「ときめき」と「やすらぎ」のどちらに幸せなイメージを抱きますか?

今回は、ストリップの魅力を「ときめき」と「やすらぎ」という観念から考えてみました。

 

人間が感じる幸福感には「ときめき」と「やすらぎ」がある。

一般的には、「ときめき」は夢に通じ、「やすらぎ」は愛を覚える。

 たとえば、恋愛中は「ときめき」だし、結婚すると「やすらぎ」になる。恋愛中はその恋を成就する夢に向かい「ときめき」を感じるのに対し、結婚すればその恋が成就したという安心感「やすらぎ」に満たされる。 

会社生活でも、会社の成長期に新しい事業を起こし「夢」を追いかけているときは「ときめき」を感じるし、一方、激務の報酬として高い年収が得られ、充実した社会保障などが整備されていれば、家族共々「愛」に満ちた「やすらぎ」が保証される。夢と愛がバランスしていれば幸福感を得られる。ところが大企業などで年収が安定しているものの今の安泰に胡坐をかいて新規事業もなにもやらないと、愛はあるが夢がない状態で、いずれ大企業病になり衰退していく。一方、新興企業で夢を追いかけて成長している会社でも激務ばかりで収入が見合わなければ社員はついていかなくなる。経営者というのはDREAMとLOVEの両輪をいかにバランスよく舵取りするかがとても大切になる。

 また、社員は会社生活と家庭生活にて「夢」と「愛」のバランスを保ってもいる。会社で出世を求めて仕事をしているときは「ときめき」であり、仕事の疲れを癒すために家庭に「やすらぎ」を求める。

 また家庭の中でも、男が「夢」を担い、女が「愛」を担う。夫は仕事の出世、マイホーム取得、子供の成長など「夢」の実現のために頑張る。一方、妻は家族の健康・安定を願い家事全般や子育て、すなわち「愛」の部分を担うことが多い。最近は共働きも多いのでこういう考え方は古いと言う方もおるだろうが、長い歴史の中で、男性が狩りを担い、女性が家庭を守ってきたのは男女のこうした性差によるところ大といえる。こうやって家庭のバランスが保たれてきた。

つまり、人間は自然のうちに「夢」と「愛」をバランスよく享受することによって幸福感を味わっている。

 

 さて、男女の違いを、「ときめき」と「やすらぎ」という観念からみてみよう。

 女性は「やすらぎ」に至高の幸福感を感じやすく、結婚して家庭に収まることに最高の満足を得られる。おそらく男性以上に結婚に人生のゴールを感じるのではないかな。ところが、男性は結婚してもなかなか家庭に収まりきれない。どうも「やすらぎ」だけでは物足りなくなる。男性がまっすぐ家庭に帰らず寄り道して飲んだり遊んだり、ギャンブルしたり、ストリップを含めて風俗遊びをしたり、中には浮気したりすることが多いのは「ときめき」を欲しがるからだ。「やすらぎ」だけに満足しておればいいものをなぜか「ときめき」が欲しくなる困った生き物が男である。私自身、ほんとに困ったものと自覚している。

 結婚していてストリップ通いしている男性は間違いなくこの「ときめき」を求めている。家庭に愛が足りないからではない。愛がたくさんあっても「やすらぎ」に物足りなさを感じてしまうからだ。本当に贅沢な悩みである。

 たしかに男性はいくつになっても女体に興味・関心があるが、ストリップは単にヌードだけでなく、非常に華やかで「ときめき」に満ち満ちている。ストリップの魅力とは男性の「ときめき」願望なのである。

 従って、踊り子さんの仕事というのは、お客に一時の「ときめき」をいかに感じさせるかに尽きると云えよう。

 男の身勝手な考えであるが、私は女房を心から愛しているがゆえに、ストリップ通いにまったく悪気を感じていない。むしろ健康的であるとさえ思っている。借金などして迷惑をかけたらまずいが、小遣いの範囲で遊ぶならいいのでないかと割り切っている。それは単に一過性の「ときめき」願望を満たすだけだから。

 女房に感じる「やすらぎ」は崇高なものであり、またストリップには女房にない(いや、少なくなった)「ときめき」を感じる。このふたつの魅力は全く別次元のもの。だからこそ、ストリップに通いながら、女房の魅力を再認識させられることがある。

 

 しかし、ストリップのお陰で、私は「ときめき」と「やすらぎ」というふたつの幸福を満喫しているわけだが、あまりにも幸せ過ぎて、この先もこのふたつの幸福を両立できるのかな、という不安が正直ときおり頭を過ぎる。

 

 

平成19年1月                           仙台ロックにて     

 

 

 

 

 

 

人間の魅力を語るうえで「懐かしさ」というのがひとつのキーワードになる。

 男女を問わず、相手に対して、懐かしさを感じさせない人は魅力がないということである。

 こと、ストリップというのは、よほど追っかけでもしない限り、ひとりの踊り子さんと会うのは数ヶ月に一回のペースになる。私のようにストリップ三昧していても、時に半年に一度、年に一度会えたというのも珍しくない。そうやって会ったときに「懐かしさ」をおぼえたら、彼女は自分にとって魅力ある存在になっている。

 たしかにエロティックいっぱいで奮い付きたいほどの魅力をもつ女性もいるが、それはあくまで一過性のものであって、最後は「懐かしさ」のもつ、いつまでも側にいたいという魅力にはかなわない。

 長くストリップ通いしていると、「懐かしさ」を感じる踊り子さんが増えてきた。そして、そういう踊り子さんと仲良くさせて頂いている。

おそらく、踊り子さんにとってもお客に対して抱く感情は同じじゃないのかな。

 

 

 私にとって、もっとも身近な異性といえば女房になる。帰省するたびに会っているわけだが、最も「懐かしさ」を感じるのは間違いなく女房である。

 単身赴任をしてかれこれ一年半になったが、恥ずかしい話、最近、女房が愛おしくてたまらなくなった。前は、子供を三人つくったため子育てで忙しく私が甘えたくても全然相手にされないし、なにかと小うるさいことは言うし、毎日顔を会わせているのにしっくりいかなかったこともあった。今回単身赴任して初めて女房と離れて暮らしているわけだが、独身以来の久しぶりの家事をしながら改めて女房のありがたみが感じられる。けっして食事に困っているわけでも、家事が面倒だと感じているわけでもないが、これまで当たり前のようにされていたことを今は自分でしなければならなくなったわけだ。これまでは考えなくても出てきた食事を、今は毎日なにを食べようかなと迷う。好き嫌いが多いため、余計偏った食事になっている。たまに帰省して食べる女房の食事が一番美味しいし、家族で食べる食事がなによりも楽しい。

 たまにしか帰らないためか、夫婦間でお互い嫌なことはあまり言わなくなった。私も、家にいる間は自分のことはなるべくしないで家族と過ごす時間を大切にしようとしている。思えばこれまでは部屋にこもって、こうした文章を書いたりしていることが多かった。今は家族との会話や、一緒にテレビを見たりする時間が多い。

