南京事件・20万人しかいないのに30万人殺すことは可能か
南京事件否定論者のいう根拠のうち、よく聞くのが
「当時南京には20万人しかいなかったのに30万人殺せるわけがない」
というのがある。
しかし、否定論者は、南京事件犠牲者数30万人は怪しい、と思っているにも関わらず、当時の南京人口20万人というのは全く疑わない。また、20万人の根拠を伴った主張も非常に少ない。
「ショーコ、ショーコ」という割には、20万人という非常に根拠の薄い数字は、証拠もなく鵜呑みにする。ダブルスタンダードの典型の一つと言えよう。
ところで、1937年6月(南京事件の6ヶ月前)については、人口統計が残っている。
南京城区:853,781人
南京郷区:161,669人
合計:1,015,450人
ざっと100万人である。
この後、8月から日本軍による空爆が始まるが、地上戦自体は12月から始まっている。
避難の必要性を感じるのは、早くとも上海戦が終結する11月ごろと考えるのが自然であろう。
すると、否定論者の説に従うと、ほぼ80万人がわずか1ヶ月の間に逃げ出したことになる。大体、千葉市の全人口が一ヶ月で丸まるいなくなるようなものだ。この方がよほど荒唐無稽ではなかろうか。
慎太郎、また問題発言かよ
「三国人」とか、「中国は人命を軽視だから、米中が戦争したらアメリカは勝てない」とか、この人の外国人差別意識は今さら指摘するまでもないが。
プレゼンテーション「さっき、どこか外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだかわかりませんが」
祝賀パーティーのあいさつ「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」
これまでのトンでも発言に比べれば、差別発言としては穏当な方か?あくまでも、これまでと比べれば、だが。
ただし、今回の発言は、差別発言と言うより、個人攻撃、という感じ。祝賀パーティーの挨拶という公式の場で、明らかに姜尚中氏とわかるような表現で、「生意気だ」などというのは、公の立場である政治家がすることではないだろう。
ある意味、自分の支持者に姜尚中氏攻撃を示唆するようなもの。やくざの親分が、三下に目配せするのと同じ。
権力者が「あいつは気に入らない」と言えば、権力に媚を売る人間は歓心を買うための行動をとるのは簡単に想像できる。その意味では、個人に対する好悪を公言しなかった昭和天皇は分別があったと言えるだろう。
それに比べて、都知事ときたら品性下劣と言うか、精神年齢が低いと言うか、都民として情けない。
今さらながら、「男たちの大和」を見てみた。
うーん、いまいち。
米軍機の飛び方がおかしいとか、血の色が変とか、艦船攻撃に対してやたら銃撃が多い気がするとか、敬礼の仕方が変とか、戦闘時や原爆後の患者の汚れ方が不自然とか、機銃座の動きがハンドルと同調していないとか、爆撃シーンで爆発後の地面が何事もなかったのように平坦であったとか、などなどという軍オタのようなつっこみはまあ置いといて。
ドラマとして考えてもなんかねえ。
現在から過去を思い出すというストーリー構成は、まあ定番ではあるんだが、同じようなつくりの「プライベートライアン」と比較しても、無用な台詞が多くて話がくどいし、冒頭から冗長な場面が多く見ていてタルい。映像・演出でもスピルバーグには遥かに及ばないし・・・
- パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
- プライベート・ライアン
戦争全体を描くにも、大和だけのドラマを描くにも、とにかく中途半端。
とりあえず、個人的には大和だけのドラマに絞って、真珠湾攻撃やサイパン戦のくだりは省略した方がよかったんじゃないかと思う。年少兵の視線から、レイテ海戦~沖縄特攻までの半年を描いても十分ドラマになったのでは。あと、ホームドラマは一人分で十分、いろんな家族模様もただ並べても冗長なだけ。特攻前の葛藤にしても、浅すぎる。
なんか、無理やりいろいろ詰め込もうとしてドラマとして失敗している感じがする。
戦争全体を描くなら、大和建造から大艦巨砲主義のくだりや戦局の推移や銃後の様子、特に本土空襲開始前後での変化などを描くべきでしょう。大和の目から見るなら、速力の遅い大和が空母艦隊の決戦に何ら寄与できない葛藤とか。「連合艦隊」みたくなっちゃうけど。
- 東宝
- 連合艦隊
なんにせよ、もう少しテーマというか舞台範囲を絞った方が良かったのではないかな?沖縄特攻だけでも話は作れるだろうし、その方がドラマの密度が濃くなったと思うし、無駄な台詞もなくて済んだはず。
あと、どんな客層を狙っているのかも微妙。軍オタ?一般人?
