昨日の動画はもう見てくれました?
家庭を子どもの安全基地にするために、何を学べばいいのか?(=BASEで学べること)を話しています。
まだの方は、ぜひ見てみてくださいね。
見たら、BASE10期の先行エントリーを忘れずに!(先行募集の案内が受け取れるようになります)
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親のためのコミュニケーション講座
BASE10期 予告第2弾
「BASEでは何を学べるの?」
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昨日のメルマガでは、
「親の自己肯定感が低いと、子育てが『親の自己肯定感を上げるための活動』に成り下がってしまって、親が子どもの成長を妨げてしまう。
なので、まずは親が自己肯定感を上げて、真の意味で『子どものため』に関われる子育てをできるようになろう」
っていう話をしました。
BASEでは、「親の自己受容」と双璧を成す内容「子どもの安心感」について学ぶことができます。
「親の自己受容」っていうのは、あくまでも「親が自分を認められるようになる」っていう話であって、それが必ずしも、子どもの天才性を引き出したりするようなバフをかけられることとイコールにはなりません。
親の自己受容ができたら、次に取り組むべきは、
「家庭で子どもが安心感を感じて過ごせるようになること」
です。
現代の家庭では、とにかく子どもが安心して過ごせていません。
僕は、元々、子どもに勉強を教えたかったんですよね。
今もその気持ちは変わりません。
それで子どもたちに関わり始めたところ、あることに気付きました。
それが、
「勉強をやりたくないと言う子どもたちの多さ」
です。
勉強をするのが好きではないにしても、
「勉強を嫌い」
って思っている子どもがめちゃくちゃ多い。
子どもが勉強を嫌いになるのって、とっても不思議なことです。
昨日のメルマガでは、ゲームについて同じ論理で書きましたが、
「別に勉強に興味が無い」
っていうのなら分かるのですが、
「勉強が嫌い」
っていうのは、
「勉強に関して、何か嫌な気持ちになるような体験をしてきた」
っていうことを意味します。
子どもたちの話をよーく聴いてみると、勉強が嫌いだと言ってる子どもに共通していたのは、
「親との関係が上手くいっていないこと」
でした。
親としょっちゅう喧嘩していたり、
親から自分の夢を否定されたり、
親から好きなものを取り上げられたり、
親から愛されていると実感できていなかったり、
親から心配をされていたり、
両親の関係が良くなかったり・・・
親との関係がとにかく良くない。
言い換えれば、
「家庭で安心感を感じられていない子ども」
を中心に、勉強が嫌いになっていました。
子どもが安心感を感じられるような場所を「安全基地」って呼んでいます。
家庭が子どもの安全基地になっていると、子どもは自然と勉強をするようになります。
なぜなら、
1.勉強はそもそもおもしろいものだから(知的好奇心がくすぐられる)
2.勉強をすることで、自分が成長することが分かるから
3.勉強をすることが、自分の将来の選択肢を広げたり、可能性を広げてくれるから
4.勉強をすることで、人との会話がより深くなり、おもしろくなるから
5.勉強をすることで、日々の生活が便利になるから
6.勉強をすることで、自分の身を守ることができるから
などです。
子どもが成長すればするほど、そういうことが分かってくるから、自分で勉強をすることを選択するようになります。
つまり、
「子どもの成長に合わせて、勉強をするようになるのが普通」
だということ。
裏を返せば、
「家庭が子どもの安全基地になっていないなら、子どもは勉強をするようにはならない」
ってこと。
なので、
「子どもに勉強をしてほしい」
っていう親が真っ先にやらないといけないことは、
「家庭を子どもの安全基地にすること」
です。
では、なぜ、家庭が子どもの安全基地になっていないと、子どもは勉強をしなくなるんでしょうか?
