マイケル・ジャクソン「ビート・イット」ほか、ブルース・スプリングスティーン「プロテクション」、ドナ・サマー「ミステリー・オブ・ラヴ」、クインシー・ジョーンズ「アイアンサイド」ほか、アース・ウィンド&ファイアー、モーリス・ホワイト、ロック・洋楽。

 

音路(35)世界は何が支えてる【3】
マイケルとクインシー【1】 ビート・イット



前回コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」では、米国での巨大音楽プロジェクト「USAフォー・アフリカ」の始動と、人間の「エゴイズム」のコントロールのこと、各ミュージシャンへの招待状と音楽テープの送付までのお話しを書きました。
今回と次回のコラムでは、このプロジェクトの中心にいた二人の人物…、マイケル・ジャクソンと、クインシー・ジョーンズのお話しを書きたいと思います。


◇クインシーの音楽世界

ミュージシャンで音楽プロデューサーであるクインシー・ジョーンズの、音楽界での貢献は、はかり知れませんね。
世界に名前を轟かす大物音楽プロデューサーの中でも、音楽史に名を遺す人はわずかでしょうが、彼は間違いなく、その一人でしょう。

音楽界には、作曲家、作詞家、編曲家、歌手、楽器演奏者、指揮者、指導者など、さまざまな専門分野の方々がいますね。
クインシー・ジョーンズをたとえるなら、見事な、音楽の「仕立て屋」さんなのかもしれません。

今回の「ウィ・アー・ザ・ワールド」にしても、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが楽曲の主要部分をつくったとはいえ、この楽曲は、クインシーが完成させたという印象を、ほぼすべての人が抱くと思います。
クインシーがいなければ、世の中に生まれなかった「ウィ・アー・ザ・ワールド」の音楽世界でしたね。

私の個人的な印象では、クインシー・ジョーンズという人は、ジャズでも、ポップスでも、ロックでも、映画音楽でも、目の前にある楽曲を、まさに品の良い、上質な大人の音楽に仕立て直す職人のように感じます。

この上質感は、音楽の感性が未熟な子供たちにも、しっかり伝わりますね。
「僕たちが今 聴いてる音楽と違うけど…、何かきれいで、すごそうだぞ…」。
耳にした子供たちの記憶の中にも、鮮烈な印象を残すはずですね。
少年時代のマイケルのように…。

* * *

ここで、少しだけ、クインシーの独自色の強い代表作品を…。

まずは、昭和世代にはなつかしい、ジャズミュージシャン時代の楽曲…。
彼が、ジャス界だけでおさまる才能ではないことが、すでに見えてきますね。

ドラマ「鬼警部アイアンサイド」のテーマ曲、日本では70年代のバラエティ番組「ウィークエンダー」のテーマ曲…。
先日、ダルビッシュ投手が登板する米国野球メジャーリーグの試合をテレビで見ていましたら、この曲が試合中の、どちらかのチームの危機の時に流れていました。
「鬼警部アイサンサイド」が今でも生きていたとは、びっくりです。
たしかにポリスを呼ぶようなサイレンの鳴り響く危機的な戦況でした。
米国の、スポーツ文化、音楽文化、権利文化の成熟度を実感しました。


♪アイアンサイド

 

下記の楽曲も、昭和の時代に、そこら中で耳にしましたね。
彼のサウンドは、やたらに記憶に残ります。
♪ソウル・ボサノヴァ

 

* * *

時代を越えた、何か上質な音楽世界を感じる楽曲には、彼の名前がありましたね。
下記の楽曲群を耳にしても、あの「ウィ・アー・ザ・ワールド」につながっているのが、よくわかります。

♪トゥモロー

 

♪アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー

 

♪セプテンバー

 

♪ジャスト・ワンス

 

♪ワン・ハンドレッド・ウェイズ

 

♪ベイビー・カム・トゥ・ミー

 

♪ザ・シークレット・ガーデン

 

♪愛のコリーダ

 

♪スーパーウーマン

 

◇クインシーのロック音楽

1982年、ディスコ音楽の女王ドナ・サマーは、一世一代のような傑作アルバムを残します。
ミュージシャンが、アルバム名に、自身の名前だけを付けるときは、まさに勝負の作品であり、自身の最高傑作を残すときです。
アルバム名「ドナ・サマー」が、1982年につくられます。

プロデュ―サーは、クインシーです。
1982年といえば、クインシーが、マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」を手がけた年です。
同時期に生まれた傑作作品です。

