信じて…未来てんでんこ(追悼311 ④)
東日本大震災、MISIA、平井堅、上白石萌音、ドラマ「JIN 仁」、震災復興、復興ピアノ、津波てんでんこ、三陸鉄道、岩手県 釜石市、宮城県 仙台市、秋田県、福島県 須賀川市、歌謡曲。トップページ・プロフィールこれまでの曲目リスト歴音58. 信じて… 未来てんでんこ(追悼311 ④)今年も、その日を むかえます。「311(さんいちいち)」。忘れることのない… 2011年(平成23)3月11日。世界で地震発生回数がトップクラスの「地震大国 ニッポン」ですが、 海に囲まれている日本は、海とともに…、地震とともに… 生きていくしかありません。日本の国土には、地震の来ない、例外の地などありませんね。それでも、日本には、数千年にわたり、幾度も、被災の悲しみを乗り越えてきた、くじけない復興民族である日本人がいます。そして、日本には、世界に冠(かん)たる「復興ソング」という音楽ジャンルがあります。悲しみとともに…、思い出とともに…、あの街とともに…、あの歌とともに…、私たちは、前に向かって歩いていくしかありません。忘れることのない思い出を、胸にしっかり抱いて…。* * *今年2026年は、「東日本大震災」から15年目にあたります。その年に生まれた子供は、今 15歳。中学三年生くらいです。今の中高生は、直接的な当時の地震の記憶がありません。再び、必ずやって来る、地震や津波です。震災による、さまざまな悲しみや苦労、教訓を、未体験の若者たちにも、しっかり学んでいってほしいものです。今年も、どうぞ その日… 音楽とともに、追悼の気持ちを新たに…。* * *連載「追悼311(さんいちいち)」は、毎年3月に掲載しており、年々、少しずつ書き足しています。今年も、以前のコラムに加筆修正して掲載させていただきます。今回は、連載の第4回です。*連載の第2回と第3回は、来年2026年の3月に、加筆修正して掲載いたします。すみません。間に合いませんでした。◇復興ピアノ東日本大震災では、人命、動物たち、建物、街、自然の山々だけでなく、数えきれないほどの音楽楽器も、地震や津波の被害にあいました。津波にのまれた、学校の音楽室にあったピアノや、一般の家庭にあったピアノも、少なくありませんでした。被災地の映像の中には、大型ピアノが、瓦礫の中で無残な状態でとり残されている光景も少なくありませんでした。他の楽器類と異なり、ピアノは大型であるがゆえに、箱におさまっているわけではなく、そのままの姿で被災し、津波に流されていきます。その日の瞬間まで、音楽室やコンサート会場、一般住宅の部屋の中で、きれいな姿で活躍していたピアノたちが、一瞬に無残な姿に変えられてしまいました。ピアノ演奏をする方々はもちろん、多くの楽器の演奏家や、音楽を愛する方々にとって、そうした光景の映像が、どれほどショックだったことか…。* * *ピアノを演奏する者にとって、自身の愛用のピアノは、まさに、同志・家族・恋人・友人・わが子のようなものですね。どんなに遠く離れた地への転居であっても、愛用のピアノを、多額の費用をかけて運ぶ方はたくさんいます。中には、自宅の一部を壊してでも、大型クレーンで運び出し、転居する方もいます。新築の場合は、ピアノを入れてから、家の壁を完成させますね。あの時に弾いたピアノ…、あの方が弾いていたピアノ…、あの方から贈られたピアノ…、自身と一緒に成長してきたピアノ…、ピアノだけではありませんが、楽器は、人にとって特別な存在であることに間違いありません。新しい楽器を購入すれば、それでいいというものではありませんね。演奏家にとって…、人にとって…、楽器は かけがえのない存在なのです。被災地の荒地で、傷ついた状態のまま放置されるなど、到底 許すことができない、「被災ピアノ」たちです。