まず1つ目が、昨日のメルマガにも書いたように、
「親が自己受容できていないことで、自分を肯定するための子育てをするようになるから」
です。
自己受容できていない親からしたら、
「私の関わりによって、子どもが勉強をするようになった」
みたいなストーリーが必要になります。
なので、
「自分が何もしていないのに、勝手に子どもが勉強をするようになると困る」
んですね。
そのために、無意識的に、子どもに勉強をさせないような関わり方をします。
「無意識的な勉強をさせない関わり」
っていうのに代表されるのが、
「勉強しなさい!!」
です。
「勉強しなさい!」とか、勉強をさせるような関わりって、なぜにやるんだと思いますか?
それは、
「子どもはほっといても勉強をするようにはならない」
っていう思い込みがあるからですよね。
ほっといても勉強をする子どもには、「勉強をさせる関わり」をすることはありません。
ほっといても勉強をしないから、勉強をさせようとする。
でも、子どもが最も嫌うことの1つが、
「自分の行動を強制されること」
なので、勉強をさせられようとすると、勉強が嫌いになっていきます。
これは表向きで起こっている現象です。
実際に、親の心の仕組みとして起こっていることは、
「子どもに勝手に勉強をされると困る」
なんです。
勉強をさせようとして、勉強をしなかったら、
「この関わり方では上手くいかないんだな」
って、1回では分からなくても、何度か繰り返せば気付きますよね。
でも、勉強をさせる関わりをずっと繰り返すのは、
「この関わり方では上手くいかないと分かりながらもやっている(薄々気付いている)」
ってことです。
子どもが勉強をさせないことで、
「私が、子どもに勉強をさせたんだ」
っていう貢献感を感じ、親としての役目を果たせているように感じて、自分を肯定することができる。
子どもが自分の意思で勉強を始めたんじゃない。
私が関わったから、、、子育てに成功したから、子どもは勉強をするようになったんだ。
そういうストーリーを欲してるわけです。
親の自己肯定感が低いと、
「子どもが自分から勉強を始めた」
っていうストーリーよりも、
「親である私の関わりによって、勉強をしない子どもが、勉強をするようになったんだ」
っていうストーリーを選択します。
そうやって、自分を肯定しようとしてる。
そのストーリー自体が良いとか悪いとかって話ではなくて、そのストーリーを作るためには、
「勉強をしない子ども」
が必要です。
でも、子どもはほっといたら勉強をしちゃうわけですよ。
だから、親はわざわざ「勉強をさせる」っていう、子どもが嫌がることを選択して、勉強をさせないようにしちゃう。
親の自己肯定感が低い
↓
自分を肯定するために、自分の関わりで子どもに勉強をさせたい
↓
そのために、勉強をしない子どもが必要
↓
でも、ほっといたら子どもは勉強を始めちゃう
↓
だから、子どもが勉強をしないように、勉強をさせることで、勉強をしないようにする
親の自己肯定感が低いと、こんなストーリーを実現しようとします。
自分の貢献によって、子どもが勉強をするようになってほしい、って思うわけですね。
2つ目が、
「親が条件付きの愛情を以て、子どもに接することで、子どもは勉強どころではなくなるから」
です。
親が子どもに注ぐべき愛情は、
「無条件の愛情」
です。
「無償の愛情」
なんて言われ方もします。
「無条件の愛情」
っていうのは、文字通り、愛情を注ぐのに条件が無いので、
「いつ、いかなる時も、子どもに愛情が注がれていること」
を意味します。
例えば、親が「子どもに勉強をしてほしい」と思っているとしますよね。
勉強をしているとニコニコしていて、勉強をしなくなると不安になったり、勉強をさせようとする。
こういう関わりをしているなら、親は、
勉強をしている子ども ⇒ 愛情を注ぐ
勉強をしていない子ども ⇒ 愛情を注がない
っていうように、愛情を注ぐのに条件がついてしまいます。
愛情を注ぐのに条件がつくことによって、子どもの生存本能が働き、親からの愛情を得るために必死にがんばるようになります。
これ、一見すると良さそうに思う人もいるかもしれませんが、全然よろしくありません。
