ほかの福音(3)外国のカリスマ派指導者による日本への影響
※この記事は『ほかの福音(2)倫理崩壊の教会』の続きです。Ⅲ. 外国のカリスマ派指導者による日本への影響日本にカリスマの影響を与えた外国の指導者の教理や倫理の問題を見ておきたい。ジョン・ウィンバー 力の伝道運動の提唱者と言えばジョン・ウィンバーであり、彼とともにフラー神学校でその教えを広めたピーター・ワグナーだ。そして、彼らの教えが日本の教会に影響を与えた。彼らの教理であるが、彼らは癒しや預言等の「しるし体験」を真理としている。そのしるし体験が聖書によって検証される必要はまったくない。なぜなら、しるし体験そのものが真理であるからだ。だから、他宗教であってもしるし体験があるなら、それは真理である。例えば、ジョン・ウィンバーは、聖遺物による癒しを行なうカトリックと自分たちの間に「神学的な不調和はない」と発言している。また、ジョン・ウィンバーは教会形成セミナーでこう言った。「教皇はカリスマ運動に非常に共鳴的で、再生した福音派だ。救いに関する教皇文書を読めば、世界で今、福音を宣べている者と同じく明瞭に福音を宣べていることがわかる。」果たして、ローマ教皇は福音派なのだろうか。新生しているのだろうか。明瞭に福音を宣べていただろうか。 ジョン・ウィンバーはキリスト論においても異常だ。癒しのセミナーにおいて「主イエスは万事を知ると教えられてきた。福音書には何回も主イエスが知らない場合があり、主が尋ねなければならなかった」と言って、キリストの全知を否定している。さらに「主イエスはしばしば、他人の信仰で働いた。主はしばしば、他人の信仰の頂点に立った。主に癒しの信仰がほとんどないか全くないことが何度もあったと私は信じる。主に、別の時より多くの信仰があることが何度かあったと私は信じる。」[1]と言っている。彼によれば、主イエスの信仰は増減するというのだ。不完全なイエスを主張するジョン・ウィンバーのキリスト論はこの点において、2世紀の異端である力動的モナルキア主義と同じだ。モナルキア主義を唱えた皮なめしのテオドトスは、イエスはバプテスマの時に神的キリストあるいは聖霊を受け、それ以前は完全な人徳を持つ人間である、と教えた。[2]ジョン・ウィンバーも人間イエスを説き、イエスの神性を弱め、一方で聖霊受けることによるしるしの力を強調しているのだ。私たちは聖書からキリストが全知であること、また、受肉された永遠なる存在の完全な神であることを告白するのだが、どうやら、ジョン・ウィンバーは私たちの告白するイエスとは別のイエスを信じているようだ。パウロの言葉を思い出す。「ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝え…」(2コリント11:4)。 今日のカリスマ運動の提唱者ジョン・ウィンバーについてもう少しお話ししたい。ジョン・ウィンバーはカリスマ派指導者の癒し集会で実際に癒しがあったと驚くべき報告を度々したし、また彼自身も癒しの集会を行なった。ところが、確かに奇跡と言えるだけの癒しの証拠文書を何一つ出せなかった。あるとき、ジョン・ウィンバーの集会に5人のキリスト信者医師が出席した。彼らは、ジョン・ウィンバーの主張を確認しに来たのだ。そのことを知ったジョン・ウィンバーはその集会でトークダウンしてしまった。参加した医師の一人フィリップ・セルデンは次のように報告している。「(ジョン・ウィンバーは)人々は苦痛からの癒しを期待しうるが、医師が文書化しうる変化ではないと言った。彼は変形した脊椎が正常になるのを見たことがないと認めた。(中略)私が思うに、祈られる状況のほとんどが心身症的で、一般的で、医学証明の困難なものだ。例えば、左足指の疾患、神経症、呼吸の異常、不妊、足の長さの違い(私の考えでは、足を正確に測ることはできない)、背中や首の痛みなどだ」、「この段階では、証明できる器官的な癒しは認められない」。[3]つまり、ジョン・ウィンバーは自ら奇跡と言えるだけの癒しがないこと、自らも出来ないことを認めたのだ。主イエスが行なわれたような器官的癒し「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァアラトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り」(マタイ11:5)はなかったのだ。 カリスマ派の指導者たちは、癒しの信仰を持ち神に期待すれば癒されることを約束するが、ジョン・ウィンバーには心臓に疾患があった。