「お父さん、コーヒー飲まない?」「お茶にする?」と言って、女房が出してくれる飲み物にたまらないほどの幸せを感じる。

 変な話、夜の方までしっくりいく。もう子供たちも大きくなって手が離れたこともあってか、帰省するたびに喜んで(?)相手をしてくれる。女房の香りの中で就寝するのが幸せの極致。

 最近あらためて「結婚とはなにか?」と自問し、「好きな人といっしょに居られる権利を与えられた喜び」かなと思う。今は単身赴任で離れているが、ただ帰省したら、堂々と女房の側に寄り添っていられる。そういう権利?が与えられている。たしかに結婚していなくても好きな人の側にはいられるだろうが、結婚していればそれは自然な形として社会的に認められるわけだ。

 一緒にいることが喜びであるならば、それ以上相手になにかをしてもらうことを期待してはいけない。なにかをしてあげることを喜びに感じなければならない。だからこそ、「お父さん、お茶を飲む?」という女房の言葉にたまらない幸せを感じるのだと思う。

私は単身赴任で夫婦の間に距離を置くことでそのことを知った。

 

 またストリップに通い、踊り子さんには女房にない魅力を感じるが、だからこそ女房の魅力を再認識させられることもある。ふたつの魅力は全く別次元のもの。男の身勝手な考え方であるが私にはそう思える。ストリップ通いを自慢することはできないものの、だからといって悪いことをしている意識は全くない。男にとってエッチであることは枯れていない証しであって生きているエネルギーの源だと思っている。ストリップ通いしたからといって妻への愛情が薄れるわけでもなく、逆にこうして高まっている。

 最近、帰省するたびに花屋に寄って、なにげに妻に花を贈るようになった。きっとストリップ通いしている後ろめたさからかな。なお私は踊り子さんに花を贈ったことはない。そのへんに一線を引いているのかも。(笑)

 ただ、女房に、いくらストリップは浮気じゃないしエロでもないと説明したところで、女房がストリップの魅力を理解できるとは思えない。万一女房にストリップ通いを拒否された時には、きっぱりやめなければならないだろうとの覚悟もしている。

 誰が自分にとって一番「懐かしい」そして大切な存在であるか、を知っているがゆえに。

 

 

「懐かしさ」という話題が変な方向にいって、全くプライベートな、しかも惚気話までしてしまいました。大変失礼しました。

 

 

平成19年1月                           仙台ロックにて     

 

 

 

 

 

久しぶりに、日記代わりにストリップ・エッセイを書いてみたい。

 

「太郎さん、今月はついてないですね!」 スト仲間から言われる。

 たしかに今月に入って怪我が続いている。

 先月末に大阪遠征した五日目、6月30日(土曜日)の朝に、定宿にしているDVD試写室「I love video&DVDてんじんばし」のシャワー室で転んで左膝を打った。シャワー室内ではなく、広い脱衣所で。まさか床が濡れているとは気づかずに滑ってしまったのだ。私の場合は、転ぶと必ず怪我をする。もともと小児麻痺で悪い左足には筋肉がなく、骨と皮のような状態なので、滑ると健常者のように踏ん張りが利かず転んでしまう。そして痛めるといつも歩けなくなる。これが年に一度の割合である。だから細心の注意を払って生活しているつもりなのだが、不用意な怪我が防ぎようもなく発生する。

 今回も転んだ直後はそれほど痛みを感じなかったが、次第に痛くて歩けなくなった。

 いつものように、劇場に向かうつもりで定宿を出たものの、途中で歩けなくなり劇場行を断念した。近くの交番で整形外科を尋ねるも、そこまで歩けそうになく、目の前にあった整骨院に駆け込む。整骨院なのでテーピングと電気治療しかやってくれない。「整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらった方がいいですよ」とは言われるも、痛くて動けない。すぐに定宿に戻って安静にした。しかしトイレに行くだけでも七転八倒の痛みだった。

 その日6/30と翌日7/1の日曜日は試写室でじっとしていた。先にTSUTAYAからレンタルしていた映画「グレイテスト・ショーマン」とアニメ「サイコパス」を観て時間を潰した。

  7月1日(日曜日)、大阪東洋ショー劇場では期待の新人・白鳥すずさんのデビューがあった。東洋に行ったスト仲間から「なぜ太郎さんが来ていないのか」とメールで連絡が入った。この情けない状況を説明した。スト仲間からは「白鳥すずさんが超かわいい」との連絡が入る。私も早く彼女のステージを観たいがそれどころではない(苦笑)。

 7月2日(月曜日)に痛みをこらえて、もう一度整骨院に行った。痛みのピークは過ぎていたが、このままでは埒が明かないと思い、翌日7月3日(火曜日)に痛い足を引きずりながら、近くの整形外科に向かう。天神橋商店街の中にあり、試写室から600mくらい離れたところに「オカモト整形外科」がビル二階にあった。足が痛くなければどってことのない距離だが痛いため死に物狂いで歩いた。レントゲンを撮って診断してもらった結果、骨や靭帯には問題なく膝内部の打撲とのこと。血がたまっているので注射器で40ccの血を抜いた。物凄く痛い注射だったが、お陰でその後ようやく快方に向かった。

 無理はしないで、結局四日間、試写室でじっと安静にしていた。整骨院ではなく、最初から整形外科に行っておけば良かったと後悔する。せっかく遠征してきたのに四日間無駄に過ごしてしまった。

 大阪東洋ショーの7月頭の公演、ようやく四日目に顔を出す。まさに這ってでも劇場に辿り着きたい気分だった。念願の白鳥すずさんに初対面。

 毎度のことだが、歩けるように回復してホッとする。四日間の無駄も仕方ない。歩けるようになればそれでいい。仕事をしていないから周りに迷惑をかけることもなく、自分だけ我慢すればいいので特に問題はない。

 改めて、‘普通でいること’の有難味を痛感する。健康こそが一番ありがたいもの。人間というのは健康であれば何とかなる。健康を失ったら全てお終いである。

 

 五日目からは、相変わらず足は痛いものの歩けなくはないので、いつものように劇場通いを続ける。大阪には7月8日までいて、予定通り関東に戻る。足の痛みは続いたが徐々に快方に向かっていた。転ばないように細心の注意を払って、ゆっくり行動した。

 当初のストリップのスケジュールに合わせて、再度7月13日に大阪に行き、五日間いて7月18日に関東に戻る。そして新宿DX歌舞伎に通う。

 7月19日(木曜日)、楽日前日の夕方、また災難が降り注ぐ。

 DX歌舞伎の近くの路上で転んでしまったのだ。路面が凸凹していて躓いてしまった。前のめりで倒れた瞬間、右手を付いた。顔が路面すれすれになり、眼鏡に少し傷がついた。(結果、眼鏡を買い替えた。七万円の出費が痛い。)

 問題は、右手首の捻挫。鈍い痛みがある。重い荷物は持てない。それどころか服のボタンをするだけで痛みが走り、生活面で支障をきたす。

 私はもともと一歳半で小児麻痺になり左足が不自由。ところが小学二年生の時にヤギ小屋の上から飛び降りて左足をかばうように左手を付いて骨折。それがもとで左手の指先が利かなくなってしまった。足が悪いのに、他の子供たちと同じように腕白な遊びをしていたわけだ。この怪我は私の人生を大きく変えた。今思えば、私は音楽を趣味としたかった。ギターを弾いて、シンガーソングライターになるのが自分とって最も相応しい趣味なのだと感ずる。歌には自信があるし、作詞もできる。しかし、左手が利かないため楽器が全くダメ。そのため音楽を趣味に持つことは諦めた。今はこうして文筆が趣味になった。

