自称五次元意識の人の多くは、

とても排他的で、

その人自身が想像する五次元、

愛だとか光みたいな漠然とした、

超個人的な思い込み設定に終始しています。

 

本当の望みは何でしょう?という記事で、

人々を救いたいという思いを持ちながら、

人々を病気にさせている人達がいると書きました。

 

出発は善意から始まっているのだけれども、

結局は、悪用する方のお手伝いをしている、

という場合があるのです。

自分は支配者層に立ち向かっているつもりでも、

実際は手先になっているんですね。

 

自分の意識、思考、感情はどんな状態なのかな?と、

客観視出来ない様な人は、

もし五次元領域に移行したとしても、

生き残ることは出来ません。

 

私たちの存在領域では、

何か考えていてもそれが現実になるまでには、

時間が掛かります。

 

以前ご紹介しましたが、
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)には、
下記の様な説明があります。
 
幸い、あなたがたが住む物質世界の
時空の現実のなかでは、物事は直ちに経験として現れるわけではない。

考え始めたことが実際に経験のなかに出現するまでに、
「時間という素晴らしい緩衝帯」がある。

「時間という緩衝帯」のおかげで、
本当に経験のなかに現れてほしいと思うことに、
関心を向け直すチャンスが与えられる。

それに経験として現れるずっと前に
(それどころか最初に考え始めたときに)、
自分がどう感じるかでその実現が望ましいか望ましくないかを
判断できる。

関心を向け続ければ─望むと望まないとにかかわらず─
それは経験として現れる。
 
また、

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)では、下記の様な説明があります。

 

ある原因がある結果となって表れるためには、
時間の要素が重要な役割を演ずる。

そして、更にもっと先の時間経過までを考えると、
ある原因の結果は、またさらに
他の結果の原因となるのである。

各々の結果はある主因から来て
ある結果へと交互に働いているのである。
これが効果の原理が
働いているところの方法である。

一連の事柄とその原因とについて
形而上学徒が深く深く探求すると、
それは、時間の経過より遠い過去にまでさかのぼり、
遂には宇宙の法則である大原則を理解するに至り、
また、ものごとの霊的計画の目的を察知するに至る。

ついでその学徒の”法則と秩序”への
洞察力が明晰となり、
因果則の理解は彼をして実用性という面から
自己の目的を樹立できる様になる。

多くのあまり重要でない法則に関連採用されている
最大の影響を与えている大法則というものを考えると、
どうしても因果法則の明快な理解ということが
求められることになる。

最大の影響を及ぼす原因は
おそらくゆっくりとやってくるだろう。  

しかし、それはその事柄に最も大きな影響を
及ぼすのである。

そうは言うものの補助的重要性のある面だけで、
その目的達成に非常に重要なこともあるだろう。

その補助的なものがないと、
全体が違った方向に進み、
はじめに仕遂げようと思ったこととは
全く違った結果を
もたらすことになるかも知れない。

 
現実として目の前に現れる前に、
時間というクッションがあるお陰で、
変更可能な余裕があるのです。
 
逆に五次元領域に移行したとしたら、
思ったことがすぐ現実になってしまいます。
 
五次元は愛です!とか、光です!とか、
ワクワクする!といった漠然としたものが、
なんとなく現実になるのなら、
善い様な気もします。
 
でもそれは目に見える物質的なものではないですよね。
あなたの光やら愛やらワクワクと、
私のそれとは違います。
一体、どんなものを想像してますか?

具体的にそれはどんなものなのでしょうか?

