シャーリーン「愛はかげろうのように」、エンニオ・モリコーネ「映画 ザ・ミッション・メインテーマ」、東京オリンピック、マチュピチュ、ナスカの地上絵、ペルー、逃げ水、陽炎とかげろう、アンデス文明、米子松陰高校、洋楽。

 

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音路(42)愛の迷走【2】

手にするのも、手放すのも、あなた…(愛も、幸せも、陽炎も、栄光も)



前回コラム「愛の迷走【1】愛に生きる女 ~ 灯台の灯り」から「愛の迷走シリーズ」がスタートしました。
今回は、第二回として、「愛」や「幸せ」を探し求める女性のことを歌った楽曲をご紹介します。

その前に少し、今 話題の内容を…。


◇当事者意識と、本当の姿

2021年7月23日の東京オリンピックの開会式が近づいてきました。
コラム本題を書く前に、直近に起きた、オリンピック絡みの「音楽」や「映像」に関連したお話しなどを書きたいと思います。
音楽コラムの執筆者としては、書かずにいられない内容です。

* * *

まずは、オリンピックの開会式等の音楽部門のトップで、急転直下、辞任した あの男性人物に関してですが、音楽業界やマスコミの一部では以前から疑問視され、話題にあがっていた内容ですが、この数日の間に世界中の人が、その内容を知ることになりました。

作者の言動とその創作作品の関係については、別ものと考える事例も時にはありますが、さすがに、今回の内容については、30年近く前の話しではあっても、経過年数に関わらず、相当な内容の話しだと思います。
これは、世界中に伝わった際に、ほぼ例外なく許容できるものではないでしょう。
差別・暴力・陰湿ないじめ などは、オリンピックでも重要なテーマのひとつです
もう少し早い時期に発覚していたら、世界的な開催ボイコット運動につながっていたかもしれません。

組織委員会は、このまま目をつむって逃げ切ろうとしましたが、さすがに日本政府が強力な口調でストップをかけました。
外国のマスコミが、どんどん東京に入ってきており、このままでは、大きな国際問題になった可能性が高いでしょう。
日本政府は、今回の件は、早くしっかり対応したと思います。
ダメージには、スピード対応が命ですね。
彼の音楽作品が、オリンピック・セレモニーで使用されることはないはずです。
日本の音楽界へのダメージも回避できたのかもしれません。

前回の東京オリンピックの音楽担当者であった音楽家の古関裕而(こせき ゆうじ)さんは、天国で嘆いておられるでしょうね。
今回の問題の張本人もずっと気にしていたようですが、音楽家である前に、人間でなければなりません。

彼に再起のチャンスがあるのかどうか… 私にはわかりません。
彼次第かもしれません。

* * *

もうひとつ別の件です。
日本を代表する企業のトヨタは、今回のオリンピックの大スポンサー企業の一社ですが、オリンピック期間中に用意した新CM(応援用?)の国内放送をすべて封印すると発表しました。
放送したら、企業にとって、大きなダメージになるという判断です。
ようするに、日本国民の中にこれだけ多数の開催反対者がいる中で、オリンピックを応援賛美する内容のCMを流すことは、企業にとって多大な影響を及ぼすということですね。
ある意味、日本を応援することよりも、自社の生き残りを優先したとも考えられます。

もともと、トヨタという企業は、CM提供する放送番組内容をしっかりチェックし、問題があれば提供を中止する企業ではあります。
ある意味、放送業界の倫理観や思想・行動を、視聴率に関係なく、自社の目線ではあっても、チェックする役割を果たしているともいえます。
自社にとって必要のない広告は、ばっさり中止し、別の方向に向かう企業でもありますね。

今回のオリンピックは、スポンサー企業にとって、見返りが不透明な部分もあり、企業の規模や立ち位置、影響力、消費者ターゲット層などによって、各社の判断は分かれるはずですが、私は、トヨタであれば、今回の判断は正しいと感じます。
今、世界は自動車分野で大戦争の最中にありますが、こうした、しっかりとした意識を持ち、判断を行うトヨタであれば、きっと生き残ってくれると感じます。

