誰かの妄想 -26ページ目

靖国訴訟関連の判決(棄却)を追記

小泉靖国参拝関連判決を追記。ついでに前回書き忘れていた高松高裁を追加した。

8件:公的・私的の判定せず
松山地裁(2004/3/16坂倉充信裁判長):憲法判断せず
那覇地裁(2005/1/28西井和徒裁判長):憲法判断せず
東京地裁(2005/4/26柴田寛之裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/7/26大出晃之裁判長):憲法判断せず
高松高裁(2005/10/5水野武裁判長):憲法判断せず
最高裁(2006/6/23今井功裁判長):憲法判断せず
最高裁(2006/6/27藤田宙靖裁判長):憲法判断せず
最高裁(2006/6/27滝井繁男裁判長・):憲法判断せず
4件:公的と判定
大阪地裁(2004/2/27村岡寛裁判長):憲法判断せず
福岡地裁(2004/4/7亀川清長裁判長):違憲
千葉地裁(2004/11/25安藤裕子裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/9/30大谷正治裁判長):違憲
2件:私的と判定
大阪地裁(2004/5/13吉川慎一裁判長):憲法判断せず
東京高裁(2005/9/29浜野惺裁判長):憲法判断せず、ただし「公的参拝であれば違憲の可能性がある」と付加

安倍、統一協会祝電事件の産経による報道

ハムニダさんのところで、風に吹かれてさんがコメントしていたので知ったのだが、

これか?


(ZAKZAK 2006/06/20)安倍官房長官、統一教会ダミー団体の集会に祝電


なるほど、夕刊フジ・夕刊フジ夕刊フジですか。

こりゃ~、一本とられたなあ~(笑)。

で、本紙では?


今出川通信さん が寄せてくれてくれたコメントによりますと、少なくとも6月20日~23日までの産経新聞京都版には載ってないようですが。


三行広告サイズで載ってたら、それはそれで爆笑なんだが・・・


さて、産経新聞が報道していないことを証明するには、産経新聞社に直接確認するのが最も有効と思うのだが、地方版のみの記事だった場合、本社だけに確認しても意味が無いような気がする。


理論的には5月13日以降6月23日までの間に地方版を含む本紙のいずれかで報道された可能性があるわけだが(6月20日以前はほとんど考えられないが)、この期間に報道されていないことを証明するのは現実的にはかなり難しい。まさに悪魔の証明と言える状況だろう。(でもハムニダさんところのコメント欄を見てると証明出来ちゃいそうな気もする)


「見た」と断言している人が、そろって日付を覚えていないようで、世の中不思議なこともあるものだ(棒読み)。


ところで、

「安倍官房長官、統一協会に祝電」についてのマスコミの対応を紹介する記事として、「産経新聞:見当たらず」は、別にブログでの表現上、何の問題も無いと思う。


ブログの記事は、基本的に匿名で書かれている以上、記事の内容については読者が各自に裏をとるか真偽の判断をするのが、リテラシーの基本であろう(本ブログも例外ではない)。無論、疑うべき合理的理由が無い場合は裏を取らずに信用するのも構わない。


もし、記事内容に誤りがあったとしても、それは誤りを発見した者が、コメントや自身のブログなどで誤りであることを判断理由とともに表明すればすむ。

今回の場合、

「産経新聞で「安倍統一協会に祝電」事件、報道されず」

が誤りだと思うのなら、どこで報道されたかを明示すればすむ話である。


「報道されたのを見た」とだけ匿名で表明するのも構わないが、それが信用されるかどうかもその読者が判断するだろう。ちなみに私は信用できません(否定するわけではなくて信用するには情報が足りないのですね)。


