霊的な成長に必要な心と魂の浄化について、

何回かに分けてヒントになりそうな情報を、

ご紹介しています。

 

同じ志を持った方々と共に、

宇宙法則や真理を学んで、実生活に活かして、

意図的に創造していきたいと思っています。

 

心と魂の浄化について1

 
 
先日の記事の最後に、
ハチドリのひとしずくの動画を貼りましたが、
早速、あっち側認定をされました。
 
そういう人とは確かに立ち位置が違うのでしょうし、
あっちか、こっちかしかないのなら、
私はあっち側なのでしょう。
 
こういった場合、
自分の立ち位置を意識的に選択していて、
確信を持っているのなら、
あなたはそう思うのねでスルーできますよね。
 
でも、あっち側だからダメ!と考えているのに、
気になってしまうというのは、
自分の立ち位置や選択に、
自信を持っているのか、よく内観した方がいいです。
あっちはダメと思えるから、
自分は大丈夫だと安心できるとか。
実際には不安が一杯なのでは?

外側を観察して、

善いか悪いかをいつも判断していますよね。
 
本当は動画そのものではなくて、
記事のテーマ「徹底的な反省」について、
受け入れられない何か、自分では見たくない何かが、
あったのかもしれないですよね。
何故、揚げ足を取りたくなったのか。
何故、否定したくなったのか。
そういった自分自身の本当の気持ちと、
向き合っていくということが、
心と魂の浄化に繋がっていきます。
 
今回ご紹介しているブログ記事の方も、
ネガティブを撒き散らしているといったことを、
よく言われていました。
紹介している音楽の動画の傾向から、
絶対にあっち側だとか。
 
その方が当時、ある政治家について書いた記事は、
一時的にブログが止められてしまい、
その記事は削除されました。
 
逆恨みや裏切り、ストーカーなどの経験を、
記事にされたこともありました。
 
2ちゃんとか他の方のブログのコメント欄とかで、
その方について情報交換したことが沢山あったのですが、
名前を出すと必ず、大荒れするという流れになりました。
また、私も、自分のブログ記事などで何度かご紹介しましたが、

気が狂った様なストーカーが現れることがよくありました。

 
霊的に言うと、闇が集まってきてしまう、
という状態です。
これも引き寄せの法則が働いているのですが…。
(霊的な防御はされていたそうです)
 
ネガティブなのはどっちなのかな?と思います。
何故、そうなってしまうのか?
鏡なので、自分の内側の闇と対峙させられるのです。
 
この方も、そういった人達に対して、
”すべてを他人のせいにして、
自分自身の「心の闇」と向き合って来なかったという、
極めて、残念の者たちです…”
と伝えていました。
 
自分の見たくない部分と向き合うのは、
とても苦しいものだし、
私も何度も吐いたり、泣き崩れたり、
しばらく立ち直れなかったりとありましたので、
個々が覚悟して、腹を括って選択するものだと思いますが、
それを避けては、
心と魂の浄化には繋がらない、
ということだけは断言できます。
だから、一日でも早く、向き合って欲しいと思っています。
 
 
下記はある方のブログ記事で、続きになります。

 

 

心と魂の浄化について その2 「あらゆるものに感謝」

心の底から猛省をして、
どのような他人に対しても
うやうやしい気持ちを獲得できるようになることが、
心と魂の浄化だと云えるでしょう。

このことが出来るようになりますと、
自我(エゴ)といったものが軽くなってきます。

それは、内なる光を見出す第1歩です。

これが出来なければ意識の上昇は望めないでしょう。

感謝の想いも、自分が気分の良いときや、
都合の良いとき、好きな人や物に対してだけの感謝は
当然のものでありまして、嫌いな人やものに対して、
敵と呼べるような人、憎らしいと想える人、
むかつく人、腹が立つ人などに対しても、
心から感謝の想いを捧げるようになるのは、
第2段階でしょうか。

