「白組優勝」 昭和基地より。
ブログネタ:紅白歌合戦に絶対出そうな人は?
参加中めちゃくちゃひさしぶりに
このブログネタの運営人は、
AKBとか言ってるけど、
出てほしいのは、
外タレ少女集団ですね。
それも、元祖的なやつ…
というわけで、
ぼくの推しメン、
いや推しグループは、
女子十二楽坊です。
いやー、
どこいっちゃったんでしょうね。
それに、運営人は、
芦田愛菜とか、
月並みなこと言ってるけど、
子どもタレント枠は、
皆川おさむで決まりでしょう。
えー、みなさん知らないとか、
知ってるくせに……。
でも、本当に紅白に
出たらいいと思うのは
GReeeeN
だって今時、コロムビアローズみたいに
覆面歌手やってるのも変でしょ。
えー、コロムビアローズ知らないとか、
知ってるくせに……。
あと、紅白に出てほしいのは、
初音ミク
曲は「みくみくにしてあげる」でも、
「初音ミクの消失」でも、
どっちでもいいけど、
弟の姉との共演もいいですね。
えー、弟の姉知らないとか、
知ってるくせに……。
以上、今年の紅白歌合戦でした。
ひきつづき、行く年来る年を
お楽しみください。
ゴ~~~ン
(知恩院の鐘)
ディアク・パッサー
デンマーク人のギャグセンスについて
いろいろ考えているのだが…
最初にご紹介するのは、
やっぱりディアク・パッサーだろうか。
喜劇役者というか芸人で、
とにかく彼は面白くて、
この顔を見れば、
デンマーク人は自動的に笑う。
という約束事みたいになっている。
一見、せんだみつおに
似ていなくもないが、
そんなモノと比較してたら、
デンマーク人は怒るかも。
彼は国民的スターなのである。
大げさな演技と誤解されがちだが、
本当は、控えめな演技との
コントラストが彼の持ち味。
ボケときまじめ、
熱情と無感情、
狂気と冷静さ、
そのバランスにたった笑いなのだ
とデンマーク人は言う。
ただ、彼の笑いのセンスは、
デンマーク語のできないぼくたちには
全然といっていいほど、
理解できないのだ。
デンマーク最大の喜劇役者は、
ぜったいに世界では認められない
とデンマーク人も自負するくらいだ。
(この逆説がデンマークらしさだ)
彼を有名にした持ちネタの中に、
デタラメ・ロシア語というのがある。
たぶん、このサーカスがそれだと思う。
これは言葉がわからなくても、
ちょっとは笑える。
おもしろくないと思ったら、
それはあなたに、
デンマークの笑いのセンスが
ないからである!
とにかく、デンマーク人の
ギャグ・センスには、
ちょっと独特なものがあると思う。
華やかな芸人人生とは裏腹に
リアル・ライフの彼は
非常にシャイで、
舞台のあとは憔悴しまくっていた。
1980年のチボリ・レヴューで、
舞台の直後に彼は倒れ、
すぐそばの病院での
二度にわたる蘇生の試みもむなしく、
54才の短い生涯をとじた。
デンマーク演劇界にとっても、
早すぎる死であった。
ぼくもがんぱって、彼の笑いのセンスが
わかるようになりたいものだ。
少彦名神社神農祭
ちょっと時間があったので、
北浜から、散歩。
今日のニュースで、
東証と吸収合併されるという大証。
前の銅像は住友の五代友厚。
このビルには正面から中にも入れる。
ステンドグラスの窓もレトロ調。
中は楕円のバロック空間だが、
装飾はモダン。
楕円なのがよくわかる。
さて、そこからお気に入りの
三休橋筋を南下していると、
縁日のテキヤがでていた。
こんな街なかで、
どういう祭礼なんだろう?
