霊的な成長に必要な心と魂の浄化について、

何回かに分けてヒントになりそうな情報を、

ご紹介しています。

 

同じ志を持った方々と共に、

宇宙法則や真理を学んで、実生活に活かして、

意図的に創造していきたいと思っています。

 

心と魂の浄化について5
 
 
「徹底的な反省」 と 「あらゆるものに感謝」、
「相手も自分も許す」 「嫉妬のループを抜ける」
「傲慢のループを抜ける」 という五つをご紹介しました。
 
外側は自分の鏡だということを理解すると、
今まで考えて来たこと、信じて来たことが、
全部ひっくり返ってしまいます。
そうすると、反省に至ったり、
感謝するようになったり、許せるようになってきます。
自分という立ち位置がしっかりして、
自分軸になると、
自分と他者の境界線が引けるようになります。
一番難しいと思われるのが、傲慢さの克服です。
霊的な学びを進めると、
自分は目覚めたのだ、悟ったのだ、進歩しているのだ、
という風に思い込んでしまい、
他の人を見下して馬鹿にするようなことがあります。
 

もしあるスピリチュアルな共同体に属する二人が
スーパーマーケットに行き、その一人がまわりを見渡して、
「この人たちを見てごらんなさい。
目覚めていない人ばかりだわ。
かれらには私たちが目覚めていることさえわからない。
私たちこそ、選ばれた人間なのだわ」
と思ったとしましょう。

これは他を批判する行為以外の何ものでもなく、
まさに霊的エゴの仕業です。

その人はアセンションの螺旋を
上昇するどころか下降していますから、
とても危ないことです。

「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 
という箇所をご紹介しましたが、
アセンションという視点で捉えると、
下降している状態だそうです。
 
二元性を統合するというのがまず私たちが目指すことで、
誰かを見下すということは、二元性に留まっていますので、
そういった人は、
自分は目覚めたのだ、悟ったのだ、進歩しているのだ、
と思っていたとしても、実際は全くそうではない、
と言えるのです。
 
アセンションとは、すべてのレベルにおける覚醒と
自己統御を達成するプロセスであり、
自分という存在の全体を上昇させる必要があるのです。

わたしたちはアセンションをそう解釈し、
何千年ものあいだ、そして今現在も
そのようなものとして実践しています。
 
「ハトホルの書」(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より
 
という箇所もご紹介しましたが、
意識、思考、感情をコントロール出来るようにすることが、
大事になってきます。
 
よくスピ界隈、特に引き寄せ界隈の人は、
感情のままに生きるのを善いとする傾向がありますよね。
 
霊的な学びを進める上で、感情のコントロールが重要なのは、
バランスを崩して精神異常や精神破綻を引き起こすからです。
下記のご紹介しているブログの方曰く、
自分の内側を見て、内なる声に耳を傾けている状態でないと、
外界や周囲に振り回されて、精神的に耐えられなくなるとのこと。
恐れや不安を起こしやすく、最終的には、
「魔」のエネルギーに絡み取られて、
心や思考状態を操られてしまう危険性があるそうです。
そして精神状態や脳波を狂わされるそうです。
 
別に界隈を貶めている訳ではなくて、
おかしな解釈を広めて、人々を惑わしているので、
注意を促しています。
何度も書きますけれども、
こういう人達は、良質な本をじっくり何度も読んで、
実践するのではなくて、
ネットや動画などの情報をあちこちから拾って来ては、
都合のよいところだけ切り貼りします。
このブログも、何度も悪用されています。
ネットの情報など誰かの劣化版がほとんどです。
上っ面だけで、表面ばかりを取り繕っているので、
ずっと自分は五次元だ、覚醒したと言っていたにも関わらず、
今更、内観だの思考の転換だのを言い出したりします。
五次元意識に到達しているのであれば、
当然、そんなことは出来て当たり前のはずです。
実際には、自分自身でそれがどういうことなのか?
実践して試してもいない、
言葉だけの理解で、分かった様に人に教える、
という人がとても多いんですよ。
逆に言えば、誰かを頼ったり当てにしたり、
依存したりすれば、ずっと遠回りになる可能性が高いのです。
 