このようなことは、普通に思考したら出来ないことですが、
敵役、ヒール役となってくれた人にも、
重要な役割がありました。

その敵役の人がいなければ、
本当に良いこと、素晴らしいことの意味がわかりません。

いわゆる反面教師ですが、気づかせて頂きまして、
どうもありがとうございます、となります。

「他人は自分の鏡」だということで、
もし仮に、自分自身の中に心当たりがなかったとします。

その場合は、スピリチュアル・テストで、
自分自身がその場面に立ち会ったとき、
どのような対処するかをテストされています。

それが、とても模範的な対応であれば、
このスピリチュアル・テストは合格となり、
もうそれ以上は、同様な嫌な想いをすることはないでしょう。
 
 
感謝というのも、引き寄せ界隈とか、スピ系の人は、
言葉だけで、「ありがとう」を乱発しておけば、
”波動が上がる”とか言いますよね。
色々突っ込みどころ満載な感じです。

 

自分の都合のよい時に、感謝するのは、

誰でも出来ると思います。
でも、善い悪いという判断を手放した時、
この苦しい経験があったからこそ、
あの人がいたからこそ、
気付きがあったとか、成長があったと思えると、
ネガティブに感じていたものに対して感謝する様になります。
 
”「他人は自分の鏡」だということで、
もし仮に、自分自身の中に心当たりがなかったとします。
その場合は、スピリチュアル・テストで、
自分自身がその場面に立ち会ったとき、
どのような対処するかをテストされています。
それが、とても模範的な対応であれば、
このスピリチュアル・テストは合格となり、
もうそれ以上は、同様な嫌な想いをすることはないでしょう。”
とありますが、
鏡といった時に、
相手の姿そのものが自分自身であるとは言えない、
というのが、上記の様なパターンもあるからです。
物質的な鏡ではなくて、自分の内側を映す鏡なので、
よく内観して、
自分の何を映しているのかな?と探す必要があります。
 
スピリチュアルテストに合格できないと、
もっと大きな鏡が用意されるというのが、
お決まりのパターンです。
 
これは引き寄せの法則で考えても、
原因と結果の法則で考えても、
分かると思いますが、
元々の原因そのものを転換していないので、
また同じことが起こってくるのです。
 
だから、もしあなたが鏡を見なければ、
神はすぐ別の人を送ってよこすだろう。

それも前より大きな鏡を。

それはアダマがこの提案をしたからではなく、
ちょうど今、
あなたの進化でそのタイミングが適切だからだ。
もしこれをやり遂げることを選ばなければ、
その鏡はもっと大きく、
もっと不愉快になる。

アダマがこれをあなたに設定しようと
思っているからではなくて、
あなた自身の神聖な本質が
この段階で
あなたのためにこれを望んでいるからだ。
 
「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より
 
という箇所を以前、ご紹介しました。
気付いた時点で対処するのが一番、
楽な方法です。
後回しにすると、大変になるというのを、
何度も経験しています。
自分の人生の中で、いくつも似通ったパターンがある、
というのが見えてくると、
今、目の前のトラブルは、
あれをクリアしなかったからだーというのも分かるのです。
 
 
下記は、銀河ネットワークさんの過去のブログ記事です。
 
宇宙に存在している領域・物質・意識を含む全ての創造物は、
三次元的に表現すれば皆、光そのものに変換することが可能で、
個々に存在している周波数・波動領域が異なっているだけで、
全てが同じ構成要素で成り立っています。

そして、これら宇宙の一部となり
常に変化しながら営まれている全て(陰・陽)の行い・事象等は、
宇宙の創造・進化の為に認められているという理解が必要で、
そしてそれらに対して束縛は無く、
全ては個々の選択に委ねられています。

衣食住や社会事象に限らず物事全般(外部)の特定な行為に対し、
善悪判断を行っている場合は、自身(内部)の周波数を洞察する必要があります。

これらの意識は統合意識のエネルギーとは異なっています。
 
銀河意識におけるバロメーターは、
自身に現れている外部ホログラムに対しての、
個々の意識の有り様です。

また、感謝のエネルギーは銀河意識の整合には必須項目なのですが、
重要なことは、自らが意識的に行うのでは波動が粗く、
自然と内部から沸き上がる時には
波動が精妙になり高次領域と融合するということです。
(意識レベルが向上していると、
単発的で自発的な感謝から
連続的で無意識的な感謝に変化していきます。)

これは意識レベルのバロメーターの一つになっていて、
現在の自身の意識レベルの判断基準に適用することが可能です。

さて、三次元地球領域に存在する人類の肉体につきましての共有情報は、
人類が次元上昇領域に適応する為には、
三次元領域に存在している物理的肉体の周波数で移行することは
物理的に出来ない(拡大範囲に限界があります。)という認識が必要で、
どんなに三次元の肉体を浄化しても
次元上昇領域は構成密度が根本的に異なりますので
現在の肉体ごとの移行は物理的に出来ません。
(一旦、リセットされます。)