そして「神は医師の指示に従え」と言ったとして、自らは病院に行った。主や使徒たちが行なった癒しの奇跡は、常に完全で、即時的で、それを望んだすべての者に与えられた。しかし、カリスマ派の癒し集会はどうだろうか。彼らの主張を信じて病院に行かず、いのちを落とした人々がいる。「癌が癒された」と癒し集会で宣言され、まもなく癌で死んだ人がいる。集会で気分がよくなって、癒しを宣言されたが翌日には元通りになってしまった人たちがいる。癒しの集会で癒されず、泣きながら集会を後にする人たちがいる。癒されなかったのは不信仰のせいだと言われ、自殺に追い込まれた人たちもいる。病院に行くことは不信仰だとされて、病を悪化させた人たちがいる。だが、指導者たちは自分のいのちのためには病院に行くのだ。ジョン・ウィンバーは「神があなたに彼の息子を与えた後に、なぜ神はあなたに癒しを拒まれるだろうか?地上の神の僕たちが神の子の業をなし、王国の力で奉仕するのを見る時、天国において天使たちは大いに喜ぶのだ。私は、神が私達の間に、癒しの天使を解放し、彼に代わって奉仕するようにと、彼らがここにいると信じる」と語った。[4]しかし、あるときカリスマ派指導者たちは、癒しがない現実を目の前に突きつけられ、言い逃れをする。そして、彼らが言い逃れするとき、自分たちの癒しの主張を反故にしてしまう矛盾には沈黙している。ピーター・ワグナー ジョン・ウィンバーの同労者、ピーター・ワグナーはジョン・ウィンバーの主張に完全に同調している。そして、ピーター・ワグナーの信仰も聖書的とは呼べない。例えばピーター・ワグナーは「西暦2000年までに日本にリバイバルが起き、1000万人の人々が救われる」と預言した。すなわち、日本の人口の10%はクリスチャンになるということだ。しかし、未だに日本のクリスチャン人口は1%にも満たない。カリスマ派の預言はよく外れる。「カンサスシティの預言者」[5]というカリスマ派の団体によれば、預言は外れてもかまわないそうだ。しかし、聖書はこう言っている。「ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。あなたが心の中で、『私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか』と言うような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない」(申命記18:20-22)。 主の名によって預言して外れるならば、それは偽預言者以外の何者でもない。エホバの証人は、タッキング理論(ブログ主による定義:様々な変更を重ねて真理に近づいていくという考え)によって自らの預言が外れたことを正当化するが、御言葉の前には一切通用しない。カリスマ派の預言も同罪だ。 ピーター・ワグナーの教理は異教から来ている。彼は「霊の戦い」をフラー神学校で教えたが、その教理はポール・ヒーバートの本から借用したものだ。ヒーバートはインドにある「地域を支配する霊の戦い」について本を書いたのだが、彼は、ピーター・ワグナーの同僚としてフラー神学校の教鞭をとっていた。そのヒーバートが次のように証言している。「私がインドでの調査に基づいてインドの人々が信じる霊の戦いについて書いたものを、彼(ピーター・ワグナー)が読み、彼自身の答えを出してしまったのだ」。[6]ピーター・ワグナーは霊の戦いの方法として「霊の地図作り」を教える。「霊の戦いをするためには、力の拠点を見つけなければならない、力の拠点とは何か、それは、偶像礼拝、ニューエイジ、異端、オカルトなどの中心になっている場所である。そういう場所に全部しるしをつけて、霊の地図作りをまずしなければならない。」[7]このようしてからピーター・ワグナーは、悪霊を追い出すことを教えているのだが、実はその発想はインドの異教から来ているのだ。カリスマ派の集会は異教的雰囲気に満ちている。そこでおきる様々な現象は、異教と全く同じ現象である。異言や、手を差し出すと人々がバタバタと後ろ向きに倒れる現象、その他、彼らが奇跡と称する様々な現象とまるっきり同じことが異教に見られる。一方、聖書で見られる奇跡と異教には様々違いが見られる。例えば、異言は明らかに外国語のことであって彼らの語る意味のわからない言葉ではないし、先ほどの癒しの違いもそうだ。しかし、カリスマ派のしるしと異教のしるしが同じ特徴を持つとはどういうことだろうか。