キャスティングから察するに、一般人受けを狙っていると思うんだが、レイテ海戦で武蔵以下、空母何隻、巡洋艦何隻を失う、なんて中途半端に詳細に説明する必要はないでしょう。「日本艦隊がほぼ壊滅した」だけ十分だと思う。
結論。
軍オタ的なつっこみをのぞいても、ドラマとして失敗でしょ。
産経症・ヘイトスピーチ
今さら産経が嫌中のヘイトスピーチをしても別に珍しいとも思わんが。
上海蟹の生息域が広まったことによる環境破壊に対して、
「なにせカニの故国は、「4本足のものは机以外、空飛ぶものは飛行機以外はすべてを食す」というお国柄。」
という。これってどう読んでも中国人蔑視の表現では?二本足の場合について書かなかったのは、少しは分別があるということか?
「▼人口13億人を数え、その大食漢ぶりが、世界から恐れられている。かつての大豆の輸出国が、今は世界最大の輸入国である。」
わざわざ、大豆の消費量を増やすようにアメリカが飼料用作物としての売り込みをかけた結果にすぎない。当然のことながら大豆は戦略物資であり、それをアメリカが抑えている状況。恐れられているどころか、大豆を抑えることによってアメリカは中国をある程度コントロールできるようになっている。
「エネルギーの蕩尽(とうじん)ぶりはもっとすさまじい。すでに、米国に次ぐ石油消費大国でありながら、需要は年々増えるばかり。」
おそらく意図的に書いていないのだろうが、その中国に次ぐ石油消費大国は日本である。中国の消費量が日本を追い抜いたのは2002年のことに過ぎない。人口10分の一の日本は、これまでどれほどすさまじいエネルギーの蕩尽を行ってきたのだろうか?
また、2004年における国別石油消費量をみると、
アメリカ:2051.7万バレル/日、中国:668.4万バレル/日、日本:528.8万バレル/日
となっている。
大雑把に米中日の人口比を2:10:1とすると、単位人口当たり石油消費量の比は、
アメリカ:1000、中国:67、日本:500
となる。
こうしてみると、産経の意見がいかにデータを見ない情緒的なものであるかが浮き彫りになる。
(以下、原文)
平成18(2006)年8月9日[水]
英国のオードブルといえば、代表的なのがスモークサーモン。特にスコットランド産が最上とされる。薄く切って、皿に広げたところに、レモンをひと搾り、タマネギの輪切りといっしょにほおばれば、スコッチも進む。そんな食文化が、危機にさらされているらしい。
▼昨日の小紙の北京電によれば、はるばる海を渡ってきた上海ガニが、サケの卵を食い荒らすおそれがあるというのだ。なるほど、食い意地は相当なものだろう。なにせカニの故国は、「4本足のものは机以外、空飛ぶものは飛行機以外はすべてを食す」というお国柄。
▼人口13億人を数え、その大食漢ぶりが、世界から恐れられている。かつての大豆の輸出国が、今は世界最大の輸入国である。歴史的に海水魚は食材として一般的ではなかったが、最近は、上海など沿海部を中心に魚食ブームとなっている。BSEや鳥インフルエンザの発生により、肉食離れが進んでいるからだ。
▼将来は高級マグロをめぐって、日本との間で争奪戦が起こるかもしれない。エネルギーの蕩尽(とうじん)ぶりはもっとすさまじい。すでに、米国に次ぐ石油消費大国でありながら、需要は年々増えるばかり。
▼世界各地で、なりふり構わない資源外交を続ける姿は、映画『千と千尋の神隠し』に出てくる化け物、カオナシを彷彿(ほうふつ)とさせる。八百万(やおよろず)の神々が疲れを癒やしにくる湯屋にどこからともなく現れ、やがて巨大化して、黄金をばらまきながら、ごちそうを食べ尽くす。
▼宮崎駿監督が作り出した数多くのキャラクターのなかでも、奇想天外さでは際だっている。主人公の少女、千尋の導きで、バブルがはじけたように元のおとなしい存在に戻るのだが、もちろん、中国にその気配はまったくみられない。
産経症・統一協会安倍と靖国参拝
さすがは産経(棒読み)、相変わらず問題のある表現が多い。
「安倍晋三官房長官が今年4月に靖国神社を参拝していたことが分かった。」
そう報道されているが、安倍本人は肯定も否定もしていない。
筆者は、個人として公にならない状況でなら、どんな宗教でも信奉して構わないと思っている。なので、安倍晋三自身が、統一協会の信者だろうが、国家神道の信者だろうが、法輪功だろうが、オウムだろうがそれそのものを非難するつもりはない。ただし、それが公になれば話は別である。公職にある者が特定宗教に対して過度に支援している印象を与えるからだ。
