Buff2:最低限の人生ではなく最大限の人生を生きる | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

昨日は、

 

「子どもにデバフをかけるのをやめて、バフをかけられるようにしよう」

 

という話をしました。

 

 

 

まだの人はこちらから読めます!

Buff1:子どもにデバフをかけるのをやめて、バフをかける

 

 

 

「バフ/デバフ」という言葉を子どもに確認してくれた方がいました(笑)

 

ゲームをする子どもなら大体知ってると思います。

 

 

 

今日は、

 

「なんで、子どもにバフをかけるの?」

 

って話をしていきます。

 

 

 

子どもにデバフをかけるのをやめて、バフをかけるようにしよう・・・

 

なんとなく良さそうな気がするけど、親からしたら、自分と向き合ったり、コミュニケーションを変えないといけなかったりして、かなりめんどくさいです。

 

 

 

バフをかけないまでも、デバフをやめるだけでもいいんじゃないの?

 

つまり、「遊びの解放」だけでいいんじゃないの?と思う人もいるかもしれません。

 

 

 

だってさ、やってみたら分かるけど、「遊びの解放」だけでもけっこう大変なんよ(笑)

 

周りの人の目線もあるし、将来の不安もあるし、本当にゲームすら好きにさせてもいいのか。

 

 

 

そういったものに向き合いながら、ゲームも含めて子どもに自由に遊んでもらう。

 

親からしたら、なかなか理解できない所業かもしれません。

 

 

 

「遊びの解放」の目的は、

 

「子どもに主体性を取り戻してもらうこと」

 

です。

 

 

 

子どもの遊びを制限するということは、

 

「子どもに関することを親が決めている」

 

ってことよね?

 

 

 

ということは、

 

「子どもに関することの主導権は、親が握っている」

 

ってことです。

 

 

 

その主導権を子どもに返還するために、「遊びの解放」をします。

 

 

 

では、なんで、子どもに主導権を返還して、主体性を取り戻してもらうんでしょうか?

 

「子どもに自分の人生を生きてもらう」

 

「ありのままの子どもでいてもらう」

 

「子どもにやりたいことをやってもらう」

 

「子どもに幸せになってもらう」

 

どれもちょっと違います。

 

 

 

子どもに主体性を取り戻してもらう理由は、

 

「子どもに最大限の人生を生きてもらうため」

 

です。

 

 

 

「最大限の人生」というのは、

 

「子どもが生まれ持った才能を最大限発揮し、

子どもが持っている可能性(夢)を全力で実現しにかかる」

 

っていうような、そんな人生を送ってもらうことです。

 

 

 

子どものやりたいことをできる限りやってもらう。

 

「やりたいこと」って、ゲームをするとか、Youtubeを見るとか、そんな話じゃないよ。

 

それもたしかにやりたいことやけど、それでは子どもの魂は震えない。

 

 

 

子どもに「遊びの解放」をすると、やりたいことや、好きなことをやり始めます。

 

でも、今まで遊びを制限されていたんだから、子どもは

 

主導権の握り方が分からないし、

 

自己肯定感が低いから、全力を出す意欲が無いし、

 

自己効力感が低いから、やりたいことがあっても、できないと思ってるし、

 

不安感が強いから、やりたいことをやろうとしない。

 

 

 

つまり、

 

「今、自分ができる範囲のことしかやろうとしない」

 

んです。

 

 

 

これは、たしかにやりたいことっちゃあやりたいことなんだけど、

 

「今の自分でもやれること」

 

に過ぎません。

 

 

 

僕が言う「やりたいこと」っていうのは、

 

「今の自分には到底できないし、やり方も分からないもの」

 

も含みます。

 

 

 

言い換えれば、

 

「勉強や成長を必要とするもの」

 

「自分の限界を超えて全力を出さないといけないもの」

 

も含んでいるんです。

 

 

 

今の自分でもやれることだけに収まるなら、それは「最低限の人生」です。

 

今の自分にできないことややり方が分からないことにも手を伸ばしていくのが「最大限の人生」です。

 

