昭和のごはん、中山美穂、矢野顕子、白い巨塔、パパと呼ばないで、三種の神器、北海道、新潟県、米農家、コシヒカリ、昭和歌謡、歌謡曲。

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歴音83.昭和にシロ・前編(昭和浪漫.3)



今回は、過去のコラムを加筆修正した連載「昭和浪漫(しょうわろまん)」シリーズの、第3回となります。

今回を「前編」、次回を「後編」として書きたいと思います。

この「昭和浪漫」シリーズは、私が昔、別のところで書いた「昭和小話」の中の短文をベースにした過去のコラムを、加筆修正したものです。

昭和感たっぷりに、昭和時代の思想・言葉・表現・音楽を、どっさり盛り込んでいきます。
実際にあった「昭和フレーズ」も、たくさん盛り込んでいきます。

コラム文章内の、番号を付与した青紫色の文字部分が、過去に書きました「昭和小話」文章で、そのあとに、コラム用として補足文章を書いています。

* * *

昭和後期生まれの方々も、平成・令和生まれの方々も… 見聞きしたり、感じたことのない「昭和浪漫」をどうぞ味わってみてください!
わからない時は、ジィジ、バァバに聞いてみてね!

そして、昭和の時代をたっぷり生きてきた方々には、若き日の出来事を思い出してみてください!

「昭和」を思い出そうとすることは、自分自身の若い頃を思い出すこと…、懐かしい出来事を思い出すこと…、元気や勇気を思い出すこと…、大切な何かに もう一度 出逢うこと…なのかもしれませんね!


◇三種の神器

「三種の神器(しんき・じんぎ)」というものがありますね。
天皇が皇位継承する際に、引き継がれていく三つの宝物です。
鏡、剣、勾玉(まがたま)の三つですね。

おそらく当初は、崩御された際の「形見分け」に近いものだったと思われますが、古代のある時期から、正式に皇位を継承する際の重要な宝物となります。
それらを所有する者こそが、日本国のトップの地位であることを意味していますね。

◎八咫鏡(やたの かがみ)…暗い洞窟の天岩戸の中を照らした鏡で、世の中を照らす光。

◎草薙剣(くさなぎの つるぎ)…アマテラスの弟のスサノオが、ヤマタノオロチを倒した最強の剣で、後にヤマトタケルに渡され 日本を統一。チカラの象徴。

◎八尺瓊勾玉(やさかにの まがたま)…古代の祭礼の際の重要な装身具の一部で、それぞれの玉(ぎょく)をつないで、今現代の、首にかける数珠やネックレスなどに似たもの。古事記には「曲玉」と表記されています。

* * *

もちろん、この「三種の神器」は、今上天皇にも引き継がれています。
数年前の皇位継承の際にも、箱や袋に納められた「三種の神器」がテレビで放映されましたね。

世の中の、いわゆる「国宝」以上の意味あいの存在ですので、「国宝」指定ではありません。
ようするに、「宝器」を超越した存在の「神器」です。

今ちょうど、国をあげて、皇室典範に関する検討が始まっていますが、ひとつの血筋の一族が数千年にわたり、国のトップの地位を継承している国は、世界に他にはありません。
いずれは、古代エジプトの記録を、日本が塗り替える日がくるかもしれませんね。
もう数千年くらい先のお話し…。


◇昭和の「三種の神器」

昭和30年代(1955~1964)初期に、「昭和の三種の神器」と呼ばれ、流行語になりました。
電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三つの家電品のことです。
とにかく、庶民の夢の代物(しろもの)で、欲しくて欲しくて たまらない、電気仕掛けの家庭用製品でした。

その後、昭和30年代後期から40年代にかけて「昭和の3C」と呼ばれるものが、庶民のあこがれの代物になります。

「3C」とは、カラーテレビ(color TV)、クーラー(cooler)、自家用乗用車(car)の三つです。

「クーラー(cooler)」とは、今現代の「エアコン」に似てはいますが、除湿機能、空気清浄機能、暖房機能などを持っておらず、温度コントロールのできない冷却に特化した家電品です。