なので、今回の報道自体、情報源を明確にすべきであると考えているし、本人が肯定していないのに、明確な事実であるかのように報じるようなマスコミは最悪であると思う。
とりわけ産経の「閣僚としても当然の行為だ。ことさら自民党総裁選の争点にすべき問題ではない。」などという表現には、吐き気を催す。
争点にすべきでないのなら、報じる必要もないだろう。わざわざ政治問題化しているのは、産経自身である。
また、マスコミが報じる以上それは公人であるからであり、私人として行ったのなら、安部はプライバシーの侵害を訴えるべきだろう。(そもそも誰がリークしたのかも気になるところだが)
「小泉純一郎首相が同じような形で行った靖国参拝をめぐる訴訟で、最高裁は違憲確認を求めた原告の訴えを退けている。安倍氏の靖国参拝も、憲法上の問題は生じない。」
どう曲解すれば、こうなるのか?そもそも最高裁は憲法判断に踏み込んでいない。憲法上の問題はグレーのままだ。
「憲法上の問題は生じない。」などというのは、ミスリードそのものである。
「紳士協定自体、極めて疑わしいもので、日本政府はこれを認めていない。」
これも、疑わしいというのは、産経の判断に過ぎない。
「小泉首相に加え、安倍氏が官房長官として靖国神社を参拝したことは、日本政府が改めて明確に紳士協定の存在を否定したといえる。」
このあたりも、本人が明確に肯定していない事項を基に積み重ねた仮説に過ぎない。産経の言い方を使うなら、「官房長官として靖国神社を参拝したことを安倍は認めていない」となる。
責任者が明言を避け、取り巻きが補足すると言うのは、いかにも日本的だが、ここでも、安倍が自分の責任となりそうなことについて明言を避け、産経のような御用新聞が補足している。これが、安倍から産経に対する明確な指示によるものか、阿吽の呼吸かはわからないが、政治と報道の醜い癒着・連携の実例と言えるだろう。
ところで、共謀罪の案では、目配せでも成立することになっていたが、この場合でも成立出来る要件は整っているのではないか?(最も共謀罪の場合は権力者に適用されることなどないだろうが)
「国内で靖国問題を考えることは必要だが、あえて外交問題化させることで喜ぶのはどの国か。政治家もマスコミももう一度、よく考えるべきだ。」
一番考えるべきなのは、もともと国内問題である靖国問題を、「中国の言いなりになるのか」という論調で外交問題に転嫁してきた産経自身だろう。
(以下、原文)
平成18(2006)年8月5日[土]
■【主張】安倍氏靖国参拝 戦没者への当然の行為だ
安倍晋三官房長官が今年4月に靖国神社を参拝していたことが分かった。安倍氏がふだんから持っている戦没者に対する気持ちを表した、閣僚としても当然の行為だ。ことさら自民党総裁選の争点にすべき問題ではない。
安倍氏が靖国参拝したのは、春の例大祭に先立つ4月15日早朝だ。モーニング姿で「内閣官房長官安倍晋三」と記帳し、玉ぐし料を私費で払い、昇殿参拝した。小泉純一郎首相が同じような形で行った靖国参拝をめぐる訴訟で、最高裁は違憲確認を求めた原告の訴えを退けている。安倍氏の靖国参拝も、憲法上の問題は生じない。
ただ、中国への強いメッセージになったことは間違いない。王毅駐日大使は昨年4月、自民党本部での講演で、昭和60年8月15日の中曽根康弘元首相の公式参拝後、首相、官房長官、外相の3人は参拝しないとの「紳士協定」を日中間で交わした、と述べた。紳士協定自体、極めて疑わしいもので、日本政府はこれを認めていない。
小泉首相に加え、安倍氏が官房長官として靖国神社を参拝したことは、日本政府が改めて明確に紳士協定の存在を否定したといえる。
安倍氏は「戦没者のために手を合わせ、冥福を祈り、尊崇の念を表する気持ちは持ち続けたい」と話す一方で、「この問題が外交、政治問題化している中で、参拝したか、しないか、申し上げるつもりはない。問題をさらに拡大すべきではない」としている。
与党内の反応はさまざまだ。
自民党の武部勤幹事長は「憲法の下で信教の自由があるので、誰が参拝しても問題はない。政治問題化すべきでないとの見方が大勢で、総裁選への影響はない」と強調した。他方、加藤紘一元幹事長は「官房長官は政府を代表する閣僚だ。行ってほしくなかった。安倍氏は東京裁判否定論が根底にあるので、事態は深刻だ」と述べた。
