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ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

下へ戻ると、続々と客が入ってきたので、上手くピーク時間帯を避けられた感じとなった。そのまま再びシャトルバスへと向かっていくが、「地球の歩き方」では「入場券を見せれば乗せてくれる」とあったものの、全くチェックなどはされなかった。所詮そんなものである。

 

下に降りてからは再び徒歩となるが、当然元の駅ではなく、ホテルへ戻るために最も近い別のモノレール駅へと歩いていった。どう考えてもこっちの方が近かったので、本当に行きは失敗したものである。その駅には無事に着いたものの、見た瞬間に唖然としてしまった。エスカレーターが止まっており、完全に廃駅レベルの汚さだったのである。いかに利用者が少ないか、という事であるが、公共物としては完全に失敗作である。

 

当然、ホームもほぼ無人であったのだが、見た目18歳ぐらいの若いマレー人が話しかけてきた。店員以外とまともに英語で話せる機会がようやくきたか、と思ったが、あいにく彼の英語はさほど流暢ではなかった。一応、最低限のコミュニケーションはとれたものの、家がなく仕事を探している、みたいな事を言ってきた。彼もKLセントラルへ行きたいらしく、私にこの方向で正しいか聞いてきたのであるが、もちろんそれは案内板を見れば済むだけの事である。

 

乗車してからは別々になったものの、その時も華人の乗客に「KLセントラルへはこの電車ですか?」と質問していた。当然、車内には路線図もアナウンスも存在するので、そんな事する必要は皆無なのであるが、もしかしたら文盲だったのかも知れない。

 

KLセントラルへ戻ると、昼飯を求めに4Fのレストラン街へ向かった。後にサブウェイにはまる事になるが、この時はまだ通っていなかった。それは何故か、実はレギュラーメニューの写真がなく、写真のある一部メニューしか販売してないのか、と勘違いしていたからである。そんな事あるはずがないのであるが、文字が小さく読みづらかったため、ないものだと認識してしまっていたのだ。

 

時間帯的にどこも混雑していたので、仕方なくまたマックへ行き、再びスパイシートリチのセットを買った。しかし、なかなか出来てこない。カウンターを見ると、とんでもない量が袋詰めされている。それはすぐに来る訳がないのである。一体なんのオーダーだ、と疑問に思いつつ奥の席へ行くと、一番奥のエリアが封鎖されていた。要はここで子供のパーティをやるという訳である。日本でもそう言うのはあったものの、コロナ禍以降中止になってしまった。



そして、トリチの場合はチーズ3枚が普通なのだが、2枚しか入っていなかった。海外で日本並のクオリティを望むのは無謀なので、不満がありつつも仕方なくそれで食した。

 

そこからホテルへ戻り昼寝をしたが、この時はまだまだ疲れが取れなかったのと、猪木ショックで数時間休む事になる。その際、何か人と知り合える機会はないか、と思い、超久々にミートアップで検索すると、ブキビンタン近くのバーでランゲージエクスチェンジが行われるというので、その日の夜もそこへ向かう事に決めた。

 

 

 

10月1日、朝より日本から衝撃的なニュースが目に入ってきた。言うまでもなく、日本プロレス史上最大のスーパースターである、アントニオ猪木の逝去である。頭が真っ白となった私は、こんなタイミングで海外に居る事を悔やんだものであり、正直旅程を変更してすぐに帰りたいとまで思ったほどである。

 

まあ、よく考えたら自分が戻った所で何の意味もないのであるが、それぐらいやるせない気持ちだった。もちろん、猪木が逝去するなど思ってもいなかった事だから、こればかりは悔やんだところでどうにもならない。しかし、それにより全身の力が抜けた私は、しばらく長州力や前田日明、そして高田延彦らの追悼コメントを読み、そしてその偉大さをあらためて噛み締めていったものである。

 

ただ、だからと言って部屋で寝込んでいる訳にも行かないので、「迷わず行けよ、行けばわかる」の言葉通り、その日も朝から出かけていった。目指した場所は、KLタワーである。要はペトロナスに行けない代わりに、ここの展望台に行こうと言う訳だ。しかし、Googleマップを見ても分かるように、見た目かなり不便そうな所にある。

 






