二元性を超える | 猫は地上の天使です

猫は地上の天使です

スピスピです★カルトお断り★因果応報★
酷いパクりをこっそり赤ペン★鏡を置きます★

二元性を克服して統合しましょうといったことを、

繰り返しお伝えしていますが、

二元性とは何なのか?ということについて、

誤解している人が多い様に感じたので、

改めてこちらで記事にしようと思います。

 

私が見かけた誤解の例は、

分離意識が元々なかったのだけど、

この世界のルールに従ううちに、

分離意識が芽生えてしまった。

自他の区別をなくすことで、

本当の自由になる。

といったものです。

 

根本的に間違っていて、

二元性とは何なのか?ということを、

理解していない人です。

また、非二元界隈にも多い解釈ですが、

中には統合失調症や発達障害的な傾向がある為に、

自他の境界線が上手に引けない、

ということを、

スピリチュアル的に解釈してしまい、

自分はとても霊的に優れていて、

”上の方”にいるのだと思い込んでいる人も多く見られます。

 

 

私はいつも、読んだことのある本や、

ブログ記事をご紹介していますけれども、

その理由としては、

私自身が考えたことではなくて、

参考にした情報がありますよと、

包み隠さずお伝えして、

その元の情報発信者に敬意や感謝の気持ちを表わしたいです。

 

一つの物事に対して様々な表現、見方、捉え方があって、

同じことをこの本ではこういう表現をしているし、

あの本ではこういう例えがあった。

このブログ記事もすごく参考になったと、

自分自身が視野を拡げることに役だった為、

ヒントになった為、

他の人にもそうではないかな?と思うので、

ご紹介しています。

 

なんか、読んで下さる方が長い!

と文句を言うケースもありますが、

私はどうか読んで下さいとお願いしていないんですよ。

文章を読むのが苦手な人が、

読解力のない人が何故わざわざ読みに来るんですか?

自分のネタに流用する、拾って行くからですか?

勉強の為にご紹介していますので、
文句言うならもう来ないでください。

 

こういった私の情報発信の方法を、

オリジナル性がないだの、

紐付されているだの、

あっち側だの批判する人が居ますけれども、

おかしいですよね。

ここを読んでいなければそんな意見なんて、

出ないはずないです。

情報を求めて右往左往していなければ、

フォロワー数の少ない小さいツイッターのアカウントが書いた、

アメブロでもこちらからはフォローをしていない、

人知れずひっそりと書いているブログを、

わざわざ読みに来ますかね?

 

まだ分かっていないみたいですが、

そういった嘘が、霊的な領域では、

ガイド達には筒抜け丸見えになっています。

度々ご紹介したブログ記事では、

光のネットワークと表現されていますが、

このネットワーク上で共有されていますので、

誤魔化しようがないんですよ。

 

腹が立つなら読むのをやめたらいいし、

読んで知ったことを知らない振りしたら、

罪になりますよ、ということです。

こちらを読んだ後に否定しよう、拒絶しようとすると、

宇宙法則や真理に反していきますので、

どんどん堕ちて行きます。

また、これはほんと呆れるんですけど、

こちらでご紹介した他者の教えをまるで自分が考えたように、

偉そうに発信することですね。

そういう人ほど自分は誰の意見も参考にしない、

本も読まない、

他の人の情報も見ない、オリジナルだ!とやります。

盗人猛々しいとは正にこのことでしょう。

真似した訳じゃないよ!パクった訳じゃないよ!

と何故言いたくなるのか。

真似をしようとも思わない、

パクろうともしない人はわざわざ、

そんなことを言って回ることはしませんよ。

悪い事だと分かっていてやるから、
正当化したくなる。
 

両方あるのが分かっていなければ、

否定することはできない。

分かってて悪の方を選ぶなら、

その人の責任なのだから、

誰にもどうにも出来ない。

 

これは覚悟しておいて下さい。

私はわざと法則や真理を何度も繰り返し、

書いているかもしれないですよね?

美味しい所だけパクれると思いますか?

逆らえば逆らうほど堕ちて行く。

法則は絶対的なものですよ。

 

私はどうして罪悪感が湧かないのか?

羞恥心が湧かないのか?不思議で仕方がなかったのですが、

自己愛性パーソナリティ障害というのを知って、

どうしようもない人達がいるのは分かりました。

ある意味、アセンションから一番遠い人達でしょう。

 

 

 

”分離意識が元々なかったのだけど、

この世界のルールに従ううちに、

分離意識が芽生えてしまった。

自他の区別をなくすことで、

本当の自由になる。”

という解釈をお題にしていますが、

まず、

宇宙法則には、あらゆるものには二極あるという、

積極消極の法則があります。

 

(四)積極消極の法則

積極・消極(プラスマイナス)の二極がないと
何物も存在することは出来ない。

あらゆるものに二極があることが創造構成の基本法則である。

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より

 

あらゆるものに二極がある、
一つの物事には、肯定的な側面と否定的な側面の両方が、
必ず存在している、
というのが宇宙法則です。
 
二元性の世界というのは、
この二つあるものの片側しか見えない、
またはどちらかを比較して優劣や善悪、正誤を判断する、
といった状態です。

二元性の段階としては、
「プリズム・オブ・リラ」(リサ・ロイヤル★キース・プリースト共著)の、
各次元の解釈をご紹介しています。
古い本なので参考程度にして下さい。

 

●一次元 ─ 点の意識。物質。

もっとも基本的な次元である。この次元で原子や分子の創造が起こる。
このレベルで代表的な存在は鉱物や水である。
また人間のもこの次元を自己の内に持つ。
人間の場合、これは基本的な遺伝子情報に相当する。


●二次元 ─ 線の意識。
 
生物学的な存在。集団や種としての意識の発展段階
このレベルの意識には自我(エゴ)がない。
動植物のほとんどが、このレベルに存在している。
ただし自我の有無だけが、このレベルの存在を決定するわけではない。


●三次元 ─ 立体的な意識。自我。
 
集団意識の喪失。個別意識の形成。
現在の意識を保ちつつ、
過去や未来について思考することができる能力。
これは、現在の人類が存在するレベルである。
また、「分裂」という幻影が生じるレベルでもあり、
これを超越するには覚醒することが必要となる。