* * *多くの被災地で、傷つき 取り残されたピアノの映像をテレビで見るたびに、これを弾いていた人は どうなっただろうか…、どれほどの思い出が このピアノにはあるのだろうか…と、いつも思ってしまいます。そのまま廃棄されるピアノもありますが、一部は修理され、楽器として復活できるものも 中にはあります。被災後に修復され、かつての音色が戻らなかったとしても、「震災前のあの日まで、元気でいたピアノ」 に再会できることは、うれしい限りですね。見た目や、楽器としての音質の良し悪しではなく、「苦難を乗り越えたピアノ」として、後世に残していってほしいピアノたちです。ぜひ 多くの方々の目と耳に触れてほしい…「復興ピアノ」たちです。* * *仙台空港の「復興ピアノ」もそのひとつ…。このピアノは、宮城県七ヶ浜町の一般住宅にあったピアノだそうです。七ヶ浜町は、沿岸にある町で、町の面積の4割ほどが 津波で浸水した地域です。仙台空港の常設ではないようですが、特別な時に設置されるそうです。震災を生き残り、仙台空港という新しい居場所を得た「復興ピアノ」…みやけん♪旅立ちの日に仙台空港の「復興ピアノ」で… 小田和正さんの曲。ハラミちゃんの演奏ですが、これは、まさにピアノ自身が歌っていますね。♪たしかなこと* * *私は、日本にどれくらいの人数のミュージシャンがいるのか、たしかなことは知りません。ですが、駅ピアノ、空港ピアノ、街ピアノが、社会にとって、いかに大切な存在であるかは、「たしかなこと」だと思います。さまざまな被災地の復興において、音楽と音楽家たちの役割の大きさはもちろん、復興楽器たちの大きなチカラも、私は「たしかなこと」だと思います。「復興ピアノ」たちは、そこに存在しているだけで、大きな意味がありますね。新しい命を得て、これから新しい役割のもと、いつまでも がんばっていってほしい!純名里沙作曲:久石譲♪ぴあの(1994・平成6)◇津波は海からだけではない!ここで、全国的には、これまで あまり大きくテレビ報道されていない内容について、少しだけ書きます。* * *津波は、たいてい海からやって来るものと 誰もが思っていますが、実は「東日本大震災」では、山の貯水池のダムが決壊し、大きな津波のような状況で、下流の街を襲い、大きな被害をもたらした場所があります。昔から、山間地に発生する大規模な土石流を「山津波(やまつなみ)」とも呼びますが、東日本大震災の時に、東北の海岸沿いを巨大津波が襲うよりも先に、「山津波」が内陸の街を襲いました。福島県・須賀川市の「藤沼ダム」がある「藤沼湖(藤沼貯水池)」という農業用の貯水池が、その「山津波」の発生源でした。残された被災写真を見ると、近年の豪雨での山崩れの光景というよりも、まるで沿岸の津波被害のような大規模破壊にも見えます。* * *福島県の震災被害では、原発被害による避難や、沿岸の津波被害がクローズアップされますが、猪苗代湖の少し南側の山あいの地域で、まるで津波のような水の大被害が起きていました。「どうして、山から大量の水が…」という被災者たちの言葉に、想定外の、その恐ろしさを実感します。この藤沼湖の総貯水容量は、1,504,000 立法メートルです。約15億リットル。その大量の水が、地震によるダム破壊により、下流の街を次々に襲いました。下記映像は、震災の年の2011年(平成23)4月の藤沼湖の映像と解説です。下記映像は、震災から12年後の2023年(令和5)の藤沼湖の映像です。下記映像での音楽は、震災当日、ラジオ福島のスタジオで生放送中に被災した シンガーソングライターの「普天間かおり」さんの楽曲「スマイル・アゲイン」です。もはや、「津波は、海の沖から やって来るもの」という概念は、捨てたほうがいいのでしょう。私たちは、「津波は、海からも、山からも、川からも、やって来る」と理解しておいたほうがいいですね。東京近くで、危険性のある湖は「狭山湖」「多摩湖」あたりでしょうか…。国には、万全の準備対策をお願いします。