一応、「地球の歩き方」によると、ケラナ線が最寄駅だと言うので、それを信じてそこで降りたのであるが、そこで降りたが最後、どうみてもかなり遠く、明らかにモノレール駅からの方が近かった。しかし、そこからモノレールに乗り換えるとなるとKLセントラルまで引き返す羽目になるので、仕方なく全く人気のない道を行ったのであるが、完全車社会のマレーシアは歩道が整備されておらず、めちゃくちゃ歩きづらい。

 

これまでの海外旅行の中でも一番と言えるぐらい、足の裏に疲労が溜まったのも、もしかしたらそれが原因かもしれない。とにかく、下手に転んで大事にならないように慎重に歩いていったものである。20分ぐらい歩いたのち、ようやくそこへの入り口となるシャトルバスを見つけて、丘の上にある入り口へとたどり着いた。チケットはKLOOK経由で買ったのだが、QRコードを読み込んでくれず、係員に手伝ってもらいつつ上へと登っていった。

 

しかし、この建物も案の定古めかしく、汚れが目立ったものである。展望台は屋根がなく、ダイレクトに外なのであるが、そことはまた別に床がガラス張りになっている撮影スポットが2ヶ所存在していた。マカオタワーでもあったが、あれはあくまで内部なの対し、こちらは完全に外に突き出ているのである。しかも、そこに立つために常に人が並んでいる。つまり、万が一怯えてでもしまったら笑いものになってしまう訳であり、そう言う訳でそこに向かうのはやめておいた。

 

そこからはもちろんKL市内が一望出来たのだが、中国大陸から離れている割には大気汚染が酷かった。車社会というのもあるだろうが、最大の原因はインドネシアからの煙だと言う。という訳で、思ったよりも見晴らしは良くはなかった。目の前にはほぼ同じぐらいのペトロナスも見えたが、眺望はほぼ変わらないだろう、という事で別に行かなくても良かったと思っている。

 




 

 

NUセントラルへ戻った後は、再びそこのマックへ向かい、マックカフェでチョコレートドリンクを注文する。日本のマックカフェはかなり限られた店舗にしかないものの、こちらでは店舗数は多くはない代わりにほぼマックカフェも併設されていた印象だった。この価格はさすがに安くはないが、それでも日本円ではまだ日本よりかは若干安い印象だったと思う。

 



その後、再びホテルで休んだ後は、夜のチャイナタウンへと向かう。確かに昼間よりかは活気があったのだが、思ったほど屋台も多くなかったため、その足で「地球の歩き方」おすすめの「セントラルマーケット」へと向かった。しかし、前回触れたようにお土産への関心は皆無なので、有料のトイレを借りただけで後にした。


 


すでに20時近かったが、その時間になると噴水でショーをやっていると言うので再びKLCCへと向かう。香港の夜景のように、KLでは絶対的なナイトスポットがないのが残念ではあったが、一応それに匹敵するというのがこの噴水ショーであろうか。さすがにビクトリアハーバーにはかなわないとは言え、虹のように輝く噴水は実に綺麗であり、十分満足したものだ。

 



その後、KLセントラルへ戻ったが、21時を過ぎるとほとんどのレストランが閉店してしまうため、仕方なく駅側のマックへと向かっていった。前にも触れたが、マレーシアでは日本ではすでに販売終了となったクォーターパウンダーが売っていた。海外の肉のクオリティはかなり低いので、不安もあったが久々なので注文してみたのだが、案の定美味しくなかったものだ。また、こちらではポテトを頼むと何故かチリソースがついてきた。

 

正直、かなりもたれがあったので、これはやられるな、と思ったら案の定。まあ、大事には至らなかったとは言え、これ以降暴食は控える事にしたのは言うまでもない。

 



また、写真に残していなかったので、記憶があやふやとなってしまったが、この辺りの朝食を同じく駅構内のバーガーキングで済ませていったかと思う。日本だと成功しているとは言い難いが、こちらではマック並によく見かけたものである。BKと言えばジューシーな肉の食感がたまらなく美味しいと評判なのであるが、こちらでは日本とは似ても似つかないものだった。正直、こちらも胃に対しての不安が生まれたものだが、幸い何も起こらなかった。しかし、味に失望した私は、これが最初で最後になった。

 

 

 

 