現在、人類は三次元から四次元へと移行しつつあり、
世界でさまざまな変化が急速に起きているのもこのためである。

「大いなるすべて」からの乖離がもっとも際立っており、
統合に関する多くの教訓が学ばれ、
密度の濃い内面的な成長が達成されるのも、
このレベルにおいてである。

クジラ類(イルカとクジラ)は、
人類と共に三次元から四次元へと移行している。

また、霊長類も三次元に生きている。
近年では、霊長類の進化が一層顕著になっており、
これまで人間に固有の能力だと考えられてきた、
言語習得能力や情緒反応を示すようになっている。

●四次元 ─ 立体的な意識。超意識。
 
自我の保持と集団意識の両立。
周波数が上昇すると、
過去、現在、未来に対する認識が流動的になる。
同時に、異次元に存在する現実と交流する能力が増す。
否定的な意識を保つのがむずかしくなるレベルである。
 
現在、地球では三次元と四次元の現実が重なり合っている。
 
このため人類は、三次元の特徴である分裂の幻影から
解放されつつあり、
統一、平和、無条件の愛を希求するようになっている。
 
エネルギーの周波数が上昇することにより、
現実の展開が急速かつ顕著になる。
 
現在、多くの人々が薬物依存症からの脱却をはかり、
より良い世界の実現に向けて努力しているのも、
地球が四次元に移行しているためである。
 
四次元では行動の結果に対する責任が求められ、
一人一人がここで自由意志を持っていることを思い出す。
 
肉体が意識の媒体として使われる最後のレベルであることから、
多くの宇宙人の文明が、長期間ここにとどまることを選ぶ。
 
●五次元 ─ 集団意識としての自己の認識。

直線的な時間からの解放。
これは英知のレベルである。
知覚力のある意識は、ここで内面の英知に目覚め始める。
 
英知に目覚めた意識は、
低い次元にいる意識たちと、これを分かち合うことを望み、
多くが指導霊になることを選択する。
 
五次元の意識は、意識の家族
(「オーバー・ソウル」、または「ハイアー・セルフ」とも呼ばれる)
と融合する。
 
非物質的な経験が生じる最初のレベルである。
 
(注 ─ 五次元から、六次元、七次元への移行は
明確に区別するのがむずかしい。
これらはみな非物質的なレベルであるため、次元が上昇するにつれて
大規模なエネルギーの融合が起こると考えればよい。)
 
●六次元 ─ 次元そのものとしての意識。
 
このレベルはキリストや釈尊の意識波動の特性を示すため、
よく「キリスト意識」と呼ばれる。
完全な記憶がよみがえるレベルで、各存在は自己のためでなく、
「全体」のために責任を果すようになる。
自己と「全体」の成長の過程が、
完全に一体となるのもこのレベルである。
 
●七次元 ─ 多次元的な経験の認識。
集合エネルギー体系(Group-matrix)つまり、
「社会的な記憶の複合体」(Social Memory Complex)
としてのアイデンティティー。
 
完全なる一体性と統合の次元である。
このレベルの意識は互いに融合しあい、集合意識体となる。
 
集合意識体は他の次元にいる存在に対して、
統合を促す自然な流れを提供する。

 

六次元までは自己と全体は分離していますね。

七次元で一体性と統合する、とあります。

なので、”分離意識が元々なかったのだけど”

と言う場合、

肉体を持たずに集合意識体である、

生きた人ではない、

乗っ取っている意識体の発信である、

生霊を飛ばし過ぎて肉体的な感覚がない、

といったことが考えられます。

通常、肉体を持った人が、

統合して集合意識体ですとはならないですよね。

分離する為に肉体を持つ訳ですから。

 

”この世界のルールに従ううちに、

分離意識が芽生えてしまった。”

とありますけれども、

肉体を持って分離したのは、

宇宙法則であってこの地表上のルール云々は関係ないです。

個人という自覚がある限り、

分離している意識は生じていますよ。

 

”自他の区別をなくすことで、

本当の自由になる。”

というのは、

自他の区別をなくすには、

肉体から離れて死ぬしかないので、

この人が求めている自由は、

肉体を持っては達成できません。

 

ちなみに、もし自然な学びを終了した形での、

死を経験しないのなら、

また同じ段階からやり直しというのが、

宇宙法則になります。

飛び級はないんですよ。

なので、肉体を持ったまま、

自分であって全体でもある、

という自他同一の意識を持つことをおススメします。

自他の区別をなくすっていうのは、

自他同一の間違った解釈なんでしょうね。

 

何故分かりもしないことを語るのか、

不思議で仕方ありません。

どっかで見た情報を自分の意見の様に発信してしまう、

こういうのはインターネット上ではもう、

当たり前の様に見られますけれども、

自分が発信した言葉には責任が生じますので、

よくよく注意した方がいいですよ。

 

次元については下記の記事を書いています。

次元について1

次元について2

次元について3

 

 

度々ご紹介している方のブログ記事から、

下記がありました。

 

いま・この時期に、最低限必要なことは、
光の道に入ることです。

ですが、さらには、光の真ん中の道に入る必要があり、
これは、二元性を超えるという生き方をする道です。

それは、光と闇、善と悪、静と動…というように、
二元性のどちら側にも左右されずに、
両極端に位置する概念を束ねるという生き方であり、
これは現在、日本神界の最先端で先導しています、
菊理姫(くくりひめ)さんを筆頭にして遂行されています。

このように書きますと、天上界がなんでもかんでも、
やってくれるのかと勘違いをされる方が、
現れてしまうかもしれませんが、あくまでも、
主人公は、私たち地球人類のほうです。

私たち地球人類が、実際に、行動を起こさない限りは、
天上界の神々と云えども、何もしようがないのです。

ですから、地球物質界において、世界中で、
様々な激変が起こっていると云ったときに、
実際に、行動を起こしているのは、地球人類です。

それは特に、地球人類の中の、
光のネットワークに繋がった方々であり、
光の共同作業とは、光のネットワークに繋がっている、
地球人類です。

光のネットワークに繋がった方々が、「内なる声」を通して、
天使界、妖精界、自然精霊界から、さらに、天上界へ、
あるいは、地球内部世界「アガルタ」や「シャンバラ」、
地球上に集まって来ている友好的な宇宙種族たちと繋がってゆき、
それぞれにアドヴァイスや指令を受けます。

それを、光のネットワーク上で、相互に確認をして、
充分に検証確認を行なった上で遂行してゆきます。

バンクーバーオリンピックの間に起きた出来事の中では、
他には、私が先日取り上げたような新興宗教団体や、
世界中のカルト集団、日本では、中曽根会や、その他の悪性分子、
世界中でも、これに相当するような特に危険性の高い悪性分子を、
その電気設備、電気通信網を完全に遮断した後で、
壊滅に追い込みました。

