マイケル・ジャクソン「ウィ・アー・ザ・ワールド(デモテープ)」、ケン・クレーゲンとハリー・ベラフォンテ、クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、人間のエゴイズム、ロック・洋楽。


各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…
あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品
音路(34)世界は何が支えてる【2】
「USA フォー・アフリカ」の始動 ~ エゴは預けて
◇世界中で巻き起こった慈善活動の波
前回コラム「音路(33)世界は何が支えてる【1】二つのエイド」では、「バンドエイド」と「ライブエイド」のお話しを書きました。
今回のコラムでは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録直前までの話しを書きます。
英国のミュージシャンであるボブ・ゲルドフが、英国とアイルランドのミュージシャンたちによる「バンドエイド」と、チャリティーソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」の構想を考え、行動を始めたのが1984年11月。
そして1984年12月には、チャリティーソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」が発売され、大ヒットします。
1985年7月13日には、世界各国のミュージシャンが参加したアフリカ飢餓難民救済イベント「ライブエイド」が開催されます。
何と半年後には、英国から始まった慈善活動が、一気に世界に広がっていました。
* * *
この猛烈なスピード拡大を生み出したのは、世界のポピュラー音楽界のミュージシャンたちであり、そのファンたちであったのは確かです。
ボブさんや「バンドエイド」には、時に批判も起こり、ボブさん自身も時折、失言や暴言がありましたが、その猛烈な行動力を多くのミュージシャンたちが支えたのは確かです。
ボブさんは、ノーベル平和賞の候補にもなりました。
* * *
そんな、ものすごいスピードで展開した約半年間でしたが、そのちょうど中間地点で、米国のミュージシャンを中心としプロジェクト「USA フォー・アフリカ(USA for Africa):United Support of Artists for Africa」による、チャリティーソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」が誕生します。
この曲の存在こそが、その後の巨大イベント「ライブエイド」への原動力・推進力になったのだろうと感じます。
ここから時系列で、その楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の誕生までのお話しや、その背景にある音楽ミュージシャンのお話し、音楽ビジネス界の人の動きについて、公表されている内容を中心に、少しですが書きたいと思います。
◇「エゴイズム」と向き合う
大成功した企業創業者や、芸術家と呼ばれる人間たちは、やはり一般の普通の人間たちと、少し違っている部分が多くあります。
芸術分野(創作家・演奏家・演技者・職人など)の場合、世の中の一般の方々は、その作品や公演など結果や成果物に触れる機会は多くありますが、本人たちに出会うことは、そうそうありません。
生涯、そうした芸術分野の人と出会うことなく人生を終わる方のほうが多いと思います。
結果や成果物などから、多くのものを受けとり、その刺激を自分の中で消化し、自身の人生にさまざまなかたちで取り込んでいったりしますね。
芸術家たち自身も、他の芸術家の作品から、大きな影響を受けています。
* * *
ものを創ったり、表現する分野の方々の多くは、感受性が強かったり、反骨精神が旺盛であったり、想像力が豊富であったり、探求心が深かったり、ものの見方が斜めからであったり、深層心理や本質が見えすぎてしまったりすることが、非常に多くあります。
時に、社会や他人とぶつかることもありますし、自分だけの世界に没頭する人も多くいます。
「エゴイズム(利己主義)」は、世の中の誰もが持っているものですが、人間はそれをコントロールする術(すべ)も持っていますね。
ものを創ったり、表現する世界では、この「エゴイズム」は相当に重要な要素でもあると、私は感じています。
これを失ったら、そこに創造性は生まれてこないのかもしれません。
時に人にメリットをもたらし、時にデメリットをもたらすのが、人間の「エゴイズム」なのかもしれませんね。
* * *
ひとつの音楽作品を共同で生み出すときに、相当な人数のミュージシャンたちが結集するにあたって、この各自の「エゴイズム」は相当な難敵になります。
この、各ミュージシャンがそれぞれに持っている「エゴ」を、どのようにコントロールしたらいいのか…。
私は、この米国のプロジェクト「USA フォー・アフリカ(USA for Africa):United Support of Artists for Africa」では、この問題が事前に相当に議論されたのだろうと想像します。
* * *
ミュージシャンたちにとって「エゴ」は大切なもの…。
でも、この「エゴ」を、どのようにコント―ル下に置いたらいいのか…。
この対策のため、さまざまな工夫が、この音楽プロジェクト「USA フォー・アフリカ」では行われました。
さすが、ショービジネスの聖地の国「USA」を見た気がします。
楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の制作過程を見るにつけ、楽曲やプロジェクトが出来上がっていく様子、裏で事務方サイドが行っていた動きなどを知ることができます。
きっと、音楽ビジネス業界だけでなく、他のいろいろな業界、個人の人生にも参考にできることがたくさんあると思っています。
ここから、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」が1985年3月7日に発売されるまでの、約4ヵ月間を書いていきます。
今回も、登場人物が非常に多いので、便宜上、人物名の敬称は略させていただきます。
◇「言い出しっぺ」のハリー
ものごとの始まりには、何にせよ、「言い出しっぺ」である発起人がいるものです。
今回の米国では、その発起人は、ミュージシャンのハリー・ベラフォンテです。
1984年の年末頃の英国とアイルランドでの「バンドエイド」の動きを見て、彼は活動を開始します。
「米国のミュージシャンが中心になって、同じようなことができないはずがない。米国が動けば、世界中が動き出す」…そう考えたかどうか?