KLセントラルへ戻った時には22時を回っていたが、普段でさえ暗い周辺に輪をかけて暗くなっていた。香港だと23時ぐらいまでどの店も開いているし、それまでビクトリアハーバーで夜景を眺めているのも珍しくないので、22時でもまだ遅いという感覚は薄かったのだが、マレーシアではそうでなかった。

 

翌日は朝からムルデカ広場を目指して進み、いかにもイスラム教らしい建物を目の当たりにして、ようやくまともな観光だな、と実感したものである。さすがに観光客も多く、ツアーバスなども何台か止まっていたものである。先へと進んでいくと、ILOVEKLのモニュメントがあり、その前の建物にはKL市街地のレプリカや、歴史、そしてお土産屋やレストランなどが入った複合施設があった。

 





正直、香港のような歴史を抱えている訳でもないし、英語での解説を読むのも大変なのでほとんど素通りしてしまった。一応、土産屋も見て回ったのだが、最近は自身へのお土産はほとんど買う事はないので、買ったのはマグカップ2個程度だった。そう、何故か自分はマグカップだけは欲しくなるのであり、香港でもNYCのミュージカルでも気に入ったものがあれば即買いしたのである。

 

外にはトイレの標識もあったので、駐車場の方まで行くとそれらしき建物があった。入り口に人とカウンターがあったので、案の定有料であったのだが、わずか20sen、つまりは1リンギットの5分の1、6円である。海外でパブリックなトイレは入るのになかなか勇気が必要であるのだが、マレーシアはその点に関してはかなりまともな方だったと思う。事情により紙があるのは皆無なので、大きめのティッシュは必須なのであるが、汚いより遥かにマシだ。

 

しばらくその辺りを探索した後に駅へ戻ろうとすると、NYCのようなベンダーの屋台が沢山あった。客はほぼマレー人ばかり、つまりは彼らに合わせたマレー料理中心という事であまりそそられはしなかったのであるが、「TAKOYAKI」とある店でたこ焼きが売っていたので、試しに買ってみる事にした。

 

「ソースを選んでくれ」みたいな事を言われたのであるが、全てマレー語だったので意味が分からなかった。そう言うと、後に並んでいたムスリムの方が丁寧に英語に訳してくれた。現地に居た時もずっと思っていたのであるが、マレー人は他の東南アジア系と比較してかなり穏やかで親切という印象が強かった。当然、日本のように客は神、という思想は海外ではゼロなので、日本のように必要以上に丁寧にする事もないのであるが、それでも丁寧な店員がほとんどだったと思う。香港やフィリピンを体験しているから余計にそう思うのかもしれない。

 





その後、ケラナ線に再び乗り換えると、ペトロナスツインタワー最寄りのKLCC駅へと向かう。出口をミスって遠回りしてしまったが、KLのランドマークと言えるペトロナスをようやく目の当たりにする事が出来た。もちろん、内部にもという頭はあったのであるが、あいにく完全時間指定の入れ替え、かつツアー制だった事もあって、面倒なのでやめた。

 

そして、その前には噴水と公園があったので、それらを眺めつつそこでしばらく休んでいった。その後、伊勢丹が入っているショッピングセンター、スリアKLCCの中を通り、駅へと向かう。そこには別のショッピングセンターへの入口もあったので行ってみると、無料のトイレもあったので、万が一の時は使えるな、と思いつつ後にした。




マックで一休みした後、おすすめマッサージ店のひとつである「良心(リャンシン)」というお店がすぐ近く、というので、すぐにそこまで向かっていったのであるが、もうひとつブキビンタンの名物である屋台通りの「ジャラン・アロー」があるというので、場所を確認した後はそこへと向かっていった。




ただ、まだ18時ぐらいで外も明るく、人もまばらであったので先にマッサージを受ける事にした。マレーシアは香港と同じく1FがGFのUK式なので、日本でいう2Fにそのお店は存在する。香港でもよくある、エレベーターを開けたらいきなり店内、というやつである。つまり、エレベーターに乗ったら入店確定、後戻り不可能という若干プレッシャーがかかるやつだ。

 