私の判断:「産経はどうせ報道してないでしょう」証拠はないけど。証拠が出たら訂正します。


なんだか本当に、オゴポゴとかモケーレ・ムベンベとかと同じレベルになってきたな・・・



「最高裁憲法判断回避=推定合憲」とは、ステキな想像力ですねえ

前回のエントリー は、最高裁の判決に靖国賛成論者が大喜びして、「首相の靖国参拝が認められたー」とか言い出しそうだったので、書いておいたわけだが。

案の定、靖国参拝賛成の方からのTBをもらったので、ちょいと反論。


先に断っておくが、筆者は憲法や法律について正式に学んだことはないので、筆者の見解はおそらく一般的に得られるであろうと思われる法律知識・根拠に基づいて判断している。したがって、根拠となる事実に誤認があれば、判断を変更することがある。と予防線を張っておく。


さて、TBした方(松尾さん)の内容が、朝日論説への批判だったので、それをなぞっていく。

以下、朝日社説部分と赤字(ネット右翼のご期待通り)、松尾さん記事の引用を青字で表記。


(朝日社説)「憲法違反の首相の参拝は身内をどのようにまつるかを決める遺族の権利を侵す」
(松尾さん)「蓋し、遺族が「身内をどのようにまつるかを決める」ことと首相の参拝の間には何の関係もない。」
(意見)靖国神社は遺族からの合祀取り下げ要請を拒否して、勝手に戦死者の名前(個人情報)を宗教目的に利用している。これは、一個人と一宗教法人の争いであるが、首相が靖国参拝することは靖国神社側に有利に働くことは容易に想像できる。朝日社説がこの件を指しているとは言えないが、かといって、首相の参拝が何の関係もないとはいえない。


(朝日社説)「他人が特定の神社に参拝することで不快の念を抱いたとしても、ただちに損害賠償の対象にはならない」
(松尾さん)「常識だろう。」
(意見)常識だと思います。付け加えるなら、朝日社説だって、それがおかしいという文脈ではない。普通に読めば、首相と一般人を同列に扱うことに異を唱えている、と判断できる文脈である。松尾さんが上記部分のみ抽出したのが意図的でないとすれば、文章の読み方がおかしいのでしょう。


(朝日社説)「「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている」
(松尾さん)「その通りだ。では、正月の初詣は宗教活動か? スポーツ選手と自治体の役員が大会前に神社で戦勝祈願をすることは宗教教育なのか? そして、国務大臣や地方自治体の首長が神式やキリスト教形式の結婚式に参加することは宗教活動? 」
(意見)松尾さんが挙げている事例について、「初詣や戦勝祈願は神社でなければならない」とか「結婚式は新式でなければならない」と言えば、宗教活動ですね。初詣・戦勝祈願・結婚式・戦没者慰霊についても、それ自体は否定していない。それを行うにあたって様式を限定することを宗教活動としていると判断するのが自然。靖国問題が問題である理由のひとつは、戦没者慰霊はなぜ靖国でなければならないのか、という点にある。そこを無視しているのは意図的なのかどうなのか。


(朝日社説)「首相の行動が、この規定に反していないかどうかを厳格に判断する。それが裁判所の頂点に立つ最高裁の使命ではなかったか。 でなければ、首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう」
(松尾さん)「これは「需要は供給を創出するはずだ」という噴飯ものの議論である。首相の参拝は政教分離に反すると極一部の国民が考えたからといって、その受け皿を司法が用意しなければならないとなぜ言えるのか。」
(意見)毎日新聞の世論調査 では50%が反対しているわけだが、それを極一部というのは、認識に問題があるのでは?
ところで、松尾さんのこの部分の批判は、「首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう」という重要な部分に触れていない。好意的に解釈すれば、選挙で決めるべきとでも言いたいのだろうか。ただし、選挙で決められるのは立法機関であるのだが。