* * *
ハリーは、ニューヨーク生まれの黒人歌手です。
1956年に楽曲「バナナボート」を大ヒットさせました。
その後も「マチルダ」「ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)」など、昭和世代で、耳にしたことがない人はないような楽曲がたくさんあります。
実は、この「バナナボート」という楽曲は、今回のスタジオ収録でも、非常に重要な役目を果たすことになるのですが、次回以降に書きます。
よくぞ、このスタジオ収録で「バナナボート」を仕込んでおいてくれたものです。
こうした、人間の「善」の部分を引き出す、細かな気配りこそが、人間の悪い「エゴ」の部分をおさえこみます。
* * *
今回以降の、この「USA フォー・アフリカ」の話しの中では、このプロジェクトに参加していないジェームス・ブラウンのことにも触れますが、50~70年代の黒人歌手の多くは、黒人解放運動、公民権運動、政治運動、社会運動に積極的に関与し、そのために歌っていたと言っていいほど、政治問題への意識が強い方々が多くいました。
まさに、そのひとりが、ハリー・ベラフォンテです。
もちろん、1968年に暗殺されたキング牧師とも親交がありました。
楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」が生まれる1985年頃でさえも、まだまだ黒人と白人が同等であったとはいえません。
今でも、そうであることは、皆さまもよくご存じですね。
ハリーは、その1985年頃は、ヒット曲連発のトップ人気ミュージシャンというわけではありませんでした。
当時は、音楽家というよりも、むしろ政治社会活動家のようなイメージのほうが強かったかもしれません。
彼が、社会性をおびた、新しい音楽プロジェクトを始めるにしても、自身だけでは限界があります。
それに、慈善活動というよりも、政治活動という色あいの印象を受けとられるのも得策とはいえません。
ハリーは、音楽業界の巨大な人物に相談を持ちかけます。
ケン・クレーゲンです。
◇超大物の始動
ケン・クレーゲンは、音楽やテレビ界の大物プロデューサーで、名だたる大物ミュージシャンたちの個人マネージャーでもあり、あの「人間の鎖」が生まれたイベント「ハンズ・アクロス・アメリカ」の仕掛人になった人物です。
多くのチャリティーイベントの仕掛人でもあり、趣味で天文台までつくった大富豪の人物です。
音楽業界や放送業界、ショービジネス業界はもちろん、さまざまな業界に顔がきく、超大物といったところです。
彼のクライアントであった大物ミュージシャンは数知れず…、特にカントリー音楽界は彼の独壇場だったかもしれません。
ライオネル・リッチーや、ケニー・ロジャースは彼の顧客だったようです。
ハリーの人選は、決して間違っていませんでしたね。
* * *
ハリー・ベラフォンテは、ケン・クレーゲンに話しを持ち掛け、音楽の話しならと、ライオネル・リッチーとケニー・ロジャースに協力を求めます。
この二人の協力はすぐにオーケーです。
だいたい、このスーパースターの二人といえども、ケンの話しに「NO」だのと言える立場ではなかったでしょう。
* * *
ライオネル・リッチーとケニー・ロジャースは、70~80年代にヒット曲連発の、まさに音楽界の超大物トップスターです。
ライオネルはソロ活動と同時に、コモドアーズのグループ活動も行っていましたね。
彼のつくる楽曲は、白人黒人問わず、誰もが好きになるような作風で、さまざまな感動のメロディをつくる「メロディメイカー」でした。
ケニーは、カントリー音楽界のトップスターであり、カントリーだけでなく、ポピュラー音楽界でも大成功した白人歌手です。
* * *
実は、この段階では、後の「ライブエイド」のような音楽チャリティーイベントを考えていたようです。
ですが、参加ミュージシャンのスケジュール調整や、単発的なブームで終わってしまう可能性、国際社会への影響の低さを考え、このプランではなく、チャリティーソングの制作というプランにすぐに切り替えます。
では、誰が楽曲をつくるのか…。
◇クインシーのもとへ
ライオネル・リッチーは、もちろん天才作曲家であり、感動曲のメロディメイカーではあります。
ですが、彼だけの世界観では、一定のファンにしか受けないかもしれません。