 
下記はある方のブログ記事になります。 
 
心と魂の浄化の過程で導かれてゆく

アセンションを選択された方々にとりましては、
これらのネガティヴな思考や感情は、
打ち消しの訓練を積み、少しずつでも、
無くしていく必要があります。

自分自身の置かれている状態が、
どの程度、浄化されているのか、
また、何処まで浄化すればいいのか、
という疑問はあるかもしれません。

前回ぐらいまでの心と魂の浄化が進んでいたら、
意識の水準はかなり上昇しているはずで、
自分自身の中で、もうひとりの自分自身の声、
「内なる声」が聴こえてくるようになります。

それは言い換えますと、
ハイアー・セルフ、高次の自分自身、
魂からの声などとも云われるでしょう。

それは、頭や心の中心部から、
近くで聴こえるように、それでいて
遠くに聞こえるように観じます。

いつ、何処で知ったのかわからないけど、
いつの間にか知っている、そんな観じもあるでしょう。

もうひとつは、スピリチュアル・ガイドとの繋がりです。
ここまでの浄化が行なわれてきますと、
あなたからは目に見えない光が発信されてきますので、
それを見つけた天使や、
その他のスピリチュアル・ガイドたちが、
文字通り、干渉してきて、サインを送ってきます。

「内なる声」が聴こえるようになったあなたは、
以前に比べて勘も鋭くなってきていて、
いわゆる第六感が冴えてきます。

なんとなく…、もしや…、といった観じで、
スピリチュアル・ガイドたちのサインに気づき出すでしょう。

そこまでいきますと、今度は、
スピリチュアル・ガイドたちに、
具体的な形で導かれてゆきますので、
更なる浄化が必要であれば、
どのようにしたらよいのかも個人的にご教示頂けますし、
自分自身がどのような状態にあるのかも、
夢の中なども使ってご教示頂けるでしょう。

もちろん、スピリチュアル・ガイドたちは、
一切、あなたに対して強制はせず、
アドヴァイスをするに留めますので、
実際の行動・実行は、あなた自身に委ねられています。
 
ガイド達の繋がりというのは、
霊的な感覚だけではなくて、
実際に、現実的な現象としても、
目に見える形で現れてきます。
例えば、呼ばれたと思って参拝した神社で、
参拝した途端に天候が変わって、
拝殿の後ろに縦に稲妻が走り、雷が鳴るといったことが、
何度があります。
神社に向かう道で鹿が出てきたとか、
ご神木から蛇が出てきたとか、
現実的にちょっとびっくりする様な偶然が、
起きてきます。
傍に誰かいれば、これは珍しいね!と言うような、
出来事が繰り返し起きて来るので、
無視出来なくなります。
そこから、ガイド達とのコミュニケーションが始まります。
どんなに落ち込んでも、孤独を感じても、
ガイド達は一人にさせないので、
何かしらのサポートが入るようになります。
 
なんか?外側に反映させるのをやめよう!
とか言う人もいるみたいなんですけれども、
そもそも自分がしようと思っても思わなくても、
そんな知識があってもなくても、反映しているもの、
というのが外側にあるものです。
こういう人は法則というものが全く理解出来ていないんですね。
法則というのは人がどうこうできるものではないんです。
なのに、思考=現実というのが、
法則を無視して、真理をないものとして、
自分の好き勝手に自由に出来るものだと解釈している。
もし、お客さんが真実に辿りつかない為に、
わざとこの様な解釈を広めているとしたら、
相当悪質なもの、詐欺と言えるでしょう。
 

「聖書の真義」(M・ドーリル博士著)の「マタイ伝 第十八章」から、

度々下記をご紹介していますが、
 
自分の所へ真理と知識を求めてくる者に対して、
偽りのことを教え、
つまずかせる教師は、自分自身の魂を
悪に縛りつけるだけでなく、
他人の魂に対してまで偽りという鎖をつけることに
なるのだから、
死よりもなおひどい悪果を受けるだろうところの
業因をつくっているのである。

 