昭和世代には、「エアコン」を「クーラー」と呼ぶ人が多くいるのは、そうした歴史を経てきたためです。

もちろん、今現在ほどの温暖化の日本ではありませんでしたので、クーラー(cooler)は、日本のごく一部の地域に限られたものでした。
今は、エアコンが、北海道でさえ必需品になりましたね。

* * *

昭和の時代は、東京や大阪などの大都会と、地方での、その普及には10~15年くらいのタイムラグがありましたので、カラーテレビが日本中に普及するのは、昭和50年代あたりまでかかったと記憶しています。

昭和世代では、同じテレビ番組であっても、白黒で記憶している人と、カラーで記憶している人に分かれますね。

昭和世代の中には、自宅にカラーテレビが初めてやって来た時の感動をよく憶えている人も、多くおられます。
意外と、初めて見たカラーのテレビ番組の映像を憶えている方も少なくありません。

昭和の時代は、カラーテレビや自動車を買った家に、それらを見せてもらうために出かけるということがよく行われていましたね。
庶民の羨望の代物を買った家に、それらを見に出かける…、「うらやましい」とは別の、何か暖かなものを感じる、懐かしい昭和の思い出です。

「みんなで一緒に、テレビ見るぞ~!」
「みんな、順番に、自動車に乗ってみっぺ!」

* * *

さて、そうした「昭和の三種の神器」「昭和の3C」の各製品に共通するもの…?
よくよく考えてみますと、みな、たいていは白色でした。

ただ、テレビはもちろん白色ではなく、クーラーも初期は白色ではなかったと記憶しています。

一方、今でも、家庭用の冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの家電品を「白物家電」と呼ぶことが多いですね。
逆に、テレビ、オーディオ、ゲーム機などを「黒物家電」とも呼びますね。

昭和の時代は、自動車も圧倒的に白色が主流でした。
広い駐車場では、白と銀の自動車ばかり…。
自分のクルマを探すのに、みな苦労しました。

そういえば、昭和の時代の下着は、ほぼ白!
寝床のシーツも白!
手ぬぐいも白!
割烹着も白!
医療関係者の衣装も白!
料理人の衣装も白!
学校の体操着も白!
ワイシャツも白!
ニワトリも白!
クリーニングは白洋舎!
統計資料は白書!
日本の海岸には白砂青松!
秀吉は関白!
徳川方の城は白!
会津は白虎隊!
白い犬は、たいてい シロちゃん!
国旗は白地に赤!

白雲、白銀、白湯、白水、白昼、白日、白夜、白露、白馬、白熱、白状、美白、潔白、建白、告白、白髪、白目… 世の中、白だらけ!

昭和世代の白好き、白色信仰… いいかげんにシロ!

氷川きよし
♪詩「春望」~白雲の城(2003・平成15)

 
「春望」とは、古代中国の国「唐(とう)」の詩人である杜甫(とほ)が、長安で詠んだ詩です。

「栄華を誇った城も、城下も、戦乱に敗れ 廃墟となっても、山や川は昔のまま…」という内容から始まる有名な詩です。
「薄運(はくうん)」のさだめを感じる…白雲の城!


◇昭和の白

ここで、すごい「昭和の白」のお話し…。

廊下の向こうから、白衣の軍団の足音が…。
「道をあけろ!」
病院内が、一気に静まりかえり、緊迫の空気に変わる。
凍りついた病院内に…、そして、ひきつった顔の患者たちの病室に…、あの言葉が響き渡る。
「…教授の総回診です」。

一気に「血の気」が引く。
患者たちの頭の中も、真っ白に…。

テレビや映画で何度か制作された、昭和の名作ドラマ「白い巨塔」!
昭和時代の壮絶な事象を小説に残した作家、山崎豊子さんの代表作のひとつですね。

ドラマの中の「総回診」のシーンも、名シーンのひとつでしたね。

* * *

昭和の時代、大学病院の「総回診」は、まさに圧倒されるような大名行列の光景でした。
すごい人数を引き連れた、大教授のご到着!
担当医や婦長の顔が引きつっていましたね。
若手看護婦(看護師)たちの患者への看護の手も止まりました。

患者たちは、「総回診」の意味あいを尋ねることなど、怖くて できませんでした。
「なんとかお願いします」のひと言が精一杯…そんな昭和の総回診!