 
思った事がすぐ現実になる、
という状態は、
例えば、あいつムカつく!タヒね!
と思ったら死んでしまう。
とします。
すぐ現実化するのです。
 
そして原因と結果の法則が働いていますので、
すぐ返ってきます。
つまり、自分も死にます。
 
悪想念というのは、結局、
自分を殺してしまうのです。
 

以前ご紹介した、「レムリアの真実」(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)では、

下記の様な説明があります。
 
過去と現在の、感情体と精神体の、
すべてのネガティブなものをきれいにして癒されなければなりません。

痛み、怒り、嘆き、罪悪感、悲しみ、トラウマ、
恥、中毒、絶望、低い自己評価、否定的な印象、
不健全な雰囲気などの、過去と現在の
全記録を進んで受け入れ、
無意識と太陽神経叢と感情体から解放しなければなりません。

もし、神聖な愛より低い波動の感情や思考が少しでもあれば、
テロスの高いエネルギーの波動のせいで、
それらはマインドや感情の中で千倍以上に増幅されるでしょうから。

あなたが入念にそれらの記録を取り除いてこなければ、
そのように増幅されたものはトラウマになりかねませんし、
あなたは私たちの波動の中にせいぜい数分しか留まれないでしょう。
 
”あなたは私たちの波動の中にせいぜい数分しか留まれないでしょう。”
とあります。

病気にならない様にとか、支配者層が悪いといった場合、

それが現実化するとしたら、何が起こると思いますか?

そしてそれが、どんな風に自分に返ってくると思いますか?

 

罪悪感って自分が悪いっていう気持ちで、

行き過ぎると自分は無価値であるという様に、

自己犠牲に繋がります。

そもそも、自分が悪いという部分が、

善悪二元論になっていますよね?

こういうのを煽るのも、

マインドコントロールの手口ですよね?

 

罪悪感や羞恥心、劣等感や恐怖心などを煽って、

コントロールする手法というのは、

宗教とかカルトでもよく行なわれていますし、

スピ界隈、陰謀論界隈、あと菜食主義者とか?

多いですよね?

 

惑わされていませんか?

 

本当に、自分の意識や思考、感情は、

望む様な未来を創り出せる状態にありますか?

 

五次元領域にあなたは移行出来るのでしょうか?

 

五次元領域に移行してしまうと、

何か思ったらすぐ現実化してしまうので、

訂正する、変更する時間がありません。

毎瞬、毎瞬、真剣勝負ですよ?

ギャンブルみたいに、ネガティブなことを一切思わない様に、

ドキドキしながら過ごしますか?

そのドキドキとした不安も現実化します。

 

どのような状態なら、自然に、すぐ現実化する状態を、

楽しめるのでしょうか?

 

ほんの少しでも、誰かを責めたり、悪く思ったり、

嫌な気分になったりすると、

すぐ現実になってしまいますから、

常に、自分の気持ちを安定させる必要があります。

 
この時間というクッションがある状態で、
練習しないと、
ぶっつけ本番では、上手くいかないと思いませんか?
 
このポイントというのは、柔軟性や素直さ、
謙虚さなどです。
間違ったらすぐに訂正出来るような、
切り換えの早さも必要です。
よく選択の自由があると書きますが、
未来に対して、いくつもの選択肢がある様に捉えますよね。
確かに過去のことを選択し直すことは出来ませんが、
過去に起きたことを捉え直すこと、
別の角度から眺めることはいくらでもできます。
こちらも選択肢はいくつもあるのです。
 
過去も未来も自分次第なのです。
こう考えると、ものすごく力が湧いて来る様な気がしませんか?
 

この地表での生活では、

普段、私たちが色々思ったり考えたりすることが、

現実として現れてくるまでに時間が掛かります。

様々な原因と関連してくるので、

現実を目の前にすると、どうしてこんなことが起こったのかな?

と訳が分からないことが多いでしょう。

 

でも、

今の受け止め方次第で、いくらでも、

これから先に起こることはコントロールしていけますので、

自分の意識、思考、感情を監視する必要があるのです。

 

 

