歴音81.昭和浪漫ティックス(昭和浪漫.1)
今回は、過去のコラムを加筆修正した連載「昭和浪漫(しょうわろまん)」シリーズの、第1回となります。
この「昭和浪漫」シリーズは、私が昔、別のところで書いた「昭和小話」の中の短文をベースにした過去のコラムを、加筆修正したものです。
昭和感たっぷりに、昭和時代の思想・言葉・表現・音楽を、どっさり盛り込んでいきます。
実際にあった「昭和フレーズ」も、たくさん盛り込んでいきます。
コラム文章内の、番号を付与した青紫色の文字部分が、過去に書きました「昭和小話」文章で、そのあとに、コラム用として補足文章を書いています。
* * *
昭和後期生まれの方々も、平成・令和生まれの方々も… 見聞きしたり、感じたことのない「昭和浪漫」をどうぞ味わってみてください!
わからない時は、ジィジ、バァバに聞いてみてね!
そして、昭和の時代をたっぷり生きてきた方々には、若き日の出来事を思い出してみてください!
「昭和」を思い出そうとすることは、自分自身の若い頃を思い出すこと…、懐かしい出来事を思い出すこと…、元気や勇気を思い出すこと…、大切な何かに もう一度 出逢うこと…なのかもしれませんね!
* * *
とにかく、昭和時代の64年間は、両極の「振り幅」が大きすぎて、これほどの振幅の大きさは、数千年の日本史の中でもトップでしょう。
昭和時代の どこを切り取っても、まさにミラクル! ワンダーランド!
世界から見たら、昭和の日本人は宇宙人!?
昭和の時代は、今 思い返してみても、信じられないような「奇跡」の連続でしたね!
◇昭和は、迷い道!
さあ、昭和浪漫のお話スタート!
「ちょっとだけよ」と言わず、「ド~ンといってみよう!」
平成・令和の世代…「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ!」
そりゃあ、1989年(昭和64・平成元)1月7日に昭和時代が終わってから、35年も経つのだから、「あたり前だのクラッカー!」
みな、昭和時代の流行語でしたね。
昭和は遠くなりにけり…。
* * *
昭和生まれなら、昭和生まれらしく、昭和のことなら任せとけ!
昭和のことなら、押せば命の泉沸く…てなもんや三度笠!
どっこい庄一、よっこい庄一!
けっこう毛だらけ、猫、灰だらけ!
おっと…、がってん承知の助!
底なし・銭なし・女なし…、酒なし・飯なし・家もなし…、甲斐性(かいしょう)もないときた!
豆腐の角に頭ぶつけて、死んじまえ!
そこの昭和オヤジ…謝罪は短けぇが、言い訳 長いぞ!
昭和の嫌われる職種の「3K」は、きつい、汚い、危険!
昭和の結婚相手の条件の「3K」は、高収入、高学歴、高身長!
2024年4月からの建設業の「3K」」は、給与、休暇、希望!
今の若者の退職理由の「3K」は、厳しい、給料安い、帰れない!
そこの昭和「3Kオヤジ」… くさい!くどい!カッコ悪い!
昭和時代の表現力や流行は、まさに底なし!
規制なんて知らねえよ!くそくらぇ!
肥溜め(こえだめ)にポットン!
昭和の世代のクチの悪さは、濃厚「昭和仕込み」!
今じゃ、ハラハラすることばかり!
* * *
昭和の世代は、相手を「小バカ(こばか)」にする言い方で、ささやかな愛情を示すこともあったりする「恥ずかしがり屋さん」世代でもありますね。
自虐ネタ…、自身を第三者に仕立てた言い方…、お前何さま…、自分は棚の上…、「飴ちゃん」「ワンちゃん」などの「〇〇ちゃん」呼び…、相手に「あだ名」も付け放題!
…みんな、人間同士の「もめごと」を避けるため? 自身の精神安定剤?
今、小学校の一部では、あだ名禁止、呼び捨て禁止、ちゃん付け禁止… 昭和世代には、意味がわからん!
昭和の世代は、「昭和の性悪(しょうわる)」をしっかり理解していた世代!
「悪を知って、善を知る」!