今の時代は、当時とは様変わりしているとは思いますが…、私は よくは知りません。

「白い巨塔」に登場する、対照的な二人の教授…、周囲の人々…、この「白い」とはいったい何のことなのか…。

ここは、何かと注目された1978年(昭和53)の田宮二郎さん主演のテレビドラマ版ではなく、2003年(平成15)の唐沢寿明さん主演のテレビドラマ版のテーマ曲を…。

加古 隆
♪白い巨塔(2003・平成15)

 
今の時代は、白色の外観のビルをほぼ見ませんが、昭和の時代は全体が白色の高層建築物が結構ありましたね。

でも、輝くような真っ白ではありませんでした。

昭和の白色…何か、真っ白さを感じないのは、私だけ…。

* * *

ここで、もうひとつの「昭和の白」です。
こちらは、明るく、軽快に…。

1986年(昭和61)の資生堂の春のキャンペーンのキャッチコピーは、「色・ホワイトブレンド」!

昭和の女性たちは、「美白」への飽くなき挑戦を続けていましたね。
こちらは、白い虚像!?

時には、こんがりクッキー色にも! ガングロにも!

女性たちの「美色」への挑戦に、きっとゴールはない!

中山美穂
♪色・ホワイトブレンド(1986・昭和61)

 


◇三種の白もの食品!

「昭和の三種の神器」のうちの二つが「白物家電」なら、「昭和の三種の白もの食品」はこの「白もの食品」!

おコメのご飯、タマゴ、豆腐の三つ!
永遠の白もの食品!
私が勝手にチョイスしました。


◇消えた「冷や飯」

「昭和の三種の白もの食品」の中から、まずは、おコメの「ごはん」のお話しから!

今回も、私のかつての「昭和小話(青紫色文字)」…

(115)ご飯の保存が、木製の「おひつ」から、花柄の「保温ジャー」に変わり、後に、炊飯器と保温ジャーが「ドッキング(昭和に流行した宇宙用語?)」したのには、相当に驚いた!
本当に腰を抜かしたのは、「電子レンジ」の登場!
「ラップ」という名の薄いペラペラにも仰天! ナニコレ!
戸棚に残された、冷たくカチカチのご飯やおかずが、生き返ったのだ!
平成以降、私には、これほどの衝撃と感動はまだない!
「ルンバ」「電気自動車」「スマホ」…まだまだ甘い!


宇宙開発まっしぐらの昭和時代は、ロケットにちなみ、「ドッキング(合体・接続)」という言葉もよく使われていましたね。

そして、昭和30~40年代の時期は、「保温ジャー」や「魔法瓶(まほうびん:お湯のポットのこと)」などの家庭用品に、例の独特な「花柄」が大流行でした。
家の中は、花柄でいっぱい!

昭和時代の「フラワー・ムーブメント」とは関係ないと思いますが、頭の中がみな、お花 満開だったのか…、それとも何かの「花の楽園」を求めていたのか?

まさにビックリ箱のような「電子レンジ」が来てから、わが家では、「冷や飯を食わされる」ことがなくなりました。

でも、今思うと、あの冷えたカチカチのご飯に、熱い湯やお茶をかけて食べてみたい気もしないこともありません。

(116)戸棚の「冷や飯」を食わされてみたい… 今では、ちょっと贅沢なことなのかも。


◇三杯目… おかわり!

