読書会の世界だけでない。
世の中には、外見だけでなく内面が違う色んな人がいていろんな考えがある。
ご縁がなくて知り合っていないだけ。
自分が正しいのではなく、相手が正しいこともある。
自分も相手も間違っていることもある。
それぞれがお互いに認め合い、その状況を尊重しあえて共存することができれば。
社会で大きな争いが少なくなるものだと。
そんな社会が理想的だと思う。
10P 正しすぎる社会は怖い
重要なのは、互いが歪んでいることを理解しながら、歩み寄れるギリギリの場所を探すことだ。むしろ歪みを許さない正しすぎる社会というのは怖い。正義とは。歪みや迷いと対話を繰り返し、少しでもいい社会を構想する中で、おぼろげに浮かび上がってくるものくらいに思っておいた方がいいだろう。
全ての困難が対話や熟議で解決できるとは思わないが、自分から見て「嫌な奴」や「間違っている奴」を消し去るのではなく、また自分好みに教育や管理しようとするのでもなく、ゆるやかに共存できる社会を目指すのは、それほど高望みではないだろう。
幸福を感じる基準は、ひとそれぞれだ。
そうでない人と比べてみなくても、ぼくは、当たり前の毎日が実は相当幸福なんだと思う。
141P 大切なのは自分にとっての幸せを理解すること
「何もない日常こそ幸福だ」と言う人がいる。
誰からも幸せに見える人が、本当に幸せを感じているかわからない。
重要なのは、自分にとって何が幸福なのかを理解することだと思う。「幸せは、お金ではなく心だ」といった話ではない。何が大切なのかは、人によって違うのである。だから幸せの基準が曖昧な限り、どんな生き方を選んでも、きっと後悔が残ってしまう。何が幸福なのかを分かっていない人生は、ゴールの見えない迷路を進むようなものだ。
一方で、何が大切かを理解している人は、どんな場所にいても、人生の分岐点が現れるたびに、幸福への近道を選ぶことができる。
幸福は、自分にとって何が幸せかを考え、定義することから始まる。
<目次>
はじめに
第1章 緊急事態下の脱力法(ヒトは神頼みをやめられない、ファクトは感情に勝てない ほか)
第2章 そんなに頭に血をのぼらせてどうするの(日本は「快適な自由」の設計に失敗してきた、制約はときに創造の母となる ほか)
第3章 余所者には余所者の幸せがある(中吊り広告は不滅です、嫌な経験こそ記憶にとどめる ほか)
第4章 戦争が起き、元総理が殺された(「正義」はいつも都合よく利用される、「素人」は沈黙せざるを得ないのか ほか)
おわりに
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