移行条件は意識の周波数密度に起因します。

意識の周波数は、
三次元領域や高次領域などすべての領域で変容することが可能です。
(拡大範囲に限界はありません。)

ちなみに、銀河意識レベルの向上値と
現在の地球領域における菜食主義の方々との
意識レベルは比例してはいません。
(全ては個々の意識の有り様です。)

三次元地球領域に転生してきた目的の一つは、
二極性を克服しどのような三次元状況に自身が置かれて居ても、
自身の意識を変換する事で自身の外部ホログラムを変容させる事を
自ら実践・体験・実現させることであるという事を
認識することが重要です。
 
”また、感謝のエネルギーは銀河意識の整合には必須項目なのですが、
重要なことは、自らが意識的に行うのでは波動が粗く、
自然と内部から沸き上がる時には
波動が精妙になり高次領域と融合するということです。
(意識レベルが向上していると、
単発的で自発的な感謝から
連続的で無意識的な感謝に変化していきます。)”
という箇所が感謝についてになります。
意識と周波数が上昇していくことで、
ただ自分が存在しているだけで、
喜びや感謝の気持ちに満たされる様になります。
外界がどのような状態であろうとも、
あらゆるものから祝福を見出すようになるのです。
そうすると、常に幸せな気持ちを維持できるので、
わざわざご機嫌になる必要とか、
ありがとうを連呼する必要もなくなります。
アファメーションとかもしないですよね。
在り方が変わります。
 
”ちなみに、銀河意識レベルの向上値と
現在の地球領域における菜食主義の方々との意識レベルは
比例してはいません。
(全ては個々の意識の有り様です。)”
という箇所も重要です。
天上界、宇宙、神は何も禁止していません。
否定がないので、全て肯定しています。
もし、アセンションだの覚醒だのの為に、
神や宇宙に認められる為に、何かをしようとするなら、
それはまだ二元性を克服しておらず、
他人軸である、外側に影響されていると言えるでしょう。
 

 

下記は、「ライトボディの目覚め」
(大天使アリエル&タシラ・タチーレン著)のライトボディ第七レベルの部分を
抜き出したものです。
 
「私は明日にもアセンションするというだけでなく、
この惑星を癒そうとしている。
私ひとりでも地球を、
そして気の毒なみんなを救い出してあげよう。
私がやらなくては。
全員を光のなかへ引き上げよう。
みんなを自分自身から守り、
カルマから助け出して、闇の勢力から救ってあげるのよ」
といったふうです。

第七レベルにある人は通常はヒーラーや覚醒者、
あるいは自分や人々や地球の救済者として
アイデンティティをもっています。

じつはこれはカルマ的なモナド(単子。
個人的なスピリットをまとめている高次元において
グループソウルのもとになる魂の本質)なのです。

あなたのほとんどの部分が
まだ二元性のなかに存在していることに気づくには、
ちょっと時間がかかるでしょう。

ひょっとするとあなたは、
自分が癒してあげるために地球やだれかを病気にしたり、
自分が救ってあげるために人を迷わせたり、
自分が目覚めさせるために人を眠らせたりしているかも
しれないのです。