(朝日社説)「最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について「宗教的活動にあたる」として、違憲判決を出した。政教分離原則を厳格に考えれば、靖国参拝についても違憲判断が出てもおかしくない」
(松尾さん)「要は、玉串料は現行憲法20条1項および3項、ならびに89条に少なくとも形式的には違反する(後は、その違反の程度が国民の法的確信から見て「憲法の逸脱」と言えるかどうかが問題となる)。これに対して、首相の靖国神社参拝は「国から特権を受けていることに等しい」とか「国家の宗教的活動に通じる」、あるいは、「公金の支出と同じではないか」等々の補助線をかなり強引に引かない限り形式的にも憲法違反と言える代物ではない。」
(意見)やはり読み方が足りない気がする。初めに批判ありきと言う姿勢で読んでいるのだろうが。
特に朝日社説からの引用の際に(政府と自治体、参拝と玉串料という違いはあるが、)を断り無く略しているのは問題であろう(「」での文章の区切りもいれておらず、また、前略や後略でもない。連続した文章であるかのように略している)。この部分を入れて府と自治体、参拝と玉串料という違いはあるが、政教分離原則を厳格に考えれば、靖国参拝についても違憲判断が出てもおかしくない。」と見ると、公費支出の有無に関わらず「一般人に対し、県が特定の宗教団体を特別に支援し、それらの団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こす」ような行為が違憲である、との主張に読めるわけで、公費支出のみが憲法違反との「補助線をかなり強引に引かない限り」、特に不自然な社説とはいえない。


(朝日社説)「最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない。首相には、それを忘れないでもらいたい」
(松尾さん)「日本でも同じ付随的審査制度を取るアメリカでも裁判所が(拘束力のある判例とはならない)傍論で憲法判断を示すことは(特に、最終審たる最高裁判所では)許されており実例も稀ではない。けれども、それを行うかどうかは裁判所の裁量に任せられている。ならば(明確に違憲の行為状態が継続し、かつ、それが全体としての法秩序を歪めているというのならばいざしらず)、元来、司法が口を挟むべきでない政治的価値判断や個人の信条にかかわる本件訴訟において憲法判断を禁欲した点において、蓋し、23日の判決は司法の分をわきまえた立派な判決と評すべきである。」
(意見)まず、この裁判が「政治的価値判断」との認識がどういう理由に基づくのかが不明。次に「個人の信条にかかわる本件訴訟において憲法判断を禁欲した」と言う個人は、原告を指すのか被告を指すのか不明で、被告を指すのなら、そもそも公私の別すら判断していないのだから議論の意味はないが、原告を指すのなら、憲法で保障された「個人の信条」に関するのだから憲法判断を禁欲したらいかんでしょ。
一番の問題点は、「(明確に違憲の行為状態が継続し、かつ、それが全体としての法秩序を歪めているというのならばいざしらず)」という記載だが、違憲かどうかを判断する裁判で、「明確に違憲の行為状態が継続」ってどういうこと?それって誰が判断するの?少なくとも原告は「明確に違憲の行為状態が継続」していると思うからこそ訴訟を起こしているはずだが。この文章ってどう読んでも、「明確に違憲の行為状態が継続」しているかどうかを判断するのは、原告でも、裁判所でもなく、俺だ、と言っているようにしか読めないんだけど・・・
ついでに「かつ、それが全体としての法秩序を歪めている」と言う条件も、普通「明確に違憲の行為状態が継続」していたら「全体としての法秩序を歪めている」と判断して問題ないでしょう。それにもしに「全体としての法秩序を歪めて」いないとしても「明確に違憲の行為状態が継続」されているのを放置していい理由にはならないですね。


最後に松尾さんは、ちょっと気になる2つの説を提示して、「首相の靖国神社参拝は司法の判断から<聖域化>された」と主張する。結論には、全く同意できないが、提示された2説は面白い。


「(甲)合憲性の推定
裁判所が憲法判断を下すまでは法規や行政の行為は合憲と推定される。」


「(乙)首相の靖国神社参拝に対する憲法判断は実質不可能になった
再度記すが、「司法が解決できない紛争はこの世に幾らでも存在」する。そして、付随的審査制度を採る我が国では、本判決を踏まえる限り、今後、精神的苦痛をこうむったという理由で首相の靖国神社参拝を司法の場で争うことも極めて困難になった。」