案の定、韓国は「大変遺憾なことだ」(外交通商省)と反発し、中国は「隣人が一番嫌がることを控えめにするのが東洋人の伝統だ」(王毅大使)と皮肉めいた批判をしている。
国内で靖国問題を考えることは必要だが、あえて外交問題化させることで喜ぶのはどの国か。政治家もマスコミももう一度、よく考えるべきだ。
時期の問題2・昭和63年1988年4月28日というタイミング
「 ≪釈然としない時期の問題≫
今回のメモを見て釈然としなかったのは、時期の問題だ。A級戦犯が合祀されたのは昭和53年である。たしかに天皇は昭和50年を最後として参拝されていないから、合祀にこだわられたという見方も分かるが、昭和44年から49年まで靖国神社の国家護持論が国会で紛糾した。この論議の過程を見て、国民のコンセンサスが得られていないところへの参拝を思いとどまられたことも考えられる。
富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。」(上坂冬子・正論2006/7/21)
上坂氏のみならず、ネット上でも散見される「昭和63年(1988年)4月」という時期への疑問。
個人でブログを書く人ならともかく、"一応"作家で、"一応"大手新聞社のWEBで書く以上、もう少し調べるべきでしょう。本人も新聞社も。
1988年
4月22日:奥野国土庁長官が記者会見で、靖国公式参拝に言及し、その中で鄧小平を非難(この記事がWEB上で見つからないのでそのうち図書館で調べるつもり)。「靖国神社参拝の問題が、これが鄧小平さんの発言によって振り回されている」こんな感じの発言らしい(1988/4/26衆議院での広瀬秀吉の発言より)。
これの記者会見が新聞記事になり、4月25日以降の国会で問題になる。
4月25日~4月28日:本会議や決算委員会、外務委員会などで、奥野発言に対する追求が行われている。
(この辺、国会議事録で検索できるので調べればすぐわかる。「奥野」「靖国」とかで検索。)
例えば、1988年4月25日衆議院・土地問題に関する特別委員会での発言
○中島(武)委員 (前略)最後に伺いたいのは、奥野長官が靖国神社に参拝されて、そして記者会見をされた。いろいろなことを言われた。公務員の資格でいかなる神社にも参拝してはならないといったような占領軍の亡霊に振り回されてはならない、こういうふうに言われたとか、あるいは日本は天皇を中心に団結している、神話教育をきちんとやれ、こういうふうに言ったとか報道されておるわけであります。これは事実なのかどうか。(後略)
○奥野国務大臣 記者の方が、靖国神社にあなたは公的な身分で参拝したのか、私的な身分で参拝したのか、公式参拝か、私的参拝かというお尋ねがあったのでございます。
そういうことを言い始めたのは敗戦の昭和二十年十二月の神道指令に発しているのですよと、私は素直な気持ちで参拝したのであって、公的な身分だとか私的な身分だとか、自分の身分を考えたことはありませんよと、その神道指令の中には、公務員は、国家公務員であれ地方公務員であれ、いかなる神社にも公務員の身分で参拝してはならない、こう書かれたのですよと、それから始まったのですよと、こう申し上げたわけでございました。
それはやはり占領軍としては神道排除をねらったのですよと、やはり我々は地域地域に氏神様を持っておる、それはその地域の大先祖を祭っているのですよと、さらにその頂点にあるのは天皇家だと、日本は祖先崇拝、神道を通じて団結を守っている、この団結を破壊させようと。(後略)
このほか、奥野発言については、人民日報でも非難されたらしい(国会発言中で言及)。
ようするに4月28日の時点で、ある程度の国際問題にもなっていたということ。
最終的には、こんな発言が出てくる。
