こんにちは。
新型コロナウイルス、遂に茨城県筑西市でも陽性患者が1人出てしまいました。ウイルスは足元まで来ています。みなさんも、不要不急の外出などはお控えください。

さて、話は変わって・・・
開設以来、筑西市内に咲く桜の記事を書いてきたブログ「筑西歳時記」。本日ご紹介するのはこちら、中舘観音寺の桜です↓


中舘観音寺は、正式な名前を施無畏山延命院観音寺といい、「中館観音と下館近郊(伊佐城址、中館八幡、延命観音、小栗のハイキング)」として、茨城百景(昭和25年5月10日 茨城県告示第211号)のひとつに選ばれています。


わたくし臣(しん)は小学校低学年の時に、遠足でここ観音寺に来た記憶があります。思えばあれから数十年、月日が経つのは早いものです。

本堂へと続くそれほど長くはない参道ですが、両脇に桜と灯篭が並び、桜は綺麗に花を咲かせていました↓


なおここには、以前ご紹介した伊達行朝廟があります↓



なぜ筑西市に伊達家当主の墓(供養塔)があるのか。

そもそも伊達氏は、常陸国伊佐郡(現在の筑西市の一部)をおさめていたとされる常陸入道念西(仙台藩伊達家では念西を伊達朝宗に比定)が、源頼朝による奥州征伐で息子たちが手柄を立てた事により伊達郡を拝領。長子の為宗を伊佐に残して、次男の為重等とともに伊達郡に下り「伊達」を名乗ったのが始まり。
つまり、伊達氏発祥の地は奥州伊達郡ですが、更に遡れば筑西市(伊佐郡)に辿り着くのです。

伊達行朝(行宗)は南北朝時代、ここ観音寺を含む場所にあったとされる同族伊佐氏の城・伊佐城に入り、南朝側として戦ったと言われています。
しかし、常陸の南朝は敗れて伊佐城も落城。行朝は伊達郡霊山へと帰還しますが、後にこの地に行朝のための供養塔が建てられたそうです。


なお、観音寺とその周辺には、他にも文化財などが数多く存在するため、一回の記事ではとても書ききれません。この続きは、観音寺(施無畏山延命院観音寺)の山門でご紹介させていただきます。