このブログは、アニメの「デスノート」ではありませんので、
くれぐれもご注意願いたいのですが、
次のことを留意した上で遂行されています。

それは、その行動を実際に起こすことで、

★宇宙において、新たにカルマを創り出さないかどうか
★正当防衛に当たるか当たらないか
★越権行為に当たらないかどうか

これを、充分に確認する必要があるということです。

つまり、自分自身だけの判断では出来ないということであり、
必ず、天上界や光の先生がたと検証確認の上、遂行する必要があります。

友好的な宇宙種族がたくさん、地球に集まっているというときに、
では、彼ら彼女たちが、助けてくれるんだと依存心を抱くのは、
非常に大きな間違いです。

天上界の神々や宇宙種族たちはすべて、
私たち地球人類の、霊的なサポートなのであり、
私たち自身が、実際に、行動を起こさなければ、
事態は、全く持って、何も変化のしようがないということです。

地球は、何が何でも、破壊するわけにはいきませんので、
彼ら彼女らは、最低限、地球が壊滅しないように、
防御をするだけです。

スピリチュアルの世界、精神世界では、
この部分を大きく勘違いしている方々が、
あまりにも多過ぎます。

宇宙人が助けてくれるから安心…ではないのです。

光のネットワークに繋がっている方々と、
そうでない方々というのは、
映画『X-MEN』シリーズに観られるような世界観であり、
そこで、前兆現象として暗示させていました。

それは、既存の地球人類と、
ハイブリッドな新地球人類との違いであり、
それは、アニメや娯楽映画の中だけのお話ではなく、
現実世界で起き始めています。

つまり、地球物質界における魂の大きな二極化、
その住み分けとは、光のネットワークに
繋がっているかどうかで、決まってゆきます。
 
こちらの方の記事は出し惜しみするつもりはないのですが、
まるで自分の意見の様に、酷い悪用をして、
情報が持っている周波数帯を滅茶苦茶にし、
他者を騙す人がいるので、
積極的にはご紹介したくないんですよね。
また被害者が増えるのか…と思うと、
原因と結果の法則があるので、
私自身は何も心配する必要はないものの、
やはり加担する様なことをしたくはありませんので、
出来る範囲でチェックしているんですよ。
(どういう人のことか誰のことか分かると思います)
 
 
”いま・この時期に、最低限必要なことは、
光の道に入ることです。
ですが、さらには、光の真ん中の道に入る必要があり、
これは、二元性を超えるという生き方をする道です。
それは、光と闇、善と悪、静と動…というように、
二元性のどちら側にも左右されずに、
両極端に位置する概念を束ねるという生き方”
とありますね。
 
これが闇の道に入るとすると、
人を支配するという方向に思考が向きますので、
例えば人から盗む、与えるという選択肢があるなら、
真っ先に盗む方を選びますし、
人を見下す、尊重するという選択肢があれば、
見下す方を選びます。
両方あるのが分かっただけではなくて、
その上でどちらを選ぶのか?
というのが重要なんですよ。
 
「感情は理性の力を失わせるものだから、

神と人との間を遮閉する
大きな障害となるのである。

感情情緒の支配克服によってのみ、
人は神の子としての自分の正しい地位を
確保できるのである。

感情は単に感情にすぎず、
感情以外の何ものでもないことを認め、
それを意志でもって善導することによって
自己の感情の克服を図らなければならない。

感情に使われ、ふり回されるのではなく、
感情を善用しなければならない。

そのためには正義が一つの方針となる。

感情的にどうあろうと正しきを
行なわなければならない。

そうすれば、望ましい結果を将来にもたらす
善因を積んだことになるのである」

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より


”そのためには正義が一つの方針となる。
感情的にどうあろうと正しきを
行なわなければならない。
そうすれば、望ましい結果を将来にもたらす
善因を積んだことになるのである”

とあります。

 

一番大事な法則、主軸に考える法則というのは、

原因と結果の法則です。

自分が何かを行なう時に、選択する時に、

それが原因となって同じものが返って来る、

ということを想像すれば、

それを行なっていいのか、選択していいのか、

判断出来ると思います。

 

人から盗めば盗まれる、奪われるでしょう。

自分が盗んだものと同じものとは限らないです。

人を見下せば、また自分も見下されます。

でもそれが同じ状況で返って来るとは限りません。

人を傷つければ、いつか自分も傷つくでしょう。

それは自分と同じやり方とは限らないですよ。

 

そこまでの覚悟があるなら、やったらいいし、

それを続ければいつかは破滅するのも分かるでしょうから、

好きなだけ進んで下さい。

それが闇の道です。

 

 

善悪の判断を超えてゆくという難関を突破する

私たちは、とかく、善か悪かの判断に
捉われがちになります。

それは、やはり、物質界という「この世界」が、
二元性に分離されてきた所以でしょう。

宇宙の法則は、そんなことにはお構いなしです。

それが、善であろうが、悪であろうが、
全く関係がないということです。

宇宙の法則が正しく反応するのは、
私たちが「調和」の状態にあるときです。

「調和」の状態にあるときというのは、
バランスが保たれているときであり、
ポジティヴとネガティヴの、ちょうど、
中心に身を置いているときです。

善か悪かの判断は、思考、
マインドからやって来るものであり、
宇宙の根源からやって来るものではありません。

しかし、宇宙は何でも有りだからといっても、
倫理的に観て如何なものだろうかという
最低限の道徳心、モラルが必要です。

最低限の道徳心やモラルとは何かと問われれば、
自己中心的、自分勝手、利己的からの脱却でしょう。

他人なら、どう想うだろうかという、
人の立場に立てる、「優しさ」や「思いやり」を、
真っ先に、思考やマインドに置く必要があります。

このようなことが、根底にあった上で、
私たちは、善と悪とを統合して、
それらを超えてゆく道程にいます。

私たちが、「調和」の状態にあるとき、
それは、善や悪、ポジティヴやネガティヴ、
そのどちら側にも傾いていないときです。

光のネットワークに繋がり、
宇宙の根源に到達するのは、
このような意識状態であり、
それは、宇宙意識と云われるものです。

それは、計量器の針が、ちょうど、
真中あたりを差しているときです。

 

 