 

 

最大限の人生を生きるためには、絶対に乗り越えないといけない「壁」があります。

 

それが、

 

「自分の天才性を発揮し、可能性を信じる」

 

っていうこと。

 

 

 

天才性は才能と言ってもいいんやけども、

 

「自分の能力の理論上の限界」

 

です。

 

 

 

本気で取り組み続けて、学び続けて、自分を磨き続けた先に到達できる頂。

 

人生をかけても、自分が到達できる限界ラインがある。

 

それが天才性です。

 

 

 

遊びを制限するなどのデバフをかけている間は、決して到達できないし、頂の存在を見ることはおろか、知ることすらできません。

 

「自分はどうせこんなもんでしょ」

 

って思ってるから、まさか自分の能力を伸ばせるとも思ってない。

 

 

 

子どもにデバフをかけてるという親の関わりの意味は、

 

「子どもには、最低限の人生を生きさせる」

 

です。

 

 

 

なるべく親が安心できるように、子どもを思惑通りに育てたい。

 

親が安心感を得たいからこそ、親は子どもの遊びを制限するし、行動を管理し、子どもをコントロールしようとします。

 

 

 

「子どものため」っていう大義名分を掲げて、その実、親(自分)のために子どもに指示を与え、行動を制限する。

 

「自分が先に死んだら、この子が生きていけないだろうから」

 

っていう大義名分の元、子どもに勉強をさせたり、学校に行かせようとする。

 

 

 

「自分が先に死んだら、この子が生きていけないだろうから」

 

っていう不安感は、

 

「親の課題」

 

なので、子どもからしたら、

 

「その不安を俺に(私に)ぶつけてくんなよ」

 

「その不安を理由に、俺を(私を)コントロールしようとすんなよ」

 

ってのが本音です。

 

 

 

「知らんがな」

 

って話なんよね。

 

 

 

親の不安を解消するための子育てが目指している場所は、

 

「最低限の人生」

 

です。

 

 

 

最低限の人生とは、

 

「最低限、生きていられていること」

 

です。

 

 

 

そこを目指している。

 

だからこそ、

 

「自分が先に死んだら、この子が生きていけないだろうから」

 

「将来、この子は生きていけるんだろうか」

 

ってことが気になる。

 

 

 

「この子は、生きていけるだろうか・・・?」

 

っていう不安が解消した状態って、

 

「この子は、生きていける!」

 

でしょ?

 

 

 

なので、子どもがどんな形であれ、生きていてくれさえいればいい、と思ってる。

 

生きていることを目指している。

 

 

 

でもさ、よく考えてみて。

 

 

 

「将来、子どもが生きていること」

 

を目指すんなら、勉強も、学校も要らない。

 

 

 

天才性を発揮しなくていいし、自分の可能性の存在に気付かなくてもいい。

 

人の力を借りなくてもいい。

 

何も成長しなくていいし、学ばなくてもいい。

 

 

 

今のままの自分でもいい。

 

 

 

今の日本社会は、食うのに困らない社会です。

 

これを読んでる親に問いたい。

 

 

 

食うのに困ったことはある?

 

「無い」

 

っていう人がほとんどじゃないかなぁ。

 

 

 

アルバイトすればお金は手に入るし、お金が無くても、どこかしらに行けば食べ物はある。

 

そもそも、食うのに困る国なら、ホームレスの人はこんなに居ないよね。

 

家が無くても、仕事が無くても、生きていけるんよ。

 

 

 

だから、

 

「この子は、生きていけるだろうか・・・?」

 

っていう不安は、

 

「子どもが最低限、ホームレスや生活保護になってもいいから、生きてくれてさえいればいい」

 

っていうことを”目指している”ことを意味します。

 

 

 

一応、言っておくけど、ホームレスや生活保護をもらってる人を下に見たり、さげすんだりしてるわけじゃないからね。

 

天才性も持ち合わせていて、可能性も無限にある子どもが、わざわざホームレスや生活保護をもらうような生活を目指さなくてもいいでしょ、って話をしています。

 

