こんにちは、みなさんお元気ですか?
さて今回は、弘前&平泉の旅3 津軽三味線と郷土料理からの続きです。

青森県弘前市を後にした わたくし臣(しん)とその一行…
JR弘前駅から特急つがる、新幹線はやて&やまびこ、東北本線を乗り継いで平泉駅へ。
ここは岩手県西磐井郡平泉町、平安時代末期に陸奥・出羽を支配した奥州藤原氏の拠点だった場所です。

一日フリー乗車券(400円)を買えば何度でも乗り放題という、岩手県交通の巡回バス「るんるん」で移動↓

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訪れたのは、天台宗別格本山・医王山毛越寺(もうつうじ)です。
嘉祥3年(850年)慈覚大師円仁が創建、その後奥州藤原氏の二代基衡と三代秀衡により堂塔40・禅坊500を数える壮大な伽藍が造営されました。
それらの堂塔・禅坊は藤原氏滅亡後に火災などで焼失しましたが、毛越寺境内附鎮守社跡が国の特別史跡に、毛越寺庭園が特別名勝に指定されています。

毛越寺本堂と、極楽浄土の世界を再現した浄土庭園「大泉が池」↓

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塔山を背景に伽藍の前に池を造り、池の周囲に州浜や築山、出島、飛島などの石組みを配置。
自然の景観を取り入れた見事な庭園ですね。

山水を池に取り入れるための水路「遣水(やりみず)」と、平安時代に行われた「曲水の宴」を再現した様子↓

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毛越寺の遣水は、平安時代の完全な遺構としては日本唯一のもので、水底には玉石が敷き詰められています。
曲水の宴とは、遣水を浮かべた盃が自分の前を通り過ぎるまでに和歌を詠むという平安貴族の遊びだそうです。

毛越寺を開いた慈覚大師を祀る開山堂↓

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開山堂には、藤原氏三代(藤原清衡・元衡・秀衡)の画像が安置されていました↓

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こちらの常行堂は、仙台藩主の伊達吉村公が享保17年(1732年)に再建したもの↓

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実はこの伊達吉村公、わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市とゆかりがあります。

伊達家初代の常陸入道念西(伊達朝宗)公がもともと常陸国伊佐郡(現在の筑西市)の住人であったことから、参勤交代の際に立ち寄り、ご先祖ゆかりの地に建つ観音寺(筑西市中舘)に参拝し、螺鈿硯箱(茨城県指定文化財)や自筆の和歌(筑西市指定文化財)などを寄進しているのです。

ちなみに常陸入道念西は、源頼朝の奥州征伐に参加して戦功をあげたことにより伊達郡などの地頭職を手にし、「伊達」を名乗って伊達氏初代となりました。
筑西市と平泉は、伊達氏を通じてゆかりのある場所だったのです。
吉村公が常行堂を再建したのは、祖先が滅ぼした藤原氏を供養するためだったのかもしれませんね。

最後におまけ↓

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毛越寺に隣接する平泉町立平泉小学校の校庭に咲いていた枝垂れ桜です。
とっても立派な桜だったので、思わず写真に撮ってしまいました。

さて、毛越寺を後にした わたくし臣(しん)とその一行は、いよいよ中尊寺へと向かいます。


というわけで、弘前&平泉の旅5 中尊寺に続きます。