こんにちは、みなさんお元気ですか?

早いもので4月も中旬ですね。
わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市内の桜も見ごろを過ぎようとしていますが・・・
実は先週、市内の桜スポットのひとつである延命寺の「しだれ桜」を見て来たので、遅くなりましたが、「筑西の歴史・文化財」とあわせてご紹介したいと思います。

こちらが、市内伊佐山にある延命寺です↓

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境内には、樹齢300年とされる枝垂桜があります↓

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行こう行こうと思っていてもなかなか時間が作れずに、結局訪れた日にはやや見ごろを過ぎてしまいました。
なお写真はスマホで撮ったものなので、あまりきれいに撮れていませんが、お許しください。

さて、ここ延命寺の枝垂桜、夜間にライトアップされているためか新聞などでも紹介されることがあり、近年は市民に人気の桜スポットのひとつとなっています。
わたくし臣がスマホで写真を撮っている時も、何人もの人がやってきて花見をしていました↓

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こちらは、お寺に建っていた案内板↓

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一部省略してご紹介させていただきます。


莊台山地蔵院延命寺(真言宗豊山派)
筑西市伊佐山142番地
延命寺は、船玉神社女方羽黒神社と大きな結界を結び、小川の熊野神社、山倉神社、稲荷神社とも二重三重の結界がある。また、元館、天満宮、女方羽黒神社とは霊線で結ばれている重要な寺であった。
創建時期は寛永14年(1637)以前と思われる。
徳川家から庇護されていたことが、本殿に安置されている宝永5年(1708)につくられた秀忠(2代将軍)、家綱(4代)の位牌、3代、5代、8代、10代、11代、12代、13代、14代将軍から賜った御朱印状からうかがえる。
他に御本尊地蔵菩薩(木造)、弘法大師像(木造)、釈迦涅槃図、両界曼荼羅が安置されている。
古文書によると、元禄時代に檀家500軒を超える寺院であったと記されている。
樹齢300年を超えるしだれ桜の咲く季節には、老若男女が参拝に訪れ、お茶会などを楽しみにぎやかである。
伊佐山村は『杉山私記』(明治27年発行)によれば、古老傳に日往古当所を下野国芳賀郡砂ケ原〔古へ砂川原と言へり〕より砂の地脈を引き当所に至り其の砂の止む故に砂イサゴヤムというべきをムをマミムメモの通音にてマと茲にイサゴヤマ村と称う。
最も砂ケ原以南は当所まで伊佐の郷と言う、故に砂山村と称う。
又伊佐山と称えしは山陰中納言高房ここに居しころより伊佐氏と称ひ故に伊佐山村と書き、又徳川公治世にも砂山村と書き明治年中今の文字に定めたり。
贈 下館商工会議所
管理者 当山61世山岸聖弘


ここに登場する伊佐氏は、平安末期に福島県伊達郡に移り住み、その地で「伊達」を名乗った一族を指すものと思われます。その末裔こそが仙台伊達氏です。
筑西市内には高房公が常陸に流されたという伝説(史実ではない)が残っており、この解説板では「杉山私記」を引いて高房の住んだ場所を伊佐山だとしています。
また、市内泉にあったという、施無畏山延命院観音寺(中館観音寺)末寺の天台宗弥勒山等覚院跡に現存する五輪塔が、等覚院供養塔(伝・藤原高房供養塔)として市の史跡に指定されています。
ただし通説では、伊佐氏の拠点は現在の中舘観音寺にあったとされる伊佐城で、茨城県はそこを伊佐城跡として史跡に指定しており、観音寺境内には市指定史跡の伊達行朝廟も残されています。
はたして、伊佐氏の拠点は伊佐山にあったのか、中舘だったのか。それとも、その両方だったのでしょうか。

話が長くなってしまったので、これ以上は次の機会にご紹介することにさせていただきますが、いずれにしても筑西市は「伊達氏の源流の地」ということです。



というわけでみなさんはこの春、桜をご覧になりましたか?



■このブログで、紹介した筑西市の桜