(117)昭和の時代の流行語…「居候(いそうろう)、三杯目にはそっと出し」。
昭和の時代では、「居候の ぶんざいで!」という言葉も、よく耳にした。


他人の家に住まわせてもらいながら、ご飯まで食べさせてもらっているような人を「居候(いそうろう)」と呼びました。

さらに、広義では、いつまでたっても、自宅から独立せずに、親にずっと食わしてもらっているような人物たちにも言う場合がありましたね。
「あなたのプロフィールにある ”家事手伝い” って、居候ってこと…?」

今でいえば、親の年金を頼りにして働かないケースも、それにあたるかもしれません。

親の介護で退職を余儀なくされたり、ハラスメントで精神を病み「引きこもり生活」になってしまうケースは、当然これにはあたりません。

「居候、三杯目にはそっと出し」…、まだ三杯目のご飯の「おかわり」に、引け目を少しでも感じて、殊勝な態度でいるなら、まだいいほう…。

「あの居候のやつ… 二杯で終わるわけがない!三杯目も、四杯目も、えらそうに出しやがったぞ!」。
…「新人類ってやつですか!」
「いや、Z(ゼット)世代というらしい」
…「鉄のハートのマジンガーか!?」


◇昭和の「お米屋さん」

昭和の世代は、ご飯を食う食う!
米の飯、大好き世代!
「母ちゃん… おかわり! また、おかわり!」
「岩手の”わんこ”じゃねぇ!」

昭和時代の家庭には、「孤食」は、今の時代ほどは、多くなかった気がします。

「早く食べに来ねぇと、ご飯はねぇぞ!」
「兄ちゃんが、私のおかずとった!」
「ちゃわんを、箸で叩くんじゃない!」
「父ちゃん…、ちい坊に、あんたのおかずをあげな!」
「何でもいいから、さっさと食え!」

矢野顕子
♪ごはんができたよ(1980・昭和55)

 

* * *

さて、昭和のお米屋さんのテレビドラマといえば、このヒットドラマ…。

当時、テレビで大人気の野球ナイター「巨人戦」の雨天中止の合間をぬって放送されたドラマ「パパと呼ばないで」(1972・昭和47~1973・昭和48放送)は、俳優の石立鉄男さんと杉田かおるさんが大人気になりましたね。
お二人のその後の大活躍は、皆さま ご存じのとおり…。

ドラマ内の、かわいい女の子は「ちい坊」と周囲から呼ばれました。
このドラマの影響で、当時、日本中に「ちい坊」と呼ばれた子供がたくさんいましたね。
今でも、杉田かおるさんの顔を見ると、「ちい坊」と呼びたくなる昭和の世代!
「あの ちい坊が、立派に…(涙)」。

東京の下町を舞台にしたドラマで、当時の下町の風景や「江戸っ子ことば」がたくさん登場しましたね。
ちい坊とパパ、周囲の人たちが 毎回 泣かせてくれる、昭和のホームドラマの金字塔(きんじとう)のひとつになりました。

ドラマ内に登場した「井上精米店」… まさに昭和のお米屋さん!

主題歌は、「貝がら」が歌いました。
♪にじ(1972・昭和47)

 


◇ごはん世代!

終戦から5年後の1950年(昭和25)に、当時の大蔵大臣が発した「所得の少ない方は麦、所得の多い方は米を食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」という言葉から、ある流行語が誕生しました。

「貧乏人は、麦を食え!」

その大蔵大臣は、その言葉の翌日に辞任!
いつの時代も、自身の発言の先を読めない大臣はいますね。

「俺は、絶対に米を食ってやる!」…庶民が決意した日になりました。

* * *

昭和生まれは、1989年(昭和64・平成元)の1月生まれまでの方々です。

昭和の戦後生まれには、数々の「〇〇世代」などの呼称がありましたね。
団塊世代、団塊ジュニア世代、しらけ世代、新人類、バブル世代、就職氷河期世代、ミレニアル世代、つくし世代、ゆとり世代 など、たくさんありました。

私は、各呼称に共通する、あるものを見つけました。
それは、「ごはん世代」!

もちろん、パンやラーメンの急成長もありましたが、まずは「ごはん」!
コメのめし!

昭和の時代に、「こしひかり」、「ササニシキ」など、次々に新種の米が登場!