「(甲)合憲性の推定」そのものについては、別に間違ってはいないと思う。しかし、今回の場合、同様の訴訟の下級審で違憲判断が出ている以上、合憲性を推定する根拠にはならないだろう。逆に合憲性を明言していない以上、下級審(訴訟自体は別だが)での違憲判断は覆されていないと解釈し、違憲判断を追認したとも取れるのではないか(この辺、法律の専門家だとどう考えるのかはわからないが)。


そもそも、合憲性の推定が強く疑われるからこそ、裁判になっているはずだが・・・
それでも、松尾さんは「蓋し、一昨日の最高裁判決によって小泉首相の靖国神社参拝はそれが公的行為であるとしても合憲性の推定が確認されたのだから。」解釈してしまう。


この「松尾さん説」をとると、行政府はどんな違憲行動をとったとしても、明確に違憲であると傍論以外の判決文に記載しない限り(松尾さんによると大阪高裁の「「違憲の判断」部分など判決書のインクの紙魚と同じ 」だそうです)、自動的に合憲とみなされてしまうことになる。かつ、現状では権利を侵害されていない限り訴訟を起こせない、という制約があり、これが判決主文に憲法判断が書けない理由だと思うのだが。


「松尾さん説」では、行政府の違憲判断は無茶苦茶厳格であって、行政府は一般市民などよりはるかに手厚く保護されており、果たしてこれで立憲政治ができるのかと言いたくなるくらいである。


「(乙)」に関しては、正直言って問題外。そもそも「司法が解決できない紛争はこの世に幾らでも存在」するからと言って、それを放置していい理由にはならない。最高裁が憲法判断を示していない限り、「首相の靖国参拝の違憲性確認」を目的とする付随的審査制度を用いた訴訟は起こされて何の不思議もない。ただし、憲法判断を付随させるべき訴訟要因をどうするかが問題にはなるかもしれない。この点では「(乙)」の内容は興味深い。


しかしながら、松尾さん自身が記載している通り「当該の最高裁判決は首相の靖国参拝を認めたわけではない(後略)」のであり、それが全てであろう。「首相の靖国神社参拝は司法の判断から<聖域化>されたのである。」などというのは、靖国賛成論者の願望に過ぎない。おそらくは、憲法判断を付随させるべき訴訟要因が変わるだけに過ぎないのだから。


(松尾さん)「畢竟、それは大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義が撒き散らしてきた憲法と司法の万能観の蒙昧を破る見事な判決だった。私はそう考える。」
(意見)まあ、考えるのは自由です。私はそう考えませんが。


しかしまあ、

・最高裁憲法判断しない→推定合憲→高裁の違憲判断無視

というのは、なんというか・・・。本気で合憲と考えるなら、最高裁で合憲判断しなかったことを悔しがるべきだと思うんだが。大阪高裁では違憲判断でてるんだから。
結局のところ、靖国参拝賛成派は実際に憲法判断したら違憲になると感じてるからこそ、今回の最高裁判決で「勝った」と思いたいのではないか?


最後に、
朝日の論説に賛同するかどうかは別にして、内容は特に変なことは言っていない。松尾さんは「嗤う」のだが、「当該の最高裁判決は首相の靖国参拝を認めたわけではない」という結論においては、朝日社説と同じなんだよね。


ま、個人の好き嫌いにとやかく言うつもりはないので、ネット上でくらい好きなだけ嗤えばいい、と思いますが。



産経は「安倍官房長官、カルト教団に祝電」を報道したのか?

ところどころのブログコメント欄で、「産経はちゃんと報道している」との主張を見かける。紙媒体Onlyで、ネット上にはないとのこと。

ただし、何月何日のどの版なのか明示しているのは見かけない。1か月分の産経新聞を読み漁るとバカになりそうなので、知っている方は、せめて日付くらい特定して教えて欲しい。


とりあえず、産経が「安倍、カルト教団に祝電」事件をちゃんと報道しているか不明なので、産経症シリーズを続けてみよう。


**以下、産経新聞2006/6/24コラム引用、ただし、赤字は筆者による修正**


 安倍官房長官がカルトに祝電を打ったことを報道しない「問題の本質」は何かをまだ考えている。メディアの多くが一応は報道しているのに、産経は官房長官とカルトの癒着など大したことではないと考える認識差ではないか。最大の問題は、産経が国民を裏切っているとの意識がないことだ。