世の中には、昔から、トヨタ社の自動車を好きにならない、一定数の自動車ユーザーがいます。
トヨタは、それでも、地道に、王道で、彼らにアプローチしているように感じます。
今回、トヨタは、コロナ危機の中であっても、「信頼」という金メダルを勝ち獲りにいったのかもしれません。

トヨタに限らず、大企業ではこれに続くことも考えられますね。
東京オリンピック後は、さまざまな分野で、訴訟問題が勃発するように思えてなりません。

* * *

さらに、こんなニュースも話題になっていますね。

鳥取県の高校野球予選の際に、米子松陰高校(よなごしょういん こうこう)の学校関係者にコロナ陽性者が出ました。
野球部員はすべて陰性で、濃厚接触者もゼロであるのに、野球部が予選に出場できず、不戦敗になりました。

詳しくは書きませんが、その高校の校長は、試合当日の時間ギリギリまで、野球部が出場できるよう、見事に尽力します。
ですが案の定、お役所である地元保健所と、地元の高野連は突っぱねます。
結局、野球部は出場できず、不戦敗となりました。

そして、野球部の主将が嘆きのツイートをすると、市民がそれに反応し、鳥取県知事も動きます。
それを知った吉村大阪府知事の「権力者の皆さま…」のツイートも、相当に大きな影響を与えた可能性があります。
吉村知事の発信力は、今や、相当な影響力ですね。
聞いたところによると、地元ではない大元の高野連と朝日新聞社が何かの行動をとったようです。
地元の権力者だけでは、物事は動かなかったかもしれません。
不戦敗が、突如「出場・試合実施」となりました。

やはり、重要な箇所で、的確ですぐれた判断機能が働くと、物事はいい方向に向かうということかもしれません。
世の中がよく見えている、教育的にも、すぐれた対応処置だったと感じます。
地元高野連も、対戦相手校も、すぐに了解してくれたようです。

おそらく、他の県の高校野球の予選でも、他のスポーツ系の部活動の大会でも、音楽部などの文科系の部活動でも、同様のケースが多くあると思います。

意識の高さ、粘り強い行動、的確な情報分析と判断、権力との上手な戦い方…、この鳥取県の例は、良い参考になると感じます。
それでもダメなら、大人たちは、子供たちをしっかりフォローしてあげてほしいですね。
部活動の子供たちも、周辺の大人たちも、最後まであきらめず、がんばれ!

コロナ禍の今の状況下では、いろいろな人間の、「かげろう(幻想)」ではない、「本当の姿」が見えてくるものですね。


◇あなたのミッション

いよいよ本日21日から、オリンピック競技が始まります。
1964年の東京オリンピックから 57年、夏のオリンピックが日本にやって来ました… 実に長かった。

今回の大会は、特に、オリンピックに出場する選手も、大会運営に関わる職員やボランティアの方も、さまざまな不安や迷いの中での戦いとなりますね。
まるで、戦場の最前線に向かう兵士たちであるかのようにも見えてきます。

あなた方の挑戦や仕事は、日本の歴史に、世界の歴史に残るものです。
そこに立っているだけでも、素晴らしいことです。
後々、自分自身が後悔することのないよう、自分が自分自身に課した「ミッション(使命・任務)」を、全力で果たしてほしいと願っています。
迷いを捨て、結果を恐れず、自分自身のためにチカラを出し尽くしてください。
あなた方の挑戦や仕事を、「偉大なもの」「美しいもの」として、自身の記憶に、そして世界の歴史に残してください。

今、この時、この音楽を贈ります。
エンニオ・モリコーネが残した、偉大で美しい音楽です。

1986年の映画「ミッション」のテーマ曲…
♪ザ・ミッション・メインテーマ

 

 

オリンピックとパラリンピックが、最後まで無事に完走できるのか非常に心配ではありますが、私は、日本国民のひとりとして、東京都民のひとりとして、静かに、でも熱く、見守りたいと思います。


◇愛はかげろうのように

さて、本題の音楽のお話しを始めます。
洋楽「愛はかげろうのように(I've Never Been to Me)」が、1976年に初めて世に出て以来、多くの女性歌手に歌われています。