他の人の足も引っ張っているんですね。

天上界からは獣指定されていて、

いつも監視されています。

改心しなければ、精神が破綻していったり、
(この場合は精神病などの薬が効かないそうです)
肉体的な病気になったり、事故に遭ったりします。
 
今、商売系の人にお金を払って頼っている人というのは、
自分の霊的なガイド達とのコミュニケーションが、
上手に取れていない状態だと言えるでしょう。
接続状態が悪いというのかな。
いつも、いつも、傍にいるのだというのが分かれば、
安心感を持つことが出来れば、
誰かを頼ろうとは思わないし、
無駄なお金を払おうとも思わないでしょう。
また、そういう商売をしている人自身も、
ガイド達とコミュニケーションが取れていないのが分かります。
取れていれば、ガイド達が中心になって、
その人を導くのだから、自立を促すと思います。
結局、似た者同士の集まりだと言えるでしょう。
 
ちなみに、上記のブログ記事の方の経験で印象に残っているのは、
参拝した神社の参道に、一列にカラスの羽根が、
一本ずつ地面に刺さっていたという様なエピソードでした。
その記事を読んだ当時は、まさかそんな馬鹿な事が起こる訳ない、
ちょっとこの人はおかしいのではないか?思い込みが激しいのでは?
とドン引きした覚えがあります。
何を言っているんだろう?という感じです。
でも、実際に自分が似たような経験を重ねていくと、
本当だったんだなと分かりますし、
同じ様な経験をする人がいることが分かっているから、
ご自分の経験を伝えて下さっていたんだなとも、分かりました。
それを知らなかったら、ずっと半信半疑だっただろうし、
怖いと感じたかもしれないので、感謝しています。
 
ガイド達はその人が理解しやすいパターンで、
様々な現象を見せて来ると思います。
 
うちの洗濯機は風乾燥機能が付いているので、
タオル類を洗った後は、風乾燥を掛けています。
ある時、蓋を開けたら、カミキリムシがいました。
洗濯機は密閉された空間ではないので、
虫が入り込む隙間は勿論ありますけれども、
外に干していた訳ではない、洗って、乾燥後のタオルの上に、
生きた状態の(足や触覚も無事の)カミキリムシが、
どうしてデーンといるのか?
カミキリムシというのは漢字で天牛と書くそうです。
私はこれがとても自分にとっては重要なメッセージになっていました。
 
また、記事(切り換えの早さが鍵)にも書きましたが、
車の中にカエルが居たり、
家の前にフクロウが居たり(引き寄せ界隈の不思議7
ちょっと不思議な事が起きてきます。
重要なサインというのは、
繰り返し、手を変え品を変え送られてきます。
 
上記のブログ記事の方によると、
アセンションした状態というのは、
DNAが12条完全解除された状態だそうです。
下記は昔、メモを取った内容ですが、シェアしておきます。
参考にしたい方はどうぞ。
 
通常、DNA2条から始まって、
4条→6条→8条と解除されていきます。
解除の条件は心と魂の浄化です。
12条解除で銀河系宇宙人類のスタート地点に立て、
そこから24条→36条と進んで行くそうです。
 
例えば今何条かな?と知りたかったら、
ガイド達に質問しておくと、
答えが日常生活の中で返ってきます。
これは、こういう形です!とはっきりした決まりがある訳ではなくて、
その人とガイド達のコミュニケーションの中で、
分かりやすい形で伝えられます。
氏神様を参拝した後に、
鳥居に6羽のカラスが一列に並んでいた、とかね。
あと、こういうことを書くと、
私のDNAは〇条解除されました!とか、
自慢する様な悪質な人もいるんだけど、
その時点で、統合意識領域に到達していないことが、
他の人には分かるので、気を付けた方がよいでしょう。
 
DNAの解除の状態によって、いざという時、
地表上に大混乱が起きた時に助かる人と助からない人に分れます。
 
DNA4条解除では、ちょっとムリだそうです。
直観や閃きが発達してきて、
ガイド達の導きが感じられる様になります。
 
DNA6条解除では、助かりそうなギリギリのラインだそうです。
 
DNA8条解除では、
真実か嘘かを見抜けるようになる、
女神たちからのメッセージを受け取るようになる、
食物を体内でエネルギー転化できるようになるそうです。
悪性のものも悪性として働かなくなるということで、
肉食がー添加物だーと神経質な人もいますけれども、
その人の心と魂の状態によっては、毒にはならない人もいるということです。
また、ワクチン云々も体内で変化させてしまう人もいるのです。
打った、打たないで目覚めた目覚めていない、
助かる助からないと振り分けているのは全くの間違いです。
(表面的なもの、物質的なものでしか見ていません)
 
