1937年8月20日時点での上海における日本軍兵力
第二次上海事変での日本海軍特別陸戦隊の兵力について、ネット上では2500人だとか5000人だとか6000人とか記載されていて、あまり良くわからない。
と言うわけで、戦史叢書で調べてみたところ、以下のような感じみたい。
1937年7月末 上海海軍特別陸戦隊:2500名
上海事変勃発前、少なくとも7月末の時点では、2500人であったらしい(戦史叢書72「中国方面海軍作戦(1)昭和十三年四月まで」p318)。
日本海軍は7月中に上海での陸上作戦計画を立案し、この中で作戦目的を「上海居留民の現地保護、租界の確保、航空基地の占領、後方連絡線たるべき水路の確保及び陸軍揚陸後の作戦を容易にする態勢の作為を目的とする。」としている。
このとき海軍が予測した敵兵力は、約10個師(中国軍の師団なら10万、日本軍の師団なら20万)と判断している。対する日本軍は、上海特別陸戦隊2500人、増派特別陸戦隊1000人、艦船陸戦隊1500人を仮定している。
日本海軍としては、特別陸戦隊2個大隊の事前増勢、開戦後3日以内に陸軍先遣旅団が到着すること、開戦時期を我が方で把握し敵の不意に出るべきこと、の3条件を必要としていた。
(ネット上では、上海事変は蒋介石が一方的に仕掛けたような論調があるが、7月末の時点での日本海軍の計画を見るとそのような論調が的外れであることがわかる)
さて、2個大隊の増勢であるが、日付がはっきりしないが8月1日~8月17日のいずれかの時点で2個大隊1400人(戦史叢書に人数の記載はないが根拠は後述)が増勢されている。この部隊は、呉鎮守府第2特別陸戦隊、佐世保鎮守府第1特別陸戦隊である。
上海事変は8月13日に勃発するが、中国側は日本陸軍の援軍到着前に片をつけるため攻勢をとる。その兵力は戦史叢書によると、第88師団、第87師団、第36師団の3個師団(約3万か?)で、他に上海警察・保安隊なども考慮すると、約5万人程度ではなかったかと思う。
これが8月16日になると、中国軍は第15師団、第118師団が増勢され兵力7万となっている。
一方、8月16日の戦闘で損害を被った日本海軍陸戦隊は、増援要請を出している(第3艦隊機密第652番電16日1900時発電)。
これに答えて、日本海軍は佐世保で500人編成の陸戦隊を2個大隊編成、また旅順に待機していた横須賀鎮守府第1特別陸戦隊及び呉鎮守府第1特別陸戦隊の2個大隊計1400人の上海派遣を決定する。
横1特と呉1特の1400人は8月17日に第4水雷戦隊と長鯨に乗船して旅順を出港し、18日朝に上海に到着。
佐世保で編成された2個大隊計1000人は軍艦攝津及び矢風に便乗して、18日午前に佐世保を出港、19日夜に上海に到着している。
では、日本陸軍増援部隊である第3師団、第11師団が上海に上陸する8月23日の3日前8月20日時点での日本軍の兵力はどの程度だったのかと言うと、戦史叢書p331によると「上海に増援された陸戦隊兵力は、(中略)6個大隊となり、固有上海特陸兵力と合わせ総兵力約6300名となった。」である。
この内訳を見ると以下のようになる。
1.上海特別陸戦隊:2500人
2.呉第2特別陸戦隊+佐世保第1特別陸戦隊:1400人(全体が6300人であることからの推定)
3.横須賀第1特別陸戦隊+呉第1特別陸戦隊:1400人
4.2個大隊(佐世保編成):1000人
計6300人
ただし、上記のほかに艦隊保有の陸戦隊があるかと思うのだが、「2」の1400人に含まれてるかどうかは今ひとつわからなかった。
なお、この後8月23日、日本軍第3師団(第29旅団欠)、第11師団(天谷支隊欠)の2個師団(約3万か?)が上海北方に上陸し戦闘は本格化することになる。
また、中国側資料では、8月13日時点では87師団、88師団の他2個旅団に警察・保安隊が展開、15日に98師団、19日に36師団が増勢され、23日に11師団、14師団、67師団、教導部隊が増勢されたとされており、戦史叢書と異なる部分もあるようだ。
12月1日、産経が変わった!(WEBデザインが・・・)
- MIB なみの真実追求にひた走る産経新聞が生まれ変わった。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/ronsetsu.htm
「インターネットの登場で大量の情報発信がなされる中、新聞社の言論機関としての役割があらためて見直されています。「モノを言う新聞」として国内外から注視される産経新聞の三大オピニオン・コンテンツである、主張、産経抄、正論をまとめて掲載。他のメディアにはない産経ならではの論説で、ニュースの見方も変わります。 」
確かに「産経ならでは」だよね。夢見る乙女ちゃんな幻想世界の住人・ネトウヨのための他人に厳しく自分に甘い論説。
こんな論説読んでたら、確かに「ニュースの見方も変わ」るわな。
ところで「新聞社の言論機関としての役割があらためて見直され」た結果どうなったのだろう?
産経は自民党・公明党・統一協会の宣伝工作に従事するとか?そんな感じ?それなら今さら言わんでも・・・
「産経新聞の社説「主張」をまとめて掲載。他の新聞社にない国際基準がある産経ならではの視座を提供していく。 」
全く同意。他の新聞社はここまでひど(以下略)。
産経が提供する視座って、「臆病な自尊心」とか「尊大な羞恥心」に優しいやつだよね?
ネトウヨが虎にならないように、生ぬるい視座を提供する。なんと偉大な事業であることか。・・・ごめん、笑いそう。
「産経新聞の「顔」ともいえる一面の名物コラム。ぶれない視点から日本の「今」が浮かび上がる。 」
日本の「今」って、ネットイナゴの大量発生とか?