1976年から78年にかけて、短期間に、多くの歌手によってレコード化されたのは、おそらく最も適した歌唱表現が何かを、レコード会社が模索した可能性もありますね。
どの歌唱バージョンも、そこそこ評価は得たものの、ランキング上位に入るようなことはありませんでした。
女性歌手シャーリーンの歌唱バージョンにいたっては、この1977年時に、ビルボード最高順位97位です。
この順位では、ほとんどの音楽ファンの耳に届いていないとっていいですね。

それが、突如、1982年に大ブレイクします。
世界各国で、ヒットチャート・ランキングのトップクラスとなります。
それも、多くの歌手のバージョンがある中で、シャーリーンの歌唱バージョンだけが再評価されるのです。

いったい何が起きたのでしょう…。
私にもよくわかりませんが、言えるとしたら、1970年代後半と、1982年の間で、世の中の何かが変わったのかもしれません。
特に、女性たちの意識が変わったのかもしれません。

たしかに、70年代から80年代へは、世の中が大きく変化した記憶があります。
時代が音楽に追いついたのかもしれませんし、この楽曲の歌詞が認められる時代がやって来たのかもしれません。
重要なことは、この楽曲が、多くの女性たちの心を、突如つかんだということですね。

まさに、「かげろう」のようなぼんやりとしていた楽曲が、急に目の前に鮮明にあらわれたような印象を持ちます。

* * *

他の歌手たちのバージョンも、音楽的に素晴らしいものが多いですが、サウンドや歌手の個性が際立ちすぎて、聴く人たちの心に、この独特な内容の歌詞が入ってきにくくなってしまったのかもしれません。

やはり、シャーリーンのバージョンが、音楽スタイルの好みを越えて、歌詞の内容が、私たちの心にもっとも響いたのかもしれませんね。
楽曲途中のあのダメ押しのような強烈な台詞も、効果満点だった気がします。

日本人にも、おそらくはシャーリーンのバージョンが、もっとも受け入れられやすいと感じます。

* * *

この楽曲は、さまざまな国で、翻訳されたり、歌詞を替えたりして、それぞれの国の言語で歌われ、現在も多くの歌手が歌っていますね。
中には、男性バージョンの歌詞を替え、男性歌手が歌っていますが、個人的には、そちらはどうも…。

日本では、この哀愁のある美しいメロディのため、この楽曲を結婚式や卒業関連行事で流すことが多くありました。
この歌詞内容なのに…と、私は少し微妙な気持ちにもなりましたが、英語の歌詞ですし、そこは雰囲気づくりということですね。

今でもそうですが、結婚式で、時折、この歌詞内容の外国語曲はだいじょうぶなのかと思うことがありますが、たいてい結婚する本人たちは歌詞内容を知りません。
日本語曲でもそうですが、別れの曲、失恋の曲を、結構 平気で流していますね。
いや~な予感は、時折、当たります…。
ようするに、前述のオリンピックの当局ではないですが、結婚も、意識と気配りの問題ですね。

* * *

私は、歌詞といい、メロディといい、この楽曲「愛はかげろうのように」は、女性のためにある楽曲だと感じます。

もし、この楽曲について、女子会トークが行われていたら、男性はむやみに、そこに立ち入ってはいけないような気もしています。
遠くない位置から、笑顔で眺めている…、それで十分であり、それ以上のことは男性には必要ないようにも感じてしまいます。
その時点では、男性は、まさに「かげろう」のように、蜃気楼のように、女性の近くに存在していればいいのだろうと感じます。

実は、この楽曲の作詞作曲の二人は、女性ではありません…。
にもかかわらず、ここまで、女性の心理を繊細に、優しく表現しています。
こんな歌詞は、普通の男性には、到底書けないのかもしれません。
作詞作曲は、モータウンのヒットメーカー・コンビです。

* * *

この楽曲の日本語への歌詞和訳は、翻訳者次第で、大きく異なるのだろうと思います。
歌詞の意味合いの方向性は同じでも、日本語表現は、それぞれ好きなように幾通りもつくることが可能ですね。
翻訳者なりの、経験や想いを込めた、自由な日本語表現がとても楽しめる楽曲のひとつなのだろうと思います。