案の定、いきなり出迎えられたので、メニューを見せてください、と尋ねる。まあ、当然ネットで調べてはいたのであるが、無難に足ツボとボディの90分メニュー、150リンギットを選択した。約4800円ほどなので、最近よくある日本の格安マッサージ店と比べてもそんな変わりない、つまりは現地感覚で言えばかなり高い部類に入る。

 

店内はかなり広く、スタッフはほぼ華人オンリーといった感じであったが、かなり綺麗な英語を話し、接客も丁寧だった。もちろん、香港のマッサージでも英語は通じるのだが、こちらの方がさらに流暢、自然という感じであり、本当に「通じる」と言う感覚を強く得たものである。もちろん、マッサージのおば様も英語を話したので、少しだけたわいのない会話をしていった。

 

ただ、足ツボはかなり気持ちよかったものの、全身はさすがに中国式らしく思いっきり体重をかけられ、言葉に出来ないほどの痛みを覚えたものだ。まあ、香港でもそうだったので、久々に本場を味わえたと言えばそれまでだが、日本だとリクエストしない限りここまで強くはしないのが基本なので、外国に来たな、と実感したものである。

 

そして、当然ボディではうつ伏せになるのであるが、なんとベッドに穴が開いてないのである。当然、息が出来なかったので、「I can't breath!」と言って身体をずらさせてもらったのだが、さすがにこんな事は初めてだったので、結局ここに来るのは最初で最後となった。

 


そして、そのままジャランアローに戻った所、さすがに18時頃とは異なり活気に溢れていた。ただ、思ったよりも立ち食いの屋台がなかったので、あまり多くは買えなかった。それでも、一応揚げ物中心の屋台はあったので、そこから揚げたバナナやじゃがいもなどを買っていった。前者を食べたのはおそらく生まれて初めてだったのであるが、なんて事はない、本当にバナナを揚げただけの代物だった。

 




その時点で21時を回っていたのであるが、前にも触れたように夜のチャイナタウンは様相が変わる、というので、そこから再び寄ろうかと思ったのだが、あまりも雰囲気が良かったので、結局最後までそこにいて、ホテルへと帰っていった。そこから帰るとなると、2017年に出来たMRTに乗り、パサール・スニ駅でケラナ線に乗り換えるのが一番楽で早いのであるが、まだそこまで頭が回らなかったので、わざわざモノレールに乗って帰っていった。

 

 

 

 

海外だと自転車が使えず、どうしても歩く機会が多くなるので、それまでの疲労もあり一旦ホテルで昼寝をする事にした。香港に居る時も大体こんな感じだったのだが、それは次第にここでは変えていく事となる。部屋へ戻って昼寝をしていると、清掃の方が入ってきて部屋をモップがけまでしてくれて綺麗にしてくれていた。内装はガッカリだったものの、汚れや匂いは皆無に等しかったし、この清潔感で私の心も大分晴れたものである。

 

その後向かった先は、早速のKLいちの繁華街、ブキビンタンだ。地図を見るとモノレールで行けるようになっており、つまりはホテルからすぐに乗れるという事である。日本で跨座式モノレールに乗ったのは東京モノレールと、そして今は亡き向ヶ丘遊園のモノレールのこの2つだけである。近場では一応多摩モノレールとかもあったりするが、基本まず乗る機会はないので、これに関しては来る前から楽しみにしていた。

 

しかし、2003年開業とある割にはやけに古めかしく、汚い。しかも、ホームドアも存在こそすれ一切可動していない。内装は綺麗であったが、当然スピードもあまり出ないし、揺れも激しい。さらに、ルート的に大回りをするため、ブキビンタンへは直線距離の割には結構時間がかかってしまうのだ。確かにホテルからはすぐに乗れるのであるが、数回乗っただけで乗らなくなってしまった。

 


駅から降りると、目の前にはLOT10という伊勢丹が入ったビルが見えたので、そこに向かうとドンキがあったので入ってみた。中はもちろん日本そのまま、初日からいきなり日本のものに囲まれる事はなかった、という感じでもあったのだが、店内はなかなか繁盛、特にホテル周辺では皆無だった華人らが沢山いたので、ようやく多民族国家という実感が湧いてきたものだった。

 



