アフターコロナを生き抜く!これから起こる変化について発信するブログ

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コロナ後は価値観の変容が起きます。新しい時代に向けた準備をはじめましょう。テーマは環境保護、自然農、瞑想、健康食品など、興味があればコメントください!

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こんにちわ。



タネを蒔いてもいっこうに芽がでない場合がある。


↑芽が出ず、草に覆われていく大地。

 

↑芽が出ていないので、カボチャも浸食し放題(笑)

 


タネを蒔いて、全く芽がでないというのは
ショックではあります。


普通であれば
タネの蒔き直しをしたり
と対応するのでしょう。            


でも、ここは自然農。


敢えてそれをしないのが
適策だと考えます。


自然のほうから
ここはそのタネを発芽させて作物を
生長させる土壌には向かないと言われているわけで


それを押し切って
その作物にこだわるのは
いけないことのように思います。



地球のすべてのスペースは自然でありますから、
自然に任せる。



自然との共生です。



そうかと思えば逆もある。


タネを蒔いてもいないのに
畑の片隅にシソが生えてきた。



こういった読めないところが
自然農の良いとこではないかと思っています。


シソが生えてきたとこへは
別のものを植えようと考えていました。


計画変更ですが、
こういった予期せぬ変化はとても面白い。


こちらも自然からの回答。
楽しいものと、とらえたほうがいいです。


驚きを大事にこれからも自然農、
続けていければと思います。




ズッキーニは今年も好調です!

 


早くも特大の実をつけていました。収穫しようとおもいます。

 

 


ゴマの種を買いました。
地温もあがってきたので
近く蒔きたいと思います。



こちらもきっと思うようにはならないのでしょうが、

どうなるかを楽しみにタネを蒔きたいと思います。




芽がでないと本日のブログで書いておりましたが、

ひと株だけ、芽がでていました!



ちょっとしたサプライズで嬉しかったです。

ポジティブな報告で終われて、よかったと思います。



本日はなかなか思うようにはならないけれど、、
ということでブログをお届けしました。

ではまた。

こんにちわ。




最近この本を読んでから
テクノロジーに頼らない生活に
強い関心と憧れを持つようになってしまった。




そこで、日本人である私たちが
学ぶべきは縄文時代にあるのではないかと、
ちょっと突飛な発想からこんな本を読み始めた。




参考書籍:縄文人の文化力
小林達雄氏 著




縄文人と言えば現代からはるか遠い昔のご先祖様。





原始的で野蛮というイメージがあった。





でも、読んでみてその考え方は結構変わった。





縄文人は非常に豊かで文化的な生活を
送っていたようだ。





そして、特徴は精神性が高く
自然とも良く調和していたこと。





本書それを裏付ける
このような記述がある。




p92
「かくて、縄文経済とは自然の観察を通して
具体的な試行錯誤を重ねながら、食料対象を
とことんまで開発してゆこうとするものであった。」





そして農耕についての言及もある。






「この方針は特定の少数種に収れんしようとする農耕経済とは
まったく反する極に立つものなのである。」







縄文時代の次の弥生時代は
稲作が始まったと歴史の教科書にはある。






この書き方だと
今までまるで動物のように
狩りや採集などをしていたが
進化の結果として稲作を始めたか
のようなニュアンスも感じないだろうか。






でも狩猟生活から稲作は本当に進化だったのか??と
問いたくなるように思えてくる。






「また、農耕が一定面積を区画して自然から
切り取り、特定種専用の畑とすることは
その面積が多種多様な資源を生み出す潜在的な
機能を否定し、破壊するのである。
この観点からすれば今日の自然環境に対する冒とくと破壊は
まさに自然を積極的かつ人工的に変更することによって
効率を高めようとする農耕経済に由来するものであることが
理解される。」