 ▼プロとシロウトの認識差は、イラク戦争でもあった。多くの有権者は大量破壊兵器があるかどうか半信半疑であったが、政府はあるはずと読んだ。好戦的なアメリカからの情報以外に何の根拠もないのに、プロは従米のオキテを引きずっている。


 ▼取材のプロにも閥のような仲良しクラブがあって、周囲が見えない。多くの社会問題を引き起こした統一協会に祝電を送ったのは現職官房長官の安倍晋三だ。安倍晋三が次期総裁選に立候補し、産経は彼こそ「ポスト小泉」と吹聴して回る。


 ▼安倍官房長官の祝電をもらったと報じる世界日報のHPは生きている。安倍官房長官が祝電を打っているとあっては、現に勧誘されている人の心をくすぐるだろう。立派な広告塔だ。


 ▼官房長官は「法の番人」である裁判官と同じように、「行政の番人」として独立、中立、公正が求められる。だから、宗教介入がないように日本国憲法で政教分離が規定された。「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付」との言い訳に対し、産経のとるべき決断は一つしかない。


 ▼小欄はすでに、「報道機関の心意気と技を示す報道を」と引導を渡したつもりだ。安倍官房長官がカルトに祝電を打ってから1ヶ月以上も、安倍祝電が報道されることを待ち続けた。だが、もう待てない。「行政の番人」には独立、中立、公正が求められるべきだとのお考えなら潔く「安倍、統一協会へ祝電」と報道されよ。





靖国参拝訴訟 最高裁判決

靖国参拝訴訟:逃げる最高裁に怒り、憲法判断を回避


簡潔に言えば、司法の憲法判断放棄である。
まあ、国に不利な判決を下せば、肩身の狭い思いをしなければならないだろうから、個人的には理解できなくもないが、結局のところ、今井功裁判長にとって、法の番人という職務を全うすることより自己の保身が優先したということだろう。まあ、ある意味人間的といえるかも知れないが。

とりあえず言えることは、日本では行政機関が憲法を踏みにじっても、それを裁く機関は存在しない、ということか。


ところでこの記事にある靖国神社の対応だが、人や家族の意思に関わりなく、戦死者の名簿を作って宗教行事に用いるのって、個人情報保護法に抵触しないんだろうか?

旧厚生省が、名簿をそのまま横流ししていたのも今だったら、思いっきり情報漏えいじゃないか?


この靖国参拝訴訟の最高裁判決について2006/6/25時点で社説にしているのは大手紙(産経が大手かどうかはおいておく)では毎日・産経・朝日といったところ。

産経の「首相は堂々と昇殿参拝を」って、靖国参拝一部擁護派のいう「私人」に対して、参拝の仕方を強要していることにならないか?「私人」だったら、どんな参拝をしようが勝手だろうに。というわけで、産経は「公人としての首相の靖国参拝」を求めていることがわかるのだが、だとすれば「公私の区別」に触れていない今回の最高裁判決は、「公人としての首相の靖国参拝」を認めていないことは、多少の読解力をすればわかりそうなもの。


さらに今回、最高裁が憲法判断について踏み込んでいない以上、公式参拝を明確に違憲とした大阪高裁判決(2005/9/30)に沿って、「公人としての首相の靖国参拝」は違憲であると言う判断を継続するのが妥当な気がする。
(一応付け加えておくが、東京高裁判決(2005/9/29)は、「私的」とみなし憲法判断には踏み込まず、公的であれば違憲の可能性が高い、としているので靖国公式参拝擁護には使えない)


以前書いた靖国関連記事:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10004798081.html