私たちはどのような結論をそこから導き出せるだろうか。チョー・ヨンギ 日本に影響を与えたカリスマ派の指導者の中で、チョー・ヨンギを外すことは出来ない。信徒数100万人とも言われる世界最大の教会、ヨイド純福音教会の牧師であり、世界最大のペンテコステ派であるアッセンブリーズ・オブ・ゴッド世界総裁を務めた人物だ。世界のキリスト教会に与えるその影響は計り知れない。ジョン・ウィンバーとピーター・ワグナーはチョー・ヨンギと強くつながりがあり、チョー・ヨンギの「四次元の信仰」を取り入れている。そしてこの四次元の信仰を彼らの力の伝道運動を特徴づけるもっとも大きな要素としている。[8]しかしチョー・ヨンギは倫理的にかなり問題を持つ人物だ。今年6月には、ソウル中央地検調査部が、株式購入で157億ウォンの損害与えた背任容疑でチョー・ヨンギを在宅起訴している。2011年にはチョー・ヨンギの妻が背任などの容疑で検察に告発されている。チョー・ヨンギの息子も刑事犯罪を起こして逮捕されているという。さらにおぞましいことに、チョー・ヨンギはパリ在住の韓国人オペラ歌手と不倫、結婚という重婚事件を起こしている。これは、不倫相手のオペラ歌手によって暴露本が出されている。それだけではない。チョー・ヨンギには隠し子がいる。もちろん、妻の子ではない。私たちは、再び、主イエスの御言葉を思い出そう。 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイ7章15-18節) この有名なカリスマ派指導者はどんな実を結んでいるだろうか。私たちはその実を見てどのような結論を出さなくてはならないのだろうか。2ペテロ書2章1節をもう一度、そして、2節を続けて見てみる。 しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。(2ペテロ2章1-2節) 好色は主を否定することである。そして、すみやかに滅びを招くことだ。しかし、チョー・ヨンギは偽教師だろうか。彼の教えは正しいのだが、彼の罪の故に、複数の姦淫の罪や金銭にまみれてしまった可能性はないのだろうか。すべての人は罪人であり、人間は弱く、サタンの誘惑は強いのだから。しかし、私はそうは思わない。チョー・ヨンギは偽教師であるが故に、主を否定することをしたと考える。なぜなら、彼の四次元の信仰は明らかにおかしいからだ。ジョン・F・マッカーサーJr.は、それを「仏教とオカルトに根ざした」と評している。[9]彼は自著の中で仏教徒やヨガ修行者が四次元的力によって目的を達成できるのなら、クリスチャンも四次元的力によってより多くのことを達成できると主張しているそうだ。[10]異教の教えと方法をキリスト信者は取り入れよ、という主張は混淆宗教だ。現代の金の子牛礼拝だ。村上密も次のように言う。「私はチョー・ヨンギ牧師を支持しない立場です。理由の一つを挙げておきます。『信念の魔術』(C・M・ブリストル/訳大原武夫ダイヤモンド社)をご存知でしょうか。これはチョー・ヨンギ牧師の説教の種本です。これを彼の説教と比較すれば一目瞭然です。これは成功法則の元祖的な本です。内容は自分の願望を強く願い、潜在意識に強く働きかけることによって、願望を成就する教えです。読む人が読めば、ニューエイジの影響が入っていると判断するでしょう。英語の題は『Magic of Believing』ですが、とても信仰的とは思えません。潜在意識に働きかけるので『信念』が訳として相応しいでしょう。聖書が教える信仰とは、似て非なるものです。この本を1980年頃本屋で見つけてから、疑問を感じ始め、距離を取るようになりました。因みに、この本の日本での初版は1962年です。」[11]チョー・ヨンギの信仰は、どう考えても異教のものだ。すると、多くの人が混乱する。特に純朴なキリスト信者はそうなるだろう。というのは、チョー・ヨンギが福音を語るからだ。私たちは思う。「ジョン・ウィンバーは福音を語らないが、チョー・ヨンギは福音を語っている。それでは、チョー・ヨンギは正しいはずだ」と。しかし、考えなくてはならない。しばしば、異端の用語と私たちの用語は同じだ。聖書で使われている言葉ならなおさらだ。では、使う用語が同じであれば、同じ信仰と言えるのだろうか。そうではない。例えば彼らが「主」という用語を使うなら、彼らの主はどのような主であり、どのように信じているかを問わなくてはならない。