それは人が完全に機能しないよう
求めていることになります。

第七レベルでは、すべての存在が
広大で多次元的なマスターであることを
だんだん理解するようになります。

神聖さを探求しているマスターもいれば、
制限を探求しているマスターも
いるでしょうが、
とにかくみんなマスターなのです。

だれもがまさにみずからの望むことを
しているのであって、それでよいのです。

もしもだれかが常に他人の面倒をみたり
守ったりという人生を送っているのであれば、
それは深い啓示を放つことになります。

そしてほかの人たちがみずからのプロセスを歩むのを、
ただ許していけるようになるのです。

ここではほとんどの人々が、おびただしい量の
「スピリチュアルな意義づけ」と
「スピリチュアルな野心」
と呼ばれるものを通り抜けます。

神からの完全な離別という現実の映像は、
肉体の奥深くに恥や罪の意識としてたくわえられています。

人が多次元性にアクセスしはじめたときに
肉体が統合されていないと、この現実の映像を
否定しようとします。

人はしばしばスピリチュアルな形式や
ルールをとり入れたがります。

すべてが「正しい」スピリチュアルなこと、
つまり話すことも身につけるものも
食べ物も「正しく」あろうと努めます。

そして自分の理念に合わないものは、
自分であれ他人であれ、
どんな部分も抑圧するか否定するかしてしまうのです。

精神体は形式やルールが大好きで、
スピリットをしたがわせるための
形式を見つけようと躍起になるのです。

「スピリチュアルな意義づけ」は、
肉体内にたくわえられた恥の意識と
無価値観に対する、精神体の防衛メカニズムです。

「私はスピリチュアルに進化している
(いや、ちがう)。

私は十四万四千人のレインボー・ウォリアーのひとりだ
(いや、ちがう)。

私は今度の土曜日にアセンションする
(いや、ちがう)。

私は天国に行くのだ
(いや、ちがう)」

─「スピリチュアルな意義づけ」
というものには、おのずと排除の性質が
そなわっているのです。

「スピリチュアルな野心」は、
肉体内にたくわえられた罪の意識と無力感に対する、
精神体の防衛メカニズムです。

これにどっぷりつかっている人は、
よく自分のプログラムを押しつけようとして、
躍起になって人をあやつろうとします。

すべてが「最善」で「最高」で「最先端」でないと
いけないのです。

こういう人々は、意見のくい違いがあったり、
何か自分が知らないことを示唆されたりすると、
自分のマスター性が攻撃されたように受けとめます。

そしてぶつぶつ不満を言いつづけ、
他者に非をなすりつけるというのを特質としています。

「僕にはこんなに素晴らしいビジョンがあるんだ。
だから、きみさえこのプランに乗ってくれれば
僕の聖なる目的を実現できるのに。
僕が地上で天国に生きられないのは、きみのせいだ」

とか、

「あなたの映像に欠落があるから、
私の聖なる流れが妨害されてしまうんだわ。
私が貧困にあえいでいるのはあなたのせいよ」

「なんであなたはそんな自分の現実をつくりあげたの?
(どうぞあなたの現実を否定してちょうだい、
そうすれば私は楽になるから。
もしあなたがもっとスピリチュアルに成長していたら、
こんなことは起きなかったはずよ。
だから、あなたは自分で自分に文句を言えばいいわ)」

といった具合です。

「スピリチュアルな意義づけ」

「スピリチュアルな野心」
はエゴの強力な自己防衛です。

あなたが本当に聖なる多次元的マスターで
あることをスピリットが
どんどん現わしていけばいくほど、
それを精神体と感情体は定義と執着によって
個人的な真実として受けとめようとします。

肉体はたいていこれらの発現には無頓着か、
単に受け入れられないかのどちらかです。

すべての人が第七・第八・第九レベルの
どこかしらで、こうした防衛メカニズムに走ります。

多くの人がライトボディ第七レべルで、
スピリチュアルな躁鬱症のパターンにはまり込みます。

あるとき「私は神性なる多次元的存在だ!」
と宣言したか思ったら、
次の瞬間には、「私はなにひとつ、ちゃんとできない!」
と自己の無価値を表明するのです。

こういう人たちは、
多次元的な一体感と、三次元にとどめられている
という分離感とのあいだを、
行ったり来たりしているのです。

ものすごく広大な存在と、
物質によって限界づけられた肉体にいる存在という
パラドックスは、
まさに奇跡的なものです。

この二つの極端さのあいだを行き来する理由は、
このパラドックスを解消しようとするからです。

それは解消できません。

両方の極を同時に保つようにしてください。

両方が完全に存在することを受け入れるのです。

ライトボディの第七レべルの終わりか、
少なくとも第九レベルのどこかで人はこのプロセスが
わかりはじめ、
このパラドックスの中心に生きることが
至福の喜びであることを見出すのです。