ケン・クレーゲンは、音楽界のスーパースターで、盲目の天才作曲家でもある、スティービー・ワンダーに話しをします。
彼の名があれば、これで世界各国隅々まで、このプロジェクトを知れ渡らせることができますね。
何か、一種の権威付けにもなります。
音楽の世界観も広がります。
スティービーからも、もちろん参加のオーケーは出ましたが、何しろ多忙の彼です。
すぐに、プロジェクトに加われません。
* * *
ケン・クレーゲンと、ハリー・ベラフォンテは、ここで、音楽界の超大物のもとへ向かいます。
向かった先は、クインシー・ジョーンズです。
私の想像では、ケンは、「クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンをセットで引き込めないか」だったのではないかと思います。
この時点で、この二人は、マイケルのアルバム「オフ・ザ・ウォール」と「スリラー」を超大ヒットさせていました。
クインシー・ジョーンズは、ジャズ・ミュージシャンというよりも、当時すでに音楽界のトップ・プロデューサーと呼ばれる地位にいました。
まさに、「プロデュ―サーの中のプロデューサー」という存在です。
彼は、マイケル・ジャクソンのアルバム「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」、「バッド」のプロデューサーです。
後で、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の制作過程の話しを書きますが、マイケルのつくったデモテープが、クインシーのチカラで変化していく様子がわかります。
◇何をつくるかではない、誰がつくるかだ
クインシーの人脈やチカラを持ってすれば、マイケル・ジャクソンはもちろん、フランク・シナトラ、ドナ・サマー、マイルス・デイヴィス、ブルース・スプリングスティーンらを呼ぶことだって可能だと思います。
後に「ウィ・アー・ザ・ワールド」でスタジオにやって来るミュージシャンたちの半数以上が、すでに彼と仕事をした経験を持っていました。
* * *
彼は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の少し前に、ドナ・サマーのアルバムで、すでに大物たちの大人数でのコーラスを実現させています。
クインシーがオーケーしてくれたら、付随して、大物ミュージシャンたちがこぞってやってくる…、まさにその通りになります。
成功のカギは、完全に、「何をつくるか」ではなく、「誰がつくるか」に移ったように感じます。
世の中の多くのプロジェクトには、時折、突然に方向を変える時があります。
成功に向かって、突然、方向転換することは、めずらしいことではありませんね。
結構、世の中、「何か」ではなく「誰か」のほうが重要ですね。
「誰か」に「何か」が、後からついてくるものです。
* * *
クインシーの返事は、もちろん「オーケー」でした。
マイケル・ジャクソンも意欲満々…、もう待ちきれない…。
◇まだまだ集めるぞ…
ここで妥協してストップしないのが、超大物のケン・クレーゲンです。
「オレを誰だと思ってる」…と本人が言ったかどうか?
* * *
それなら、人気黒人スーパースターの両巨頭のもうひとりで、音楽界のプロたちが尊敬してやまない、稀有なミュージシャンの「プリンス」も…。
プリンスは、結果的に、「ウィ・アー・ザ・ワールド」には参加しませんが、アルバムへの楽曲提供と、代りに子分(?)の「シーラ E」をスタジオに寄こします。
ですから完全に要求を断ったわけではありません。
マイケルに絡む、プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストンなどの話しは、次回以降に少しだけ書きます。
プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストンは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」には参加しません。
でも、参加しなかったにも関わらず、これだけの存在感を見せつけたプリンスも、やはりスゴイ!
マイケルの後のアルバム「バッド」まで、この問題を引っ張ります。
そしてさらに、「バットマン」まで引っ張ります。
すごいぜ! マイケル vs. プリンス!