* * *津波が河川を逆流してやって来るとは、下記の映像のようなことです。通常、川は上流ほど、川幅が狭くなっていきますね。津波は、川の下流から上流に向かって、川幅など無視して流れていくのです。つまり、波の高さや強さが増していくということです。「津波は、川をのぼっていく!」東日本大震災の時の仙台市の映像です。*心臓の弱い方、思い出したくない方は、見ないでください。◇津波てんでんこ東日本大震災によって、全国的に知られるようになった、ある言葉がありますね。「津波てんでんこ」。東日本大震災により、この言葉が、日本の隅々まで知れわたりました。ですが、その言葉は知っていても、その言葉の意味あいの理解は、個人により さまざまなのかもしれません。人によっては、この言葉の意味を、「津波から逃れるには、他人のことを見捨てて、自分の命を最優先にし、ひとりひとり自由な方向に向かって逃げること」と理解している方も多いようです。たしかに、表面的には 一理(いちり)あるかもしれません。でも、実際の被災現場で、あなたは、それができますか…?見知らぬ場所で、ただ一人で地震に遭遇した状況であれば、それも可能ですが、これが自宅で、家族数人が一緒にいて、幼い子供、歩けない年寄りがすぐ近くにいた時に、そうした行動ができるでしょうか…。家族のうちのひとりでも助かるように、家族がバラバラになって逃げましょうとは、なかなか難しい選択です。親子、夫婦、恋人、仲間…「バラバラの方向に勝手に逃げましょう」は、なかなか勇気のいる決断ですね。たいていは、家族や仲間がそろって集団で避難しようとしますね。* * *阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、能登半島地震でもそうでしたが、崩れた家屋の下敷きになった家族を引っ張り出すことができず、もうすぐ津波がくる、火災が近くまで迫ってきたなどの状況で、涙ながらの別れをした人も多くいました。相手を置き去りにせず、一緒に亡くなった方もいたでしょう。あなたは、「自分のことはいいから、この場を離れて、早く逃げろ。私の分も生きてくれ!」と相手に言えますか…。また、生きている相手を残して、その場を離れることはできますか…。状況によっては、究極の判断を強いられるかもしれません。* * *もし、見ず知らずの親子の、親のほうが その場で倒れ意識がなく、子供が泣いて たたずんでいる時に、その子を置いて、自分だけで逃げることはできますか…。もちろん、被災状況や、間柄、年齢、自身の身体の状態などによって判断が変わってくることはあるでしょう。消防士や医療関係者であったなら、どのような判断をするでしょう。自身の命は二の次…、相手を残しては逃げない…、最後まで一緒…、と考える方は、世の中に たくさんいます。「助けられる命」のために、自身の命を捧げるという方も たくさんいますね。「津波てんでんこ」の「てんでんこ」とは、はたして、個人ごとにバラバラになることを意味しているのでしょうか…。おそらくは、必ずしも、そうではないだろうと思います。* * *「津波てんでんこ」という言葉を、表面的に、知識として理解できていても、実際に地震に遭遇した時に、どのような判断を自分は行ったらいいのか…。人間は、それほど理屈で行動する生き物ではありません。下記動画では、「知識を持っているだけの段階から、判断して行動できる段階まで、自分を引き上げておかないといけない」、「お互いを信じ、信頼して、みんなで助かろう」という主旨の言葉が、経験者から語られています。* * *「てんでん ばらばら」という言葉表現がありますが、そこにいる人間やものが、統一感なく、バラバラな思想や動きをする状態を意味していますね。「津波てんでんこ」の「てんでんこ」も、それぞれバラバラになって逃げることを意味していると思われます。