「各界の論客が、ユニークで先進性のある論を連日展開。オピニオン界をリードする「正論」を一挙掲載。 」
そうそう、富田メモのころからほぼ連日掲載になったよね。
「ユニークで先進性のある論」って、IDとかかい?確かにユニークだけど、先進性はどうかな?
えーとオピニオン界をどこに引っ張ってるんだろう?ああ、極右か。でも、いつから2ちゃんがオピニオン界になったんだろう?
これからもますます目が離せない産経。こんな笑える新聞は他には某瓦斯新聞
しかないだろう。まさに双璧である。
「俺は夢見る乙女ちゃんじゃない!」と思っているネトウヨにはとりあえずこれをお勧めする。
多分、多くの人は一度は読んだことあるでしょ?
- 李陵・山月記
- ¥362
- 株式会社 ビーケーワン
美しい国の首相は、今は国民の審判を仰ぎたくないらしい
「いずれ国民の審判仰ぐ」復党問題で安倍首相(産経新聞2006/11/30)
安倍晋三首相は30日午前の参院教育基本法特別委員会で、郵政造反組の自民党復党に関し、衆院を解散して国民の信を問うべきだとの指摘に対して「内閣を組織したばかりで、さまざまな重要法案、来年度予算編成がある。しっかり仕事をしながら、成果を出すことが当然先だ」と述べ、当面は解散に踏み切る考えのないことを強調した。
その上で首相は、「多くの仲間に一緒に協力してもらいたいという気持ちで(復党を)今回、判断した。そうした判断を含め、いずれの日にか国民の審判を仰ぐのは当然のことだ」と述べた。
民主党の福山哲郎氏への答弁。
(11/30 12:39)
つまり、「今」は国民の審判を仰ぐつもりはない、と。
ほとぼりが冷めるのを待つ、というわけか。これが美しい国の首相のやり方か。情けね~。
私は、日本を美しい国にしたいので、こんな恥ずかしい首相には辞めてもらいたいと思います。いやマジで。
産経症・南京事件映画におびえる産経(とネトウヨ)
相変わらず、寝言のようなコラムを掲載しつづける産経。
「国民を守りきれないで、国といえるのか。」と言うせりふは、イラクで香田さんら日本人が人質になったときに使うべきだったと思うけど、3人が人質になったとき産経が述べた意見は「「自己責任の原則」がとられるべきだ。」(産経症2004/4/10)である。
自分の嫌いな思想の持ち主であれば、簡単に言を翻す。ネトウヨに通じるダブスタぶり。ふう。
「米国で、反日史観映画が制作されると聞けばなおさらのことよりによって、あのでたらめだらけの『レイプ・オブ・南京』を下敷きにするとは…。」
南京事件の映画については最初から反日映画と決め付けてる・・・
それなら『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』は反朝映画かよ?
産経のやり方って、正面から南京事件を否定せずに、こういう姑息な言い回しを使うんだよね。「反日映画」とレッテルと張ることによって、明言せずに南京事件を否定する。汚いやり方だよなあ。
それに「『レイプ・オブ・南京』を下敷き」にしているかどうかは今のところわからない(青狐さんのエントリー
参照)。
確かに関連資料はいくらでもあるのだから、『レイプ・オブ・南京』だけを参考にするとは限らないのである。
どうにも、南京事件が映画化されたときに「原作となった資料は間違っている。だからこの映画も事実無根だ」と主張するための下準備としか思えない。
おそらく、上映された後の批判は、映画に対するものではなく『レイプ・オブ・南京』という本ひとつに絞るつもりだろう。それをもって映画全体へのネガティブキャンペーンを張ろうとしているのではないかな?
ま、それ以前に日本で上映されるかどうかもわからんが・・・
ところで、産経は今年の初め(2006/1/23)、クリント・イーストウッドが南京事件映画の監督になるとの虚報に踊らされて、こんなコラムを書いている。
「映画は政治やイデオロギーから離れ、普遍的な真実を描いたとき人の琴線にふれる。たとえば「鬼が来た!」(二〇〇〇年、姜文監督)のように抗日色の強い作品でも、日本人である筆者の心を打った。
▼映画の力だが、とはいえハリウッドはご存じだろうか。この作品は日本兵を人間的に描きすぎた、と中国では上映禁止にされた。中国市場で受けることを意識しては、いい映画は撮れないということだ。」
ここまで言う以上、まさか、日本で上映禁止にはしないよね?
まして、産経や日本のネトウヨに受けることを意識して、良くない映画を撮って欲しいのかな?