正義を振りかざす必要はない

善か悪かという二元性に置かれているときに、
自分自身が、善なる者である
ということを強く主張するかのように、
「正義」にこだわることがあったりします。

「正義」を振りかざす人は、
悪を極端に憎みます。

悪を憎むが故に、「正義」という
大義名分を振りかざして、
悪を倒すのだという発想に至ります。

しかし、この「正義」という
概念にこだわっているうちは、
“善と悪が対立している”という構図からは、
決して、逃れることが出来ないでしょう。

それは、いつまで経っても、
善と悪の二元性のループの輪の中を、
グルグルと回り続けているだけで、
「分裂」の世界に留まった状態のままです。

それは、「統合」をキーワードにした、
新しい世界、水瓶座の時代とは、
相反する概念ですから、3次元領域の、
物質界に留まったままの概念です。

ネガティヴ(闇)=悪という図式で表される存在は、
常に、命を狙って攻撃を仕掛けてきて、
鬱陶しく、煩わしいものです。

万一、そこで、生命を落としたとしても、
物質界という「この世界」で行われていることの
すべては、ゲームです。

このゲームを制するためには、
自分自身の中に潜む「憎しみ」を
取り払う必要があります。

「正義」を振りかざすことは、
「憎しみ」の反転作用として起きています。

自分自身の中の「憎しみ」を解消するために、
それに正当性を持たせるために、
「正義」という概念に変換しています。

ですから、根底に「憎しみ」が潜んでいる、
「正義」を振りかざして、いわゆる、
悪なるものに立ち向かっていても、
根底に「憎しみ」が宿る限りは、
何の解決方法にもならないでしょう。

そのための解決方法は、悪を「憎む」、
「恨む」ことを止めるより他ないでしょう。

悪を「憎む」、「恨む」のではなく、
そこに、光を入れる、光を送り続けることです。

悪霊や邪気邪霊を祓うことも、真言を唱えることなども、
そこに、光を入れる、光を送り続けることです。

命を狙って攻撃を仕掛けて来る現象も、
そこに、光を入れる、光を送り続けることで、
臨界点までもってゆき、反転現象を
起こさせるということです。

 

”光を入れる、光を送り続ける”

”反転現象”とあります。

これがライトワークの基本ですが、

下記をご紹介しました。

 

このライトワークというものの在り方について、
どのようなイメージとして捉えることが出来るでしょうか。

そのヒントは、自然界の植物種にあります。
植物種の多くは、光合成という働きをすることが知られています。
 
植物種の行なう光合成は、大気中の二酸化炭素を吸って、
私たちが生きるのに必要な
炭水化物や酸素を放出しているわけですが、
このことがまさに、ライトワークそのものです。

これを、私たち生命体に置き換えるのであれば、
ネガティヴ想念を吸って、
光の想念を放出するということになるからです。
 
植物種はこのことを、何の躊躇もなく、
愚痴をこぼすこともなく、ただ坦々とこなして生きています。

ですから、私たちのライトワークは、
これら植物種の姿をお手本にすることが出来ます。

義務感や、嫌々ながら仕方無く行なうのではなく、
息をする、呼吸をするかのように自然に、
雑念がなく、何気なく行なうことが、
ライトワークにおける相応しい在り方だと云えるでしょう。
 
 
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」という言霊

ネガティヴな人や出来事に遭遇したときの対処法として、
上記のお題目を唱えてみるのは如何でしょうか。

ネガティヴなニュースや出来事を
目にしても、耳にしても、
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
と唱えてみます。

仮に、ネガティヴからの攻撃があったとしても、
その発信元に向かって、
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
と唱えてみます。

強い霊媒体質の方は、身体の左側に、
左脳付近に、左腕に、左肩に、腰の左側に、
左脚などに、嫌な、まとわりつくような違和感が起きます。

その場所を右手で擦りながら、
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
と唱えてみます。

霊的真理であり、宇宙の法則の基本的な事項の中に、
“自らが撒いた種は、自らの元に返って来る”
というものがあることはよく知られているかと想います。

それは、善い想念を送ったり、善い言動を発したり、
善い行動を起こしたりすれば、そのまま、
善い想念や言動、行動が返ってきます。

反対に、悪い想念や言動、行動には、
そのまま、悪い想念や言動、行動が返ってきます。

この法則を、M・ドーリル博士著『秘教真義』から、
引用させて頂くとするのであれば、下記の部分になります。


原因と結果の法則

前もって創られた原因が
結果となって表れるようになってはじめて、
今表れているすべてのものが存在するのである。

我々の人生のあらゆる瞬間瞬間が、
我々に避けがたい結果となって
表れるところの原因となっているのである。

その実現した結果に対する態度と処置とがまた、
次の新しい結果をもたらす原因となるのである。


ここで、重要となりますのは、自分自身の意図とは関係なく、
ネガティヴなニュースに触れてしまったり、その結果、
ネガティヴ・コントロールにがんじがらめになっていたり、
あるいは、ネガティヴからの攻撃を受けることでしょう。

ネガティヴな物事に触れて、放っておきますと、
それが蓄積していって、精神的に重病になってきます。

これは、連鎖していって、止め処なくなりますから、
気がついたときに止めなくてはなりません。

また、ネガティヴからの攻撃を受けるということは、
私たちが霊的進化を進めていく道の途上では、
それぞれの段階に応じた、スピリチュアル・テストがある
ということを忘れてはいけないでしょう。

その時点までに学んだことが、
実体験として活かされているかどうか、
頭で知識として学んだだけではなく、
心で、魂で、理解しているかどうかを、
試されるのが、スピリチュアル・テストです。

攻撃を受けたからといって、攻撃で返していたのでは、
泥沼になるだけで、永遠に終わらないのです。

争いには争いをでは、争いは永久に終わらないのです。

テロには報復を…ではありませんが、
復讐に復讐を重ねても、終わりが観えません。

それらは、永久機関の如く、繰り返してゆくだけです。

永久機関とは、つまり、人生のやり直しを、
輪廻転生を永久に繰り返すことと同じです。

「原因と結果の法則」で云われていることは、
「その実現した結果に対する態度と処置」
が重要だと云っています。

ネガティヴな攻撃に対して、ポジティヴを返すことで、
それらの攻撃が和らいでゆきます。

それは、スピリチュアル・テストに合格したことにより、
意識と周波数が上昇し、それまで
攻撃を仕掛けてきたネガティヴとは、
周波数が合わなくなるからです。

このように、少しずつ、段階をクリアしてゆき、
上へ上へと上昇してゆきます。

そのための、おまじないのひとつとして、
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
の言霊を返すということです。