主イエスの「実」によって見分ける教えの続きはこうだ。 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7章21-23節) 私たちは混乱する。「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことは」(1コリント12:3)できないのだから、イエスに向かって「主よ、主よ。」という人々は救われているのではなかったのか、と。しかし、彼らは新生していないというのだ。従って、人々がイエスを「主」と呼ぶとき、どのような意味で「主」と告白しているのか、その内容が非常に重要になってくるのだ。そして、「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なった」との主張は、しるし体験を真理とする、カリスマ派そのものではないか。そこで、チョー・ヨンギが信仰という言葉を使う時、それは、聖書の言う信仰かどうかを問わなくてはならない。村上密が言うように「似て非なるもの」だ。セージの葉のようで食い荒らす幼虫だ。聖書ではなくオカルトだ。どうか、このからくりに気がついていただきたい。前述のピーター・ワグナーの例も思い出していただきたい。ピーター・ワグナーは、偶像礼拝、ニューエイジ、異端、オカルトを批判している。それで、私たちはこの人物が正しい信仰を持っていると判断してしまう。ところが、チョー・ヨンギにしてもピーター・ワグナーにしても、実は彼らの信仰は異教からのものなのだ。異なる教えからつくられたキリスト教なのだ。 日本に影響を与えた外国のカリスマ派指導者をもう二人挙げておく。彼らの信仰も先に述べたジョン・ウィンバー、ピーター・ワグナー、チョー・ヨンギらと変わりないので、簡単に触れておきたい。ベニー・ヒン まず、繁栄の神学のベニー・ヒンだ。彼は彼の自著の中で父・子・聖霊はそれぞれ身体をもっていると言っている。[12]また、新しい人は小さな神になると言っている。[13]彼は汎神論者と言ってよい。このような汎神論的傾向はジョン・ウィンバー等カリスマ派指導者によく見られる。彼はスー・セント・メリー総合病院で数多くの驚くべき癒しの奇跡を行なったと本に書いたが、病院側は「そのような事は起こっていない」と公式に発表している。[14]彼はたくさんの偽預言を行ない、不倫し、会計不明瞭で非難を受けつつ非常に裕福に暮らしている。[15]カルロス・アナコンディア 次に、アルゼンチンのカルロス・アナコンディアだ。残念ながら、私の手持ちの資料では、この人物に関する情報は少ない。アナコンディアはピーター・ワグナーが絶賛したので有名なカリスマ派指導者として知られるが、数多くのひとりにしか過ぎない。ジョン・F・マッカーサーJr.は北米のカリスマ派問題を扱っているので南米のアナコンディアのことは一度も出てこない。アルゼンチンのジョセフ・ジョルダンはアルゼンチンのリバイバルについて「(アナコンディアが働きを始める14年前からリバイバルがあるとして)だから、もし日本の多くの人たちが、それまで霊的に不毛の地にアナコンディアが現れてリバイバルが始まったとの印象をもっているなら、それは間違いである。」と言っている。また、アナコンディアと言えば、虫歯につめものができる奇跡が有名だが、「アルゼンチンのおもだった福音派の指導者たちが連名で、どこのだれの歯につめものができたのか、何人かの具体的な氏名と住所を教えてくれるように公開質問状を出したが、いまだに返事は来ていない」ということだ。[16]なんにしても、アナコンディアもカリスマ派であり、先に上げた者たちと同じ教理を持つことを忘れてはならない。チャールズ・パーハム 最後に、カリスマ派指導者ではないが、ペンテコステ運動の創立者チャールズ・パーハムについても触れておく。ペンテコステ運動がなければ、現代のカリスマ派はなく、その意味で彼はカリスマ派の原点とも言えるのだから。彼もまた、倫理面に問題があり、「極めてひどい破廉恥罪で逮捕された」という。[17]そして、彼の話には非常に嘘が多い。「異言を語るということに関しても、かなりの作り話があったらしい。アグネス・オズマンが中国語で異言を語ったとか、中国語を書いたとかいう話も、パーハムの創作と見られる」と佐々木正明は述べている。[18]教理においても極めて異端的だ。彼は救われていない人は消滅すると信じており、永遠の裁きを否定した。最初の民族には魂がなく、これらの魂がない人々が、洪水において滅ぼされたと主張した。