しかし、長時間のフライトの疲れが残っていたせいかどうにも疲労感が酷く、しばらく休みたかったので交差点の目の前にあったマックでマックカフェを購入し、しばらく休んでマッサージ店を検索していった。因みに、当然マックにはトイレもあるのであるが、レシートを見るとパスワードが印刷されていた。トイレに行ってみると、確かにロックナンバーがあったので、なるほどこういう手もあるのか、と感心したものだ。

 


「地球の歩き方」にもあったように、トイレはショッピングセンターに行くのが基本なのであるが、有料の所も多い、とも記されていた。確かに、LOT10などは2リンギット、つまりは60円以上は取られたし、という訳で最初のうちはトイレに行かないようになるべく水分を取らないようにしていたものである。ただ、KLセントラルのNUセントラルは無料だったし、ブキビンタンのパビリオンも無料、またトイレのある駅も多かったので、それらが判明してからは大分街歩きも気楽になったものである。少なくとも香港よりかはずっと気楽だった。

 


 

 

 

出来はさすがに海外クオリティであり、日本のそれとは比較のしようがないが、それでもスパイシートリプルはそこそこ美味しかったものである。また、コーラが異様に甘かったが、日本ほど氷も多くなかったので満足した。その途中、突然華人のマレーシア人が、「生活が大変なのでクッキーを買ってください」というメッセージを見せてきたが、腹が減ってない、という事でお返しした。

 

途上国ではよくある光景なのであるが、さすがにマックを食べている最中にクッキーもいかがですか、はないだろう。そんな事もありつつ、再びタッチアンドゴーのお店に戻ってキオスクで買おうとすると、何故かチャージの画面しか出てこない。これはもうここでは買えないのだな、と諦め、素直に駅へと向かっていった。

 

インフォメーションで「ここで買えますか?」と聞くと、買えるというので無事に買えた。デポジットと合わせて20リンギット、600円ちょいである。当然、十日分には全然足らず、あとで何度かチャージしたのであるが、これでとりあえず移動の心配はなくなったという訳である。


そこからまず向かった先は、チャイナタウンの最寄りの「パサール・スニ駅」である。ケラナ・ジャヤ・ラインという、香港で言えば尖沙咀駅のあるツェンワンライン並によく使う路線なのであるが、見てわかる通り路線名も駅名もマレー語からなので、非常に覚えづらいのが難点だった。

 

中華圏であれば漢字でイメージ湧くし、英語でも普通名詞は訳されている事が普通なのでたやすかったが、当然駅名はマレー語のみ、英語による翻訳もないので、最後まで馴染めなかったのがこれである。

 

まあそんな事もあり、最寄り駅までは一駅だったので難なく着いた。前も触れたが、電車も見た目的には先進国に近いものだと勝手に想像していたので、当然現実はそれとは大きくかけ離れているものだった。しかし、この時点ではすでに先進国的な幻想はすでに初日で失われていたので、ここでのショックは大きくはなく、まあこんなもんだろうな、という感覚だった。

 

いきなりチャイナタウンへと向かったのは、しばらく食べていない中華料理と、あとは広東語でも聞ければいいな、と思ったからなのであるが、正直そのメインであるプタリンストリートでさえも、イメージと比べて遥かにしょぼいものだった。一応、夜はもっと開ける、と「地球の歩き方」にはあったので、また夜に戻る事になるのであるが、その時点では「こんなものかよ?」という思いしかなかった。


当然、食べ物の屋台も少なく、そこで食するものは何もなかった。一応、お店自体は多く、いわゆる香港の「女人街」的なものに近かったが、特別欲しくなるようなものはなかった。まあ、すでに香港でもほとんど買い物をする事はなくなってはいるのであるが、とりあえずここでした事と言えば、帰りにセブンイレブンでミロを買ったぐらいだ。

 

そう、マレーシアではミロが非常に人気があり、缶はもちろんの事マックやKFCでも買えるのだ!子供の頃、ミロが大好きであり、NYCにいた時も常にストックしていたほどミロを飲んでいたものだったが、まさかマレーシアにもあるとは。当然、滞在中は何度も飲んでいく事となる。


 

 

いくら香港のゲストハウス(的なホテル)が狭くとも、ボディソープやシャンプー、当然バスタオルなどの最低限のアメニティは揃っていた。しかし、ここに初めて来た時はそれららしきものすら見当たらなかったのだ。ショックにさらに追い打ちと来たものだが、よく見るとベッドにバスタオルが2枚置いてあった。つまり、ベッドと同化していて気付かなかったという訳である。