それは、イエスさんの言葉にありますように、
“汝の敵を愛せよ”の実践であり、
光の想念や言葉を返すことで、
ネガティヴ・エネルギーを和らげて、
柔らかく包み込むのです。

パワーは、ネガティヴ・エネルギーと違って、
同等の量のものではなく、倍増してゆくものです。

“自らが撒いた種は、自らの元に返って来る”のですが、
ポジティヴな想念は、倍になって返ってきます。

ポジティヴなパワーは倍増するので、
ネガティヴ・エネルギーを上回ります。

ですから、ネガティヴなニュースに触れても、
ネガティヴな出来事に遭遇しても、
ネガティヴな人に出会っても、
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」の言霊を
返すことで、それらのネガティヴを上回りますので、
「次の新しい結果をもたらす原因」は、
間違いなく、ポジティヴなものに変換されています。
 
上記は本当にオススメしたいのですが、
嫌な事酷い事をしてきた人を許す、
というのはとても難しいものがあります。
 
私も何年も前にされた理不尽な行ないを、
許すことができなくて、
ふとした拍子に思い出しては、
怒りや不満を募らせて、相手の悪いところを、
一から挙げて行く、ということを繰り返していました。
 
いい加減もうこの状態から抜け出したい、
こんなの幸せではない、
でもどうしても許せなくて悔しいと、
気持ちの転換が出来なかったので、
ただひたすら「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
と思い出す度に唱えました。
許しても受け入れてもいなくて、
ただ唱えました。
 
原因と結果の法則があるので、
ネガティブな感情を相手に持っているままだと、
またネガティブな出来事を経験してしまうから、
とにかく変えたかったのね。
 
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
と唱えているうちに、
自分の中に変化が訪れる様になりました。
許せない受け入れられない自分をそのまま、
許して受け入れて、
相手にされたことを、
我慢して見て見ぬ振りをするのではなくて、
相手のことを優しく許すのでもなくて、
ただそういう人にも幸がある様に、光がある様に祈る。
それは、物質的な同じ次元で行ないを返すことではなくて、
ポジティブな方に思考を向ける方法なので、
気持ちが少しずつ明るくなってきたのです。
 
やられたことを一から順に思い出して、
その時と同じ感情になるより、
その人を思い出す度に、思考を止めて、
ただ祈る。
そうすると思い出すこと自体も嫌ではなくなって、
そのうち、思い出すことがなくなりました。
 
今も許しているのか?受け入れているのか?と自分に問うと、
別に許しも受け入れもしていないです。
あの時の状況は酷かったし、酷い事をされたと思います。
でも腹は立ちません。
過ぎたことで、終わったことで、仕方がないのです。
私にとっては、悪に光を送るといった学びでもありました。
攻撃されることがなければ、理解できないですよね。
 
この経験ですごいなと思ったのは、
それを続けてまた何年かした後、
その人が私の面倒事を、
積極的に手伝ってくれたことです。

無理に押し付けた訳ではないんだけど、

相手にも負い目があるからですかね。
人が嫌がることなのに、自分からやりますと言ってくれて、
私の負担が減りました。
そういう人ではなかったのだけど、
変わったなと嬉しく思いましたし、
別にそれから仲良くなったということはないけど、
(するつもりもない)
でもお互いのしこりがなくなった、
という感じで気が楽になりました。
許すというのとは違うんだけど、
相手も譲歩してくれたのかもしれない、
これで相殺されたという気持ちです。
 
 

あなたは水と油を混ぜることは出来ない。

あなたの心がいつも心配と苦しみと
破壊的な考えで一ぱいであったら、
聖意識という油と不調和想念という水とは、
混ぜることは出来ないのである。

聖なる霊法則と調和して生きるには、
まず、正しいことを考えはじめるべきであり、
自分の内の否定的考え方、
怒り、憎しみ、恐れなどを廃して、
正しい想念をもちはじめねばならないのである。

イエスが「汝を軽蔑する者に善をなせ」
と言ったのはこんな理由からである。

もし、他人があなたに善をなせば、
それを自己の当然の権利として受けるべきである。

私は、他人が私のために立派なことをしてくれても
大騒ぎをしない。

その理由は、他人が私のために善事をしてくれると
当然の期待をしているからである。

もし、他人が私のために善事をしてくれなかったら、
私の方に何か到らぬことがあったからだと
自分で思うだろう。

我々が善悪の結果を予想するところに、
我々大多数のトラブルがあるのである。

誰かが私に善いことをしてくれれば、
それは、私の意識の中にそれを引きよせる様な
何かの状況があったから、その人が私に
それをしてくれたのだと私は思い、
その人は私のためにそのことが実現される
チャンネル(通路)になったのだと思うのである。

私は、他人が私にしてくれたことを別の人に回すのである。

私は善念に対して善念を返そうとは望まないのである。

我々の働きは、不調和、悪念を向けられたのに対して
善念を返し、悪念を変化させて完全化することにあるのである。

もし誰かが私に何か善いことをしてもらいたいと言ったら、
彼らが私を通して流れる何か善いことがあると
心内に感ずるからなので、
それが達成されることを知っているのである。

もしあなたが全世界に善事を発出するならば、
それがあふれ流れる様にして、あなたに帰ってくるであろう。

人間の破ることの出来る唯一の法則は、
人が作った法則なのである。

我々が破ることが出来ない法則を破ろうと試みることは、
その法則に対して自分達自身を破っているのである。

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

 
”私は善念に対して善念を返そうとは望まないのである。
我々の働きは、不調和、悪念を向けられたのに対して
善念を返し、悪念を変化させて完全化することにあるのである。”
という箇所もライトワークを指していますよね。
 
不調和、悪念を向けられた原因は自分にあります。
悪いことをしたから、自分が悪いから、
そうなったのではなくて、
そこから学ぶこと、知る必要がある、経験する必要があるからです。
そういう原因を創ったのは自分です。
自作自演ということですね。
 
憎たらしいと思う人にほど、
「あなたに幸あれ、あなたに光あれ」
と唱えてみると、
相手へ対する思いやりが生まれてきます。
攻撃されたのは理不尽だなと思いつつ、
攻撃しなければならないほど、
相手は追い詰められていたんだなと、離れて眺めることが出来るのです。
自分だったらしないだろうと思うからこそ、
よっぽどのことだったのだなと、尊重出来るようになります。
 