 今でも思うことがある。左足が悪いのは先天的に仕方ないが、左手の方は後天的な怪我。左手が不自由でなかったら、いろんなことに挑戦できたのになぁ~、と思うことがある。

 しかし、全てを含めて運命である。運命は黙って受け入れるしかない。与えられた条件に満足して生きるしかない。左足が悪くても歩けるだけマシだ。左手が不自由でも右手があればどうにかなる。大好きなストリップ通いもできる。不満はない。

 さて話を戻そう。右手首を捻挫してしまうと生活に大いに支障が出る。怪我した当日は痛みを我慢し、新宿DVD試写室に泊まる。翌日7月20日(金曜日)午前中に、歌舞伎町の整形外科ひかるクリニックに行ってみた。レントゲンを撮った結果、骨には異常がないものの、腫れて炎症を起こしている。医師としてはギブス固定かテーピング固定をしたいところだが、私の場合は右手の負荷が大きく、それを固定してしまうと生活面で大変と判断し、固定は止めることにした。湿布薬で炎症を抑えることにしてもらった。

 少し痛みはあり不便ではあるが、ストリップ通いは出来る。これで済んだのだから、不幸中の幸いだ。

 異常な暑さが続き、身体もしんどい状態ではあるが、今の私にはストリップ通いができればそれで十分なのだ。

 

 この㋇で私も59歳になる。

 いろいろあって家族も仕事も失くした。今の私にはストリップしかない。

 私の父親は食道癌で66歳の若さで亡くなった。私は56歳のときに「親父と同じ寿命なら、私にはもう10年しかない」と悟るものがあった。私は身体障害者で、しょっちゅう足の骨折などをしていたので、まともに身体が動くのは健常者より短いだろう。大好きなストリップ通いと、それに伴う執筆をするには、定年後の65歳以降では遅すぎる。まだ健康で身体が動くうちに早くリタイアし、好きなことに没頭したいと思うものがあった。だから57歳で失業するときも「自分の人生がこれで終わった」とは思わず「好きなストリップ三昧ができて、念願の夢を叶えるチャンスだ」と思っていた。

 こうして、怪我が重なり、身体が不自由な状態になり、ますますこの思いが強くなる。

 怪我をしたってストリップ通いができれば十分。今の自分にはそう思える。

 

 

 

乙武 洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 - 現在42歳)の著書「五体不満足」がある。彼は先天性四肢切断(生まれつき両腕と両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。世田谷区立用賀小学校、東京都立戸山高等学校卒業、1浪後、早稲田大学政治経済学部卒業。

テレビによく出ていたので知っている人は多いだろう。

手足がないのでダルマさんみたいだ。それでも立派に生きている。

私も手足が不自由で、更にこうして怪我が重なり、不自由さが増して、自分がダルマのように思えてきた。

 

合わせて、ストリップ通いというのは浮気なのかなと考える。

別れた女房は「ストリップはりっぱに浮気だ」と言って許してくれなかった。

そういえば、タレントの明石家さんまは「おれは『うる星やつら』のラムちゃんが大好きだ。なぜなら彼女だったら浮気しても電気ショックだけで許してくれるから。」とテレビで言って笑いをとっていた。

そんなことを思い出しながら、ひとつ童話を書いてみた。

 

 

 

童話「ダルマ人生」

 

 根っからの女好きの男がいた。彼はたいへんな浮気者であった。

 

 最初の女の時、彼は浮気をした。

 神様はそれを見て、彼を懲らしめようと彼の片足を奪った。

 しかし、男は懲りずに「残った足で他の女のところに通えるさ」と言った。

 

 二番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと彼の残った片足を奪った。

 しかし、男は懲りずに「オレは腕さえあれば女を満足させられるのさ」と言った。

 

 三番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと今度は彼の片腕を奪った。

 しかし、男は懲りずに「オレは指一本さえあれば女を満足させられるのさ」と言った。

 

 四番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと今度は彼の残った片腕を奪った。

とうとう彼は手足が無くなった。

 しかし、男は懲りずに「オレの最大の武器は真ん中の足さ」と言った。

 

 五番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと最後の真ん中の足まで奪った。

 

とうとう彼はダルマのような身体になってしまった。

 それでも彼は女と楽しくお喋りして、楽しい人生を過ごした。

 神様はそれ以上、舌を抜くようなことはしなかった。

                                 おしまい

                     

 

平成30年7月       

 

 

 

 

 

 実は以下の文章は「人生の意味」という重いタイトルで二年前に書いたものだが、どうしても最後の結論が分からなく、筆が途中で止まったままになっていた。テーマが大きいのですぐに結論付ける必要もなく、ある意味「自分史」なのだから、じっくり思索したいテーマと考えていた。

 愛美さんへのメモリアルをずっと書き続けてきて、ふと、このテーマに触れるものがあった。今の思いをひとつの結論として、もう一度、このテーマを書きたくなった。

  最初の書き出しはこうである。

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 今のようなストリップ漬けの毎日は、私の人生においてどういう意味を持つのだろうか? 私はそのことがずっと気になっている。

 ときに堕落への一歩か、ずっと真面目に生きてきたことへの反動か、などとマイナス・イメージで考えてしまうこともある。女房はストリップを容認してはいない。私のストリップ通いが我慢できなくなれば離婚されるだろう。家庭崩壊、ひいては人生の破滅につながりかねない。

 一方、私は人生において無意味なものはないと信じている。私は40歳になってからストリップに嵌ったが、かれこれ10年という年月を費やしている。この10年を自分なりに納得したくて自問自答している。

 

自分の人生を10年区切りで見てみたい。

誕生から10歳までは『自我の目覚め』。私は一歳半で小児麻痺にかかり左下肢が不自由になったが、実家が商売をやっていたこともあり、環境柄、誰にでも笑顔で対応してきた。お陰でコンプレックスから根暗になることはなかった。しかし、もちろんコンプレックスでずいぶん悩まされたことも事実。身障者という理由でいじめの対象にもなった。ただ私にはいい友達がいたこと、また本も友達にできたことが良かった。そんな中、いい教師と巡り合えたお陰で、私は勉強の面白さを知る。こうしたエッセイを書くベースはその教師からの読書感想文の指導から端を発している。その教師は小学4、5年の担任だった。

