同行二人…さださんに捧ぐ
今回は文章だけです。
長々と書かれていて、
面白くはありませんので、
興味のない方、とばしてください。
世の中には不思議なことがあるもんだ。
その日、ある程度家事を済ませて高野山に向かった。
家を出てすぐに忘れ物に気づいたので取りに戻って、再出発。
ところが、その取りに戻っていたくらいの時間差で、
電車を一本のがした。
まさか、高野山行きの電車が1時間に1本とも知らず、
早歩きして時間を取り戻そうともしなかったからだ。
仕方がない。
まあ時間はたっぷりある。
極楽橋から不動坂を上って女人堂につく。
高野山に詳しいさださん によれば、
そこから近くの巴陵院が
一番安く泊まれるんじゃないかということだ。
そこに寄って「宿を借ろう」と試みたのである。
ところがそこの住職の応対がはっきりしないで、
奥に引っ込んでしまった。
「待っていろ」なのか、「ついて来い」なのかわからぬまま、
しばらく放置されたので、
開いていた扉から中に入り、様子を窺っていた。
すると、住職が奥からでてきて、
「誰が中に入っていいといいましたか?」
と、いきなりプチ切れの様子。
すぐに謝って外に出たが、
結局「それじゃ、今日は一杯なので、泊められません」という。
この言葉遣いは誇張ではなく、このとおり言ったのだ。
「お邪魔しました」と言って合掌して門を出たが、
住職は合掌もしなかった。
「プチ切れしといて『それじゃ』なんて、
イヤな感じの言い方だなぁ」と思って、
先に進んで行った。
再度さださん
によれば、
ここら辺りから本山(金剛峯寺)の裏山 に
入っていく道があるはず。
で、キョロキョロしていると、
おばあちゃん(さださんの言う未亡人 かな?)が、
「何かお捜しですか?」と声をかけてくれた。
ぼくは正直に裏山への抜け道をたずねた。
「それなら、ここよ。
ちょっとややこしいけど、
探検してごらんなさい」と言う。
親切な人だ。
ちょっと上がると山の中なのに、
結構人が集まっている。
みんな地元の人のようだ。
そこを通りがかっただけのぼくに、
「珍しいものがあるから見ていけば?」
と声をかけるおばさんがいる。
「今日はここで、餅撒きがあるのよ、
そこのお稲荷さんでね」
「今すぐですか?
宿坊の予約もしてないので、
探さなアカンのですけど」
「宿坊のアテはあるの?」
「ハァ、蓮花院さんに寄ってみようかと思うてます」
「蓮花院さんやったら、今そこに来てはるわ。
蓮花院さんがお稲荷さんで儀式しはるんです。
ホラ、ね、そこに居てはるでしょ」
とどんどん奥にぼくを誘う。
おばさんは「観光客を連れて来ました」と言って、
ひとりストレンジャーなぼくを紹介する。
蓮花院のご住職とぼくは、旧知の仲だ。
ご住職も、ぼくを見てびっくり。
年に一度だけ、
11月8日の2時から、
山の中の小さなお稲荷さんの祠で法要をし、
餅撒きをする。
ぼくがそれを知らないで偶然来たと聞いて、
ご住職は二度びっくり。
「それなら、ウチに泊まったらええ」と
ご住職(先輩)に言われた。
そんな偶然に廻り合わせてくれたご縁を、
感ぜずにはいられない。
夜、話を伺えば、蓮花院のご住職は、
今日たまたま高野山にいるが、
その前後とも神戸、東京、四国と
高野山を離れているらしい。
思えば、もしも電車に間に合っていれば、
もしも巴陵院がプチ切れしてなければ、
もしも一心院谷をまっすぐ行ってたならば、
親切なおばあちゃんやおばさんが
声をかけてくれなかったら…
ぜったいにご住職とも会えず、
蓮花院に行っても、
そのとき蓮花院スタッフ全員総出なので
泊まれなかっただろう。
こんな偶然は
きっと一緒に歩いて下さっている
お大師さまのお導きに違いない。
これを同行二人という。
ありがたや、
南無大師遍照金剛。
お稲荷さんの小さな祠は、白髭稲荷神社といいます。
ほんとに山の中で、観光客はだれも来ません。
奥の院にも白髭稲荷が祀られているそうですが、
ぼくは見つけられませんでした。
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