霊的な成長に必要な心と魂の浄化について、

何回かに分けてヒントになりそうな情報を、

ご紹介しています。

 

同じ志を持った方々と共に、

宇宙法則や真理を学んで、実生活に活かして、

意図的に創造していきたいと思っています。

 

心と魂の浄化について3
 
 
「徹底的な反省」 と 「あらゆるものに感謝」、
 「相手も自分も許す」 という
三つをご紹介しました。
 
誰かに感じることは、自分の投影だった、
ということが本当に理解できる様になると、
自分の傲慢さや至らなさ、情けなさが、
見えて来るようになります。
等身大の自分が見えて来る感じです。
今までの経験があったからこその気付きだなと、
感謝の気持ちが湧いてきて、
否定してきたことを、肯定的に捉えるようになります。
そうすると、自分のことや、他の誰かのことも、
許せるようになってきます。
下記はある方のブログ記事になります。
 
心と魂の浄化について その4 「嫉妬のループを抜ける」

前回の「許し」と同様に難しいものに、
「嫉妬」、「傲慢」があります。

「嫉妬」は、人との関わり合いの中で、
常に相手と自分とを比較してしまう
ところから発してしまいます。

自分も相手も尊重しつつ、
それぞれの個性を認め合うことが
大切なのではないでしょうか。

それぞれがユニークな存在なのであり、
自分と他人とは決して同じではないのです。

ここで同じではないと申しますのは、
例え性別が同じであったとしても、
生まれた環境も違えば、育った環境や過程も違います。

共時性や波長の関係で
出会ったわけではないのでしたら、
学ぶ課題も違います。

共時性や波長の関係で出会った相手で
同じ学びの課題があったとしても、
相手のユニークな個性を尊重し認めてあげる
ということは大切なのではないでしょうか。

あの人はあんな風だとか、こんな風だとか、
いちいち、相手と自分を比較しているようでは、
そのネガティヴなループ、循環からは、
永遠に抜け出せないでしょう。

あの人のようになりたい
あの人のように脚光や名声を浴びたい
あの人のように恵まれたい
あの人のように素敵に輝きたい…

これらのような、相手に対する羨望の眼差しの裏返しが
「嫉妬」の気持ちに向かいます。

これまでの世界でしたら、
その相手をライバルとしたり、
敵役に仕立て上げることで、
自分自身に発破を掛けて努力し
その相手のような存在位置に近づく
という思考に向かうことがありました。

しかし、どんなに頑張ってみても、
その相手とまったく同じにはなれません。
それぞれがユニークな個性であるからです。

同じような状態にもっていくことは可能だとしても、
本当のライバルや敵とは自分自身である
というところに立ち会っていかないと、
本当の自分自身を輝かせるには、
遠回りをし続けることになるでしょう。

そして、その本当の自分自身を輝かせる過程・結果で、
自分自身にとって相応しい恵みが
惹きつけられてくるのでしょう。
 

嫉妬というのは、自分と他人を比較することから、

起こりますが、

違って当たり前と考えていたら、嫉妬することはありません。

 

下記の箇所をご紹介しましたが、

 