実は、この作品には、クインシーがつれてきた多くのミュージシャンが協力しています。
マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ディオンヌ・ワーウィック、ケニー・ロギンス、ブレンダ・ラッセル、クリストファー・クロス、マイケル・マクドナルドらが、コーラスで参加します。

楽曲提供などでは、ロッド・テンパートン、デビッド・フォスター、マイケル・センベロ、ブルース・スプリングスティーンなど。
演奏では、トトが相当にバックアップしました。

* * *

さまざまな新しい音楽的な挑戦が行われたアルバムで、音楽の奥深さを感じます。
さまざまな分野の音楽が融合した、こんな楽曲もありました。
この楽曲は、いったい、どの音楽ジャンルの音楽なのでしょう。
ポップス、クラシック、ジャズ、ディスコ、ソウル…まさにミステリー。
この混ざり合いが…、クインシー。

♪ミステリー・オブ・ラブ

 

* * *

ここで曲の聴き比べ…

ドナ・サマーのアルバム「ドナ・サマー」に収録された
♪プロテクション

 

作詞作曲した、ブルース・スプリングスティーン自身による演奏
♪プロテクション

 

皆さまは、どちらの「プロテクション」が好みでしょうか…。

この当時、この楽曲は、若い頃の私が戦闘態勢で、いざビジネスに臨むときの「戦闘曲」のひとつでしたので、私自身には非常に思い出があります。
実は、今でも、自身に炎を焚きつける必要がある時に、聴いたりしています。
今は、そうそう機会はありませんが…。
私には、曲の冒頭を聴いた瞬間に、体内の燃料に点火できる曲のひとつなのです。

おそらくは、皆さまにも、戦いに挑む自分自身に火をつけてくれるような楽曲がありますよね。

ブルースのストレートで豪快な戦闘態勢もカッコいいですが、クインシーのプロ仕様で、音楽人好みの、計算されたカッコ良さも素晴らしいですね。
むしろ、ブルースのほうが、音楽面で、クインシーに尻を叩かれたのかもしれません。
「多くの人に聴いてほしいと思うのなら…」。

ブルースの、あの歴史的名盤「ボーン・イン・ザ・USA」が誕生したのは、2年後の1984年でした。
ブルースが、クインシーの「ウィ・アー・ザ・ワールド」の誘いに乗らないはずがありませんね。


◇ビート・イット

楽曲「プロテクション」のように、クインシーが、ロックを手がけるとこうなります。
だからこそ、あのギタリストのエドワード・ヴァン・ヘイレンを連れてきた、名曲「ビート・イット」が後に誕生します。
クインシーがいなかったら、マイケル・ジャクソンだけで、アルバム「スリラー」の中のあの楽曲「ビート・イット」は生まれなかったでしょう。

どの楽器をどこで使うかは、その音楽を左右しますね。
たとえその楽器が好きでも、得意でも、今、必要のない楽器の音はバッサリ!

人の心に音を届けるには、時にサウンドの厚みが邪魔になることも…。
楽曲「ビート・イット」は、必要な場面に、必要な音だけ。
マイケルには、必要な音だけでいいのかも…。
今現代は、楽器演奏をしない、コンピューター系の音楽家もいますが、効果音のかたまりのようなこの曲は、はまるでしょうね。

音楽のような、音楽でないような、あんな豪快なイントロ前段をどうしたら思いつく…、でも、あの「アイアンサイド」のクインシーなら、あり得ますね。
つけたタイトルも、「ビート・イット」とは…、意味深でカッコよすぎます!
この楽曲の「ビート・イット」と同じ意味の日本語を探したとしたら、「やめとけ」、「あっちにいってろ」あたりでしょうか。

米国のスポーツチームどうしの試合のテレビ中継などで、「Beat LA(ロサンゼルスに勝て)」、「Beat NY(ニューヨークに勝て)」の言葉やボードをよく見かけますが、楽曲「ビート・イット」の「Beat」も同じビートだと思います。

あくまで個人的な印象ですが、この楽曲には、強烈なビート音もあり、映像にはギャングどうしの決闘のシーンがありますが、実は、あくまで「暴力」に「暴力」で対抗しないという、非暴力を訴える楽曲のように感じます。
ミュージックビデオを見る限り、日本語にある「逃げるが勝ち」とは、何か違うものを感じますが…。

* * *

さて当時、英語を話せない日本人でさえも、カタカナのような「ビート・イット」とは発音せず、カッコつけながら、「ビーティットゥ」と発音していましたね。
邦題は「今夜はビートイット」ですが、「今夜は」など必要ない気がします。