毎日2006/6/24 社説:首相靖国参拝 やはり総裁選の大争点だ


産経2006/6/25 【主張】靖国最高裁判決 首相は堂々と昇殿参拝を


朝日2006/6/25 靖国参拝 肩すかしの最高裁判決


まあ、産経の社説がアレなのは、今さら言うまでもないのだが、憲法判断していないにもかかわらず最高裁に認められたとか吹聴しそうなので、何だかなあという感じ。産経は、IDだけじゃなく、ヒバゴンとかチュパカブラとかも扱った方が紙風にあっていると思う。


一応、関連判決を記載。

件:公的・私的の判定せず
松山地裁(2004/3/16坂倉充信裁判長):憲法判断せず
那覇地裁(2005/1/28西井和徒裁判長):憲法判断せず
東京地裁(2005/4/26柴田寛之裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/7/26大出晃之裁判長):憲法判断せず
高松高裁(2005/10/5水野武裁判長):憲法判断せず(2006/7/2追記)
最高裁(2006/6/23今井功裁判長):憲法判断せず
4件:公的と判定
大阪地裁(2004/2/27村岡寛裁判長):憲法判断せず
福岡地裁(2004/4/7亀川清長裁判長):違憲
千葉地裁(2004/11/25安藤裕子裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/9/30大谷正治裁判長):違憲
2件:私的と判定
大阪地裁(2004/5/13吉川慎一裁判長):憲法判断せず
東京高裁(2005/9/29浜野惺裁判長):憲法判断せず、ただし「公的参拝であれば違憲の可能性がある」と付加


一目でわかるが、合憲なんて判決は一つも無い。


産経症=ネット右翼によく見られる症状のこと

私は、SFとかファンタジーとか結構好きなので、産経新聞も読みます。


産経抄(2006/6/23)


別に福井総裁なんか擁護するつもりはないので、裁になってからも村上ファンドに出資していることの重大性を理解できないよう奴は金融行政に携わる資格なしとして退職金なしで辞職しろ、とまず言っておく。


まあ、それはそれとして、産経抄、「これが、無料ならとやかく言わない。」と予防線を張ってはいるようだが、内容的にはとりあえず「お前が言うな」って思ったので、ちょっとだけ表現を変えてみる。


(以下引用、ただし青字は、筆者による修正)


「産経新聞」が(いつものことだが)どうもおかしい。イラク人質事件で「自作自演」をにおわせた事件は論外だが、今にいたるも自民党の安倍晋三官房長官が統一協会の合同結婚式に祝電を送った件を報道しないのはなぜか。

 ▼昨日今日の事件ではない。ネット上で騒がれ始めた6月5日以降2週間以上経つが報道していない。おかげで事件に言及しているブログやホームページにアクセスが集中した。トラックバックを送りづらい状況が続いたという。

 ▼産経新聞の「新聞倫理綱領」によると、報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない、という。つまり、次期首相候補であり現役の内閣官房長官が、多くの被害者を出し現在も係争中の裁判の当事者であるカルト集団統一協会の合同結婚式に祝電を送り、統一協会の宣伝に協力した問題は、報道するに値しないと判断したというわけだ。

 ▼ちなみに、6月5日以降に流されていたポスト小泉情報は、「再チャレンジ」という、毒にしかならない安倍支援情報だった。産経の望む自民党独裁の国家主義政権を実現してくれそうな官房長官が総裁選を前につるしあげられるのは忍びないと配慮した、といわれても仕方がない。

 ▼逆にもう結構、というくらい垂れ流しているのが、ライブドア情報だ。買収されかかった恨みからか堀江被告が御巣鷹に行ったというだけでコラムに取り上げる(2006/5/27)神経もどうかしている。

 ▼これが、右翼機関紙ならとやかく言わない。報道機関を自称する以上、「国民の知る権利」にこたえる情報を優先して流すのが筋だろう。ライブドアもほどほどにして、報道機関の心意気と技を示す報道をそろそろ見せてほしい。無理か?