5月9日:衆議院決算委員会「○奥野国務大臣 全く別問題でございます。同時に、私は侵略戦争という言葉を使うのは大変嫌いな人間でございます。言葉の使いようは個人個人どう使ってもいいと思うのでございますけれども、侵略という中には侵入して土地を取り上げる、土地を奪い取る、財産を奪い取る、侵略の略にはそういう言葉が含まれておる、そういう意味合いで日本では古来使われてきているように思っているものでございますから、私自身は侵略戦争という言葉を使うのは大変嫌いでございますけれども、海外ではいろいろ言っておられるわけでございます。したがいまして、侵略戦争であったとかないとかいうことの論争をするつもりはございませんけれども、私の気持ちを率直に申し上げさせていただきますと、侵略という言葉を使うのは嫌だし、あの当時日本にはそういう意図はなかった、こう考えておるものでございます。」
これがほぼ決定打となって5月13日には奥野氏は国土庁長官を辞任している。
「侵入して土地を取り上げる、土地を奪い取る、財産を奪い取る、」「あの当時日本にはそういう意図はなかった」
ま、ばかげた認識ですな。
ネトウヨの中には、この発言が5/9だから4/28のメモとは関係ないとか、そもそもこの発言自体1987年と勘違いしていたりとか、1988年4月という時期をもう少し調べればわかったであろうにそれをやっていない、にも関わらず、「時期の問題」を主張している人が多い。
20年前のことなので、知らない人が多いのは当然なのだが、「知らない」=「ない」ではない。論理的なブログでは、「何で1988年4月?」という疑問を持ってはいても、疑問以上ではない(暇と興味があれば調べてみるか、という感じ)。情緒的なブログだと、「何で1988年4月?」→「捏造!」→「ムキー!」と短絡している。
それでも、個人ブログレベルの発言なら大した問題ではない。問題は公式のメディア。
(繰り返し)
「富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。」(上坂冬子・正論2006/7/21)
何のことはない。1988年4月22日の右翼政治家の奥野国土庁長官の無思慮な発言によって靖国公式参拝問題が、国内外で顕在化していた時期である。まさにその時、
「 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」
と発言したわけだ。時期として何の不自然さもない。
けちを付けるのなら、もう少し調べましょうよ。"一応"ノンフィクション作家なんだから。
そして、産経新聞。多分産経新聞でも、1988年4月22日~4月28日の間で一度は奥野発言を取り扱っているはず(発言に対する姿勢はともかく)。
自社のWEBに
(繰り返し)
「富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。」(上坂冬子・正論2006/7/21)
なんて掲載する前に、一回くらい当時の新聞をチェックしたらどう?
時期の問題1・2006年7月20日というタイミング
「出所不明」とか「タイミングよく」とか、ネトウヨの皆さんの必死な様子が微笑ましいです。
・出所不明
→出所は普通に考えて富田さんのお宅でしょう。あまりに当たり前のことで記事に書いてないだけと思います。
・関係者が生存せず証明不能
→いや、歴史の資料ってそういうもんだから。
・「タイミングよく」「この時期に」
→逆にいつ出たらよかったんでしょうか?今回の報道のタイミングが何かを狙ってのタイミングとは到底思えません。8月15日参拝に対してなら8月10日前後に発表した方が効果的でしょうし、総裁選に対してなら8月後半を狙うでしょう。発表時期自体に他意があるとは思えません。
仮に1年前でも、1ヶ月前でも「タイミングよく」と言おうと思えば言えます。最高裁判決前とか衆院選前とか、ね。
そもそも小泉政権の5年間ずっと靖国参拝しているので、ここ5年間のうち、いつ出ても「タイミングよく」みたいな発言をしようと思えばできます。
「今」だけが特別なわけではありません。
・発言者、徳川侍従長説
「 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」
まず、徳川侍従長がA級戦犯合祀以降、参拝していないかどうかの事実検証が必要でしょうが。
一番重要な点は、徳川侍従長が「だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と靖国参拝に関する自分の心を改めて強調する必要性がないということ。徳川侍従長の発言とすれば、ここがどうしても不自然(前にも書いたけど)。
徳川侍従長説の信者は、ちゃんとメモの内容を読んだの?