以前もご紹介しましたが、
「22を超えてゆけ」(辻麻里子著)には、下記の様な説明があります。
 
それに、未来の出来事といっても、
すべてが決定しているわけではなく、
ある時点で未来が変更されることも
実際にはあった。

マヤがしくじれば、
未来の自分の存在すら危うくなってしまう。

役員待遇から転落しないためにも、
ジーはガイドという役割を買ってでて、
親切丁寧に教えてくれるのかもしれない。

そればかりか、
過去が変わることもある。

もちろん、
物理的な出来事が変更されることは少ないが、
その出来事に対する感情部分は、
後からでもじゅうぶん修正が可能なのである。

記憶が好きなように再構築されるというよりは、
過去に超えられなかった感情パターンを、
現在においてクリアすると、
過去にあった同じパターンのものが、
いっせいに裏返るのである。

 

今、考えたことが、いつかの未来に現実になります。

今、考えたことというのは、今、目の前にあることに対応しています。

何か起きた時に、様々なことを考えたり感じたりします。

それに対して、次の未来が起こってくるのです。

この起こってくる前に時間が掛かっています。

大雑把に言うと、

ポジティブな善い気分の時には、それに対応した未来、

ネガティブな不快な気分の時には、それに対応した未来が起きます。

 

今、考えたこと、感じたこと自体を、

変えることは出来ないのだけど、

それに対応する未来はまだ起こっていないので、

ネガティブな不快な気分の時には、

ポジティブな善い気分になれる様な捉え方に変えていきます。

気付いた時点ですぐ、行ないます。

そうすると、一旦、ネガティブな不快な気分になったからこそ、

自分が今まで目を背けてきた、隠してきた、

思い込みや囚われなどに気付けた訳ですから、

つまり、

ネガティブな気分自体が、目印になって、

過去のトラウマを教えてくれる訳です。

そう捉えると、ネガティブに感じたこと自体が、

善かったね!となります。

関連する過去が全てポジティブにひっくり返るのです。

 

それを続けると、起こりうる未来が、

どんどん最善の方へ向かって行きますので、

難を逃れる様な人生になっていきます。

 

例えば、ある人に会う予定があって、

その前に散歩したとします。

右側の道を選んだ場合は、崖から落ちてしまいました。

左側の道を選んだ場合は、お花畑がありました。

 

崖から落ちてしまったら、そこからの選択肢というのは、

例えば最善ならたまたま会う予定の人が見つけてくれて、

すぐ助けられた。

最悪なら、数日、その場から動けずに衰弱してしまった。

となるとします。

でもどの選択でも、崖から落ちた時にケガをしている為、

左側の道を選ぶよりは、悪い現実となります。

 

左側の道を選んでお花畑に行った場合の選択肢は、

最善ならたまたま会う予定の人と鉢合わせして、

楽しい時間を過ごせた。

最悪なら、つい昼寝をしてしまって、虫に刺されたとなるとします。

どの選択でも、右の道を選ぶよりは善かったねとなります。

 

人生の中で、いくつもの分岐点があって、

そこから先もいくつもまた分かれて行きます。

マンデラ云々とかパラレル云々言う人の中には、

右の道を選んで崖から落ちたのに、

意識の力でお花畑にジャンプ出来るという様な説を、

広めている人もいます。

 

これは、法則でも真理でもない解釈になります。

 

ここでお伝えしているお題というのは、

もし、崖から落ちたとしても、

そこから先、また自分次第で、

いくらでも最善の未来に向かうことが出来ますよ、

ということです。

 

お花畑に行くことが善いのだと思い込むから、

ジャンプしようという発想が出て来るのです。

崖から落ちたということを悪いという様な、

捉え方をやめて、

出来るだけしっくりくるような、

ポジティブでいい気分になる様な捉え方をしてみるのです。

そこを起点にして、いくらでも未来を変えていけます。

 

崖から落ちてしまった為に、

約束していた人に会えなかったとしても、

その人とどうしても会う必要があるのなら、

また別の機会が巡って会うことになります。

崖から落ちたからお終いということではないんですね。

 

法則を利用するというのは、

自分を追い詰めるのではなくて、

沢山の可能性を模索することなのです。

 

別の現実にジャンプする、

という様な発想は、

今の自分を否定、拒絶することに繋がります。

 

今、自分が考えていること、思っていることに、

注意深くなってください。

 

