おはようございます。
子どもが学校へ行き渋る様になると、
最初は、「学校へ行かなきゃだめだよ!」って
声をかけてしまうパターンが多いですよね。
(私はけっこうしぶとく、そう言ってました・・・)
でも、そのうち、「この対応じゃ、まずいのかも?」
って思いなおす時が来る、そんなケースが多いですね。
その時、たぶん、教科書通りの声掛けの代表的なのが、
「学校、休んでもいいよ。」
だと思うんですけど、(私もその通りやってみた経験あり。)
でもね、コレもなんか違和感あるんですよね。
もちろん、学校へ行きたくない、と言っている子に、
「いやいや、学校へ行きなさい!」ってやるよりは、
全然いいですよね。
ずっと安心感や、信頼を感じられる声掛けです。
でも、「学校は、休んでもいいよ。」っていう声掛けって、
取り方によっては、「親である私が、許可を出します」
っていうことになりません?
コレ、たぶん、小学生くらいまでのお子さんなら、
お母さんが、お子さんの気持ちを汲んであげて
「休んでいいんだよ。」って言ってあげることで、
不安な心が救われる効果、すごく高いと思うのですが、
少し大人になってきた、思春期くらいの子にだと、
もしかしたら、逆に違和感を与えるかもしれないなって思います。
(あくまで、私見です。)
実際、ウチの息子にこれを言った時には、
「は?言われなくてもそうするし
そーゆーのがウザい。ムカつく」
なんて返事が、そっこー返ってきて、
ハラワタ煮えくり返った覚えがあります・・・
今思えば、その時に息子が受け取った
違和感、不快感の正体も、分かるんですけどね。
なぜ、違和感を感じるかって、結局、
子どもが学校へ行くかどうかは、子どもが決める話だから。
です。
お母さんが、「休んでいいよ。」と決める事ではなく、
ましてや、「行かなきゃダメ、」と決める事でもない。
子どもが、どうしたいか、を決める、子どもの問題。
学校へ行く、行かないことで、何を体験し、
何を得るか、それを経験するのは、子ども自身でしかありません。
親が、許可して決定してしまっても、
親がその結果、結末を、子どもに代わって体験することは
できませんよね。
その行動の結末を、親が引き受けるわけにいかないのに、
親が行動の決定権を持っているのは、
おかしなことです。
だから、親が、「休んでいいよ。」と声掛けするのも、
本当は少し違うのかなって思います。
え?じゃ、結局なんて言ったらいいんだ?
ってなります?
なりますよね。 そんな時には、
【どっちでもいいよ。】
で、いいんじゃないかと私は思います。
「あなたの選択が、どちらであっても問題ない
だって、それはあなたの選択だし、
どっちでも、あなたは大丈夫だから。」
そんなメッセージを伝えられる言葉が、
一見、ちょっと無責任にも聞こえるかもしれないけれど、
実は一番無責任じゃない答え。
【どっちでもいい】なんじゃないかな。
「いやいや、どっちでもいいなんて言えない!思えない!」
そんな時には、お子さんとの境界線を越えている時です。
そこからは、一旦視点をクルリと変えて、
自分の内側を、じっくり探ってみるといいと思いますよ