ま、今後歴史資料として研究されていくうちに新たな事実が出てくるかもしれないが、今現在主張されている捏造説の根拠は、お話になりません。
これも小泉改革の成果?
このまま行くと、
「昔は、日本も先進国だったんだよ。」
と昔話をすることになりそうだな・・・
記者会見するOECDのグリア事務総長=20日午前、東京・内幸町の日本記者クラブ
経済協力開発機構(OECD)は20日、日本経済の現状を分析した「対日経済審査報告書」を発表した。相対的貧困層の割合は先進国で2番目とし、「不平等の度合いが増している」と指摘。格差拡大は、所得が低い世帯の子どもたちの教育水準低下などを招く恐れがあると懸念を表明した。
ゼロ金利解除後の金融政策にも言及し、デフレに逆戻りするのを避けるためにも、追加利上げは慎重に判断するよう求めた。主要国の日本経済に対する考え方を示す同報告書は、構造改革への抵抗を強めかねない格差拡大を防ぐよう警告しており、経済政策をめぐる国内の議論にも影響を与えそうだ。
(共同通信) - 7月20日11時26分更新
カルト国家誕生まであと○○日(宇宙戦艦ヤマト予告風に)
福田氏、総裁選出馬せず 靖国問題など判断か (産経新聞2006/7/21)
福田がいいとも思わないけど、これで統一協会安倍の次期総理はほぼ100%決まったな。やれやれ、最悪だ。
よほどのミスでもしない限り、と留保をしたいところだが、「安倍晋三、統一協会に祝電」自体、普通なら相当なミスのはずなのに、既にうやむやになっている。メディア自体に政治問題を追及する姿勢がない、としか言えない(個々の記者や組織末端では必ずしもそうではないのだろうが)。
安倍失脚が起こりうる可能性としては、「安倍晋三が国民を裏切ること」ではなく「安倍晋三が利権を裏切ること」によって生じる以外考えられない。
ありえない想像だが、「安倍晋三が急に正義感に目覚めて、国民のために利権団体との対決を表明したら、その時こそ安倍晋三は失脚する」だろう。我ながら本当にありえない想像だと思うが...
なんというか、この国の主権は国民にない、ということを実感させられた気分。
ところで、安倍を支持しているネトウヨって、競馬で勝ち馬に賭けている気分で支持しているんじゃないだろうか?支持と賭けを勘違いしているとしか思えん。「こうあるべき」っていう自分の意見がないからか?
天皇発言に疑問あり?
宮内庁長官富田朝彦氏1988/4/28メモ
「 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」
これに対して、これは天皇の発言ではない、という噂がネトウヨの間でささやかれている。人間には信じたいものしか見えないそうだから、しょうがないのかな?
産経新聞の
【主張】富田長官メモ 首相参拝は影響されない(産経新聞2006/7/21社説)
「メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。」「メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。」
は、論外だけど。これに関しては社説の書き手の日本語読解力に重大な疑念が生じる以外、特に言うべき事はない。
流布されている「重大な疑問」とやらに回答してみる。
(ここから疑問と回答)
【重大な疑問】
1: 「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」
のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
(回答)隣の4/26のメモも貼りつけてある。単に勤務中に大きな手帳を持ち歩かず、適時に記帳するためのメモ用紙のみ持っていたと考えることが出来る。席をはずした時などに記載し、帰宅してからその日分を貼り付けたとして何の不思議もない。
2: 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。
それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
(回答)参拝自体は、国事行為ではない以上、ある程度の意思表示が可能であっても不思議ではない。
3: 勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている。
(回答)それがどうかしたのだろうか?