くれぐれも誤解しないようにね。

 

 

 

あと、僕のメルマガやブログを読んでくれてる方は、

 

「子どもが生きてくれてさえいればいい」

 

っていうことを僕が言ってるのを聞いたことがある人もおるかもしれん。

 

 

 

あれは、親が子どもに対して、

 

「学校に行って欲しい」

 

「勉強をしてほしい」

 

「ちゃんと部屋を片付けてほしい」

 

「ちゃんと友達を作ってほしい」

 

「お金の無駄遣いをしないでほしい」

 

「お年玉はちゃんと貯めてほしい」

 

みたいな欲が多くて、期待をしていることに対するアンチテーゼで言ってるものです。

 

 

 

「子どもに対する欲しがりさんか!」

 

っていうツッコミの意味で、

 

「子どもは生きてくれてるだけで100点満点なんやで」

 

っていうことを言っています。

 

 

 

あくまでも、現状の子どもに対しての言葉です。

 

現状の子どもに対して、欲深い親からしたら、不満に思ったり、欠けたり、足りないように思えてしまう。

 

それに対する反論として、

 

「子どもが生きてくれてさえいればいい」

 

って言っています。

 

 

 

僕が今、話しているのは、未来の話であって、

 

「子どもが目指しいく場所」

 

のことを言っています。

 

 

 

未来になっても、子どもがただ生きているだけなら、子どもが生まれ持った才能も、可能性も、意味を成していないじゃない?

 

何も発揮されていない。

 

 

 

だから、今現在の子どもに対して、

 

「子どもが生きてくれてさえいればいい」

 

ってことは言うけど、未来の子どもに対しては、

 

「あんた、もっとできるやろ」

 

って思ってる。

 

 

 

話してる内容が違うので、ここも誤解せんようにね。

 

補足終わり。

 

 

 

 

 

もし、子どもが最低限の人生を目指すなら、勉強をする必要も無いし、今の状態から何も変えなくてもいい。

 

中卒どころか、小学生くらいの知識があれば、現代社会でも生きていける。

 

しかも、仕事場で教えてもらえばいいから、学校に行く必要すらない。

 

 

 

例えば、コンビニでバイトをするのに、学力や学歴は要らんでしょ?

 

年齢制限くらいじゃないかな。

 

 

 

なので、親が、

 

「この子は、生きていけるだろうか・・・?」

 

って心配していながら、

 

「子どもには勉強をしてほしい」

 

「子どもには学校に行って欲しい」

 

って願うのは、矛盾してるわけよ。

 

 

 

勉強をしたり、学校に行ったりしなくても生きていくのは容易いのに、勉強をしてほしい、学校に行って欲しい、って意味わからんやん?

 

最低限、生きていけるだけの人生なんだから、勉強をする意味もないし、学校に行く意味もない。

 

親による教育だって必要も無い。

 

ただ一緒に暮らして、ご飯を食べさせてるだけで、子どもは生物学上は生きていける。

 

 

 

「この子は、生きていけるだろうか・・・?」

 

みたいな不安を持っている時は、そういう未来を思い描いているし、目指しているんだよ、ってことです。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、改めて、これを読んでくれてる人に問いたい。

 

「子どものそんな未来を望んでいるの??」

 

 

 

子どもに対して、

 

「この子は、そんな程度の最低限の人生しか歩むしか能が無い」

 

って本気で思ってるの?

 

 

 

もし、そう思ってるなら、もう親がやることは何もない。

 

ただご飯を用意して、死なないようにするだけでいい。

 

 

 

でも、きっとそうじゃないやろ?

 

 

 

子どもには、今以上に幸せになってもらいたいし、せっかく天からもらい受けた命。

 

全力で、思いっきり使って、最高に幸せで楽しい人生を送ってもらいたいやん?

 

 

 

暗く落ち込んで、つまらなさそうな子どもよりも、

 

自分と向き合い、全力で生きていて、キラキラと輝いている子どもを見たいでしょ??

 

 

 

そして、

 

「うちの子だって、そういう人生を歩める」

 

って信じたいでしょ???