カルメラもなつかしい。
とにかく、行ってみよう。
少し東に歩くと、
神農さんの案内があった。
道修町は、薬の町。
「春琴抄」の鵙屋も、
道修町の薬問屋だったな。
小さな資料館には、薬の展示。
昔の地図など、興味深い展示だった。
タナベもタケダもシオノギも、
大阪の大手製薬会社。
小さい会社は数知れず。
資料館の前には、
家庭薬協会の出店も。
ブレードランナーの広告の影響で、
ぼくも「強力わかもと」を飲み始めた。
すぐ横の少彦名(すくなひこな)神社の
神農(しんのう)祭というお祭りだった。
神農は、中国の三皇のひとり。
人類に薬草・医学を教えたという
とにかく、健康を祈願する。
たくさんの人が参拝のあと、
笹についた張子の虎を、
買って帰る。
タイガースファンだからじゃなくて、
張子の虎は施薬の神さま
少彦名神社のマスコット? なのだ。
そういえば、子どものころ
家にもこの張子の虎があったな。
ひょっとして、
大阪のおばちゃんが
豹柄好きなのも、
もともとはこの張子の虎に
関係しているのかもしれない。
大証は合併されても、
大阪の経済を元気にするように、
たのんまっせ、神農さん、
そして少彦名命さま。
などと考えながら、ミナミまで、
そぞろ歩いたのであった。
ちなみに道修町っていうのは、
「どしょうまち」と読みます。
関西以外の人には難読でしょうね。
高野山大学図書館見学
現在の入口はウラへまわってコチラ。
一目見たかったのは、
玄奘訳の般若心経が、
日本のお経は、漢訳仏典、
原典にあたる梵語との
でも、お坊さんのみんなが、
お経の意味を理解して、
お経を唱えているわけではない。
哲学と宗教の違いである。
研究せずとも信仰はできるのだ。
……、
でも、あまりにも研究が
等閑視されていないか?
ぼくたちはあまりにも、
お経の意味やなりたちを、
なおざりにしてはいまいか?
信仰のために研究が邪魔者に
され過ぎていないだろうか?
それで結局、
信仰もいいかげんな、
「無宗教」を名乗る大人が多すぎないか?
さらに、科学信奉の名のもとに、
お経の科学的解明も、
無視されているのではないか?
笠井量雲師のブログ では、
たまにお経が解説されており、
非常に有り難いものになっている。
……。
ちょっと話がそれたので、
図書館に戻ろう。
こちらは台北版チベット大蔵経。
中身は、こんな感じ。
もちろん、ぼくにはまったく読めない。
でも、本で見たことなかったので、
ただ、見てみたかっただけだ。
書庫の中の急な階段をあがる。
書庫の4Fは密教関係の書籍。
むきだしの鉄骨が交錯し、
あちこちに頭上注意の表示。
密教大辞典なんてものもある。
「空海」をひいてみる。
本当は異体字なのは知らなかった。
もちろんコンピュータフォントにない。
字が違っても、
お大師さまは怒ったりしない
…はずだ。
ところで、この書庫は、
実に変わった作りで、
1Fから5Fまで、
ちゃんとした床や天井がなく、
吹き抜け構造になっている。
書架は1Fから5Fまで、
ひとつづき。
書架の間に、鉄骨が渡され、
その上に簡易の床が張られているだけ。
5Fから1Fの書架まで見えて、
ちょっとしたスリルも味わえる。
写真でおわかりいただけるだろうか?
蓮花院の紹介をうけていたので、
ふだん人の入れない、
貴重書の書庫にも入れていただいた。
こういう書庫がいくつもあって、
中には貴重書が雑然と(失礼!)