古代のカバリスト(ヘブライの神秘哲学者)は、
神を無数の光線を送り出している大きな提灯に例えている。

その一つ一つの光線が一人一人の人間の体内に入って
活動意識、つまり、魂となっているというわけである。

我々はこの例によっても、すべての人間の魂は、
究極的には一つの大きな光炎から出る
光線群だということが理解できるのである。

ある部分の光は薄暗く、ある部分は弱々しい光であっても、
本源的にはその光源は光輝燦然としているのである。

全人類の全ての魂が一つの渕源をもつ
ということを理解すれば、
全人類は兄弟の様なものだという結論になるのである。

我々がこのことを悟ると、
他人の足を引張って妨害することは、
結局は自分自身の足を引張っているのだということが
分るのである。

だから自分自身の言動に慎重にならざるを得ないのである。

人間の向上にとっての最大の障害は、
利己的であって没我的でないということである。

ある人がその家族に贅沢で満足な暮しをさせていると、
自分自身で誇らかに思い、たかぶる気持になる。

彼の関心はもはや他人の賞賛だけである。

それが真実だろうと観念的なものだろうと
賞賛のみを求めているわけであるから、
その人はもはや没我的立場を離れて
利己的立場になってしまっているのである。

人間のなす行動の九十九パーセントは
利己的動機にもとずいていると言っても
過言ではない。

我々が大師(マスター)と接する前に、
この利己心というものを除去しなければならないのである。

利己主義は人間の個別感から生ずるものであって、
人類一体観から出るものではない。

全世界の全人類の本質的一体化を心底から悟っておれば、
自己の同胞隣人になした行為は
自己になしたものと同一の結果であることが
理解できるのである。

即ち、その人がいくらか成長すれば、
宇宙もまた、その分だけ成長するということに
なるのだからである。
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 

”利己主義は人間の個別感から生ずるものであって、
人類一体観から出るものではない。
全世界の全人類の本質的一体化を心底から悟っておれば、
自己の同胞隣人になした行為は
自己になしたものと同一の結果であることが
理解できるのである。”

とある様に、私もあなたも同一である、

神の分霊である、全体の中の一部である、

といった捉え方が出来ていれば、

張り合おうという気持ちもなくなります。

 

これも統合意識を構築していく中で、

嫉妬という感情がなくなっていくのですが、

善い悪いという判断がある二元論で、

ものごとを考えていると、

相手が持っていて、自分が持っていないと、

悪いことだと考えてしまいます。

 

例えば、勉強が出来る子と出来ない子がいて、

比較するとします。

勉強が出来る子が善い、出来ない子が悪い。

だから勉強が出来ない子は、

出来る子に嫉妬します。

 

でも、それはある一部分だけを比較しているから、

善い悪いが発生する様に見えるだけです。

 

勉強は出来るけど、運動は出来ないかもしれない、

勉強は出来ないけど、運動は出来るかもしれない、

もっと視野を拡げて見ると、

それぞれ善いところが沢山あるのが見つかります。

得手不得手があるのは、別に悪いことではないですよね。

得意を伸ばせばいいのだし、

好きなことなら、どんどん成長しますよね。

それに伴って、不得意に感じたことも、

楽しめるようになるかもしれません。

 

そもそも、勉強が出来る子が善いとか、

出来ない子が悪いといった視点でさえ、

そう言った人自身の個人的な視点であって、

気にしない人は勉強が出来るかどうかで、

人を判断しませんよね。

 

勉強が出来るとか出来ないとかで、

人を判断しないで!と言う人がいるとしたら、

あなたの現実にはそういう人が現れたんだねと思います。

私はそういう人がいたとしても、

気付かない、気に留めないと思うのです。

そもそも興味がないからです。

自分自身が何も気にしていないからです。

判断しているのは、実際は誰なのでしょうか?

 

もし誰かに、勉強が出来ないと笑われたとします。

自分がその時、勉強が出来なくて恥ずかしいと感じるなら、

何故そう思うのか、自分と向き合ってみます。

 

もっと勉強が出来るようになりたいと思うから、

恥ずかしいと感じたのか。

人から笑われたことが恥ずかしいと感じて、

実際のところ、勉強が出来るとか出来ないとかは、

それほど気にしていないのか。

 

笑われたのが恥ずかしいとしたら、それは何故か。

私なら笑う人の方がずっと恥ずかしいと思いますけどね。

他人の顔色を窺っている自分の姿が見えてきます。

どんな自分なら恥ずかしくないのか?