「善意」と「悪意」、「性悪」と「性善」、「私の正義」と「あなたの正義」、「平和を祈る気持ち」と「競争大好き闘争心」…昭和生まれとは、その時代の歴史のように、両極端な部分を持っているのかも…。
平成・令和世代の若者ちゃん… 知っといてね!
これから、昭和の時代を思い出し、「ガツン!」と 書いていこうと思っています。
「そこの昭和のお父さん…ガツンって何ですか?」
…「ガツンは、ガツンに決まってら!勉強しろぃ!」
「その、小さい『ぃ』は何ですか?」
…「めんどくせぇなぁ!」
* * *
昭和の時代は、まさに「迷い道」!
あっちへ、こっちへ、そっちへ、どっちへ?
♪迷い道くねくね…
昭和の戦前・戦中生まれの世代には、「自分に、現在、過去、未来、道があるだけでも、ありがてぇってことよ!」
渡辺真知子
♪迷い道(1977・昭和52)
◇昭和の日
もうすぐ、ゴールデンウィーク!
毎年、ゴールデンウィーク中の 4月29日は、「昭和の日」ですね。
この名称を耳にすると、毎年、「昭和」を思い出します。
「昭和が、ますます遠くなってきたな~」。
昭和世代にとって、4月29日は「昭和天皇のお誕生日」の祝日・休日として、しっかりと記憶されていますね。
* * *
昭和天皇が崩御されてからも、ゴールデンウィークの休日の一角を維持するため、昭和天皇が植物研究に熱心でおられたことから、4月29日を「天皇誕生日」から「みどりの日」という名称に変えて、休日としました。
その後、2008年からは、その「みどりの日」を5月4日に移動させ、4月29日を「昭和の日」として休日にしました。
これで「ゴールデンウィーク」の大型連休が維持されましたね。
5月4日の「みどりの日」は、みどりさんの日ではなく、植物の「緑」からです。
「自然の緑を大切にしよう」という日です。
自然保護の大切さはわかりますが、なぜに「みどりの日」という名称にしたのか…おそらくは?
とはいえ、日本中の、その名を持つ「みどり」さんたちには、何か うれしい!
◇明治の日? 大正の日? 平成の日?
実は、11月3日の「文化の日(戦後の日本国憲法の公布日)」を「明治の日」に…、8月31日を「大正の日」に…、という推進活動も一部では行なわれていると聞いています。
それぞれの天皇の誕生日です。
11月3日の名称については、日米の関係性、明治天皇や「大日本帝国憲法」とのつながり、周辺国への配慮もあり、名称変更はかなり難しいかもしれません。
余計な波風や戦乱のきっかけになっても いけませんね。
一方、初代天皇(それ以前も天皇は膨大な数でおられます)である神武天皇の即位日で、明治政府の「大日本帝国憲法」公布の日である2月11日のほうは、「建国記念の日」として残されました。
日本では「建国記念日」という日をあえて設定せず、名称の中に「の」を入れ、やんわりと混乱を回避し、その日が設定されました。
世界各国それぞれに、複雑な歴史や事情、国際関係を抱えていますので、どの日を建国とするか、独立の日とするかは、微妙な問題ですね。
5月3日の「憲法記念日」のことは、この後に書きます。
名称の付け方で、内乱や戦争を回避できるのであれば、それも歴史から学んだ知恵かもしれませんね。
* * *
平成の最後の年まで、毎年12月23日は、天皇誕生日(今の上皇様のお誕生日)として祝日・休日でしたが、今は平日になっています。
この日も、いずれ休日「平成の日」になるかもしれませんね。
「平成」という時代は、日本の歴史上の「〇〇時代」の中で、外国との戦争はもちろん、国内での内乱もなかった唯一の時代として記憶されています。
自然災害などはありましたが、近代以降、稀に見る平和な時代でした。
明治時代は、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争。
大正時代の15年間も、日本国内では戦乱は起きてはいませんが、第一次世界大戦の連合国側の一員として派兵(当時の敵方は、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、トルコのオスマン帝国、ブルガリア王国による中央同盟軍)、首相暗殺、関東大震災、治安維持法など、不穏な時代でもありましたね。
昭和時代は、もちろん第二次世界大戦、太平洋戦争、日中戦争…。
その元号の文字「平成」のとおり、日本が戦争を経験しなかった平和が成された時代「平成時代」でしたね。
つらい昭和時代を経験した、多くの昭和世代の国民が、必死で願い、構築した新しい時代であったのかもしれません。
「令和」の時代に、それを継続できるかどうかは、今の時代を生きる国民にかかっていますね。
「昭和の日」だけでなく、いつか「明治の日」「大正の日」「平成の日」、そして「令和の日」が作られるのかどうか…。
◇ゴールデンな連休!