ライトワークって、実際の行動の事を指す人もいますけど、
なんていうの?革命を起こそう!みたいな。
そうじゃないですよ。
内側の話です。
その内側が外側に表出しますよというのが法則です。
根本的に理解出来ていない人が多いですが、
これもまた二元性を克服していないからこそなんですね。
 
 
「沈黙」は、錬金術の最終奥義

“沈黙のレッスン”について、「限られた方」のために、
お伝えさせて頂きたいと想います。

「沈黙」が、如何に大切であるかということは、
アトランティス文明の頃の大司祭であった、
トートさん著『エメラルド・タブレット』の中に、
次のように書かれてあります。


沈黙は、偉大なる価値あるものなり。
ことば多きは何らの益もなし。


沈黙は進歩への大なる鍵である。
沈黙でもって汝自身の内に力を保持せよ。


我々は喋ることによって力を放出している。
沈黙はこの逆である。

何かを計画していても、それに着手するまでは
他言してはいけないというのはこの沈黙の教えによる。


「沈黙」という叡智は、古代グノーシス派の中で
受け継がれて来たものであり、口伝によって、
教え伝えられて来たものです。

この叡智は、永らく、2000年間、
厳密に隠し通されて来たもののひとつであり、
私たちの、いま・この時期のために公開する機会を得て、
ここに明かします。

このようなものを明かす理由は、その伝承者が、
地球地表上に、ひとりもいなくなってしまったいま、
これ以上、口伝のままにしておいても意味がないから、
隠し通しておく意味が全く無くなってしまったからです。

宇宙の波に乗り、アセンションを果たし、
「弥勒の世」の世界に入る方々には、
このような内容も、知っておいて頂かなければ、
困るからです。

しかしながら、この叡智を受け取ることが出来る者は少なく、
それは、最後まで実践行動に及んだ者にのみ、
その王冠が頭(こうべ)に授けられる。

つまり、これを、ただ肉眼で読むだけでは、
頭で理解するだけでは、全くもって得るものなし、
と云われています。

それは、“不言実行”によって、“守り通す”ことにあります。

また、この叡智は、単に、黙ってしゃべらないという意味ではなく、

“隠密のうちに実行されたのち、成就を果たす”

そして、

“右手が行なうことを、左手に知られてはならない”

というものです。

偉大なる計画があり、それを遂行しようとするときに、
そのことを誰にも話してはいけないし、知られてはいけない。

何らかの計画があることすらも知られてはいけないし、
自分自身が、それを知っているということすらも、
知られてはならない。

これは、錬金術の最終過程にある奥義であり、
錬金術を学ぶ者であれば、どなた様であっても、
必ず、クリアしなければならない最終課題試験です。

この最終課題試験をクリアすれば、
あなたは、本当の錬金術師となるための印が与えられます。

その印を、あなたに与えるのは、
地球内部世界の中心地「シャンバラ」にいる、
シャンバラ・マスター144人のうちのひとり、
ヒンドゥー神として知られています、
ガネーシャさん、その人です。

彼の身体の皮膚の色彩は、
水色よりも少し濃い程度の青色なので、
決して、見間違えないようにしてください。

彼が、ハッキリと目の前に現れて来て、
あなたが日本人であれば日本語で、
あなたがアメリカ人であれば英語で、
といった具合にハッキリと、あなたの母国語でもって、
あなたに伝えられます。

最善なるスピリチュアル・ガイドたちの言葉は、
いつでも、何となくや、気のせいでは有り得ない、
ハッキリとした言葉で伝えられます。


あなたが、この、“沈黙のレッスン”を
日常生活の中で活用するのであれば、
例えばの話、「内なる声」を通して、
“宝くじで大金が当たる”という直観を受けたとします。

これは、自分自身の思い込みで、
宝くじを買って大金を当ててやろう、
だとかいうものではないです。

あくまでも、直観的に受け取ったメッセージとしてです。

あなたは、そのとき、宝くじを買うことも、
買おうとすることも、誰にも話してはいけないし、
知られてはならない。

その後、宝くじを買ったことも、
何処かに仕舞って保存してあることも知られてはならない。

これを掟として、絶対的に守り通さなければならない。


宝くじの例では、現実離れしてるだろう…
と云われてしまいそうですね★

それでは、例えば、あなたが、
絶対に逃したくない異性と出会ったとします。

何とかして、その彼や彼女と結ばれたい、
結婚したいというほどの運命的な出会いです。

ふたりは想い合い、慕い合っていますが、
遠距離恋愛、あるいは、お互いの仕事が忙し過ぎて、
それは、愛を育むための試練なのか困難なのか、
よからぬ邪魔が入ったり、擦れ違いがあったりします。

しかし、それを、絶対的に祈願成就したいのであれば、
ふたりが出会って、知り合ったこと、その後、
恋愛中であることなどを、誰にも知られてはならない、
気づかれてはならない、ということです。

確かにその願望が成就するまでは、
沈黙を保たなければならないということです。

ただ、この場合、芸能人や有名人など、
プライバシーがないような立場にある方々には、
困難を極めるかもしれません。

それが、「未来のヴィジョン」を観て、
誰の目から観ても最重要な出会いなのであれば、
お節介な光の住人の誰かが、シールドを掛けて、
あなたがたを守護するかもしれませんね★


「沈黙」はまた、一国の危機管理にも応用出来ます。

私たちのいま・この時期には、宇宙全体の大転換、
及び、私たちの太陽系と、地球のアセンション計画だけは、
決して、避けて通ることの出来ない大イベントです。

そのとき、

★何を守り通すことが、地球と宇宙の発展に貢献するのか

ということを、第一に考慮に入れておく必要があります。

私たちの時代は、「隠し事の出来ない」時代へと突入しています。

「隠すこと」は、沈黙とは違います。

ですから、「隠すこと」に焦点を置くのではなく、
「何を伝えて」、「公開するか」に焦点を置きます。

そこでは、「真実を知らせる」ということを、
魂意識からの、純粋な想いで発信する必要があります。

あるものについて、隠しておくべきか、
公開するべきものなのかは、そこに、

★天意があるかどうかを検証確認してください

天意があるものには、如何なる場合においても、強力な守護があります。

少数ながら、まだ、闇の残党勢力が残っています。
それに加担する獣たちが増加しています。

この場合の沈黙とは、もちろん、
単に黙ってしゃべらないという意味ではなく、
“感情の沈黙”です。それは、

★自分自身に自信を持つこと
★動揺しないで、不動心でいること
★怒りに翻弄されないこと

です。

獣と化した者たちは、人間の姿のままであり、
私たちの見た目とは、何ら変わりがありません。

ただ、魂が抜けています。

獣たちは、怒りで挑発して、
私たちの心を翻弄してきます。

その怒りに対して、怒りで返してしまっては、
彼らの思うつぼであって、彼らは、
世界中を、混乱状態に陥れたいのです。

獣たちの前では、心を動かしてはいけないし、
一切の感情を止めてしまわなければなりません。

また、情けに溺れてもいけないし、
情に流されてもいけません。


これ以外の例であっても、あなたが、
絶対的に成就させたいこと、人生生活の中で、
これ以上の出来事はないだろうというほどの、
最も重要なイベントを成就させたい、というときに、
この、“沈黙のレッスン”を行なうのであれば、
それは、必ずしや、成就されることが約束されます。