実際、どんな映画になるかは今の時点ではわからないんだけどねぇ。
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平成18(2006)年11月27日[月]
「あなたが自分で出ていくとは思えない」。昭和54年、「小川宏ショー」に出演して、2年前に失踪(しっそう)しためぐみさんに呼びかける横田早紀江さんはやつれはてていた。
▼夫の滋さんが撮影したものだろう。スナップ写真のなかで、めぐみさんとほほえんでいる若妻とは別人のようだ。映像の力は大きい。在米カナダ人夫妻が監督したドキュメンタリー映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』の初回上映を渋谷の映画館で見て、あらためて思った。
▼20年の月日をへて、真実を知った夫妻の戦いが始まる。舞台あいさつに立った早紀江さんが放つオーラの秘密に触れたような気がした。もっともきれいごとばかりではない。重荷に耐えかねて、夫婦が言い争う場面もあった。
▼北朝鮮工作員の蛮行を見過ごしてきた、日本社会のていたらくを見せつけられるのもつらい。「アベック3組ナゾの蒸発」として55年1月、拉致事件を初めて報じた小紙の阿部雅美記者(現産経デジタル社長)でさえ、「中学1年生が(被害者に)含まれていたとは」と、当時は想定外だったことを告白している。
▼国民を守りきれないで、国といえるのか。そんなことも考えさせられる。横田夫妻が救出活動を始めたころは、街頭で配るビラを振り払う人さえいた。ようやく盛り上がった世論に押されるように、政府が解決に本腰を入れたのもつかのま、北朝鮮の核の脅威が深刻化するにつれて、拉致問題の優先度を下げようとする動きがまたぞろ出てきた。
▼だからこそ、今この映画が内外で公開される意味は大きい。米国で、反日史観映画が制作されると聞けばなおさらのことよりによって、あのでたらめだらけの『レイプ・オブ・南京』を下敷きにするとは…。
産経症・カズフサみたいな人々
またしても、産経新聞が笑える正論を吐いたのでつっこみつつ紹介してみる。
筆者は国際東アジア研究センター名誉顧問の市村真一。
この人、ことさらに支那と言う言葉を使いたくてしょうがないらしいんだが(2006/10/5正論参照)、歴史認識も「第二次大戦において日本人は、日本のためよりもこの戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残したと言わねばならぬ。」というものらしい。
なんというか、中国などの外国は陰謀をめぐらせているのに対し、日本だけは純真無垢に植民地の解放を目指したお人よし、という歴史観。ボクは本当は優秀で皆からちやほやされて女の子にもモテモテなはずなのに、皆がボクにつらくあたるのは、誰かの陰謀だ。
そんな感じか?
ラブやん
のカズフサか、モテモテ王国のファーザーくらいイタイ奴にしか見えん・・・
で、そのイタイ奴の文章。★は私の突っ込みです。
平成18(2006)年11月24日[金]
■【正論】国際東アジア研究センター名誉顧問・市村真一
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■中韓の日本批判に便乗の卑劣さ
■国悪を諱むは礼なり、と知れ
≪“記者道”に反する行為≫
わが国の新聞報道や議論で、前から気になっている不愉快な一つの型がある。それは、教科書問題、慰安婦問題、植民地統治や南京事件の謝罪から最近の靖国問題や歴史認識論に共通しているが、特に中韓両国がからむときにひどい。
まず日本の記者が、日本の国内問題-例えば教科書問題-をいち早く中韓の当局者やジャーナリストに告げ口する。そして彼らを挑発して、日本の批判や非難をさせる。彼らのそうした日本批判に便乗し、それを日本政府の当局や当事者に突きつけて、それ見たことかと得意になるという筋書である。
★「告げ口」って何?まさかグローバル化した情報社会で、日本のニュースが中国韓国でも流れたことを指すんじゃないよね?なんだかネトウヨ並みの陰謀論にどっぷり浸かっているかのような論調だけど。
このやり口が卑劣なのは、最初に問題提起した記者は名を出さず、彼ら自身の意見も責任も問われぬことである。これは、言論人として実に恥ずかしい態度で、昔なら卑怯(ひきょう)者とさげすまれたであろう。
★明確な証拠も示さず相手を誹謗するというのも卑劣なやり口だと思いますよ。「なら卑怯(ひきょう)者とさげすまれたであろう。」そっくりそのまま返してみよう。
報道に携わる記者の大切な仕事は、第1に問題の内容とそれをめぐる事情の正確な把握である。第2にその問題に関するさまざまな異見の内容の比較考量である。単なる賛否だけではない。さらに一番重要なのは、その問題に自分自身の意見を立てることである。
★「第1に問題の内容とそれをめぐる事情の正確な把握である。」むう、その通りだ。で、最初の陰謀論の証拠は?
その種の記者は、そうした調査と考察に時間をかけて努力もせず、マイク片手に他人の意見を聞いてまわり、安直に日本をやっつける議論集めに奔走しているかのように見える。それは“記者道”に反するであろう。
★なるほど、よく調べもせず南京事件や従軍慰安婦をでっち上げだと決め付けるようなやり方は確かに「“記者道”に反」しますね。
≪春秋左氏伝の教え知る≫
たとえ駆け出しの若い記者がそんなやり方で原稿を書いても、それをたしなめ指導するのが年配の先輩記者やデスクでなければならないはずである。しかし同じようなやり方が反復してまかり通っているところを見ると、ベテランジャーナリストの指導力にもかげりがあるのであろう。
★それって産経のことかしら?
いやしくも言論をもって立つ者は、まず名を名乗らねばならぬ。なぜなら言論には責任を伴うからである。殊に他人を批判糾弾するなら、自分の名や身分地位を明らかにして、いざとなれば責任をとる用意がいる。さもないと、闇打ちで卑怯であろう。
★そういえば、「産経抄」にも「主張」にも個人名は出てないね(少なくともWEB版は。探せば載ってるのかな?どっかで見たような気もするが)。
さらにこの手口の重大な問題点は、自国の批判を外国政府や外国人にやらせ、それに便乗する点にある。有名な中国の古典の『春秋左氏伝』の僖公元年の条に「国悪を諱(い)むは礼なり」という時々引用される言葉がある。外国では、自国の悪口をつつしむのが礼にかなう、という意味である。それは当然である。自国や同胞のことは、良きにつけ悪しきにつけ、また程度の差こそあれ、自分にも関係と責任がある。自分で処理すべきもので、他人の手を借りるのは恥である。
★まず、事実誤認があればお話にならないのだけど・・・。それはおいといても、批判しているのが外国人なら「国悪を諱(い)むは礼なり」と言っても意味はないよね?日本で起こった事実に対して、外国人がそれを知り批判したのなら、お門違いもはなはだしい。それとも北朝鮮みたいに自国に都合の悪いニュースは外国に知られないよう検閲すべきと考えているのかな?
