天皇発言に疑問あり?
宮内庁長官富田朝彦氏1988/4/28メモ
「 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」
これに対して、これは天皇の発言ではない、という噂がネトウヨの間でささやかれている。人間には信じたいものしか見えないそうだから、しょうがないのかな?
産経新聞の
【主張】富田長官メモ 首相参拝は影響されない(産経新聞2006/7/21社説)
「メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。」「メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。」
は、論外だけど。これに関しては社説の書き手の日本語読解力に重大な疑念が生じる以外、特に言うべき事はない。
流布されている「重大な疑問」とやらに回答してみる。
(ここから疑問と回答)
【重大な疑問】
1: 「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」
のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
(回答)隣の4/26のメモも貼りつけてある。単に勤務中に大きな手帳を持ち歩かず、適時に記帳するためのメモ用紙のみ持っていたと考えることが出来る。席をはずした時などに記載し、帰宅してからその日分を貼り付けたとして何の不思議もない。
2: 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。
それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
(回答)参拝自体は、国事行為ではない以上、ある程度の意思表示が可能であっても不思議ではない。
3: 勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている。
(回答)それがどうかしたのだろうか?
4: 何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
(回答)2006/6/6に野田佳彦氏により提出された「サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書」の中に以下の質問がある。
「二 「全国戦没者追悼式」ならびに他の追悼式における「A級戦犯」の位置づけと天皇皇后両陛下および内閣総理大臣の参加について
1 首相官邸Webサイトにて公開されている「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第二回(平成十四年二月一日)議事要旨において、「(全国戦没者追悼式の)『戦没者之霊』の中にはA級、B級、C級戦犯も含まれるということか」という委員の質問に対する「(厚生労働省)そういう方々を包括的に全部引っくるめて全国戦没者という全体的な概念でとらえている」という答弁が掲載されている。「全国戦没者追悼式」の追悼対象者には、「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した五名、判決前に病のため病院にて死亡した二名が含まれていると理解して間違いはないか。」
これに対する答弁が以下である。
「全国戦没者追悼式においては、「全国戦没者追悼式の実施に関する件」(昭和三十八年五月十四日閣議決定)における「支那事変以降の戦争による死没者」について、戦没者という全体的な概念でとらえて、追悼しているものであり、追悼の対象とする個人を特定しているものではない。」
「ABC級戦犯」という個人を特定していない以上、「追悼の対象」であるとも言い切れない。少なくとも答弁中には「ABC級戦犯を含む」などという明言はない。
最も重要な点は、「ABC級戦犯が全国戦没者追悼式の戦没者に含まれるかどうか」という問題自体、平成14年(2002年)2月1日の議事で公になった、ということである。1988年4月の時点でこの問題が顕在化していなければ、「疑問4」自体が意味をなさない。
5: 白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
(回答)生まれてこの方、誤字をしたことのない人間などいるのだろうか?ましてメモである。
6: 論理構成、概念、時系列が中国共産党に都合が良すぎるステレオタイプの文章。
「平和に強い考え」は中国共産党の影響の強い旧社会党や社民党が使いそうな言葉。
この場合、「平和に強い考え」=「平和への熱い思い」と同義と考えるのが自然。
(回答)印象操作の域を出ない思い込み。この理由が成立するのなら、「自分たちに都合の悪い証言は全て捏造」と強弁することができる。
7: 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」
「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
合祀された78年ならまだしも、合祀から10年経った崩御の前年の昭和63(1988)年に語ったとすると日本語としてあまりに不自然な発言。
(回答)1988年4月は奥野誠亮国土庁長官が閣僚の靖国参拝を正当化する発言をし、その責を問われている時期である(5月に辞任)。靖国参拝の話題からA級戦犯合祀の話題が出てきても不自然ではない。直前に藤尾文相の発言として、「奥野」に言及している部分から容易に推測できる。
8: 「それが私の(本)心だ。」文末でわざわざ総括(笑)する不自然極まる文章。
(回答)自分の前述の意見を強調したい時に同様の趣旨の発言をすることはままある。別に不自然ではない。
9: 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060720181150.jpg
昭和天皇の侍從長を勤めた徳川義寛氏は、極東軍事裁判A級戰犯合祀につき、
「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」と、松平永芳宮司の措置を批判的に語つてゐる (「昭和天皇と50年・徳川前侍従長の証言」『朝日新聞』一九九五年八月十九日)
(回答)辻褄が合うどころか、相当な曲解。前後の文脈にもよるだろうが、徳川侍従長の発言をメモしたのなら発言者は明記しなければ不自然。明記していなければ、当然天皇の発言ととるのが自然。
また、徳川義寛侍従長(1906-1996)の発言とするなら、大先輩に当たる松平慶民(1882-1948)を「松平」と呼び、松平永芳(1915-2005)を「子」と表現する方がよほど不自然。また、徳川侍従長が「私の参拝」に言及すること自体が不自然極まる。
10: 日記のページは黄色く変色しているにもかかわらず、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
(回答)紙質による。映像だけで判定は出来ない。
11: ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色、かすれもせず、綺麗なまま。
(回答)インクや紙質、保存状態による。もともと個人的な日記であれば、頻繁に開くこともないはずで綺麗であっても不自然ではない。
(ここまで)
「重大な疑問」どころか単なる印象操作としか取れない内容。
あと、文中の「私」は天皇ではなく藤尾文相、という説も出ているが、1986年に「入閣直後に歴史教科書問題に関連して「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国にも責任がある」等の発言をした」(WIKI)人物がこんな発言すると思うメンタリティが信じられん。