まさに、その通りだと思う。





自然農をして感じるのは
自然農畑では何を育てることが
自然との調和なのか、ということ。





例えば
茎が倒れて収穫時期を告げている玉ねぎだが
畑には、まばらに生えている。




これでもはじめは
さくをきり、
一定間隔に苗を植えていった。





でも、経過とともに
その場で生きられない株は
徐々に姿を消した。





虫にに食べられたり、
鳥に食べられたり
病気になったり、
草に負けたり、






理由はさまざまだが
無くなった。






それは自然が決めたこと
人間は逆らえない。
付き従うしかできない。






そして農耕の根本の問題を指摘した
極めつけは次の文章。






「(中略)農耕経済は人類がとるべき道の選択において
根本的は過ちを含むところがあったのではなかろうか。」






今、広く行われている
慣行農の行動目的は
収量第一という考え方だ。





その目的のためならば
区画内はどんど人間の都合で改変可能。
自然の声に耳を傾けるような姿勢はまったくない。






縄文文化は1万年続いた。






自然を崇め、
自然から人間が得ても良い量をしっかり
わきまえていたからに他ならない。






縄文の次の弥生時代以降,

産業革命なんかも経て、わずか2千年で
自然破壊は取り返しのつかないとこまできてる。






まさに本書の指摘通り、
人類は農耕を選択した時点で間違えていた。






「換言すれば狩猟。漁撈採集の縄文自然経済が決して
自然の破壊に走ることがなかった事実ひとつによってもよく
知られるところである。」





ここまで書いてきておもったが、
自然農も農であるからには
程度の差こそあれ自然の改変を行っているのかもしれない。





草を敵としないとしながらも
夏には草を刈る。





旺盛な夏草が生えるままにしておけば
作物は草に負けてしまい、全く育たないからだ。





不耕起と言っても
種が蒔きやすいよう、
苗が植えやすいよう、
多少、土を削たたり
ネギの土寄せなどで鍬で土を掘り起こしたりもする。






これを「自然」と言ってしまっていいのか
とも考えてしまう。






しかし言い訳ではないが、
収量にこだわらないから
土に合わず作物が出来きなくても
特に気にしない。






虫の駆除もしたことが無い。
自然農畑の虫は作物の葉は食べ放題だ(笑)。






獣よけの柵や
鳥よけの覆いなどもいっさいない。






むろん農薬、化学肥料は
いっさい使わない。






これらの状況から、自然農は自然だが
縄文人が体現していた自然との一体感みたいな
ものは本当にあるのか!という重いテーマも
今回浮かび上がってきてしまった。





そのテーマも頭に置きつつ、今シーズンも
自然農をやっていこうと思います。






本日は縄文人に学ぶ真の豊かさとは?! 農耕を選択してしまった人類の過ち  自然農の立ち位置も確認 
ということでブログをお届けしました。

ではまた。

こんにちわ。
本日は時間は存在しないについて
ブログを書かせていただきます。

参考書籍:「忙しい」を捨てる

Aスマナサーラ長老 著





この方の法話はユーチューブで良く見ていました。
今回氏の著書をはじめて手に取って読んでみましたが
とてもよかった。
心が動く箇所が随所にあった。





長老の主張はこうである。









日本人は忙しそうにしている。

絶えず時間に追われているように見える。







でも、その時間というものは存在しないのだが、、。
これが仏教の基本スタンス。







時間は人間が考え出した道具に過ぎない。







なぜ、時間を考えたかと言えば便利だからです。






本書のたとえを借りると、






炊きたてのご飯があります。






湯気をたて、ホカホカで美味しそう。






でも、一時間放置するとどうか?






冷えて固くなってしまい、
レンジでチンをしなければ食べることもできないようなご飯
になってしまった。







その時に、このごはんのことを
一時間放置してしまったご飯と人は言いたい。








だから時間が必要なのだということ。








でも仏教的には
冷たく変化したご飯ということになる。







ポイントは前者が時間経過したけれど
同じご飯だとするのに対し、
後者は全く別のものだととらえているところ。







要は時間は存在しないということ。






一つの現象はただちに次の現象に
変化する。





あるのは「今」。

「今」しか存在しない。







これを仏教ではどう言っているか?
「無常」だと言っています。







現象があって、
それがどんどん変化する。








これを無常と思わず
時間の経過だと誤認してしまう。






時間は存在しない。
では何があるのか
それは「瞬間」です。





仏教では心が別の
心に変化することを「瞬」と呼ぶ。






その「瞬」は途方も無く短い。





本書ではその瞬を17分の1ナノ秒
と表現しています。






(注:行者が瞑想を通じて感じた瞬の長さなので
厳密には言えないが、便宜上17分の1ナノ秒とする。らしい?!)






ナノ秒(nanosecond、記号: ns)は、1秒の10億分の1(\(10^{-9}\) 秒、0.000000001秒)を表す時間の単位です。
光が真空中をわずか約30cmしか進めないほどの極めて短い時間であり、
現代の超高速コンピュータや通信技術の処理速度を測る基準として広く使われています。
AI による概要






そしてすべてのものは素粒子といエネルギーで
出来ている。






つまりはすべてのものは同じスピードで
変化している宇宙も。地球も。人間も。






だから、過去や未来のことを考えてくよくよしているなんて
まさにナンセンス。





今にとどまり、感じる。





そのためには瞑想しかない。





瞑想は今に留まる技術です。





生きている間に瞬(=今)を感じるまでになれたら
うれしいもんです。




本日は 時間は存在しない!スマナサーラ長老の教えに感銘を受ける
ということでブログをお届けしました。

ではまた。