DNA10条解除では、
魂に印がつくそうです。
その為、あちこちの霊的なガイド達から守られる人になり、
どんなところにいても助かるそうです。
また、放射能の反応を受けないとのこと。
 
DNA12条解除で、銀河系宇宙人類とのことで、
神人と会える、マカバ(宇宙船)に乗れるとのことです。
所謂、半身半霊の状態ですね。
物質的なものと霊的なものが統合した状態です。
波動転写が出来るそうなので、
例えば栄養のない食べ物でも、
身体に善い作用を及ぼす様に変換出来るそうです。
 
 
心と魂の浄化では、100%中
31%の浄化だと、妖精からのメッセージを受け取れるそうです。
 
41%の浄化で、天使界と繋がります。
「自分自身の”内なる声”に繋がることで光のネットワークに繋がる」
とのこと。自分自身の内側から、自然に無理のない態度で、
思いやりや優しさを表現できる状態だそうです。
 
51%の浄化で弁財天様が夢に現れるか、弁財天様を霊視出来るそうです。
弁財天様は比較的繋がりやすい神様で、
多くの場所で祀られている(守って下さっている)方ですので、
霊的な学びを真摯に実践している人には、感応して下さいます。
確かに夢にも出て下さったので、お近くの神社や寺院を参拝してみるのを、
オススメしたいです。
繋がることを目的にして、必死に参拝している人もいますが、
それはちょっと違うかな?と思います。
自分の本当の気持ちに何があるのか?
繋がるということに何を求めているのか?
あなたのエゴはどんな状態でしょうか?
霊的な世界には嘘や偽りは通用しません。
全て筒抜けになっていますので、
繋がれないとしたら、その理由は何なのか?
自分が一番よく分かっていると思います。
霊感があるとかないとか関係ないのです。
いつも、魂の美しさを問われます。
 
61%の浄化にはメモはありませんでした。
 
81%の浄化では、DNA8条以上解除の人が当てはまる様です。
 
心と魂の浄化を進めるには、
二元性を統合する必要があります。
いつも、善悪や優劣で物事を裁かないように心掛けることです。
人それぞれ、これは悪い、これは善いと思い込んでいるもの、
価値観、刷り込みを持っています。
そういったものに気付いて、手放していく為には、
自分自身と向き合うことが必要になってきます。
 
銀河ネットワークさんの過去のブログ記事では下記の箇所、
ちなみに、銀河意識レベルの向上値と
現在の地球領域における菜食主義の方々との
意識レベルは比例してはいません。
(全ては個々の意識の有り様です。)
 
