と頭を過ぎった(笑)。その時は、まだどうなるか分からんしなと安易に考えていた。いまだに警察官になりたいなら、早く公務員試験の勉強を始めないといけない。いざ勉強となると、なぜか真剣味が足りなくなるのが困ったもの(泣)。

 改めて、息子には「夢」がないんだなと感じた。今の若者全般に言えるのかもしれないが、愛に恵まれすぎて、夢を求める必要がない。幸せというのは「愛」と「夢」のバランスと考えるが、振り返ってみると、息子には家族の愛をたくさん与えてきたと思うが、夢を与えるような教育はしてこなかったなと反省させられる。息子というのは父親の背中を見て育つ。肝心の私がとても息子に自慢できる背中を見せていない。

 私自身、今の会社でそれなりのポストを与えられ仕事に励んではいるが、それが自分の夢だったかと言うとそうでもない気がする。と言うより、私自身、学生時代に自分が本当にしたいことが見つからなかった。そんな感じのまま、就職は苦労せず出来てしまった。息子に夢を持てと力強く語ることができない。

 ここ十年間は、ストリップにはまってしまった。ストリップは私にとって夢の場。仕事のストレス解消もできるし、なにより劇場に一歩足を踏み入れると竜宮城に来た浦島太郎の気分になれる。夢の場というのは「現実逃避」かなとも感じる。しかし、現実の世界、すなわち仕事や家庭という生活面をしっかり送るためにも、趣味としての非現実空間は必要ではないか。ストリップという夢の場をもっている私はやはり幸せ。

 夢の場への入場券を手に入れるためにも、現実の世界でしっかり仕事をしなければならない。仕事が夢そのものという人は最高の幸せ者だと思うが、なかなかいないだろう。今のように不景気になり失業者がたくさん発生している中、仕事をもっていることはどんなに幸せなことかなとしみじみ思う。

 

 蛇足になるが、先ほど話に出た赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」について話してみよう。

TVで有名なので誰でも知っているだろう。なんでも望むものに変身できる魔法のコンパクトを鏡の精からもらった少女・アッコちゃんが、コンパクトの力を使って変身して、人助けをするコメディ。原作は1962年に集英社の少女漫画誌「りぼん」に掲載された。(連載開始当初のタイトルは『秘密のアッコちゃん』だった。) 原作漫画では当初、アッコちゃんの鏡はコンパクトではなく等身大の大きな鏡であるが、それが割れたためコンパクトを使うという経緯になっている。

もうひとつ、こぼれ話をすると、あの変身するときの言葉「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になれ~」はテクニカル・マジック・マイ・コンパクトの略、元に戻るときの言葉「ラミパス ラミパス ルルル・・・」はスーパーミラーの逆さ読み。この言葉を考えたのは第一話の脚本を担当した雪室俊一さんで、いい言葉が思いつかず、とりあえず書いておいたものだった。彼は後で修正するだろうと思っていたので、そのまま放送されたのを見て驚いた。

余談はこのくらいにする。本題は、アッコちゃんが変身するのは看護士、スチュワーデスなど、女の子が憧れとする職業の制服であること。スーパーマンやぬいぐるみなどの非現実のものではない。当時は具体的な職業が憧れの対象としてあったのである。制服は職業の象徴。もちろん男の子も同様。

夢の対象が現実に沿った具体的な形として示された時代というのは素晴らしいと感じる。昔より今の方がずっと便利になり、総じて生活も豊かになったとは思うが、個人のレベルでは夢を描きずらい時代になってきたのかもしれない。はっきりした夢が見えないので当面フリーターとして仕事をする若者が増える。しかし彼らはつねに将来に対して「莫とした不安」を抱えながら生きているというのが現実だと思う。

息子が来年の春に、警察官の制服でもサラリーマンの背広姿でもなんでもいいから、立派な社会人になってくれるのが、家族の夢ということになる。

 

ただ改めて考えれば、夢というのは自分で抱くものである。先ほど、息子に夢を与えていないと反省したものの、やはり夢は親や他人から与えられるものではない。

また夢はけっして将来の立派なものでなくてもいい。目の前の小さな願望でも、それをひとつひとつ叶えていくことにより、先々の大きな夢に変わっていくもの。

要は、その人が夢を抱きながら生きている姿が素晴らしいということではないかな。夢をもつことでその人の時間や活力が必ず輝く。夢にはそういう力がある。夢を抱くことで、前向きで有意義な人生になれるのだと思う。

 息子には、就職活動を通じて、どんな他人とも違う確かな「自分」にたどりつく大切な一歩としてほしい。これが父親としての夢である。

 

 

平成21年1月                             浜劇にて