 

ボディソープとシャンプーは、よく見ると使い捨てらしきものがそれぞれ洗面台に置いてあったのだが、まさかそれで10日間持ち堪えるのか?と思った私は、あとで調達する事にした。長旅でようやく辿り着いた場所がここか、とかなり落ち込んだものであったが、まあ仕方ないので外に食料とソープ類を調達しに行った。幸い、目の前にはセブンイレブンもあり、目当てのものもあったので無事に買う事が出来た。


セブンイレブンは日本とは大分違うものであり、日本的な食料はあまり売っていなかったが、サンドイッチがあったのでそれを買った。ペットボトルのコーラもあったが、価格はなんと2リンギット、わずか70円ほどである。円安でもまだまだ物価は安いと実感した。因みに歯磨き粉と歯ブラシは、さすがに日本で愛用しているものを持っていった。これだけはローカルのものではダメなのである。

 

そして翌日。ここからいよいよ本格的な旅行の始まりである。まずはタッチアンドゴーカードを買いに、KLセントラル駅へと向かっていった。買える場所は複数あるのであるが、ネットによると3Fにあるキオスクで買うのが良い、とあったので向かったのだが、何やらメインテナンスを行なっていたので、ひとまず朝食をとる事にした。4F以上がレストラン街であり、マックもあったのでそこへと向かった。




マック先進国の香港とは違い、日本とさほど雰囲気は変わらなかったが、注文はほぼセルフキオスクに特化されており、レジは1台しか存在しなかった。当然、私もSKで注文したが、イスラム教の国だけあってかチキンものがやたらと多い。当然、ビーフがよかったのでそれから探したのであるが、あいにくアメリカや香港のようなアンガス肉はなかったので、ここオリジナルのものを探していった。

 

しかし、それらしきものはスパイシーのダブルチーズバーガーとクォーターパウンダーのみである。まあ、別に嫌いではないので、ここではトリプルチーズバーガーのミールを選んだ。すぐにストローがない事に気づいたが、リッドを見るとホットコーヒーのように飲み口がついており、すぐにストローは廃止されている事に気づいた。




おりしも、日本で紙ストローへの移行が発表された時でもあったが、プラスチックストローの弊害を知らない日本人の不満は目を覆いたくなるものであった。「じゃあハッピーセットのプラスチックはどうなの?」みたいなTweetもバズっており、読んでいて目眩がしたものである。プラスチックストローの害はBBCで読んだ事があり、すぐに納得したものであるが、大抵の日本人が英語のニュースに目を通す訳がないので、そんな輩は相手にしない以外ないのである。

 

 

 

KLIAエクスプレスは、その名の通り空港からノンストップの種別も存在しているのだが、コロナ禍の中では運行していないようであった。まあ、それでも33分ほどで着くので無事に夜9時前には着いたのであるが、やはり改札でもQRコードをかざさなければならなかった。すでにくちゃくちゃになっていたが、どうにか読み込んでくれ、ようやくKLセントラル駅へと到着したのである。

 

しかし、真っ先に思った事と言えば、主要駅とは思えないほどの照明の暗さだった。節電をしていた夏の日本よりも遥かに暗く、それだけでもまた不安に駆られてしまったものだ。まあ、あとはホテルへ向かうだけの段階まできたのであるが、どこの出口から出れば全く分からなかった。一応、レビューによればモノレール駅横を降りて、とあるのでそこを目指したのであるが、その肝心のモノレール駅自体が全く見つからない。


今回は初めてバックパックを背負っていったので、スーツケースよりも機動性はあったのだが、それでも9キロ弱だったので重い。その状態で探し回るのはかなりキツかったのだが、どの出口を出ても全くそれらしき場所は見つからなかった。当然、Googleマップを開いたのであるが、GPSの精度も微妙なため自分がどこに居るのか把握しづらかった。

 

どの出口から出ても見当たらなかった結果、もう一度構内でマップとにらめっこをした。その結果、ようやくモノレール駅は構内から離れており、NU SENTRALというモールの間を抜けないと辿り着けない、という事を理解した。そんなのありか、と思ったものだが、後で「地球の歩き方」を見直すとこの周辺のマップもしっかり載っていたので、明らかに自分のリサーチ不足に過ぎなかった。しかし、それでも初見にはかなり難易度が高く思えたものだった。

