こんにちは、みなさんお元気ですか?

さて今回は、茨城県筑西市の歴史・文化財の紹介です。

突然ですが、みなさんは戦国武将といえば誰を思い出すでしょうか。
織田信長、徳川家康、NHK大河ドラマ「天地人」で現在話題の直江兼続など、有名な戦国武将は大勢います。
その中でも、わたくし臣(しん)が一番好きなのは、独眼竜の異名をとる伊達政宗。その政宗で有名な伊達氏とここ筑西市は、実はゆかりがあるのです。
政宗が活躍した戦国時代末からさかのぼること約400年前の平安時代末、伊達氏の祖とされる「常陸入道念西」という人物が所領としていたのが、当時の常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市の一部)でした。

今回ご紹介するのは、その「常陸入道念西」の更にご先祖にあたる「藤原高房」の供養塔。市内泉に施無畏山延命院観音寺(中舘観音寺)の末寺だった天台宗弥勒山等覚院跡があり、供養塔はそこに建っています↓

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現地には、大きな五輪塔が2基と小型の五輪塔10数基が↓

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大型の2基はそれぞれ、藤原高房と源頼朝の供養塔といわれているそうです。
よく見ると近くには、「伊達氏供養塔」と刻まれた碑が建っていました↓

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ちなみにこの地では藤原高房について、「藤原時平の讒言によって菅原道真が大宰府に流された際に、藤原高房もまた常陸国伊佐荘に流された」という伝説が残っています。

以下は筑西市ホームページより↓

等覚院供養塔(とうかくいんくようとう)
指定区分 市指定文化財(史跡)
指定年月日 昭和52年3月24日
所在地 泉地内
管理者 観音寺
員数 2基
藤原高房供養塔は、泉の観音寺下寺天台宗等覚院(廃寺)跡にある五輪塔です。第60代醍醐天皇(在位897~930)の延喜元年(901)、藤原時平のざん言によって、菅原道真は九州大宰府に、中納言藤原高房は常陸国伊佐荘に流されました。高房は居ること20余年、延長2年(924)9月29日ここで薨じました。法名を東岳院殿秋山道融大居士としてここに葬り東岳院と名づけました。
五輪塔は2基あり、その1基は、高房の死後子孫の伊達朝宗が仕えた源頼朝の碑を清国院殿前柳営譲与崇和大居士として、高房の碑と並べて建てたといわれています。東岳院が現在の等覚院に改められた年代は不明です。


没年や戒名まで伝わっているようですが、そもそもここに書かれている「高房が常陸国伊佐に流された」というのは史実ではなく、あくまでも伝説です。この解説文にも、もう少しその辺りの説明が必要かもしれません。

ただし、筑西市が伊達氏ゆかりの地というのは本当です。



というわけで、筑西市指定文化財(史跡)・等覚院供養塔(藤原高房供養塔)のお話でした。


筑西市ホームページ