をご紹介しました。
 
また、「ライトボディの目覚め」
(大天使アリエル&タシラ・タチーレン著)のライトボディ第七レベルの部分から、
下記の箇所、
 
ここではほとんどの人々が、おびただしい量の
「スピリチュアルな意義づけ」と
「スピリチュアルな野心」
と呼ばれるものを通り抜けます。

神からの完全な離別という現実の映像は、
肉体の奥深くに恥や罪の意識としてたくわえられています。

人が多次元性にアクセスしはじめたときに
肉体が統合されていないと、この現実の映像を
否定しようとします。

人はしばしばスピリチュアルな形式や
ルールをとり入れたがります。

すべてが「正しい」スピリチュアルなこと、
つまり話すことも身につけるものも
食べ物も「正しく」あろうと努めます。

そして自分の理念に合わないものは、
自分であれ他人であれ、
どんな部分も抑圧するか否定するかしてしまうのです。

精神体は形式やルールが大好きで、
スピリットをしたがわせるための
形式を見つけようと躍起になるのです。

「スピリチュアルな意義づけ」は、
肉体内にたくわえられた恥の意識と
無価値観に対する、精神体の防衛メカニズムです。
 
をご紹介しました。
上記のスピリチュアルな意義づけ、
こだわり、思い込み、刷り込みというのも、
善悪二元論で裁いているという状態です。
 
 
私は子どもたちが幼い頃、
二元性についての説明でよく話したのが、
泥棒の国と警察の国という例え話です。
泥棒の国の人にとっては警察の国の人は悪い人になるし、
警察の国の人にとって泥棒の国の人は悪い人になる。
警察の国の人たちみんなが、善い人、正義の味方なのかと言えば、
狡いことをする人、騙す人もいる。
泥棒の国の人たちみんなが、悪い人ばかりなのかと言えば、
人を騙してお金儲けした人から盗んで、
困っている人に配っているような泥棒もいる。
立場によって善い悪いは変わるし、
善いと思えるものにも悪いものがあって、
悪いと思えるものにも善いものがある。
ということを、泥棒の国と警察の国という設定で、
あれこれ想像しながら、子どもたちと話し合いました。
 
ポイントとしては、自分が善いと思うものは本当にそうなのか?
自分が悪いと思うものは本当にそうなのか?と、
自問自答してみて、別の捉え方、考え方を探すことです。
特にネガティブに感じることに対して、
ポジティブな肯定的な見方を出来るようにすることが、
視野や意識を拡げることに繋がります。
練習としてはテレビのニュースなんかは、
すごく良いと思います。
ネガティブな情報ばかり流しますので、
聞いているそばから、頭の中でポジティブに転換していく、
という練習をすると、
そのうち、同時に両方の見方が浮かぶ様になります。
 
下記は、銀河ネットワークさんの過去のブログ記事です。
 
私達は日常の中で、
それぞれ他者と別の領域(意識次元)と
地球での共通の領域(三次元領域)と
双方同時に自分の視界を通して認識し存在しています。

ですから、各事象に対して個々での感じ方が異なっています。

このことは、高次の情報に対しても同様で、
自分の許容範囲でしか理解することが出来ません。

自分の視界はホログラム(鏡)に例えることが出来ます。

自分に起こる出来事(物理的・感情的)や他者は、
自分の鏡(反映)であるといわれています。
 
「鏡」=「か我み」で、
鏡の出来事の「我(エゴ)」を取ると「鏡」=「神」になります。

要約すれば、他人や自分に起こる出来事に対して、
自分中心(我)の視点で善悪・価値判断しないで、
自分の視界の全てに対して尊い存在なのだという意識で
物事を処理しながら生活することが重要だということです。
(互いの主張を認め否定しない)

別の言い方では
「悟り」=「差取り」(物事・善悪・価値判断の差を取る)になります。

肉体的な霊的トレーニングやワークをいくら実践していても、
根本的な意識波動を変えない限り、
陰領域(過去領域)とのネットワークとコンタクトすることになります。

この課題を日常実践していくと、
スターシード・ワンダラーの方々は自然にスイッチが入り、
高次情報を受信・受容・変換・供給することが出来るようになり、
次第に必要な情報は即受信可能になり、
不要な心配や疑問を投げかけなくなります。
 
”「鏡」=「か我み」”
”「我(エゴ)」を取ると「鏡」=「神」になります”
”「悟り」=「差取り」(物事・善悪・価値判断の差を取る)になります”
と言う箇所が物凄く好きなので、
よくご紹介しているのですが、
羞恥心のない自他の境界線を引けない人にパクられます。
また現れるかもしれないので、こっそりチェックして下さいね。
 
鏡=か我み→我(エゴ)を取って神
悟り=差取り
というのは覚えやすいですよね。
自分の状態はどうかな?と内観する時の、
ヒントにして下さい。
 
自称悟った人、目覚めて人、分かった人というのは、
上から目線で、自分とは違う人を取り上げて馬鹿にしたり、
わざと難解な言葉で、自己陶酔しながら、
うんたらかんたら語ったりしますよね。
 
本当に分かっているのなら、
幼稚園の子にも、
小学生にも、
中学生にも、
高校生にも、
それぞれ言葉を変えて、例えを変えて、
分かりやすいように同じ真理について、
説明できるものです。
 