この曲も、聴く人に、何か勇気の火をつける曲です。
それでは、点火してください…。

♪ビート・イット

 

◇マイケルとクインシーの出会い

マイケルの超大ヒットアルバム「スリラー」が1982年に誕生する3年前の1979年に、「オフ・ザ・ウォ―ル」という、まさにマイケルが超スーパースターになるきっかけとなるアルバムが出ました。
マイケルとクインシーのコンビの奇跡の始まりです。

* * *

マイケルは、1975年まで、あの「ジャクソン5」という兄弟グループのひとりとしてとして、レコード会社「モータウン」に在籍していました。

この「ジャクソン5」は、もともと別メンバー(ジャクソン兄弟の上の三人と、家族ではない二人)による「ジャクソンズ」で結成され、「ジャクソン5」に改名し、モータウンから、「ダイアナ・ロスの弟分たち」という設定で売り出され、大ヒットします。
日本でも、「西城秀樹さんの妹分の可合奈保子さん」とか、有名なタレントの弟や妹という設定は、昔からよくありますね。

「ジャクソン5」と改名した時の5人のメンバーは、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、マイケルの、ジャクソン兄弟です。
リード・ボーカルは、マイケルです。
楽曲「ABC」、「アイル・ビー・ゼア」は、その頃のヒット曲です。

* * *

「モータウン」は、その会社名を聞けば、すぐに数々の有名アーティストの名前を思い出し、その会社名がそのまま、一時代の音楽をさしていましたね。
ですが、少年少女の頃から売り出し、成長し、スーパースターになると、今度は、彼らと会社であるモータウンは衝突するようになります。
スティ―ビー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ…、その音楽性や方向性で、みな衝突します。

成長し、実績を積んだジャクソン兄弟たちも、その音楽性で、モータウンと衝突し、1975年に、別のレコード会社のエピックに移籍となります。
ただし、ジャーメインの奥さんは、モータウンのトップ経営者の娘でしたので、モータウンに残ります。
そのときに、ジャーメインから、マイケルのさらに下の弟のランディにメンバー変更します。
モータウンは、「ジャクソン5」というグループ名の使用を許さず、グループは「ジャクソンズ」に改名し、現在に至ります。

* * *

エピックに移籍したジャクソンズは、それなりに楽曲がヒットはしましたが、モータウン時代のような勢いがなく、若者世代向けのアイドルソンググループから、大人向けの音楽グループへの脱却に必ずしも成功したとはいえませんでした。
既存のブラックミュージックの世界のままの音楽スタイルに、マイケルの不満はますます蓄積していきます。

エピックは、ジャクソンズから、とび抜けた才能のマイケルを独立させようとし、ソロアルバムをつくる方向で動き始めます。
会社は、彼をひとりの大人のスーパースターに育て上げるため、新たに音楽プロデュ―サーを探し始めます。
名ばかりではない実力ある音楽プロデュ―サー数名の名前があがり、その中に、クインシー・ジョーンズの名がありました。

実は、ほぼ別の大物を音楽プロデューサーとして迎えようと決まっていたといわれています。
それが、バンド「アース・ウインド&ファイアー」のリーダーであった、モーリス・ホワイトです。

* * *

70年代中頃から1979年までに、アース・ウインド&ファイアーの名アルバム「暗黒への挑戦」や、「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」などの大ヒット曲がすでに生まれています。
モーリス・ホワイトがプロデュースしたミュージシャンも、多く成功しています。

マイケルのアルバム「オフ・ザ・ウォール」が生まれるまでの実績だけでみたら、クインシーよりもモーリスのほうが、華々しいのは確かですね。
会社側が、モーリスを推すのもよくわかります。

モーリスが率いるアース・ウインド&ファイアーが、その後、自身たちのディスコやロックなどの音楽スタイルをさらに発展させ、大成功させたのは、皆さまもご存じのとおりです。
モーリスは、ソロで歌手活動も行い、それも成功します。

* * *

ですが、マイケルは、自身の音楽プロデュ―サーにクインシーを迎えることで譲らず、周囲の反対をおしきり、彼に決定します。
この決定こそが、後の、「超スーパースター、マイケル・ジャクソン」を生み出すことになります。

* * *

後の「アース・ウインド&ファイアー」による、上質なブラックミュージックから、カッコいい派手なロックサウンドまでの多彩な音楽性を考えると、マイケルが、モーリスのもとでも、別のかたちの大スターになった可能性は高い気もします。