さて、ゴールデンウィーク中にあります休日の5月3日「憲法記念日」は、戦後の「日本国憲法」の施行日です。
今年も、その日は、一部で議論が起こるのでしょうが、将来には、この名称の日にちが変わるかもしれませんし、同日を名称を変えて休日として残すことになるのかもしれません。
それは憲法が大きく変更になる場合ですね。
* * *
4月29日は、「昭和の日」。
5月3日は、「憲法記念日」・
5月4日は、「みどりの日」。
5月5日の「こどもの日」の祝日は、「端午の節句」に由来します。
日本古来より、5月の最初の午(うし・ご)の日に、子供(男子)の成長を祝い、「こいのぼり」「武者人形」「菖蒲湯」「柏餅・ちまき」など、さまざまな行事や風習が行なわれてきましたが、この端午の「午(ご)」の文字から5日に決め、この日を「こどもの日」にしたものです。
昭和の日、憲法記念日、みどりの日、こどもの日… ゴールデン・ウィークは思い返すことが多い休日がたくさんありますね。
何も気にせず、単なる大型連休として楽しむのもいいですが、「今日は何の日だ」という会話から、その「ありがたみ」を感じてみたい気もしてきます。
ともあれ、みながみな、行楽に出かけるわけではありません。
国民の半分以上は、通常通りに過ごしていたりもします。
いつもどおり、ブログでも見て、音楽でも聴いて、過ごすか!?
◇もういいんじゃねぇ!?
NHKニュースでは、今でも「ゴールデンウィーク」という用語ではニュースを伝えませんね。
かたくなに…。
他の民間用語は、たくさん使っているくせに…。
そろそろ、もういいんじゃねぇ!?
「大型連休」なんて呼び方は、つまらない!
なんなら「黄金週間」という呼称では…。
* * *
NHKでは、さすがに、米国の野球リーグを意味する「大(だい)リーグ」という用語だけでなく、「メジャーリーグ」という呼称も併用するようになりました。
今や、「大リーグ」の意味がわかるのは、昭和生まれの世代か、アニメ「巨人の星」を見ていた人しかいないかも…。
わが家でも、昭和の時代に、あの「大リーグボール養成ギブス」に似た「エキスパンダー」を買っちゃった!
あのバネに、肌の肉をはさまれると、痛いのなんのって!
今や「小リーグ」ではなくなった日本のプロ野球界ですね。
日本人メジャーリーガーをたくさん生み、大谷、イチロー、ダルビッシュ、野茂、松井らを送り出した日本です。
「大リーグ」という用語が、今の時代の日本に、はたして必要なのか…?
もはや、日本の野球も、立派な「大リーグ」!
国別対抗戦という意味ではなく、真に「メジャーリーグ vs. 野球リーグ」の両巨頭の時代が いつか来るかも!
「大リーグ」という呼称…そろそろ、もういいんじゃねぇ!?
* * *
下記の一話を見たら、そりゃあ、巨人ファンでなくても、日本中の少年たちの心に 火がつく!
いつか大谷翔平バージョンも作ってほしい…。
星 飛雄馬、星 一徹、星 明子のような、負けん気の強い少年、鬼のようなガンコ親父、涙もろい やさしすぎる姉のような家族が、昭和の当時の世の中には、結構いたような気もしますね。
花形 満、伴 宙太、左門 豊作も…。
昭和の時代の受験生の部屋には、「根性」と書かれた額や張り紙が、結構ありましたね。
「昭和の根性」「昭和のひたむきさ」… 失っていいわけないんじゃねぇ!