次の10歳から20歳までは『人生の準備期間(勉強の10年間)』といえる。その担任と出会うまでは勉強が好きだったわけではなく成績も中ぐらいだったと思う。担任は勉強の面白さを教えてくれたと同時に、身障者の自分が他人に伍していくためには勉強しかないということを私に悟らせてくれた。中学に入ってからは部活にも入らず、ひたすら勉強に励んだ。特に予習に力を入れ、英語の教科書はすべて暗記して授業に臨んでいたほど。授業中は教科書を伏せて、先生に何行目を読みなさいと言われれば全て諳んぜられた。先生は私のような生徒は見たことがないと絶賛してくれた。その英語の先生は私が卒業した後々まで私のことを語り草にしていたようだ。試験では全教科ほぼ満点で他の追随を許さないほどに良い成績をあげていた。こういう性格でかつ勉強ができたから、友達も自然とできた。暗い青春ではなかった。大学進学まではまさに順調だったし、地元では「10年に1人の秀才」と云われ、障害をもっていたがゆえか美談の対象として賞賛されていた。

 次の20歳から30歳までの10年は就職・結婚に象徴されるように『人生の基礎固め』。大学に進んでからは周りに秀才がたくさんいて、自分は相対的に普通の人になってしまった。「小さい頃は神童と呼ばれ、そして中学・高校は秀才、しかし大学に入ったら‘ただの人’」というのはよくあること。そこそこの会社に就職し、地元でお見合いし今の女房と結婚した。三人の子宝にも恵まれ、みんな良い子に育ってくれている。なにもかも満足している。

 その次の30歳から40歳までの10年は『自分発見の10年(勉強の10年間)』。二十代は無我夢中で仕事をしていた。たまたま配属された部署が会社にとって最も重要でかつ大事な時期であったため、ほとんど休日も取れず、家庭をかえりみない仕事漬けの日々が続いた。そのときの仕事ぶりが高く評価されて今の自分につながっているわけだが、私は決して仕事が好きで家庭を顧みなかったわけではない。その忙しい仕事が一段落した時点で地方に転勤した。本社のころは忙しくて本を読む暇もなかったが、精神的余裕ができてから貪るように勉強し出した。仕事に関係する書物もたくさん読んだ。当時、会社の将来についての論文募集があったので応募したら優秀賞に選ばれ金一封30万円を頂いたこともある。たまたま読書家の上司がいて彼に感化された。仕事関係に限らず、人生を考える書物をたくさん紹介してもらい貪るように読んだ。今の私の物事を考える原点はこのときに培っている。いろいろ物事を頭にインプットすると次はそれをアウトプットしたくなる。私にとって、それは文章表現だった。いろいろ書いては読書家の上司に批評してもらったりした。たまたま子供たちが幼児期だったこともあり、本を読み聞かせるうちに、次第に私自身が児童文学に興味をもった。自分で童話を作り子供たちに寝物語として語ってきかせるようにもなっていった。たくさんの本を読んでは、たくさんのことを書き綴った。この10年は私が‘もの書き’であることを発見した貴重な時期であり、おそらく後半の人生に大きな意味をもつ10年になった。

 しかし三十代後半に、地方勤務からまた東京本社勤務に変わり、片道二時間の長距離通勤が始まった。疲れからか、あまり文筆に力が入らなくなっていく。なにも書かない日々が続いた。

 四十代に入って、ストリップに目覚めた。会社の業績が悪化し、リストラから大幅に年収がダウンしたこともあり、手頃な遊びとして会社帰りに近くの若松劇場に立ち寄るようになった。最初は10日に一度のペースであったが、次第に関東地区のいろんな劇場に足が向かい、平日はほとんど毎日のペースになっていく。最初のうちは観ているだけで十分満足していた。ポラも撮らなかった。ところが5年ほどしてから踊り子さんに手紙を渡すようになり、私の‘もの書き’の心に火がついた。今では書くことが楽しくて劇場通いしているところでもある。

 四十代に入ってからの10年という年月は間違いなく『ストリップの10年』になっている。それまでの10年刻みは他人にも自慢できるものだが、この「ストリップの10年」は家族にすら言えない。私は、お手紙(実際はストリップ・エッセイ)の中で、ストリップの魅力は何か、自分にとってストリップはどういう意味をもつものなのか、ということを繰り返し自問自答している。私は、この「ストリップの10年」をきっちり意義付けないと自分の人生を語れないと感じている。

 

 身障者であるコンプレックスを最も強く感じるのは異性問題である。私は間違いなく女好きである(笑)が、青春時代にかなり抑圧されたものがあった。失恋を繰り返し、ときに結婚できない不安から人生を失望し、自殺まで頭をかすめたこともある。

 男にとって失恋とは大事な意味をもち、失恋する度ごとに自分を反省し、魅力ある男性になるために精進しようとする。当然私もそう考えていたが、私が身障者だからと最初から恋愛の対象にしてくれない場合も多い。自分になにが足りない、なにが彼女に気に入られない、と考えていくと、自分は身障者だからという結論にもっていってしまう。本当はそうじゃないかもしれないが、どうしてもそう考えてしまう。そういうときには落ち込んでどうしようもなくなった。 

 私が女性に対して高嶺の花的な神聖な憧れを感じるのは、身障者であるがゆえのコンプレックスに他ならない。ストリップを観ながら、にこにこして眺めつつ、かぶりつきで綺麗な女性を身近に感じ、嬉しそうにしているのは、こうした反映なのだと思う。仕事も家庭も順調であるが、ストリップにはまり始めた根源はこのコンプレックスの発露なのだとうすうす見当がつく。

 

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  二年前はここから、ストリップを精神性を高めるものと意義付けて、『ストリップの10年』を私の人生にとって意味あるものと結論付けようとしていた。文書がこう続いた。

 

 ストリップというのは華やかで美しい。

 男には性にともなう「業」がある。女性の美しさに対する憧れは永遠である。これがなくなってしまえば男として枯れるしかない。ストリップはそれを満たしてくれる場。

 人は美しいものを目の当たりにすれば、心を無にすることができる。頭をからっぽにして、仕事やら人間関係からの柵(しがらみ)から一瞬なりとも開放される。まさに現世からの解脱。ストリップにはそういう効用がある。

 心を「無」にするとは仏教の理想とする境地である。三十代のときに、心理学、哲学や宗教などの本を読み漁ったが、理想とする境地へ辿るひとつの道として「ストリップ」があるのかもしれない。

 田山花袋の『田舎教師』の中にこんな台詞がある。「成功不成功は人格の上に何の価値もない。人はそうした標準で価値をつけるが、私はそういう標準よりも理想や趣味の標準で価値をつけるのが本当だと思う」

 今の私には、ストリップはひとつの趣味になった。趣味は精神的価値を高めてくれるもの。単なる欲望の捌け口ではないことをストリップを通じて感じている。

 

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 この結論がどうも自分なりに納得いかない。だから、このテーマが頭の片隅にずっとあったのだと思う。今はこう結論付けて文章を締めくくりたい。

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 私は一年前、ストリップを通して理想の女性と出逢った。そう、それは矢島愛美さん。

 ストリップの神様が私のストリップ10年目のお祝いに与えてくれた贈り物だと最初は勝手に思えた。そして私は恋に落ちた。しかし、恋はたくさんの喜びと共に、たくさんの切なさを伴う。このことはメモリアルに正直に記した。と同時に、私は愛美さん以外にも、これまで沢山の踊り子さんに恋をしてきたことを思い知った。

