産経症・南京事件映画におびえる産経(とネトウヨ)
相変わらず、寝言のようなコラムを掲載しつづける産経。
「国民を守りきれないで、国といえるのか。」と言うせりふは、イラクで香田さんら日本人が人質になったときに使うべきだったと思うけど、3人が人質になったとき産経が述べた意見は「「自己責任の原則」がとられるべきだ。」(産経症2004/4/10)である。
自分の嫌いな思想の持ち主であれば、簡単に言を翻す。ネトウヨに通じるダブスタぶり。ふう。
「米国で、反日史観映画が制作されると聞けばなおさらのことよりによって、あのでたらめだらけの『レイプ・オブ・南京』を下敷きにするとは…。」
南京事件の映画については最初から反日映画と決め付けてる・・・
それなら『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』は反朝映画かよ?
産経のやり方って、正面から南京事件を否定せずに、こういう姑息な言い回しを使うんだよね。「反日映画」とレッテルと張ることによって、明言せずに南京事件を否定する。汚いやり方だよなあ。
それに「『レイプ・オブ・南京』を下敷き」にしているかどうかは今のところわからない(青狐さんのエントリー
参照)。
確かに関連資料はいくらでもあるのだから、『レイプ・オブ・南京』だけを参考にするとは限らないのである。
どうにも、南京事件が映画化されたときに「原作となった資料は間違っている。だからこの映画も事実無根だ」と主張するための下準備としか思えない。
おそらく、上映された後の批判は、映画に対するものではなく『レイプ・オブ・南京』という本ひとつに絞るつもりだろう。それをもって映画全体へのネガティブキャンペーンを張ろうとしているのではないかな?
ま、それ以前に日本で上映されるかどうかもわからんが・・・
ところで、産経は今年の初め(2006/1/23)、クリント・イーストウッドが南京事件映画の監督になるとの虚報に踊らされて、こんなコラムを書いている。
「映画は政治やイデオロギーから離れ、普遍的な真実を描いたとき人の琴線にふれる。たとえば「鬼が来た!」(二〇〇〇年、姜文監督)のように抗日色の強い作品でも、日本人である筆者の心を打った。
▼映画の力だが、とはいえハリウッドはご存じだろうか。この作品は日本兵を人間的に描きすぎた、と中国では上映禁止にされた。中国市場で受けることを意識しては、いい映画は撮れないということだ。」
ここまで言う以上、まさか、日本で上映禁止にはしないよね?
まして、産経や日本のネトウヨに受けることを意識して、良くない映画を撮って欲しいのかな?
実際、どんな映画になるかは今の時点ではわからないんだけどねぇ。
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平成18(2006)年11月27日[月]
「あなたが自分で出ていくとは思えない」。昭和54年、「小川宏ショー」に出演して、2年前に失踪(しっそう)しためぐみさんに呼びかける横田早紀江さんはやつれはてていた。
▼夫の滋さんが撮影したものだろう。スナップ写真のなかで、めぐみさんとほほえんでいる若妻とは別人のようだ。映像の力は大きい。在米カナダ人夫妻が監督したドキュメンタリー映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』の初回上映を渋谷の映画館で見て、あらためて思った。
▼20年の月日をへて、真実を知った夫妻の戦いが始まる。舞台あいさつに立った早紀江さんが放つオーラの秘密に触れたような気がした。もっともきれいごとばかりではない。重荷に耐えかねて、夫婦が言い争う場面もあった。
▼北朝鮮工作員の蛮行を見過ごしてきた、日本社会のていたらくを見せつけられるのもつらい。「アベック3組ナゾの蒸発」として55年1月、拉致事件を初めて報じた小紙の阿部雅美記者(現産経デジタル社長)でさえ、「中学1年生が(被害者に)含まれていたとは」と、当時は想定外だったことを告白している。
▼国民を守りきれないで、国といえるのか。そんなことも考えさせられる。横田夫妻が救出活動を始めたころは、街頭で配るビラを振り払う人さえいた。ようやく盛り上がった世論に押されるように、政府が解決に本腰を入れたのもつかのま、北朝鮮の核の脅威が深刻化するにつれて、拉致問題の優先度を下げようとする動きがまたぞろ出てきた。
▼だからこそ、今この映画が内外で公開される意味は大きい。米国で、反日史観映画が制作されると聞けばなおさらのことよりによって、あのでたらめだらけの『レイプ・オブ・南京』を下敷きにするとは…。