それが、他人の言動に左右されるものなら、

本当にそれが望みなのか、よく考えてみましょう。

 

こういった形で内観していくと、

勉強が出来るとか出来ないとかで、

善悪判断されたということでさえ、

ネガティブな出来事ではなくて、

ポジティブな出来事に転換されます。

 

嫌だなと思う出来事があったからこそ、

どうにかしたいと内観するきっかけになった。

言い換えれば、

内観したかったから、

自分の本当の気持ちに気付きたかったから、

ネガティブだと感じる出来事を引き寄せたのだ、

という風にも捉えることが出来ると思います。

 

自作自演なのです。

 

私はスピリチュアルにハマった始めの頃は、

霊感がある人、霊視が出来るひと、

チャネリングが出来る人などを、

羨ましく思って、いつかそうなりたいと思って、

嫉妬を感じることもありました。

 

霊的な学びを進めていくと、

確かに霊的な現象も起きてきますが、

相変わらず0感で、霊視も出来ないし、

チャネリングも出来ません。

でも、法則や真理を理解する様になると、

自分が羨ましく感じていた人たちが、

本当の能力を持っていたのかな?

という疑問が湧くようになったのです。

 

どう考えても辻褄が合わないとか、

嘘としか思えないということが沢山あります。

その人の言う存在とのやり取りで、

そういう言葉が出て来るとは考えられない。

あの人はチャネリングをしていると言うけれども、

宇宙情報を取得するには、

決まったルート(関所、玄関)を通る決まりがあるのに、

それを無視しているなんて、あり得ない。

妄想か病気だろう。

みたいに、色々分かってきます。

 

羨ましいと思うより、

危険が多いな、気を引き締めようと思うようになります。

 

そもそも、自分に自信がないから、

特別な何かの能力があるといいなといった、

憧れの気持ちを持っていた様に感じます。

自分に自信を持つというのは、

特別な何かの能力を得たから持てるのではなくて、

誰かと比べて優れているから持てるのではなくて、

自分自身を信じる様になる、

誰に何を言われても、私は私だと、

自分だけは認められるようになることから、生まれてきます。

他の人がどうなのかは関係ないし、

何かを得るか得ないかというのも関係ないのです。

 

スピリチュアル初心者は、

特別な能力を得ようとしたり、

特別な能力がありそうな人の話を鵜呑みにしたりします。

私自身も経験しましたが、

霊的な成長をしていくと、

霊的な能力も発達するでしょうけれども、

それは現実生活に必ず反映されるものです。

 

他の人が確認出来ないような、

チャネリングやビジョンが浮かんだとか、

何かが見えたといったことは、

妄想や思い込みの可能性が高いです。

 

現実的に反映されるというのは、

霊視だったら、目の前にその人がいないのに、

まるで見えている様に話せるとか、

誰にも伝えていないことを知っているといったことがあります。

現実的に確認出来ることを当てるのです。

 

例えば、神社に呼ばれるといったことだと、

瞑想していたら神様が出てきて呼ばれました!

といったことではなくて、

現実的な人に地図を見せられて、

ここへ行きたいのだけどと相談されて、

行き方をしっかり覚えることになって、

興味を持って、結果的に参拝したとか、

知り合いに、すごくいいところだから、

ぜひ行ってみてと勧められるとか、

家の前にその神社のお守りが落ちているとか。

色々な想像出来ない様なパターンが沢山ありますが、

現実的にこれは呼ばれているなと思うことが起きます。

 

また、知らないところへ参拝に行っても、

現地の親切な人が声をかけてきて、

その神社まで案内してくれる、

ということも沢山起きてきます。

 

呼ばれるというのは、本当に、

行かなくてはいけない様な、

結果的に行くことになるような、

現実生活の中で不可思議な事が起きて来るのです。

 

これは神社に呼ばれるということに絞って、

説明をしましたけれども、

ちょっとあり得ない様な偶然が重なって、

導かれたという感じで、

現実的にものごとが起きてきます。

 

あなたには聞こえないかもしれないけど、

霊的な存在と話しているのよとか、

私にはあなたのオーラが見えるのよとか、

ビジョンが浮かんでメッセージを受け取ったのよ、

ということは、

現実的には確認出来ないし、

その人にしか分からないことですよね。

 

そういうことも起こってくるかもしれないけれども、

現実的には確認出来ないようなこと、

現実の生活に活かせない様なことは、

重要ではないですよね。

 