なぜならば、それは、宇宙の法則に
純粋に従った結果を受け取るのに過ぎないからです。
 
 
”少数ながら、まだ、闇の残党勢力が残っています。
それに加担する獣たちが増加しています。

この場合の沈黙とは、もちろん、
単に黙ってしゃべらないという意味ではなく、
“感情の沈黙”です。それは、

★自分自身に自信を持つこと
★動揺しないで、不動心でいること
★怒りに翻弄されないこと

です。

獣と化した者たちは、人間の姿のままであり、
私たちの見た目とは、何ら変わりがありません。

ただ、魂が抜けています。

獣たちは、怒りで挑発して、
私たちの心を翻弄してきます。

その怒りに対して、怒りで返してしまっては、
彼らの思うつぼであって、彼らは、
世界中を、混乱状態に陥れたいのです。

獣たちの前では、心を動かしてはいけないし、
一切の感情を止めてしまわなければなりません。

また、情けに溺れてもいけないし、
情に流されてもいけません。”
 
という箇所はよくご紹介しています。
感情の沈黙です。
 
私自身も獣化した悪質な人からよくストーカーされ、
発信内容をパクられた上に、
私が間違ったことを発信している様に、
歪めて、ネガティブキャンペーンをされます。
生霊もよく送られます。
 
二元性に留まっていると、
全ての人に好かれて誰かに攻撃されることはない、
という風に思い込んでしまうことがあります。
私も完全な善人、善良な人にならなくてはいけない、
と考えていた時期がありました。
 
今は何を基準に善人、善良とするのだろう?
善人がいるなら誰かを悪人としている訳だけれども、
悪人を創り出す私は善人と言えるのだろうか?
という風に考えられるようになってきました。
 
統合というのは段階があって、
構築していくものです。
 
 
例えば、一般ニュースを見ていたときに、これほど、
どんよりとした気持ちにさせられる情報の垂れ流しには、
未来に、希望の欠片も見当たらないように、
観じてしまう方も多いのではないでしょうか。

それは、表側の現象・事象のみを捉えているからです。

地球物質界は、二元性の世界ですから、
表側からだけのメッセージのみ、ということは有り得ないし、
そのような片方だけの観方をしていては不健康です。

思考も感情も意識も、健康になるためには、
裏側の現象・事象も同時に、捉える必要があります。

そこに、霊的なメッセージが含まれているからであり、
希望のメッセージは、その裏側にこそ潜んでいます。

普通の人は、その表側の現象・事象だけに目がいってしまい、
怖れや不安に偏ってしまいます。

ですから、必ず、裏側の現象・事象に
目を向けるように心掛けることです。

私たちのいま・この時期では特に、
数字という数霊でのメッセージが、頻繁に、
分かりやすいように提示されています。

それと、場所の地名や名称が、
「キーワード」になっていることが多々あります。
 
物質的なものと霊的なものを統合する、
というのも二元性を超えるということになります。
何かしら起こったことには原因となるものがある、
原因は霊的な領域にある、というのが仕組みです。
だから表面だけを見るのではなくて、
それが起きた意味はなんだろう、
霊的な原因なんだろうと考察してみる、
裏側に目を向けることが重要です。
 
 
続けて指摘したyutaka信者の一人が、以前、

PTAの役員をしていたらトラブルが続いて、

同じ委員会の人の悪口をツイッターで綴っていたんだけど、

まだそういう統合していない段階、

外側に敵を創り出している段階なんだなと、

思っていました。

これは霊的な成長の一つの過程なんだけど、

本人にとっては、相手が悪くて自分は悪くない、

目覚めてないとかこの世界のルールに従った人達、

といった解釈なのでしょうね。

 

確かに地表上のルールはルールでありますが、

宇宙法則はどこにでも誰にでも働いていますので、

敵の様に感じる、相手が悪い様に感じるのは、

どんな状況であっても二元性を克服していない、

という証拠なんですよ。

 

宇宙法則には例外は存在しませんので、

相手が悪く感じる時はいつも自分の内側を投影しています。

その原因は何なのか?

自分の内側に何が隠れているから、

その様なトラブルが起きるのか?

 

私は小学校と中学校のPTA役員を随分前に引き受けましたが、

トラブルは起きませんでしたよ。

なぜか上手くいく、面倒な仕事が直前でなくなったり、

黙っていても協力者が増えたり、

絶妙なタイミングで助けられたり。

何人かの人からは、あなたと会えて、

こうやってお話出来ただけでも、

PTA役員を引き受けて良かったと思えるとか、

あなたの話を聞いていたら感動してしまって、

涙が出てきたとか、

褒められる、感謝されることがありました。

自分は特別な何かをしているつもりはないし、

その都度、思ったことを話したり、

出来ることをしただけだし、

大勢の前で話さなくてはいけない場面では、

慣れていないので頭が真っ白になってしまって、

何を話したのか全く覚えていないのにも関わらず、

素晴らしかったと賞賛されました。

 

勿論、陰で悪口を言ったり、

文句を言ったりする人達もいますけれども、

本気で嫌な人は何が何でも引き受けないので、

ある程度覚悟した人達で行ないますし、

根底には子どもたちの為にという共通した思いがあるので、

どこかしら妥協点は見つかるものです。

手の施しようがないほどの役員同士でトラブルを起こす、

なんてことは私は聞いたことはなかったし、

巻き込まれたこともなかったので、

上記の人の悪口を読んだ時には驚きました。

 

もし本当にスピリチュアルな事柄を学んでいるのなら、

その出来事から内観して、

どうしてこのような事が起きたのか、

そこから何を学べばいいのか?という方に進むはずです。

ステップアップのチャンスだったんですね。

でも、ひたすら文句、自分は悪くないのオンパレードで、

流石yutaka信者だな!