歌詞といい、サウンドといい、これぞ昭和の「スポ根(スポーツ根性の略)」マンガ主題歌!
巨人の星 1~3話(1968・昭和43~1971・昭和46 テレビ放送)
◇昭和は、ネバー・ギブ・アップ!
コラム文章内の、番号を付与した青紫色文字部分が、過去に書きました「昭和小話」文章で、そのあとに、コラム用として追加文章を書いています。
(1)昭和の「スポ根」世代は、老いも若きも、ネバー・ギブ・アップ!
「スポ根」全盛期の昭和の時代は、「ネバー・ギブ・アップ(Never give up:絶対あきらめない)」という、ベタだけど、わかりやすい英語表現をたくさん耳にしましたね。
英語をしゃべれない爺ちゃんまでが使ってた!
最近は、世の中が優しくて、とんと こんな台詞を耳にしません!
昭和は、激熱曲の宝庫!
(英語歌詞の一部を和訳)
♪その熱いハートを、絶対に覆い隠しちゃいけない!
♪そのままじゃ、お前に飛べる日は、絶対来ないぞ!
♪ネバ ネバ ネバ ネバ…
…いろいろ ねばる歌!?
ムービング・ピクチャーズ
♪ネバー(1984・昭和59)
日本語版は、ピンクレディーの未唯(ミィ)ちゃん
♪ネバー(1984・昭和59)
◇体操大好き ニッポン!
この連載「昭和浪漫」シリーズでは、私が過去に、別のところで書きました「昭和小話」を、ここで もう一度 書きますが、私は ずいぶん前に、その「昭和小話」を書いた時に、仕事の気分転換や、「頭の体操(この表現も昭和世代の表現?)」に もってこいだと強く感じたものです。
(2)昭和の世代は、「ラジオ体操」「頭の体操」が大好き! さすが体操ニッポン!
1966年(昭和41)に発売され、長く続いた、昭和の大ベストセラー書籍に、心理学者の多胡輝(たご あきら)さんが書いた「頭の体操」シリーズがありましたね。
私も読みまくりました。
後に、創作者として、ビジネスマンとして、何らかの頭の柔軟性は、この本でかなり身に付いたような気さえします。
今の時代でも通用する内容だと感じますが…。
あの大量の書籍「頭の体操」(全23刊)… 知らないうちに、どこかへ。
今は、任天堂のゲームになっているようです!ビックリ!
* * *
大橋巨泉(おおはし きょせん)さんが司会をし、落語家の「月の家 円鏡(つきのや えんきょう:後に8代目・橘家 圓蔵)」さんが人気だった、テレビ番組「お笑い頭の体操」(1968・昭和43~1975・昭和50 テレビ放送)もありましたね。
もちろん、前述の書籍「頭の体操」からのタイトル引用。
この番組の後継番組として、「クイズダービー」が始まります。
この番組の時間帯は、もちろん この企業の一社提供!
昭和は、一社の独占提供によるテレビ番組やラジオ番組が多数!
「わが社が、全額 出したる!」
鳩たちが、絶妙のタイミングと、飛行コース…。
さすがに、番組名を「目の体操」にはしなかった…。
* * *
今や、日本のあの「ラジオ体操」は、日本の警察の「交番」と同様に、海外に輸出されていますね。
両方とも、大好評!
昭和の時代の朝は、とにかく「ラジオ体操」!
今、高齢者になって、「ラジオ体操」ができなくなった方の中には、NHKの朝の「ラジオ体操」のラジオ放送を、その音だけで楽しむ方も少なくありませんね。
子供の頃は、早朝がきつくて、きらいな音楽曲だったのに、歳をとると、懐かしく安心できる音楽曲に…。
下記映像は、真空管ラジオ「ナショナルEA-700」(今のパナソニック社製)です。
昭和の ある時代までは、このようなラジオが、多くの家にありましたね。
この大きくて ごっつい「お爺ちゃんラジオ」… もう一度 会いたい!
私は、「ラジオ体操」のオープニング曲は、テレビ番組「のど自慢」、ラジオ番組「ひるのいこい」と並ぶ、NHKの三大テーマ曲だと思っています。
この三曲だけは、永遠に守ってほしい!