他の人には確認の出来ない、

でもその人自身が見えている、聞こえていると信じる、

霊的な現象に一喜一憂したり、

夢中になってしまう人は、

地に足が着いていません。

こういう人は、ネガティブな存在も受け入れてしまい、

操られる可能性もありますので、

注意が必要です。

 

 
また、以前もご紹介しましたが、
「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)には下記の様な教えがあります
 

わたしは、精霊にとりつかれていた
ある婦人を直した。

その精霊どもは、
はじめは彼女の好きなものをもたらし、
彼女の良いことのために力をかしてくれた。

だがしまいには、
完全に彼女を支配下におき、
彼女に何を別のことをさせようとした。

彼女が手紙で、わたしにこんな憑霊状態から
救い出してもらえないかと言って来た。

もう、精霊どもの来るのを
とめられないのだというのである。

初めは、彼女の方がその現象にものすごく
熱中したのであり、
今は逆に取りつかれてしまっている
というのが手紙を見てのわたしの判断であった。

わたしはその女に会ったことがなかったので
どんな女性か知らなかった。

何が彼女に入り込んでいるのか分らなかった。

しかし、わたしは、その様な精霊どもの従う
原理原則を知っていた。

彼らはまず、本人から信用を得る。

それから取りつく。

それからその本人の意志を
自分らの自由にするというのが常道である。

このようなことは、
神秘学徒にとって適当な指導者がいない場合は、
非常に危険なことであることは、
あなたも知っているはずである。

その様な精霊やネガテブ(悪霊)の取りつく場合は、
まず、人間の信用を得てかかるのである。

そして、その信用を得る場合にさえ、
自分たちは宇宙意識(神秘一体の悟り)を
得ているのだと嘘をつくのである。

これは完全に嘘なのである。

なぜかなれば、本当に宇宙意識を得ている者は、
何事をも何人にも頼むなんてことは
ないのであるから。

その悪霊は、彼女に、
彼女のところへ来ているのは、
マスター(大師、大聖者)であると
言ったのである。

彼女は実際は、そんなことを
よく知らなかったのである。

知っていれば、その様な嘘にだまされることは
なかったのである。

彼女は無言の態度をとったのである。

ほとんどの人々が沈黙と言っていることは、
わたしにとっては非常に危険なことに思われる。

一般の人々はそれによって、
自分自身が何をされてもかまわない
完全な道具としてしまっているのである。

自分自身を護るだけの力と
知識とがないと、何ものかがやって来て、
しがみついて来てあなたを喜ばすのである。

不在者治療をする場合で
沈黙に入る唯一の時間は、
意志と強さと明確な目的とをもっている時である。

神がかり的霊媒になろうとして
坐ることは、一種の沈黙に入ることであるが、
これは危険なことなのである。

彼らはそこに坐って何かを得ようと意志しているのである。

何回も何回も長時間にわたって坐っていれば、
必ず何かがやって来るのである。

あなたが見ようと思っていることは、
例の彼女にもやって来た力であり、
彼女を高めた力である。

最初の内は、すぐにあなたを高めてくれる様な
真の聖者は誰もいないのである。

精霊どもはその人のプライド(誇り)と
エゴ(自我)とに働きかけるのが
その人を支配する最良の確かな方法であることを
よく知っているのである。

その様な精霊どもは、
神秘学徒の誰か、特に財産家をとりあげて
「あなたは過去には大師(マスター)であった」
などと言うのである。

もし、その人が過去世で
大聖者の境(神秘一体境)にまで
達していたならば、それを失なうことはないのである。

そして人生から人生へと化身しても、
そのことを知りながら生まれ更るので、
自分の達したものを失なうことはないのである。

一部の人々は、この宇宙意識を
霊的に与えられたものとして
素直に受け取るが、
多くの人は、失敗するのである。

もし、本当に霊界の大聖者(アデプト)の一人が
あなたのところへ来ているのなら、
そのかたは、あなたの魂を得意がらせる様なことは
されないのである。

例の婦人は、ある程度真実のことを
聞かされたのであるが、
また、大聖者が来て話をしているのだとも
聞かされたのである。

もし、大聖者の誰かが
あなたのところへ来たなら、
その人は決して自分は聖者(大師、マスター)だとは
言わないのである。

我々がその人が
聖者(マスター)や大聖者(アデプト)
でないということを知ることの出来る唯一のことは、
その人が「自分は聖者(大聖者)である」
と言うということなのである。

