ストリートファイターIIシリーズのはめ技の歴史。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

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少し前、ミルダムの配信にてかのウメハラ氏が、初代ストリートファイターII以降の投げの歴史について語っていたのだが、リアル世代の私としては非常に面白く、そして懐かしいお話に終始していたので、私も少し語ってみようと思う。

 

ストIIの最初期はまだ誰が有利なのかすらも手探りな状態であったが、必殺技の出しやすさと使いやすさからも、ゲーメスト的には春麗とガイルがクリアしやすいキャラだろう、とされており、まず最初にこの2キャラの攻略が掲載されていたのだが、その次の号からすでに「ごり押し投げ」と称されたいわゆる「投げはめ」が紹介されていた。

 

最初にこの方法が紹介されたのも、最も足が速く使いやすいとされた春麗であったが、その後はどのキャラでも使える事が判明していき、パターンが特殊なダルシムと、元々投げが設定されていないブランカ以外のキャラはほぼこれでCPU戦を勝ち抜いていく事が証明されていった。もちろん、この小技を連打してガードさせる最もオーソドックスな「投げはめ」は、勝ち抜きやすい代わりにゲームがつまらなくなる、と言うリスクも含んでいたのだが、1プレイ毎に100円あるいは50円を消費するアーケードゲーム、さらに1度プレイするだけでも何十分も待たなければならない超大人気のストIIであれば、1秒でも長くプレイしたい、そしてクリアしたい、と言う心理が働くのは当然であり、少なくとも発売から半年はどこのゲーセンにおいてもメジャーな戦法であった。

 

攻略自体は6月発売分頃のゲーメストで一段落はしたのだが、ストII人気はまるで衰える事がなく、夏休みはもちろんそれ以降も依然として筐体が空かない日々が続いていった。さすがに10、11月頃になると一人用は落ち着いてきたのではあるが、年末頃になると突然2台の筐体を向かい合わせに置いた奇妙な台が都内を中心に出回り始める。最初はそれが何だったのか分からなかったのだが、そう、それが今なお続く対戦台である。

 

アメリカなどでは最初期から対戦、しかも乱入が当たり前であったのだが、さすがに日本の文化ではそうもいかず、対戦自体もほとんど見かける事はなかった。なので、まさかこういう形で対戦台が広まるとは想像もしていなかったのだが、瞬く間にゲーセンの主流になり始め、インカム的にも美味しい事からも、その形式は瞬く間に広まり、あっと言う間にゲーセンの光景を変えてしまったほどであった。

 

これにより、ストIIの主流はCPUから対戦へと完全に移り変わり、落ち着きを見せたかに思えたストII人気は再度息を吹き返していったのであるが、さすがに初代ストIIではキャラ同士の相性などまでは考慮はされておらず、さらに同キャラ対戦も不可能であったので、キャラによっての格差がほぼ証明されていってしまう。まあこれはリアル世代であれば常識であるのだが、最強はガイルとダルシム、大きく離れた次点で春麗、そしてブランカ、本田、そして主人公ながら圧倒的に不利なリュウ・ケン、そしてそして最弱の指定席にザンギエフ、となっていった。

 

CPUで主流だった、小技を連打するだけの投げはめであれば、起き上がると同時に投げ返しが可能と言う事が広まっていったため、さすがにこれを対戦で続けるような輩はほぼ皆無であった。しかし、以前にゲーメストで紹介されたスクリューはめや、ヨガ投げなどは、当然の如く対戦でも通用したし、もちろんリュウ・ケンのジャンプ攻撃をガードさせて、ガイルのサマーを出せないようにしての投げも通用した。

 

しかし、ダルシムのはめはともかく、後者に関しては問題になる事はほぼなかったように思う。ようは、相性問題、通称ダイヤグラムでも紹介したように、初代におけるリュウ・ケンとザンギに関してはほぼどのキャラに対しても不利な事この上なく、さらにそんな状況に持っていく事自体がすでに困難でもあったので、それらのキャラに関してはもはや暗黙の了解ではめは黙認されていたのだ。