 私は、自分は恋少なき青春を送らざるを得なかったというコンプレックスをずっと抱えていた。その青春の残り香を求めてストリップに嵌まったのだ。そしてストリップは私の業を癒してくれた。だからこそ、激しい喜びを感じてストリップ漬けの毎日になったのだ。こんな情けない私であるが、踊り子さんの中には私の相手をしてくれる人が現れる。お金を払った単なる客なのかもしれないが、私はそうではないと思いたい。そのうえ、私は擬似恋愛を求めて手紙を書いては好きな踊り子さんとコミュニケーションを図ろうとする。私は五年目にしてその領域まで求め出した。ストリップなのだから単に観てくれればいいと考える踊り子さんも多いが、その私の欲求に応えてくれる踊り子さんが少なからず居てくれた。お陰で私はストリップに飽きることなく嵌まり続けている。

 若かりし頃は、恋心は途中でストップさせられた。告白して失恋してしまえば恋心を継続するわけにはいかない。ところが、ストリップの場合には擬似恋愛であるがゆえ、踊り子さんがステージにのる限りその恋心が継続できる。私はたくさんの踊り子さんに恋をしている。

 実は私はそのことに気づいていなかった。ストリップ・エッセイの中でも、いつも自分は恋少なき人生だったように書いてきた。それに対して、ある踊り子さんから「太郎さんは恋少ない人生ではないよ。だって、たくさんの踊り子さんに恋しているもん。」と言われて、ハッと感じた。言われてみれば確かに、この十年間たくさんの恋をしてきている。しかも、ふだんの生活では出逢うことのない絶世の美女に対して。

 ストリップというのは身障者の私に対して、神様が遅ればせながら与えてくれた「恋のプレゼント」なのだ! そう思い至った。その瞬間、長い間抱いていた青春の疼きからようやく開放された気分になった。

 愛美さんのお陰で、そしてメモリアルを書くことで、私は自分の十年間という「ストリップ人生の意味」を知ることができた。誠に感謝に絶えない。

 私は今年50歳という人生の大きな節目を迎える。四十代の『ストリップの10年』が必ずや私の人生において大きな意味をもつことを信じてやまない。

 

 

平成21年4月                                 SNAにて     

 

 

 

 

 

 平成29年8月のお盆は田舎に帰省した。今回は私のプライベートな日記です。

 

 

1).秋田に帰省する

 

今年の夏も暑いですねぇ~。特に、東京や大阪の暑さは異常だね。

この暑さを避けるために、今年のお盆は田舎に帰省していました。やはり東北の秋田は涼しい。それなりに暑いのだが東京や大阪と比較すると涼しいとしか言えない。・・一瞬、秋田が異常に思えた。いや、こちらが正常で東京や大阪の暑さが異常なのか・・頭が混乱するほどに気温が違い過ぎる。

約5度Cの違いは滅茶苦茶大きい。気温が30度Cを超えないため、日中も部屋の中でクーラーを入れなくても済む。お盆の前は30度Cを超えた日が一週間も続いてさすがにクーラーを付けていたとクーラー嫌いの母親が言っていた。

田舎に帰省した理由のひとつが避暑ではあるが、一番の理由はもうすぐ80歳になる母親に会うため。父親はとうの昔に66歳で亡くなっている。今年のお正月に随分久しぶりに帰省したのだが、それは母親にどうしても帰ってこい!と懇願されたため。おふくろも高齢になり気弱になってきたのだろう。頭も身体も丈夫なのが有難い。これからはもっと頻繁に顔を見せてほしい!と言われていたので、さっそく次のお盆に帰省することにした。母親が喜んでくれたのは言うまでもない。

三日間ほど一緒にいたが、私の食事の仕草に亡くなった父親の面影を思い出したりしていた。今こそ親孝行しなければならない時期なのかと思えた。

 

2).姪との再会

 

田舎に帰って一番衝撃を受けたのは、姪っ子との再会。

実弟の娘で今年22歳。何年振りに会うことになるのかなぁ・・

彼女が小さい頃、私は田舎に帰るたびに一歳下の甥と姉弟一緒によく遊んであげてたので、私のことを慕ってくれた。一緒にお風呂にも入った。彼女は小さい頃から愛らしい顔をしていた。お母さん(私の実弟の奥さん)は地元のミス〇〇なのでその遺伝子を受け継いでいるのは確か。当時は少しぽっちゃりしていた。彼女とは中学生くらいまでは会っていた記憶がある。

お年頃になってから会う機会が全くなくなってしまった。だから今回7年ぶりかなぁ~

あまりにも綺麗になっていて驚いた。目がぱっちりしたルックス。昔のアイドルだった紀比呂子さんを思い出した(古い記憶ですみません)。不謹慎ながら踊り子ではロックの伊沢千夏さんに顔立ちがよく似ている。ふと私の母親の若い頃の写真にも面影がある。

162㎝の身長でスタイルもいい。最近5キロも太ったと気にしていたが、全く太っているとは思わない。周りの子が痩せすぎなんだろうな。田舎育ちだが秋田美人の資質がある女の子が都会に出て化粧をおぼえ垢抜けたという典型的な例である。

あまりにも美人になっていて目を合わせたり話すのが気恥ずかしくなるほどだった。

食事をしていて、姪っ子の口から、‘いこまちゃん’の話題が出てきた。なんと乃木坂46の生駒里奈さんは私の故郷・由利本荘市出身 (2013年1月22日、秋田県由利本荘市のふるさと応援大使任命)。私は生駒里奈のことを全く知らなかった。いこまちゃんは一歳年下の甥と同い年(現在21歳)で、甥が中学のとき通っていた学習塾にいて一緒に机を並べて勉強していたらしい。当時から可愛かったはずだがあまり目立たず、ぼーっとした女の子だったと甥は話している。そんな身近な子が全国区のスーパーアイドルになったわけであるから、姪としても強い刺激を受けている様子(笑)。

私の姪も、ことルックスに関してはいこまちゃんに負けないほどの資質があると思えたが、私の母親に言わせると「芸能界のアイドルになるためには小さい頃からダンスやピアノなどを習わせるほど親が熱心でないと無理。いこまちゃんは5歳からダンスを習っていたらしい。姪にはお金をかけてないから最初から叶わない。」とのこと。

私が姪に「歌には自信があるの?」と話したら「中学のときに吹奏楽部に入っていた」と答えてくれた。私の弟が「兄(私のこと)はカラオケが上手いよ」と話してくれたら、へぇ~って不思議そうな顔をしていた。私が「河村隆一って知っている? 私の声は彼にそっくりだとカラオケ仲間が言ってるんだ。」と話したら「河村隆一って知らない」とそっけない答えが返ってきた。(笑)

ともあれ、この三日間で、家族ぐるみで食事したりドライブ(鳥海山の土田牧場など)したのが楽しい思い出。姪とのデート気分を味わえた♪

そうそう、話題のいこまちゃんの実家の前を車で通ったよ♪

まぁ、今回から姪が、まさしく叔父さんの身近なアイドルになってくれて嬉しい限りである。

 

平成29年8月                               

 

 

【郷土秋田の再発見】

◆生駒 里奈(愛称は、いこまちゃん、いこたん)