オープニング曲と「ラジオ体操の歌」
何十年経っても、この体操動作を、身体が憶えていますね。
日本中の日本人が同じ動作…すごいぞ! 体操ニッポン!
オリンピックの体操競技での、日本の華々しい栄光の記録は、もはや破られないかも…。
昭和の偉大な言葉… 体操ニッポン!
テレビでも「ラジオ体操」!
どんな時代になっても、「ラジオ体操」の名称を変えてほしくない!
ラジオ体操 第1
◇昭和は、暗すぎ…
(3)昭和時代の街には、「赤ちょうちん」がたくさんあった。
店のカウンターの隅っこで、ポスターの中の美女と会話しながら、コップ酒だけで過ごす孤独な男が、それぞれの飲み屋に、ひとりはいた。
ポスターの美女と、客の男の「昭和枯れすすき」。
今の平成・令和の世代に、「赤ちょうちん」という言葉が何を意味しているのか、わかるでしょうか?
最近は、「鼻ちょうちん」の子供も見なくなりました。
昭和時代の空前の大ヒット曲「昭和枯れすすき」は、男女の悲恋を描いた歌謡曲です。
「貧しさに負けた、世間に負けた、街を追われた、二人で死ぬ?死なない?」という切羽詰まった歌詞です。
そんなヤバそうな「アベック(カップル)」が、赤ちょうちんには、結構いましたね。
今 思いかえすと、飲み屋「赤ちょうちん」の店内の照明は、なぜ あんなに暗かったのか…。
あの明るさでは、虫のGが横にいても気づかない!
なぜ、店内が、あんなに暗く油ぎっていたのか?
「換気扇なんて文明の利器は、うちの店には あらへん!」
今の若い世代は、換気扇のない昭和の台所を知らない!
今の時代の「赤ちょうちん」には、頭の髪にカーラーをつけたままのママや、(衣類の)ジャージー姿のママは いるのだろうか?
* * *
この楽曲…、まさか こんな暗い歌詞で大ヒットするとは…。
戦前・戦中派が、世の中のまだまだ主流だった昭和49年でしたね。
流行歌の歌詞が、まだまだ大人たちの世界だった 昭和時代!
その歌詞の中では、「幸せなんて望みません。人並みで十分です」と歌います。
世間の風の冷たさを耐える「枯れすすき」の「さくらと一郎」。
国民全員が、戦後の「高度経済成長」の温かな風を感じていたわけではありません。
花の咲かない人生だって、たくさん ありました。
「赤ちょうちん」と「枯れすすき」…何か 同じ匂いがします。
ゾクゾクするような暗い、暗い、昭和の歌詞…。
でも、なぜか「がんばれる」気持ちにさせてくれる…。
さくらと一郎
♪昭和枯れすすき(1974・昭和49)
「ゲゲゲの鬼太郎」は、「昭和枯れすすき」の兄弟曲ではありません…。
テレビ放送は1968年(昭和43)から…。
♪ゲゲゲの鬼太郎(第2期:1971~1972)
* * *
ちなみに、昭和の飲み屋の「赤ちょうちん」に多かった、水着の美女たちのお酒のポスター…、今の時代なら ハラスメントでアウト!
昭和の保険会社の販促品にも多かった、薄着の女性写真のカレンダーも、今は消えました。
その頃の「ニッセイのおばちゃん」たちは、男性契約者たちに 内心 思っていたはず… このスケベオヤジたちめ!早く死んだら、承知しないよ!
当時、保険の女性外交員は、若い年齢でも、かわいそうに「おばちゃん」と呼ばれていましたね。
日本人は、世界に類を見ないほどの「保険の加入率」… 昭和時代のこの歌の威力なのか?
「おばちゃんたち… そんなに 心配ばかり あおるなよ!」
◇昭和は、高すぎ…
(4)バナナなんて、値段が高すぎて、病気にでもならないと、食べさせてもらえませんでした。
今、時には、スーパーでひと房100円以下でも売っているバナナ… なんかちょっと可哀そう。
昭和世代は、この大幅な値崩れを、自身に重ねてしまう。
バナナよ…お前さんも、ずいぶん黒くなったなぁ。
昭和30年頃の平均月収1万円の時代に、バナナ6本ひと房で約250円といいますから、たとえば今、月収25万円であれば、バナナひと房が6000円ほどと考えられます。
当時は、あんパンは12円ほど… あんパン20個とバナナひと房が同じ値段!… そりゃ、あんパン買うやろ!
