統合意識を構築して、
ものごとを複数の視点で捉えることが出来る球体認識は、
多次元的な視点を持つことでもあります。
 
意識と周波数を拡げることによって、
異なる意識状態を同時に持つようになるのです。

 

5次元にアセンションするというのは、

 

どこか別の場所に行くのではなくて、
3次元と5次元の両方同時に存在できる様になる、
ということでもあります。
 
最初は個人的なことだけを考えて狭かった視野が、
段々、地球規模、宇宙規模へと拡がっていきます。
 
前にもツイッターで書いたのだけど、
例えば、明日雨が降るというメッセージを受け取ったとします。
チャネリング()的な何かで。
 
物質的な次元での解釈 = 雨が降るなら傘を持っていこう
 
霊的なある次元の解釈 = 浄化します
 
別の霊的なある次元の解釈 = 浄化できてよかったね
 
また別の霊的なある次元の解釈 = 浄化しなきゃいけない状態ですよ
 
更にまた別の霊的なある次元の解釈 = いずれ大きく浄化することになります
 
受け取る情報は一つでも、
人によって一つとか二つの解釈が出来たり、
五つの解釈をしていたりと色々です。
そういう意味で、正解は人それぞれだよねとなります。
 
五つの解釈が出来る人は、
全ての人が五つの意味を知る必要はないと分かるので、
もし必要ならその人によって伝える内容を選びます。
 
物質次元の情報だけでよいなら、
傘を持っていった方がいいよとか。
 
ガイド達とは、その次元に合わせた解釈で、
コミュニケーションを取るとか。
 
発信先によって意識を切り替えて、
必要な解釈を選択します。
 
受け止められない様な人に、
大きな浄化が始まって地は全て沈むことになるよ、
なんてことは言いません。
 
自称チャネラーとか予言者は一つか二つの解釈で、
聞いてー!と発信します。
 
人によって真実が違うというのは、
上記の解釈が異なるということで、
事実というのは、雨が降るか降らないかになります。
 
雨が降る事も降らない事も善悪で判断することではないです。
 
例え全てを洗い流すかのような、
大雨であっても、善いと捉える見方、
悪いと捉える見方、両方あります。
 
また、いずれ大きく浄化することになります、
というのが全ての地が水に沈むといった意味だったとしても、
まだ起きていない未来なので、
それが起きるまでには出来ることがあるので、
その解釈自体も悪いものではないです。
 
複数の解釈が出来る様になると、
自分の言動には気を付けるようになるし、
ペラペラ誰かに話したり、
ネットでポンポン発信したり、
ということが出来なくなります。
 
他者への影響を考えて、言葉を選ぶのです。
知る必要のない人にまで無理矢理何かを教える必要はないのです。

 

意識を拡げていく時には、
例えば、何か悩みがあったなら、
自分という立ち位置では解決策が見つからなくても、
もしこの悩みを友達に相談されたなら、
私はどのようにアドバイスするかな?と、
客観的に眺めてみます。
 
それから、先生のような立場ならどう答えるのか。
私の場合は、ドーリル先生ならどうおっしゃるかしら?と、
いつも想像しています。
 
それから、天使たちならなんとアドバイスするかしら?
天上界の神々なら?
観音様なら?
創造主なら?と、拡げていきます。
 
私の場合は、
友達だったらと想像した時は、
物質次元の解釈に、
ドーリル先生だと宇宙法則に沿った解釈に、
天使だとやたらポジティブに解釈できます。
天使の段階で一気に肯定的になって、
全てを許していいんだよ!となります。

天上界の神々だとそこに厳しい解釈が加わります。

観音様だと、更にそこに深い愛のような包み込む様な、
慈しむ様な気持ちが加わって、
創造主の時点で、何も問題ないんだなという解釈になりました。
 
結局、何の問題もないじゃない!となるには、
自分なりに段階を踏んで納得しないと、
本気でそうは思えないのですが、
こういうのは、捉え方をひっくり返していく、
という感じになります。
 
