こんにちは。
くらげです
いつもありがとうございます。
片付けコーチをしています。
前回はこんな記事を書きました。
あれからわたしは
今日やると決めたことを全てやり終えて
そうして30分ほど
次のやると決めたことまで時間ができたので
好きな本を読んで
それでも15分くらいあるのて
やると決めたわけでもないけれど
ブログを書くことを始めました。
徹底的に片付けをして
家族もわたしにつられて片付け始めて
本当に
今必要と思うもの以外の
数え切れないほどのものを手放したのです。
そしてこの家に引っ越してきました。
その経緯はぜひ
みなさんのお時間が許せば
このブログを遡っていただければ
ほとんどのことが書いてあります。
さてこの家に越してきて
父と母が
本当にわたしたちが気持ちよく暮らせるようにと
努力してくれています。
わたしたちもお金をかけたり
色々と試行錯誤をして
気持ちよく暮らしています。
それでもこの家は
やはりわたしの好みではないし
ああ 嫌だなあ
と思うような
たくさんのものを
抱えています。
この家に越してきて
最初の春に
母は玄関脇の小さな花壇を
わたしの好きなようにしていいよと
言ってくれました。
その花壇は北向きで日当たりがとても悪く
いつもなんだかじめっとしていて
枯れた細長い茶色の葉っぱが
わさわさと手入れもされてない様子で
わたしはとても嫌だったんです。
住む前から、いやだなぁと。思ってたの。
それで
わたしたちが
どこだったかな、どこか義実家きどこかへ
泊まりででかけて帰ってきたときに
それまで花壇に生えていた
わたしにとって汚らしいものたちが
一本残らず 引っこ抜かれていて
茶色の土が剥き出しになっていて
わたしは瞬時に
母がやったんだ、とわかりました。
どこか意地のような
当てつけのようなものも感じたけれど
母なりの気遣いだったんだと思います。
それからわたしは
そのすっかりサッパリした花壇を
わたしなりに、管理して
季節の花を植えたり抜いたり水をあげたり
虫に怯えたりめんどくさくなったり
しているんです。
汚い
もっとシンプルな
銀葉のおしゃれな植物にしてほしい!
ワイルドというよりは
放置されたような花壇を
わたしはとても嫌っていました。
けれど母は、
その北側の花壇より
さらに過酷な
犬走りの細い細い全く陽の当たらない場所に
引っこ抜いた植物
(わたしはそれを、ただの雑草としか思えなかった)を
植え替えていたのでした。
春から、この初夏にかけて
それらの雑草のような
母が「かわいい」という草花が
一斉に咲いては、一斉に枯れて
枯れたと思ったら
次の種類の植物が一斉に咲いたりして
それらは
不規則で
枯れて雨に濡れると
いよいよ汚らしくて
わたしの理想と 全然違う
不気味な生命力を発揮しているのです。
わたしがもらった花壇からも
どこかで小さな球根が生きていて
植えたはずのない花が
急に勢いづいたりします。
一番右の紫の花は
母が以前植えたらしい
わたしと母は
かわいいと思うものの種類がちがうみたいで
わたしが可愛いと思って
わざとグランドカバーとして移植した雑草を
母は気持ちが悪いと嫌っている。
他人と暮らすということは
そうゆうやりとりの連続なんだろうなと
おもう。
価値観がちがう
と言ってしまったら
それまでなのたけど
わたしはその違いの方に
価値があるんじゃないかと
最近思い始めた。
直線的で
規則正しく
無機質で
それでいて 自然に馴染むような
シンプルなものがとても好きです。
その中に
邪魔だと思うような異物が
異様な生命力で
自分の聖域を脅かすように思えるときがある。
そうゆうときは
きっと何かに怯えて
不安でいっぱいなんだろうなと
今では思うんです。
母の花が
とても過酷な環境下で
それでも咲き乱れ、そして枯れてゆくのを見るときに、
きっとまた来年も
たくましく咲きだすんだろうなと思う時に、
自分のせかいに
たくましく邪魔してきてくれるものたちの
なんと愛しいことだろう
とおもう。
不安でおしつぶされそうなとき
そんなふうには思えなかった。
何もかも完璧に
白くしてしまいたかったんだ。
この家の不協和音が
なかなか良いもんだと
思うときがあります。
その中にいさせてもらえることの
ありがたさ。
さて、
今夜のごはんをつくりに
ちいさなちいさな台所へ
行ってきます。
くらげと一緒にお片付けしたら
楽しく人生好転させていけそうだな〜〜〜という方へ。
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