・1995年12月29日生まれ – 現在21歳

・乃木坂46のメンバー、AKB48チームBの元メンバー。身長154cm。血液型AB型。

・乃木坂46のダンス七福神として、乃木坂46の1stシングル「ぐるぐるカーテン」からセンターを務めた。

・秋田県由利本荘市出身 (2013年1月22日、秋田県由利本荘市のふるさと応援大使任命)

 

 

 

 

 

 

さて、今回は犬の話題をしたいと思います。

 

まずは自分のことについて話させてください。

私は子供の頃、実家がお店をやっていたために、家で動物を飼うことができませんでした。商品をダメにされたり、お客に吠えられたら困りますからね。飼ってたわけではありませんが、ねずみにはよく商品をかじられてましたけど(笑)

動物を飼い始めたのは、結婚してから。

私が毎晩残業で帰りが遅かったこともあり、田舎から連れてきた新妻は精神的にまいってしまいました。そのため新婚早々に猫を飼うことにしました。新婚は社宅ではなくアパートの一階の部屋からスタートしたのでこっそり猫を飼う事ができました。猫好きの妻はこれでどうにか落ち着きました。そういう意味では、夫婦の最初の危機を救ってくれたのは猫といえます。猫には感謝しています。名前はチャコ、雄猫ですが、妻が以前実家で飼っていた猫と同じ名前にしました。

そのアパートには二年ほどいて、会社の社宅に移ることになり、同じアパートの親しくしていた人に猫の世話をお願いしました。

社宅に移ってからはずっと動物は飼えないままでした。

平成13年にマイホーム購入と同時に、今度は当時小学六年生の娘のおねだりに負けて犬を飼うことになりました。

たまたま妻のパート先の知り合いでビーグル犬がたくさん産まれ譲ってくれるというのでもらいにいきました。子犬はたしかにかわいい。娘はいつも抱いて寝ていました。雌犬でリリーという名です。

飼い始めた当初はおしっこをあたりかまわずするし、いたずら好きで家具を咬むなど、新築の家がボロボロにされると私も妻も嘆いていましたが、いまは落ち着いて、すっかり一家の一員になっています。ビーグルは声が大きいので番犬向きです。

犬のお世話は、最初のうちは娘が喜んでやってましたが、中学に入り勉強やクラブ活動が忙しくなるにつれ、次第に、妻ばかりがやるようになりました。「結局は私にまわってくるのよね」と妻はこぼしてます。そういう私もほとんど犬の世話はしません。

ところが、リリーは私に対しては本当に忠犬です。私はいつも帰宅が遅く、家族は11時前には就寝してしまいますが、深夜遅く帰っても犬は玄関に出迎えてくれます。誉めてあげると、それが自分の仕事と認識して毎日忠実にこなしてくれます。私の帰宅を喜んでくれるのは犬だけか??? ともあれ、しっぽをちぎれんばかりに振り全身で喜びを表現する犬というのは本当に可愛いものです。

犬は集団の動物なので、私のことを家族のリーダーと認識してくれてます。私の家族は、ほとんど散歩など犬の世話をしない私になぜ犬がなつくのか不思議がっています。まぁ、私の良さは犬しか分からないのかな?

また面白いことに、犬は集団の動物であるがゆえに、リーダーを立てると同時に、自分より下の存在を作ります。そのターゲットは一番下の娘になります。どことなく下の娘を馬鹿にした態度をとります。そのためか下の娘とはどうも相性がよくないようです。

 

ところで、ストリップのファンに猫タイプと犬タイプがいるのをご存知ですか?

猫というのは家になつく動物、つまり猫タイプというのは特定の劇場だけに通うお客さんです。一方、犬は人になつく動物、つまり犬タイプというのはお気に入りの踊り子さんを目当てでいろんな劇場をまわるお客さんのことです。

劇場の経営者としては猫タイプのお客さんがウエルカムなのでしょうが、踊り子さんとしては犬タイプのお客さんがうれしいですよね。

さて、私はどちらかなと考えると、犬と猫の折衷タイプかな。関東の決まった範囲の劇場(TS系のTSミュージック、池袋ミカド、シアター上野を中心にして、他にDX歌舞伎、渋谷道劇、若松劇場、そしてロック系の新宿ニューアート、川崎、浜劇)の中で、お気に入りの踊り子さんが来たときに観に行くという感じ。

とはいいながら、・・・

お気に入りの踊り子さんの犬になって、しっぽ?をちぎれんばかりに振って、今後も応援したいと思ってますよ(^0^)

 

 

                    

 

 

 

 

今日は、「仙台のお土産」について、私の思い出話をしてみたい。

 

 最近、踊り子さんに「今日のおやつ」と称して、毎日、日替わりの仙台の銘菓を渡すようにしている。踊り子さんは、今日はどんなお菓子かなと楽しみにしてくれる。「あっ、これ美味しいのよね」とか「昨日のお菓子はすごく美味しかったわよ」とか感激してくれる。

喜んでくれるその顔を見ながら、ある日、ふと亡くなった私のおばあちゃんのことを思い出した。

 

おばあちゃんが亡くなり、もうかれこれ30年近く経った。

 私とおばあちゃんは血のつながりはない。正式に書けば養祖母という関係になる。

 おばあちゃんの若かりし頃のことは私にはよく分からない。秋田の田舎で貧乏だったために、四人妹弟の長女であったおばあちゃんが若いときに北海道の函館に奉公に行かせられた。昔は美人だったようだ。私の母親から後々聞いた話では、身売りで女郎をやっていたようだ。だから子供の出来ない身体になったとのこと。

 その函館で富山から流れてきていた養祖父と出会い、二人は所帯をもち、養祖母の故郷である秋田に戻って小さな店を始めた。酒、たばこ、塩を含む日用品店で、商売は順調だった。ここが私の実家、だから私の姓のルーツを辿ると養祖父の出身である富山ということになる。

 子供のいない養祖父母は、お向かいの家から次男坊を養子に迎え、隣の村から嫁をもらう。それが私の両親である。

 私が生まれたとき、我が家として初孫であったため、養祖父母はそれはそれは喜び可愛がった。私は完全なおじいちゃん、おばあちゃんっ子。私は二人の背におぶられて大きくなっていった。夜はずっと二人と寝ていたので、不思議と両親と一緒の布団に寝た記憶がない。私の両親は養祖父母に気をつかい、私と弟を養祖父母に預けざるをえなかったようだ。私と弟が家族円満の核となっていたのだろう。

 

 おばあちゃんは、70歳頃から目を患いだした。白内障、緑内障とかと言っていた。働き者だったおばあちゃんは、目が悪くなってからは次第に外に出かけられなくなる。高齢になってからの目の病だから、無理もない。かすかに見える視力で、ぼんやりと池の中の鯉を眺める日々が多くなっていった。テレビも最初のうちはかすかに見えていたようだった。