なんでかっていうと、子どもの勉強をする目的が、
「親からの愛情を勝ち取るため」
であって、
「自分の成長や、知識を増やすため」
ではなくなるから。
勉強をする目的は、自己成長、知識を増やす、視野を広げる、より深い思考ができるようになるなど、
「自分に対して良いことがあるから」
です。
でも、それが「親からの愛情を勝ち取るため」になってしまうと、
「親からの愛情を勝ち取れたら、勉強をやめる」
っていうことを意味します。
言い換えれば、
「子どもに勉強をしてもらうためには、子どもを愛してはいけない」
っていうことになります。
親目線で言えば、
勉強をしている子ども ⇒ 愛情を注ぐ
勉強をしていない子ども ⇒ 愛情を注がない
っていう条件分岐をします。
でも、子ども目線で言えば、
愛情を注がれていない ⇒ 愛情を注いでもらうために、勉強をする
愛情が注がれている ⇒ 条件をクリアしたから、勉強をしない
っていう条件分岐になっています。
子どもは「親に愛してもらうために勉強をする」んだから、親は子どもを愛してはいけないことになる。
親が子どもを愛してしまって、親からの愛情を感じた瞬間から、子どもは勉強をやめてしまう。
なので、
「勉強をする代わりに、愛情が枯渇した子ども」
か、
「愛情で満たされている代わりに、勉強をしない子ども」
かのどっちかしか育てられないことになってしまうわけです。
でも、僕ら親が願っているのって、
「愛情に満たされていて、なおかつ、勉強をする子ども」
ですよね。
であれば、
勉強をしている子ども ⇒ 愛情を注ぐ
勉強をしていない子ども ⇒ 愛情を注がない
っていう条件分岐を無くさないといけない。
すなわち、
「親が注ぐべきは、『無条件の愛情』である」
っていうことになります。
ちなみに、子どもに愛情が不足してしまうと、
「精神的に不安定で脆くなる」
「自己否定をする」
「自分に価値が感じられない」
「いつも不幸を感じている」
っていうような状態になります。
そして、3つ目は、
「夫婦関係が良くないことで、両親のどっちか、もしくは両方から勇気くじきを受けるから」
です。
家庭が子どもの安全基地になっていない要因の1つが、
「夫婦関係が良くない」
です。
夫婦間でいつもいがみ合ってるなら分かりやすい。
でも、長年連れ添ってきた夫婦であれば、いつも衝突をするような分かりやすい不和ではなく、まるで冷戦のような不和になります。
パートナーに対して、大なり小なりネガティブな想いがあり、それがずっと胸中でくすぶっている。
そのネガティブな想いは、ちゃんと態度に出るから、そのネガティブな態度に反応して、
本音を話せない
頼れない、信頼できない
不満がある
恐怖心を感じている
愛されていない
否定する/される
みたいな関係性が時間をかけて構築されていく。
僕が言ってるのは、
「”家庭”を子どもの安全基地にする」
なので、当然、パートナーもひっくるめて、安全基地にしていきます。
勉強は安心安全な場所で、集中しないとできないことです。
また、自己肯定感が高いからこそ、より自分を高めようと思って勉強をします。
夫婦のどっちかが子どもを攻撃していれば、当然、子どもは心にダメージを受けます。
そしたら、安心感を感じられなくなったり、自己肯定感が下がることで、勉強ができなくなり、やろうとしなくなります。
そうなると、自分と子どもとの関係が良くなっても、今度はパートナーが子どもを攻撃し始める。
ほんで、子どもを攻撃するパートナーに対して、自分が攻撃するようになる。
そうした「攻撃の連鎖」が起こるようになる。
夫婦関係を改善していく第一歩は、
「子どもを攻撃するようなパートナーであっても認める」
です。
夫婦であれば、目指している方向は同じです。
でも、対話が足りていなくて、お互いがどこを目指しているのかがちゃんと共有されていない。
自分も相手の話を聴けてないし、相手も自分の話を聴いてくれていない。
相手の話を聴いたり、相手を認めることよりも、
自分の話を聴いてもらうことや、自分を認めてもらうことを優先しちゃう。
関係性を変えるなら、変わるのは常に自分からです。
