久しぶりに、日記代わりにストリップ・エッセイを書いてみたい。

 

「太郎さん、今月はついてないですね!」 スト仲間から言われる。

 たしかに今月に入って怪我が続いている。

 先月末に大阪遠征した五日目、6月30日(土曜日)の朝に、定宿にしているDVD試写室「I love video&DVDてんじんばし」のシャワー室で転んで左膝を打った。シャワー室内ではなく、広い脱衣所で。まさか床が濡れているとは気づかずに滑ってしまったのだ。私の場合は、転ぶと必ず怪我をする。もともと小児麻痺で悪い左足には筋肉がなく、骨と皮のような状態なので、滑ると健常者のように踏ん張りが利かず転んでしまう。そして痛めるといつも歩けなくなる。これが年に一度の割合である。だから細心の注意を払って生活しているつもりなのだが、不用意な怪我が防ぎようもなく発生する。

 今回も転んだ直後はそれほど痛みを感じなかったが、次第に痛くて歩けなくなった。

 いつものように、劇場に向かうつもりで定宿を出たものの、途中で歩けなくなり劇場行を断念した。近くの交番で整形外科を尋ねるも、そこまで歩けそうになく、目の前にあった整骨院に駆け込む。整骨院なのでテーピングと電気治療しかやってくれない。「整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらった方がいいですよ」とは言われるも、痛くて動けない。すぐに定宿に戻って安静にした。しかしトイレに行くだけでも七転八倒の痛みだった。

 その日6/30と翌日7/1の日曜日は試写室でじっとしていた。先にTSUTAYAからレンタルしていた映画「グレイテスト・ショーマン」とアニメ「サイコパス」を観て時間を潰した。

  7月1日(日曜日)、大阪東洋ショー劇場では期待の新人・白鳥すずさんのデビューがあった。東洋に行ったスト仲間から「なぜ太郎さんが来ていないのか」とメールで連絡が入った。この情けない状況を説明した。スト仲間からは「白鳥すずさんが超かわいい」との連絡が入る。私も早く彼女のステージを観たいがそれどころではない(苦笑)。

 7月2日(月曜日)に痛みをこらえて、もう一度整骨院に行った。痛みのピークは過ぎていたが、このままでは埒が明かないと思い、翌日7月3日(火曜日)に痛い足を引きずりながら、近くの整形外科に向かう。天神橋商店街の中にあり、試写室から600mくらい離れたところに「オカモト整形外科」がビル二階にあった。足が痛くなければどってことのない距離だが痛いため死に物狂いで歩いた。レントゲンを撮って診断してもらった結果、骨や靭帯には問題なく膝内部の打撲とのこと。血がたまっているので注射器で40ccの血を抜いた。物凄く痛い注射だったが、お陰でその後ようやく快方に向かった。

 無理はしないで、結局四日間、試写室でじっと安静にしていた。整骨院ではなく、最初から整形外科に行っておけば良かったと後悔する。せっかく遠征してきたのに四日間無駄に過ごしてしまった。

 大阪東洋ショーの7月頭の公演、ようやく四日目に顔を出す。まさに這ってでも劇場に辿り着きたい気分だった。念願の白鳥すずさんに初対面。

 毎度のことだが、歩けるように回復してホッとする。四日間の無駄も仕方ない。歩けるようになればそれでいい。仕事をしていないから周りに迷惑をかけることもなく、自分だけ我慢すればいいので特に問題はない。

 改めて、‘普通でいること’の有難味を痛感する。健康こそが一番ありがたいもの。人間というのは健康であれば何とかなる。健康を失ったら全てお終いである。

 

 五日目からは、相変わらず足は痛いものの歩けなくはないので、いつものように劇場通いを続ける。大阪には7月8日までいて、予定通り関東に戻る。足の痛みは続いたが徐々に快方に向かっていた。転ばないように細心の注意を払って、ゆっくり行動した。

 当初のストリップのスケジュールに合わせて、再度7月13日に大阪に行き、五日間いて7月18日に関東に戻る。そして新宿DX歌舞伎に通う。

 7月19日(木曜日)、楽日前日の夕方、また災難が降り注ぐ。

 DX歌舞伎の近くの路上で転んでしまったのだ。路面が凸凹していて躓いてしまった。前のめりで倒れた瞬間、右手を付いた。顔が路面すれすれになり、眼鏡に少し傷がついた。(結果、眼鏡を買い替えた。七万円の出費が痛い。)

 問題は、右手首の捻挫。鈍い痛みがある。重い荷物は持てない。それどころか服のボタンをするだけで痛みが走り、生活面で支障をきたす。

 私はもともと一歳半で小児麻痺になり左足が不自由。ところが小学二年生の時にヤギ小屋の上から飛び降りて左足をかばうように左手を付いて骨折。それがもとで左手の指先が利かなくなってしまった。足が悪いのに、他の子供たちと同じように腕白な遊びをしていたわけだ。この怪我は私の人生を大きく変えた。今思えば、私は音楽を趣味としたかった。ギターを弾いて、シンガーソングライターになるのが自分とって最も相応しい趣味なのだと感ずる。歌には自信があるし、作詞もできる。しかし、左手が利かないため楽器が全くダメ。そのため音楽を趣味に持つことは諦めた。今はこうして文筆が趣味になった。

