時期の問題2・昭和63年1988年4月28日というタイミング | 誰かの妄想

時期の問題2・昭和63年1988年4月28日というタイミング

「 ≪釈然としない時期の問題≫
 今回のメモを見て釈然としなかったのは、時期の問題だ。A級戦犯が合祀されたのは昭和53年である。たしかに天皇は昭和50年を最後として参拝されていないから、合祀にこだわられたという見方も分かるが、昭和44年から49年まで靖国神社の国家護持論が国会で紛糾した。この論議の過程を見て、国民のコンセンサスが得られていないところへの参拝を思いとどまられたことも考えられる。
 富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。」(上坂冬子・正論2006/7/21)


上坂氏のみならず、ネット上でも散見される「昭和63年(1988年)4月」という時期への疑問
個人でブログを書く人ならともかく、"一応"作家で、"一応"大手新聞社のWEBで書く以上、もう少し調べるべきでしょう。本人も新聞社も。


1988年
4月22日:奥野国土庁長官が記者会見で、靖国公式参拝に言及し、その中で鄧小平を非難(この記事がWEB上で見つからないのでそのうち図書館で調べるつもり)。「靖国神社参拝の問題が、これが鄧小平さんの発言によって振り回されている」こんな感じの発言らしい(1988/4/26衆議院での広瀬秀吉の発言より)。


これの記者会見が新聞記事になり、4月25日以降の国会で問題になる。


4月25日~4月28日:本会議や決算委員会、外務委員会などで、奥野発言に対する追求が行われている。
(この辺、国会議事録で検索できるので調べればすぐわかる。「奥野」「靖国」とかで検索。)


例えば、1988年4月25日衆議院・土地問題に関する特別委員会での発言

○中島(武)委員 (前略)最後に伺いたいのは、奥野長官が靖国神社に参拝されて、そして記者会見をされた。いろいろなことを言われた。公務員の資格でいかなる神社にも参拝してはならないといったような占領軍の亡霊に振り回されてはならない、こういうふうに言われたとか、あるいは日本は天皇を中心に団結している、神話教育をきちんとやれ、こういうふうに言ったとか報道されておるわけであります。これは事実なのかどうか。(後略)
○奥野国務大臣 記者の方が、靖国神社にあなたは公的な身分で参拝したのか、私的な身分で参拝したのか、公式参拝か、私的参拝かというお尋ねがあったのでございます。
 そういうことを言い始めたのは敗戦の昭和二十年十二月の神道指令に発しているのですよと、私は素直な気持ちで参拝したのであって、公的な身分だとか私的な身分だとか、自分の身分を考えたことはありませんよと、その神道指令の中には、公務員は、国家公務員であれ地方公務員であれ、いかなる神社にも公務員の身分で参拝してはならない、こう書かれたのですよと、それから始まったのですよと、こう申し上げたわけでございました。
 それはやはり占領軍としては神道排除をねらったのですよと、やはり我々は地域地域に氏神様を持っておる、それはその地域の大先祖を祭っているのですよと、さらにその頂点にあるのは天皇家だと、日本は祖先崇拝、神道を通じて団結を守っている、この団結を破壊させようと。(後略)


このほか、奥野発言については、人民日報でも非難されたらしい(国会発言中で言及)。
ようするに4月28日の時点で、ある程度の国際問題にもなっていたということ。


最終的には、こんな発言が出てくる。

5月9日:衆議院決算委員会「○奥野国務大臣 全く別問題でございます。同時に、私は侵略戦争という言葉を使うのは大変嫌いな人間でございます。言葉の使いようは個人個人どう使ってもいいと思うのでございますけれども、侵略という中には侵入して土地を取り上げる、土地を奪い取る、財産を奪い取る、侵略の略にはそういう言葉が含まれておる、そういう意味合いで日本では古来使われてきているように思っているものでございますから、私自身は侵略戦争という言葉を使うのは大変嫌いでございますけれども、海外ではいろいろ言っておられるわけでございます。したがいまして、侵略戦争であったとかないとかいうことの論争をするつもりはございませんけれども、私の気持ちを率直に申し上げさせていただきますと、侵略という言葉を使うのは嫌だし、あの当時日本にはそういう意図はなかった、こう考えておるものでございます。」


これがほぼ決定打となって5月13日には奥野氏は国土庁長官を辞任している。

「侵入して土地を取り上げる、土地を奪い取る、財産を奪い取る、」「あの当時日本にはそういう意図はなかった」

ま、ばかげた認識ですな。


ネトウヨの中には、この発言が5/9だから4/28のメモとは関係ないとか、そもそもこの発言自体1987年と勘違いしていたりとか、1988年4月という時期をもう少し調べればわかったであろうにそれをやっていない、にも関わらず、「時期の問題」を主張している人が多い。


20年前のことなので、知らない人が多いのは当然なのだが、「知らない」=「ない」ではない。論理的なブログでは、「何で1988年4月?」という疑問を持ってはいても、疑問以上ではない(暇と興味があれば調べてみるか、という感じ)。情緒的なブログだと、「何で1988年4月?」→「捏造!」→「ムキー!」と短絡している。
それでも、個人ブログレベルの発言なら大した問題ではない。問題は公式のメディア。


(繰り返し)
「富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。」(上坂冬子・正論2006/7/21)

何のことはない。1988年4月22日の右翼政治家の奥野国土庁長官の無思慮な発言によって靖国公式参拝問題が、国内外で顕在化していた時期である。まさにその時、

「 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」

と発言したわけだ。時期として何の不自然さもない。


けちを付けるのなら、もう少し調べましょうよ"一応"ノンフィクション作家なんだから。

そして、産経新聞。多分産経新聞でも、1988年4月22日~4月28日の間で一度は奥野発言を取り扱っているはず(発言に対する姿勢はともかく)。


自社のWEBに

(繰り返し)
「富田メモに天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。」(上坂冬子・正論2006/7/21)

なんて掲載する前に、一回くらい当時の新聞をチェックしたらどう?