このお話しは、次回以降のコラムで書きます。
* * *
走り始めた、ケン・クレーゲンの列車は、さらにスピードをあげます。
ここからは、あの、ボブ・ディラン…。
そして、当時のまさにアメリカの象徴とも呼ばれた、ブルース・スプリングスティーンです。
ブルースは、まさに米国白人男性の象徴のような存在でしたね。
ロック界で、「キング」はプレスリー、「ボス」はこのブルースです。
クインシーの人脈で、シナトラと、ブルースを…。
◇超強力の大軍団
ケン・クレーゲンの頭の中を、私が勝手に想像すると…、
最高指揮官はクインシー・ジョーンズ。
マイケル、プリンス、スティービー、ブルースの、才能と人気を兼ね備えた特別な4人を「四天王」。
精神的な神のような存在感を示すボブ・ディランとレイ・チャールズ。
そして当時ヒット曲連発の旬のミュージシャンたち。
ウエストコーストのハードロック界からは代表的な存在を…。
カントリー界からはケニー・ロジャースとウィリー・ネルソン。
女性ボーカル界から個性的な数名。
AOR界はライオネル・リッチーが代表。
モータウンはマイケルの保護者のようなダイアナ・ロスやジャクソン・ファミリーを。おしくもこの前年にマーヴィン・ゲイは亡くなっていました。
小うるさいニューヨーカー向けには吟遊詩人のような世界観を持つポール・サイモンとビリー・ジョエル。
ドタキャンのバックアップ体制は、クインシーの秘蔵っ子(ひぞっこ)たち…。
ケンは、このような超強力な布陣を考えたのかもしれませんね。
* * *
英国とアイルランドの「バンドエイド」では、超大物たちのいない、人気の若手ミュージシャンたちの結集でしたが、米国は、若手が到底入り込めないような、超強力ベテラン軍団でした。
まさに超大国の存在感いっぱいです。
大物政治家でも、ここまでのメンバーは集められなかったでしょう。
世界中の人たちは、最終的なミュージシャン名のリストを見て、驚愕しましたね。
こんなことが、実際に起こるのか…!
実現させることができる米国という国は、なんという国なんだ!
* * *
楽曲の収録スタジオでは、クインシーとライオネルが、とにかく皆の面倒を見て、歌唱アドバイスを行います。
クインシーとライオネルを、さらにバックでサポートしたのが、ボーカル専門アレンジャーのトム・ベイラーです。
層の厚い米国音楽界には、いろいろに細分化された音楽職人たちがいますね。
次回以降のコラムで映像をご紹介しますが、この二人のアドバイスが、ここまで効果があるのかと驚かされます。
ミュージシャンたちの歌唱が、見る見るうちに、見事な内容に変わっていきます。
でも、すぐにアドバイスに対応し、さらに独自色を加えるミュージシャンたちの力量も見事です。
やはり、音楽界のトップに立つ人たちは、すごい人たちです。
ケン・クレーゲンたちが、ヒット曲数曲の若手はいらない…そう考えたかどうかはわかりません。
実力と実績、経験と自制心、それに人気と人格…。
このくらいのメンバーでないと、飢餓とは戦えない…、世界は動かない…、ということかもしれません。
◇高い壁?
ここからも私の想像ですが、いろいろな問題を同時に検討したと思います。
結果的に、このプロジェクトに参加しない大物ミュージシャンたちのことです。
プレスリーはすでに故人でしたが、フランク・シナトラなどの、もうひとつ上の超大物世代をどうするのか…。
ミュージシャンどうしのライバル関係をどうするのか…。
男女関係のもつれの問題をどうするのか…。
女性ミュージシャンどうしの対抗意識をどうするのか…。
他にもたくさんいる政治活動に熱心なミュージシャンたちをどうするのか…。
ハードロック界に多い、一人ではない、グループをどうするのか…。
ギターソロ、ピアノソロなどをどうするのか…。
だいたい、どうすれば、皆が納得して集まってくれるのか…。
その場で、ケンカでも始まったら、たいへんなスキャンダルです。
すぐにキレたり、爆発しそうな連中は呼べません。
過激な政治主張でも始まったら、それも困りもの…。
彼らは、ドタキャンもしょっちゅう…。
だいたい、アフリカの飢餓難民のことを知っているのかどうか…。
さあ、どうしましょう…。
複雑なミュージシャンどうしの関係性や、音楽界の事情を、乗り越えることができるのでしょうか…。
ケン・クレーゲンくらいの突破力のある人物になると、このくらいのことは、高い壁ではなかったのかもしれませんね。
◇マイケルの「ウィ・アー・ザ・ワールド」デモテープ
楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」を作詞作曲するにあたっては、当初、ライオネル、スティービー、マイケルの三人が共同でつくる計画でした。
厳密には、マイケルが参加させてほしいと言ってきたようです。
ですが、意欲満々で待ちきれないマイケルが、自身で、デモテープを作って、クインシーとライオネルのところに持ってきます。
実は、この少し前から、多忙なスティービーを除いて、ライオネルとマイケルが、共同作業で作詞作曲を始めていたようですが、この曲のどの部分がライオネルで、どの部分がマイケルかは、公表されていないと思います。
* * *
マイケルは後に、「ヒール・ザ・ワールド」という名曲をつくります。