「宇宙の羅針盤・下」(辻麻里子著)では、
下記のような説明があります。
 
試練や苦しみは人間が作り出したものです。
 
試練や苦しみはなく、ただ現象が起きた時に、
これは試練だとか苦しみだという観念を人間が作り出したのです。
 
たとえば、転んだ時、倒れたという経験をしただけで、
歩くことと、転ぶことに、たいした違いはありません。
 
悲しみから人を救うのではなく、
これは悲しいことではないかもしれない、
という知恵をもたらし、
とらわれや固定観念から人々を解放することです。
 
物事を反転させた時に、
そこに気づきと喜びがあるのです。
 
この星の人は、ひっくり返っていることに気づいていません。
 
人は、気づきを気づきとして理解できません。
 
光は光として……そのままの状態で……
通すことができる光の図形を夢のなかで授けたのです。
 
今、地上にいる人たちは、
霊的な進化のレベルにおいて、さほど違いはありません。
 
ただ、途中で詰まっている、曇っているだけなのです。
 
知性のゆがみ、感性のゆがみによって、
地球人類はバランスを崩しているのです。
 
知性と感性の二本の柱が支えになって、
その真ん中に魂の柱が天上に向かって伸びあがり、
この二つが両輪になって魂は進化してゆくのです……。
 
”試練や苦しみはなく、ただ現象が起きた時に、
これは試練だとか苦しみだという観念を人間が作り出したのです。”
とある様に、
それが苦しみだと決めているからそう感じるのです。
思考が感情を創っています。
 
"悲しみから人を救うのではなく、
これは悲しいことではないかもしれない、
という知恵をもたらし、
とらわれや固定観念から人々を解放することです。
物事を反転させた時に、
そこに気づきと喜びがあるのです。"
とありますが、
この物質次元での霊的な進化というのは、
”ひっくり返っていること”に気付く事だと思います。
鏡の法則でも、自分の内側を投影しているのに、
他人のことだと思って、
多くの人は、自分の唇ではなくて鏡に口紅を塗ろうとしていますよね。
これもひっくり返っていますし、
何かが悪いことだと決めつけているのも、
別の見方がない為であって、ひっくり返っています。
 
 
例えば、戦争ということに対して、
自分の視点では、
嫌だなとか怖いとか巻き込まれたくないといった思いが、
浮かんできます。
 
これを創造主の視点ではどう捉えているのか?
分からないけれども、想像してみます。
 
「もどってきたアミ」(エンリケ・バリオス著)には、下記のような説明があります。
 
「すべての物やひとにコード番号と名前がつけられているのを知ったからといって、
べつに問題はないだろう…」
 
ビンカはおどろいて言った。
「一人ひとりすべてのひとに!?」
 
「前に話した銀河系の中心にある”スーパーコンピューター”にだよ」
とアミ。

「それに”スーパーコンピューター”は、なんでも知っているって言ってたよね」
ぼくはアミが以前に話してくれたことを思い出して言った。
 
「うん。そして”親交世界”が未開世界をたえず監視している、
もうひとつ別の大きな理由というのは、”スーパーコンピューター”にデータを送ることなんだよ」
 
「じゃ、みんな”リスト”にのっているの?」
 
「”きみたちのかみの毛の数まで数えられているよ”
と言っても、警察のように監視しているということじゃなくて、保護のためなんだ。
ちょうどお兄さんやお姉さんが弟や妹を見守っているような感じだよ」

「わたし、そうしたことはみんな神がするのかと思っていたわ」
とビンカが言った。
 
「神はなにもしないよ」
アミのお父さんが、きっぱりと言い切った。
 
まるで異端者から話を聞いているような錯覚におちいった。
 
アミはぼくたちの反応を見て少し笑ったあとで、こう言った。
「もし、豊かな収穫を望む農民が、畑にまったく種もまかなければ水も肥料もあたえず、
ただ神に祈ることだけに専念したとする。
いくら祈ったにせよ、これでなんらかの収穫が得られると思う?」
 