平積みされている。
貴重書というより、未整理の書籍だらけ。
貴重書というのは、ほとんどが、
こういう手書きの本で、
高野山に学んだお坊さんたちが、
書き残したものだ。
どこの大学でも、手書きの古い本は
貴重書扱いになる。
中身を読み解いて、
整理してデータ化するのには、
手が回らないのが現状だそうだ。
と、まぁ…、
先にも書いたとおり、
以上、
長々とした文章になってしまいました。
同行二人…さださんに捧ぐ
今回は文章だけです。
長々と書かれていて、
面白くはありませんので、
興味のない方、とばしてください。
世の中には不思議なことがあるもんだ。
その日、ある程度家事を済ませて高野山に向かった。
家を出てすぐに忘れ物に気づいたので取りに戻って、再出発。
ところが、その取りに戻っていたくらいの時間差で、
電車を一本のがした。
まさか、高野山行きの電車が1時間に1本とも知らず、
早歩きして時間を取り戻そうともしなかったからだ。
仕方がない。
まあ時間はたっぷりある。
極楽橋から不動坂を上って女人堂につく。
高野山に詳しいさださん によれば、
そこから近くの巴陵院が
一番安く泊まれるんじゃないかということだ。
そこに寄って「宿を借ろう」と試みたのである。
ところがそこの住職の応対がはっきりしないで、
奥に引っ込んでしまった。
「待っていろ」なのか、「ついて来い」なのかわからぬまま、
しばらく放置されたので、
開いていた扉から中に入り、様子を窺っていた。
すると、住職が奥からでてきて、
「誰が中に入っていいといいましたか?」
と、いきなりプチ切れの様子。
すぐに謝って外に出たが、
結局「それじゃ、今日は一杯なので、泊められません」という。
この言葉遣いは誇張ではなく、このとおり言ったのだ。
「お邪魔しました」と言って合掌して門を出たが、
住職は合掌もしなかった。
「プチ切れしといて『それじゃ』なんて、
イヤな感じの言い方だなぁ」と思って、
先に進んで行った。
再度さださん
によれば、
ここら辺りから本山(金剛峯寺)の裏山 に
入っていく道があるはず。
で、キョロキョロしていると、
おばあちゃん(さださんの言う未亡人 かな?)が、
「何かお捜しですか?」と声をかけてくれた。
ぼくは正直に裏山への抜け道をたずねた。
「それなら、ここよ。
ちょっとややこしいけど、
探検してごらんなさい」と言う。
親切な人だ。
ちょっと上がると山の中なのに、
結構人が集まっている。
みんな地元の人のようだ。
そこを通りがかっただけのぼくに、
「珍しいものがあるから見ていけば?」
と声をかけるおばさんがいる。
「今日はここで、餅撒きがあるのよ、
そこのお稲荷さんでね」
「今すぐですか?
宿坊の予約もしてないので、
探さなアカンのですけど」
「宿坊のアテはあるの?」
「ハァ、蓮花院さんに寄ってみようかと思うてます」
「蓮花院さんやったら、今そこに来てはるわ。
蓮花院さんがお稲荷さんで儀式しはるんです。
ホラ、ね、そこに居てはるでしょ」
とどんどん奥にぼくを誘う。
おばさんは「観光客を連れて来ました」と言って、
ひとりストレンジャーなぼくを紹介する。
蓮花院のご住職とぼくは、旧知の仲だ。
ご住職も、ぼくを見てびっくり。
年に一度だけ、
11月8日の2時から、
山の中の小さなお稲荷さんの祠で法要をし、
餅撒きをする。
ぼくがそれを知らないで偶然来たと聞いて、
ご住職は二度びっくり。
「それなら、ウチに泊まったらええ」と
ご住職(先輩)に言われた。
そんな偶然に廻り合わせてくれたご縁を、
感ぜずにはいられない。
夜、話を伺えば、蓮花院のご住職は、
今日たまたま高野山にいるが、
その前後とも神戸、東京、四国と
高野山を離れているらしい。
思えば、もしも電車に間に合っていれば、
もしも巴陵院がプチ切れしてなければ、
もしも一心院谷をまっすぐ行ってたならば、
親切なおばあちゃんやおばさんが
声をかけてくれなかったら…
ぜったいにご住職とも会えず、
蓮花院に行っても、
そのとき蓮花院スタッフ全員総出なので
泊まれなかっただろう。
こんな偶然は
きっと一緒に歩いて下さっている
お大師さまのお導きに違いない。
これを同行二人という。
ありがたや、
南無大師遍照金剛。
お稲荷さんの小さな祠は、白髭稲荷神社といいます。
ほんとに山の中で、観光客はだれも来ません。
奥の院にも白髭稲荷が祀られているそうですが、