一応、ひとつの翻訳例ではありますが、1977年にシャーリーンが歌って、1982年に世界中で大ヒットしたバージョンをご紹介します。

どうぞ、 あなたがすでに手にしている幸せをかみしめながら…
これから手にする幸せを想像しながら…、
大切な人の幸せを願いながら…
聴いてみてください。

あなたへの呼びかけから、この楽曲は始まります。
「ヘイ…、そこのあなたのことよ…」。

1982年の大ヒット…、シャーリーンが歌う…
♪愛はかげろうのように(和訳付き)

 

 

 

◇さまざまな「愛はかげろうのように」

シャーリーン以外の歌手たちによるバージョンをご紹介します。

ランディ・クロフォ―ドによる、1976年の最初の録音…
♪愛はかげろうのように

 

1977年のナンシー・ウィルソンの
♪愛はかげろうのように

 

1978年のメアリー・マクレガーのバージョンは、30位前後までランキングされ、それなりに小ヒットしました。
♪愛はかげろうのように

 

1978年のマーティ・ケインの
♪愛はかげろうのように

 

* * *

ここからは、男性心理に替えた歌詞のバージョンです。
「ヘイ・ミスター」で始まります。

1977年のウォルター・ジャクソンの
♪愛はかげろうのように

 

1982年にテンプテーションズも歌ってました。
♪愛はかげろうのように

 

あなたは、どの「かげろう」がお好みですか…。


◇中南米の文明

この「歴音 fun(れきおん ふぁん)」は歴史ブログでもありますので、コロナ禍で旅行がしにくい今、ここで少しだけ旅行気分の歴史のお話しを書きます。

中米の国メキシコのすぐお隣にあるメキシコ湾からカリブ海にかけての地域や、南米大陸の西側の太平洋に面した地域は、紀元前の昔から、大きな文明がいくつもありましたね。

メキシコのユカタン半島のつけ根あたりの地域には、巨大な石造りの人物頭部像で知られる「オルメカ文明」が、紀元前2500年頃から紀元初期あたりまで存在しました。
今のメキシコシティあたりには、大規模ピラミッドや大都市があった「テオティアカン文明」が、紀元初期頃から700年頃まで存在しました。

メキシコ中央部には、その後700年頃から1200年頃まで「トルテカ文明」があったと伝承されています。
メキシコ南部には、さらに古い時代の文明が残っていたとか、メキシコ西部には、「タラスカ帝国」があったといわれています。
他にも、1400年代から1500年代に栄えた「アステカ文明」や、ユカタン半島の「マヤ文明」は有名ですね。

* * *

一方、南米大陸の西側である太平洋側には、アンデス山脈のある地域の国々(ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリ)に、中米とは文化や風習を異にする文明がありました。
いわゆる「アンデス文明」です。
特に栄えた地域は、チチカカ湖(ペルーとボリビアの国境)周辺と、今のペルー国のあたりです。

* * *

ペルーの「カラル遺跡」は、紀元前3000年から紀元前2000年あたりだそうです。
古代エジプトなら、王朝初期の初めての統一国家の頃です。
日本は、縄文時代ですが、古墳時代や、倭国、邪馬台国よりも前の時代です。
おそらくは、日本書紀や神話などとして残っている、九州や出雲、近畿、瀬戸内あたりでの、天皇家の先祖や、有力一族たちが争っていた時代ではないかと思います。
東北や関東には、別の大勢力がいたはずです。
その頃は、日本はまだ統一国家ではなく、天皇家や有力一族による全国制覇の直前の頃だと思います。

* * *

南米の「アンデス文明」とひとくちに言っても、多くの文明に分かれていますが、すべて文字を持たない文明ですので、詳細がわかっていません。
別の記録方法があったようです。