テポドン報道を(少し)考える

前回の記事 で、「テポドン発射準備」の報道は信用できるか、てな感じのことを陰謀論っぽく書いてみたわけだが、その後、少しだけ調べてみたので、追加する。


(毎日新聞2006/6/18)<テポドン2号>発射情報なし 北朝鮮公式メディアも報じず


テポドン発射準備に関する報道で確認できた一番最初は2006/6/16のもの(前回の記事 参照)だったのだが、これから少なくとも6/18までは、この情報のソースは米政府のみだったわけだ。


まあ、国交のない国の軍事施設の状況を偵察しなければわからない情報(他には通信傍受くらい?)なんだから、この手の情報をタイムリーに得ることができるのは、米国以外にあまり考えられない。


「テポドン発射準備」という外交戦略は、北朝鮮ならやりかねないとは思うのだが、情報ソースが米政府のみっていうのが、判断を保留する理由である。


可能性1.米政府が「テポドン発射準備」を示唆する誤情報を収集した

可能性2.米政府が収集した情報を誤って「テポドン発射準備」と判断した

可能性3.米政府は情報を得ていないが、米国の国益のため「テポドン発射準備」と公表した

可能性4.実際に「テポドン発射準備」が行われており、米国は正確に情報を収集・判断・公表した


ざっと、このくらいの可能性はあるわけで、実際、イラク戦争では「可能性3」と思しきことをやっている。


今回の場合、米国のロボット小泉の有力な後継者「統一協会」安倍への援護射撃という動機もあるし。


で、6/20に、北朝鮮サイドからこんな言及があった。


(共同通信2006/6/20)「平壌宣言拘束されない」 北朝鮮外務省


これで、「可能性4」が多少有力になったと判断しているのだが、記事の内容は「発射準備」について明言しているわけでもなく、北朝鮮外務省自体、ミサイル関連の情報をどの程度つかんでいるのかも疑問(独裁国家の特徴は、反乱防止のため横のつながりが少ない)なので、まだ判断は保留です。


ひょっとしたら、ガセかも?黒に近い灰色かなあ?


なんで、こんなに疑うか、というと、

政府しか入手できない情報に基づいて、「自衛」戦争が可能だからです。

(「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」第二条3 武力攻撃予測事態)

油断していると、「武力攻撃予測事態」判断の既成事実にされかねないと危惧してます。


「テポドン2」言い出しっぺは誰か

なんだか、既成事実のようになってしまった「テポドン2発射準備」なんだが、北朝鮮側の発表を見かけない。

とすると、言っているのは、日米だけ。

韓国も言ってはいるが、半信半疑な感じ (韓国語の新聞を読めればいいんだが、日本語訳してる段階で偏ってそうなんだよな)

てことは、日本の独自情報なんて知れてるから、情報ソースは、米国のみ、という極端に偏った情報ということになる。


果たして信頼していいの?

ありもしない大量破壊兵器をあると言い張った国を?


まあ、我ながら陰謀論が過ぎるような気もするんだが、こんな記事(テポドン問題、長期化の可能性も 安倍長官が示唆 )を見ると、ちょっとねぇ。


この問題、長期化してもっとも得するのは誰か?って考えちゃうよなあ。




(以下引用)

北朝鮮のテポドン、発射台に 政府、動向を注視


2006年06月16日17時50分
 北朝鮮の咸鏡北道(ハムギョンプクド)・舞水端里(ムスタンリ)のミサイル実験施設で、新型の弾道ミサイル「テポドン2」が発射台に運ばれたことが明らかになった。今週に入って米政府から日本政府に伝えられた。液体燃料を注入する動きは確認できず、政府は示威行動の可能性も捨てきれないと見ているが、動向を注視している。

 日本政府関係者によれば、組み立てられた状態の「テポドン2」が発射台に据え付けられている映像が衛星写真でとらえられているという。発射台近くに複数の車両が見られるものの、タンクローリーなどの車両は確認できていない。

 「テポドン2」は射程約3500~6000キロで、ハワイやアラスカ、米国西海岸に到達する能力を持つ。5月初めから、トレーラーに積まれた状態で発射台近くに引き出された状況が続き、日本政府内では従来の演習ではない可能性もあるとの指摘が出ていた。