 

で、それが何故ウメハラ氏が語るような大問題になっていったのかと言うと、それはやはりストIIダッシュのリリースがきっかけであったかと思う。四天王が使えるようになっただけではなく、各キャラ調整が入り一層対戦ツールとしての完成度が高まったかのように見えたこのダッシュであったのだが、実際はボロボロであり、格差はほとんど縮まる事はなかった。その上、起き上がりモーションの無敵状態からの無敵必殺技、通称無敵~無敵が使用可能になったので、当然ガイルへのジャンプ攻撃からの投げは出来なくなったし、さらにスクリューも落下時に大きく離れるようになったので、一度掴んだら勝利確定、と言うのもなくなった。

 

まあ、リュウ・ケンは基本性能もアップしていたので、どのキャラとも満遍なく戦えるようにはなったのではあるが、ザンギは相も変わらず最弱レベルであった。ガイルは弱体化されながらも相変わらず上位であったのだが、そんなガイルのさらに上を行く存在がダッシュにおける最強中の最強、ベガであった。とにかくこいつの存在が害悪極まりなく、現在まで語られるはめの元凶もほぼこいつの存在が全てと言えた。

 

まずその悪名を轟かせたのは、ダッシュからガードすると3発ガードとなったサイコクラッシャーアタックである。3発削るだけでも結構減るというのに、着地のモーションに隙がなく、着地と同時に投げが決まる事がほとんどなのだ。一応、投げ返しも可能ではあったのだが、ガード側は目押し必須なのに対し、ベガは連打でOKと明らかに有利、まずはこの通称サイコはめが物議を醸した。

 

結局、この技は暗黙の了解で使用禁止レベルとなったのだが、すぐにさらに凶悪な第2のはめが発見された。これも必殺技であるダブルニープレスをガードさせて中攻撃2回、そしてダブルニーをガード、そして中~…これがストリートファイターシリーズでも最低最悪なはめであるダブルニーはめである。このあたりになると、はめどころかベガを使用するイコール悪と言う風潮が強まり、最初からベガを使用禁止にしている「ベガ禁止台」も登場しはじめ、実際私自身も当時新宿のゲーセンで見た事があるほどだった。

 

ウメハラ氏の話では、実際に使ったプレイヤーに対しては、「灰皿ソニック」、さらには「リアル瞬獄殺」と言う修羅場が待ち受けていたらしいが、幸い周囲のゲーセンは平和だったようであり、そのような瞬間にはお目にはかかった事はない。なので、氏によるこれらのエピソードは不謹慎ながらも爆笑ものだったのであるが、確かに少なくとも当時のゲーセンではめを使ったらやばい、と言う雰囲気は間違いなくあり、アップデート版と言えるターボが発売されるまでダッシュが活況を保っていたのも、これも氏の言うようにみんなが空気を読んで暗黙の了解を守っていったからである。

 

ターボではゲームスピードの高速化と、ベガの大幅な弱体化が施された事などもあり、シリーズでも最良のバランスを取る事に成功、少なくともその時点ではほぼはめ議論は沈静化していったかと思う。93年9月に発売されたスーパーは、当時怒涛の攻勢をかけてきたSNKの格ゲーに埋もれがちであったし、Xも初期の頃はさすがにもうストIIが発売されて3年、もういいよ、的な雰囲気もあり、また私自身も飽きてきたので当時の対戦の様子もよく分からない。ただ、Xに関してはウメハラ氏の言うように、ゲーム的に受け身が導入されたし、また発動が無敵なスーパーコンボもストII史上初めて導入されたから、ストIIの完成形としては究極を築いていったかと思う。今はすぐにアプデが入る時代だし、何より家から誰とでも対戦出来るのだから、当時のような問題が起こる事は皆無であろう。まあそれだけに、ウメハラ氏の話は、当時の状況を思い起こさせるのに十分なほど面白いものであった。