 

 

 

もし、僕が今書いたことに共感してくれて、

 

「うちの子にも、全力で思いっきり生きて、最高に楽しい人生を送り、今以上に幸せになってもらいたい!

 

そして、そうなれることを全力で信じたい!」

 

って思うんなら、ぜひとももうちょっと僕の話を聞いてもらいたい。

 

 

 

この企画では、子どもがそうなれるような親の関わり方・・・

 

子どもにバフをかける考え方や方法論を話していくので、それをぜひ聞いてもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

昨日のメールで、

 

「遊びの解放をしているのは当たり前で、そこが子育てのスタートだよ」

 

って話をしたいんやけど、「遊びの解放」っていうのを打ち出したことすら、

 

「思いもよらなかった」

 

「非常識だと思った」

 

「びっくりした」

 

みたいに言われるんだから、その先の話・・・子どもにバフをかける関わり方については、多くの場所で話されていない内容だと思う。

 

 

 

僕も、日々Youtubeや本で子どもとの関わり方について調べてるけど、僕がこれから話すようなことを話している人は、本当に少ない。

 

しかも、その人は「親が子育てを学べる講座」を開いていないことがほとんど。

 

子どもに対するアプローチをしていることがほとんど。

 

親に対しては、子どもの保護者としての対応なので、そこはメインじゃないんよね。

 

 

 

「子どもを信じて見守ろう」

 

みたいなことを言ってても、ゲームやYoutubeだけは例外やったりするんよね。

 

「子どもを信じて見守ろう、ただし、ゲームやYoutubeにはルールが必要です」

 

みたいな。

 

 

 

結局、それって親が管理してるから、子どもの持ってる天才性や可能性も一緒に制限されちゃってる。

 

もし、子どもに、ゲームやYoutubeに関する才能があったら、どうやっても親が障害になっちゃってるよね。

 

つまり、子どもにデバフをかけちゃってるし、それを「信じて見守る」とは言わんのよ。

 

 

 

子どもに最低限の人生を望むなら(意識的にせよ、無意識的にせよ)、子どもにバフをかける必要なんて無いし、勉強や学校、挑戦、成長なんて要らない。

 

子どもに最大限の人生を望むからこそ・・・

 

すなわち、

 

「子どもが今できないことをできるようになり、最大限の可能性を実現させようとする」

 

子どもがそうなれるように子育てをしていこう、っていうからこそ、子どもにバフをかける必要性が出てくる。

 

 

 

子どもが今できないことなんだけど、それは子どもの「やりたい!(Want)」の気持ちがあったら、実現できる。

 

でも、その時に、親が子どもの人生に協力をして、バフをかけられると、子どもの人生が加速していく。

 

そして、子ども1人じゃ突き破れなかった限界を突破していけるようになる。

 

 

 

子どもが持っている可能性を、実現できるようになっていけるわけ。

 

そのためには、

 

親がデバフをかけるのか(否定的介入)

 

デバフをかけないのか(不介入)

 

バフをかけるのか(肯定的介入)

 

をするのかが、極めて重要です。

 

 

 

今日はこの辺で終わるけど、ぜひこの先も話を聴いてもらいたい。

 

もし、質問や感想、コメントがあったら、送ってほしい~!

 

長すぎて、読むので精一杯、って言われるけど、大丈夫!%name1%さんならできる!!笑

 

 

 

というわけで、今日はこの辺で。

 

また次回!

 

 

 

もし、前回のメールを読みたい方は、こちらから見れます!

 

Buff1:子どもにデバフをかけるのをやめて、バフをかける

 

 

 

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佐伯和也

神戸大学大学院修了

株式会社チームフローでコーチングを学ぶ

ゲーム歴30年以上

 

ゲームを1日10時間以上やっていたにも関わらず、

勉強にも取り組んできました。

 

そんな僕の育てられ方や、

ゲーマー視点を解説したり、

僕が学んできたアドラー心理学や

コーチングの考え方を使って、

「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

について発信しています。

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