統合するというのは、

物質的なもの、霊的なものの統合、

ということも含まれます。

 

物質的な肉体の望みと、

霊的な魂の望みがあるとして、

それが同じでないと、反発しあってしまって、

ものごとが上手く行っていないように、

現実が起こってくると思います。

 

例えば、早期発見!早期治療!

それが、多くの人を救うのだ!と信じている人が、

いるとします。

その人は、本当に、病気で苦しむ人を、

一人でも減らしたいと、心から願っていて、

その為に、自分の知識や情報を役立てたいと、

思っています。

 

例えば、こんな状態の時には、

こんな病気の可能性があります!

病院へ行って診察を受けて下さい。

そんな風に、沢山の情報を発信します。

善意から行なっています。

 

「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)には、下記の様な教えがあります。

 

次のことは、我々の大多数にとっては、
真実なのである。

それは「我々は、自分自身で
自分を間違わさしているのである」
ということである。

特許薬マニアが新薬の広告を読んですぐに、
そこに書いてあった病状を呈するのも
上記と同様に
自分を間違わしていることであり、
総ての病気は、自分の心の中に
おこるのだということを
認識していないのである。

 

またこんな教えもあります。

 

他人を病気にならせて
喜んでいる人たちがいるものだ
ということもわたしは知っている。
     
それはどんな方法を使うか
皆さんは知っていますか、

あなたが、
億万長者らしく見える人に
あったとすれば、
その人のところへ行って
「あなた顔色が悪いね。
どこか病気ですか」
と言えば、
その人は、しばらくすると、
何か具合が悪くなった様に
感ずるものなのである。

わたしがある時、
非常に元気がよくて、
健康そうに見える人に会ったことがある。
     
その人とわたしが話していると、
そこへ別の人がやって来て、
その人に
「あなたは病気ですか。
顔色が悪いですね」
と言ったものだ。

他人に「あなたは病気ですか」
と言う者が、
非常に多くのネガテブ(否定消極)の念を
受け入れていて、
それを他人に移そうとしているもので
あるとすれば、
問題なのである。

人間がこの様なネガテブの想念を
受け入れれば、
本当に具合が悪くなりはじめるし、
それを斥ければ、
悪影響を受けることはないのである。

 

病気にさせたいと思っている訳ではなくて、

親切で、善意で、あなたちょっと病気かもしれないよ?

と問うのです。

そうすると、それを受け入れた人は、

本当にその病気を創り出すのです。

 

これが法則なのですが、

この法則を使う事で、この地表上を巧妙にコントロールして、

一部の人達が利益を得られるように仕組まれています。

 

この仕組みを知らないのだけれども、

そして、人々を救いたいという、

出発は善意から始まっているのだけれども、

結局は、悪用する方のお手伝いをしている、

という場合があるのです。

 

では、どうしてそうなってしまったのでしょうか?

霊的な望みとしては、他者を救いたいのだけど、

物質的な領域では、元々その人自身が不安を抱えています。

病気になったらお終いだとか、

病気は防がなくてはいけないとか、

病気になって発見が遅れたら、大変なことになるとか。

根っこに恐怖心があるんですね。

 

その不安を解消したいが為に、

人々に働きかけて、役立つと自分が感じる情報を発信します。

その情報を受け入れた人は、本当に病気が見つかりました!

と喜びます。

 

やっぱり、早期発見することは大切なんだ!

そうすれば、手遅れにはならないんだ!と安心します。

 

でも、霊的に言えば、その情報を目にしないで、

それを受け入れる様な状態にならなければ、

そもそも病気になることなんてなかった、

という場合もあるのです。

 

病気を創り出したのは誰なのか?

そのきっかけを創ったのは誰なのか?

 

卵が先か…鶏が先か…みたいな話になりますけど。

 

人々を助けたい!と望みながらも、

現実的な行動が人々を病気にさせる様なことをしている、

こういう矛盾した状態に陥っている人が沢山います。

 

この地表上では、巧妙な罠が張り巡らされています。

法則は誰にでも同じ様に働きます。

善にも悪にも利用できます。

 

悪側は悪側の都合があって、

有利に働くように、上手に利用しているのです。

 

自分が今まで、これが正しい、これでいいのだと思っていたこと、

様々なことを改めて見直してみて下さい。

本当にそれでよかったのでしょうかね?

何かしら、自分にとって不都合な思いを、

隠してはいないでしょうか?

 

「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)には、こんな実験の話もあります。

 

 

以前に我々は、
ブラザーフッドのメンバーたちに対して
或る実験をやってみた。
     
その人は、法則をよく知っており、
非常に強壮な男であったので、
法則の適用について
こっちの方が合わせねば
ならないくらいであった。
     
つまり、彼は、
現象的には非常に強壮で健康だったのである。

二十人ほどのメンバーが
彼に対して、
上記の法則を適用しようとしたのである。
     
メンバーが一人一人、
彼を見ると
「あなたは身体の具合が悪い様だね」
と言ったのである。

十五人ほどが、
こう言って彼をからかうと、
その男がわたしの処へやって来て
「ドーリル先生、
もう駄目です。
どうかわたしを治療して下さい。
わたしはひどい病気です」
と言った。
     