それなのに、恰(あたか)も自分が中国人か朝鮮人になったような口調で得意気に自国批判をするのは、どうかしている。もし外国人が日本に来て、そういうことをすれば、われわれはそんな外国人を尊敬するであろうか。
★・・・産経はうれしそうに、黄文雄とか「マオ」の張戎とか持ち上げてたじゃん。説得力ないなあ・・・。すくなくとも産経みたいな新聞はそんな外国人を尊敬すると言うことでいいのかな?
その人々の誤りは二重である。第1に自己の出世や利益のために自国政府や要人の悪口を他人の口から言わしめる利己心の卑しさであり、第2は外国や他人の力や影響力を自国の政争に利用して、国内での自分の立場を有利にしようとする打算と自信の無さである。
★はあ、なるほど。産経は卑しい利己心を持っていて自分の立場を有利にしようと打算的であると。いや、俺はそこまで言うつもりはなかったんだが、ここまで明言されると反論できないなあw。
≪ある幕末の武士の潔さ≫
特に深く考えねばならないのは、そういう行動が一国の独立自尊の精神を深く傷つけることである。この悩みは、強国にはさまれた中小国に共通で、アジアにもそんな国は多い。だが日本では、そういう卑劣な言論は誇りにかけて一掃すべきであろう。
★ふーん。日本だけの誇りみたいな言い方は違和感あるけど、それ以前「卑劣な言論」自体、この人の妄想だからなあ・・・
この点、偉大であったのは幕末から明治にかけての日本の指導者であった。一人の例を言えば、幕府の外国奉行だった栗本鋤雲安芸守である。江戸開城のころ、たまたまパリに滞在していた。幕府が倒れそうだという報道を聞くと同時に、彼はフランス政府から、6艘の軍艦といくつかの輸送船と若干の仏兵を提供するので、薩長と一戦を交えないかと申し出を受けた。しかし彼は、幕府と官軍の戦いは日本内部のこととして、この申し出をきっぱりと断った。そして甘んじて敗残の身として帰国し、滅びゆく幕府に殉じて、新政府に仕えることはなかった。ここに激動する日本政治の荒波の中で、いさぎよく身を処した一人の日本武士の姿がある。心なきジャーナリストや政治家には、栗本鋤雲の爪の垢(あか)でも煎(せん)じて飲んで欲しい気がする。
★是非、産経記者に勧めてあげてください。ところで、栗本鋤雲がフランスにいたころのフランス政府と言えば、メキシコに傀儡政権を作って軍事介入して顰蹙を買っていたナポレオン3世の時代ですね。まあ、欧州情勢を理解していれば、フランス政府の申し出は拒絶するのが普通でしょうね。
外国の力を利用して自己の栄達と主張の実現をはかる卑劣な言論人や政治家よ、恥を知られよ。歴史の審判は決して生やさしくはないであろう。(いちむら しんいち)
★そういえば、産経は20世紀前半の日本の軍人・政治家に対して、生やさしい審判を下しているよなあ。
厳しい審判を下すと「自虐史観だ!キイキイ」という産経が存在する限り、卑劣な言論人や政治家も安泰ですよ、きっと。
ところで、今回のエントリータイトルのカズフサみたいな人々って市村氏とそれを支持する人たちのことね、念のため。
雰囲気とか空気とか
おさかな日記 さんのエントリー「何で自殺するのでせう」 を読んで、色々うなずかされた。この辺とか。
「どうも、何か問題がおきても「自分で解決しろ」とせまり、協力しない、助けない、悩みを受け止めないで突き放す、そういう傾向が「自己責任論」によってつくられた、少なくとも助長されたような気がする。そういう社会で自殺が多発しているのでは。」
こういう雰囲気というか空気というか、そういうものは私も感じている。
文章の内容も「そうそう、そういう感じだよね」って共感できるのだが、どうも、こういったことを上手く表現する言葉が思いつかない。
雰囲気?空気?おさかなさんは「社会の殺伐とした雰囲気」と表現しているが、言い方として何かしっくりこない。「殺伐」というほどではない気がして・・・。ただ息苦しいというか。不安というか。なんかいい表現がないかなあ?
芥川龍之介の表現を借りて「茫漠たる不安」かなあ。うーん。
あるいは真綿で首を絞められているような感じ、とか。
「美しい国」が美辞麗句に過ぎないことはわかっている。議員特権や天下り、裏金、問題があるのをわかっていても何も言わない。言えば、場が白けてしまうのではという不安。構造改革・教育基本法改正・憲法改正・共謀罪が茶番であることも知っている。今まで散々解釈改憲などで踏みにじってきておいて、改正後の憲法は守ります、なんて大方の人間は信じていないと思う。でも行動しないし、口にも出さない。来るべき密告社会に備えて下手なことを言わないようにしてる?選挙も結局無駄と思っている?まあ、どうせ自民党政権は変わんないんでしょ、というあきらめ?