異言を話す人々がキリストの花嫁を構成し、キリストの再臨において権威ある特別な地位を持つと信じていた。パーハムは、体のいやしがキリスト教徒の権利であると信じ、いやしはキリストの贖罪で保証されると、また、それ故に薬と医者が遠ざけられなければならないと教えた。しかし、パーハムの息子の1人は、病気にかかり、いやされず16歳で死に、他の息子は、37歳で死んでしまった。パーハム自身、いろいろな病気で苦しみ、時には説教や、旅行をするにも病気で困難な程だったという。 ここに記したカリスマ派の非聖書的信仰は、ごくわずかである。彼らの教理の詳しい検証を必要とされる方は、先に紹介した本を読んでいただきたい。そして、聖書から外れていることを確認していただきたい。そして、このような人々の誤った信仰が日本に入って来たのである。そこで、次に日本におけるカリスマ派の広がりと影響を考察する。次章:『ほかの福音(4)日本におけるカリスマ派の広がりと影響』[1] ここまでの鍵カッコ内は、ジョン・F・マッカーサーJr. 混迷の中のキリスト教 140p 134-135p[2] W・ウォーカー キリスト教史1古代教会 ヨルダン社 1984年 141-142p[3] ジョン・F・マッカーサーJr. 前掲書 125p[4] 1990年8月インディアナポリスで行なわれた「聖霊と世界福音伝道」北アメリカ議会で。情報元はインターネットサイトであるがどこのサイトであったか亡失。[5] メトロ・ヴィンヤード・フェローシップという教会に属している自称預言者たち。彼らのやり方が、世界中に広まってしまった。代表的預言者はポール・ケイン。彼の預言もよく外れている。例えば、1990年10月に英国で大リバイバルが起こることを預言しているが、もちろん外れた。ケインのアドバイザーとして知られるウィリアム・ブランハムは、三位一体を否定し、自らを天使と名乗り、自分の名によって人々にバプテスマを授けるという、あからさまな偽預言者である。 [6] 高木慶太 テモテ・シスク 今日における奇跡いやし預言 いのちのことば社 1996年 192p[7] 高木慶太 テモテ・シスク 前掲書 183p[8] ピーター・ワグナー 聖霊の第三の波 マルコーシュ・パブリケーション 1991年 46p[9] 前掲書 140p 脚注には次のように書いてある。 チョー・ヨンギの方法論のオカルト的根拠は、『Sword and Trowel』1987年11月7日号所収の「Occult Healing Builds the World’s Largest Church(オカルト的癒しが世界最大の教会を作る)「East Wind Blows West(東風が西に吹く)」に書かれている。[10] Paul Yonggi Cho, The Fourth Dimension, vol. 1 (South Plainfield, NJ: Bridge Publishing, 1979), 37, 41.[11]村上密のblog記事より 2011年 04月 28日の「チョー・ヨンギ牧師」というタイトル。http://maranatha.exblog.jp/14682574/[12] 「聖霊さま、おはようございます」の英文初版(80-92p)による。ほか「驚いたことに、私は、父なる神に手と指と顔があるのに気づきました」等書いてあったが、批判を受けて書き換えられた。また、オーストラリアの大会で「神の三位一体にはそれぞれの三位一体があって全部で九位一体だ」と発言し物議をかもしたという。[13] ジョン・F・マッカーサーJr. 前掲書 261-262p[14] Christian Research Journal1996年冬季号の調査レポート[15] 村上密のblog記事 2012年 02月 18日 に、ベニー・ヒンの不祥事がいくつか列挙されている。http://maranatha.exblog.jp/17377151/ 不倫記事についてはhttp://maranatha.exblog.jp/17348635/[16] 高木慶太 テモテ・シスク 前掲書 24-25p[17] ジョン・F・マッカーサーJr. 前掲書 242p脚注[18]佐々木正明のblog記事 2010年11月07日 だいぶ怪しげなペンテコステ信仰(1)http://pentekosute.seesaa.net/article/166997255.html