この曲「ヒール・ザ・ワールド」は、マイケルが、「人生であと一曲だけ歌えるとしたら…」というインタビューに対して、この楽曲名を真っ先にあげたほどの、お気に入りの楽曲です。
何となく「ウィ・アー・ザ・ワールド」との共通性を感じるような楽曲ですね。
彼の中には、歌詞をつくるにあたって、こうした「世界」や「次世代」という思想が、頭の中にしっかり存在していたように思います。
♪ヒール・ザ・ワールド
♪ウィ・アー・ザ・ワールド ~ ヒール・ザ・ワールド(1993年スーパーボウルでのショー)
マイケルが持ち込んだ「ウィ・アー・ザ・ワールド」のデモテープが、下記のものです。
♪ウィ・アー・ザ・ワールド(デモテープ)
未完成なものですが、まさにマイケルの音楽世界が、その中にありますね。
でも、これではマイケル・ジャクソンそのものというサウンドの楽曲です。
タイプの違う音楽スタイルのミュージシャンには、少し抵抗があるかもしれません。
* * *
私の想像ですが、マイケルのアルバム「オフ・ザ・ウォ―ル」、「スリラー」、「バッド」に挿入されている楽曲の多くが、こうしたかたちでクインシーのもとに送られ、二人のチカラで、あの完成形の楽曲に、段階的に仕上がっていったのではと感じます。
この楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド(1985年)」は、ちょうど「スリラー(1982年)」と「バッド(1987年)」の間に作られた作品です。
1984年、マイケルは、自身の兄弟グループ「ジャクソンズ」のアルバム「ビクトリー」の制作に入りました。
まさに、マイケルの黄金期に、「ウィ・アー・ザ・ワールド」がつくられたことになりますね。
* * *
完成した楽曲の一番の核心部分の歌詞「We are the world、 we are the children、 We are the ones who make a brighter day 」の部分からはマイケルの作風を強く感じますが、その部分までは、「ライオネル・リッチー節」が随所にしっかり盛り込まれている気がしますので、個人的な印象では、サビまでの部分はライオネルの作曲、サビの部分はマイケルなのかもしれません。
実際に、完成した作品では、それぞれの部分を、各自が歌唱しています。
もし、サビまでの前段部分もマイケルの作曲であれば、ライオネルの作曲かと思うほどの、ライオネル色を感じる甘いメロディです。
もしマイケルのつくったメロディに、ライオネルの「ひとさじ」の味付けが加えられて、この前段のメロディができあがったのであれば、まさにライオネルの必殺の「ひとさじ」ですね。
このような、細かな「ひとさじ」が、ライオネルの楽曲の肝(きも)であり、必殺技だと私は感じています。
ライオネルの、たまらない「ひとさじ」です。
ライオネル・リッチーも、やはり、ただ者ではありません。
この楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、一曲の中に、マイケルとライオネルのそれぞれの魅力が詰まっている気がして、得した気分になります。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共同合作作品を思い出しました。
* * *
マイケルの「ウィ・アー・ザ・ワールド(デモテープ)」と、完成形の楽曲を聴き比べると、音楽が一変するのが、よくわかりますね。
このデモテープが、ここまで大化けするとは、クインシー・ジョーンズは、やはりすごい人物です。
多くの大物ミュージシャンたちが、頼りにするはずですね。
◇厳選されたミュージシャンたち
実は、すべての取りまとめ役のケン・クレーゲンは、事前に参加したいかどうかについて、かなりの人数のミュージシャンに話しを持ちかけていたようです。
予想に反し、ほとんどのミュージシャンが参加の意思を示したため、結果的に、その中から厳選したようです。
狭い音楽業界ですから、誰が曲作りに関わっているとか、数々の大物ミュージシャンの大ヒットアルバムのプロデュ―サーであるクインシーが関わっているという情報が、伝わらないはずがありませんね。
それに、大物のケンからの話しで、クインシーが絡む話しに、「NO」と言うのは、かなりの勇気かもしれません。
* * *
マイケル、ライオネル、スティ―ビー、ケニーがオーケーなのに、なぜアンタは「NO」なのかと言われかねませんね。
海千山千の経験豊富なミュージシャンにしか、誘いの話しはしなかったでしょうから、それなりの断る理由や、代替案が提示できなければ、たいへんことになるかもしれません。
これには、音楽業界の各事務方やマネージャー陣が、猛然と動いたと思います。
デュエットコンビなら、ひとりだけでもソロパートを…、ソロパートがだめならバックコーラスだけでも…、目立たなくてもギター演奏・キーボード演奏に参加させてもらえませんか…、ドタキャン組のバックアップで結構です…、スタジオの外で待機させます…、クインシーさんにちょっとご挨拶させたいのですが…、ちょっと神経質だけど、やさしく言ってくれたら、本人はおとなしく従います…、など事務方やマネージャーの腕の見せどころ…?