あなたは自分のスピリットにしたがいはじめたのです。

あなたがライトボディの第七レベルに入ったとき、
なんとなく「追いついた」という感じがします。

毎日の生活のなかで、あなた自身がスピリットから
機能するようになってきたのです。

自分が生存のための恐怖を出たり入ったりしてるのが
わかるでしょう。

あなたはまるで子供の様に、
何もかも大好きでだれとでも
うまくいく日があると思えば、
別の日には「こりゃ崖っぷちだ」といった恐怖や
生存パターンに襲われます。

二人目の自分がいるような気がすることもあるでしょう。

あなたはこれらのライトボディのプロセスを通して、
二元性をそぎ落しているのです。

あなたは「自分」がはるかに
至福の時を過ごすようになったことに
気づきます。

そしてその状態のまま活動できることがわかるのです。
 
肉食ダメ!というのも、あっち側というのも、
下記の
”ここではほとんどの人々が、おびただしい量の
「スピリチュアルな意義づけ」と
「スピリチュアルな野心」
と呼ばれるものを通り抜けます。
神からの完全な離別という現実の映像は、
肉体の奥深くに恥や罪の意識としてたくわえられています。
人が多次元性にアクセスしはじめたときに
肉体が統合されていないと、この現実の映像を
否定しようとします。
人はしばしばスピリチュアルな形式や
ルールをとり入れたがります。
すべてが「正しい」スピリチュアルなこと、
つまり話すことも身につけるものも
食べ物も「正しく」あろうと努めます。
そして自分の理念に合わないものは、
自分であれ他人であれ、
どんな部分も抑圧するか否定するかしてしまうのです。
精神体は形式やルールが大好きで、
スピリットをしたがわせるための
形式を見つけようと躍起になるのです。
「スピリチュアルな意義づけ」は、
肉体内にたくわえられた恥の意識と
無価値観に対する、精神体の防衛メカニズムです。”
と言う箇所の、スピリチュアルな意義づけに当たります。
 
”あなたのほとんどの部分が
まだ二元性のなかに存在していることに気づくには、
ちょっと時間がかかるでしょう。”
とありますが、
こういう人たちは、自分が、
二元性に留まっている、克服していないという事自体に、
気付くことが出来ません。
 
エレベータ―の4階にいる時は、
4階全体を見回すことは出来ないですよね。
5階に上がった時に、4階全体を見回すことができます。
 
上記の、銀河ネットワークさんの記事も、2008年のものです。
 
古い情報をご紹介しているのが、
気に入らなくて気に入らなくて仕方ない人も居る様ですが、
読まないという選択肢があることを、思い出して下さい。
自分に決定権があります。
 
未だに達成できていない人が沢山いますので、
ご紹介しています。
 

繰り返し教えてきたように、真の霊性はとても単純だ。

すべての情報は小冊子に収まってしまう。

とても単純なので、
ほとんどの人はそれを見ようともしない。

目覚めはじめた人たちは、
常に光の領域からの情報や最新のニュース、
チャネリング、技法、活性化などを
さらに求めている。

かなり多くの人がマインドを通して
このような情報を受け取って、
学んだことをあまり統合しないことに
私たちは気づいている。

あなたたちはこの情報を一度、
場合によっては二度読んだあと、
次の本やチャネリングを検討しはじめる。

そして次に読むものや次に行くセミナーを
できるだけ早く見つけると、
すぐに、読んだことや聞いたことを
ほとんど忘れてしまう。

出合った霊的な教えのうち
本当に統合するのは、ほんの一部にすぎない。

もし、もっと多く統合してそうなることに
専念したなら、あなたたちの大部分が
今までにすでに次元上昇した状態に
なっているだろう。

これらのことすべてを望んでいるのは
あなたのマインドであって、
あなたのハートではないと私たちは言っているのだ。

多くの人はハートをなおざりにして
マインドを養っている。

 

「新しいレムリア」(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より

 

という箇所をご紹介しましたが、
基本的な教えというのは、単純で簡単で、
根本的に同じことを伝えています。
もう既に誰かが過去に教えていたものばかりで、
今、出回っているのは本当に新しいものではなく、
誰かのネタの焼き直しなのです。
私から見ると劣化版といった感じです。
 
自分が理解出来る範囲でしか、
分からないものですから、

焼き直しした人が、元々の発信者の真意を、

理解出来なければ劣化版になります。

それぞれ解釈は変わりますし、

本当のところはご本人にしか分かりませんが、

それでも、近付くには、

経験を積み重ねるしかないと思います。

 

経験が足りないのに文句ばかり言うのか、

あれこれ言う前に、とにかく実践するのか、

そういうところでも、道が分かれて行きます。