善人にも罪人にも分け隔てなく、
真理を説くことが出来るものです。
 
ドーリル先生の著書には、
悪性が強すぎて輪廻転生の輪に入れない、
ネガティブな人達の話がいくつかあります。
この人達は、宇宙刑務所で監視されていますが、
テレパシーなどで悪性のコントロールを行なったりします。
霊的な修行を積むと、
この人達の前で教えを説くというテストがあるそうです。
でも、あまりにも悪性、ネガティブが強すぎるので、
ある程度の段階を超えた人ではないと、
闇に飲み込まれて廃人になるそうです。
私たちもいつか、
このような役目を負うこともあるでしょう。
それを想像した時に、
今の自分は行えるかな?と考えてみて下さい。
外側や誰かに影響を受けている状態で、
宇宙的な犯罪者レベルの悪性人種と、
対峙出来るのでしょうか?
普段から偉そうに、宇宙人意識だなんだ言っている人がいますけど、
地球人如きでギャーギャー騒いでいる段階では、
とてもじゃないけど、そんな役目を果すことは出来ないですよね?
 
”アセンションとは、すべてのレベルにおける覚醒と
自己統御を達成するプロセスであり、
自分という存在の全体を上昇させる必要があるのです。”
とご紹介しました。
 
自分が五次元だ、アセンションしている、
お役目がある、宇宙人魂だ、目覚めている、覚醒している、
悟っている等、様々な肩書きを付けたがる人がいます。
その人たちに、誰かと比較する気持ちがあるなら、
思っているより霊的な進化はしていないと言えます。
 
まずは、内観をして、自分自身の本当の感情を、
観察してみます。
それから、コントロールするようにしましょう。
 
「感情を支配するために、
それを鎮圧したり粉砕したりする必要はない。

偉大なる聖者大師達はまた、
最も大なる情緒的心情の持主であるが、
いつも自己の感情を自由自在に
制御しておられるのである。

修行を積んで聖者大先達(アデプト)と
あがめられる人達も情緒的感情を
超越しているのではない。

その人達はむしろ、
感情そのものの中に入ってゆき、
自分の意志で自由自在に感情のしがらみから
脱出されるのである

この様に
アデプトと呼ばれる聖者達は、
その人が感情が意志や知性を
支配利用する代りに、自分の知性と意志とでもって
自己の感情を支配し、使役するのである」
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 
一般の多くの人々は大師というものについて誤解をしている。

我々が大師聖者になると、
最高尊厳的な地位におかれ、
すべてのものと一体となり、
個性とかエゴ(人格・個我)とかは
全体の中に吸収されてしまうと誤解をしているのである。

皆さんは、大師とは、すべての人間的感情と経験とを
超越した高い地位におられ、
普通の人類とは遠く離れたところに
住んでいると教えられてきただろう。

しかし、その反対に、本当にすべての人間的感情を
経験卒業されたかただから、
どんな感情でも、より深いところまで
感じとることが出来るのである。

でも、大師はあらゆる人間的感情や
知覚を制御し均衡をとることを知っておられるのである。

もし、大師が人間のなやみや苦しみを
感じとることが出来なければ、
それらを理解することも出来ないし、
人間の苦しみは大師には無関係なこととなるわけだから、
他の人を助けるということも出来ないはずである。

真の大師は、どこかの山の頂上に住んでいるのではなく、
すべての人類と一体となるところにおられるのである。

皆さんに覚えておいてもらいたい言葉が一つある。

それは、”大師という地位は、経験によってのみ
得られる”ということである。

だから、大師たらんとする者は、
人生のあらゆることをひるまずに経験しなければならない。

その様にしてはじめて宇宙と自己の内在自我とを同調させることが
出来るのである。

大師たらんとする者はまた、”すべての人のためにあらゆることを”という
態度でなければならない。

この様な態度をとることによってはじめて、
一般の人々の人生の一部としての
いろんな出来事を理解できるのである。

真実の大師は、どんなことだろうと、
他の人々がなしている事柄の精神の中に入りこむことが出来る。

大師は酒飲みと酒を飲み、ばくち打ちとばくちをすることもある。

大師達がその様なことをするのは、
彼らのレベルにまで自己をもっていって、
はじめてその人々を自分の地位にまで
高める第一歩となるのだということを
よく知っておられるからである。