私の個人的な想像では、クインシーの古くからの友である、レイ・チャールズとフランク・シナトラは別格扱いではなかったかと感じます。
ただ、シナトラには、いろいろな事情があったかもしれません。
* * *
クインシーの古巣であるジャズ界からの参加者は、別格のアル・ジャロウを除いて、ありませんが、逆に、ジャズ界に気を使ったのかもしれません。
彼が、古くからの友であるマイルス・デイヴィスに話しをしなかったとは思えません。
マイルスは、マイケル、プリンス、シンディ・ローパー、トトらポップス界とも深く交流があったでしょうし、ジャズ界の代表として、彼のトランペットソロが、楽曲のどこかに入っていてもおかしくありませんね。
あまり調整する時間もありませんから、ジャズ界は少し畑違いとして扱ったのかもしれません。
そのほうが、ジャズ・ミュージシャンたちにとっても、よかったかもしれませんね。
マイルスは、クインシーのことを次のように評したことがあります。
「新聞配達の少年の中には、配達でどの家の庭に入っても、庭にいる犬に噛まれない少年がいる。それがクインシーだ」。
まさに、今回の巨大プロジェクトでのクインシーのことを言い当てているようにも感じますね。
* * *
個人的な想像ですが、前述の歌手のアル・ジャロウには、「特別なこと」を依頼したのではと感じています。
昭和世代の音楽ファンの方々には、アル・ジャロウが、ジャズ界とポップス界を股に掛けた、特別な歌手であることは、よくご存じだと思います。
アル・ジャロウの歌唱の音頭とりなら、他のミュージシャンも納得するしかないでしょう。
彼が、この巨大プロジェクト「USA フォー・アフリカ」に参加している意味も相当に大きいと感じます。
次回以降に、その「特別なこと」を書きます。
* * *
プリンスと、ピーター・セテラ(シカゴのボーカル)は、米国音楽界を象徴するような歌手ですが、招待はしたけれど、さまざまな事情で参加しなかったと思われます。
前回コラムで、英国とアイルランドによる「バンドエイド」のことを書きましたが、「バンドエイド」に、フレディ・マーキュリーなどのクイーンのメンバーがいてもおかしくはありませんが、参加していません。
歴史あるロックバンドの「シカゴ」と同様に、クイーンも、バンド内の事情や、少し参加しにくい問題を抱えていた可能性があります。
次回以降のコラム、楽曲「サン・シティ」の回に、少しだけ書きます。
プリンスと、シカゴは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のアルバムほうに楽曲提供というかたちをとっています。
プリンスとマイケルの問題に関しては、次回以降に書きます。
巨大慈善プロジェクト「USA フォー・アフリカ」の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」への参加には、社会的にネガティブな問題や噂を抱えていたミュージシャンには、辞退してもらったのかもしれません。
「USA フォー・アフリカ」には、何か薬物の匂いもしてきませんね。
実は、重要な要素だったのかもしれません。
◇さらに、重要な人物たち…
「バンドエイド」の仕掛人のボブ・ゲルドフにも、ある目的のために英国から来てもらいます。
本当に大切な役目を果たします。
次回以降に、その話しを書きます。
ただ、同時に、米国での今回の発起人であるハリー・ベラフォンテにも、しっかりと敬意をあらわすことは忘れません。
次回以降に、その表し方についても書きます。
ボブ・ゲルドフも当然、理解していたことでしょう。
クインシーらの、何という細かな気配りでしょう。
心理の先を、完全に先回りしている気がします。
次回以降に書きます。
* * *
スティービー・ワンダーも、すごいゲストをこのスタジオに連れてきます。
さすがスティービーです。
ミュージシャンたちは、涙を流します。
このお話しも次回に書きます。
* * *
そして、まさか、神様ボブ・ディランがやって来るとは…。
ボブ・ディランは、自身のノーベル賞授賞式でさえ欠席したのに…。
彼は、自身がこの楽曲の収録スタジオに来ることの意味や、世界に与える影響力を十分に理解していたのは間違いないだろうと感じます。
映像を見ると、スタジオに来た時の最初の不安そうな彼の表情が、どんどん変化していったように感じます。
周囲のミュージシャンたちも、彼とどのように接していいのか、そのドギマギ感が面白い…。
* * *
マイケル・ジャクソンは、対人に関しては、割と神経質な面もあるので、苦手なミュージシャンも多かったとは思います。
ですが、すぐ近くに、母親のような、姉のような、ダイアナ・ロスが来てくれるはずです。
なによりジャクソン・ファミリーが勢ぞろいでしたね。