今じゃ、あんパン1個と、格安バナナひと房が同じくらい… 1本換算なら、立場は完全に逆転しましたね。
当時、入院した友人の見舞いに、バナナを持っていく気持ちは、よく わかりますね。
昭和38年にバナナの輸入が自由化され、大量に格安バナナが日本に入ってくるようになり、徐々にバナナの価格が下がっていきましたが、たしか昭和40年代頃までは、学校給食で、子供ひとりにバナナ1本は配られていなかったと思います。半分だけ… ケチ!
昭和30年代当時は、タマゴ12個ひとパックが、2000円程度はしました。
昔は、ザルにタマゴが入っており、一個単位のバラ売りが当たり前でしたね。
病人がいる家に、栄養のあるタマゴを届けることも、よくありました。
涙が出るほど ありがたかったという方も、少なくないはず…。
NHKの「朝ドラ」でも、タマゴを一個持ってくるシーンは よく出てきますね。
もし地球規模の食糧不足が起きると、また、そんな時代がやってくるかも…。
* * *
私は、昭和時代のバナナやタマゴのことは憶えていますが、同級生の、少し貧乏な家庭の女の子「さっちゃん」の本名を、どうしても思い出せません。
昭和の時代は、急に遠くに引っ越していく、学校のお友達がたくさんいました。
理由が、周囲に知らされず…。
夏休みのあいだにいなくなってしまうなんて…。
ちょっと悲しさがただよう、バナナとさっちゃんの、昭和の歌…。
♪さっちゃん(1959・昭和34)
今の若い世代は、たった60数年前までの日本が、そのような社会だったことを信じてくれないかも…。
◇昭和は、急ぎすぎ…
(5)幹夫さん、幹太さん、幹二郎さん…、たいていの「幹」のつくお名前は、実は昭和の新幹線とつながっていたりする。
昭和世代は、妙に、スピード狂が多い。
昭和の時代、新幹線の開通は、まさに新時代の幕開け!
とにかく速く、速く、スピードアップ!
1964年(昭和39)の東京オリンピックに間に合わせるために、死にものぐるいで完成させました。
日本の鉄道に遅れは許されませんでしたね。
今も、昭和の世代は、「到着時刻」と「遅刻」に敏感!
当時、よくぞ この言葉で表現してくれました。
ビュワ~ン!
♪はしれ ちょうとっきゅう(1967・昭和42)
* * *
昭和の時代は、電車も、自動車も、バイクも、性能が急激に進化!
どんどんスピードアップしていった…昭和時代!
交通事故も急増した…昭和時代!
1973年(昭和48)に、ある標語が生まれ、日本中で人気に!
「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く!」
当時、たいていの日本人は、一度はクチにしたはず…。
今、リニア新幹線は どこへ行く!?
本当に、そんなに急がなくちゃ いけないの…?
車窓も運転席もない、ほぼトンネル内の遠隔操作走行とは…。
きっと、切符なんて あるわけない…。
丹沢山系も、南アルプスも、年に数センチずつ伸び(高くなっ)ているのだが…。
いざという時、誰が、どこから助けに来てくれる?
いつかは、バスも、タクシーも運転手無人化なのでしょうね。
昭和のボンネットバスに乗っていた女性車掌…、百貨店のエレベーターガール…、もう一度 会いたい…。
そう、この方にも…
八代亜紀
♪もう一度逢いたい(1976・昭和51)
◇昭和に帰んべかな…
昭和世代のクチ走る「浪漫(ロマン)」という言葉… 平成や令和生まれには、わからない…?
(平成・令和の世代のお言葉…)
「古代のロマン、男のロマン、昭和のロマン… 何よ それ? 意味わかんな~い!」
「まさか、マロン(栗)の言い間違いじゃないよね?」
ここからは続けて、「欽ドン」ならぬ、ド~ンと いってみよう!