ですが、それが個人での行動なのか、集団グループでの行動なのかは、特に指定されていません。この言葉の中には、前述の「自分の命を最優先」という意味あいも、特に示されてはいません。「個人」や「自分の命を最優先」という意味あいは、この言葉にふれた各個人の思想により付け加えられた内容のように思います。本来の「津波てんでんこ」を、自分に合わせて曲解するのは危険かもしれませんね。* * *何よりも、今は、逃げることこそが最優先!別のあの人(相手)も、同じように行動してくれていたら、きっと助かるはず!相手の元に、すぐにでも駆け付けたい気持ちはあっても、そこにいない相手のことを信じて、まずは自身が助かる道を選ぶ!お互いが、相手の居場所に駆け付けようとしたら、二人とも命を落とす!二人とも、命さえ残っていれば、苦難が待っていたとしても、何とか先の未来が作れるかもしれない!「津波が来るぞ!まずは相手の居場所ではなく、高台に向かって全力で突っ走れ!きっと相手も そうしてくれている!見捨てるのではない!相手を信じろ!津波から逃げることだけを考え、結果を信じて、突っ走れ!津波てんでんこ!」。私の個人的な思考ですが、「津波てんでんこ」とは、このような意味合いを含んでいるのではないかと感じます。* * *「津波てんでんこ」という言葉は、近しい人であろうと、見ず知らずの他人であろうと、「他者を見捨て、自分の命が最優先」という意味を示しているとは、私には思えません。むしろ、真逆の意味の、信用・信頼に裏付けされた、希望の言葉のように思います。「津波てんでんこ」という言葉の根底には、人間同士の「信頼」や、「命」の大切さが、しっかりあるのかもしれません。この言葉「津波てんでんこ」は、「各個人の居場所や行動がバラバラの状態にはなっても、信頼や思いやりは、つながったままでいろ!誰であれ 命こそを守れ!あきらめるな!」と言っているようにも感じますね。古い時代の先人たちは、「津波てんでんこ」と強く叫び、自身に言い聞かせながら、高台に走ったのかもしれません。「津波てんでんこ」という言葉を、知識として知っているだけでなく、その言葉の意味あいや、自身の心構えを、普段から しっかりと考えておきたいものですね。◇あの日の日常…さて、日本人は、遺影や仏像にはもちろん、建物にも、品物にも、風景にさえも、「こんにちは。また来たよ!」と挨拶するような一面を持つ民族ですね。震災後に戻ってきた列車たちに向かって、「おかえり」と手を振る民族でもあります。個人で列車や電車を所有する方は、まず いません。それが、自動車とは、まったく違う点ですね。列車は、私たち社会全体のもの、地域のもの、その時代のもの… 何か特別な感情がそこに生まれます。だからこそ、震災前まで普段通りに走っていた列車との再会が、どれほど うれしいことか…。震災の日から、どれほど、彼ら(列車)を待っていたことか…。列車との再会は、かつての「あの日」との再会と同じ意味ですね。「あの日の日常」が戻って来ることが、どれほど うれしいことか…。「あの日の日常」を取り戻すことが、どれほど難しく、どれほど大切なことか…。いったん止まってしまったものが、再び動き出す… その姿が、どれほど勇気を与えてくれることか…。* * *下記は、列車たちが「震災で止まってしまった日」から戻って来た映像です。列車も、人も、街も、また走り始めることができますね。「地域」とは、団結して一緒に走ること!震災時に高校生だった彼女は、その後、三陸鉄道の女性運転士になりました。「三陸鉄道」全線復活(2014・平成26)「SL ふくしま復興号」、「沿線スマイル・プロジェクト(2012)」の映像です。音楽は、秋田県出身の歌手である高橋優さんの「卒業」。SLふくしま復興号「沿線スマイル・プロジェクト」(2012・平成24)東北に新幹線「こまち」が戻ってきた時のプロジェクトの映像です。音楽は、STG7-8の復興応援曲「あしたのうた」。