マイケルとダイアナ以外がみな、ソロパートのないバック・コーラスとは…すご過ぎます。
マイケルにとっての最大の問題は、招待したプリンスが来るのか、来ないのか…、来ないとわかってホッとしたか…残念だったのか…。
マイケルは、自身のアルバム「バッド」の中の楽曲「バッド」で、プリンスとの共演(戦い)を考えていたはずですが…。
次回以降に、もう少し書きます。
◇どうする…
それから、女性ミュージシャンどうしの確執や、対抗心も、かなり気を使う部分ですね。
シンディ・ローパーのような天然系の明るいキャラならともかく、男性どうしの関係とも少し違う、女性どうしの関係性があります。
ここに同じ男性との恋愛問題の過去が絡んでいたら、この場所に呼ぶことは難しいですね。
このスタジオにやって来た、ディオンヌ・ワーウィックの母親は、ホイットニー・ヒューストンの母親の姉にあたります。
親戚コンビの熱唱も見てみたかったですね。
マイケルに絡んだ、マドンナとホイットニーの過去もややこしい…、対抗心も激しい…、この三人は会わせにくい…?
* * *
フリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムが来ますので、元妻のスティービー・ニックスは呼びにくい…、それに絡んで、元イーグルスのドン・ヘンリーも呼びにくい…?
政治社会活動、慈善活動と聞くと、あの超有名女性シンガーを思い出しますが、スタジオで演説や討論を始めやしないか、ちょっと心配です。
先ほど、クインシーの旧友のシナトラのことを書きましたが、シナトラと同世代の超大物ミュージシャンたちは、今回の「ウィ・アー・ザ・ワールド」のミュージシャンたちよりも、さらに上の大物世代です。
シナトラが出ないプロジェクトに、登場させるわけにはいかないでしょう。
プレスリーが生きていれば、また状況は違ったでしょうが…。
メジャー・リーグのボストン・レッドソックスのあの応援歌「スイート・キャロライン」で知られる、二―ル・ダイヤモンドを呼んだら、ヤンキースファンだけでなく、ニューヨーカーたちが怒り出すかも…。
ボストンを出すのか…(ジョークです)。
ハードロックのグループには、名ギタリストがたくさんいましたね。
マイケルの名曲「ビート・イット」では、トトのスティーブ・ルカサーが大半のギター演奏をしていますが、あのソロパートは、エドワード・ヴァン・ヘイレンに、納得済みで譲りましたね。
下手に、「ウィ・アー・ザ・ワールド」にギターソロパート部分を用意するのも、考えものです。
ロックバンド「ジャーニー」のスティーブ・ペリーと、「トト」に絞って、ハードロックの代表で納得してもらいますか…。
バリー・マニロウ、ボズ・スキャッグス、クリストファー・クロスなどのAOR系も見たかったですが、もはや余地が…。
どうしますか、同系のライオネル。
二ール・ヤングは、実はカナダ出身、いずれはカナダのミュージシャングループでも動きがあるでしょうし…。
アース・ウインド&ファイアーのモーリス・ホワイトと、クインシー・ジョーンズは、マイケルを挟んで微妙な過去が…。
ジェームス・ブラウンと、アレサ・フランクリン…、超大物でバカでかい声のこの二人、おとなしく言うことを聞いてくれるでしょうか…。
酒を手放せない者たちや、薬物治療中の者も、ちょっと…。
若手ミュージシャンたちならともかく、事務方は相当にたいへんだったでしょうね…。
(注:今回書きました、ミュージシャンに関するお話しは、すでに公表されている事実をもとに、それでも、支障のない範囲で、愛情を込めて書いたものです。噂や疑惑の内容でも、でっち上げのような内容は書きませんでした。)
* * *
この収録スタジオには、盲目のミュージシャンが二人来ることになります。
スティービー・ワンダーと、レイ・チャールズです。
しっかり、点字譜面の機器が用意してありましたが、彼らには、常人を越えるすごい耳がありましたね。
この二人には、盲目は何の問題にはならないと思います。
◇指揮系統とバックアップ体制
政治色やビジネス色の強い、ケン・クレーゲンとハリー・ベラフォンテが、このプロジェクトの最前線に顔を出さないのも、いい判断だったと感じます。
クインシーとライオネルが、まさにスタジオ収録での、まとめ役であり、仕切り役だと、誰もが感じていたと思います。
クインシーが、現場の最高指揮官だったように感じます。
彼の「オーケー」こそが、現場の最終決定だったかもしれません。
* * *
あとは、招待状を送った、ミュージシャンたちの返答を待つことと、ドタキャン対策ですね。
私の想像では、ドタキャン用のバックアップには、クインシーの「懐刀(ふところがたな)」であり「秘蔵っ子(ひぞっこ)」たちを、本人たちに伝えた上で、用意しておいたと感じます。
この話しは、次回以降に書きます。