◇マチュ・ピチュ

時代は進み、西暦1200年代頃から1500年代頃まで、ペルー・ボリビア・チリあたりには、アンデス文明の流れを受け継ぐ、ケチュア族の国家「インカ帝国(インカ文明)」がありました。
スペインによる武力侵攻や、それまで南米になかった新型ウイルスの「天然痘」「インフルエンザ」「はしか」「チフス」、インカ帝国内の動乱などによって、この文明は滅びます。
文明の滅亡において、新型ウイルスの影響は、相当なものであっただろうと想像できます。

ペルーの首都は現在はリマですが、標高3400メートルにある街「クスコ」は、インカ帝国の首都だった都市で、標高2400メートルにある山奥の遺跡「マチュ・ピチュ」は、クスコの北西約70キロの地点にあります。

「マチュ・ピチュ」という呼称は、後の時代につけられたもので、この遺跡についてはわからないことだらけですね。
どのような役割を果たした都市なのか、単に、首都クスコの衛星都市のひとつだったのか、防衛用の軍事施設だったのか、よくわかりません。
どうも、戦った痕跡はなさそうです。

現代人の多くの想像で成り立っている、まさに「かげろう」のような都市遺跡「マチュ・ピチュ」ですね。

 

下記の動画は、クスコの街からマチュ・ピチュへの、フライト・シュミレーション映像です。
それにしても、マチュ・ピチュは、ものすごい山奥で、それも山のほぼ頂上ですね。

日本でいえば、戦国時代前期の大規模な山城城郭のようです。
たしかに、この場所なら敵からの攻撃、水害などには、チカラを発揮しますね。
ただし、山の峰の構造次第では、逆に敵から一網打尽になりやすい…。

この山奥の遺跡は、現代人の感覚からすると、山の一角を、一面コンクリートで固め、そこに大型プールをつくって、雨水を貯蔵し、そこに暮らすようなことかもしれません。
そうなると、石材どうしの間に、大きな「すき間」など許されませんね。

この地域は、今の日本の年間の雨量よりも多いので、生活水は雨に頼ったと思われます。
張りめぐらされた水路からすると、相当な量の水を貯蔵したと思われます。
もし乾季に渇水状況になった際は、はるか谷の底の川から水を引き上げなければなりません。

* * *

日本の「山城(やまじろ)」建設の発想と似ているかもしれません。
日本の山城にも、プールのある城もありました。
たいていは、山城敷地内に井戸が掘ってありました。

一方、愛媛県の松山城などは、谷川の上に土を盛って尾根をわざわざつくって、谷川の水を井戸形式で汲み上げていましたね。
地下水脈を探して井戸を掘り、それを利用する発想ではありません。
地表の川を地下水脈に変えてしまったのです。
人間は、せっぱ詰まると、ものすごいことを考え、実行しますね。

マチュ・ピチュでは、真っすぐに切断できる建材用の石材の確保を、当然、重要視したはずです。
貯蔵した水の煮沸消毒用の燃料である木材の大量確保も、当然考えたでしょう。

マチュ・ピチュでも、現代の山小屋でもするように、大気中から特殊な布を使って、水分を集めるということも行っていたかもしれませんね。
霧は、まさに空気中のプールです。
綿のような花を持つ高山植物の多くは、自身の体表に付着するように、空気中から水分を集めますが、当時の人たちも同じようなことをすでに行ったかもしれません。

個人的には、マチュ・ピチュが、谷川から、人力で徒歩で水を運び上げたとは思えません。
何か驚くような科学的な手法を使ったのかもしれませんね。

この都市のような遺跡が、ここまでの山の奥地であった理由を、当時の都市設計者に聞いてみたいものです。

フライト・シュミレーションで、クスコからマチュ・ピチュへ

 

 


◇ナスカの地上絵

もうひとつ、ペルーには、太平洋に近い地域の、グランデ川の支流のナスカ川の地域に「ナスカ文明」というものがありました。
紀元初期から800年あたりの、ナスカ人による文明で、アンデス文明の中でも初期の頃の文明です。
ナスカは、砂漠と平原が広がる地域です。

日本でもそうでしたが、こうした場所では、綿花の栽培や、家畜の放牧などが中心産業になったりします。
ただ、ナスカ川やグランデ川が干上がったら、一大事であるのは間違いないですね。