「ううん。そのばあいはなにも……。
でも、もし種をまいて、神のたすけを待ったとしたら……」
 
「もし、石を頭の上に投げたとしたら、
石はかならず頭の上に落ちてくるよ。たとえ、どんなに神に祈ろうとね」
こんどはスクリーンのアミのお父さんが言った。
 
「花の種をまけば花が手に入る。いばらを植えればいばらが手に入る」
 
「じゃ、神はなにをするの?」とぼくは聞いた。
 
「神はこの宇宙のすべての遊びを、宇宙を支配する法でもってデザインし、
すべての物や魂に、基本的なエネルギーである神の愛の精神をそそぎこんだんだよ。
でも、そのあとのことは、神ではなくわれわれじしんがしなくちゃならないんだよ」
とアミは説明してくれた。
 
「じゃ、どうして神は戦争や不正を許しているの?」とビンカが聞いた。
 
「神が許しているんじゃない」とアミは言った。
 
「じゃ、だれなの?」
 
「戦争や不正を生み出し、そして、それを許しているのは神ではなく、
きみたちじしんだよ」
アミは答えた。
 
なんとか、アミの言ったことへの反論をこころみようとしたが、
まったくできなかった。
 
アミの言うとおりだと思った。
 
ぼくの世界でなんどもなんどもくりかえして聞かされていることの疑問。
 
多くのひとが”天罰”とか”神のくだした罰”とかを言う。
でも、ぼくには、アミの説明のほうがずっと信じられる気がした。
 
とくに、”神はなにもしない、
なにかしなくてはならないのはぼくたちのほうだ”
ということは、とてもはっきりと理解できた。
 
 
全てを肯定する事という記事を書きましたが、
私たちは、選択可能なすべてのものなら、
一人一人にそれを選択するのか、しないのか、
自由意志が尊重されています。
創造主がありとあらゆることを、
やっちまっていーよ!と思っているわけではなくて、
自分で選んでその責任は自分で取りなさい、
という仕組みを創っているので、
これが宇宙法則ですけど、
自由に選べる状態にあるのです。
 
何かのものごとに対して、
善悪判断をしている時は、二元論なので、
物質次元での捉え方に留まってしまいます。
これを拡げて解釈を増やしていくことで、
複数の意識状態を同時に保てるようになっていきます。
 
善悪判断をしているうちは、
どうしても自分が悪と感じることに対して、
別の見方をすることが出来ないでしょう。
 
これを受け入れる、許すことで、
一段階上がって視野が拡がるようになります。
 
無理に受け入れよう、許そうではなくて、
まず、受け入れられない、許せない自分を、
受け入れて、許してあげて、
どうしてそうなのか?と自分に問いかけることから始めます。
 
いきなり創造主の視点ならとやるのは、
難しいのだけど、
ゴールとしては全て肯定すると設定して、
少しずつ階段を上がるように、
視点を増やしていきます。
 
友達なら先生ならと想像して練習するうちに、
人に相談する必要もないなと分かってきます。
 
仕事でやっている方には申し訳ないですけど、
鏡の法則を理解して意識を拡げていけば、
カウンセラー的な人を利用したいとは思わなくなります。
 
対面して誰かに話してすっきりしたい人も多いと思うので、
仕事として必要ないとまでは書きませんが、
共依存に陥りやすいので、
気安く他人を頼ることはあまりオススメしません。
ぜひ自問自答してみて下さい。
 
逆に言えば、すぐ他人を頼る人、
人に相談する人、
喋らずにはいられない人などは、
内観出来ていないのだなとよく分りますよね。
 
スピ系カウンセラーをやたらと宣伝している人も、
そういう仕事?か役割なんだろうけれども、
その時点で共依存に陥っています。
他人軸で且つ自己への奉仕の道に進んでいますね。
 
巻き込まれない様にご注意ください。