例の悪霊につかれた婦人の場合は
「わたしは聖者である」と言って
彼女の信用を得たのである。

そして、彼女を支配し、彼女に取りついたのである。

彼女はそれらのために扉を開けたのである。

そして彼らは真理へのまっすぐな道を進ませる代りに
「この道を降りましょう」と言ったのである。

彼女は彼らに抵抗し、わたしに助けてくれと
泣きついて来たのである。

こんな場合にわたしが直してやる唯一の理由は、
そんな状態に知らず知らずに陥った
という場合だけなのである。

何者といえどもその人がみずから選んだものを
取り去ることが出来ないのである。

しかし、今の婦人の場合は、
自分が選んだのでなく、
自分の無知の故にそこにはまり込んだのである。

もし、人がこの様なことを知っていながら、
尚かつ悪霊どもと交わるのは、
ブラックブラザーフッド(悪霊同胞団)と
結びつくことなのである。

そんな人がその中へ入ってしまってから
引き返らせれば、死んでしまうのである。

だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。

その方が、彼らも死をもってそれから逃れるのよりも、
意識的に、その様なものと交わることの
恐ろしさというものを学べるのである。

あなたは、自分のまくところに従って
刈らねばならないのである。

わたしが、今ここで言っていることは、
神の道から悪霊の道へと
転落した魂のことなのである。

そんな人は、自分に大衆を隷属させ、
尊敬を受けたいので、
個人的霊能力を得るために
ネガテブ(悪)の法則に従いますと
悪魔と契約した人なのである。

わたしはここであなたにある力の語(マントラム)
を教えよう。

それは、コ・レ・ゴル(KO-RE-GOR)

ティア・ベル・アメット(TIA-BEL-AMET)
とである。

この二つの語は幻と悪を追放する語である。

もし、あなたが悪霊を追払ったと思って、
それでもって、
その住家(肉体)を清めなかったなら、
その悪霊は、以前の七倍の強さにもなって
戻ってくるのである。

あなたは、自分の家(肉体)を清めるまでは、
悪霊の戻ってくるのをまぬがれることが
出来ないのである。

 
霊的な現象に夢中になることで、
”そして彼らは真理へのまっすぐな道を進ませる代りに
「この道を降りましょう」と言ったのである。”
とある様に、真理の道から外れてしまいます。
 
”こんな場合にわたしが直してやる唯一の理由は、
そんな状態に知らず知らずに陥った
という場合だけなのである。
何者といえどもその人がみずから選んだものを
取り去ることが出来ないのである。”
とあります。
 
もし、これは真理から外れるなと分かっていても、
”自分に大衆を隷属させ、
尊敬を受けたいので、
個人的霊能力を得るために
ネガテブ(悪)の法則に従いますと
悪魔と契約した”場合は、

”引き返らせれば、死んでしまうのである。

だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。
その方が、彼らも死をもってそれから逃れるのよりも、
意識的に、その様なものと交わることの
恐ろしさというものを学べるのである。”
とあります。
 
霊的なガイド達も無理にやめさせようとしないので、
好き勝手出来るからといって、
それが自分にとって善い選択なのか、
正しい道なのか、望みなのかは分かりません。
よく、法則や真理と照らし合わせて、
内観して、確かめるようにして下さい。
 
自分にしか確認出来ない様な霊的な現象を喜ぶという事自体、
自慢したい気持ちがあったり、
満たされない何かがあったりして、
ネガティブな存在が入り込む隙があるのです。
 
 

下記は、銀河ネットワークさんの過去のブログ記事です。

 