* * *

ナスカには、有名な「地上絵」があることで、よく知られていますね。
「地上絵」が描かれていた期間は、ナスカ文明の期間よりも長い可能性もあります。

グランデ川の支流である、ナスカ川とインへニオ川に挟まれた、およそ500平方キロメートルの一帯に、 サル、ハチドリ、クモ、クジラ、人物などの絵や、三角形、台形、渦巻きなどの幾何学模様などが、いわゆる「一筆書き」で描かれています。
もともと、ナスカ人は、高度な灌がい(かんがい)土木技術を持っていたようです。

後世の南米の人たちが、マチュ・ピチュのような都市を建設するのですから、大昔の人たちが、優れた土木技術を持っていても不思議はありませんね。

* * *

「地上絵」が描かれた理由は、もちろん文字で書き残されていませんので、現代人が想像するしかありません。
調査では、これらの絵は当初、岩場に描かれていたようで、後にさらに大規模なサイズで平地に描かれるようになっていったそうです。

描かれた理由の説の中には、もちろん宗教的な意味もありますが、水との関連も説明されています。
絵が描かれた場所には、地下水脈との関連性があるのかもしれません。
または、「雨乞い」の意味合いが強いという説もあります。
この場所は、重要な川に挟まれた地域でもあります。

このナスカの平原は、年間5ミリ程度しか雨が降りません。
だからこそ、地上絵が2000年近く残ったともいえます。


◇逃げ水(にげみず)

「地上絵」が描かれた説の中には、ある「かげろう」の話しもあります。

私たちは、灼熱の平原や砂漠を遠くから眺めた時に、遠くに、湖のような多くの水が、ゆらゆらと揺らぐような風景を認識することがありますね。
太陽により熱せられた地表からの猛烈な熱気が、大気を揺るがせます。

日本でも、夏の暑い日中に、真っすぐな道路の先に、水がたまっているように見えることがあります。
日本では、これを「逃げ水(にげみず)」と呼びますね。

コラム冒頭の写真が、それです。
これも、同じような現象です。

事実、その場所に行ってみると、そこに水はありません。
人間の目の誤作動…、誤作動というよりも、空気の揺らぎを、まさに水と感じてしまう誤認、錯覚という現象です。

* * *

科学技術が進んだ現代ですので、私たちは、そこに存在しているかのように見える水を汲みに行こうとは思いません。
現代人であれば、人間の目の錯覚については理解しています。

東京でも、今年の夏、大都会の道路で「逃げ水」を見ることができるでしょう。
ペットのワンちゃんなら、逃げ水を見て、そこに走っていくかもしれませんね。

古代の時代なら、人間が、水が欲しいあまりに、そこに水路を築こうと考えても不思議はありません。
「一筆書き」になっている理由も説明できます。
ただ、「地上絵」は本格的な水路の構造ではありませんので、最初から、この場所に雨など降らないことは百も承知だったかもしれません。

ですが、この灼熱の平原には、水のように見える「かげろう」が幾度もあらわれ、それがまさに「水の神様」の存在のように感じたのかもしれません。
雨は天から降ってきます。
天にいる「水の神様」にも見えるサイズで、願いを込めた「地上絵」であったのかもしれません。

神様なら、その地上絵の線に沿って、水を流してくれるかもしれません。
ナスカ川の上流から、水を送ってくれるかもしれません。
雨をたくさん降らせてくれるかもしれません。

「古代人は、自身で見ることができないような巨大な絵を地表に描くという、なんて おかしな行動を…」と考えるのは、それこそ現代人の幻想かもしれませんね。
当時のナスカ人には、民族の未来をかけた、命がけの行動だったのかもしれません。

どこの国の古くからの神事もそうですが、それはみな本来、人間や、ましてビジネスのために行っているものではありません。
それをご覧になるのは、みな神様たちですね。
お祭りも、神輿も、花火大会も、お相撲も、みな本来は、人間が見るために行っていたわけではありませんね。