なんというかなあ。
道路族が抵抗勢力と非難された時は、当然だと思った。
郵便局の既得権が非難された時も、気にしなかった。
日教組を槍玉にあげて教育基本法を改正した時も、気にならなかった。
北朝鮮の拉致と核に対して軍備拡張したときも、当然だと思った。
税金が上がったときも、やむをえないと思った。
治安の悪化に対して共謀罪が成立した時は、生活を維持できるかどうかが気になっていた。
自分と息子が徴兵された時は、反対したかったができなかった。
戦後、手足を失った息子に「なぜ戦争に反対しなかったのか」と問い詰められた時は、何も答えられなかった。
とか考えながら、この本を思い出しました。
重篤な産経症が発現しました・産経新聞が人権侵害を助長するコラムを掲載
産経の書く内容は、ほとんどトンデモだが、今回のはちょっと捨て置けない。とはいいつつ一週間も経ってしまったが。
内容はある意味、人権侵害か報道被害。
「国会周辺で改正反対と声高に叫んでいるのは、文部科学省とともにこの国の教育をおかしくした日教組、それに共産党と過激派系団体の面々がほとんどだ。」
これ、曲がりなりにも(ほんとに根性とか思想とかが曲がってるけど)全国紙が書く内容か?ネトウヨ並みのレッテル貼りだぞ。市民運動に参加している人間に対して、「過激派系団体」ってなんだ?ほとんど名誉毀損といえる内容だと思う。
それとも、産経は参加者に取材して「過激派系団体」であることを確認したのか?
この書き方じゃ、日教組でも共産党でもない参加者は、これから周囲の人間から過激派呼ばわりされることになりかねない。
今回のは合法的なデモだと思うし、それに市民が参加するのも合法であろう。
今回の産経のコラムは、市民がデモに参加するのを萎縮させるための威圧とも取れる。下手すりゃ職場や学校での差別など具体的な被害だって出かねない。
”政府に逆らうような奴はこんな目にあうぞ”と脅しをかけているようなものだ。
産経こそ過激派右翼新聞と呼ぶにふさわしい。
(以下引用、太字は筆者による)
平成18(2006)年11月17日[金]
男が身につけるモノの中で腕時計は最も厄介な存在の一つだ。時間を知るだけの用なら100円ショップで買えるもので十分だが、世の中には腕時計で人物の値踏みをするというご仁もいる。
▼金ピカのブランド品をひけらかすような人物はおおむね底が浅く、ちょっと見は地味でもよく見れば、通好みの品を身につけている人物は信頼できるんだとか。この話を聞いてから小欄は外で腕時計をしないようにしている。
▼公共工事をめぐる談合事件で逮捕された和歌山県知事も大の腕時計ファンだそうだ。地検特捜部の家宅捜索で知事公舎からは「改革派」に似合わぬ高級品がいくつも出てきた。中には談合の仲介役からのプレゼントもあったという。高いモノを身につければ男が上がると錯覚をしたのだろうか。
▼今こそ正確な時を刻む時計が必要な人たちもいる。きのう教育基本法改正案は衆院を通過したが、審議時間が通算100時間を超えても野党は「まだ時間が足りぬ」と本会議をボイコットしてしまった。彼らの時計はゆっくりと進むようだ。
▼政権交代を目指す民主党の小沢一郎代表が、天下分け目の戦いになる来年夏の参院選へ向け与野党激突ムードを高めたいのはよくわかる。だが、教育を政争の具にするのはいただけない。国会周辺で改正反対と声高に叫んでいるのは、文部科学省とともにこの国の教育をおかしくした日教組、それに共産党と過激派系団体の面々がほとんどだ。
▼小沢さんは彼らと共闘することが、政権交代の早道だと本気で考えているのだろうか。「反対のための反対」を生業(なりわい)にしていたかつての社会党がたどった道に民主党も一歩踏み出したのだとしたら取り返しがつかない。時計の針を元に戻してはなるまい。
沖縄知事選についての感想
教育基本法改正案を衆議院で強行採決した自民党・公明党が推薦する仲井真氏が沖縄知事選に勝ちました。
有権者数は1,036,743人であるのに対して、得票数は以下のとおり。
仲井真弘多 347,303
糸数 慶子 309,985
屋良 朝助 6,220
まあ、4万票程度の差で、なおかつ、勝ったほうも有権者数の過半数は割っているわけだが、何にせよ普天間移設の問題については、米軍に都合のいいようになるだろう。
「仲井真氏は「地元や県民の意向を踏まえ、なるべく早く解決する」「県内移設もあり得る」と述べ、沿岸案の修正や新たな条件を巡って政府や名護市と協議する方向性を打ち出していた。」(毎日新聞)
県内移設を認めない姿勢を明確にした糸数氏に対して、いかにも曖昧な表現である。
端的に言い換えれば、「俺が言いように取り計らってやるから白紙委任しろ」とこんな感じかな。
35万人近くが、その普天間移設に関する白紙委任を受け入れたわけだ。
これがこの国の民主主義のレベルと言うわけですね。
「ヒトラー ~最期の12日間~
」の最後で、ヒトラーの秘書であったユンゲ本人が語った言葉。
若かったと言うのは言い訳にならない。
目を見開いていれば気づいたはずだ。
将来、同じ言葉を言う時代が来ないことを祈ります。
(期待も予想も出来ないので祈るだけですが)
政治の責任は有権者自身にある
北海道5区、青森3区、新潟3区、栃木2区、東京16区、千葉1区、神奈川7区・18区、長野1区、愛知9区、石川1区・2区、福井1区、滋賀1区・4区、兵庫11区、山口3区、福岡6区・10区、長崎4区、宮崎1区
の有権者の方々。
あなたたち(特に自民党に投票した人・棄権した人)の代表が、行ったことです。(比例区選出も含めると私も含まれるんですけどね・・・)
教育基本法改正案を単独採決 衆院特別委
(朝日新聞2006/11/15)
この教育基本法の変更が、私たちの子や孫の住む世界にどう影響するか。(私には悲観的な観測しか出来ませんが)
どんな影響が出るにせよ、その責任は私たち有権者自身にあることを自覚しておきたいと思います。
国民主権と言うことは、投票しておしまい、ではなく、投票した相手がどんな政治行動を採るかに責任を負うということです。
私自身は、国のために国民に死を強いるような教育にならないことを願って止みませんが、この先どうなることか。
さあ、本会議、そして参議院はどうなるだろう。
(以下は教育基本法に関する特別委員会の自民・公明メンバー)
