今年は年明け早々から娘二人の受験が始まる。

長女は看護師の国家試験が二月にある。すでに国立の大学病院に内定しているので、後は国家試験合格に向け気合が入っている。

次女は高校受験。塾通いをしながら最後の追い込み中。一月に私立の受験が迫っており、二月に本命の公立高校の受験が待ち受ける。

そのため、家の中はピリピリした緊張感が漂う。

 

 親父が家の中にいても役に立たないので、私は相変わらずストリップ通い(笑)。

 劇場内のラウンジで踊り子さんに手紙を書いていたら、ストリップ仲間から「勉強熱心ですね。東大にストリップ学科があったら間違いなく合格ですね」とからかわれる。ははは、東大のストリップ学科を首席で合格する自信があるね(笑)。

 ストリップ大学なんてあったらどうだろう。ある仲良くしている踊り子さんから、「ストリップ大学があったら何人の人が合格かなぁ(笑) ある意味難しそうですね。だって、太郎さんみたいに万遍なく見てないとわからないこといっぱいあると思うし・・。」

 一般的にストリップは楽しい遊びと捉えられるが、これも勉強のひとつと考えると、なかなか奥が深い。ストリップ学を極めるにはかなりの時間と労力を要しそう。

 

 人は一生、勉強である。

 問題は、なにを勉強するか。

 長女は看護師になりたいという夢を追い、その必須要件として国家試験の勉強をしている。目的がはっきりしているために気合いの入り方が違う。

 一方、次女はいやいや受験勉強している感じ。人気グループの嵐に夢中な今時ふつうの女の子である。軽音楽部でギター演奏しているので、高校に入ったらオーデションを受けたい!と言っている。オーデションは歌だけでなく、ルックスも関係するよ、と心配する家族。今はまず成績に見合った高校に入るのが最優先だね。

 振り返れば、私は高校までは勉強好きだったので常に成績は校内トップ。特に苦手な教科もなく、受験勉強で苦労した思いもない。むしろ大学に入って、専門の法律が面白くなくて勉強に身が入らなかった。与えられた勉強は好きだったのに、自分で選んだ専門が好きになれないのは皮肉だった。むしろ高校時代まで数学が好きだったので、数学の教師になったらよかったのかもしれない。実際に高校一年まではそんなことも考えていたのだが、高校二年の進学指導で文系に変えた。このとき指導してくれた恩師のアドバイスが間違いだとは思えない。会社に入ってからは、数学好きが功を奏してか経理の仕事をずっとしてきた。ただ今にして思えば、こうやって文筆していると、一番苦手意識のあった国語が一番自分に向いている気もするし。正直未だになにが自分に向いているのか分からないのかもしれない。

 ただ、はっきり言えるのは、誰でも、目的意識とか、好きな対象でないと、なかなか勉強に身が入らないのが実際のところ。

 

 どれだけ深く勉強したかを計る目安は、最終的にはそれに費やした時間の長さなのだと思う。席に着くだけでかなりの意欲と労力をつかう。その時間を継続するにはもっと気力と労力をつかうわけ。従って、勉強の重みは時間に比例する。

 仕事に関する勉強は、勉強自体が仕事なのだから豊富な時間が与えられる。一方、仕事以外であれば、時間を自分で作らないといけない。限られた時間を何に振り向けるかでその人にとっての重要度が分かる。

 今の私にとってストリップにかける時間は非常に多い。そもそも、ストリップというのは時間のかかる遊びである。1ステージが三時間、1日4ステージ。早朝から席取りで並ぶときには丸一日ストリップに時間を費やしている。会社帰りに劇場に寄るときにはその移動時間だけでもかなりのもの。

 そのうえ、私はストリップに関する執筆にかなりの時間をかけている。いかに私がストリップが好きかは、かけた時間の長さで計れる。費やしているお金でも判断できるだろうが、やはり時間で判断するのが適切か。もっと言えば、何に時間をかけたかで、その人の人生の重みが分かるというもの。

 

一般にストリップは遊行と思われるだろうが、私はあえてストリップも勉強のひとつだと思いたい。

 限られた時間なら、できるだけ自分が楽しいと思うことに費やしたい。そして、それを追及するためにたくさん勉強したい。そうすることが、人生を楽しむことだと実感する。

 人は人生を楽しむために一生勉強するのだ。

 

 

平成23年1月