ジャンプするみたいに、大きく修正しなくても

小さい修正を繰り返して、

望む方向へ転換していけるのです。

 

そこで必要なのが、

柔軟性や素直さ、謙虚さなどです。
間違ったらすぐに訂正出来るような、
切り換えの早さも必要です。
 
例えば、私は聖人君子ではないので、
うわ!あいつムカつく!とか、
あったまくる!といったことは、
結構思ってしまいます。
でも、すぐ訂正するのです。
 
ごめなさい!今のはナシ!訂正します。
そういう風に考えて受け取る未来を、
私は望んでいません。
別の捉え方をします。
という形で、どんどん内観していくのです。
 
あいつムカつく!と思った時、
そう思うのが自分にメリットがあった訳です。
何故、そっちの方が善いのでしょうか?
自分は悪くないと思いたかったからです。
自分は正しくて間違っていないという気持ちは、
善悪二元論で裁いています。
つまり、ムカつくと思わせてくれた人によって、
自分が善悪二元論で裁いていることに、
気付かせてもらえたわけです。
 
だから、ありがとう!
お陰で、自分のネガティブな部分に気付けたわ!
ムカついてよかった!見過ごしたら、
もっと大きな結果になっていたもの。
ここで止められたよかった!と捉え直します。
すると、善因に変わりますから、
起こってくる未来も善い方に変えることが出来たのです。
 
あったまきた!と思う度に、
まてよ、これは本当に私が望んでいる感情なの?
と問いかけてみます。
何で頭きたの?
と内観すると、我慢している、無理している自分に気付きます。
相手に怒ることで、やりたくないと思っていたことを、
やらなくて済む理由を作ろうとしたのです。
だったら、本当に望んでいているのはなんだろう?
周りを気にせず、やりたくないことは、
やらない!と、自分を許す、受け入れることじゃないのかな?
という風に、選択し直していきます。
 
私はやりたくないと言う為に、
わざわざ怒りたくなる人を創り出しているのです。
そんな役割を演じてくれてありがとう!
感謝の気持ちを持って、
気付けて良かったなと思うことで、
善因になっていきます。
 
最初は順を追って内観して、
これが慣れて来ると、
ちょっとカチンときて怒ることもあるけど、
すぐ切り替えて、
馬鹿馬鹿しいから怒るのはやめよう、
別の捉え方をしようと、柔軟に対応できるようになります。
 
 

沈黙についてという記事で、

霊的な学びを進めていくと、
霊的な現象、ちょっと信じられない様な事、
奇想天外な出来事は起きてきます。
霊的な能力も発達してくるでしょう。
と書きました。
 
ここを私が想定していた現象とは、
違うものを想像している人がいるようなので、
補足しておきます。
 
私は霊的なものごとというのは、
それが法則に沿ったものなら、
現実として現れてくる、
現象化、物質化すると思っています。
ここでの霊的な現象、信じられない様な事、
奇想天外な事というのは、
現実的に、物質的に現れてきたことを指しています。
 
何かしらの光が見えたとか、
霊的な存在が見えたとか、
聞こえた、ビジョンが浮かんだ等々、
現実的に、自分だけではなくて、
他の人にも確認出来ない様な、
事実ではない事は指していません。
そういう妄想的なものが、
どんどん起こってきますという意味では、
書いていませんので、どうぞ注意して下さい。
 
「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)から、下記の教えを、
何度かご紹介しています。
 

そんな人は、自分に大衆を隷属させ、
尊敬を受けたいので、
個人的霊能力を得るために
ネガテブ(悪)の法則に従いますと
悪魔と契約した人なのである。

 
あまりにも霊的な現象、
目には見えないものに夢中になるのは、
オススメしません。
 
勿論、そういう能力者はいらっしゃるのでしょう。
でも、妄想とどうやって区別しますか?
自分でコントロールできない状態になると、
これはネガティブ側に傾いた状態ですけれども、
統合失調症等の病気と診断されるような、
日常生活に支障が出て来る状態になります。
 