 おばあちゃんが目を患い出したのは私の小学校高学年の頃。私は中学、高校と成績は常にトップだった。自宅での勉強は中学・高校を通じてずっと朝型。早朝3時から4時頃に、いつもおばあちゃんに起こしてもらっていた。おばあちゃんは私の目覚まし時計。おばあちゃんは成績のいい私が自慢だったし、自分に残された唯一の仕事が私を毎朝起こすこと。「もう四時だけど、起きなくていいの」「お勉強、頑張ってね」、あのときのおばあちゃんの声が今でも耳に残っている。高校後半の頃には、おばあちゃんは80歳を越え、もう殆ど視力をなくしていた。でも、私の目覚ましだけは最後まで続けてくれた。お陰で私は志望校にストレートで合格。おばあちゃんが私の合格を喜んでくれたのは言うまでもない。

 

 私が大学に入り、仙台に下宿を始めてから、おばあちゃんは呆けが始まり、完全に昼夜逆転の生活になったようだ。私は丁度そんなおばあちゃんの状態をほとんど知らないで済んだ。ずいぶん大変だったと母から聞かされた。

 たまに私が仙台から帰省すると、おばあちゃんは本当に喜んでくれた。私は仙台で買ってきたお土産を開き、全盲のおばあちゃんの口に運ぶ。

「おばあちゃん、これね、日本一おいしいお菓子だよ」

 甘いもの好きなおばあちゃんは、いつも「おいしい、おいしい」と言って、泣きながら食べてくれた。私が仙台に帰った後もずっと「しょっこ(私のこと)の買ってきてくれたお菓子は本当に日本一おいしい」と家族や近所の人に話していたようだ。いま思えば、一番のおばあちゃん孝行だった。

 私が家を離れて1年2ヵ月後のゴールデン・ウィークに、おばあちゃんは亡くなった。死に目には会えなかった。長い間、目の見えなくなったおばあちゃんを看病していたおじいちゃんも、まさにおばあちゃんの後を追うように、その一年後に亡くなった。養祖父母はとても素敵な夫婦だったと今更ながら思う。

 

 私は、仙台のお菓子は本当に日本一おいしいと自慢できる。しかも、たくさんの味がある。踊り子さんが喜んでくれる顔を思い浮かべながら、「今日のおやつ」を選ぶのがいまの私の楽しみになっている。

 

 

平成20年10月                          仙台ロックにて 

 

 

 

 

 

 今年は年明け早々から娘二人の受験が始まる。

長女は看護師の国家試験が二月にある。すでに国立の大学病院に内定しているので、後は国家試験合格に向け気合が入っている。

次女は高校受験。塾通いをしながら最後の追い込み中。一月に私立の受験が迫っており、二月に本命の公立高校の受験が待ち受ける。

そのため、家の中はピリピリした緊張感が漂う。

 

 親父が家の中にいても役に立たないので、私は相変わらずストリップ通い(笑)。

 劇場内のラウンジで踊り子さんに手紙を書いていたら、ストリップ仲間から「勉強熱心ですね。東大にストリップ学科があったら間違いなく合格ですね」とからかわれる。ははは、東大のストリップ学科を首席で合格する自信があるね(笑)。

 ストリップ大学なんてあったらどうだろう。ある仲良くしている踊り子さんから、「ストリップ大学があったら何人の人が合格かなぁ(笑) ある意味難しそうですね。だって、太郎さんみたいに万遍なく見てないとわからないこといっぱいあると思うし・・。」

 一般的にストリップは楽しい遊びと捉えられるが、これも勉強のひとつと考えると、なかなか奥が深い。ストリップ学を極めるにはかなりの時間と労力を要しそう。

 

 人は一生、勉強である。

 問題は、なにを勉強するか。

 長女は看護師になりたいという夢を追い、その必須要件として国家試験の勉強をしている。目的がはっきりしているために気合いの入り方が違う。

 一方、次女はいやいや受験勉強している感じ。人気グループの嵐に夢中な今時ふつうの女の子である。軽音楽部でギター演奏しているので、高校に入ったらオーデションを受けたい!と言っている。オーデションは歌だけでなく、ルックスも関係するよ、と心配する家族。今はまず成績に見合った高校に入るのが最優先だね。

 振り返れば、私は高校までは勉強好きだったので常に成績は校内トップ。特に苦手な教科もなく、受験勉強で苦労した思いもない。むしろ大学に入って、専門の法律が面白くなくて勉強に身が入らなかった。与えられた勉強は好きだったのに、自分で選んだ専門が好きになれないのは皮肉だった。むしろ高校時代まで数学が好きだったので、数学の教師になったらよかったのかもしれない。実際に高校一年まではそんなことも考えていたのだが、高校二年の進学指導で文系に変えた。このとき指導してくれた恩師のアドバイスが間違いだとは思えない。会社に入ってからは、数学好きが功を奏してか経理の仕事をずっとしてきた。ただ今にして思えば、こうやって文筆していると、一番苦手意識のあった国語が一番自分に向いている気もするし。正直未だになにが自分に向いているのか分からないのかもしれない。

 ただ、はっきり言えるのは、誰でも、目的意識とか、好きな対象でないと、なかなか勉強に身が入らないのが実際のところ。

 

 どれだけ深く勉強したかを計る目安は、最終的にはそれに費やした時間の長さなのだと思う。席に着くだけでかなりの意欲と労力をつかう。その時間を継続するにはもっと気力と労力をつかうわけ。従って、勉強の重みは時間に比例する。

 仕事に関する勉強は、勉強自体が仕事なのだから豊富な時間が与えられる。一方、仕事以外であれば、時間を自分で作らないといけない。限られた時間を何に振り向けるかでその人にとっての重要度が分かる。

 今の私にとってストリップにかける時間は非常に多い。そもそも、ストリップというのは時間のかかる遊びである。1ステージが三時間、1日4ステージ。早朝から席取りで並ぶときには丸一日ストリップに時間を費やしている。会社帰りに劇場に寄るときにはその移動時間だけでもかなりのもの。

 そのうえ、私はストリップに関する執筆にかなりの時間をかけている。いかに私がストリップが好きかは、かけた時間の長さで計れる。費やしているお金でも判断できるだろうが、やはり時間で判断するのが適切か。もっと言えば、何に時間をかけたかで、その人の人生の重みが分かるというもの。

 

一般にストリップは遊行と思われるだろうが、私はあえてストリップも勉強のひとつだと思いたい。

 限られた時間なら、できるだけ自分が楽しいと思うことに費やしたい。そして、それを追及するためにたくさん勉強したい。そうすることが、人生を楽しむことだと実感する。

 人は人生を楽しむために一生勉強するのだ。

 

 

平成23年1月                            

 

 

 

 

 

  最近、中学二年生の次女と部活について話したことを書いてみます。

 

 次女は、中学でギターの部活に入っている。三年生が受験で部活に来なくなったため、二年生が最上級になり、娘も副部長をしている。

 次女は中学に入り、すぐにこの部活に入った。ピアノなど楽器を習わせたわけじゃなかったので、単に音楽好きということで選んだようだ。私は当時、単身赴任していたので、事後的にこの話を聞いた。カラオケ好きの私だが、我が家には他にカラオケ好きがおらず、一緒にカラオケ・ボックスに行ったことがあるのは小学低学年の頃の次女だけ。嵐の大ファンで、三人の子供たちの中では流行歌に一番敏感。ちなみに、中学では長男は卓球、長女はバトミントンだったので、足の遅い次女が文科系部活を選択するのも納得がいく。