相手を変えようとするのをやめる。
まずは、自分が変わる。
「相手に話を聴いてほしい」って思うなら、まずは相手の話を聴く。
「相手に認めてほしい」って思うなら、まずは相手を認める。
親子関係を改善する時と同じ考え方です。
やることはシンプル。
シンプルだけどできないということは、これはもうノウハウやスキルの話ではなくて、
「心のあり方(Being)」
の話だということ。
自分の心と向き合い、相手の心と向き合っていく。
その上で、
「自分はどうなりたいのか?」
「自分はどう在りたいのか?」
そういう話になります。
そして、4つ目が(まだあるんかい)、
「親から勉強に関する話がされていなくて、勉強のおもしろさが分かっていない」
です。
「家庭が子どもの安全基地になっていない」
っていうのは、
親から指示命令型のコミュニケーションを取られたり、
両親の関係が良くなくて、親から否定されたり、強制されたり、
親から心配や不安をぶつけられたり、
条件付きの愛情で接せられて、高圧的な態度だったり、脅されたり・・・
そういうコミュニケーションを、平時から取られている、ってこと。
そういう親子間のコミュニケーションでは、
「いかに勉強がおもしろいか」
「勉強をすると将来の何に良いのか」
みたいな話はされていません。
仮に、そういう話がされていたとしても、家庭が子どもの安全基地じゃないなら、子どもが勉強なんぞに現を抜かしている余裕なんてありません。
家庭内ですら生き延びていくことに必死、自分を守ることに必死なので、勉強なんてしてる余裕はありません。
山でクマに襲われて絶体絶命のピンチ!!
そんな時に、勉強の話に耳を貸せるか?っていうと、
「それどころちゃうねん!!」
ってなりますよね。
「家庭が子どもの安全基地じゃない」
っていうのは、そういう状況です。
親から、勉強のおもしろさが共有されていない。
共有されていても、子どもが安心して話を聴けるような家庭環境になっていない。
その結果、
「子どもは何のために勉強をするのかが分からない」
っていう状態になります。
子どもは、
「勉強をしない理由があるから勉強をしない」
のではなくて、
「勉強をする理由が無い(分からない)から勉強をしない」
っていうこと。
家庭が子どもの安全基地になっていて、両親のどっちかから勉強のおもしろさや勉強する理由が共有されていると、子どもは自然と勉強するようになります。
なんでか?
「勉強はおもしろいし、自分の人生をより良くしてくれるから」
です。
だいぶ長々と書いてきました。
7000文字くらいあります。
「子どもが安心感を感じていることが、子どもの勉強を始め、子どもの人生にとっていかに大切か」
が分かってもらえたでしょうか。
現時点で、子どもが安心感を感じられていないなら、親のコミュニケーションの取り方や、夫婦のあり方を変えていかないといけない、っていうこと。
そういうことを学ぶのが、
「親のためのコミュニケーション講座 BASE」
です。
具体的に何が学べるのか?を説明しているので、ぜひ動画を見てみてね。
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親のためのコミュニケーション講座
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Buff11:これから先、どんな時代であっても生きていける子どもを育てる
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佐伯和也
神戸大学大学院修了
株式会社チームフローでコーチングを学ぶ
ゲーム歴30年以上
ゲームを1日10時間以上やっていたにも関わらず、
勉強にも取り組んできました。
そんな僕の育てられ方や、
ゲーマー視点を解説したり、
僕が学んできたアドラー心理学や
コーチングの考え方を使って、
「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」
について発信しています。
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