妄想の世界に生きるのが幸せな場合もあるでしょう。
私も子どもの頃から妄想族なので、
あれこれ妄想するのは大好きです。
だから否定はしませんし、個人で楽しむのは、
好きにしたらいいと思います。
 
でも、ネットで発信したり、他人を巻き込む場合は、
注意が必要です。
 
霊的なものごとも、現実として現れてきます。
その現実的な事が、とても不思議だねと、
感じる様なことが起きて来るのです。
 
何故このタイミングで?
何故こんなところに?
といった感じです。
シンクロニシティといった様なことです。
 
よくあるのが、誰かに話しかけた時に、
その人も丁度、同じ話をしようとしていたとか、
何の気なしに購入したものが、
ちょうどその後必要になったとか。
 
昨日、この部分を書いていたのだけど、
急にネットの接続が悪くなって、
画面がおかしくなったのでやめました。
流れに逆らうのはやめようと思って、
書かなかったのです。
 
今日、買い物に行って、バックドアをあけたら、
小さいカエルが隙間にいました。
いつ入り込んだのか分かりませんし、
こんなこと初めてです。
お店の駐車場でカエルがびっくりして逃げたので、
そのまま置いておくと轢かれてしまいそうだから、
ビニールに入れて持ち帰りました。
それから近所の用水路へ放しました。
 
これが起きたのは、何故かと言うと、
霊的なものごとも、現実として現れてきます。
その現実的な事が、とても不思議だねと、
感じる様なことが起きて来るのです。
 
何故このタイミングで?
何故こんなところに?
といった感じです。
シンクロニシティといった様なことです。
ということを強調する為です。
今回のお題の為に、カエルが車に潜んでいたのね。
 
こういう何で?ということが起きてきます。
現実的にです。
狭い庭にカタツムリやトカゲはいるけど、
カエルが居るのはちょっとびっくりする、
あり得る?という感じなのね。
更に車の隙間に潜んでいるとか。
あり得ないけど、現実として起きました。
 
こういう不思議なことが、
日常的に起こってきますよという意味です。
 
ちなみに、いつも考えるのだけど、
カエルを逃がしたとしても、
次の瞬間には何かに食べられてしまうかもしれないな、
ということです。
助けてあげるというのは、
今この瞬間、出会っている間だけで、
その先を全て保証してあげることは出来ないですよね。
 
もしかしたら、用水路に逃がすことで、
命を縮めているかもしれない。
でも、だからといって、
轢かれる可能性のある場所に放置することは出来ない。
 
今の自分が出来ることを選択して、
今、善かれと思うことをする。
それは、自分がそうしたいから。
いつも、その気持ちを大事にしています。
全てを救いたいとか、
烏滸がましいと思いますよ。
 
自分にも常に沢山の選択肢がある様に、
他の存在達にも沢山の選択肢があるのです。
全てを自分で管理することなんて出来る訳ないし、
何が一番最善なのか?というのは、
本人にしか分からないことです。
 
自分に出来ることは、
今、目の前にあることを、
これでいいのだと受け止めて許す事、
出来るだけポジティブな捉え方をしていくことです。
 

電気エネルギーは霊的なエネルギーを媒介するので、

SNS内ではフィルターバブルといった、

物質的な理由で、閉ざされた世界になりますけど、

霊的な理由でも独特の心霊スポットの様なエネルギー場が、

あちこちに出来てしまうということがあります。

 

同じ界隈の人は、みんな同じ様な言葉遣い、

同じ様なテーマ、同じ様な感情の反応をしますよね。

霊的に囚われてしまうんですね。

 

自分の意識、思考、感情をよく観察していて下さい。

流されない様に、誘導されない様に。

影響を強く感じるなら、一旦ネットから離れて下さい。

霊的なエネルギーコードが接続されている可能性もあります。

勿論、自分で切断することが出来ますが、

客観的に自分の状態を眺めなければ、

気付くことが出来ません。

間違ったかなと思ったら、出来るだけ早く、

訂正して切り替えることをオススメします。