だから大師は、例え、酒のみなんかと交わっても、
その人達のもついかなる破壊的バイブレーション(振動)にも
いささかも触れることはないのである。

大師の一人、イエス・キリストが
罪人や収税人の仲間だと言われたのも、
こんな人々を救うための交わりをしたためであり、
大酒飲み、大飯食らいと悪口されたのも同様な理由からである。

イエスは、それがどんなことであろうと、
非難もせずにその雰囲気の中へ入ってゆくことが出来たのである。

イエスは、大師になった者が誰しも心得ている様に、
真理に至る道と知識とを知っていながら、
それを真剣に求める者に対して
教えないことそ唯一の罪だということを
よく知っていたのである。

求道者に知識を与えることを拒むことこそ唯一の罪であり、
真に罪と呼ぶにふさわしいことなのである。

大師にもなった様なかたがたは
決して真の求道者を指導しようとしない
ということはあり得ないから、今述べた様な真の罪というものは
存在しないのである。

イエスは、罪人と言われる人々を
悪のぬかるみから抜け出させるには、
その者達とつき合う以外に良い方法がないということを知っていたから
罪人達とも交際したのである。

これが、イエスの「もし私が高められれば、
他のすべての人々は私の方に引き寄せられるだろう」
と言われた意味なのである。

皆さんも皆さん自身の道を行き、
自分自身の本質を知ることによって高揚するという、
そんな人生を探求して下さい。
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 
 
よく、スピ系教祖様は、
自分の話を理解出来ないのは、
聞く人が、自分が何を伝えようとしているのか、
想像力を働かせていないから、
思いやりがないからなのだ、
理解出来ない人が悪いと逆ギレします。
 

人々は
「法律を知らなかったからとて罪の言いわけにはならない」
と言うが、
もし、我々が宇宙法則を知らなかったなら
言いわけが許されるかも知れない。

しかし、我々が宇宙法則を知っていて、
それを利用しなかったら、
宇宙法則に気付きはじめていてそれに反対したならば、
罪を知っていたのだから、
その罪は、法則を知らなかった者よりは
ひどい罪になるというのである。

法則を知らない者は、
法則を知っていてそれを犯した者に比しては、
多くの力をふるうことが出来ないのである。

多くの人々は、その心中で平和と
調和の状があるということを知っており、
意識の中で時々一瞥するのである。

わたしは、人々が何をなし得るかは知っている。

わたしはまた、彼らは自分たちが
出来ることはほんとどやっていないことを
知っている。

時々、わたしは、そうなるのは、
わたしのやりかたをよく教えなかったからでないかと
自分で恥じ入ることがある。

本章が全部終る前にその方法をはっきり示しておこう。

というのは今から我々が働かねばならない
光の日までの間には長い期間がないからである。

 

「療法の真義」(M・ドーリル博士著)より

 

でも、ドーリル先生は、

”彼らは自分たちが
出来ることはほんとどやっていないことを
知っている。

時々、わたしは、そうなるのは、
わたしのやりかたをよく教えなかったからでないかと
自分で恥じ入ることがある。”

とおっしゃっています。

 
自分に起こったことは、自分に原因があると捉えるのか?
自分に起こったことは、誰かや何かのせいだと捉えるのか?
そういう見方一つ取っても、道が分かれています。
あなたはどのような道を進みたいのでしょうか?
望む方を選択出来るように、しっかり思考を働かせてください。
ここでご紹介してきたことに対して、
腹立たしく感じる人もいるかもしません。
図星を指されると、カチンとくることがありますよね。
何故、そう感じたのか?
たったそれだけのことでも、
内観のきっかけになり、
自分自身を知ることが出来ます。
実践するのか、しないのか?
 
嫌なら読まないでと書いていますけれども、
霊的な情報は特に、
知ってしまった場合には、
責任が生じてきますので、
あなたの人生に、理解出来ましたか?という様な、
現実的な生活の中で、スピリチュアルテストをされますし、
無視したらその分カルマを積むことになります。
忘れないようにして下さい。