(6)昭和の時代、赤ちゃんは、お母さんの胸の前ではなく、後ろの背中側にいた。
昭和の女性は、首痛に悩まされた。
昭和の時代、お母さんは、「おんぶひも」で幼子を背負い、家事に仕事に買い物に、がんばりました。
「ばあちゃんだって、仕事してるだで!子供を預けるとこなんか、あるわけ ないっぺ!」
背負われた幼子たちは、みな、お母さんの後頭部を見ていました。
今のママさんは、身体の前で幼子をかかえ、顔を向きあわせてニッコリ 話しかけていますね。
「あら!あなたのお子様で… いっ、犬かよ!」
今は、ワンちゃんまでが、おんぶひもに…。
(7)昭和のお父さんは、飲み屋で、「帰ろかな、帰るのよそうかな」と帰り際に急に歌い出す。
そういうお父さんは、たいてい、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」を聞いて 涙を流す。
早く、帰って おやりよ! 今は、孫が待ってるよ!
昭和の時代の、北島サブちゃんの大ヒット曲「帰ろかな」と、梓みちよさんの大ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」です。
昭和の戦後、地方から都会への「集団就職」が行なわれていました。
岩手県の盛岡駅発の最後の「集団就職列車」が東京の上野駅に到着したのは、1975年(昭和50)3月24日のことでした。
(8)「田舎のあの爺さま… ネイティブ・スピーカーだから」って、お国なまりのことかよ!
俺も、故郷に帰ったら、ザ・ネイティブ!
「帰りたいけど、ひと旗あげな、故郷に帰るわけにはいかない。でも、故郷にはもう誰もいないべ。待っているのは、空き家だけ! どうすんべ、あの家!」
北島三郎
♪帰ろかな(1965・昭和40)
戦後の「健康優良児」認定制度は、2000年までには、すべて廃止されました。
パパとママたちの願い… 健康優良児!
「飲み屋から、家に帰ろうかな、どうしようかな。でも、生まれたばかりの、赤ちゃんの顔も見たいしな…」。
梓みちよ
♪こんにちは赤ちゃん(1963・昭和38)
(9)尾崎紀世彦(おざき きよひこ)のヒット曲「また会う日まで」を好きな昭和の世代は、たいてい、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」と、谷村新司の「昴」も好き。
昭和の時代は、熱唱タイプの歌手の方々がたくさんいましたね。
演歌とは また違う「歌い上げ」。
声も態度も、でかいのなんのって!?
この曲で、昭和の世の中に「もみ上げ男」が急増!
「オレも、もみ上げで、蝶ネクタイするぞ!」
…「チンドン屋でも、なさるんで?」
尾崎 紀世彦
♪また逢う日まで(1971・昭和46)
* * *
昭和の飲み屋では、この楽曲を誰が歌うかで、大もめ!
そこは、やっぱり「社長さん」で…。
ここは1969年(昭和44)のフランク・シナトラではなく、布施 明さんの日本語歌唱で…。
布施 明
♪マイ・ウェイ
* * *
昭和のお父さんたちが、目を閉じて、歌ってました…。
「オレも、出世して、いつか昴(すばる)のような星になる!」
結局は、普通の三等星!
谷村新司
♪昴(1980・昭和55)
* * *
昭和は、熱唱!熱唱!また熱唱!
熱く歌うぜ!歌ったぜ!
昭和の熱唱タイプの歌手を、もう少し…
昭和のお父さんたち… 彼女の歌声と美脚に酔いしれていましたね。
「オレは、あの娘といっしょに北国に行くんや!」
…「あの娘は、もう あいつと旅行に行ったよ!」
朱里エイコ
♪北国行きで(1972・昭和47)
* * *
下記の歌の歌詞は、「万葉集」の中の、藤原鎌足が、天智天皇から、天皇付きの美女のひとり「安見児(やすみこ)」を贈られた時の喜びの和歌「われはもや 安見児 得たり 皆人の得難にすとふ安見児得たり(私は、天皇の傍にいる安見児を手に入れることができた。誰もが願っても叶えられないような安見児を、わが妻にしたのだ)」をイメージしたものだったとは、誰も想像できなかったですね。
まさかの「大化の改新」のメモリーが背景に…。
松崎しげる
♪愛のメモリー(1977・昭和52)
* * *
これほど熱く情熱的に歌う歌手は、そうそう いませんでしたね。
彼のイメージが強すぎて、他の歌手に、彼の持ち歌はむずかしい…。
まさに「絶叫・昭和歌謡」!