佐藤 剛男 自民 (比)東北
渡部 篤 自民 (比)東北
猪口 邦子 自民 (比)東京都
坂口 力 公明 (比)東海
斉藤 斗志二 自民 (比)東海
西 博義 公明 (比)近畿
井脇 ノブ子 自民 (比)近畿
松浪 健四郎 自民 (比)近畿
斉藤 鉄夫 公明 (比)中国
町村 信孝 自民 北海道5
大島 理森 自民 青森3
森山 眞弓 自民 栃木2
島村 宜伸 自民 東京16
臼井 日出男 自民 千葉1
やまぎわ 大志郎 自民 神奈川18
鈴木 恒夫 自民 神奈川7
小坂 憲次 自民 長野1
海部 俊樹 自民 愛知9
稲葉 大和 自民 新潟3
馳 浩 自民 石川1
森 喜朗 自民 石川2
稲田 朋美 自民 福井1
上野 賢一郎 自民 滋賀1
岩永 峯一 自民 滋賀4
戸井田 とおる 自民 兵庫11
河村 建夫 自民 山口3
西川 京子 自民 福岡10
鳩山 邦夫 自民 福岡6
北村 誠吾 自民 長崎4
中山 成彬 自民 宮崎1
従軍慰安婦問題・論点のすり替えは産経がやっているように見えるのだが。
従軍慰安婦問題、特に河野談話 見直しについて、ハムニダさんのところ でコメントしたのをきっかけに調べてみた。
基本的な争点は、強制性の有無と「広義の強制性」と「狭義の強制性」だそうだが、そもそも河野談話について言えば、記載されている内容は「広義の強制性」であるように読める。そこで「広義の強制性」と「狭義の強制性」と言う議論がどこから出たのかを中心に追ってみた。
「河野談話はいわゆる「従軍慰安婦の強制連行」を認めていた。だが、それを裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく、談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦からの聞き取り調査のみに基づいて「強制連行」を事実と認めたことが、後に石原氏の証言で明らかになった。その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えたこともよく知られている。」(産経社説2006/10/30)
まず、河野談話
は「従軍慰安婦の強制連行」を認めているのだろうか?
河野談話の該当する個所は以下である。
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」
見てすぐわかるのだが、「強制連行」という文言はない。また河野談話以降の国会で「従軍慰安婦の強制連行」という表現は少なくとも平成8年1996年12月11日参議院予算委員会まで出てこない(一回のみ三野優美議員が「従軍慰安婦という言葉、これはどうも使いづらいわけであります。正確に言えば、強制連行による性的奴隷というか、強制というか、適当を言葉がないわけでありますが、」1998/10/11衆議院予算委員会、という表現をしている)。
1996年12月11日の参議院予算委員会であの板垣正議員がこう発言したのが国会での「従軍慰安婦の強制連行」という文言の最初だろうと思う。
「平成五年八月三日の河野官房長官談話を裏づける強制連行の資料などというのはない。広い意味における関与、衛生管理とか輸送とか施設の管理、そういうものはあり得たでしょう。しかし、強制連行をやったという、そういうイメージを与える河野官房長官の見解というものが政府の一つのよりどころになっているというのは紛れもない事実ですよ。」
(言うまでもないが、河野談話を裏付ける資料が「強制連行の資料」である必要性はない。)
それまでは、「強制連行」と「従軍慰安婦」はそれぞれ別の問題として扱っている。河野談話も含めて「従軍慰安婦の強制連行」という主張は行っていない。
河野談話で言われているのは、
1.軍の要請を受けた業者が主として慰安婦の募集にあたった
2.慰安婦の募集にあたっては本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあった
3.官憲が直接これに荷担したことがあった
4.慰安所での生活は強制的な状況で痛ましいものだった
くらいであり、日本語表現上「3」の「これ」が「慰安婦の募集」を指すのか「意思に反して集めたこと」を指すのかが不明瞭だが、少なくとも「強制連行」という主張はしていない。
要するに河野談話は、慰安婦は本人の意思に反して集められ強制的な状況で痛ましい生活を送ったことを認めているのであって、「従軍慰安婦の強制連行」を認めているのではない。
意味は同じと言えば、確かに大きな違いはないのだが、国会などの場では文言が重要になる。
要するに「従軍慰安婦の強制連行はないが、慰安婦を本人の意思に反して集めて上、強制的な状況においた」
となるわけだ。
また、官憲の関与についても、「官憲が直接慰安婦の募集にあたったことがある」という主張であってこれ(官憲による募集)が強制であったことを河野談話が明確に示しているわけではない。
実際、こういうやり取りがあった。
平成9年1997年1月30日参議院予算委員会で、あの片山虎之助議員がこう発言している。
「そこで、文部大臣が今言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ、不正確。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません、否定しない。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなりあいまいなんです。」
河野談話には、そもそも「強制連行」「強制募集」を示す文言はない。そのため、政府委員はこう答える。
「○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。」
ここで片山虎之助くんは得意になって次の発言をする。
「○片山虎之助君 今の審議室長の話は、資料と証言を集めた、資料には強制性を示すようなものはなかったと。ということは、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)いや、今答弁したんだから。
そこで、それじゃ証言ということになる。その証言はどういう人から集めましたか。」
軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述がなかったというのが、資料に強制性を示すものはない、にすり替わっている。政府委員もさすがにこれは見過ごせないわけでこう答えている。
「○政府委員(平林博君) その前に、強制性の問題でございますが、今御答弁申し上げましたのは、強制募集を直接示すような記述は見出せなかったと。ただ、もう少し敷衍して申し上げれば、いわゆる従軍慰安婦の方々の日常の生活等におきましては強制性が見られるということで先はどのような官房長官の談話になったということでございます。」
このやり取りが「従軍慰安婦の強制募集・強制連行」の最初ではないかと思うのだが(民間ではどうかわかないが)、もともと河野談話に書いてもいない「従軍慰安婦の強制募集・強制連行」に対して「そんな証拠はない!」と追求する方法が印象操作に有効であることをこのやり取りが示したと言えると思う。
このやり取り(1997/1/30)があった1ヵ月後、産経新聞がこんなインタビュー記事を出している(1997/3/9)。河野談話当時、官房副長官だった石原信雄に対するインタビューである。念のために書いておくが、インタビューは国会での証言とは異なり、実際口頭で行った問答がそのまま記事になるわけではなく、質問や回答は文脈に応じて要約・抜粋されるものである。もちろん要約・抜粋が恣意的に行って印象操作を行うことも可能である(回答を誘導するような質問をして、後で誘導質問を削除するなど)。
その上で、インタビュー記事を追ってみよう。なお、★以降は筆者の解釈・注釈である。
(インタビュー記事はhttp://www.tamanegiya.com/konoyouhei.html
より参照した)
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河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているがーー
「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」
★調査は慰安婦に関することで、「慰安婦の強制連行」については河野談話では述べていない。また「強制にあたるもの」という表現だが、質問内容が「強制連行」であるため、ここでは「強制連行にあたるもの」という解釈も可能(実際の問答のやり取りが不明なので断言は出来ないが)。
一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もあるーーー
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」
ではなぜ強制性を認めたのかーーーー
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」
★「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。」質問に対してこの一文が不自然。文脈上、かなり重要な発言になるはずなのに、何を示す文書・証言者かが不明瞭になっている。無論、質問から推定すれば「強制性」を示す文書・証言となるのだが、国会答弁の「日常の生活等におきましては強制性が見られる」に対する反論をするのなら、強制性の有無は独立した問答とすべきで、なおかつ「募集」が強制なのか「日常の生活等」が強制なのかを明確にすべきであった。しかし記事ではこれが曖昧なままである。
筆者の推測では、石原氏の元の発言は「官憲が直接関与した募集の強制を示す文書・証言は見つからない」という内容ではなかったかと思う。この内容と韓国側の要請云々の件が、インタビューの記事化の時点で編集され繋げられたのではないだろうか?
もちろん、これは推測に過ぎず当該インタビューの未編集の速記・録音・録画などで記事の編集が適切であることが確認できれば上記見解は撤回する。
聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性はーーー
「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」
★これに関しても、前半部分が質問とかみ合っていない。証言の信憑性に対する石原氏の回答は「当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している」であって、本来ならこれだけでも構わないはずなのだが、前半部分を追加することによって証言には信憑性がないかのような印象を受ける。質問内容とかみ合わない前半部分をわざわざ追加した理由はこのためではないか?
韓国側の要請は強かったのかーーーー
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」
★2年程度の調査期間のうち、元慰安婦に対する聞き取りはかなり最後に行われてる。その時点で結論がある程度想定されていたのは当然の話だが、「韓国側の要請が強かったのか」という質問の回答にこれが入っているのが不自然ではある。まるで韓国側の要請で結論が決まったかのような印象を受けるが、よく読むと明言されているわけではない。
それが河野談話の裏付けとなったのかーーーー
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」
★これも「日本側には証拠はないが」という部分が浮いている。このすぐ後で「両方の話を総体としてみれば」(強制に当たるものはある)と続いている以上、ここでいう「証拠」とは「慰安婦の強制連行」の証拠か、あるいは「官憲が直接関与した募集の強制を示す文書・証言」を指すと推定できる(「両方の話」とは「韓国の当事者」と日本の当事者の話を指すと考えられるため)。「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。」以降は、質問に対する回答としては不自然なので、実際のインタビューでは、この回答を誘導する質問があったと思われるのだが、それは記事で削除されているようだ。この編集の結果、河野談話はまるで政治的判断であったかのような印象を与える記事となったのではないか?