 初めてのギター購入。インターネットで注文したのだが、最初はギターの種類も分からなかったらしく、フォーク・ギターが必要なのにクラシック・ギターを買っていた。結局、後からフォーク・ギターを買い、なぜか二本のギターがある。いずれ上手くなったらクラシック・ギターもやるとのこと。

 

 昨年、単身赴任から戻ってきて、すぐの休日。

 近くの市民会館で、次女たちのギター演奏会があるというので、妻と長女と一緒に観に行った。最初に、部長と副部長である次女が簡単な挨拶をしてから、演奏が始まった。次女の歌声を始めて聴いた。絢香の「I believe」、まずまずの出来。カラオケ好きの親父としては自分の娘の出来にホッとするものがあった。

 次々と部員たちが入れ替わって演奏が続く。軽快な音楽になると、私はついノリノリになる。帰宅して次女に言われた。「演奏の順番待ちで後ろから見ていたら、最前列の親父の頭がゆらゆらしていてキモかったよ~」。やばい! いつものストリップの癖が出てしまった(笑)。

 

 つい先日、次女が「部内でいじめが発覚し、いま休部中なんだ」と話してくれた。部員の持ち物がトイレに隠されたという事件があったようだ。

「中一の部員のせいで休部だから、たまらないわ」と嘆く次女に対して、私は「おまえは副部長なんだから、なにか対応を考えているのか」と聞いてみた。なにもしていないと知って、娘にこんな話をした。・・・

 高校野球でも、部員に不祥事やいじめがあれば甲子園にいけなくなる。ギター部といえども同じ。また今の時代は、学校側もいじめに過敏になっている。いじめが原因で自殺するケースもあり、学校側の責任が問われるからだ。

 しかし、人間が三人以上集まると人間関係が生じ、それは楽しい一方、関係の強弱により時にストレスを感じる。だから、人間関係のあるところ、いじめは無くならない。

 いじめは他人に向けての場合が目立つが、実は自分に向けてのいじめもある。自信喪失や失望などで自分を責め、躁鬱病になったり、時に自殺にまで追い込む。いじめとは根の深い厄介な問題である。

 それを救うのは、コミュニケーションしかない。お互いのストレス、不満、愚痴など気軽に話し合えるような仲間を身近に持つことが大切。それは、家族でも友人でも先生でも誰でもいい。

 副部長という役職に就いているなら、いじめという事件を踏まえ、これから自分がどう対処しなければならないかを考えなくてはならない。まずは、部員の話を聞いて、自分の身として思い、先生などに意見を求め、部全体としての対処案をまとめていかなければならない。今回のケースは、みんなが楽しい部活にしたいという想いは同じだから、必ず方向性と具体策は見つかる。そういうアクションを副部長としておこしてほしいと思う。単に愚痴ったり傍観するのではなく、自分の問題として受け止めてほしい。学校でも職場でも同じことで、これから先、生きていくうえで大切な勉強材料だと感じたから話してみた。

 私の話を真剣に聞いている娘の目を見ながら、ひとつずつ成長してほしいと願った。

 

 

平成22年3月                          

 

 

 

 

 

 

 

 私の長女は現在20歳。

 その話をTSの従業員しげちゃんにしたら「是非、娘さんを踊り子にして下さいよ。TSが責任もってデビューさせます。太郎さんの娘がデビューしたとなると話題沸騰!! お父さんが娘の追っかけをして、終演後一緒に帰宅するなんていいじゃないですか」と面白おかしく話してくる。もちろんジョークとして聞いているが、この半年間、私の顔を見るたびに同じことを話しかけてくる。しげちゃんの目が真剣なのが怖い(笑)。TSも最近新人が全くデビューしていないからなぁ~新人さんや話題が欲しいのは本音なんだろうなぁ~。

 ともあれ、私の長女は、来春看護師さんになる予定。大学病院に内定しているから就職の心配はない。むしろ次女の方がもうすぐ高校受験ということで心配している。

 

 さて、平成22年7月結にDX歌舞伎で平成生まれの踊り子さん大会というすごい興行が催された。平成生まれとなると20歳の娘だけになり、デビュー1年目の踊り子さんを集めていた。

 香盤は次のとおり。

1.美咲遥さん(DX歌舞伎所属)

2.彩音しゅりさん(ロック所属)

3.豊田沙希さん(東洋ショー所属)

4.南あおいさん(ロック所属)

5.奈良ゆずはさん(ロック所属)

 

この五人の他にDX歌舞伎所属の星野宇美さんが出演予定だったが、残念ながら出演されなかった。宇美さんは今年4月11日ここDX歌舞伎でデビューしたばかりで、私も5月結のDX歌舞伎で初顔合わせして、すぐに仲良くなれたので再会を楽しみにしていたところ。この前後の出演予定が全てキャンセルになっていたから、辞めてしまったかもしれない。

 宇美さんの欠盤は残念だったものの、この五人は私にとって最高の香盤と云えた。五人全員ともデビュー週から応援しており、思い入れが強い。そのため、私は11日間の興行中、なんと7日間通ったほど。

 美咲遥さんと彩音しゅりさんは今週が一周年となった。デビューからもう一年経つのかと思うと月日の早さを感じる。二人ともデビュー週に一目で気に入って、ずっと応援してきた。ちなみに、美咲遥さんはちょうど一年前の平成21年7月26日に二十歳になって、その日にデビュー。変則的なデビュー日で、たまたま私はその日にDX歌舞伎に来ていて、デビュー&誕生日イベントに参加できたのを鮮明に記憶している。

 豊田沙希さんとは、昨年8月結の大阪東洋デビュー時に、私がたまたま大阪遠征していて初顔合わせ。ステージで魅せる彼女のエネルギッシュな若さとかわいさに一目で参った。それ以来関東の劇場にのったときには精力的に応援している。

 南あおいさんとは先月のSNAデビュー週に会ったばかりで、私が応援に来てくれたことをとても喜んでくれた。あおいさんの素直な性格は自分の娘以上に(苦笑)かわいい。今年是非頑張ってほしい踊り子さんの1人である。

 奈良ゆずはさんも、昨年7月頭のSNAデビューで初顔合わせし、ずっと応援している。仙台ロック出演した時には平日せっせと通わせてもらったのが記憶に新しい。彼女だけ若干2週間ほど2年目に入っている。それもあってか今回の大会でトリを飾ったわけだが、やはり5人の中では貫禄を感じる存在に成長している。

 

 考えてみたら、みんな私の娘と同じ世代なんだなぁ~。とうとう自分の娘と同じ歳の子供たちが、私が趣味としているこのストリップ界に入ってきたことに、しみじみ感慨深いものを感じる。

 なんか、皆さん、私の娘みたいな気分。私はストリップの父を自認しているわけだから、彼女たちが立派な踊り子さんとして羽ばたいていくことを心から願ってやまない。また、若い彼女たちと接することで、私自身が若さを保てるのだと感じている。

ストリップよ、永遠なれ!

 

 

平成22年7月                           DX歌舞伎にて