 安倍官房長官は16日午前の記者会見で「我が国の安全に直接かかわる弾道ミサイルが発射されれば、日朝平壌宣言に違反した行為である」と述べ、従来の「差し迫った状況ではない」という発言から踏み込んだ。

 北朝鮮の動向に詳しい情報筋は16日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2」を発射台に据え付けた状態であるとしたうえで、このまま準備が進められれば、最悪の場合、数日内にも発射される可能性があるとの見方を示した。ただ、液体燃料を注入する作業は確認されておらず、日米韓が北朝鮮の出方を注視しているという。

 情報筋によると、北朝鮮はテポドン2の準備と並んで、中距離弾道ミサイル「ノドン」についても発射準備を進めている兆候があるという

カルトに祝電を送るような政治家は総理にふさわしいか?

ようやく、祝電事実を本人(事務所?)も認め、大手新聞も取り上げたわけだが(産経が取り上げてないのは、産経は大手じゃないから、ということにしておこう)、しかし、取り扱いが小さいな。


朝日新聞:統一教会系の集会に安倍氏の祝電 弁護士が公開質問状


毎日新聞:安倍官房長官:統一教会関連団体の集会に祝電「地元が」


読売新聞:安倍官房長官、統一教会系団体集会に祝電


産経新聞:(見当たらん)


こぞって、「ポスト小泉」と持ち上げていたわりにこの程度とは・・・

早めに風化させたいのか、と疑ってしまう。


本題:

「統一協会と癒着している安倍を総理候補にしなければならないほど、自民党には人材がいないのか?」


・・・なんか、悲しくなってくるな。まあ、自民党から選ばなきゃならない事態そのものが情けないが。9月に小泉が投げ出したら(この子は、ちらかしたらちゃんと片付けるよう躾すら受けてないようだ)、自動的に自民党から総理が出てくるんだから始末に終えん・・・。誰だよ?去年自民党に投票した奴は?


結論:

「詐欺集団・統一協会と癒着している安倍を総理にするような国は愛せません。」

教育基本法をいじるより、安倍を追い出した方が愛国心を持つ人間は増えると思います。


というか、この期に及んで、安倍を支持している奴には愛国心はないだろう。






勝ち組・負け組の定義

こんなところを見てみました


再チャレンジ推進会議


まあ、カルトの統一協会と仲良しの官房長官・安倍がやってるというだけで、評価する価値もないのだが・・・

一言で評価すると、「中身のない美辞麗句を並べた小学生の作文以下」でした。

作ったのが、小学生なら「微笑ましい」ですむのだが、いい年した大人、しかも一般人よりはるかに恵まれた所得と保障を享受している奴が書いていると思うと、引きつった苦笑いしか出来ない。


ところで、「勝ち組・負け組の固定化を避け、負け組が勝ち組になれる機会を作る」という話だが、私は「勝ち組・負け組」って何だ?と考えて以下のように定義することにした。


「負け組」=「努力してもその成果を享受できない人」

「勝ち組」=「他人の努力の成果を享受する人」


実際、努力してない人なんてあまりいないと思うんですよね。それでも生活が苦しいってのは、成果を搾取されてるんじゃないかと。逆にヒルズ族に代表される年収何千万の人たちも、そりゃ努力はしているでしょうけど、その年収は努力に見合ったものなのか?というとそうでもないでしょ。

休日返上で働いている、起きている間は仕事のことを考えている、といったところ(だったら女優と遊ぶ暇はないとも思うが)で、同様に働いているプログラマなどの社員も同じなわけですよ。


結局のところ、こういうことなんじゃないかと。


「負け組」=「努力してもその成果を享受できない人」=「搾取される人」

「勝ち組」=「他人の努力の成果を享受する人」=「搾取する人」


で、「再チャレンジ」なんだけど、端的に言えば、

「搾取される側から搾取する側になりなさい」

ってことかな?

ああ、やだやだ。


(2006/6/19脱字修正)