まずは、当日に、ミュージシャンたちがドタキャンできない状況をつくりあげること…。
これについても、次回以降に書きます。
これだけ準備すれば、たいていの突発的なトラブルには対応できそうな気がしますね。
だいたい、ほとんどのミュージシャンには、ボディガードがついてきますので、ケンカなどすぐに止まるはずです。
守られているのか、威嚇されているのか、よくわかりませんが、抑止力ということでしょう。
さすが、年季の入ったショービジネスの国「アメリカ」です。
◇ミュージシャンたちに、楽曲のテープを送付
先ほど、マイケルがデモテープを、クインシーとライオネルのもとに持ち込んだことを書きました。
1985年1月21日までに、クインシーとライオネルが、そのテープをベースに楽曲を完成させます。
そして、1月22日に、ロサンゼルスのケニー・ロジャーズの音楽スタジオに、クインシー、ライオネル、スティービー、マイケルが集まって個人パートの録音などを行います。
あわせて、多くの招待ミュージシャンに向けて事前に送付する音楽テープをつくります。
マイケルとライオネルが、仮歌を入れた内容だと思われます。
1月24日には、そのテープが多くのミュージシャンに送られます。
1月28日が、スタジオ収録の予定です。
たった4日間…、でも、いろいろな意味で、これ以上では長過ぎかもしれません。
最終的に、どの程度の人数に、このテープが送られたか、私は知りません。
プリンスも、これを耳にしたのは間違いありません。
送付されたテープは、すべて回収されたそうです。
◇招待状
この仮歌の入った音楽テープを、各ミュージシャンに送付する際に、クインシーらからの招待状が同封されました。
その招待状には、次のような文章があったそうです。
「(略)to accept this project with the pride and spirit of checking your ego at the door.」。
直訳に近く和訳すると、「スタジオの入口で、自身のエゴイズム(エゴ)を預けるスピリットとプライドを胸に、今回のプロジェクトを受け入れて…」というような内容です。
そして、実際に、収録スタジオの入口に、この「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」と貼り紙がしてあったそうです。
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今回のコラムの冒頭で、人間の「エゴ」のことを書きましたが、この「エゴ」は、人が簡単に捨て去るようなものではありません。
ここでは、一時的に、入口のクロークに預けてほしいと言っています。
「エゴは捨てろ、エゴはいけない」と言っているわけではありません。
帰宅時には、預けた「エゴ」を受けとって帰ってくださいという意味です。
ミュージシャンたちが向き合うのは、アフリカの飢餓だけではありません。
自分たちの「エゴ」とも向き合うのだと伝えている気がします。
なかなかの殺し文句のように感じますね。
さすが、マイルス・デイヴィスいわく、「犬に噛まれない新聞配達少年」の言葉です。
政治でも、ビジネスでも、時には「エゴ」を預けられるクロークがあったらいいのですが…。
犬に噛まれる者たちばかり…。
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1985年1月24日に、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のボーカルガイド用テープと、招待状が、多くのミュージシャンに送られました。
1月28日のスタジオ収録には、だれがやって来てくれたのでしょう…。
ひょっとしたら、みな、心配よりも、楽しみのほうが上回っていたかもしれませんね。
次回コラムでは、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録当日の話しを書く前に、クインシー・ジョーンズの音楽世界のこと、クインシーとマイケル・ジャクソンの関係について少し書きたいと思います。
クインシー・ジョーンズが絡んだ、数々の名曲たちもご紹介します。
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コラム「音路(35)」につづく
2021.5.29 天乃みそ汁
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各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…
あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品