現在の地球領域には、

高次領域にアクセスしてリーディングをされている方々(カウンセラー)が

数多く存在していますが、
リーディングカウンセリングの基本的概要を共有させて頂きます。

リーディングカウンセリングの構成は、
情報提供者(カウンセラー)と情報取得者(クライアント)の双方で成り立っていて
高次領域情報ネットワーク(情報保管庫)が基本となっています。

 

そして、カウンセラーの方々は情報取得者でもあり情報提供者でもあります。

プログには幾度となく情報提供者(発信者)のメカニズムについて

掲載していますが、
根本的に高次領域における情報取得に関しては、
自身の魂の経験値と意識レベルの状況によって

取得情報が異なってしまうという認識が大切です。

基本的に魂の経験値が熟していて、

尚且つ意識レベルが向上し統合意識を構築されている方々は、
リーディングカウンセリングに関して

意識が向かうことはありません。

通常、カウンセラーの方々の魂の経験値および意識レベルの方が

クライアントの方々よりも熟している場合が多いのですが、
必ずカウンセラーは

クライアント個人の望んでいる情報が取得出来るとは限りません。

外部からの情報取得に関しての条件として、

クライアントの方々をサポートしている存在の意識が最優先され、
その際クライアントをサポートしている存在は

カウンセラーとクライアントの双方の周波数を分析し
適さない場合は情報そのものを遮断させることがあります。
(クライアント自身の青写真や魂の経験値に影響を与えてしまう場合。)

また反例として、

カウンセラーよりもクライアントの方が

魂の経験値および意識レベルが熟している場合においては、
カウンセラーの情報取得許容範囲レベル以上の情報は

取得することが出来ませんので、
真の本質レベルでのリーディングは出来ません。
(アルシオネを軸としたプレアデス領域の方々が

マゼラン領域の方々へリーディングを行う場合、
存在領域が異なっている為に真の本質レベルでの

リーディング情報を取得することは出来ませんが、
プレアデス領域内情報でのリーディングに限り条件が整えば可能です。)

現在の地球領域でカウンセラーと呼ばれる方々のほとんどが

アルシオネを軸としたプレアデス領域出身者で構成されています。
(プレアデス領域は感情・記憶・二極性の統合が存在課題であるからです。)

ただ、クライアントの方々が今後プレアデス領域を超えていくには、
どのような理由があろうとも

カウンセラーとクライアントという共鳴エネルギー領域を絶たない限り
いつまでたっても旧領域に留まってしまうという理解が必要です。

そして重要なのは、

必ずしもカウンセラーの方々は一般の方々(クライアント含む)よりも

魂の経験値が熟していて、
尚且つ意識レベルが向上しているのでは無いという認識が大切です。

カウンセラーの方々は、

どのようなカウンセリング事情や内容(救済依頼等)である場合でも、
クライアントの方々が存在しているお陰で

自身のリーディングスキルを向上させることが出来るのだという事を認識し、
クライアントの方々には感謝することが大切です。

 

霊能者、ヒーラー、カウンセラーなどが、

そういう仕事をしているからといって、

特別に霊的に優れているという訳ではありません。

その人の学びに必要だから行なっているのです。

言い換えると、お客さんという鏡を沢山必要としている人なのです。

 
それが分かっている人なら、
上から目線で偉そうにすることもないですし、
お客さんを依存させることもないです。
(継続利用などもないです)
 
霊的な能力ということで言えば、
これも人それぞれ得意なことがあり、
それぞれ違うそうです。
微笑むだけで、周囲の人を幸せにする能力とか、
料理を作って幸せにする能力とか、
色々あると思いませんか?
 
自分では当たり前のことをしただけなのに、
誰かの人生に大きな影響を与えて、
救っているかもしれないですよね。
他と比べて自分を否定するより、
自分とは何か?と向き合っていって、
好きだな、得意だなということに、
夢中になって取り組むことで、
嫉妬という感情からも解放され、
自信が生まれていくと思います。
私は私だ、人と違っていいのだと、
自分を受け入れるのです。
自分が自分らしく生きるだけで、
多様性が生まれて、
宇宙の進化発展に貢献することになります。