おかえり こまち(2011・平成23)* * *さて、岩手県釜石市のラグビー場「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」は、岩手の復興のシンボルのひとつですね。2019年(令和元)の「ラグビー・ワールドカップ」の試合会場のひとつになりました。その試合会場では、特別な歌が歌われました。震災復興支援への感謝の歌!まさに、感謝と、未来に向かう勇気を感じさせてくれる楽曲です。♪ありがとうの手紙◇信じて… 未来てんでんこ本コラムの最後に、もう一度…「てんでんこ」!2009年(平成21)に、大人気テレビドラマ「JIN(仁)」(出演:大沢たかお、綾瀬はるか、中谷美紀、内野聖陽ほか)がありましたね。それ以降も、続編が作られました。時代を超えて、人間ドラマが展開する感動の空想物語でした。私は、今でも、ロケ地のひとつとなった、東京・お茶の水の「順天堂大学病院」(冒頭写真中央建物)の前をクルマで通ると、ドラマ「JIN(仁)」のことを思い出します。頭の中に、江戸時代の橘 咲(たちばな さき / 演:綾瀬はるか)の姿が よみがえります。ドラマの中では、現代の江戸城の外堀である「お茶の水」の風景も、何度か登場しました。別々の時代に生まれた男女…。逢うはずのない男女…。本当に逢えないの?再会できないの?たとえ、長く逢っていなくても…、再会できなくても…、「思い」は つながることができます。2009年(平成21)版の主題歌MISIA(ミーシャ)♪逢いたくていま2011年(平成23)版の主題歌平井堅(ひらい けん)♪いとしき日々よここで、ドラマ「JIN(仁)」のテーマ曲とともに、明治時代と今の東京を…。その年月の中には、たくさんの苦難を乗り越えてきた日本人がいましたね。私たちも、そんな歴史の中で生きている ひとりです。瞳を閉じると、まさに、あの時の瞬間が…、あの人たちが…、脳裏に浮かんできます。きっと、何かが つながっていますね!平井堅♪瞳を閉じて(2004・平成16)* * *日本は、歴史の中で、巨大自然災害や戦争の度に、大きく姿を変えてきました。ですが、そこには、何度も乗り越え、立ち上がってくる日本人たちがいましたね。巨大自然災害の多い日本では、大半の日本人は、個人の数十年の生涯の中で、大きな自然災害を一度や二度 体験することは、珍しいことではありません。地震、津波、洪水、暴風雨、噴火… これからも、巨大自然災害は起きます。歴史の中の日本人たちがそうであったように、今を生きる日本人も、辛くとも、乗り越えていくしかありませんね。これから来る「未来」は、懐かしい人々が歩いてきた「道」そのもの なのかもしれません。私たちが 今 歩いている道を築いたのは、前の時代の人々…。今、私たちが築いている道は、未来の時代の人々が歩く道なのかもしれません。私たちは、人を信じ、時代を信じ、未来に向かって その道を歩き、そして新たに築いていきます。未来… てんでんこ!「てんでんこ」であったとしても、信頼で、人も、時代も つながっています。私たちは、これからも、苦難の「あの日」を乗り越えながら、未来の明るい「あの日」も、つくっていくのでしょうね…。未来って…、なつかしい「あの日」!作詞・作曲:森山直太朗上白石 萌音(かみしらいし もね)♪懐かしい未来(2022・令和4)♪懐かしい未来連載「追悼311」の次回コラムにつづく…2026.3.8 天乃みそ汁『見守っていてね(追悼311 ①)』東日本大震災、Superfly、桑田佳祐、MISIA、絢香、平原綾香、震災復興、地震、岩手県、宮城県、福島県、愛は勝つ、3月11日、歌謡曲。トップページ・プロ…ameblo.jpトップページ・プロフィール【ご意見・ご感想・お問い合わせ】書き込みフォーム(非公開)*アメブロ会員の方は、アメブロの「メッセージ機能」をお使いください。