わたしは彼の顔を見て笑いながら、
我々がやった実験のことを
言ってやった。

彼がそのことを分ると同時に
その苦しみが霧散霧消したのである。
     
なぜ我々がこんなことをしたと
思いますか。
     
それは、
その男が「わたしは、法則を
完全に理解しており、
何ものといえども
俺に対して悪影響を与えられない」
と豪語していたからなのである。

 

そもそも、病気の情報を集める様な人というのは、

病気になることに対して不安があり、

病気に自分がなることを受け入れている状態です。

その様な人に、

病気の不安を煽るような情報を与える、

様々な状態を病気と結び付けて、認めさせる、

そういう簡単な手法で、沢山の病人を創り出すことが出来るのです。

 

これは、病気だけで行なっている訳ではありませんよね?

 

この世の中は悪いものだ!

お金が悪い!

学校が悪い!

色々な悪いものを創り出す。

そして、そのような情報を求める人というのは、

元々、何かしらの不安や不満を抱えて居る人なので、

簡単に受け入れてしまいます。

そうすると、その人の現実には何が起こってくるのでしょうか?

どんな人を創り出せると思いますか?

 

頭脳戦とも言えると思います。

裏の裏を読む、

つまり、表に出ている部分だけではなくて、

ひっくり返して考えてみるとどうなのかな?

という形で、全体を捉えるようにしてみて下さい。

 

では、その様に不安を煽る人が悪いのでしょうか?

 

何度かご紹介していますが、

「ヨガの真義」(M・ドーリル博士著)には下記の様な教えがあります。
 
もし我々があることを充分に強く信じたならば、
それはそれを信じている我々に関する限り真実なのである。

ジャングルの中にいるアフリカの原住民たちは、
ある種のお守りが自分たちを守る力をもっていると信じており、
そのことによってそのお守りに力を与えているから、
守護力を発揮するのである。

アフリカの魔法使いの医師に
呪われたと言われてから自分の小屋に帰り、
壁の方へ顔を向けて死んだというアフリカ原住民の話は、
記録に次々と記されているのである。

その呪いそのものは、その男を死なす力をもたなかったのである。
しかし、その男が自分を殺す力があると信じたから死んだのである。

よく、わたしのところへ来て、
否定・悪の力が自分に向けられており、
それが自分に害をなすのを信じるという人がいる。

そんな人は、
自分自身の創造想念の力にそれを与えているのである。

わたしは、そんなことを言う人には、
”否”というのである。

あなたがそんなものは決して自分の上に力を加えないと、
完全に思っており、
そしてあなたの意識を調和と平和の状に保っている限り、
あなたを害するものは何もないのである。

おそらく誰かがあなたに悪意を送るかも知れない。

そうしたらどうしたらよいか。
それを送らせなさい。

だが、あなたはそれを受入れてはいけない。

あなたの電話が鳴るが、
あなたがそれに出なければということはない。

あなたが電話器を取りあげて耳にあてなければ、
あなたを害する様なことは何も聞くことが出来ないのである。

非常に沢山の人人が悪の力に力をかしているのである。

大聖者たる偉大なるしるしの一つは、
物的攻撃や心的攻撃にもかかわらず、
この世界を平穏に通っていることだ
ということをあなたは知らねばならない。

バラード婦人はわたしに一時間も紫外線を送ったが、
それはわたしには何らの悩みの種ともならなかった。
わたしは、紫外線はよいものだと思った。
わたしがそれを悪的なものだと思わない限りは、
それは悪ではないのである。

わたしがルイジアナにいった時、
シートの下に仏像がピンでとめてあるのを発見した。
わたしはそれをかわいいものだと思った。

これらのものも我々が
それに力を与えなければ偉力をもたないのである。

運び手として使われることのできる
ある種のバイブレーション(振動)はあるが、
それらのバイブレーションが悪を運んできたら、
我々はそれを受けてはならないのである。

イエスはこの法則を二、三語で説明している。
それは”悪に抗する勿れ”である。
この語によって、イエスは文字通りに、
イエスを害し、あなたを害する様な存在を認めない
ということを意味しているのである。

もし、あなたがその悪と闘うならば、
あなたはその悪の力を認めているのである。

もし、それを認めないならば、それはすぎゆくのである。
 
消極否定、悪の力があなたを打っていると認めることは、
あなた自身が悪とならねばならないということであろう。

悪というものは、あなたがその状況にならなければ、
あなたを打つことは出来ないのである。

 

”大聖者たる偉大なるしるしの一つは、

 

物的攻撃や心的攻撃にもかかわらず、
この世界を平穏に通っていることだ
ということをあなたは知らねばならない。”
とあります。
 
どんな情報があっても、
自分自身はそれに影響を受けずに平安、平穏に過ごすようにするのです。
動じない様にしなさい。
そうなる為には、まず内観して、
自分の不安や恐怖と向き合う必要があります。
 
様々な隠されていた思いを発見できると、
外側に投影してたものと、
しっかり境界線が引けるようになると思います。
 
幻想から目覚めるということですよ?
物質的な領域の仕組みだけではなくて、
併せて霊的な領域の仕組みも学んで下さいね?