4: 何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
(回答)2006/6/6に野田佳彦氏により提出された「サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書」の中に以下の質問がある。
「二 「全国戦没者追悼式」ならびに他の追悼式における「A級戦犯」の位置づけと天皇皇后両陛下および内閣総理大臣の参加について
1 首相官邸Webサイトにて公開されている「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第二回(平成十四年二月一日)議事要旨において、「(全国戦没者追悼式の)『戦没者之霊』の中にはA級、B級、C級戦犯も含まれるということか」という委員の質問に対する「(厚生労働省)そういう方々を包括的に全部引っくるめて全国戦没者という全体的な概念でとらえている」という答弁が掲載されている。「全国戦没者追悼式」の追悼対象者には、「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した五名、判決前に病のため病院にて死亡した二名が含まれていると理解して間違いはないか。」
これに対する答弁が以下である。
「全国戦没者追悼式においては、「全国戦没者追悼式の実施に関する件」(昭和三十八年五月十四日閣議決定)における「支那事変以降の戦争による死没者」について、戦没者という全体的な概念でとらえて、追悼しているものであり、追悼の対象とする個人を特定しているものではない。」
「ABC級戦犯」という個人を特定していない以上、「追悼の対象」であるとも言い切れない。少なくとも答弁中には「ABC級戦犯を含む」などという明言はない。
最も重要な点は、「ABC級戦犯が全国戦没者追悼式の戦没者に含まれるかどうか」という問題自体、平成14年(2002年)2月1日の議事で公になった、ということである。1988年4月の時点でこの問題が顕在化していなければ、「疑問4」自体が意味をなさない。
5: 白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
(回答)生まれてこの方、誤字をしたことのない人間などいるのだろうか?ましてメモである。
6: 論理構成、概念、時系列が中国共産党に都合が良すぎるステレオタイプの文章。
「平和に強い考え」は中国共産党の影響の強い旧社会党や社民党が使いそうな言葉。
この場合、「平和に強い考え」=「平和への熱い思い」と同義と考えるのが自然。
(回答)印象操作の域を出ない思い込み。この理由が成立するのなら、「自分たちに都合の悪い証言は全て捏造」と強弁することができる。
7: 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」
「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
合祀された78年ならまだしも、合祀から10年経った崩御の前年の昭和63(1988)年に語ったとすると日本語としてあまりに不自然な発言。
(回答)1988年4月は奥野誠亮国土庁長官が閣僚の靖国参拝を正当化する発言をし、その責を問われている時期である(5月に辞任)。靖国参拝の話題からA級戦犯合祀の話題が出てきても不自然ではない。直前に藤尾文相の発言として、「奥野」に言及している部分から容易に推測できる。
8: 「それが私の(本)心だ。」文末でわざわざ総括(笑)する不自然極まる文章。
(回答)自分の前述の意見を強調したい時に同様の趣旨の発言をすることはままある。別に不自然ではない。
9: 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060720181150.jpg
昭和天皇の侍從長を勤めた徳川義寛氏は、極東軍事裁判A級戰犯合祀につき、
「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」と、松平永芳宮司の措置を批判的に語つてゐる (「昭和天皇と50年・徳川前侍従長の証言」『朝日新聞』一九九五年八月十九日)
(回答)辻褄が合うどころか、相当な曲解。前後の文脈にもよるだろうが、徳川侍従長の発言をメモしたのなら発言者は明記しなければ不自然。明記していなければ、当然天皇の発言ととるのが自然。
また、徳川義寛侍従長(1906-1996)の発言とするなら、大先輩に当たる松平慶民(1882-1948)を「松平」と呼び、松平永芳(1915-2005)を「子」と表現する方がよほど不自然。また、徳川侍従長が「私の参拝」に言及すること自体が不自然極まる。
10: 日記のページは黄色く変色しているにもかかわらず、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
(回答)紙質による。映像だけで判定は出来ない。
11: ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色、かすれもせず、綺麗なまま。
(回答)インクや紙質、保存状態による。もともと個人的な日記であれば、頻繁に開くこともないはずで綺麗であっても不自然ではない。
(ここまで)
「重大な疑問」どころか単なる印象操作としか取れない内容。
あと、文中の「私」は天皇ではなく藤尾文相、という説も出ているが、1986年に「入閣直後に歴史教科書問題に関連して「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国にも責任がある」等の発言をした」(WIKI)人物がこんな発言すると思うメンタリティが信じられん。