ですが、あのマイケルのアルバム「オフ・ザ・ウォ―ル」や「スリラー」のような、驚くような多彩で挑戦的な音楽がつくれただろうかとは感じます。
もし、モーリスであったら、あの楽曲ではない、別の「スリラー」や「ビート・イット」が生まれた可能性はあります。
特に「ビート・イット」は、アース・ウインド&ファイアーのロックサウンドのようになったかもしれませんね。

ただ、モーリスのもとで、「ウィ・アー・ザ・ワールド」が生まれたかどうかはわかりません。

* * *

ひょっとしたら、クインシー以外のプロデューサーであったら、私たちが知る、あの「超スーパースター、マイケル・ジャクソン」は生まれていなかったかもしれないと、私は思っています。
マイケル自身も、それを確信していたのかもしれません。

アース・ウインド&ファイアーも、マイケル・ジャクソンも、それぞれの音楽スタイルで、既存のブラック・ミュージックの世界やダンス音楽の世界を打ち破ってくれましたね。
両者とも、見事な偉業だったと思います。

* * *

クインシーの作品を前述しましたが、これらを聴けば、マイケルとクインシーが組んだ楽曲作品との共通性を多く感じますね。
この二人が組んだ、最初のアルバムが名作「オフ・ザ・ウォ―ル」でした。


◇シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ

このアルバム「オフ・ザ・ウォ―ル」には、楽曲「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ(邦題:あの娘が消えた)」が入っています。

クインシー・ジョーンズにしても、モーリス・ホワイトにしても、両者とも、音楽づくりにおいては、細部の細部まで徹底的にこだわる、妥協を許さない、まさに超職人のようなタイプでした。
両者とも、ミュージシャンたちには、相当に細かい部分まで指示をしていたそうです。

* * *

この楽曲「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」は、もともと、クインシーが、旧友のフランク・シナトラのために用意していた楽曲です。
試しに、マイケルにも歌わせてみようということだったと思います。

ところが、これが…、青年の切ない姿を思い起こさせてくれる熱唱となりました。
レコーディングの際に、毎回、マイケルが涙声になるので、そのまま完成させます。

下記の動画は、素朴な青年期のマイケルの姿があります。
歌の前に、カッコ悪く(?)頭をかくのは、演出ではない気がします。

彼のさらに少年時代の大ヒット・バラード曲「ベンのテーマ」とは、まったく違う、成長したマイケルがそこにいました。
私は、どうしても、楽曲「ベン」を耳にすると、幼いマイケルの顔と、映画「ベン」に登場した「ねずみ」の顔がダブっていたのですが、この曲のおかげで、それがすっかりなくなりました。

下記の映像の歌は、少年マイケルの歌声です。

映画「ベン」(1972年)のシーン

 

この映画にも泣かされましたが、この歌声のマイケルが、あの超スーパースターになるとは、まったく想像もできませんでした。
何か、世界で、マイケルにしかできない、人間の、短くも、ものすごい一生を見た気がします。
幸せの瞬間も相当にあったでしょうが、苦悩も同じくらいあったのかもしれませんね。

彼は、楽曲「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」の中で、「僕にはわからない、泣いていいのか、笑っていいのか。 僕にはわからない、生きていいのか、死んだほうがいいのか。」と歌っています。
下記の映像は、超スーパースターになる直前の、20歳頃のマイケル青年の裸の姿だったのかもしれません。

私は、これ以降のマイケルの歌うバラード曲の方向性のひとつは、この楽曲「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」で定まったのではと感じます。
クインシーは言ったかもしれません。
「よし!マイケルのバラードは、今後これでいく!」


♪シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ

 

この楽曲…、ロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏も結構いいです。
♪シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ

 

それにしても、この曲の邦題「あの娘が消えた」は、ちょっと…。
マイケルも、あまりにも突然、消え去ってしまいました…。

* * *

今回のコラムは、ここまでにします。

次回のコラムでは、クインシーとマイケルが作ったアルバム「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」と「バッド」の楽曲のこと、そして、この頃のマイケルの音楽の最大のライバルであったプリンスとの関係について書きたいと思います。
この二人の関係が、プロジェクト「USAフォー・アフリカ」の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」に少なからず影響を与えます。

* * *

コラム「音路(36)世界は何が支えてる【4】マイケルとクインシー【3】まさにオフ・ザ・ウォール」につづく

 

2021.6.5 天乃みそ汁

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