談話の中身を事前に韓国に通告したのかーーー
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う。」
★趣旨の事前通告は外交上の常識だと思うんだけどどうだろう?後半に関しては石原氏が直接関与しているわけではないのであまり意味はない。どうにも印象操作くさい。
韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もあるーーー
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」
★取引はない、と断言しているのに、「今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」とわざわざ入れているのも印象操作くさい。
元慰安婦の証言だけでは不十分なのではーーー
「証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」
★石原氏は、「証言だけで結論を出したことへの”議論”」は知っている、と言っているだけで認めているわけではないのでは(実際に同年1月の国会で片山虎之助議員がそういう議論をしているので、石原氏もその議論は知っていただろう)?内容が内容だけに批判があるのも当然で、それは「覚悟して」いたであろう。しかし、談話内容に問題がないと判断し、公表すると「決断した」以上、「弁解しない」のも当然。もし、こういう文脈で生じた表現であったとすると、上記の記事は印象操作に他ならない。
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総論として、「河野談話が韓国の圧力に屈して元慰安婦の証言だけで強制連行・強制性を認めた」という印象を与える記事であるが、石原氏の発言内に直接明言されているわけではない(言うまでもないが、「慰安婦の強制連行」はそもそも河野談話には述べられていない)。
繰り返しになるが、インタビューは記事にする時点で編集されるため、国会答弁に比べると信憑性にかける点は否めない。(この辺、石原信雄氏の著書「首相官邸の決断
」などで言及されているのだろうか?確認してみたい)
そこでもう一度、国会答弁に戻る。次は、上記の産経インタビュー記事が出た(1997/3/9)3日後、1997年3月12日の参議院予算委員会である。
平成9年1997年3月12日参議院予算委員会
「○小山孝雄君 お配りしております資料をごらんいただきたいと思いますが、この「朝鮮人強制連行」という見出しが入って、写真が入って、その下の段の真ん中辺に「警察官や役人が土足で家に上がり、寝ている男を家から連れ出すこともありました。抵抗する者は木刀でなぐりつけ、泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけたともいわれます。」と、わずかこのページの中でこれだけのことが書かれております。
外政審議室にお尋ねいたしますが、つぶさに政府資料等々、平成四年、五年当時、お調べいただいたようでございますが、こういうことが日常茶飯行われていたんでしょうか。」
これもおかしな質問であって、もともと「従軍慰安婦」と「強制連行」は別個の話であり、1992年から1993年にかけて外政審議室が調べたのは「従軍慰安婦」に関してである。「朝鮮人強制連行」の質問が外政審議室にされること自体おかしいのだ。
政府委員は以下のように答えている。
「○政府委員(平林博君) 内閣外政審議室長の平林でございます。
今の強制連行につきましてでございますが、私の方で調査いたしましたのはいわゆる従軍慰安婦の関係でございますが、従軍慰安婦に関する限りは強制連行を直接示すような政府資料というものは発見されませんでした。その他、先生の今御指摘の問題、朝鮮人の強制労働等につきましては我々が行った調査の対象外でございますので、答弁は関係省庁にゆだねたいと思います。」
この1997/3/12の答弁を、鬼の首でも取ったかのように河野談話否定の根拠にしているサイトを見かけるが、ここまで読んだ読者はわかると思うが、そもそも河野談話は「従軍慰安婦の強制連行」という主張をしていない、だから1997/3/12の答弁は何の根拠にもならない。
そして元慰安婦の証言のみに基づいて河野談話を発表したという批判に対しては、1997/3/17参議院外務委員会での国会答弁で以下のように述べている。
「○政府委員(加藤良三君) 証言の裏ということなんでございますが、証言集それから現実の証言ということを申し上げましたけれども、聞き取り調査を行った中には元慰安婦以外の関係者からの聞き取りというものも入っているわけでございます。したがって、言葉の問題で、証言の裏とかなんとかということが、直接的な因果関係をどういうふうに処理されたかということとは別に、証言集、証言聴取ということに当たっては、先ほど委員が指摘された十六人の人による証言のみということではなくて、その他の関係者、韓国人でない関係者も含めて広く当たったということと理解しております。」
要約すると、
・元慰安婦以外の関係者に対しても聞き取り調査を行った
・証言集及び現実の証言を広く当たった結果として談話を作成した
こんな感じだろうか。
以上を踏まえて、もう一度河野談話を見てみる。
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」
ちなみに、慰安婦が存在したこと、慰安婦募集を軍が業者に要請したこと、軍が慰安所管理に関与したことは日本の公文書から確認あるいは強く類推できる(証言にいたっては枚挙にいとまない)。本人達の意思に反した募集があったこと、慰安所生活が強制的なものであったこと、官憲が募集に関与したことがあったことも各証言から確認できる。
(ついでに言うなら、昭和初期の不況で東北で娘の身売りが頻発した際、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反した事例が一切なかったと主張する論者はいないだろう。ならば、戦時中の慰安婦についても同じことがあっただろうと単純に推定できるはずなのだが。)
以上を考慮すると、河野談話はもともとかなり慎重な表現であって、韓国側から要請(があったとして)に唯々諾々と従ったものではないことがわかるだろう。
では、産経はどうだろうか?もう一度見てみよう。
「河野談話はいわゆる「従軍慰安婦の強制連行」を認めていた。だが、それを裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく、談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦からの聞き取り調査のみに基づいて「強制連行」を事実と認めたことが、後に石原氏の証言で明らかになった。その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えたこともよく知られている。」(産経社説2006/10/30)
まず、河野談話は「従軍慰安婦の強制連行」は認めていない。これが全て間違いである。だから、「従軍慰安婦の強制連行」を「裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく」ても、何もおかしくない。
従軍慰安婦が問題であるのは、本人の意思に反して集められたこと、慰安所での生活が強制的な痛ましいものであったこと、この2点による、と河野談話は述べているのである。
要するに、「従軍慰安婦の強制連行」という産経が問題にしている論点そのものが虚構なのだ。
「その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えた」についても、(おそらく朝日新聞を指しているのだろうが)果たしてそうだろうか?
産経新聞は上記1997/3/9のインタビュー記事で「河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているが」と河野談話に記載のない「従軍慰安婦の強制連行」をまるで書いてあるかのように断定している。
これこそ”すり替え”ではないか?
「広義の強制性」「狭義の強制性」については文言の定義も不明瞭であるが、ネトウヨが崇拝してやまない阿比留瑠比氏はブログ
でこういっている。
「…この狭義の強制性とは、いわゆる強制連行を指しています。」
「狭義の強制性」=「強制連行」(これらを内包する強制一般を「広義の強制性」)ならば、河野談話にあるのは「狭義の強制性」ではない。河野談話の「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」と言う記載を見れば、明らかに「広義の強制性」を指していることがわかる。
つまり、河野談話は最初から「広義の強制性」について記載しているのであって、「狭義の強制性」には言及していないのだ。
にもかかわらず、河野談話に見直しが必要だと主張する産経(■【主張】河野談話 再調査と見直しが必要だ
2006/10/30
)や下村議員には、強い違和感を感じる。
一体、すりかえたのは誰なのか?
私には、産経とそれに乗じたネトウヨたち、としか思えない。