「激」「情熱」「感激」という言葉が よく似合う…永遠のヤングマン!
西城秀樹
♪傷だらけのローラ(1974・昭和49)
* * *
昭和の男のシャツの襟(えり)は、とにかくでっかく、胸をはだけろ!
髪はパンチ!
男は、ラテンで情熱的に!
当時、歌の最後の「ラブ・ミー・トゥナイト!」を男たちが全力で大合唱!
これには参りました… 昭和の猛烈オヤジのムンムン・パワー!
今でも、ほとんど変わらない雰囲気の、男臭ムンムンの、トム・ジョーンズさん…。
う~んマンダム! う~んジョーンズ!
トム・ジョーンズ
♪ラブ・ミー・トゥナイト(1969・昭和44)
昭和時代の戦後は、とにかく熱く熱く、復活と前進をしようとした時代でしたね。
男たちは、「血を吐いてでも」とか、「死ぬ時には、前向きに倒れて死ぬ」とか、「休めとは死ねということ」とか、よくわからないことを、真顔で言ってましたね。
今の若い世代には、昭和の戦後の「オ~、モーレツ!」ぶりは、なかなか理解できないかも…。
◇昭和浪漫ティックス
今回のコラムは、「ここまでに、しとうございます。」
昭和時代のテレビドラマには、こういう言い回しが結構ありましたね。
4月29日の「昭和の日」にあわせて、「昭和浪漫」シリーズの連載を再スタートし、その後も断続的に書いていきます。
さあ、昭和浪漫へ ひとっ飛び!… これも、昭和世代が好きな言葉表現。
昭和への思いを 込め込め…
♪夢をみてよ、どんなときでも…
♪すべては、「昭和」から始まるはずさ…
♪時が流れて、誰もが行き過ぎても…Just a SYOWA!
♪ブログひとつだけで 浪漫飛行へ in the SYOWA!
米米クラブの1990年(平成2)の大ヒット曲。
えっ!この曲…昭和じゃなかったの!
でも、2年くらいは誤差のうち!
平成・令和世代の若者たち…マイマイでも、ベイベイでも ありませんよ!
日本人は、やっぱり 米米!
米米クラブ(コメコメ クラブ)
♪浪漫飛行(1990・平成2)
* * *
1970年代後半、英国から生まれた「ニュー・ロマンティック」という新しい音楽スタイルがありました。
デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどの「グラム・ロック」の延長上で、シンセサイザーを多用し、ポップな魅力がいっぱいの音楽スタイルでしたね。
この流れの中から、「デュラン・デュラン」や「カルチャー・クラブ」などの人気バンドが登場し、そしてさらに、80年代の「第二次 ブリティッシュ・インベンション」へと突き進みました。
もちろん、日本のポピュラー音楽界にも大きな影響を…。
日本でも、「ロマンティックは止まらない!」
昭和生まれの方々も…
明治や大正の生まれの方々も…
平成や令和の生まれの方々も…
私は、自由に生きていくのよ…、そう 私は、ニュー・ロマンティックス(新時代のロマン派)!
近年のテイラーちゃんの、世界での人気ぶりには驚きますね。
すっごい稼ぎ…、ショータイム級!?
テイラーちゃんの目指す音楽スタイルの中に、昭和時代の「ニュー・ロマンティック」があるのは間違いないと感じます。
♪Baby, we're the new romantics.
(ねえ 私たちって、新しい時代を夢見る ロマン派よね!)
テイラー・スウィフト
♪ニュー・ロマンティックス(2016・平成28)
♪ニュー・ロマンティックス
新しい、昭和浪漫ティックス!
連載「昭和浪漫」… スタート!
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2024.4.21 天乃みそ汁
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