ぼくは見つけられませんでした。
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闘病とダイエット(ダイエット篇)
(前回までのあらすじ)
ボヤボヤした半年間の生活で、
「太ったブタ」になったぼくは、
せめて「痩せたブタ」になるべく、
ダイエットに挑戦するのだった。
さて、ダイエットといえば、
ぼくにとって力石徹がネ申だ。
東光特等少年院で、
矢吹丈と出会った時の
力石は、元ウェルター級の
ボクサーだった。
ウェルター級66.7Kg
丈より先にシャバに出た彼は、
白木ジムで減量して、
フェザー級ボクサーになっていた。
ここまででもかなりな減量だが、
彼は丈と闘うため、
さらに激烈に絞るのだった。
そして、とうとう
丈と同じバンタム級まで落とした
力石は、最終8ラウンドで
KO勝ちしたが……。
「悲しいとき~」
「悲しいとき~」
「誰かが死んだとき~」
(by いつもここから)
ぼくがメタボ宣告されたときも
ウェルター級ぐらいになっていた。
ぼくの身長は170cmなので、
そのくらいの人はたくさんいるだろうが、
なにしろ、急に肥ったので、
筋肉や骨じゃなくて、
脂肪肥りだったのだ。
というわけで、
ぼくの頭の中では、
ダイエットといえば力石徹に
ならねばという思い込みが
できあがってしまったのである。
思えば高校の頃、
陸上の400m選手だったときは、
どんなに食べても
バンタム級だった。
でも、バンタムまで落とすと
力石みたいに死んじゃうから、
とりあえず、
1割引きの60kgアンダーが目標。
これは1か月もかからず、
すぐに達成した。
これでライト級である。
……それからが地獄。
フェザー級にいくには必死。
思い込んだら途中で引き返せない性分。
(これがそもそもの病因だ)
気が付くと知らないうちに、
フェザー級の中間ぐらい
56kgを目標にしてしまっていた。
こういう勝手な思い込みが、
またもストレスの原因となる。
完全なヴァカである。
特に何を食べてもおいしい秋は、
すぐに60Kgを超えてしまう。
毎日、できるだけ歩いたり、
自転車に乗ったりして、
なんとか59Kgぐらいに
とどめているが、
フェザー級にはなかなか落ちない。
力石徹にはとうていなれないなぁ。
「でも、まあいいや」
と思えれば、楽なのだろうけれど、
いやはや、
「解っちゃいるけど、やめられない」
(by 笠井量雲師ほか)
なのであった。
以上、「闘病とダイエット」おわり。
ダイエットは苦しいものですね。
「うつ」対策とダイエットの両立は、
論理的にも無理があると思います。
ついついラーメン屋でセットを注文してしまう
ぼくなのでありました。
闘病とダイエット(闘病篇)
ちょっとキツい仕事環境が祟って、
4年ほど前、「うつ病」に罹った。
ちょうど細川貂々さんが、
「ツレうつ」を出したようなころだ。
この本に書かれていることは、
けっこうアタリだった。
半年休職しなければならなかった。
ぼくの医者は、「薬を出しましょう」
と、たくさんの薬を処方してくれる。
「うつ病」の薬は、半分は胃薬である。
消化器系を活発にして、
食欲を増せば、
生きる力や希望や夢も湧いてくる
という次第である。
食欲が増進するということは、
つまり、副作用は「肥る」。
半年後、血液検査の結果を観て、
医者は、
「メタボで、血がドロドロで、死にます。
薬を出しましょう」
と言ってくれた。
食欲増進させておいて、
今度は、また別の薬が要るという。
いわゆる「薬漬け」ではないか。
もう嫌気がさして、
ダイエットすることにした。
生まれてからずっと痩せ型で、
高校のときのズボンも楽々穿けていたのが、
半年でメタボである。
「ソクラテス」は無理でも、
せめて痩せてはいたい。
(ダイエット篇につづく)
読者のみなさんの中にも「うつ」傾向の方も、
結構多いことかと思います。
どうぞ、ムリをなさらず、
ゆっくり、ゆっくりいきましょう。
焦ってもよくなることはありません。
ほおっておくと「死に至る病」でもあります。
早めの受診と、休養が必要です。
さいわい、ぼくの職場は、
ぼくが発病したころ理解ある上司に変わって、
仕事を軽減してくれましたので、
失職することもなくすみました。








