 

無事にモールを出てモノレール駅が見えると、その横にはファミリーマートがあった。台北ではどこにでも存在するファミマであるが、マレーシアにもあるとは思えなかったので嬉しくなったものだ。そして、その先のエスカレーターを降り、道を越えていくとようやくCITI HOTELなる看板を見つけ、遂にチェックインを果たしたのである。

 

無事にカードキーを貰って4F、日本で言えば5Fの部屋へと向かったのであるが、なんとエレベーターが一基しかなく、しかもちょっと裏口のような所から入っていく。当然、それもボロく、香港の重慶大厦を思わせるほど嫌な予感もしたのであるが、部屋に入った瞬間それはまた的中してしまった。部屋のデコレーションが一切なく、タンスと机もろもろ置いてあるだけの実に殺風景な部屋だったのだ。

 

掛け布団も、写真で見たのとは異なりなんの模様もなく、台北以来まともなホテルに泊まれると期待した私のそれはもろくも崩れ去ってしまった。当然、写真でチェックはしていたとは言え、掛け布団の模様がないだけでもここまで殺風景に見えるとは。当然、香港の部屋よりかは遥かに広く、机も椅子もあるのでPCを使うには便利であったが、それだけである。「こんなとこで10日間も過ごすのか…。」と、またトランクスが精神と時の部屋に入った時のような気持ちとなってしまったのは言うまでもない。


 

 

 

現金とSIMカードを揃えたら、後はホテルへと向かうのみである。空港からの選択肢は、基本的には鉄道かバスかタクシーの3択だ。当然、バスが一番安いのであるが、海外では快適さはお金を払って得るものなので、ここは迷わず鉄道、KLIAエクスプレス1択である。運賃がバカ安いクアラルンプール(KL)において、55リンギット、大体1760円ぐらいになるのだが、この価格はべらぼうに高い。香港のエアポートエクスプレス並である。

 

ただ、前述したように高くてもこの方法しかないので、迷わずに改札へと向かった。さすがにアライバルから真っ直ぐ歩けばすぐに着くようになっているので、見つけるのは容易かったのであるが、私はここで事前にチェックしておいたマレーシア版Suicaとも言えるタッチアンドゴーカードを求めていた。ところが、それを買えるような場所は見当たらなかったので、改札横のカウンターで聞いてみたのであるが、あいにくここでは買えないという。

 

仕方なしに自動券売機で切符を買う羽目になったが、クレカが使えるのは良いとしても、チケットが日本はもちろん、香港でも台湾でもまず見る事はないであろうペラペラの紙にQRコードが印刷されているというだけの代物であり、さすがにこれには唖然としてしまったものである。当然、すぐにくちゃくちゃになってしまうので、入口限りかと思ったのであるが、万が一の事を考えてポシェットにしまっておいた。

 

このKLエクスプレスは20分おきの発車となっているので、大きく待つ事はないのであるが、車体を見てその汚さに唖然としてしまった。車内も言わずもがな、である。開業は2002年とあるので、つまりは香港のエアポートエクスプレスよりも新しい、にも関わらず、である。この時点でおおよそ理解したが、やはりマレーシアは中進国であり、決して先進国ではなかったという事だ。ここに来るまでにかなりのビデオを視聴したが、当然良いところばかりのため、正直先進国とほぼ同じかと思っていたが、実は決してそうではなかった、という事である。


一応、国としては2020年までに先進国入りを目指す、という指標があったそうだが、現実を目の当たりにしてこれは当面は無理だろうな、と実感してしまった。なので、その時点で色々トラブルにも見舞われた事があり、車内では結構テンションが落ちていたものだった。ようやくネットも繋がったのだが、やはりDocomoのように全域をカバーしている、という訳はなく、所々で回線が切れてしまった。まあ、大部分が非居住地域を通る訳で、それはまあ仕方がないという事もあるのだが、日本の感覚は決して世界の常識ではない、という事である。

 

そして、ようやうKLセントラル駅へと着いた。あとはホテルを探すだけなのであるが、またここから一苦労であったのである。