野球の巨人軍にいた江川投手が投げるカーブは、「こしひかり」と呼ばれていましたね。
コメの名かよ! さすが、エガワる!

 

 
 


コメ農家の方々は… 日本の勇敢なサムライたち!
がんばれ! コメ農家!

* * *

昭和の世代は、おコメの「ごはん」が大好きで、大好きで、とにかく「コメの飯(めし)」の世代!
それが昭和の「ごはん世代」!

一杯ですむはずもなく、「おかわり世代」!

昭和の世代にとっては、「コメのごはん」のない食卓は、頂きに雪のない富士山みたいなこと…かも。

日本の数千年の歴史の中で、これだけ日本中が「コメのごはん」を食べていた時代は、昭和時代がトップだろうと思います。

これからも、日本人の「ごはん食文化」は続いていってくれるのかどうか…?

「日本人はみな、コメのごはんを食え!」…どの政治家も、かつての蔵相を思い出し、声高には言えません。

今の若い世代の方々… 意外と、おいしいご飯の食べ方をご存じない!
ほぐされていない、ほぐさない…若者世代!?

 

 
昭和の時代は、北海道が、今のような 米の大産地になろうとは想像もしていませんでしたね。
地球温暖化のスピードには驚きです。

 
 
 
 

◇ご飯とともに…

「おコメのごはん」があるからこそ、光輝く食品類がありますね。
ふりかけ、漬物、つくだ煮、タマゴ、冷凍食品…。
つまるところ、それらを食べたいということは、コメの飯を食べたいということ!

白いコメと、白いタマゴ…まさにダブル・ホワイト・キング!

 
シュウマイと白飯!
 
まさに伝説のCM!
今だって、スマホなんて、アトだ!
 
「さけ茶づけ」を食べる時に、これを歌うのは、間違いなく昭和世代!
 
高見盛(今は、年寄・東関)には、今でも、土俵際で茶づけを手にしていてほしい!
 
いよ~、桃屋!
 
本当に食べたかったのは、しば漬けと白飯!
この前、スーパーの漬物売り場で、どこかの女性の小声のこの台詞「しば漬け食べたい」を、私は聞きのがしませんでした。
天国にいる山口美江さんの声だったのかも…。
 
 
パッパッ パパッパ!
このポーズ…昭和の時代に、大人も、子供も みなマネしましたね。
このゴールデンウィークに、お孫さんに、そのポーズを見せてあげてください!
金井克子…ご飯の関係!
 
金井克子
♪他人の関係(1973・昭和48)
 


◇白い歌

ここからは、昭和時代の、印象深い「白い」タイトルの楽曲を少しだけ…。

1968年(昭和43)のフランスのグルノーブルで行われた「冬季オリンピック記録映画」用楽曲。
80年代頃まで、日本の多くのスキー場のゲレンデでも、よく耳にしました。
フランシス・レイ
♪白い恋人たち(1967・昭和43)

 
ビリーバンバン
♪白いブランコ(1969・昭和44)

ベッツイ&クリス
♪白い色は恋人の色(1969・昭和44)
 
ズー・ニー・ヴー
♪白いサンゴ礁(1969・昭和44)
 
森山加代子
♪白い蝶のサンバ(1970・昭和45)
 
チェリッシュ
♪白いギター(1973・昭和48)
 
ふきのとう
♪白い冬(1974・昭和49)
 
柴田まゆみ
♪白いページの中に(1978・昭和53)
 
続きは「後編」で…


* * *

私の記憶の中の、昭和の風景が、何だか白くなってきた…。
誰かが、私に、白いベールをかけたのか…。

白のレースのカーテンの向こうの風景が、さらに淡く ぼやけて見えてきた…。
白い細い雨も、音もなく、降ってきたようだ…。

みんな、みんな、白くなる…。

時代も…。人も…。

そして、私も…。

* * *

昭和も、ごはんも、コラムも… 三杯目(三回目)には、そっと出し!

「昭和」に こだわる連載「昭和浪漫」は、四杯目以降も続きます。
「後編」につづく…。

2024.4.29 天乃みそ汁
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