 今でも思うことがある。左足が悪いのは先天的に仕方ないが、左手の方は後天的な怪我。左手が不自由でなかったら、いろんなことに挑戦できたのになぁ~、と思うことがある。

 しかし、全てを含めて運命である。運命は黙って受け入れるしかない。与えられた条件に満足して生きるしかない。左足が悪くても歩けるだけマシだ。左手が不自由でも右手があればどうにかなる。大好きなストリップ通いもできる。不満はない。

 さて話を戻そう。右手首を捻挫してしまうと生活に大いに支障が出る。怪我した当日は痛みを我慢し、新宿DVD試写室に泊まる。翌日7月20日(金曜日)午前中に、歌舞伎町の整形外科ひかるクリニックに行ってみた。レントゲンを撮った結果、骨には異常がないものの、腫れて炎症を起こしている。医師としてはギブス固定かテーピング固定をしたいところだが、私の場合は右手の負荷が大きく、それを固定してしまうと生活面で大変と判断し、固定は止めることにした。湿布薬で炎症を抑えることにしてもらった。

 少し痛みはあり不便ではあるが、ストリップ通いは出来る。これで済んだのだから、不幸中の幸いだ。

 異常な暑さが続き、身体もしんどい状態ではあるが、今の私にはストリップ通いができればそれで十分なのだ。

 

 この㋇で私も59歳になる。

 いろいろあって家族も仕事も失くした。今の私にはストリップしかない。

 私の父親は食道癌で66歳の若さで亡くなった。私は56歳のときに「親父と同じ寿命なら、私にはもう10年しかない」と悟るものがあった。私は身体障害者で、しょっちゅう足の骨折などをしていたので、まともに身体が動くのは健常者より短いだろう。大好きなストリップ通いと、それに伴う執筆をするには、定年後の65歳以降では遅すぎる。まだ健康で身体が動くうちに早くリタイアし、好きなことに没頭したいと思うものがあった。だから57歳で失業するときも「自分の人生がこれで終わった」とは思わず「好きなストリップ三昧ができて、念願の夢を叶えるチャンスだ」と思っていた。

 こうして、怪我が重なり、身体が不自由な状態になり、ますますこの思いが強くなる。

 怪我をしたってストリップ通いができれば十分。今の自分にはそう思える。

 

 

 

乙武 洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 - 現在42歳)の著書「五体不満足」がある。彼は先天性四肢切断(生まれつき両腕と両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。世田谷区立用賀小学校、東京都立戸山高等学校卒業、1浪後、早稲田大学政治経済学部卒業。

テレビによく出ていたので知っている人は多いだろう。

手足がないのでダルマさんみたいだ。それでも立派に生きている。

私も手足が不自由で、更にこうして怪我が重なり、不自由さが増して、自分がダルマのように思えてきた。

 

合わせて、ストリップ通いというのは浮気なのかなと考える。

別れた女房は「ストリップはりっぱに浮気だ」と言って許してくれなかった。

そういえば、タレントの明石家さんまは「おれは『うる星やつら』のラムちゃんが大好きだ。なぜなら彼女だったら浮気しても電気ショックだけで許してくれるから。」とテレビで言って笑いをとっていた。

そんなことを思い出しながら、ひとつ童話を書いてみた。

 

 

 

童話「ダルマ人生」

 

 根っからの女好きの男がいた。彼はたいへんな浮気者であった。

 

 最初の女の時、彼は浮気をした。

 神様はそれを見て、彼を懲らしめようと彼の片足を奪った。

 しかし、男は懲りずに「残った足で他の女のところに通えるさ」と言った。

 

 二番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと彼の残った片足を奪った。

 しかし、男は懲りずに「オレは腕さえあれば女を満足させられるのさ」と言った。

 

 三番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと今度は彼の片腕を奪った。

 しかし、男は懲りずに「オレは指一本さえあれば女を満足させられるのさ」と言った。

 

 四番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと今度は彼の残った片腕を奪った。

とうとう彼は手足が無くなった。

 しかし、男は懲りずに「オレの最大の武器は真ん中の足さ」と言った。

 

 五番目の女の時、彼はまた浮気をした。

神様はそれを見て、彼を懲らしめようと最後の真ん中の足まで奪った。

 

とうとう彼はダルマのような身体になってしまった。

 それでも彼は女と楽しくお喋りして、楽しい人生を過ごした。

 神様はそれ以上、舌を抜くようなことはしなかった。

                                 おしまい

                     

 

平成30年7月