まったく統合に向かわないし、あいつが悪いこいつが悪いで、

人を見下して教祖そっくりだなと思いました。

 

私はこういった悪質なスピ系教祖様、

スピリチュアルリーダー気取りの人達自身が、

自覚して、間違いを認めて、方向転換し、

信者達ごとひっくり返ったらいいのにな、

と思っていました。

その為に、この何年か参考になりそうな資料は、

こちらで提供してきましたけれども、

悪用しかされず、盗れるだけ盗って、

立場が悪くなると慌てて攻撃するという、

とことん落ちた闇側の生き方しか出来ないんですよね。

傲慢さの克服が出来ていなくて、

柔軟性や素直さに欠けるからですね。

本当に残念だなと思います。
 
 
最初の段階が徹底的な反省なんですね。
これをまだ経験していないと思います。
 
何故、反省なのか?
法則を理解するとまず反省になるんですよ。
それが起きていない、
ということは理解出来ていないんですね。
自作自演が分かるのか?
 
スタートラインにも立っていない様な人達が、
上から目線で、あーだこーだと講釈を垂れるのがスピ界隈です。
分離意識云々という例を出しましたが、
それがどういう意味なのかな?
ということすら分からず、
いい気分になって思い込みの持論を展開してしまうので、
矛盾だらけ、穴だらけになってしまいます。
統合意識領域に到達すると、
反対側も同時に見えるので、
自分の意見は整合性が取れているのかな?と、
すぐ確認するようになります。
 
銀河ネットワークさんの過去記事には、
下記をご紹介していますが、
 
人類の共通的な指針として、
統合状態から分裂させて再び統合することによって、
原初の統合とは異なったまったく新しい統合を行うことが、
青写真として情報保管庫に刻印されています。

新しい統合を行うためには、
過去の数々の出来事のすべては必要であったということの認識、
そしてすべての出来事に偶然は無く
完璧に進行しているということを理解する必要があります。

(ちまたで計画が遅れていると思えるのは、
特定の時間概念に囚われているためにすぎないということです。)

今回の地球における変容は、
地球が存在しているこの銀河系だけでは無く
他の銀河系の変容とも時間軸で重なっていることから、
今回地球に転生している人類は、
純粋にこの銀河系領域内での経験を積んできた魂の他に、
この銀河系内の相反する領域での経験を積んでいて尚且つ、
別の領域(統合された人類)の記憶を
保持している魂たちも転生しています。

複雑な現状を打開するためには、
個々に統合領域の意識を活用することが必要になります。

人類には5感および6感が備わっていますが、
統合領域の思考で物事が対処出来るようになると
第7感にアクセスが可能となり、
集合意識と共有することが可能になります。

銀河ネットワークの情報保管庫にアクセスするにも、
この統合領域の意識を活用する必要があります。

統合領域の意識とは、
三次元的に表現するのはとても難しいのですが、
要約すれば物事を複数領域の視点
(意識・感情)を同時に意識しながら
物事を理解するということです。

(左右中心・陰陽統合など相反するエネルギーを
各々すべて同時に理解するということです。)

そしてその意識エネルギーが作用することによって、
個々の事象やプロセスを開放することも可能になります。

統合領域の意識エネルギーは集合意識と結びついているので、
3次元から他次元の存在領域の
偏った波動状態をも開放することが可能です。

これらのことを実際に日常生活で活用出来るようになると、
一人一人が依存から自立へと意識がシフトし
洞察力が増して寛大な存在となり、
過去領域と未来領域へも自らが影響を与えることが可能になり、
情報保管庫の情報シナリオをも
書き変えるることが可能となります。
 
新しい統合を行うためには、
”すべての出来事に偶然は無く”
とありますが、
自分に必要だから起こってきた出来事を、
あいつのせい、自分は悪くないとやっても、
また別の形で似たような経験をすることになるんですね。
 
”善念を返し、悪念を変化させて完全化する”
とありましたが、
どう考えても自分に落ち度はない、
濡れ衣だと感じるような出来事ですら、
自分がそれを経験したいから創造した、
というのが宇宙法則になります。

その根本的な原因は自分が何かしらの理由で、

求めていたからということになります。
 
それが理解出来ないうちは、
二元性を克服はしていません。
 
嬉し楽しを現実に映し出すという記事を書きましたが、
まるで理解出来ない人というのは、
それはそれで仕方がないんですよ。
随分気に入らない人がいるんだなと思って観てますが、
まず行なうことは二元性の克服です。
次の段階の話を書きました。
 
 
「聖書の真義」(M・ドーリル博士著)の”マタイ伝 第七章”には、
下記の様な教えがあります。
 
第二十四節から第二十七節までの
建物とその基礎についての譬は、
イエスの父ヨセフの大工業の影響が
イエスの考え方に影響しているのである。

大工の息子であったイエスは、
家を建てるということを、
人間の品性品格をつくりあげることの
シンボルとして見ることが出来たのである。

人の宗教や信仰は、何ものに対しても
絶対不動の基礎の上にたてられなければ
ならないのである。

唯一不動の基礎とは、真理そのものである。

もし、人間という家が、真理という基礎の上に
たてられれば、疑惑という嵐や、不信心という攻撃にあっても
微動だにしないのである。

イエスの言う岩の土台とは、イエスが教えた
神秘的教義の真理のことである。

もし、人間が自分の家(人生)を建てるのに
与えられた真理という土台を持っていながら、
それを避けて、横の方へ行って偽りの教えという
似非真理の砂上に自分の人生という家を建てれば、
人生におけるいろんな嵐が吹きつけて、
基礎の砂を洗い流し、家をも崩壊さしてしまうであろう。

そうすれば、その人はもはや身を守る場所が
なくなってしまうであろう。

 

”もし、人間が自分の家(人生)を建てるのに
与えられた真理という土台を持っていながら、
それを避けて、横の方へ行って偽りの教えという
似非真理の砂上に自分の人生という家を建てれば、
人生におけるいろんな嵐が吹きつけて、
基礎の砂を洗い流し、家をも崩壊さしてしまうであろう。”
というのは、本当に大事な教えだと思います。
 
せっかくここを読んでいるならと思うのですが、
反発、怒りしか起こらない訳ですよね。
間違いなく、それは二元性を統合していない、
お題にした人風の言葉で言えば、
分離意識の状態ですね。
少しずつでも自分の見たくない心の闇と向き合って、
統合に向かうことを祈っています。