* * *

現代でも、人間は、せっぱ詰まった時…、欲しくて欲しくて欲望がおさえきれない時…、「逃げ水」のような幻想を追いかけようとしても不思議はありません。
説明できなくても、根拠などなくても、幻想を追ってしまうかもしれませんね。

水は逃げてしまっただけで、そこに絶対に水はあったと信じてしまうのも、人間ですね。

「地上絵」の中に、人間の願い、欲望、迷いが詰まっているような気もしてきます。

地上絵を、ネットで探す動画

 

 

地上絵・遊覧飛行動画

 

 

◇陽炎(かげろう)

ここで、もうひとつだけ、日本の歴史の面白いお話しを…。

日本には、どうしてこの漢字の熟語を、こんな読み方をするのだろうというものがたくさんありますね。
「陽炎」という漢字を「かげろう」と読むのも、そのひとつです。

「かげろう」という言葉は、「限る火(かぎるひ)」が変化した言葉で、太陽の陽ざしが減少した「日陰」の「日がかげる」と同じような現象を意味します
つまり、明るさが弱々しく減少した状況を示しています。
その逆が「日が照る」です。
「限る火(かぎるひ)」は、弱々しく揺らぐ火の明るさを意味します。

一方、「陽炎」という中国から来た漢字は、太陽の日差しの熱で地表が温められ、その場所の大気が、まるで炎の揺らぎのように、風景が揺らいで見える様子をあらわした漢字です。
文字通り、太陽によって引き起こされた地表の炎です。
読み方は、当然、本来は中国語読みです。

日本では、この漢字「陽炎」の揺らぎの意味を、その意味に近い「かげろう」という言葉で読むようにしたともいわれています。
日本では、中国から来た漢字の本来の意味と、それまで日本にあった近い意味の発音を結びつけることが少なくなかったですが、その一例ですね。
中国から来た漢字の「陽炎」と、日本語の発音の「かげろう(かぎるひ)」が、日本人の想像力で結びついたのだろうと推測します。

日本では、西洋から来た外来英語を、日本独自の意味あいでの使用に変化させたり、あたかも英語のような新造語を生み出すことがありますね。

そして、日本人は、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットを上手に使い分け、細かなニュアンスの違いを表現しますね。
日本人は、昔も今も、上手に、器用に、言葉や熟語を変化させ、使いこなすのが得意なのかもしれません。


◇めんどくせェ~

さて、お話しを「愛」に戻します。

男女の結婚前の恋愛時期は、とかく相手に会いたいと思うものですよね。
ですが、異性である相手には、決して語ることなく、同性の友人などにしか語らない内容もありますね。
私たちは、歌の歌詞や文章、今の時代ならブログなどのSNSで、思わぬ異性の本音を知ったりすることもありますね。

たとえば、男性の多くは、デートに向かう際は、それほどの準備時間を要しません。
昭和の時代であれば、男性は、適当に服を着て、金はあるか…、髪に寝ぐせはないか…、体臭が臭くないか…、せいぜいその程度で、あっという間に身支度できたものです。
それよりも、相手の女性に早く会いたいな…でしょうね。

私は、ずいぶん年月を経過してから、歌の歌詞や文章などで、女性はそうではないと知りました。
お化粧は…、洋服は…、香りは…、バッグは…、靴は…、どんな話題を…、とにかく準備時間が男性とは比較になりません。
下手をすると、前の晩から準備が始まります。
「逢いたいのは山々だけど、めんどくせェ~」…こんなことが女性には相当に多いようですね。
せっかく時間をかけて準備して、逢いにやって来たのに、(男性は)何も言わない…(怒)。

でも女性たちは、「(笑顔で)…お待たせ。遅れちゃった」。

男性は、相手の女性の心を気にもせず、「遅い…」、「化粧 濃くねェ」、「(本心とは逆に)いいよ、いいよ」。

男性は、女性の「かげろう」を見ているのかもしれません。
女性は、男性の「かげろう」を見ているのかもしれません。
目の前にいるのは、真の姿…?

いずれにしても、男性がまったく気づいていない、女性たちの苦労がたくさんありそうです。

とはいえ、女性が「めんどくせェ~」と感じてきたら、何かの潮時(しおどき)なのかもしれませんね。
相手が「かげろう」のうちに結婚してしまったほうがいい場合も…。
男性は気をつけてくださいね。

* * *

この楽曲「愛はかげろうのように」の中の女性の歌詞は、そんな女性たちの声なのかもしれませんね。

あなたでなくて、もうひとりの男性を選んでいたら…。
本当は、もっともっと幸せになれたのかしら…。
私はこれまで、本当に幸せだったのかしら…。
私は今、本当に幸せなのかしら…。
そして、これからも…。

この歌詞の主人公は、何かの迷走の中にいるのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。
彼女は、本当に、十分な「幸せ」に手が届いていなかったのでしょうか…?


◇手にするのも、手放すのも、あなた…

「愛」や「幸せ」が「かげろう(幻想)」だと考えることは好き好きですが、この楽曲「愛はかげろうのように」の主人公は、何かを待っていただけなのでしょうか…。
歌詞の中の彼女は、そうではありませんね。

愛や幸せを求め行動し、少なからず幸せの瞬間を味わってきました。
そして、もっと上の幸せを、さらにより高みにある幸せを…、追いかけ続けているようにも感じます。
たしかに、階段を登っていく若い年齢の時は、その先の高い大空しか見ていないこともよくありますね。

愛や幸せが、すぐ手の届くところにあるのかもしれませんし、はるか遠くにあるのかもしれません。
歌詞にあるように、幸せを…、自分自身を…、しっかり把握し、自覚するのは、そうそう簡単なことではないのかもしれません。

時に人は、「幸せ」のど真ん中にあるのに、それに気がつかないことがあります。
「幸せ」が去った時、失った時に、それに気がついたりすることもあります。

「もっと もっと」と思っていると、なかなかやって来ないのも、愛や幸せであったりします。
忘れかけた時、あきらめかけた時に、突然 どこからともなく、やって来たりもします。

忙しすぎて…。
疲れすぎて…。
時間が足りない…。
好きなことができない…。
たった今、子供たちを怒鳴ったばかり…。
傍らに、旦那が、子供が、ペットたちが…、ひとの気も知らないで、のん気にスヤスヤと眠っていたりします。

ひょっとして、私は今、幸せの中にいる…?
幸せの直前にいる…?
手にできるチカラをすでに持っている…?

私は、愛も幸せも、本当は「かげろう」などではないと思うのです。
それらが自身の手から離れた時、それが「かげろう(幻想)」になるのかもしれません。

本物の水が、「逃げ水」に変わってしまうのかもしれません。

私には、この歌詞の主人公は、十分に幸せの中にいた…、今もその中にいる…、そんな気がします。
そして、この主人公は、また別の新たな幸せの直前にいるのかもしれませんし、幸せを手放す直前なのかもしれません。

* * *

男性にとっては、女性が抱く「満足できないもの」がよくわからないことがありますね。

ただ、時に「自分自身のことを つかめない。自分自身が何に満足していないのか、よくわからない」ということが起きるのは、男性も同じですね。

私たちの中にある、「果てしない欲望」や「不満」は、「幸せ」や「愛」を遠ざけるのかもしれません。
この楽曲は、どの時代にあっても、私たちに、何かを考えさせるチカラを持っているのかもしれませんね。

「愛」や「幸せ」は、この世の中に、さまざまなかたちで、確かに存在しています。
今「手にしている」のか…、「手にしていない」のか…の、どちらかかもしれません。

それが「かげろう」や「幻想」になるのかどうかは、私たち自分自身次第なのかもしれませんね。

* * *

最後に、シャーリーンの歌唱映像を…。
たしかに、このシャーリーンの姿は、社会で働く多くの OLさんたち…、子育て中の若いママさん…、学校を卒業して働き始めた若いレディたち…にも見えてきて、遠い存在には感じませんね。
♪ヘイ・レディ…

♪愛はかげろうのように

 

 

コラム「音路(43)子供たちがいる風景(子供の情景&子供の凱歌)」につづく

2021.7.21 天乃みそ汁

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